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『社会運動』 288号

2004年3月15日

目次

戦後農協運動の一つの極北 農協直販事業の新地平―その歴史と展望 今野 聰‥‥ 2
<群馬県八ッ場ダムを考える> 八ッ場ダムは、自治体財政だけでなく、地域の水源もこわす
  大河原雅子/藤永知子/中村春子‥‥11
イタリア社会協同組合B型視察報告

  ベルルスコーニ政権の「ビアージ改革」と社会協同組合B型の位置 柏井宏之‥‥19
  トリーノの社会協同組合エータベータとアベーレ労働組合 松浦恵理子‥‥22
<この一枚>(ごみ分別収集の沼津方式) ‥‥31
井手敏彦氏の死を悼む 沼津から市民の力で社会を変えた人 奥村吉明‥‥32
  沼津方式は今『容リ法』運動へ 赤堀ひろ子‥‥34
社会的経済促進プロジェクト 「ワーカーズ・コレクティブ法」の法制化運動の現段階 金忠紘子‥‥35
 「協同労働の協同組合法」の法制化運動の現段階 菅野正純‥‥40
食品安全<BSE> 米国は危険部位の廃棄を 倉形正則‥‥48
日韓協同組合員交流スタディツアー報告 20年続いた韓国信協との交流 坪井眞里‥‥53
  韓国の戸主制廃止運動 糀 陽子‥‥54
食糧の未来についてのマニフェストB 工業化された農業に対抗する実践例 ヴァンダナ・シヴァ‥‥58
NPO活動報告 盲人オセロ大会−年齢・性別・国籍を超えて 近藤和子‥‥63
<リレー連載>市民の歴史運動の諸相I 「お地蔵さん」の意味は何? 飯岡由紀雄‥‥65
『赤目四十八瀧心中未遂』、西原漫画&『蛇にピアス』 編集子K‥‥71
雑記帖 細谷正子‥‥72

戦後農協運動の一つの極北

農協直販事業の新地平―その歴史と展望

今野 聰

(財)協同組合経営研究所元研究員・市民セクター政策機構 監事

はじめに
 本稿は、実に思わぬきっかけで農協直販事業を全体的に総括、展望する機会になった。「社会的経済」促進プロジェクト・編『社会的経済の促進について』(同時代社、2003.9.15)の公刊が直接的契機である。この本に、第1回報告分「農業危機と地域再生―地方における[社会的経済]の必要性」が収録されている。報告者はJA農協中央会職員である桜井勇氏。彼は農村部の高齢化・人口減少から始まって、農産物加工品の輸入増大、耕作放棄地などを取り上げた。その上でJAグループ(農協系統組織、以下同じ)が取り組むべき課題として、高齢者福祉対策、学童農園、地産地消など経済事業活動の幅広い活動を紹介した。いわゆる「社会的経済」と括られる活動項目である。協同活動の本質をなすものだ。私はその時コメンテイターとして、農協事業が2000年代一層下落・深刻化する現状を少し触れた。農協問題の今日的混迷は、その時なお残された、論ずべきテーマとして残った。
 そこで2003年10月末、再度依頼して櫻井氏に「JAグループをとりまく情勢と第23回JA大会決議〜厳しい情勢にJAグループは対応できるか」を報告してもらった。彼は幅広い「JA経済事業」としても括られない、幅広いJA活動事例報告をして、農協の希望と展望を語った。その素材は後述するが、ブームの中心にいる農産物直売所を含めて、「社会的経済」という括りを一層豊かにした。同時にそれは、私がこの30年以上関わってきた農協直販事業に、多くの接点を持つものだった。改めて農協直販事業とは何か。私はそのことを語った。
 そもそも農協直販事業とは何か。「消費者により接近した農協経済事業」であり、伝統的な農協販売事業の中では、隅っこの極小範囲事業として形成されてきたものだ。例えば生協との   ‥‥続く

群馬県吾妻渓谷:八ッ場ダムを考える


八ッ場ダムは、自治体財政だけでなく地域の水源もこわす

 

<司会>

大河原 雅子

(東京・生活者ネットワーク)

中村 春子

(さくら市民ネットワーク)

藤永 知子

(生活者ネットワークさいたま市)

 巨大公共事業の一つである国土交通省の八ッ場(やんば)ダム事業は、地方の環境とエネルギーを大都市が収奪する仕組みを国が一元的に管理するものだが、その内実は不透明だ。しかも、この財政危機の中、関係自治体の負担額が増額され提案されている。問題は巨大な公共事業がもたらす破壊はダムの周辺地域にとどまらないことだ。そして、この問題は、一つの自治体では終わらない。地域の横の連携で、この問題をとり組むネットのメンバーに語ってもらった。(編集部

 

大河原 東京都議会では、八ッ場ダムの事業費の改定、4600億円について、東京の分は399億円から870億円となり、ほぼ倍増という改定です。これまでもなかなか地元の活動との連携が困難な状況ですが、その点を越える課題について議論できたらということでこの座談会を設定しました。まず、中村さんから、あらためて公共事業としての八ッ場ダム建設の問題点を説明してください。

 

中村 私の住んでいる佐倉市の水道水は現在、地下水65%と表流水35%なのですが、八ッ場ダムができると、これが逆転します。具体的に言うと、33本の井戸のうち、25本が暫定井ということで潰されます。市民にとっては安全でおいしくて安いという地下水が使えなくなるという、生活に一番身近な問題として迫ってきています。水道料金の値上げとしてもはね返ってきますし、市民としてほうっておけない問題です。
 今回の改定で、千葉県の負担は183億円から403億円と倍増ですし、利息を含めると約756億円にもなり、今でも赤字財政で予算を切りつめているのに、財政的にも大変な問題だと思います。(図1参照)

 

大河原 八ッ場ダム建設によって、水源が地下水から河川水に切り替えられてしまうという、旧来の考え方が見なおされないままで、その切り替え計画が八ッ場ダムの根拠にもなっているということですね。東京でも、もともと地下水から河川水への切り替え計画があり、10年ほど前の地下水保全の市民運動の高まりの中で、東京都は地下水を使いつづけると約束はしたものの、「非常用」という位置付けは変えていないのです。実際には、多摩地域では日量38万トンの地下水を水道用にくみ上げていますが、正規の保有水源としては数えられておらず、「水需要予測」が適正なのかどうかが問われるのです。
 それでは次に、各地域のネットでは、この八ッ場ダム問題をどのようにとらえているので   ‥‥続く

イタリア社会協同組合B型視察報告@

ベルルスコーニ政権の「ビアージ改革」と社会協同組合B型の位置

柏井 宏之

市民セクター政策機構専務理事

 共同連を中心に、昨年12月に、障害者の就労と福祉に関する社会協同組合B型に関するイタリア視察が実施された。ローマの文部省での「障害児教育政策」に関する質疑、下街でガラス工芸のマガジーノ協同組合、ミラノでの精神病院解体跡地でのオリンダ社会協同組合のレストランや木工工房など多岐にわたったが、ここでは、ローマでのベルルスコーニ政権が強行した「ビアージ法」のもつ意味、トリーノにおける視察ルポを報告する。(編集部)

 

 イタリアの社会協同組合B型についての社会的評価はつとに高い。
 社会的排除や排斥が強まる風潮の中、社会的包摂の理念に立ち、今まで個別分野別にしか対策がなされなかった障害者、薬物、アルコール依存者、受刑者、外国人移民、シングルマザーなどを、「社会的に不利な立場の人々」という概念で横断的につなぎ、就労の場を彼ら自身の潜在的能力を引き出すことを、正面にすえてその自立を促進してきた。90年代に入ってにわかに高まってきた、市民がつくる公共としての事業群、「社会的企業」と呼ばれる中でもそれは出色の存在である。
 しかし、果たしてそんなに順風満帆にうまくいくのか。イタリアは、そもそも西欧の中でもっとも早くに、国家財政の破綻、高失業率、東欧崩壊やボスニア紛争以降の移民労働者の激増にみまわれた国でもある。
 最近では2001年5月の総選挙で、5年間にわたって政権を担当した中道左派連合「オリーブの木」を、ベルルスコーニ率いるフォルツァ・イタリアが、ネオファシストの流れをくむ国民同盟や、移民排斥を主張する北部同盟と組んで勝利した。その新自由主義的政策との間で矛盾はないのか。その温度差はどのように社会的に調整されているのか、今回の視察や見聞の中でもそれは大事な視点と私は受けとめていた。
 この問いに応えていただいたのは、ローマ大学で経済学の教鞭をとるパオロ・ピアチャンティーニ教授との12月3日から4日にかけての2回にわたる懇談であり、また先に共同連20年で来日した、カーポダルコ共同体の社会協同組合連合体のリーダー、マウリーツィオ・マロッタCO.IN理事長との3日の夕食懇談会での対話であった。
 以下はその時の発言の要旨である。

 

労働市場の自由化が狙い 障害者雇用を第三セクターへ
◆パオロ・ピアチャンティーニ教授 (ローマ大学・経済学)

 ベルルスコーニ政権は労働市場の自由化を推進している。
イタリアでは'99年、障害者雇用の義務化を強める法制が通ったが、ベルルスコーニ政権は'03年3月「ビアージ改革」とよばれる労働市場の抜本的改革法を通した。その中味は派遣労働の自由化であり、障害者就労のような強制的な雇用は公的以外は排除しようとするものである。
 イタリアでは障害者の雇用は法令で保護され、企業は7%の障害者雇用を義務づけられてきた。企業は特別紹介制度によって、公示されたリストにしたがって上から選ばなければならなかった。企業は障害者を雇うと月当たり400ユーロ(1ユーロは1月28    ‥‥続く

イタリア社会協同組合B型視察報告A

トリーノの社会協同組合
エータベータとアベーレ労働組合

松浦 恵理子

東京・生活クラブ運動グループ福祉協議会

T.社会協同組合“Eta Beta”
 ミラノ中央駅から列車に乗って約2時間、西方へ穀倉地帯を抜けると、トリーノ中央駅に着きました。北側のフランス国境の山々はまっ白に雪化粧をしていて、さすがに次の冬季オリンピックの開催地でした。トリーノに着いてすぐ、駅近くのホテルに荷物を預け、向かったのはMola Antonellianaという塔です。ここはシネマ博物館になっていて、中央部のエレベーターに乗ると、ガラス張りのエレベーターが音もなく上昇をはじめ、宙吊り状態で足元のシネマ博物館が遠ざかっていくのが見えたときには悲鳴を上げそうになりましたが、展望台に着くと、そこからはトリーノの美しいバロックの街並みが一望のもとに見渡すことができました。
 トリーノの町はイタリア王国の最初の首都となった町であり、フィアットの工場を抱える第2の工業地帯と聞いていましたが、予想を裏切る美しい夕陽をあびた町並みに思わず見とれてしまいました。

あとで分かったことですが、この私たちが感嘆の声を上げた美しい町並みは宮殿を中心に広がるいわゆる高級住宅地であり、このあと私たちが訪問した社会協同組合はいずれも町の郊外部の労働者の住居区にありました。Eta Betaはトリーノ中央駅から北東の方向、町の東部を流れるポー川の近くにありました。
 道を尋ねたのがちょうど昼食に出ていたEta Betaの印刷工のおじさんで、そうでなければ私には分からないような殺風景な表札でしたが、建物の中はとても近代的で、ブルーとオレンジにペイントされた室内のコントラストがとても印象的で、外観とは全く対照的でした。通された部  ‥‥続く

井手敏彦氏の死を悼む

沼津から市民の力で社会を変えた人

奥村 吉明

生活クラブ親生会前会長

ついにゆく 道とはかねて ききしかど
きのふけふとは 思わざりしを

 井手さんの体力の衰えを、身近に感じて、今日あることを覚悟はしていましたが、その波乱に満ちた八十四年の生涯を、一気に駆け抜けて行ってしまいました。私の人生の師である、井手さんを語ることは、その懐の深さ、政治・経済・文化に対する哲学ともいうべき姿の前に、畏縮するばかりです。
 その八十四年の生涯を大きく分別すると、戦中、戦後の動乱の時代、沼津・三島コンビナート反対闘争(沼津市議員在籍時代)、沼津方式ゴミ分別化を全国に先駆けて取り組む時代、更に沼津市長退任後全国自然保護連合理事長時代、生活クラブ運動をはじめとする晩年、と大きく分けるかと思います。然しこれらは、連続性のものであり、そこで断絶するものではありません。終始一貫その思想の潮流は、反戦・平和に貫かれています。
 私が生まれた沼津市は、温暖な気候に恵まれ、御用邸があり、古くは若山牧水晩年の地であり、芹沢光治良、歌人明石海人、大岡信、太宰治が『斜陽』を執筆するなど古くから、文化運動が盛んな土地でありました。また労働運動も盛んで国労沼津支部が中心となって、日教組、全逓、藤倉電線など数多くの労組の青年が「ぬまづ青年友愛会」を結成していました。その雑居ビルには、井手さんが作った、映画友の会や、児童文学会、労農党の久保田豊代議士の部屋などがありました。当時盛んだった、うたごえ運動や、前進座公演、松川事件で有名な、作家広津和郎、野間宏等の講演を数多く「ぬまづ青年友愛会」が中心となって催しました。そんな時代、1955年頃、井手さんと私の交流が始まりました。
 その中で最も深く係わったのは、日中友好運動と、生活クラブ静岡設立の時からでした。その設立にあたって、私は生活クラブの方々に、懇請されて、当時全国自然保護連合理事長にあって、全国の自然保護運動、住民運動に、年間五十ケ所以上も行脚しておられたその時期に、井手さんを無理強いに、お願いすることがありました。既に彼のライフワークは出来上っているため、何度も拒否されましたが、とうとう根負けして、理事長を受けて下さいました。その時つぶやいた言葉は「狂ったよなあ」と云う言葉で、今も耳に焼きついて離れません。
 晩年のライフワーク、つまり自然保護運動と住民運動を全国的に展開することは、井手さんの大命題であり、それを一生協に託すことの落差を感じたのでしょうか。然し裏返して  ‥‥続く

「社会的経済」促進プロジェクトA

「ワーカーズ・コレクティブ法」の法制化運動の現段階

 

金忠 紘子

ワーカーズ・コレクティブ ネットワーク ジャパン
事務局

 これからの社会を考える場合、地域コミュニティに出資型の、簡便な準則主義の非営利の新しい協同組合法は不可欠だ。前号の浜辺報告につづいて、「ワーカーズ・コレクティブ法」と「協同労働の協同組合法」の法制化運動について当事者から報告してもらった。(編集部)

 

 ワーカーズ・コレクティブは、1982年に第1号が誕生してもう21年目になります。誕生した時に、事業を行う団体であれば法人格を取るのは当たり前なので取ろうとしたら、取るべき法人格がないということに気がつきました。そこからワーカーズ・コレクティブの法制化運動が始まりましたが、法制化運動も同じ運動をずっと続けてきたのではなく、紆余曲折があります。NPO法が制定される時は「市民活動を幅広く捉えたNPO法」の制定を目指していましたが、出資をする団体ははずされました。その後、協同組合としての法制化の運動をしてきましたが、衆議院法制局の壁に阻まれ、現時点では、ワーカーズ・コレクティブは法律の中では迷い子になっていて、闇の中にいる状況です。
 浜辺さんが「非営利協同法人」の提案(『社会運動』287号)をされて、初めて強力な味方が出来たと感じています。協同組合陣営もNPO陣営も、自分たちは法人格があるので、関係ないというか、親身になってはくれません。とても孤独なたたかいをしてきました。とくにNPO陣営はこの前まで一緒に運動をして、民法34条が日本の市民活動のネックになっていると認識をしていながら、またNPO法の付帯決議に「民法34条の公益法人制度を含め、営利を目的としない法人の制度については、今後、総合的に検討を加えるものとすること」とありながらも、NPO法制定後の運
 ‥‥続く

「社会的経済促進」促進プロジェクト報告B

「協同労働の協同組合法」の法制化運動の現段階

 

菅野 正純

日本労働者協同組合連合会理事長

1.非営利・協同をめぐる情勢の展開(現状認識/問題意識)
 私たちは、協同労働の協同組合法案を自分たちで作成して、法制化の運動に取り組んでまいりました。中央の政府の動きというのはなかなか鈍くてカベは厚かったのですが、ここに来て、非常に楽観的かと思われるかもしれませんけれども、働く人々・市民による仕事おこし、地域をつくるということそのものが、公共的な意味を持っているのではないかという認知が広がってきて、それを公共政策の中に取り入れていくという動きが地方・地域から始まって、中央レベルにも反映しつつあるというふうに受けとめています。
 私たちは、ワーカーズ・コレクティブの人たちとも協力しながら、各地でまちづくり・仕事おこしのシンポジウムをやっていますが、例えば、農村ワーカーズというのが全国に7700あるといいますから、驚くべき勢いで発展しています。
 実態的には私たち労働者協同組合や、ワーカーズ・コレクティブとも共通するものがあると思います。そういうものが半ば自然発生的に起こってきていて、その人たちが、今のグローバル資本主義の破綻的な状況、大量失業や不安定就労、コミュニティの荒廃の中で、シンポで報告した農村女性が「私たちも考えてみたらワーカーズですね」と言われて、そういう出会いの場でことの共通性というのを確認しながら、地域づくりに貢献できたと思っています。
 既存の企業や政府が、すでに破綻している「大量生産・大量消費・大量廃棄」やバブル的投機による営利第一主義と経済成長の発想を超えられず、人々の仕事と地域の暮ら
 ‥‥続く

食品安全<BSE>

米国は危険部位の廃棄を

倉形 正則

 米国BSE問題は、マスコミによって「牛丼」問題にすり替えられた。日本経団連の奥田会長が「日本人は単純な国民だと感じた」と、牛丼フィーバーを揶揄したそうだが、これだけ連日TVで煽られれば行列ぐらいできるだろうし、トヨタ製品の売上げも毎日の宣伝があってこそ成立していることを知らない経営者でもないだろう。問題なのは牛丼と原料である米国産牛の安さである。米国産牛のBSE発覚を巡って日米政府の水掛け論が続いている。米国政府は杜撰な生産状況を棚上げし、「全頭検査」は非科学的と居直っている。対する日本政府は、有効な反論を明示し得ていない。そしてこの状況を、「牛丼」キャンペーンのマスコミが支えている。

 

■すれ違うBSE安全対策論議
 昨年末のBSEが偶然発見されて、ようやく米国が「BSEに汚染されてない国」でないことが実証されました。
 より深刻なことは、発見されたBSE牛は、流通に廻されてしまったことです。BSE検査が済むまで流通させない処置もなければ、流通した肉を追跡する事もできないのが、ベネマン米国農務長官が安全を強調する米国食肉流通の実態です。米国政府は、汚染肉でも筋肉にはプリオンは存在しない、ということと、危険部位は除去されている、という2点をもって今回の
 ‥‥続く

日韓組合員交流スタディツアー報告@

20年つづいた韓国信協との交流

坪井 眞里
訪問団団長 生活クラブ東京理事

 恥ずかしいことに「創氏改名」という言葉と意味を、私は大学1年になるまで知りませんでした。「キンキクエ」という人と同じクラスになり、東北出身同士女子寮で暮らすようになり、仲良しになりました。彼女は、両親が強制連行で日本に来たことを話し「朝鮮人でありながら朝鮮語を話せないことの悔しさがあなたにはわからないでしょう」と言うのでした。
 彼女のお母さんがつくった「コチュジャン」を美味しいとほめると、日本人がこんなものを食べるのかと驚かれたと話しました。私たちはとても仲良しでしたが、どこかに朝鮮人と日本人と言う垣根があって、時々、今でも私を苦しくさせます。卒業後、彼女は「キムクッカン」と名乗り、外国へ行ってしまいました。彼女との出会いは朝鮮半島との出会いでもあり、しかし近くて遠い距離を、私は埋められないまま過ごしてきました。
 あれから30年、生活クラブに関わるなかで「日韓組合員スタディツアー」に参加する機会を得ました。夢中で活動を続けてきて、生活クラブ運動が面白くなってきたところです。協同組合の連帯を軸に、私なりの日韓交流を考えたいと思いました。一方で頭をからっぽにして、全身で韓国を感じたいとも思いました。今回の参加者は各単協から16人。それぞれが自分史を抱え、自分と歴史と向き合う旅になったのではないでしょうか。韓国では、どの人もあたたかく迎えてくれました。感情表現が豊かで、エネルギッシュ、人間としての魅力にあふれた人ばかりでした。この出会いの一つひとつが私たちの韓国への理解のはじまりとなります。‥‥続く

食糧の未来についてのマニフェストB

工業化された農業に対抗する実践例

食糧・農業の未来国際委員会
議長・ヴァンダナ・シヴァ)

 企業主導の食物と農業生産のシステムは、農業を自然収奪産業に、食物を健康にとって有害なものに変えてしまった。世界中どの大陸においても、このシステムがもたらす破滅的な結果に地域社会が気づき始めている。さまざまな動きが国境を越えて、同時にそして互いに連携して現われ、長い間培われてきた食物と農業と地域社会の価値観との結びつきを、また新たにつなぎ合わせている。つまりこういった動きは食物や食糧生産を、文化や自然の中であるべき場所に、はめ込みなおしているのである−これほど全てのものをばらばらにし、それが人類史上常軌を逸した行為として記憶されることになった挙句の果てに。
 ここでは紙幅の関係で、これらの動きがこの数十年の間に成し遂げてきた飛躍的な成功について、ほのめかす程度のことしかできない。こういった変化がおこることを前もってほとんど予測できなかったわけだから、農業の工業化は将来避けられないといまだに主張する人々は、いったん立ち止まって考え直すべきである。変化―しかもとても速い変化―は可能である。実際、進行中である。以下に状況が急激に変わってきているいくつかの領域を紹介する。

土地所有の民主化
 世界中の農村部の貧困層が土地を手にいれることが飢餓や貧困を終結させる鍵だといわれてきた一方で、農地改革は政治的に不可能であろうと考える人が少なくなかった。事実、ブラジルでもそうだった。そこでは、農地の半分が農村地帯の地主の2パーセント以下に所有され(しかもそのほとんどが遊休地だった)、小さな集会を持
‥‥続く

新宿ゲームフェスティバル

盲人オセロ大会 ― 年齢・性別・国籍を越えて

NPO盤友引力事務局長
近藤 和子

Mさんへ、
 梅が一輪咲きました。お元気でお過ごしですか?3月21日、新宿郵便局大会議室で開く「第4回本間杯争奪・全国盲人オセロ大会」案内を送ります。
 過労のため、突然体の自由と視力を失った貴女と出会ったのは、昨年9月、霞ヶ関灘尾ホールの「日本点字図書館」創立者本間一夫先生「お別れの会」でした。
 あの日、貴方は「盲人オセロ」を見に(?)私の新宿歌舞伎町の店へ立寄りました。
 オセロは1973年(昭和48年)オイルショックの年に発売されました。ルールが簡単ですぐ出来る、しかしなかなか奥行きも深い‥と、メーカーは店頭大会・全日本大会・世界大会を誕生させ息の長いヒット商品を生み出しました。
 「盲人オセロ」は日本点字図書館の職員が職場内でひろめ、皆も面白いゲームだと感心し、何とか盲人も遊べないかと、用具部の職員がこんな感じという物を手作りしてメーカーに持込み出来上り、現在は日本点字図書館の独占販売品となっています。

●盤友引力「本間杯・全国オセロ大会」によせて 本間一夫
 「目の不自由な者が強いられている深刻な悩みは、一人での外出が困難だということです。家にこもり勝ちになるのですが,室内で楽しめるゲームは従来、将棋とトランプの二つだけでした。それが昭和50年代に入って、ツクダオリジナル株式会社の和久井専務(のちに社長)の特別なご厚意と会社の採算を度外視した決断によって新たに「オセロ」が登場しました。いくら探ってもコマが動かないようにキチンと粋がつくられており、コマの白はスべスべ、黒はザラザラと指で判別出来ます。 後
‥‥続く

<リレー連載>

市民の歴史運動の諸相I

「お地蔵さん」の意味は何?身近な<歴史>の勧め

「古代史最前線」編集長 飯岡 由紀雄

他愛もない話
 もう二十五年位前になります。
 「週末に友達と旅行に行ってきたんだ。立ち寄った村で面白い物を見かけたんだが‥石を刻んだ小さな像で、子供を写したようなものなのだが、赤い前垂れを首から下げている、あれは何だ?」
 勤務時間も終わってのんびりと、アフターファイブの他愛も無い話から始まった会話のなかで、限定された在日時間を利用して毎週末せっせと旅行に励み、日本についての知識を深めて帰国しようとしているフランス人同僚の顔を眺めながら、彼に応えた。
 「ああ、それはね、「お地蔵」さんだよ」
「その名前は一緒に行った人から聞いたので分かった。お前に聞いているのは「何故あるのか?」ということなのだけれども。」
 「‥?」
 生まれてこの方二十数歳に至るまで、お地蔵さんが「何故?あるのか」なんて、考えたこともありませんでした。全日本人の対フランス外交の代表になってしまったような私は、それなりに彼に納得してもらえるような説明をしてあげなければ、という思いはつのるものの、肝心の知識はありません。
 知識として見聞している「水子供養」の話などが頭に浮かびますが、とても彼の向学心を満足させるには、程遠い気がしています。もう頭の中は真っ白です。
 黙っていると、彼の口から次の言葉が飛んできました。
 「お前、いつも日本人、日本人って言っているけど、日本のこと何にも知らないじゃないか。お前は日本人じゃないね。」と畳み掛けてきます。
 フランス人特有の言いたい放題、冷徹さと皮肉をたっぷり含んだ意地悪な言葉が、わたしの体を突き抜けて往きます。
‥‥続く

『赤目四十八瀧‥』サイバラ漫画&『蛇にピアス』

◆高度消費社会と無縁な人びと
 03年度映画の主演女優賞10冠をさらった寺島しのぶの『赤目四十八瀧心中未遂』をようやく観た。手がけたのは80年代、「映画の産地直送」で知られた荒戸源次郎。快作である。荒戸は作家・車谷長吉に、この作品で直木賞を受賞する半年も前に映画化を申し入れたなら、寺島しのぶも「主人公のあやちゃんをやりたい。私はただいま、あやちゃんと同じ25才です」と熱烈に書き送ったという。それほどの執念が5年を経て見事、実を結んだ。
 <高度消費>社会から捨ておかれた街。自動車も通らない迷路のような路地の奥、すすけたモルタルアパート。<競争社会>の中の居場所を失った男が<時>をすてるために、臓物を切り刻んで一串5円の労賃で串をさす。部屋にいて隣の室からまぐあいの声や悲鳴が伝わってくる。アパートの廊下・階段・共同便所ですれ違う、いわば半ば私的で、半ば公共空間の共存―。
 背中に迦陵頻迦の入れ墨のあるあやちゃんは、やくざの弟がドラム缶漬けの代償としていけにえを迫られる。「私は在日のイムヒョゥン、この世の外につれてって」と道行きを迫られた男は、およそ近代とは別天地の伊賀の赤目四十八瀧をさすらい、死を決意した瞬間、「うちもうええのん、あんた殺すことできへん」と女が生へリターン、そして別れとなる。
 正月明け、太宰治の「多摩川心中」を描いたテレビがあった。しっかりと手足を結びあった情死後、太宰は立派な霊柩車で迎えられたが、女性は河堤に放置されるむごいものであった。それにひきかえ、死を覚悟せざるを得ないのっぴきならない場所から生を意識しあって、しかも女性がリードする<道行>に今の時代性がある。「路地」にこだわった中上健次や『泥の河』の小粟康平にも通じる<敗者>の立場をおもいやる視線に癒される。
‥‥続く

雑記帖

細谷 正子

 語呂がいいのか頭から離れない言葉がある。『自分以外はみんなバカ』 作家吉岡忍氏が新聞で触れた言葉だ。‥‥(人々の声に耳を傾ければ、けなす、失敗をあげつらう、悪し様に言い募る)どれもこれもが『自分以外はみんなバカ』と言っている。自分だけがよく分かっていて、その他大勢は無知で愚かで、だから世の中うまくいかないのだ、と言わんばかりの態度、‥‥ 確かに気がつけば職場でも町中でも頻繁に出くわす態度だ。友は「そう言ってしまえば楽だからよ」と言う。そんなに偉いのなら、たった一人誰の助けも借りずに生きていけばいい。しかし今度は権利だ責任だと言い立てる。
 たぶん問題は不況ではなく、高度産業社会を経験した人々はこういう心性を抱え込むのだろう、と吉岡氏は言う。自分以外はバカなのだから、他者への同情も共感も無く、理解しようとしたり関心も生まれないとしたら、最悪だ。
 氏はこの心性は、日本が直面する不況、テロ、など様々な難問を、外側から見世物としてしか見ず、そこに内在する歴史や矛盾を切り捨て、自己の責任や葛藤を忘れ、威勢よく断じるだけの態度が露骨となる、と読み取っている。
 そんな態度が蔓延して、そうでない人たちが萎えてしまう前に、つなぎとめていかなくては。そんな態度はあらゆる非常事態に何の役にもたたない。人とつながりをつけるプロセスこそが必要なのだ。久し振りにつけたテレビはプロジェクトXだった。テヘランに取り残された日本人を、フセインの空爆から救出するトルコ航空機の話しは、まさに人とのつながりをつけて初めて成り立つ、自発主義の成せる技だった。まだ、遅くはない。

 

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 市民セクター政策機構   < civil@prics.net>


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