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『社会運動』 279号

2003年6月15日

目次

ネグリの<帝国>をめぐって 地域を直接支配の超国家的装置-労働の変様が生んだ<マルチチュード> 杉村昌昭‥‥ 2
  この一枚!<飽食、そして崩食> ‥‥ 9
統一地方選挙を終わって
【座談会】始まる ネット統一地方選挙総括 小宮文子/藤本敦子/高橋英子/天野外支子/塩田三恵子/友沢ゆみ子‥‥10
 千葉、埼玉、福岡のネットからの報告 岩橋百合/加藤佳子/小宮文子‥‥17
 統一選挙後のネット議員一覧 編集部‥‥22
 徳島知事選挙を振り返って 佐野淳也‥‥24
コーデックスバイテク特別部会報告 空白だらけの食品安全基準 倉形正則‥‥28
国の金融暴走<強制破綻処分>を告発A 金融庁殿、「強制破綻」させた理由を教えてください!えいたいリモデル応援団に500人 村田 勝‥‥36
「社会的経済促進」記念フォーラム 【記念講演】地域社会における共助システムの構築へ 鷲尾悦也‥‥44
  【ディスカッション】 堀内光子/仙谷由人‥‥48
循環型社会の課題 環境問題の宝庫敦賀から <もんじゅ裁判> 田代牧夫‥‥55
<一人芝居・女優半生記> ハンセン病に生きた藤本としを演じて 未来を拓く生命系の拠点 結 純子‥‥60
<リレー連載>多元的歴史観の諸相@ 薬師寺の中の天皇制 2つある薬師三尊像のナゾ 室伏志畔‥‥66
雑記帖 小塚尚男‥‥72

ネグリの<帝国>をめぐって

杉村昌昭龍谷大学教授に聞く

地域を直接支配の超国家的装置 労働の変様が生んだ<マルチチュード>

聞き手:柏井宏之『社会運動』編集長

――2000年に、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの著した『<帝国>』が、現代のグロバリゼーションとアメリカの傲慢というべき単独行動主義を読み解くかのように書かれていて世界的なベストセラーになっています。杉村さんは、ネグリについて『構成的権力』や『未来への帰還』、最近の『ネグリ<生政治的>自伝』などを訳されていて、ぜひ、その大著の読み方をわかりやすく話してほしい。というのも『社会運動』誌は<生活世界>のさまざまな生活課題を主題化している生活者に依拠していて<帝国>は一見、その対極からのメッセージにもみえるからです。

<帝国>と<帝国主義>の違い    
杉村 今、<帝国>は、多くの人たちが「帝国主義」とほとんど変わらない使い方をしていて、つまり、帝国主義を帝国と言い換えただけの概念的使い方の論調が多いので混乱しています。ネグリがいっているのはそうではない。
 帝国主義というのは、国民国家・主権国家が外に膨張していく領土拡張と利権拡大の運動です。
 そこでこんがらがって、今回のイラク戦争も、日本の中での理解は、<帝国>というのは、アメリカが世界を制圧している状態だという風に考えてしまう。しかし、これはアメリカの「帝国主義」への逆行であって、ネグリの言う<帝国>への流れとは異なるものです。たしかにアメリカは、旧帝国主義の大国、その最大の一つであるけれども、他方で、アメリカも“One of them”であるような中心のはっきりしない世界の支配ネットワークができてきている。具体的には、世界銀行、IMF、WTOが、国民国家をこえて、世界中の国民国家の内部の地域まで直接支配するということにまでなってきた。これが<帝国>の基本構図です。
 だから、ネグリの<帝国>を考える時には、WTOへの異議申し立てをしているスーザン・ジョージとか、南仏の小都市でマクドナルドの店を破壊し、反グローバリズムの旗手となったジョゼ・ボベとか、投機的な金融取引に課税し、途上国の貧困や飢餓を克服し、不平等の是正に使おうというATTAC運動とかを一緒に考えないとダメなのです。そのような視点のない紹介のされ方が、ネグリの<帝国>を難解なものにしています。
 WTOも世界銀行もIMFも、自由貿易の拡大のため、新自由主義路線で国民国家の関税障壁を越えながら、直接あらゆる地域に浸透して約束事をつくりかえていっているわけです。‥‥続く

<座談会>大いに語る各ネット事務局長・代表 ネット統一地方選挙総括

小宮 文子(ふくおかネットワーク 代表)

藤本 敦子(埼玉県市民ネットワーク 事務局長)

高橋 英子(市民ネットワーク北海道 事務局長)

天野 外支子(市民ネットワーク・千葉県 事務局長)

塩田 三恵子(東京・生活者ネットワーク 事務局長)

友沢 ゆみ子(神奈川ネットワーク運動 事務局長)

 盛り上がりに欠けたという4月の統一地方選挙は、確かに投票率が低迷する結果となった。「無党派」というキーワードが、マスコミによって取りざたされたが、実際のところ「政党隠し」や「にわか無党派」が多かったのではないだろうか。こうした中で、ネットは大方厳しい情勢の中で、果敢に闘った。まだ総括の途中だが、各ネット事務局長・代表の方々に座談会に参加していただいた。

(編集部)お忙しい中参加していただきました。まだ、選挙直後であり総括も途中かと思いましが、今後の総括作業のためにも、各地域の取り組みを順番に伺っていきたいと思います。
小宮 文子(ふくおかネットワーク 代表)
 きちんと総括しいてませんが今回、福岡は6人出て、6人当選した。これは全体的に増えているんではなくて、現状維持ということで、その中でローテーションが3人成功したんだと思っています。バトンタッチする代理人が、次の代理人の3期目をやるんだという形で訴えていきました。それとグリーンコープ生協とともにそれをやれたという風に考えるし、私たちの議員は2期8年という原則への共感を政令市で得たことが今回大きい。代理人運動で政治に参加するということが少しづつだが浸透しました。ローテーションする議員の2期目より票を積み上げました。それが成果です。

藤本 敦子(埼玉県市民ネットワーク 事務局長)
 埼玉はこれまで、7人の代理人がいたが、今回10人立候補で3人当選というたいへ厳しい結果で、非改選と合わせて6人ということで減ってしまった。
 埼玉も総括が終わっていませんが、今回は大きな地方選挙ということで10の選挙の中には、初めての県議、政令市議の選挙やローテーションがあり、良い結果が出せなかった。初めての選挙をしたネットも4つもあり、統一地方選の厳しさで、地域ネットがそれぞれの選挙をしてしまったという感じです。最初に県ネットで独自のマニュアルを使って学習会をやったのですが、その後は選対の状況報告をしてもらう程度で投票日まで来てしまった。大丈夫だろうかと心配するところに、県ネットとしてテコ入れできなかったことがくやしい。埼玉県ネットは緩やかな連絡会としてやってきた時期があり、きちんとした連合体に切り替えている段階で、県ネットの弱体さが出てしまった。
 そういう選挙手法だけでなく普段の活動がネットの自己満足で終わっていたのではないかという意見も出ており、生活クラブとの関係性も含めて、市民と共にまちを変えていく道具としてのネットという点を普段からアピールしていくことが重要だと思う。アンケート活動、具体的な政策提案などきちんと進めていかないと、次も同じ結果になってしまうだろう。政策で他候補との差が付けられなかった。代理人運動の3つのルールだけでは闘えない。
 県議選を県ネットの費用で行ったこともあって、財政的に大変厳し状況に追い込まれたが、お金については開き直っていこうと考えている。選挙中に感じたことだが、関わる人が少ない部分をお金でカバーしていますみたいなことがあるわけで、カンパとボランティアで選挙を行うことは、仲間を広げていくことだから大切にしなくてはと改めて思う。そういう意味でもう一回、ネットの活動と選挙を見直したいと思っている。このくやしさを大きなジャンプにしたい。‥‥続く

千葉、埼玉、福岡のネットからの報告

市民ネットワーク千葉県 19名から23名に増える

岩橋 百合

 2年前の堂本知事誕生で千葉県政は大きく変わった。環境や福祉の施策が進み、情報公開、市民参加が当然の千葉県になった。財政の危機的状況の中で庁外に行革委員会を設け、第三者機関による外郭団体の運営調査など、立て直しが図られ、県政が県民に見えやすくなってきた。女性政策も女性専用外来など全国から注目されたが、昨年9月に知事が上程した「男女共同参画促進条例」が自民党の反対により3議会にわたって継続とされた後廃案となるなど、自民党と知事との綱引きが行われる中で、今回の県議選となった。
 リストラによる雇用不安、アメリカのイラク戦争、北朝鮮の拉致問題、核開発疑惑などへの不安、政治どころでない社会の空気に加え、無力感から投票率は40%で、4年前に比べ4%下がり、17の県議選挙区が無投票となり、そこから当選した自民党議員は20人に上った。結果、自民党は選挙前65人が71人になり、圧倒多数の現状をさらに強化、公明も1人増やす中、民主が8人から5人に、共産が6人から4人に、社民は4人から3人になった。女性県議は9人が8人へと一人減となった。
 市民ネットワーク千葉県では、堂本知事の県政を支える姿勢を掲げ、千葉市美浜区、稲毛区、佐倉市、市原市、木更津市で県議選に5人が立候補したが、美浜区では唯一の現職を落とし、稲毛、木更津では惜敗、4年前に敗れた佐倉と、初挑戦の市原市の新人2人が当選するという厳しい結果になった。同時に行われた政令市千葉市議選では6区から立候補した7人全員が当選、これまでネット議員のいなかった緑区でも議席を確保した。
 後半戦では、佐倉で県議に引き続いて市議4人を全員当選させ、木更津では県議選惜敗のリベンジ!と直前にゼロだった市議を3人立て2人が当選するなどの果敢な姿勢が県ネット全体を元気付けた。船橋ではネット結成後初挑戦の市議選だったが、県議選5人挑戦などネット活動のマスコミ報道効果もあって当選。浦安でも現職が2期目当選を決め、非改選を含め、直前の19人から23人にネット議員がふえた。
 全体としては健闘といえるが、今後の大きな課題として、政令市の県議選の取り組みのむずかしさ、ネットのある若葉区や花見川区などで無投票を阻止できなかったことなどがあげられる。また、ネットの存在が知られれば知られるほど一般の市民がネットに対して持つイメージが既成政党化し、独自性のアピールが難しくなってきている。
 惜敗した選対はもとより、結果的にうまくいった選対においても、それぞれの選対、市区ネットで外部にも開かれた選挙フォーラムを持ち、10月には県ネット全体でのフォーラムを開き、4年後へのスタートとしたい。 

千葉、埼玉、福岡のネットからの報告

埼玉県市民ネットワーク 挑戦で見えてきた多くの課題
加藤 佳子

 今回埼玉県ネットでは、3勝7敗という大変厳しい審判を受けました。これから徹底的な選挙総括を行い、今後にこの結果を生かすべく動き始めます。
 挑戦と慎重と              
 今回、県議1、市議7、町議2を擁立した埼玉の選挙は、「挑戦」と「慎重」の2つのパターンに分けられます。
 「挑戦」は埼玉で初めての県議選(越谷市)、政令指定都市となったばかりの、さいたま市への市議2名の擁立、越谷市での市議候補2名から3名への増、保守性の強い2町での初の町議擁立です。
 一方「慎重」で臨んだところは2期目の今回も1人に押さえた所沢市と鶴ヶ島市です。
 埼玉県ネットとしては「慎重」路線の地域ネットにも複数化という「挑戦」を進めてきましたが、最終的には地域ネットが判断して上記のような形で10名を擁立することになりました。
 単なる勝敗だけで論じると、「挑戦」した結果成功したのは、三芳町での町議1名のみとなります。越谷市も3名の市議候補のうち現職1名のみの当選、それ以外は落選という結果を喫しました。「慎重」を選んだ所沢市もまさかの次点という結果となりました。
 敗因は何か               
 挑戦、慎重を問わずその敗因はなんだったのかと問われればそれぞれの地域ネットの状況の違いがあり、ひとくくりにはできないというのが正直なところです。
 けれどもあえて共通点を探すならば、
 @時代の読みの甘さ
 A期間の短さ
 B政策の弱さ
 C選挙を意識した日常活動の弱さ
 があげられると思います。
 第一の、時代の読みの甘さというのは、先の読めない長い不況の中で、多くの市民は未来志向ではなく今日の生活の安定を求める保守回帰の傾向が強まりつつあること、また政治不信が慢性化し政治への期待が極度に弱まりつつあることです。そのことは十分承知して臨んだ選挙でしたが、予想以上にその傾向は強く、全国で最も低い埼玉県内の投票率は県議選では横ばい、市議町議選でも前回を下回るなど浮動票をほとんど望めない状況でした。
 投票率が上がればその上がった分だけ有利になるというのがこれまでのネットだったわけですが、今回は投票率の低さにどこのネットも苦しみました。逆に言えばそのような状況に対して、投票率を上げるような空気作りを早くから行うべきであったわけですがそうできなかったことが悔やまれます。
 二番目の、期間の短さという点ではどのネットも候補者が決まったのは長くて5ヶ月前、遅いところは3ヶ月を切っていて、ばたばたとした大慌ての選挙となりました。諸事情があったとはいえ、大きい油断があったとしかいえません。これまで短期決戦で一定の成果を収めてきていたことが甘さとなっていたかもしれません。
 三番目の、政策の弱さという点ですが、埼玉ネットでは1年前から政策委員会で県全体に共通する政策づくりに取り組み、6つの柱でまとめあげていました。その政策は新しいネットにとっては大いに参考になったと思いますが、どの党も市民参加や環境問題を取り上げるなどネットの政策に時代が追いついてきている今、もっと斬新で具体的な『戦える政策』にまで練り上げる必要があったと思います。
 四番目の、日常活動の弱さという点は、各ネットで状況は異なりますが、全体としてアンケートなど顔の見える活動や日常的な街宣活動など意識的なアピール活動が不足していたことは否めません。広報の発行や学習会など地道な活動に精一杯取り組んできたものの、もっと選挙を意識した『見える日常活動』ということに力点を置く必要があったと思います。
 ただでは起きぬ             
 県議選や政令市だけでなく人口規模の大きい市が成功を逃したために、県ネットも経済的に苦しく何を企画するのもまずお金との相談となってしまいました。
 けれどもみなとても元気です。挑戦したからこそ得たこと、見えてきたことが大きいと考えているからです。
 今回の選挙で県内のマスコミが、初めて諸派ではなく「ネット」として認知して扱いました。各政党の主な政策や見解などを報じた際も朝日新聞などでも各政党に加えてネットも併記されるようになりました。
 越谷市での県議選への挑戦は新聞各社で激戦区の台風の目として扱われ注目を浴びました。落選はしたものの県内他区の自由党、社民党を上回る得票率で、県議選への次の足固めともなる結果となりました。
 さいたま市の2人の挑戦もネットの存在を大きくアピールすることに貢献しました。
 落選したけれども飛躍的にネット会員数が増え、町に大きい一石を投じたネットや、市民派議員さえもいなかった町でのネット議員の誕生が大きい期待を持って受け止められている所もあります。
 そして何より大きい成果は各ネットがめげてしまわず、挑戦したからこそ見えてきた多くの課題に、次回こそはと闘志を静かに燃やし始めていることでしょう。
 県ネットでは、5月26日に各選対、候補者が集まって大総括会議を開きます。広報委員会ではわかりやすく戦略的な広報誌を作るための広報研修会を6月に行います。政策委員会も「たたかえる政策」を打ち立てるための動きを始めます。「顔の見える」活動も各ネットに提起していきます。
 市民自治を広げるという原点を大切にしながら、時代をもっと先取りし「わかりやすく」「打って出る」ネットをいかにつくっていくかが問われています。各地域ネットの有機的連携を強めてこの事態を切り抜けていくために県ネットの力量も大きく問われていると考えています。

千葉、埼玉、福岡のネットからの報告

ふくおかネットワーク 選挙を終えての総括と抱負
小宮 文子

はじめに                
 統一地方選挙としては、ふくおかネットワークにとって、四回目の選挙でした。
 政令指定市の福岡市の二つの選挙区でローテーション、一般市町の古賀市で二期目が一人、福間町でローテーションと二期目で二人、津屋崎町で補欠選挙当選後改めての一期目が一人、合計6人の候補者擁立としました。結果、六人全員当選を果たすことができました。方針検討開始から約一年の動きを以下のようにまとめました。

1.方針策定について           
 ‘99年選挙総括から、選挙方針については、ともに代理人・ネットワーク運動を進めるグリーンコープ生協と、選挙方針策定委員会を設け検討することとしていました。
 生協との協議機関のその後の変遷を受けて、今回の方針については生協との協議会の場で「現有議席の確保」について確認し、選挙に向けて事実上のスタートをきりました。

2.候補者公認について          
 改めて一期目および二期目の候補者については、「四年間の活動報告」および「決意表明」を受けて、公認をしました。
 また、ローテーションする福岡市の二つの選挙区と福間町では、代理人候補者選考委員会を立ち上げ、6月・10月・11月にそれぞれ代理人候補を公認しました。
 ‘99年の選挙総括を受けて、選考委員会についても、グリーンコープ生協理事長およびふくおかネットワーク代表の諮問機関と位置付けのもとに進めました。

3.政策について             
 選挙時の政策を策定するために、専門部会である政策部会を中心に六項目について集中して検討しました。まずは、内部での共有化を深めるとともに、各自治体における地域政策づくりへと進めました。
 11月30日の政策発表会において、全体政策の紹介と地域政策とともに、候補者の発表をしました。

 候補者が確定した12月に、各選挙区で地域選対会議を立ち上げ具体的な選挙戦へと進めていきました。
 各選対会議でまず行ったこととして、選挙状況や具体的なスケジュールそして具体的な取り組みの内容についての共有化および意思一致する場として「選挙ガイダンス」を開催しています。
 また、今回の選挙では、ふくおかネットワーク事務局長が代理人候補となることをうけて、合同選対事務局長を設置できない事情を抱えての発進となりました。
 しかし、ともに運動を進めるグリーンコープ生協が代理人・ネットワーク運動を推進する主体として、各地域での選挙活動も積極的に担っていただきました。
ともに運動を進める二つの主体がひとつの目的に向かって地域での選挙活動を組み立てていくことができた選挙だといえます。
 さらに、地域で活動するワーカーズ組織も具体化された取り組みに主体的に参加された選挙でした。

5.まとめ                
@今回3人が新人にバトンタッチをすることができました。二期八年で代理人が交代することについての理解や評価が増えてきていると実感しています。ローテーションした代理人のこれまでの活動実績をどういかしていくかがこれからの課題です。
A福岡市では市民の関心事が「人工島のけやき・庭石問題」にありました。ネットがアピールした「暮らしの視点から大型公共事業の見直しをします」「税金の行方をチェックします」に対して多くの方からの賛同の声が多くなされたと考えます。
 地域の市民が何を求め関心事は何かを的確につかみ、政策とあわせてアピールしていく広報体制および街宣力の重要性が改めて明らかになりました。
 地域住民に常に私たちの活動を伝えていく手段としてのちらし配布やタイムリーな政策を伝えていく街宣力を求められています。
B生協活動との連携については、組合員がより実感できるネット活動の組み立てを検討していくことが必要です。
C具体的な選挙の進め方については、記録したものを集約するとともに、次の選挙に生かしていくための分析が必要になります。
D代理人・ネットワーク運動をさらに進めていくために、組織課題として事務局の強化も継続して進めていきます。

「徳島県知事選」を振り返って

〜自民党VS草の根市民運動〜

環境ライター 佐野 淳也

 徳島県議会の知事不信任に伴う出直し知事選で、同県の前県民環境部長、飯泉嘉門氏が当選した。「市民派政治」を掲げた大田正前知事は、8500票余りの僅差で惜しくも敗れた。
 飯泉氏は総務省出身の42歳。自民党と保守新党が推薦し、公明党も支援した。県内の保守勢力が総結集して彼の当選を支えた構図だ。
 いっぽう大田さん支援の中心にいたのは「勝手連県民ネットワーク」。そのメンバーの多くは、代表の姫野雅義さんはじめ、吉野川を守りダムに反対する活動を続けてきた人たちだ。 さらに、これに民主・社民・共産・自由・みどりの会議の5党と連合徳島の併せて7団体が大田さんを支えた。
 また、投票率は前回を10ポイント以上上回り、63.39%まで回復した。県政の混乱に終止符を打ちたい、とする県民の強い関心の現われだったと言える。
 このレポートでは敗れた大田氏の11ヶ月の知事時代を振り返りながら、今回の選挙結果について考えてみたい。

■11ヶ月の挑戦と苦悩
 2002年3月。当時の徳島県知事、圓藤寿穂氏が公共事業発注についての汚職容疑で逮捕された。その後の出直し知事選で、勝手連と民主・共産などに支えられた大田氏は自民党が推した女性候補を破り、知事となった。
 しかし、その後の道のりは困難を極めた。
 県議会は自民党を中心とした保守派が大半を占める。そのため、革新政党に支えられて当選した大田氏の施策は、ことあるごとに反発と妨害を受けた。
 大田知事(当時)は、公共事業の大胆の見直しを公約に掲げていた。
 そのため就任後間もなく、すでに工事が始まっていた徳島空港の延長滑走路建設を2週間中止すると発表した。県民のなかでも評価が分かれていたこの事業の是非について、再度見直しを行うためだ。しかし、議会野党および空港周辺の市町村長からも激しい反発を受け、結局空港拡張事業はその後も継続されることとなった。
 また、大田知事は女性副知事の登用を当初表明していた。しかし、知事が考えた人事はことごとく議会への提案前に保守系議員たちによって妨害された。結局、11ヶ月間の知事在職期間の間、副知事および出納長を置くことがかなわなかった。
 こうした一連の経緯の中、県民の間に大田氏の「リーダーシップの欠如」が印象づけられていった。
 さらに、大田氏を支えた勝手連メンバーが最重要課題にしていた“吉野川可動堰の完全中止”についても、知事は在任期間中に実現できなかった。「知事になればすぐにでも国交省に事業中止を求める」と言明していた大田氏。しかし、それは実行されなかった。‥‥続く

コーデックスバイテク特別部会

空白だらけの食品安全基準―長期試験も環境影響も除外

市民セクター政策機構

倉形 正則

 1999年より開かれてきたコーデックスバイオテクノロジー応用食品特別部会(以下、バイテク特別部会)が、今年の3月横浜での第4回会合をもってひとまず終了しました。バイテク部会は、遺伝子組み換えした作物と微生物の安全性評価のガイドラインを足かけ4年間で大急ぎで作成したことになります。あとは今年7月のコーデックス総会での承認を待つばかりとなっています。
 貿易拡大のための「規制緩和」の立場から言えば、このコーデックス遺伝子組み換え(GM)食品基準によって国際的な「安全基準」が作られたということになります。結論から言えば、その中身は様々な修飾文が付属しながらも、従来の米国基準と「実質的に同等」というのが厚生労働省の見解です。それが意味するところは、今後米国で安全審査を通過したGM食品を、何らかの理由で輸入拒否した場合、米国はそれを非関税障壁としてWTOに提訴することが可能となるわけです。

■コーデックス委員会(CODEX ALIMENTARIUS COMMISSION)
 国連食糧農業機関(FAO)と世界保健機関(WHO)が合同して、国際的食品規格を策定する機関として1962年に生まれたのが、食品規格委員会=コーデックス・アリメンタリウス・コミッション(略してコーデックス Codex Alimentarius Commission=CAC)と言います。
 その目的として
・国際食品規格の策定を通じて、消費者の健康を守る。
・食品貿易における公正を確保する。
 が掲げられています。
 コーデックス規格として定められた国際食品規格は、残留農薬基準や食品添加物、残留抗生物質基準など3500にのぼります。
 コーデックスは任意加盟の国際機関です。現在の加盟国数は168カ国で国連加盟国の9割弱にあたり、世界貿易機関(WTO)加盟国よりも22多い国々が加盟しています。コーデックス食品規格は、それ自体では加盟国にも強制力も持っていませんでした。
 しかし95年にWTOが成立しました。その際にそれまでは自由貿易の対象となっていなかった食品についても対象化されました。WTOでは、食品貿易で何らかの紛争が起こったときに、裁定の判断基準となるのがコーデックス規格と定められました。従来各国が保持している独自の食品添加物規制や各種残留基準によって、食品貿易を規制し、その根拠がコーデックス基準と異なった場合は、規制された側の国はその行為を「非関税障壁」としてWTOに提訴できることとなりました。
 「科学的」に証明される等の特別な理由がない限り、コーデックス規格には従わなければならないとされました。提訴が認められた場合、提訴した側は、貿易上の報復処置を発動させることが出来ることになったのです。このこと以降コーデックス規格は、強制力を伴う実質上の強力な国際食品規格となったのです。‥‥続く

国の金融暴走<強制破綻処分>を告発A

金融庁殿、「強制破綻」させた理由を教えてください!えいたいリモデル応援団に500人

永代信組国家賠償訴訟原告団事務局

村田 勝

1.誰が誰を訴えるのですか?
「金融庁のやり方はどう考えても理不尽です。永代信用組合に対する強制破綻措置が正当なものかどうかを裁判で明らかにして欲しいのです。」
 木喜孝弁護士に相談した最初のお願いです。「誰が、誰を訴えるのですか。」という、木先生の質問に当惑しました。誰を訴えるのか、何が違法だと考えるのか、どの法律に基づく裁判なのか、今考えると裁判を起すための最低の知識すらありませんでした。
 冷静な弁護士の指摘に愕然としながらも、必至に状況の説明をせざるを得なかったのは、永代信用組合を懸命に支えようとしていた組合員の怒りや、職員の無念さを思ったからです。何をどう話したのか定かではないのですが、「裁判は勝てないかもしれませんが、あなた方の訴えを多くの人に知ってもらうことには、社会的な意味がありますから何とか方法を考えましょう」との、返事を聞いたときには肩の力がすっかり抜けてしまいました。
 あれから1年以上が経過して、木先生のご指導で進めた裁判は、やっと証拠調べの段階が見えてきました。

2.山屋組合長との出会い
 10年ぶりくらいに山屋組合長を訪ねたのは、2000年の春先だったと思います。それまで勤めていた出版社をやめ、窮地に陥っていた友人の会社の再建を何とかしたいと動き始めたときのことです。友人は私の紹介で永代信用組合からも多額の融資を受けていました。
 「信用組合は銀行と違って、事業に失敗した人に再起のチャンスを作ってあげることも仕事のうちです。しかし、今の仕事を続けるというのではお手伝いはできません。あなたには、もっと優れた別の能力があるではありませんか。」
 私と同行した友人は、山屋組合長のこの言葉に救われて、何とか再起に向けての第一歩を踏み出すことができました。友人が退席した後で、私の近況が話題になりました。
 「彼の仕事には村田さんの力は大して役に立たないでしょう。脱線しないように後ろから見ているだけで十分なはずです。余った時間を私に貸してくれませんか。」
 山屋組合長の依頼は、若手の組合員の組織である「永代クラブ」を活性化して、メンバーが共同で新たな事業開発のできる組織に育てて欲しいということでした。
 「永代クラブ」というのは、山屋氏が組合長になった直後に組織された400人近い若手経営者の団体で、それまでにも「永代メッセ」という中小企業見本市を自力で開催できるほどの力を持った団体です。地域の中小企業を結んで新たなビジネスの開発を支援する仕事をしたいと考えていた私には、願ってもない依頼でしたので、とりあえず「永代クラブ」の現状を見せてもらうということで、その場を立ちました。
 2000年5月に「永代信用組合戦略会議」への出席要請が来ました。何のことかわからないままに会場に行くと、永代信用組合の幹部と有力組合員、山屋氏の友人である金融関係者や大学教授など、多士済々のメンバーが20名ほど集まっていました。議題は、金融制度の変更に伴う新たな基準で決算を行ったところ貸倒引当金の額が予測を大きく超えており、自己資本比率4%を達成・維持するためには、抜本的な対策を考える必要があると思うので、参加者の意見を聞かせて欲しいと言うことでした。その場の意見は大きく二つに分かれました。一つは現状を組合員に正確に報告し、出資金の増額を得て従来どおり信用組合としての業務を継続すべきだという意見です。もう一つは、金融制度の改革によって銀行との差がなくなった以上、むしろ信用組合を解散して新たな銀行を作るべきだという意見です。
 金融事業には門外漢の私には、何も発言する事ができませんでしたが、金融機関が大きく変わりつつあるのだということだけは判りました。深夜に及んだ会議の後懇親会となり、その席で「この会議は素人の私が参加しても役に立たないと思う」と、山屋氏に話しました。‥‥続く

「社会的経済促進」記念フォーラム
地域社会における共助システムの構築へ

【記念講演】

鷲尾悦也 全労済理事長

「社会的経済」促進プロジェクトは、3つの研究機関、市民がつくる政策調査会、市民セクター政策機構、参加型システム研究所の共催で、1年余にわたって研究者と事業者がそれぞれの立場から報告されてきたが、その中間まとめとして<記念フォーラム>を行った。(文責・編集部)


 全労済の理事長の鷲尾です。どちらかというとまだ、連合会長のイメージが強いらしく、理事長と言われるより「会長」と呼ばれる方がたくさんいて、大変弱っています。すっかり勤労者福祉の側で仕事をしているつもりですが、やはり発言をすると、労働運動の側の発言が多いようです。今日は、最初に話をさせていただけるというのは大変光栄だと思っております。
 お手元に「地域社会における共助システムの構築」というレジュメを提起しておりますが、その前に、これまでのプロジェクトの講演の『NEWS LETTER』をいただいて、私自身が勉強になりました。
 また、事務局から各氏の論者の図表をまとめた「新しい<公共>創出にむけて」は一目でこれからの社会イメージがわかるものでした。こういうお話をいかに実践していくか、皆さん方も御苦労されていることがひしひしと伝わってきます。今の立場上、私自身が中心になってやっていくというわけにはいかないわけですが、大変重要な問題ですので、できる限り様々な議論に参画し、推進させていただければ大変嬉しく思います。
 30分の短い時間ですので、様々な側面から話をするわけにはいきませんが、何よりも「地域社会における共助システムの構築」と書いておりますが、わが国が第二次世界大戦後50余年経って、日本の勤労者、生活者を取り巻く環境条件が今、節目の年を迎えて大きく変化をしてきている。言わばこれまで日本が作り上げてきた日本型システムというのが大きく崩れ去ってきているだろうということは、皆さん方も個別の仕事なり、運動の中で、多少ニュアンスは違っても共通に抱えている課題ではないかと思っているわけです。
 外部環境の変化をあげれば一つは国際化がありますし、その中における日本の社会システム、経済システムをどういうふうに考えていくかということが問われているわけで、最近のイラク戦争の状況など2時間くらいかけて話したくなってしまいます。
 反米的な言い方をしますと、イラク戦争を見ましても、米英型の資本主義が持っている構造というものがそこに如実に表れていたのではないかと思います。
 日本経済の問題から言うと、今のデフレ不況をどう考えていくか、ということについても十分に議論したいと考えています。また民主党の仙谷議員とあとで議論をさせていただくと思いますが、小泉内閣の経済政策。私は今の立場上、許認可を受けているのであまりそういうことは言ってはいけないのですが、小泉内閣が施行している、いわば古典的な経済対策について、私は大変問題があると考えています。
 バブル崩壊後の長期デフレを脱却できていない。これは勤労者、生活者の生活に大変大きな圧迫になっている。現在の金融問題についても生活者は自らの身を守るということで、本来であればもう少し投資が活発化しなければいけないはずにもかかわらず、貯蓄率がますます高くなるという状況になっています。‥‥続く

循環型社会への課題 環境問題の宝庫?敦賀から

高速増殖炉もんじゅ裁判をめぐって

田代 牧夫

 東京電力の全原発17基が停止するという異常(おめでたい?)事態のなか、編集部より電話をいただいた。高速増殖炉もんじゅでの画期的な「設置許可無効判決」の出た地元、敦賀からの報告を書いてほしいというのである。
 しかし福井地裁で行われていた裁判は2、3度傍聴したことがあるが(ボソボソしゃべる裁判長の声が聞き取れず、「裁判長、聞こえません!」と叫びたくてウズウズしていた記憶しかない)、裁判関係者から「今度はひょっとするよ」と聞いていたにもかかわらず、傍聴に行った友人からの「完全勝訴や!」という電話がなんのことやら分からなかった私に、もんじゅ裁判の報告や説明ができるはずがないではないか。
 しかし原子力では特異な地位にあり、また“環境問題の宝庫”ともいえる敦賀の現状報告なら何とかレポートできるのではと考えて引き受けた次第。
 さてその前に、敦賀のまちづくりに取り組む私としては、PRもかねて敦賀の位置、歴史などを…。

□港町・敦賀
 敦賀市は琵琶湖の北に位置する、日本海に面した人口7万人弱の小さな港町である。
 古来より天然の良港として栄え、平安時代初期には渤海国使受け入れのための、今でいうなら迎賓館、「松原客館」が設けられるなど大陸貿易の中心地であり、また京都と日本海諸国を繋ぐ文化、貿易の中継地、江戸時代には蝦夷地との交易の拠点として発展してきた。敦賀唯一の地場産業というべき昆布加工(トロロ昆布や手がきのオボロ昆布は全国シェアの8割を超えるという)は、北前貿易の名残である。
 江戸の粋、新内節の名曲「明烏」「蘭蝶」も敦賀出身の鶴賀若狭掾(つるがわかさのじょう)の作曲で、ツルガ・ワカサという名がいまに受け継がれている。
 明治時代には日本海側唯一の第一種重要港湾に指定され、戦前には東京・敦賀間に直通の寝台付き夜行列車が走り、敦賀・ウラジオストク間は船で、ウラジオからはシベリア鉄道を使う欧亜国際列車を利用すれば、当時、東京〜パリなんて切符が買えたそうである。
 杉原千畝氏の「命のビザ」を持った6000人のユダヤ難民は、この道を逆にたどって敦賀に上陸している。 
 さて戦後、大陸貿易もソビエトからの石炭、木材くらいになり何か産業をということで誘致されたのが、原子力発電所であった。1970年の万博に夢の原子の火を送ったのは敦賀原発1号機である。

□原発の見本市会場・敦賀
 敦賀には4基の原子力発電所があるが、すべて型式が違い現在国内で稼動するすべての原発を見ることができる。すなわち日本原子力発電所の沸騰水型敦賀原発1号機、加圧水型の2号機、核燃料サイクル機構(旧・動燃)の新型転換炉ふげん、高速増殖炉もんじゅの4基である。(ふげんは廃炉が決まり今年3月に閉鎖された。解体費用を含めて約3500億円の赤字、600t余りの使用済核燃料と37万tの放射性廃棄物が残され、これからこれらの処理が大きな課題となる)
 このほか同じ敦賀半島の西側には関西電力の美浜原発1・2・3号機が稼動している。また福井県の敦賀以西の嶺南地方には、いずれも関西電力の大飯原発4基、高浜原発4基が稼動している。嶺南地方は約50キロの範囲に15基の原発が集中している“原発銀座”なのである。‥‥続く

<一人芝居・女優半生記>

ハンセン病に生きた藤本としを演じて
未来を拓く生命系の拠点

『地面の底が抜けたんです』演者

結 純子

 私は『地面の底が抜けたんです』藤本とし著(思想の科学社刊)を、ひとり芝居に脚本化してやっております。
 藤本としさんは、1901年(明治34年)東京は、芝琴平町に生まれ、縁談がととのった18の時、当時不治の病と言われたハンセン病を発病、47歳で失明、60歳の時、舌読で点字を読み始め、86歳で、岡山県の長島にある邑久光明園で亡くなられた方です。
 「ハンセン病で生きて死んだ女の人の一生をやっています。」と言うと、「暗く、地味なものやるのね。」と言われることがあります。
 又、アンケートにも、「暗くつらそうなので、自分自身落ち込んでいる時でもありますし、来るのがイヤでした……。」「でも、今元気をもらって、勇気をもらって帰ります。来てよかった。」
 私自身、17,8年前に<RUBY CHAR="交流","むすび">の家(ハンセン病の人が泊まれる所をと、学生達でつくった)で、当時管理人をしておられた、故飯河梨貴さんからこの本を手渡された時、とても自分には出来ないと思いました。飯河さんは藤本としさんに出会い、としさんの作品を本にするために尽力された方です。
 今年の一月、新聞に「『脱学校の社会』などの著作で知の世界に衝撃を与えてきた思想家イバン・イリイチが昨年12月3日、ドイツで逝った。イリイチは何度か来日したが、殊のほか水俣と沖縄の旅を好んだ。そこに現代の悲劇の極限を見ただけではない。未来を拓く生命系の拠点、親密な空間、ホームを見出したのだ」と載った。
 未来を拓く生命系の拠点――この言葉を実感するのに、私には長い歳月が必要だったのだと思います。

 「エンヤーアア、会津磐梯山は宝の山よ−。」
 村の人が酒を酌み交わし、手拍子で唄い踊る。いろりの火は赤々と、台所の板の間には、長方形の流し場に、湧水が満ちあふれ、流れている。
 そこは、福島県猪苗代湖近く、戸数19戸ばかりの村、今泉にある、日下さんの家です。日下さんは、お百姓さんと神社の宮司を兼任しています。
 私が一歳から三歳の時です。教員の父は東京に残り、母は、兄一人を学童疎開させるのがしのびなかったのか、教員を辞め、母と兄と私の三人で疎開しました。
 村には小川が流れ、小川沿いにまっすぐな一本道が走り、村はずれのつきあたりに、神社がありました。その神社の脇の社務所に住まわさせてもらったのです。
 冬には軒下まで、雪が積もり、五つ違いの兄が学校帰り、「腹へった−。もち喰いてェー。」大きな声で、遠くの方から、唄いながら帰って来る声が、今でも耳に残っています。
 とことん、とことん、そんな雪国にも春の気配。ぽこぽこ黒土が顔を出し、猫柳だの、ふきのとうだの。
 神社の庭には、大きな古木の桜の木が、右に一本、左に一本。ひと月遅れの北国の春は一勢にやって来ます。春爛漫、桜の満開。私はよく桜の木の根元でおしっこしました。
 あれは、確か私が三歳の夏のことでした。庭に、やぐらが組まれ、闇夜に提灯の火が灯り、盆踊り大会がはじまったんです。自分ちの庭でですよ。もう、びっくりしました。幼かったので、居候の身とは知りません。私は大いばりの大得意。あれが私の体に焼き印を付けたのでしょう。今思えば、戦争が終わったんですね。
 「兵隊さんが帰って来たぞーィ。兵隊さんが帰って来たぞーぉ。」日下さん家の若い兵隊さんの勉さんも帰って来ました。
 母の記憶による私は、嬉しいと言っては踊り出し、踊りながら、川に落ちたこともあるそうです。‥‥続く

<リレー連載>多元的歴史観の諸相@

薬師寺の中の天皇制 2つある薬師三尊像のナゾ

室伏 志畔

藤原京の本薬師寺の礎石跡と畝傍山

 風薫る青葉若葉に誘われ今年もまた多くの人は古寺巡礼に出かけたことであろう。とりわけ、この三月に35年かけて1300年前の白鳳大伽藍の再現が成った奈良の薬師寺は、落慶法要が営まれたこともあって、多くの善男善女が喜多郎の音楽に誘われ詰めかけたことであろう。
 しかし古代ギリシャ・ローマ遺跡を学ぶ中から近代精神の萌芽となるルネッサンス運動が生み出されたのとはちがい、この国の古寺巡礼は天皇制仏教のすごろく巡りにも似て、古代の理解を深めたと思ったところが上がりとなっているため、そこで萎んでしまう不思議に人は気づかない。
 和辻哲朗の『古寺巡礼』は西欧の古典古代の美に、本邦の飛鳥・白鳳の美をなぞらえ語る大正時代の教養主義の香り高い代表作であったが、それは独立した個人としての感性を作り上げるのではなく、天皇制仏教の知と感性構造に寄り添うところがあった。しかしそれを左右を問わずこの国の知識人は、そのハイカラなヨーロッパ趣味に或る郷愁を覚えたのは、日本の伝統に重なったからである。
 私は1300年の時を経て、現在に白鳳時代さながらに再現を見たという薬師寺に魂を入れるために、二上山に眠る大津皇子を重ね、日本古代史のからくりの内に消えた死者の無念の想いを掘り起こしたみたいと思う。
《薬師寺と大津皇子の変》
 薬師寺は戦後、高田好胤が写経勧進による大衆動員を全国的に展開することによって、金堂の完成に始まり白鳳大伽藍の再現に道がつき、それが35年してようやくここに完成に至ったことは喜ぶべきことであろうが、この見事な再現を見た大伽藍の外見ほどに、果たして古代の認識は白鳳の現実を再現しえているのであろうか。
 現在の奈良の薬師寺は、710年の平城京遷都に合わせ建立を見たもので、天武が発願した白鳳の薬師寺は、飛鳥の藤原京にその礎石跡を今も留めている。問題は新たに建立を見た奈良の現在の薬師寺の伽藍遺溝が、飛鳥の薬師寺の礎石遺溝にぴたりと重なるところから、「移建・非移建論争」が生じ、金堂の本尊の「移坐・非移坐論争」も生まれることとなった。こうした論争が生まれる背景は、藤原京から平城京への遷都に発していることはまちがいないが、その遷都を引き起こしたのは、藤原京における天武天皇制からの脱却という天皇制の変質問題にあるのだが、それを言わずして現在に至る薬師寺の謎の解明もありえないことを人は忘れている。そのことを薬師寺の縁起から見てみたい。
 薬師寺は天武天皇が持統皇后の病気平癒を発願したことに始まるとは、天下周知の由来である。その謂れの根源に正史『日本書紀』はある。その飛鳥の薬師寺において持統は皮肉にも、自分の病気平癒を願った天武の国民追悼式(無遮大会)を行い、自らその完成を祝わねばならなかった。言わば薬師寺は「持統尽くし」の寺なのである。
 その持統は天智を父に天武を夫とすることとなったが、天智の娘で天武を夫としたのは持統だけでなく、大田皇女を初めとする天智の娘四人のすべてであったと正史は伝える。その一人、持統の姉・大田皇女に「詩賦は大津皇子に始まる」息子に加え、万葉を代表する女流歌人・大来皇女が生まれたなら、持統皇后は病弱の草壁皇子をもったというわけだ。この天智の姫娘から生まれた皇子の皇位継承のねじれの内に薬師寺の謎も孕まれることとなったのである。‥‥続く

雑記帖

 【小塚 尚男】

 5月は各企業の株主総会の季節である。連日新聞各紙には決算結果や、人事変更についての記事が細かく報道され、その記事量たるや膨大である。いかに上場企業が多く、また多分野にわたっていることか。しかし、その決算内容を読むといわゆる“勝ち組”“負け組”の差が歴然としている。1980年代までは、ほぼ日本の上場企業はおしなべて前年の売り上げを上回りどれだけの税引き利益を挙げるかが焦点だった。しかし今は銀行を筆頭に「この会社が」と思う企業が赤字決算をしている。
 デフレ不況、不良債権は各企業に重くのしかかっている現状だ。この不況と不良債権処理についての克服は言われて既に久しい。だが一向に改善されない。「政治の失敗」――それもあるだろう。しかし依然としてドロ沼に入り込んだままなのは経済全体の構造的な問題でないかと思われる。
 約100年にわたって隆盛をきわめてきた株式会社というシステムが制度疲労をおこしているのではないか。
 80年代後半「21世紀は協同組合の時代」を言われたが、最近はあまり聞かなくなった。各生協、農協の総代会もこの時期に同じく開かれる。はたしてどうか、各紙はほぼ報道しない。だからと言って「協同組合の時代」は夢物語だったなどと決め込まれたら困る。この不況を企業と一緒になってあえいでいても始まるまい。協同組合の時代であるゆえんは、協同組合が株式会社に比べ、より人々の参加によって形成され民主的であるからだ。
 生活クラブの総代会に出席した。世の中と違って組合員はきわめて元気だ。 

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