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戦争と植民地支配の罪と責任 ドイツから何を学ぶのか (中央大学文学部教授 川喜田 敦子)

季刊『社会運動』2019年10月号【436号】特集:「平和の少女像」が示す希望 韓国と日本の歴史を直視する

戦争賠償と暴力支配への補償
 
 戦争は国どうしで行うものですから、戦争賠償は旧交戦国の間の取り決めになります。ドイツの場合は分断された東西ドイツで違いがありました。
西ドイツの場合は、西側の戦勝国に賠償金を支払っていましたが、冷戦が進むにつれて、西ドイツに懲罰を加えるよりも、復興を優先し西側に貢献させるべきだという考えが米国で強くなって、1950年代初頭には戦争賠償が猶予されることになりました。
 一方、東ドイツは全く別の枠組みで、ソ連とポーランドに大変重い賠償金を支払っていました。西ドイツが戦争賠償を猶予されると、ソ連は自分たちが西側よりも寛大であることを示す意味もあって戦争賠償を放棄しました。ポーランドもその時に同じ決断をしました。
 その後、東西ドイツの統一時に米英仏ソと東西ドイツの間で結ばれた条約には戦争賠償に関する明示的な言及はありませんが、戦争に起因する問題はすべて解決し、戦争賠償を今後支払うことはしないというのが統一後のドイツ政府の立場です。
 西ドイツでは、戦争賠償が猶予された後、救済されるはずだった被害者はどうなるのかというところから、倫理的、社会的責務として、ユダヤ人を中心とする「ナチ被害者」への「補償」という形で救済がなされることになりました。国内法による補償の対象は、当初は西ドイツ国内在住者に限られました。しかし、ナチの被害者はドイツの占領を受けた地域を含めて各国にいますので、英仏などが自国の被害者に対する補償の支払いを求め、西ドイツは各国とそれぞれ二カ国間協定を結んで補償の対象を広げていきました。ただし、この協定は、米国との間では結ばれませんでしたし、東側諸国との間でも結ばれませんでした。
 
─日本の戦争賠償は、サンフランシスコ講和条約とその後の二国間協定で行ってきましたが、植民地支配への補償については議論されませんでした。冷戦が終わり、東アジアの各国関係も変わる中で、植民地支配の被害を受けた人たちから声があがるようになりましたが、日本政府はきちんと対応していません。
 
ドイツは補償を支払い、被害者に対して道義的に配慮する姿勢を示すことで自分たちの国際社会でのプレゼンスを上げてきました。日本にはそういう戦略がなかったと言えるでしょう。
 
─93年の河野談話(95ページ参照)や、95年の村山談話には、そうした国際標準に向けて一歩踏み出した感じがありましたが、バックラッシュにあってしまいました。
 
 負の過去は変えられません。問題があったことを率直に認め、それを記憶していくことで、日本は国際社会の中でむしろ生きやすくなるのだと思います。日本が倫理観を持つ存在として国際社会で認知されることは、国益という点から考えても大切だと思うのですが、いまは逆方向に進んでしまっていますね。
 
「罪」と「責任」
 
─日本と比較すると、ドイツではナチ犯罪を厳しく追及しているという印象があります。
 
 ドイツは日本と違って、ナチ犯罪をドイツの国内法である刑法で裁いています。「謀殺」と呼ばれる組織的・計画的な殺人に対しては時効を無くし、加害者の処罰を今日にいたるまで続けています。
 本来は日本でも、「東京裁判」をはじめとする連合国側の裁判に続いて、自らの国内法でも戦犯を裁き、加害者を追及する姿勢をはっきりと示すべきだったと思います。しかし、殺人や傷害など国内法での刑事罰は、すでに時効がきてしまっているので、いまから何かするのは難しいでしょう。
 ドイツが加害者を厳しく追及する背景には、ドイツ特有の過去との関係の取り結び方があると思います。それは「前の時代はダメだったけれど、いまはそこから完全に脱却してよい国を作ったのだ」というドイツのナショナル・アイデンティティの組み立て方です。ナチズムは悪かったと言ったほうがよいのです。それによっていまは違うことが明確になりますから。
 またドイツの場合、「罪」と「責任」という概念を分けて使っているのも興味深い点です。「罪」を引き受けられるのは、自ら罪を犯した本人だけです。その罪を次の世代が引き継ぐことはありません。次の世代が引き受けるのは「責任」だというのがドイツの議論です。「罪」は行為そのものに対して発生しますが、「責任」は、例えば行為の記憶をめぐって生じます。今日のドイツでは、歴史をどのように語り継いでいくかが「責任」の問題として議論されています。
 今日の日本で私たちが問われているのも、どのように歴史を見るのか、語るのかということだと思います。アジアでは「罪」と「責任」が混ざり合って議論されているように見えますし、日本人の中には、自分の「罪」を責められているように感じて、拒絶反応を起こしている人もいるかもしれません。でも私たちの世代が負うべきは「責任」です。かつての行為をどのように記憶していくか、悪いものを悪かったと言えるかどうか、繰り返すつもりはないと言えるかどうかを問われているだけです。
(P.155~P.158記事抜粋)
 

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