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国民投票は九条を甦らせる(ジャーナリスト 今井 一)

季刊『社会運動』2017年1月【425号】特集:STOP THE WAR! 護憲派による「新九条」論争

自分で決断する国民投票が、国民を変えていく

─それにしても、ポピュリズムが台頭する状況の中で「日本国民は、国民投票で賢明な結論を出せるのだろうか」という疑問や不安が指摘されています。

 自民党政権の支持が一時的なものではなく、ずっと続いてきたのは多数の国民が再軍備、軍事力増強路線の自民党を良いと選択してきた結果なんだと思います。そうした人びとを私は「愚か者だ」と切って捨てるようなことはしません。自民党支持者は私とは考えが違うけれども、彼らは彼らなりに主権者として考え選択してきたのだから。こうした自分とは考えが違う人たちと議論をしたり、学習したりしながら、最終的に自分の責任で良心に基づいて決断するのが国民投票なのです。

 中世以降、これまで世界中では2750件を超す国民投票が行われてきましたが、日本では憲法に関するものはもちろんそれ以外の案件に関しても、まだ一度も国民投票を行ったことがありません。そのために、なんだか非常に国民投票を怖がって、自分たちは愚かな決断をしてしまうのではないかと心配してしまうようです。

 たとえばスイスでは年に4回、1回につき3〜5の案件・テーマを対象にして国民投票が実施されています。日常的に行われているわけです。私はスイス在住40年の日本人女性の国民投票に関するブログをいつも読ませてもらっています。彼女はそうした国民投票でどんな論争が起きたか、自分はどう考え、どちらに投票したのかを丁寧に書いていらっしゃるんですね。毎回、国民投票を管理する機関から、賛否両方の意見が掲載された小冊子が送られてくるので、それをつぶさに読む。しかし、それを丸呑みしてはだめだから、いろいろな新聞をチェックして切抜きをつくって勉強しなければいけない。大変らしいです。彼女も「毎回毎回、もう疲れた」とブログで書いていたこともあります(笑)。それでも彼女は国民投票制度は手放したくないと言い切っています。ちなみにスイスで「直接民主制はやめませんか」という世論調査があった時「もうやめた方がいい」と答えた人は3割弱でした。

 スイス人だって生まれつき賢い人ばかりではないでしょう。それは、私たちと同じです。もし日本国民がスイス国民に比べて政治的に愚かだとすれば、それは自分たちで重要なことを直接決めていないからだと思うのです。例えば、原発再稼働とか安保法制とかね。

 日本では96年の新潟県巻町以降415件を超す「住民投票」(条例制定に基づく)が実施されていますが、実施自治体の首長が私によく言うのは、「やってよかった」という言葉です。「住民投票をしたことによって住む人たちの意識が変わった」と言うのです。埼玉県の北本市では、市の予算でJRの新駅を作ることについて議会が建設を承認した後、その是非を市民に問う住民投票を行い建設を白紙にしました。つくば市でも、議会と市長が運動公園を作ると言ったのに、住民投票でNOという意思を示し、中止に追い込んだ。こういう経験をすると、自分たちが主権者だということが実感できて、国民も変わっていくと思います。

 

悩み考えなければ、九条は「私たちの憲法」にはならない

 

 最後に哲学者の鶴見俊輔(注4)さんが「九条と国民投票」について語っている言葉を紹介させてください(「朝日新聞」1998年2月4日付夕刊「鶴見俊輔の世界─③私の憲法〈国民投票を恐れないで〉」より)。

 

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「憲法改正に関する国民投票を恐れてはいけない。その機会が訪れたら進んでとらえるのがいいんじゃないかな。護憲派が四対六で負けるかもしれない。それでも四は残る。四あることは力になる。そう簡単に踏みつぶれませんよ。もし、改正するならあの精神の方向へ押し戻したいですね。

─それで護憲がほんものになると。

そう。護憲、護憲といっているが、それは四十年以上も前に終わった占領時代を、いまも当てにしていることでしょう。進歩派がそこに寄りかかっているのは、おかしいんじゃないの。だからいまの護憲派は、はりぼてなんだ。

(中略)

─ではいまの憲法も、はりぼてですか。

どこの国でも民主化の動きはある。デモクラシーはユートピアであることを忘れては困る。ところが憲法が国会で成立した途端に憲法に寄りかかり、民主主義は成立したと考えた。民主主義は成立したのではなく、われわれが向かう目標としてあるものなんです。「人民による、人民のための、人民の政府」。こんな政府は世界のどこにありますか、ない。しかし、それに向かって歩みたい。民主主義はパラドックスを含んでいるんです。

─憲法の弱さはそこにあるというわけですか。

運動としての民主主義はある。その運動はだれが担うのか。担い手なしで国家が決めてしまう。これでは二重の委託になる。一つは原理への委託です。原理を納得すると、それに寄りかかれると思い込んでしまう。もう一つが国家への委託です。私的な信念によって支えられてはいない。原理はもろいし、委託なんてできるものではない。日本の教育は、この原理への委託を教えているんです。だから国民投票して私への信念を試すんですね。私は「護憲」に投票しますが、原理と国家への委託はしない」

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 私も鶴見さんと全く同じ考えです。国民投票によって国民は自分自身の価値観や生き方を問われるでしょう。問われることがなければ、そして悩み考えた上で問いかけに答えなければ、九条は本当に私たちの憲法にはならないと思います。(構成・編集部)

(P.47~P.51記事から抜粋)

p27

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