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『社会運動』 282号

2003年9月15日

目次

特集・<除菌社会>を問う
 共生環境こそ本物の「清潔」 ―危機的な日本社会の清潔症候群― 藤田紘一郎…… 2
 抗生物質耐性菌の現在は ―薬に頼る“安心”の行き着く先― 倉形正則……11
 隣の洗濯物にも苦しめられる化学物質過敏症患者 網代太郎……17

<この一枚><商品化社会>批判の拡大チラシ 22
GMイネの試験栽培中止を求める 岩手の遺伝子組み換えイネ「Sub29」阻止に向けて 永井邦子……23
<ルポ>農村ワーカーズ繁盛記『四季の里』の経営が地域おこしの原動力に 井瀧佐智子……28
都市近郊農業の直面していること 東京に農地を残すために ―NPO法人「たがやす」の挑戦 中川利明……34
ノー寝たきりデーのあゆみと2003年のノー寝たきりデー もっと大胆に“老いの設計” 井上弘子……38
現代アソシエーション研報告 U.ベック「市民労働」―職業労働、家事労働以外の第3の労働 伊藤美登里……42
生協の<事務局労働>をめぐって グリーンコープ労組との交流で語られていること 槌田 博……48
7.19アソシエーション・フォーラム<解説> アソシエーションが主役の社会へ 編集部……52
ワールドリポート 生物テロとSARS 「知識条約」が今後の課題 メイワン・ホー……54
<リレー連載>多元的歴史観の諸相C 吉野ケ里遺跡の攻防―古代史と考古学の接点 福永晋三……59
雑記帖 細谷正子一…64

特集・除菌社会を問う@

共生環境こそ本物の「清潔」―危機的な日本社会の清潔症候群―

東京医科歯科大学教授 藤田 紘一郎

 回虫博士として高名な藤田紘一郎教授にお話を伺った。藤田先生は、寄生虫の研究から共生の意味を説き、「清潔は病気だ」と、異物排除にも通ずる現状の「衛生思想」に警鐘を鳴らし続けている。先生の主張は、ご自身の共生相手=サナダムシのヒロミちゃん談義から地球環境破壊による、新たな感染症の脅威まで次々と広がる。その藤田ワールドの“さわり”をお伺いした。

 

編集部 生活クラブ生協は永らく環境保全活動に取り組んできました。象徴的活動として石けん運動を進めて来ました。その石けん利用率がかつての5割を超えていた時代から、今日は14%という数字に落ちてきています。

藤田 やはり、石けんにとって代わったものは、合成洗剤なのですか。先日、釧路の田中さんというせっけんを使いましょうという運動をやられている方に呼ばれて、講演に行って来ましたが、やはり石けんの使用量が落ちて合成洗剤が増えているという話をされていました。
 そこで私は、洗うとキレイになると思っているけども、きたなくなるという話をしてきました。
 私はもともと整形外科の医者でしたが、東大伝染病研究所の熱帯病調査団の「荷物持ち」として調査に同行して整形外科よりもバイ菌学の方が合うと言うことで専攻を変えました。
 当時、熱帯病の研究としてインドネシアのカリマンタンへも行きました。その頃ラワン材の切り出しで多くの日本人が現地に行っていたんです。以来35年間通っています。
 そのカリマンタンの子ども達が、こうした川で遊んでいました。洗濯もする、飲み水にする、ウンチもする川です。
 最初、私達はその子供達に向かって「きみたちそんなところで泳いでいると病気になるよ」と言っていたんです。
 ところが、その子ども達の肌は、とてもキレイなんです。アトピーもアレルギーもない。
 我が国での1950年の回虫感染率は62%でした。私は、回虫がアレルギーを抑えているのではないかという仮説を立てて研究を進めました。その結果、分子レベルでもそのことが裏付けられました。「サイエンス」、「ケミストリー」等の医学誌、専門誌でもそのことは認められて論文を発表したのですが、日本では認められない。
 そこで『笑う回虫』(講談社刊)を出版しました。それまでは論文を英文で書き、医学界で勝負していたのですが、いつまで経っても判って貰えない。
 その『笑う回虫』に反響があって皆さんに知られるようになりました。
 その後、研究を続けるとアレルギーを抑えていたのは寄生虫だけでなく、ウイルスや細菌とかいろんなものが押さえていたというのが判ってきたのです。
 一方、社会の状況を見て見ると、寄生虫対策として集団検便・集団駆虫をやりまして寄生虫を追い出しました。50年に62%の保持率だったのが、5%を切った1965年からアトピーが目立つようになり、スギ花粉症の第一例が1963年に日光市に確認されています。40年前に初めての症例が確認された、花粉症は今や5人に一人となった。‥‥続く

特集・除菌社会を問うA

抗生物質耐性菌の現在−クスリに頼る“安心”の行方−

市民セクター政策機構 倉形 正則

 ストレプトマイシンという抗生物質(註)が世に出るまで、結核は不治の病の代名詞であった。抗生物質の登場によって一旦はコントロールされたと思われた結核。国内でも最近「集団感染」「院内感染」の事例が報告され、結核が過去のものではないことを教えてくれている。過去のものどころか、結核は現在世界中で人口の約1/3に当る20億人が感染し、年間150万人の死亡の原因になっている。同時にエイズの拡がりとともにさらに50万人が結核とエイズの併発で死亡していると言われる。

 

猛威を振るう耐性結核菌
 WHO(世界保健機構)によれば、現在世界中の感染症による死亡のうち、その90%は6つの疾病・症状により(結核・マラリア・肺炎・エイズ・下痢症・麻疹)、結核はそのトップである。
 少なくとも先進国においては、年々患者数、死者ともに減り続け、克服されたと思われていた結核が、なぜ復活しつつあるのか。それは耐性菌の存在とHIV感染の拡大である。
 OIE(国際獣疫事務局)の抗菌剤耐性特別専門家グループが作成した「抗菌剤耐性」の報告書によると、
 「結核は青年と成人の最大の感染症死の原因の1つであり、婦人の死亡の主因でもある。HIV感染が免疫系を弱くし、不顕性結核感染を活性化することがある。HIVの感染も結核にかかるリスクを増大させると思われる。現在、すべてのAIDS死の約1/3が結核によっている。
 さらに、結核はますます抗結核薬に耐性になりつつある。多剤耐性結核症例は現在の世界の結核症例数のほぼ1〜2%と研究者は推定している。しかし、世界の一部の地域では多剤耐性結核の率はもっと高い。中国、インド、イラン、モザンビークおよびロシアでは、それぞれ多剤耐性結核が新たな症例に高率(3%以上)と報告されている。イスラエル、イタリア、メキシコでは新たな症例と以前に治療した症例を併せて6%以上に多剤耐性が報告されている。」と報告している‥‥続く

特集・<除菌社会>を問うB

 

隣の洗濯物にも苦しめられる 化学物質過敏症患者

化学物質過敏症支援センター(CS支援センター)事務局長 

 

網代 太郎さんに聞く

<聞き手>編集部

――今回の特集は「除菌社会を問う」です。過度な衛生観念や清潔観念に支えられて、「除菌」「抗菌」のため、私たちの周りには、抗菌グッズなど化学物質が溢れています。この対極に化学物質過敏症(Chemical Sensitivity;以下略「CS」)があると思います。まず、この病気はどのような病気なのですか。

 

網代 CSは、さまざまな種類の微量化学物質に反応して、体調が悪化する病気です。重症になると、職場に行けない、家事が出来ない、学校へ行けないなど、通常の生活も営めなくなる。極めて深刻な疾患です。何らかの化学物質を大量に取り込んだり、または、微量だけれども長期間にわたって取りこんだ結果、この病気になるとされています。発症には、個人差があって、同じ環境にいても発症する人としない人がいるのです。各個人には化学物質を解毒する容量があって、身の回りにある化学物質を毎日、体に取り込んでいますが、それらを解毒しきれず化学物質があふれた状態が、この病気だと考えられています。この容量は、各個人によって違います。だから、だんだん溢れてきて、きっかけとしては、一見大したことのない、例えば、PTAの会合での化粧の匂いでも発症する人もいます。

周囲の無理解に孤立する
――最近、シックハウス、シックスク−ル問題がクローズアップされてきています。新築やリフォームで使われる建材や家具から揮発するホルムアルデヒド、揮発性有機化合物、シロアリ防除のための農薬、トイレの芳香剤などで発症する例があるぐらいはわかるのですが、他には。

網代 センターでは、相談事業を行っていますが、問い合わせで、むろんCSがどのような病気という基礎知識についてが一番ですが、次に多いのが、商品の紹介等や日用品等による苦痛なのです。つまり発症すると、今まで使っていたものが使えなくなるんです。そして、症状のつらさや先行き不安、そして次に家族、近隣関係の項目です。例えば、近隣というと隣の合成洗剤で洗濯した洗濯物から飛散成分で苦しくなります。近隣に話してお願いするのですが、まだまだ、社会の中にCSに対する理解が不充分です。時には最初は「いいがかり」だと思われたりする。合成洗剤は「私にとってもダメ」だけど「あなたの体にとっても使わない方がいいと」説得するしかありません。本当は、こうしたことをコーディネイトする、第3者的な仕組みが問われるところです。一方で例えば、畑で使う農薬には法的制限がありますが、家庭で使う農薬には制限がないことなどの問題は広範囲です。抗菌グッズは、農薬を使ったものが多いのです。‥‥続く

GMイネ試験栽培の即刻中止を
岩手の遺伝子組み換えイネ「Sub29」阻止に向けて

生活クラブ生協・岩手

永井 邦子

遺伝子組み換えイネ担当理事

岩手県での遺伝子組み換えイネ研究開発がもたらした衝撃
 遺伝子組み換えイネの屋外実験を始めるという情報は、4月18日付の新聞報道で初めて知りました。その2日後の4月20日に住民説明会を開催するという情報で、強い衝撃が走りました。
 財団法人岩手生物工学研究センターは、岩手県が100%出資し、最先端のバイオテクノロジーを用いた基礎研究を行うために設置されました。その研究員の総勢40名は全員博士号をもち、岩手県から研究を委託されています。はからずも東北地方をおそった大冷害の1993年にこの研究センターは開所されました。
 1995年にササニシキから耐寒性に関連するGST(グルタチオンS―トランスフェラーゼ)遺伝子を抽出し、1998年にGST遺伝子を導入したイネSub29系統を作り出すことに成功したと報告されています。その特性は「低温などのストレスを受けた時に発生する、活性酵素を取り除くことができるGST遺伝子をイネから取り出し、再びイネに導入して作出した低温耐性イネです」と表現されています。長年「やませ」に苦しめられてきた岩手の米作りにとっては、これは朗報であるかのような表現が言葉の隅々まで響いています。

岩手県に対して公開質問状を提出
 生活クラブ・岩手の理事会では、このSub29系統への対応をどうするのか、2ヶ月にわたり議論しました。それはイネにイネの遺伝子を入れることから、「種の壁」を超えないのではないかという問題と、耐冷性というこの地域の大きな課題に対し、果たして自信を持って「NO」を唱えられるだろうか、‥‥続く

〈ルポ〉農村ワ一カーズ繁盛記

「四季の里」の経営が地域おこしの原動力に

ワーカーズ・コレクティブ ネットワーク ジャパン(WNJ)代表

井瀧 佐智子

 「社会的経済」促進プロジェクトでの全国農業協同組合中央会の桜井勇氏の報告(社会運動272号掲載)で農村のワーカーズ・コレクティブの状況を伺い、一度取材を兼ねて交流したいと思っていた。どこを取材するか「農山漁村文化協会」へヒアリングも行った。そこで紹介された農文協発行の『現代農業』に掲載されていた「四季の里」の藤森文江さんの文章に出会い、元気な「ワーカーズ・コレクティブ」そのものの姿に魅力を感じ、8月最初の土曜日、夏らしく青空の高い一日、SLで有名な大井川鉄道を1時間奥に入った静岡県中川根町の「四季の里」を訪ねた。
 ワーカーズ・コレクティブは1982年第1号のにんじんの時代から、その事業と、問題解決のための運動性を両輪に、いままでにない新しい働き方のネットワークをしてきた。20年を経て農村にもワーカーズがあると知り、今回の取材になったのだが、「有限会社ふれあい」四季の里は、朝市の活動を含めると24年の歴史がある。1986年有限会社になったが、開店以来黒字経営を続けている。「助成金なし」「常設店」「黒字経営」の秘密は何か。有限会社は便宜上で、出資、参加、労働、分配の考え方は見事なほどにワーカーズ・コレクティブである。ただワーカーズにおいての後継者は常に新人の加入を想定しているのに対して、「ふれあい」では、当初の出資者以降の加入は認めていない。やめる時は全員でやめる。そして、すべての有形無形の財産はわたくしせず地域に残したいとしている。まさにこれこそが公益ではないか。多くの公益法人が、国や国民の財産を食いつぶし民営化することにも抵抗している中、また多くの銀行がバブルのつけを税金でふさごうとする中で、私たちがワーカーズ・コレクティブ法要綱案で記した解散時の残余財産の処分以上に明快であり、特筆すべきものと思われる。私も協同組合の役員をきっかけにした「生き方」の選択に共通するものを感じるのはこじつけではない気がする。
 農村のある意味で閉鎖的な環境において「有限会社ふれあい」四季の里はまさに大井川の川の流れのように、ある時は、緩やかに、ある時は激しい流れと化しその土地の風をつかみ、人々を巻き込んできたようだ。何のお手本もない中で、走りながら考えて、失敗しながら確実にプラスをつかみ取る。事業の創草期において、どのような事業形態の経営者でも味わう喜びや苦しみだとは思うが、17人で立ち上げた事業の話は、町の中で人々と協同することだけが財産だった私にとって、同じような経験談はひとつひとつが共感出来る話ばかりであったし、藤森さんの人間性に大いに惹かれるものを感じる取材であった。出来ることなら6年後四季の里を地域に残す時に立ち会いたい。それまで多くの人々との交流を図りたいと思う。‥‥続く

都市近郊農業の直面していること

東京に農地を残すために〜NPO法人「たがやす」の挑戦〜

中川 利明(生活クラブ生協・東京)

 最近、町田市内の農家で市民が農作業を行なっている光景が多々見うけられるようになりました。これは、NPO法人「たがやす」の有償援農ボランティア活動によるもので、2003年7月の作業記録によると、78人の市民が7軒の農家において農作業に参加し、農作業時間の合計は1,693時間にも達しています。農作業の内容は、野菜の収穫・除草・種まき・堆肥の散布、椎茸の植菌など、多様な内容となっています。援農に参加されている方々は、定年退職した人を中心とし、子育てが一段落した主婦や学生などさまざま人達が参加しています。

 

農作業受諾組織が設立された背景
 生活クラブ・東京が東京の地場農家と提携を始めてから25年が経過していました。その期間に東京の農地面積は、約25,000ヘクタールから約10,000ヘクタールへと60%も大幅に減少しました。その中にあって、生活クラブの再生産可能な生産者価格の設定による共同購入により、生活クラブと提携している東京近郊の70軒の都市農家は農地を大きく減少させることなく、地域の中核農家として都市農業を牽引する役割を果たしてきました。
 しかし、1999年から始まった全農との共同事業の中で、生活クラブ・東京の従来の都市農業を中心とした農産物取組みから、連合会レベルでの日本全国の農業育成という広い視野に立った農産物取組みへと移行しました。そのようなシステム変更の中で、地場野菜を中心とした消費により都市農業の生産を支えるという生活クラブ・東京の独自の政策は変更を余儀なくされました。しかし、生活クラブ・東京は「都市農業を守り育てる」という従来から掲げてきたスローガンを降ろすことはせず、特別プロジェクトを設置し、都市農業を育成するための新たな手法を検討しました。その結果が、1999年10月に「生活クラブ・東京農業政策」となって提案されました。
 「生活クラブ・東京農業政策」のなかで主要な活動テーマとなったのは、高齢化や後継者不足により農地の維持管理が困難になった農家の農作業を支える、市民による「農作業受託組織」の設立でした。「生活クラブ・東京農業政策」を作成していた当時、東京都が実施していた「援農ボランティア育成事業」には、433名もの市民が85軒の農家において農作業に参加していました。従来過酷な労働とされていた農作業ですが、自然から隔離された都市住民にとっては、自然の中での生命の営みを感じられる労働として、農作業に参加したいという欲求が潜在的にあり、東京都の事業は、そのような欲求を満たす物として多くの市民の参加を呼び起こしたのでしょう。‥‥
続く

「No!寝たきりデー」のあゆみとNo!寝たきりデー2003

もっと大胆に“老いの設計”

市民福祉サポートセンター事務局長

井上 弘子

「No!寝たきりデー」は1989年より市民団体「NO!寝たきりキャンペーン委員会」主催で11回、「市民福祉サポートセンター」主催で2回、今年で14回の開催になる長寿イベントです。なぜ、長続きするのか、今までの活動を紹介することでその理由と「No!寝たきりデー」の意義を明らかにし、そして今年のテーマ「もっと大胆に“老いの設計”」へのみなさんの参加を呼びかけます。

 

 1991年3月、厚生省(当時)は「寝たきりゼロへの10か条」を発表し3300の全自治体に「老人保健福祉計画」を策定するようにと指示を出していました。いよいよ本格的な「高齢社会日本」への施策作りが開始されたところでした。
 「No!寝たきりデー」は「NO!寝たきりキャンペーン委員会」によってこうした社会状況を背景にしてスタートしました。
 「No!寝たきりデー」の特徴は高齢期を含めた人生設計を自分たち自身で創っていこう、そうした個々人のライフスタイルやライフプランが実現するような社会を創造していこうということを前面に押し出していることです。
 施設や自宅で自分の納得しない生き方や生活のスタイルを押しつけられたくない!そんな思いを込めて「No!寝たきりデー」という少しばかり挑発的なネーミングにしました。

<INLINE NAME="文字枠.2" COPY=OFF>
 「私たちはどんな高齢期を過ごしたいのか」。それを具体的に考えるためには、その先輩である高齢者の方たちの暮らしをしっかりと知る必要がありました。その方たちはいまの暮らしに満足しているのか、なにが不足なのか、どうすればより自分らしく生きることができるのか、お宅へ伺い直接、ヒアリングをさせていただきました。その貴重な生の声を発表する機会として第3回『No!寝たきりデー』(1992年)を開催しました。
 それまで単発で行ってきた2回(1989年、1991年)の「No!寝たきりデー」とは少し趣が変わり、その後、12年にわたって継続的に行われることになった「No!寝たきりデー」の姿、「自前の関心に基づいた実質的な調査発表、市民の立場からの解析と意見発表、そして参加者相互の情報交換の場」としての位置づけが確立されるイベントに‥‥続く

現代アソシエーション研究会報告

―U.ベックの「市民労働」―職業労働、家事労働以外の第3の労働

大妻女子大学・早稲田大学非常勤講師 

伊藤 美登里

はじめに
 本日は、ウルリヒ・ベックというドイツの社会学者が、現代社会の諸問題に対処するために考案した政策モデル「市民労働」について、お話ししたいと思います。このモデルは、ベックが指摘するドイツ社会における諸問題と類似の問題に日本社会も直面しつつあるという点において、われわれにとっても参考になる提案だと思われます。また、市民労働は、一方で、非常に具体的な政策モデルとして提案されながら、他方で、社会の基本的な仕組み自体をも変えていく可能性をもつものとして提案されており、その点においても興味深いと考えております。以下では、まずドイツ社会が直面する諸問題(市民労働と関連するものに限定してですが)について、次に市民労働の具体的内容について、さらに市民労働の導入によって問題の解決にどう寄与するとベックが考えているかについて見ていきます。

 

<INLINE NAME="文字枠.5" COPY=OFF>
 ベックは、ドイツで(もちろん、ドイツだけではありませんが)、目下、社会の大きな構造変化が生じつつあると見ています。さまざまな領域でさまざまな変化が生じているのですが、ここでは、市民労働に特に関連すると思われる事象に限定して紹介します。
 まず、職業社会の終焉という事態があげられます。ここでいう「職業社会」とは、職業労働に就いている状態が大半の者(正確には男性)にとって可能な社会、しかも社会的アイデンティティと生活保障の獲得、社会の評価と統合、完全な市民としての地位等が、職業労働に就くことによってのみもたらされる社会のことをさしています。1970年代までは、完全雇用の基本方針が存在し、正社員としての長期雇用、2%の失業という事態が通常でしたが、1980年ごろから労働の場における構造変化が起こり、その結果、失業率の上昇や正社員としての雇用機会の減少といった事態が生じ、失業が誰にでも生じうる出来事となりました。この意味において職業社会は終焉しつつあるのですが、それにもかかわらず、職業社会の時代に支配的であった価値観、すなわち、仕事に就いていないと自分の価値が認められないように感じる価値観‥‥続く

職場の民主化など3回の合同合宿 グリーンコープ労組との交流から

生活クラブ労働団体連絡会事務局長

槌田 博

生活クラブの中の労働団体     
 生活クラブ生協の主人公は、地域で生活を営んでいる生協組合員ですが、それだけで成り立っているものではありません。生活クラブが活動するためには、生協組合員の組織的な意志を方針化して実行する理事会と、それを実現する職員が必要です。
 職員の使命は、その職務を確実に遂行して、組合員活動を支えることです。しかし、その職員一人ひとりの人生と生活が安定しなければ、勤労意欲が減り、作業が停滞し、結果として方針に掲げた理想の実現が難しくなってしまいます。
 職員の生活を守り、労働条件を改善することなどを目的にして、生活クラブ生協の中にいくつもの労働団体があります。その組織形態は、労働組合や職員評議会、あるいは全国組織の支部など様々です。
 表1に、生活クラブ及び関連会社労働団体連絡会の加入団体を列記します。労働団体の連絡組織として結成してから、まもなく10年目を迎えます。各団体の情報交換や共同行動を目指して隔月に連絡会を定期開催しています。各団体の構成員を合わせると、生活クラブグループの職員のほぼ半数を組織しています。‥‥続く

<7.19 アソシエーション・フォーラム>

アソシエーションが主役の社会へ〜議論されたポイント〜

編集部

 7月19日、120名を越える参加で「フォーラム」は開催されました。アソシエーションに関わる、哲学、政治学から、地域の実践まで幅広い課題が報告議論されました。このフォーラムに関わる特集を、次号に掲載します。今回は「フォーラム」で報告そして議論されたことのポイントをまとめてみます。

<INLINE NAME="文字枠.5" COPY=OFF>
 アソシエーションassociationは、辞典によれば「結社体。共通の関心をもとに、一定の目的を果たすため人為的につくられた集団。学校・教会・会社・連盟・協会など。」と記載されています。記載されている具体例は、一見、どれもどこにでもありそうなものです。ちなみに、現在、グローバリゼーションが本格的に展開する中で、市民をさして「マルチチュード」「スマートモブス」(いづれも「群れ」を示す)などと呼ぶ学者もいます。こうした市民の動きに「名前」を付けようとする方向は世界的な傾向です。したがって、「アソシエーション」という名称もその文脈の中にあるといえます。私たちは、生活クラブとかネットという、自己の枠を越えた範囲を表わす際によく「市民」あるいは「生活者」という使い方をします。そこにもう一つ「アソシエーション」という使い方を加えたとき、どのような世界が見えてくるのでしょうか。
<INLINE NAME="文字枠.5" COPY=OFF>
 アメリカの政治学者、レスター・サラモンという学者は、この間の世界的な「非営利セクターの急成長」を「国民国家の興隆が19世紀末の重要な特徴であったのと同じほど重要な、20世紀末の特徴」と世界史的な視点から総括しています。確かに今日世界で起きているグローバリゼーションの流れや、戦争や政治的危機は、従来の「国家の枠組み」の「動揺」という事柄から無縁ではありません。一方、対人地雷条約に関わるNGOが、各国政府より高い調整能力を果たしたように、内容においても力を示し始めているのです。日本においても阪神・淡路大震災における市民の力として明らかです。「アソシエーション」が指すものは、21世紀の社会変革のキーワードです。‥‥続く

ワールドリポート

生物テロとSARS「知識条約」が今後の課題

メイワン・ホー

 世界はこのところ、テロ攻撃と「大量破壊兵器」で狂乱状態におちいっている。メイワン・ホー博士が先頃のSARS流行を検証し、今言われている生物テロ対策がなぜ見当違いであるのか、そして本当に必要なことは何かを論じる。
(2003年4月16日)

<INLINE NAME="グループ" COPY=OFF>
 サダム・フセインとどこかにあるはずの「大量破壊兵器」を探しまわる「連合軍」が、イラクで破壊と死をばらまいていた同じ時期、SARSは旅客機の乗客に運ばれ大陸を超えて広がっていた。標的に当って爆発したクラスター爆弾のように、数百万の感染性の粒子を撒き散らしていたのだ。
 SARS(重症急性呼吸器症候群)はヒトどうしの接触で広がるまったく新しい伝染病であり、感染者の4パーセントが死に至る。最初の発生地は中国南部の広東省。中国政府はこの新型伝染病に対する処置を誤ったこと、国民への通告が遅れたことを認めている。
 SARSが最初に発現したのは2002年11月。今年の3月、患者の治療にあたっていた64歳の医学部教授リウ・ジャンリンが結婚式に出席するため、広東省から香港へ出かけた。到着した直後に発病して入院した。本人は隔離病棟を希望したが無視され、病院側がこの患者との接触は危険だと警告することもなかった。その結果、彼が滞在していたホテルで9人の客が発病し、そこからさらにシンガポール、カナダ、ベトナムそして香港の他の病院へと広がった。
 SARS発生のニュースは2月10日、プロメド(伝染病の流行に関する国際eメール情報サービス)で流れた。中国はその翌日、世界保健機関(WHO)に通知したものの、WHO医療チームの広東省入りは4月初めまで認めなかった。4月8日の時点ですでに、19カ国で2,671人のSARS患者が確認され、内103人が死亡していた。
 世界中の保健当局がパニック状態に陥った。『ネイチャー』誌は論説で「母なる自然は究極のテロリスト」と論じ、『ニューサイエンティスト』の編集長は、「伝染をとめる手立ては何もない‥‥続く

<リレー連載>

多元的歴史観の諸相C

吉野ヶ里の攻防─古代史と考古学の接点

福永 晋三

 福永晋三氏は、前号で戦後実証史学が<神話>としてしりぞけた「天孫降臨」を福岡・遠賀川流域の「天神降臨」の歴史事実として、市民の側からのもう一つの歴史論を展開した。今回はその渡来型の天神族が古遠賀湾を制圧したあと、豊前の東岸部に勢力を伸ばし、さらに佐賀の荒神族との激戦を「吉野ヶ里遺跡」に比定している。

倭奴国領土拡張戦争その一
 天神降臨の成功によって、古遠賀湾西岸部を制圧した天神族は、次に古遠賀湾東岸部(豊前の国)の制圧に乗り出したようだ。その記録は記紀(古事記・日本書紀)に明らかにされていないが、天孫降臨の前段階の「国譲り」において、天神族の「<RUBY CHAR="建御雷","たけみかづち">の男の神」が出雲の主神の<RUBY CHAR="大国主","おおくにぬし">とその一族とを武力で倒した記事が詳しく残されている。その大国主に共同統治者のいたことが記されている。すると、共同統治者も征伐されたと見るのが順当であろう。
《ここに大國主の愁へて告りたまはく、「吾獨して、如何かもよくこの國をえ作らむ。いづれの神とともに、吾はよくこの國を相作らむ」とのりたまひき。この時に海を光らして依り來る神あり。その神の言りたまはく、「我が前をよく治めば、吾よくともどもに相作り成さむ。もし然あらずは、国成り難けむ」とのりたまひき。ここに大國主の神まをしたまはく、「然らば治めまつらむ状はいかに」とまをしたまひしかば答へてのりたまはく、「吾をば倭の青垣の東の山の上に齋きまつれ」とのりたまひき。こは御諸の山の上にます神なり。》
 「倭(やまと)の青垣の東の山」すなわち「<RUBY CHAR="御","みも"><RUBY CHAR="諸","ろ">の山」の上にます神である。この神こそ大国主の共同統治者である。それは「倭の三輪の神」すなわち大物主である。この神にまつわる説話が、神武天皇記に出て来る。
 《(神倭伊波礼毘古の命)然れども更に、大后とせむ美‥‥続く

雑記帖

細谷 正子

 「つくづく日本という国が嫌いになった」と80に近い彼女は珍しくはっきり“嫌い”と言った。「大人を大切にしない国だから。今にまともな大人がいなくなってしまう」それが理由だと言う。ナルホド。そう言われて思い出したことがある。数週間前の新聞に載った高村薫氏の言葉だ。…今の政治家の発言は普段着だ。そのような発言からは天下国家を語るまともな言葉は生まれてこない。思考能力が落ち感情論にしかならない。その背景として言葉の乱れに行き着く。政治だけでなく学校問題、家庭問題すべてに共通する問題。最近は書き言葉に親しまなくなった。書き言葉は複雑なことを表すことができる。話し言葉は複雑なことを伝えられない。書き言葉に親しまなくなったということは複雑な思考になじまなくなったということ。…
 この内容は私の気に入っていたサルトルの言葉を思い起こさせた。「自分の人生の証人になるために、書くという行為が重要な意味をもつ」(自分の人生の証人になるとは、なんと素敵な言い方)単純に経験しただけでは自分の経験を我が物にすることはできない。書くという活動を通して、言葉の力を借りて、経験をもう一度本質的なもの、実体にすることができる。この過程を通して、しかも自分に向けた嘘のない視線を通して自己が形成されていく。
 最近の人たちは、こどもも含めて、実体験が乏しいと指摘されている。その上に、書き言葉になじまなくなっている。これで、まっとうな大人なんて形成されていくのだろうか。



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