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『社会運動』 281号

2003年8月15日

目次

もう一つの反核 泊原発と海水温定点観測の25年 斉藤武一C 2
アジアからみた8.15 イラク派遣より「ASEAN10+日中韓」の不戦構想を 成島道官‥‥ 9
自治体政策研究 マニフェストの可能性と不可能性 辻山幸宣‥‥13
第二次稼働を前にして あらためて、住基ネットはなぜ問題か 伊藤久雄‥‥22
「社会的企業」先進例 イタリアのB型社会協同組合の意義 佐藤紘毅‥‥26
「協同組合の未来を創る」カナダフォーラム 世界規模での協同組合論議へ 清水亮子‥‥32
モンサントと闘うカナダの農民 全国縦断講演に1800人 パーシー・シュマイザー‥‥36
<この一枚>石けん運動―水道水水質基準項目の見直しを ‥‥40
千葉ワーカーズ連合会10周年 これまでを振り返り、新たな一歩へ 鈴木美智子‥‥41
統一選挙が終わって(岩手・水沢)B 保守基盤の中で3期連続当選 斉藤芳子/加藤一恵‥‥44
社会的経済促進「記念フォーラム」 「社会的経済セクター」こそ急務 粕谷信次‥‥46
<リレー連載>多元的歴史観の諸相B <天孫降臨>は神話ではなかった 福永晋三‥‥51
<書評> 小林トミ「声なき声」をきけ 今野 聰‥‥55
<追悼>ナザレ園の金龍成さんを偲ぶ 石川奈津子‥‥57
<会員報告>市民セクター政策機構総会報告 ‥‥60
雑記帖 加藤好一‥‥72

もう一つの反核

原発から故郷の海を守りたい 北電泊原発の温排水の正体を明らかにする

―バケツと温度計、水温観測25年の日々―

北海道岩内町

斉藤 武一

はじめに

 今から思えば不思議なことでした。私にとっては、絶望的な季節であったのにも関わらず、猛烈に「夢」を追い求めました。その一つが、「原発から故郷の海を守りたい」という夢でした。1977年4月、24歳の時、私は、大学を中退し、原因不明の病気を抱え東京から北海道の故郷に逃げ帰りました。運良く手術は成功したものの、将来の当てなど全くありません。しかし、心の中では、「いつの日か夢がかなう」という声で沸き上がっていました。  帰郷してからの一年がその後の私の行動を決めて行くこととなります。とは言っても、それは生まれ育った中で見てきた海の原風景がそうさせたようです。

 

海の原風景

 北海道の日本海側に親指のような形をしている半島があります。  その積丹"しゃこたん"半島の西側の付け根に岩内"いわない"湾が広がり、湾に面した岩内町が私の生まれ育った所です。古くは明治大正とニシン漁で栄え、昭和になると、スケソウ(スケトウダラ)が捕れ、その卵から日本一うまいと評判をとるタラコが造られ第二の繁栄を迎えていました。ちょうど岩内の港が大漁に沸き返っている頃、私は中学生でした。  夏休みになると、毎日、友達と自転車で近くの雷電"らいでん"海岸に出掛けました。泳ぐというより潜ってウニやアワビを採って食べるのです。アワビをたらふく食べてから、平らな岩で横になり、光り輝く夏の日本海をぼんやり眺めていました。  海の恐さも体験しました。ある時、同級生の女の子たちが来ていたので、時化てきているのに格好をつけてアワビを採ってくると泳ぎだしました。沖の岩場へ行くのは簡単でしたが、岸に戻ろうとしたときです。潮に流されいくら力を入れて泳いでもなかなか岸に近付きません。何とか頑張りもうすぐ岸だと思った瞬間でした。今度は大波にもまれ海底の岩に叩きつけられました。ようやく岸にはい上がり体を見ると、深い傷はないものの全身血だらけでした。このように海で九死に一生を得た経験は何度かあります。‥‥続く

アジアから見た2003年8・15

イラクへの自衛隊派遣を中止「ASEAN10+日中韓」のアジア不戦構想を

 『アジアの風・地域の風』編集長

成島 道官

 今年の8・15は、日本の陸上自衛隊が戦地イラクへの派遣を公然とする中で迎える。戦前の日本のアジアへの侵略戦争を反省して生まれた「戦争放棄」の憲法のもとで生れた自衛隊。長年、「専守防衛」の範囲内とした政府見解を破りすてる転換の年となろうとしている。今一度、日本の外交進路のあり方を、「政治改革」の始まりであった細川内閣の侵略戦争の反省のところに戻して、多元的なアジアの共生を「ASEAN10+日中韓」の不戦体制を展望してみたい。(編集部)

 

アジアの成熟――1980年代〜90年代

 21世紀に入り3度目の8・15を迎える。それはアジア諸国にどのように映るのだろうか。80年代から90年代にかけての急速な、東アジア諸国の経済的発展、域内における貿易・資本構造の緊密化、都市化の進展と市民層の増加、そして、文化の同時代性の拡大は、世界史的にみても著しい特徴といえるだろう。いまではアジアNIEs諸国はもとより、ASEANや中国沿海部にいたるまで、都市の街角で見かけるファッション、街を流れるミュージック、家庭のテレビに映るアニメなど、共通項の多い風景が、ごく自然に広がっている。その多くは日本が発信地または中継地となっており、また日本での制作も最初からアジア市場全体を目標にして行なわれるようになってきた。もちろん、それぞれの国や地域に特有の文化も、現代の生活の中に生き続ける必要がある。その点をひとまず措いたとして、東アジアの社会に重なり合う部分が増えていること、各国の社会的な成熟度が増していることは否定できない。

  この間、東アジア諸国はグローバリゼーションの中で市場経済化を進め、経済成長を遂げてきたが、その矛盾に直面して通貨危機を迎え、ようやくその痛手から回復した。また、中国は改革・開放経済に移行し、後発ながらこの20年間にGDPを約20倍増加させ、世界の工場として、また将来の巨大な市場としてその存在感を高めてきた。

  こうした中で、長期不況に陥っている日本が、アジアを舞台にどのようなリーダーシップを果たすのか、そして、アメリカの単独主義的な軍事行動に揺れる世界に対して、いかなる姿勢を示すべきなのか、つねにその目で見つめられているのである。 

 

東アジア協力圏への端緒と戦争責任問題

  1970年代の後半から80年代にかけて、日本企業は世界市場全体に向けて進出し、東アジアにおいても貿易の拡大、資本の進出をくり広げていった。人・物・カネがモザイク状に組み合わされ、本格的な経済協力圏構想の課題が浮上したのである。ただし、日本は戦前・戦時をとおしてアジアの国や地域を、植民地化したり、軍政下で支配したりしてきたので、その前提として戦争責任に対する謝罪がなされなければならなかった。

  1993年発足した細川内閣は首相が「私自身は侵略戦争であった、間違った戦争であったと認識している」と明言し、羽田内閣は「不戦決議」への取り組みをみせ、村山内閣では「過去の一時期の侵略によって多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、深い反省をする」との首相談話を発表、さらに妥協の産物ながら1995年、戦後50年を機に「国会決議」が採択された。小渕内閣も金大中韓国大統領の来日に際し、基本的には村山談話の路線を踏襲し植民地支配への反省とおわびを盛り込んだ共同声明を発表した。こうした一連の過程で、不十分な内容ではあるが、戦争責任への反省と謝罪の上に、アジア諸国民と未来を共有していこうとする姿勢があるていど定着していったのである。‥‥続く

<自治体政策研究>

政権交代とローカルマニフェスト

マニフェストの可能性と不可能性

辻山 幸宣

(自治総研)

 自民党総裁選挙と総選挙を前に、民主党と自由党の合併など、にわかに政局が慌しくなってきた。この中で「マニフェスト」という言葉がにわかにキーワードとして浮上してきた。提唱者は、北川元三重県知事であるが、小泉首相が、次期総選挙で「マニフェスト」を示すことを明らかにした。民主党に対応する形で「自民党総裁選挙は政策論争のいい機会だ。総裁候補の公約はその候補者が当選すれば当然党の公約になる」といわば「踏絵」的に言いきったためだ。「ローカルマニフェスト」も併せて提唱されている。この最も注目されている課題について、辻山幸宣氏を講師とした学習会を開催した。(編集部)

1.注目されている動き
 なぜマニフェストかということについて、竹下譲(四日市大学教授)さんはマスコミがまずこれに飛びついた理由に触れて次のようにいっています。「従来のような選挙の仕方では、責任感と実行力がある政治家がなかなか出現せず、結果的に有権者の政治不信を益々増幅し国や自治体の運営が益々悪化していくという焦りがマスコミにある。」
 したがってこれを打開するのにマニフェストは有効であろうとマスコミが認識したのではないか。この受け止め方は、私たち国民一般にも共通したものです。自分はどのような判断基準を持って候補者に投票したのか、自分の投票した意味がわかっていない有権者が増えている。投票に行かなかった人はもちろん、投票した人でさえも自分の政治的ポジションについてわかりにくい状況になっていて、この点を打開するのにマニフェストがいい方法ではないかという視点があります。もともとの火付け役は、三重県のシンポジウムで、三重県の北川知事が、居並ぶ知事さんたちに、「自分は知事に出ないけど、あなたたちはマニフェスト出しなさい」といって、4名くらいの知事さんが「出しましょう」と約束した事件がありました。そこには私も同席していたのですが、そこで北川さんは「ローカルマニフェスト」という言葉を使ったのですが、その意味が問われてくると考えます。言い方としては「内閣の仕事と与党の仕事がぴしっと一致するいい政策を掲げれば政権は継続する」というものでした。この表現は、今小泉さんがやろうとしている「踏絵」と非常に良く似ています。その考え方は、まさに首長タイプのマニフェストの考え方です。北川さんは「知事選挙でマニフェストの提示を」と呼びかけたわけですが、このころから地方政治、地方行政関係者に、マニフェストが徐々にはやり始めました。
 これを受けて、この4月の地方選挙でマニフェストが随分流行しました。
 すべてのマニフェストをチェックしておりませんが、約50くらいのマニフェストが提示されたであろうと思います。ほとんどのマニフェストは首長でありました。多治見市の西寺市長のマニフェスト、あるいは神奈川県知事の松沢氏のマニフェストが有名ですが、一部には自治体議員の中にも提示して選挙をした人がいるそうです。私はその中身を見ておりませんが、その議員にとってマニフェストは一体どのように理解されていたのか疑問です。議員個人の公約のことをマニフェストといってもらっては混乱のもとになります。‥‥続く

第2次稼動を前にして―ここまできた「監視社会」の危険性

あらためて、住基ネットはなぜ問題か

伊藤 久雄

自治労東京都本部

昨年8月に稼働を開始した住民基本台帳ネットワークシステム(以下、住基ネット)は、今年8月25日の第2次稼働によって本格化する。ここであらためて、その問題点と将来的な課題を提起することとしたい。

 

1.住基ネットの現状
(1) 第2次稼働にむけた動向
@ 第1次稼働で行われたこと
 第1次稼働で行われたことは、次のとおりであった。
・全国民に対する11桁コードの付番と通知
・本人確認情報(基本4情報―氏名、住所、生年月日、性別―とコード、および付随情報の自治体から都道府県への通知と都道府県センター(47都道府県が(財)地方自治情報センター―指定情報処理機関―に委託)への集約
・本人確認情報を利用した国の事務(法的に可能な事務は当初93事務、現在264事務。実際には2、3の事務。たとえば、東京都が行う本人確認情報を利用したパスポートの発給事務はようやく今年6月から始まった)。
 なお現段階では、杉並区や国分寺市など第1次稼働に当初から参加をしなかった自治体、横浜市のような「選択制」をとった自治体、中野区や国立市のように途中から切断した自治体がある。
A 第2次稼働で行われること
 第2次稼働で行う事務は、次の3つである。
・住民基本台帳カード(以下、住基カード)の発行(現段階では任意)
・住民票の広域交付(各個人が住む自治体以外の自治体で請求、交付が可能になる)
・転入転出の簡素化(転入時の1回だけで済む)
B 6月議会で問題になったこと
 6月の自治体議会では、不参加自治体を除いて「手数料条例の改正」が提案された。その中身こそ「住基カード発行手数料」をあらたに加えることであった。手数料条例は、国分寺市議会では市長再議でも否決され、多摩市や小金井市の議会でも否決されている。
C 住基カードはなぜ問題か
 まず第1に、このカードはICカードであることである。したがって法律では、自治体が条例によって空き領域を利用したサービスを行うことができるようになっている。どのようなサービスが考えられているか。総務省は次のような15事務を例示している。‥‥続く

「社会的企業」の先進例−1,915組合、「不利な立場の人」13,569人働く

イタリアのB型社会協同組合の意義

主任研究員

佐藤 紘毅

はじめに
 ローマ市おける社会協同組合連合組織のひとつ「コイン」(CO.IN / Consorzio Cooperative Integrate)の理事長マロッタ氏が来日する機会に、イタリアの社会協同組合の実態やその諸問題を知る会合が関西と関東で企画されている。
 社会協同組合の歴史的意義等については、すでにわが国でも関係者のあいだで広く理解が共有されているので(注1)、ここでは重複を避けて最近の社会協同組合にかんする量的動向資料を若干紹介し、議論の素材とするものである。

 

「不利な立場の人」30%義務付け
(1) 「社会協同組合」(cooperativa sociale, social co-operative)は、イタリアのおける協同主義事業の地平にあたらしい内容をもたらした存在にとどまらず、久しくヨーロッパにおける「社会的企業」(impresa sociale, social enterprise)の先進的事例のひとつとして位置づけられ注目されている。その意義は、とりわけB型社会協同組合について強調されねばならない。従来、社会協同組合の意義を論じる場合、A型とB型をとくに区別なしに総合的に論じられてきたきらいがあるが、このたび、B型社会協同組合の指導者と論議する場が設定されるのを機会に、あらためてB型の意味に注目したい。
 1991年の「社会協同組合法」(注2)に規定されているように、社会協同組合は、「(a)社会保健分野および教育的分野での事業の運営をとおして、(b)不利な立場におかれた人々の労働参加をめざして農業・工業・商業あるいはサービス業の活動の展開をとおして、「市民の人間的向上と社会的統合をはかり、コミュニティの一般意志の追求を目的とする」ものである。上記(a)の活動を展開するのが「A型社会協同組合」、(b)の活動を展開するのが「B型社会協同組合」とよばれるものである(注3)。
 A型社会協同組合が主として社会的弱者を対象とする対人サービスの事業を展開するのに対し、B型社会協同組合では、社会的弱者自身が主役となって事業を展開する。したがって、B型社会協同組合は、協同組合人の視点からすれば、労働者協同組合あるいは生産協同組合といった性格を有している。
 社会協同組合の特色のひとつに、ボランティア組合員の存在がある。組合員の半数を超えない範囲でボランティアが正式構成員として組合事業に従事することがみとめられている(注4)。協同組合は私的企業に分類され、一般的には非営利企業のカテゴリーにはかぞえられないが、社会協同組合はその社会性のゆえに、「イタリアのNPO法」ともいえる委任立法1997年460号が規定する「社会的有用非営利組織」(Onlus/organizzazione non lucrativa diutilit sociale)のひとつと認定されている。‥‥続く

世界規模での協同組合論議へ

「協同組合の未来を創る」カナダフォーラム

市民セクター政策機構

清水 亮子

 5月24日から6月1日にかけての9日間、カナダのブリティッシュ・コロンビア州にあるヴィクトリア大学で、3つの会議が連続して開催された。一つ目は、5月24日から27日の「協同組合の未来を創る」をテーマとする若者対象のフォーラム、二つ目は、ICA(国際協同組合同盟)の研究者会議と共催の研究者を主な対象とする「協同組合を定義する」というテーマの会議、三つ目は、今年(2003年)始まろうとしている「ニュー・エコノミー・イニシアティヴ(INE)」という研究プロジェクト(以下、INEプロジェクト)のためのワークショップである。主催したのはイアン・マクファーソン氏が所長をつとめるブリティッシュ・コロンビア協同組合学研究所(BCICS)。これらの会議に生活クラブ生協の連合会、神奈川・千葉の各単協、市民セクター政策機構から計5名が参加し、一つ目と二つ目の会議では、生活クラブ連合会の白井和宏氏が、生活クラブの活動について発表した。ここでは、INEプロジェクトのためのワークショップと、プロジェクトに向けた生活クラブのとりくみについて報告する。


 そもそも、このような長期にわたる会議に出席するためにカナダまで出かけていくことに、なぜなったのか、その端緒は2000年にまでさかのぼる。この年、『西暦2000年における協同組合』(レイドロー報告)の「2000年」を記念して生活クラブ連合会と市民セクター政策機構が共催した「協同組合・NGO国際シンポジウム」の基調報告者として、レイドローの弟子にあたり、1995年のICAマンチェスター大会で採択された協同組合新原則の起草メンバーの代表をつとめたイアン・マクファーソン氏を招いた。(この時の講演内容はブックレットにまとめているので、ご参照願いたい。)
 このシンポジウムで来日した際、マクファーソン氏は、生活クラブ生協の東京と神奈川の配送センター、デポー(店舗)、ワーカーズコレクティブ、ネットワーク運動などを視察し、生活クラブの多様な活動は、氏の共感と評価を得た。このシンポジウムをきっかけに、次は生活クラブが世界を訪れて私たちの活動を語りたい、という声が高まり、2001年に「協同組合の旅」が始まったのだ。
 そして、その第2回目にあたる昨年、BCICSにコーディネートをお願いして、「協同組合の旅・カナダ」が実現し、生活クラブとマクファーソン氏はうれしい再会を果たすことになった。そのとき聞かされたのが、これから始まろうとしているINEプロジェクトについてだった。‥‥
続く

モンサントと闘うカナダの農民

シュマイザーさん全国縦断講演に1800人

倉形 正則

■パーシー・シュマイザーさん来日
 カナダの農民でパーシー・シュマイザーさんが来日されました。シュマイザーさんは多国籍アグリビジネスのモンサント社と裁判を継続しています。

 PCBで巨利を得て、ダイオキシン入り農薬を売りさばきながら、拡大を続けてきた多国籍企業モンサント社は、今や遺伝子組み換え作物の最大手企業に変身しています。
 遺伝子組み換え作物という「世紀のビッグビジネス」で、何故モンサント社が独走する事が出来たのか? 米国での政権との癒着など、いろいろその独走理由はあるものの、シュマイザーさんの話を聞くと、モンサント社の“繁盛”する理由が見えてきます。
 「他人のものは自分のもの」モンサント社に代表されるアグリビジネスは、一言で言えば「法律で守られた強盗」です。
 自分が見付けたと言い張ったものには、皆が、それを長い間使い合ってきていても、それはすべて自分のものだと言える法律、それが「強盗」を合法化させる「生命特許」です。
 例えば花粉その他で、モンサント社の特許遺伝子に汚染されたシュマイザーさんのナタネは、すべてモンサント社の所有物になってしまったといいます。シュマイザーさんが育てたナタネのうちに、モンサント社の特許遺伝子があり、千歩譲ってそのDNA鎖と幾ばくかの微量蛋白質の類が、モンサントの所有物としても、ナタネを構成するその他の99%以上の成分は、モンサント社と何の関わりもないはずなのに、そのすべてがモンサント社の所有物に認定されるといいます!

 幼稚園やなにかで「ボクの手がさわったものは、ぜんぶボクのだからね」といって片端から自分のものにしようとする子がいれば、友達からは非難され、先生からもたしなめられる。それが普通の姿であるはずです。しかし、米国を始めとする“先進国”では、大企業が同様な幼稚で悪辣な行為に及ぶとき、それは“ビジネス”と呼ばれて巨万の富を得ることが許されると言うわけです。‥‥続く

千葉ワーカーズ「10周年記念シンポジウム」

これまでを振り返り、新たな一歩へ−自立を基礎に連携、わかせた寸劇

(特非)ワーカーズコレクティブ千葉県連合会 代表理事

鈴木 美智子

 6月24日、我孫子市民プラザホールで生活クラブの組合員、生産者、東京・埼玉のワーカーズ・コレクティブ、ネット関係者など150人が参加して、ワーカーズコレクティブ千葉県連合会設立10周年記念シンポジウムが開かれた。この10年を振り返り、また、これからのワーカーズ・コレクティブ運動を考えていくシンポジウムとなった。そこで千葉のワーカーズ・コレクティブの成り立ちと取り巻く現状や、このシンポジウムから見えてきたことを報告してもらった。(編集部)

 1982年に神奈川県で最初のワーカーズ・コレクティブが誕生し、千葉県でも1984年以降、次々とワーカーズ・コレクティブが誕生していった。現在は20団体が連合会に加入し、安全でおいしい食の提供、リサイクルショップ、生協受託事業、保育、編集、住まい、カルチャースクール、衣類リフォームなどの事業を行っている。
 11団体でワーカーズコレクティブ連絡会が発足したのは1987年。単発の学習会、食材の共同仕入れ、ガイドブック、機関紙発行などの活動を行ってきた。その活動の中で、ワーカーズ・コレクティブの社会的認知や研修の必要性を感じ、1992年にワーカーズ・コレクティブの中間支援団体としてワーカーズコレクティブ千葉県連合会を設立。
 以下の文は設立の趣旨の一部であるが、千葉のワーカーズ・コレクティブの特徴が現れていると思われるので紹介したい。
 「拝金主義、賃金奴隷が当たり前の現状の中で、ワーカーズは労働に対する価値を経営者から受け取る賃金で確認するのではなく、自分たちで生み出していくのですから、たやすいはずはないのです。その上、事業経営に素人の私たちが苦労するのは当たり前なのですが、これまでの蓄積を生かしあって経営判断や運営上の問題を整理することで事業的な自立が見えることが分かってきました。‥‥続く

<統一選挙戦を終わって(岩手・水沢市)B

保守基盤の中で3期連続−複数化は今後の課題

水沢・生活者ネットワー

斉藤 芳子

2003年水沢市議会議員選のまとめ
 2003年の統一地方選挙において、代理人・中井慶が水沢市議会議員選挙に三期目の挑戦をおこないました.
 今回の選挙は、前回の二期目の時に無投票選挙に終わってしまったために、ネットワークの活動や代理人運動に対する市民の評価を確実に把握することができず、三期目の選挙の組み立てや票の読み方が難しかったです。
 今回の選挙から、議席数が四議席削減され、26議席を28人の候補者(現職20人、新人8人)が争う形となり、また、候補者のうち14人が初選挙を経験することから激戦も予想されていました。

 私たちは、8年間の議会報告や活動報告をまとめた通信を発行し、市民へのアピールを続けてきました。さらに、通信講読者への訪問活動や、水沢・常盤・南地区の3ヶ所で議会報告会を行うなど、市民と語り合う場を設けてきました。一週間の選挙戦は、政党政治・地域型選挙に対抗して「私たちの政策」を中心に市民に訴えるとともに、「カンパとボランティアの手づくり選挙」を行ってきました。
 投票の結果、907票の得票数で三期目を当選することができました。上位当選者2名が、2,000票以上の得票数だったので、票がばらつき、当落ラインの得票数が600票台となってしまい、やはり最後まで票の読めない選挙でした。新人、政党、地元候補者に票が集まり、水沢市議会議員選挙は、政党政治、地域支援型選挙が強かったことがよくわかりました。
 この中において、907票の結果というのは、選挙手法や代理人運動の広め方について、多くの反省点を見出すことになりました。しかし、907票の中には、確実に私たちの運動を支持してくださった票もあり、また、素人選挙の展開としては充分に手応えのあった選挙であったという点は高く評価できます。
 今回の選挙の結果から見えた反省点を検討し、代理人運動を市民にアピールして行きたいと思います。‥‥続く

社会的経済<記念フォーラム>

市民的公共性を取り返す行為「社会的経済セクター」こそ急務

法政大学教授

粕谷 信次

 「社会的経済促進記念フォーラム」については、本誌279号で紹介しているが、プロジェクトメンバーの粕谷信次法政大学経済学部教授が一年間の活動を締めくくる形で<グロバリゼーションと「社会的経済」>と題して以下のように語った。(文責・編集部)

 ちょうど去年の今頃からプロジェクトが始まり、今日のメインゲストは全労済の鷲尾さんですが、ワーカーズ・コレクティブや労金、生協、農協、NPO活動など現場の方々の貴重なお話を聞き、議論ができて触発され、私としては、すごく勉強になった1年だと思っています。
 さて、話の一番目は、タイトルの頭にあるグローバリゼーション。先程堀内さんがお話して下さったスティグリィッツが書いたものに『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』というのがあります。かれはIMFの上級副総裁だったのですが、IMFのやっていることに疑問を持ちはじめ、批判的意見を述べて、最後は辞任に追い込まれる。この本の中で、かれはグローバリズムにも良い側面もある。反グローバリズムのうねりがグローバルなものになれるのも情報技術が発展して地球が小さくなったからだと、反グローバリズムの人々にも冷静にバランスをとることをもとめる。しかし、よりつよくバランスをとることをグローバリズムの唱道者たちに求める。かれらがグローバリズムの波に乗れば発展途上国の貧困もなくなるなど、いろいろな改善を約束したけれど、それは破られている。それで反グローバリズムの波もますます高まっているのだというのです。
 1995年の「社会サミット」では、グローバリゼーションは、「経済の自由化」だけでなく、「社会的次元も伴うことが大切だ」ということに、圧倒的多数の政府が賛成しました。社会的次元を扱う国連機関としてのILOは、これを受けて堀内さんが言われたように、ディーセント・ワーク(人間的な、尊厳のある仕事)の確保をILOの全ての政策の柱にしました。
 今、新自由主義の方向へ向けて社会を動かしている力が勢いづいています。しかし、それに対抗する市民的公共性ベクトルが有効に大きくならないと、21世紀は持続可能でなくなってしまいます。今、そういう大きいな歴史的転機にきている。どのような転機にするか、「社会的経済セクター」の促進こそ、そのひとつの重要な鍵を握るものではないか。その所以はこの図をみていただいて、社会的経済セクターの性格をお話すると分かっていただけるのではないかと思います。
 点線の円が自然・生態系を表し、その中に三角形が描かれていますが、それはわれわれがその中‥‥続く

<リレー連載>

多元的歴史観の諸相B

<天孫降臨>は神話ではなかった

福永 晋三

 福永晋三氏は、戦後実証史学が<神話>としてしりぞけた「天孫降臨」を福岡・遠賀川流域の「天神降臨」の歴史事実として、市民の側からのもう一つの歴史論を展開する。次回の吉野ヶ里の攻防とあわせ、古代史と考古学の接点から“目からうろこ”の論述を紹介する。1952年福岡県生まれ。東京・立川市在住。


はじめに
 教科書で教わった日本古代史とは、全く異なる古代史を語ろうと思う。ずいぶんとなじみのない伝承と、おなじみの古事記・日本書紀と、よく知られた遺跡とが不思議な結びつきを見せるだろう。だが、それは無から捏造されたものではなく、初めからそこに有ったものを有るがままに見直しただけのものである。「事実は小説より奇なり」という。奇なる歴史事実を追究してみよう。
天神降臨=倭国の草創
 中国の史書にはわが国の古代の王国が記録されている。その名を「倭国」と云う。
 建武中元二年、倭奴国、奉賀朝貢す。使人自ら大夫を称す。倭国の南海を極むるや、光武賜ふに印綬を以ってす。(後漢書倭伝)
 AD57年の記録である。このとき、後漢の光武帝から下賜された印綬こそが、福岡県志賀島から出土したとされる「漢委奴国王」の金印であることは間違いない。倭奴国と委奴国は表記の違いはあるが、同一の王国であり、また倭国でもある。後の『旧唐書』東夷伝にも、「倭国は古の倭奴国なり。」とあり、『漢書』地理志に「楽浪海中倭人有り、分かれて百余国を為す、歳時を以って来りて献見すと云ふ。」ともあるから、倭国は前漢代から始まったようである。したがって、金印の証明するもの、それは倭国が現在の福岡県に興ったという事実である。また、「倭」(後に和と書き換えられた)の訓が「やまと」であるかぎり、最も古い「やまとの国」も福岡県に興ったことになる。
 中国の史書に明らかな「倭国」の興りが、わが国の歴史書『古事記・日本書紀』にも当然のことながら、記録されている。いわゆる「天孫降臨」事件である。だが、戦後の教科書はこれを神話として扱い、歴史事実とは見なさない。筆者はこれを歴史事実と認めることから、古代史の見直しを図った。しかも、「天孫降臨」を「天神降臨」としたのは、わけがある。古事記・日本書紀のほかに、『先代旧事本紀』と云う歴史書(天理大学図書館蔵のものは重要文化財にまで指定されている)が伝わっていて、「天神本紀」と「天孫本紀」と各本紀とに分かれている。前の両本紀に「天孫降臨」事件が記録されていて、どうやら、「天神本紀」の方が天孫降臨の中心であると思われたからである。‥‥続く

《書評》小林トミ著

『「声なき声」をきけ』

編者:岩垂 弘

普通の生活しながらの反戦市民運動を創る

市民セクター政策機構監事

今野 聰

 著者は、今年1月2日亡くなった。72歳。葬儀当日、この本の編者である岩垂弘氏から、著者が書き継いでいる原稿があることが語られた。この本は、著者の遺志と編者になった岩垂氏の協力によって初めて日の目を見ることになった。
 副題が「反戦市民運動の原点」である。戦後革新運動が分岐点に入った1960年代、そこに市民運動が登場し、その行方を巡って相当論争された。しかも60年安保闘争が、その原点であってみれば、受け止め方は世代によっては当然違う。戦前派、戦中派、そして安保世代そのものというように。私はこの安保世代で、仙台で学園生活を送った。加えて安保世代そのものに運動を巡る思想闘争があり、多くの分裂があった。
 だから世代が私より一回り古い著者が反戦市民運動をどう創造し、担ったか。この本はそれを鮮明にした。その軌跡はどれも胸をうつ。そっくり今日の反戦運動の現状と展望につながっているからである。
 とりあえず本書の構成を紹介しよう。編年体に各章が組まれ、本書全体を大筋で理解しやすいようにしているからだ。
 第1章「それはこうしてはじまった」、第2章「無党無派の反戦・反安保」、第3章「浅沼社会党委員長の刺殺に抗議」、第4章「政防法案をせきとめる」、第5章「太平ムードに抗して」、第6章「ベ平連誕生の母胎に」、第7章「ベ平連とともに歩む」、第8章「『あくまでも合法デモを』」、第9章「市民運動のあり方を巡って」、第10章「ロッキード事件の究明へ」、第11章「声なき声の新しい出発」、第12章「湾岸戦争に反対する」。
 ここから判ることを整理する。第1に、著者が「声なき声」として反戦運動に実に誠実に、持続的に係わったことだ。係わっただけでなく新しい型の反戦市民運動の創造に係わった。きっかけは、1960年6月4日の安保改定阻止第1次実力行使の日だった。国労が早朝ストに入った。著者はこの日、新橋から虎ノ門に向かう。
 「安保批判の会のデモの最後につき、『誰デモ入れる“声なき声”の会』の横断幕を持って歩き出すと、5、6人が後ろについてきた。国会近くになると、30人ぐらいになり、……」この自然発生性。以下どんどんデモの参加者が増える。この生き生きとした様子。岸首相の「声なき声」を逆手に取って、運動力にする。その自然な姿を終生もち続けたことである。目的意識性がないという批判がここでは通用しない。‥‥続く

〈追悼〉

ナザレ園の金龍成さんを偲ぶ

『海峡を渡った妻たち』の著者

石川 奈津子

 韓国の社会福祉家・金龍成さんが亡くなった。1919年3月20日、日本の植民地支配下にあった朝鮮最北の村(現北朝鮮)に金さんは生まれた。この年にソウルから起こった3.1独立運動が遠く満州まで広がったといわれるから、金さんの誕生もその最中のことだったと思われる。父親は政治犯として捕われ獄死した。彼の最期は2003年3月15日、84年の生涯だった。
 訃報は、朝日新聞をはじめ各紙に掲載されたから、お読みになった方も多いと思う。「日本人妻を助けて30年」「日本人妻救済に情熱」「国境を越えた人間愛」などという見出しは、日本人の金龍成観をよく伝えている。
 ここでは金さんの偉業に敬意を表しつつも、それら新聞記事のように、金さんの一生を紹介して偲ぶという方法はやめようと思う。一度しかお会いしていないから、下手すると新聞記事のコピーカーボンになりかねない。それよりも、独断と偏見を恐れず、慶州ナザレ園を取材して感じた日韓の高齢者福祉の違いを論じて、金さんを偲びたい。
 金さんは「愛の実践者」だと評価されている。「信仰なしにこの事業を成し遂げようとするのは不当だと思う」と金さんの遺言状には書かれていた。でも、「信仰に基づく愛」だといわれても、私は無宗教者(あえていえば仏教徒)だし、社会福祉を愛という次元では考えられない。だから、金さんやナザレ園の宋美虎園長に対して、感服しつつもずっと半信半疑であった。私の視線は、金さんたちからすれば「異教徒の疑り深い目」であったと思う。

 私は愛よりも現実、すなわちナザレ園の経営状態が知りたかった。大方の日本人は愛の話で感動し、現実まで下りてこないようで、宋さんはお金の話をいやがった。神さまがついているから、先の心配はしないと、言う。それでもなんとか聞きだした。
 ナザレ園は韓国政府から建設費の補助を受けることはあっても、運営費は自前で賄わなければならない。この点が、金さんが理事長を務めていた他の多くの施設と違う。ナザレ園の運営は日韓の篤志家からの寄付で成り立っていた。ということは、常に自転車操業である。これに私は苛立った。それではそこで暮らす日本人妻たちは常に不安定な状況に置かれる。定期的な収入が確保されてこそ、日本人妻たちは安心して老いることができると。‥‥続く

市民セクター政策機構 2003年度第1回理事会・第8回定期総会

◆と き  7月15日(火)午後4時〜5時45分
◆ところ  生活クラブ連合会 7階会議室

 はじめに                  
 現在は第4次世界大戦のただ中にあるとの指摘があります。米国のネオコンサバティブと称される人々の中からも、その対極の市民運動の側からも同様の指摘が発せられています。後者の主張はグローバリゼーションと反グローバリゼーションとの世界大戦であり、前者は「テロ対反テロ」の闘いという幻想としてのそれです。
 軍事力は、米国の圧倒的な優位が存在しながら、そのバックボーンである経済力は混沌としています。世界最大の債務国である米国が、世界経済の中心であるためには、国際基軸通貨がドルである必要があるのであり、その逆であるからではありません。
 実体経済の数十倍の資本が、瞬時に世界的に取り引きされるバクチ経済は、行き着くところにまで来ています。しかし、一方でそのギャンブルを可能にする世界的な瞬時の通信網が、一方で市民活動の瞬時の連帯と共鳴を作り出してもいます。今日どんな資金力をもってしても、情報の一元的な支配は不可能になっています。イラク侵略では、常に爆撃される側からの報道が絶えませんでした。
 「一寸先は闇」―これが現代を象徴する言葉でしょうか。極端に安定性に欠けた経済、進行する環境破壊、富と知識の局在、事態は悪化の一途をたどっています。とりわけわが国の若者には、時代への閉塞感が蓄積され続けています。
 「万人の万人に対する闘争」という様相を深める現実に対し、「一人は万人のために」の思想と実践を対置することの切実さはこれまでになく高まっている時代と言えます。‥‥続く

雑記帖

 【加藤好一】

 7月19日のアソシエーション・フォーラム(当会主催)は大盛況であった。田畑稔、佐藤慶幸の両氏の講演という硬派な企画に、生活クラブの組合員リーダーや専従者の多数の参加があった。
 フォーラム終了後の両氏を交えた懇親会の席上、『世界』の8月号に掲載されているユルゲン・ハーバーマスとジャック・デリダの連名になるエッセイ、「われわれの戦後復興―ヨーロッパの再生」に話が及んだ。この両者が連名のエッセイを発表したこと自体が一つの事件だが、それだけイラク戦争が「ヨーロッパ」に与えた衝撃の大きさを物語ってもいる。
 例えば、ネオコンのイデオローグ、R・ケーガンは、人間理性による戦争廃絶を展望したカント的な永久平和の希望は全く無力であり、秩序をもたらすものは「怪物的な権力による畏怖と暴力」だけだと決めつけているという(福田和也氏)。対してこのエッセイは、カント的な精神の伝統の正当な相続人としての「ヨーロッパ」と、その結束を訴えている。
 「ヨーロッパ」は、このような自覚を深めつつ、EUの成功や国際法にもとづく世界秩序の建設という形で、「近代の近代化」の課題を推し進めていく展望を切り開いていくのだろう。一方わが日本では、イラク法案が今日(7月25日)にも採決されそうな情勢にある。
 ところで、4月に逝去された宮城健一氏の後任として、本誌編集委員の大任を仰せつかった。先般の編集会議でも今期各号の編集方針について様々に議論があり、「編集」という仕事の難しさの一端を垣間見た。とはいえ、先のフォーラムの盛況振りからすれば、「案ずるより生むがやすし」かもしれない。楽天的に関わらせていただくことにする。


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