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『社会運動』 290号

2004年5月15日

目次

社会的経済促進プロジェクト―山下俊史日生協副会長に聞く 日生協のこれからの路線と制度改革 山下俊史‥‥ 2
インタビュウ―『昭和史の決定的瞬間』の問題提起 戦後史学の常識をくつがえす 坂野潤治‥‥23
この一枚〈The Dirty Dozen〉 ‥‥32
ドキュメント:イラク人質事件救出 イラク人を殺すな! 自衛隊は撤退を! 片柳悦正‥‥33
参院選の争点:まやかしの「三位一体」 財源カットで自治体予算組めず 葉上太郎‥‥37
韓国総選挙の結果と今後 盧武鉉の政策を乗り越える市民運動 丸山茂樹‥‥43
遺伝子組換え作物をめぐって 厳格な表示実施とモラトリアム解除 たかおまゆみ‥‥49
 グローバル・国・地域、それぞれの動きが活発に 清水亮子‥‥55
生活クラブ埼玉の共同連めぐり 地域に開かれた障害者の働く場
^t末吉美帆子/山村章/河本美智子/井瀧佐智子‥‥59
生活クラブ福祉事業交流会報告 地域の力でつくり出す市民事業と福祉政策 松浦恵理子‥‥67
<書評>武藤博巳著 『入札改革 談合社会を変える』 栗原利美‥‥72
市民の歴史運動の諸相(完) 歴史纂奪と『日本書記』 室伏志畔‥‥74
新選組と多摩の「民権」&盧大統領の「済州島事件」謝罪 編集子K‥‥79
雑記帖 大河原雅子‥‥80

<社会的経済促進プロジェクト

山下俊史日生協副会長に聞く

日生協のこれからの路線と制度改革

<聞く人>

小塚尚男、

今野 聰、

粕谷信次、

丸山茂樹
金忠紘子、

柴田武男、

宮崎 徹、

柏井宏之

◆日生協の現況と第9次中期計画
小塚 社会的経済促進プロジェクトは2年間の約束でした。今年3月で丸2年になりその締めくくりに、日本生協連の立場なり現況のお話をいただきたいと山下副会長にお願いしたところ、快く機会をつくっていただきました。

 

今野 私は山下副会長とは都民生協時代からで、おつき合いは長いんです。1つだけエピソードを言いますと、昭和55(1980)年、全農の卵は採点が52点から40点になってランキングがラストになり、即刻取引停止になりました。その首謀者が当時の山下部長でした(笑)。
 それ以来、コープとうきょうには全農のたまごは1個もはいっていません。ところで、浅田農産の、今回の卵騒動を見ていて、コープこうべはどうするんだろうと思っています。自分の店の6割の卵、鶏肉も入れて取引高18億円でしょう。日生協では農協以外の鶏取引先契約というのはいったいどうなっているのだろうと。山下さんのいわれる生協の生鮮物流改革、これを重ねて見ながら、どんな改革が打ち出されるか大変、注目しています。

 

小塚 それでは、事前に差し上げた質問書に即して伺っていきます。まず、日本生協連にとっても大きな軸になるであろう、第9次中期計画をめぐる情勢と計画の最重要テーマについて、お話をいただきたいと思います。

 

山下 私はこちらに伺うのは初めてで、こういう意見交換の機会をつくっていただいて、たいへんありがたく思っています。 『社会運動』287号の河野会長のインタビューで、日本生協連の第9次全国中期計画が案内されているようですから、もう済んでいるかもしれませんが、私なりにどんな問題意識を持っているかということを、改めてなぞってみたいと思います。 この十数年来、日本の生協運動は停滞しているのではないかと、有識者からあるいは社会的に見られ海外からも見られている。これは事実だろうと思います。
 その中身を振り返ってみますと、生協の高度成長などと言われたのは、1970年代からせいぜい80年代で、この時代は、団塊の世代の子育てニーズに応えて、「安全」「安心」をキーワードに組合員の加入が進んでいった。主として班の共同購入をシステム化し、仕組みとして支えが出来てきた時期だったと思います。
 店舗については、生活協同組合の重要な事業の一つだという選択をする生協もあれば、共同購入中心で行くんだという生協もあり、それぞれの立脚点に沿ってやってきた。また店舗の形もいろいろな形で育ちつつあった時代です。
 90年代に入り、主として店舗について、このままでいいのかという問題意識から、競合に耐‥‥続く

<特別インタビュウ>


戦後史学の常識をくつがえす
『昭和史の決定的瞬間』の問題提起


坂野 潤治

(東京大学名誉教授)

 

<聞き手>

宮崎 徹(本誌編集委員)

 坂野潤治さんの『昭和史の決定的瞬間―戦争は改革の途中で始まった』(ちくま新書)が話題を呼んでいる。戦前の暗黒のイメージでしかとれえられなかった時代、テロの2.26事件から、盧溝橋事件の日中戦争に突入する1936〜1937(昭和11〜12)年には、実は「民主主義」と「社会改革」の声が躍動していたという。それが「戦争」を契機に様変わりしていく状況が鋭くとらえられている。宮崎徹編集委員に、今日の状況との類似性や違いだけでなく、戦後史学の問題点、改革と平和との関係などについて改めて問いかけてもらった。(編集部)

 

民主主義の高揚と戦争が転機に反転
<宮崎>今年の2月に坂野先生が「ちくま新書」として刊行された『昭和史の決定的瞬間』は歴史認識として通説に異を唱えているという点で知的興味をそそるだけでなく、現在のこの国の状況への痛烈な警鐘となっていると思います。ふだん歴史の本をあまり読まない反省を込めますと、時代が閉塞し転換を迫られているとき、歴史を振り返ってそこからヒントや刺激を得ることは社会科学研究に携わっている人はもとより広く市民にとって大切で、有益であるということを改めて実感しました。
 本書は、民主主義とファシズム、戦争と平和を軸に昭和11、12年の政治状況を丹念に追っています。そこから坂野先生は、戦後史学を中心とした「常識」、つまり2.26事件以後の日本の全面的なファッショ化仮説に異を唱え、むしろこの時期には民主主義が昂揚していたという斬新な視点を提起されています。正確な事実は本書を読んで頂かねばなりませんが、少なくとも昭和12年7月の日中戦争開始――総力戦化していく直前までの時期には言論の自由や情報の流通はけっこう確保されていたし、反戦色を強めていた社会大衆党は選挙で躍進していたということです。戦後左翼史観がイメージ化してきたような満州事変以後は天皇制ファシズムや軍国主義が跋扈していて民主派は何もできなかったというのは事実に反するわけです。 −中略−
 前置きが長くなってしまいましたが、いくつか質問させてください。まず、私どもが安直に寄りかかっていたいわゆる15年戦争史観といいますか、雑駁な戦前イメージの誤りについて改めてご指摘ください。なぜ戦後にはそのような歴史観が常識として流布するようになったのでしょうか。政治的な背景があるでしょうし、歴史学固有の問題もあったように思います。政治的には戦前の運動の失敗に蓋をし、すべてを軍部と天皇制のせいにしてしまうのが簡単だったとも推測されますし、戦後民主主義の栄光を強くイメージ化するにはそのほうが好都合だったのかもしれません。栄光と悲惨、勧善懲悪というのは俗耳に入りやすいということもあったかもしれません。学問的には、科学がイデオロギーの影響を過度に受けたということなのでしょうか。歴史学は今では考えられないほど党派の政治戦略と結びついていたとも思われます。けっきょく、戦争は過去の悪夢として忘れたいという庶民レベルの心情と政治的な清算主義が結びついてステロタイプの15年戦争史観が流布したのでしょうか。

 

「決定的瞬間」と近代史学の問題
<坂野>最初にお断りしておきたいことは。45年の敗戦から60年安保の頃までの15年ぐらいは、天皇制と戦争に対する国民規模の反感が強かったのは、当然だったという点です。先に引用して下さった戸坂潤の言葉を借用すれば、「反ファシズムと反戦が当時の日本国民の常識」だったのです。
 しかし、歴史学を専門とする学者が何時までも「日本国民の政治常識」に頼って著書や論文を発表してきたのは、別の理由があります。‥‥続く

ドキュメント:イラク人質事件救出

イラク人を殺すな! 自衛隊は撤退を!

片柳 悦正

 4月8日にイラクで発生した人質事件は、3人(その後2人)の解放をもって一応の結着を見た。しかしその一方で、事件は私たちに難題を突きつけて行った。軍事力を持つことの賛否、政府は誰のためのものなのか、安全とは何かなのか‥そして生きるとはどういうことなのかと。今回の事件から一体何が見えたのであろうか。私は事件期間中インターネットでメールを流し続けた。その様子も交えながら8日間を振り返ってみたい。(4.15記

3人の人質が砂漠のオアシスのように見えた
 イラクで拘束された3人の若者が、「イラクの放射能汚染を何とかできないか‥、ストリートチルドレンの子どもたちが自立できるようにならないか‥」という願いからイラクの人々と協同して生活して行く道を模索していたということを、事件をきっかけにして初めて知った。1人は18歳だという。「日本の若者にこんな人がいたのか!」と驚いた方も多かったのではないだろうか。
 戦争遂行が堂々と語られ人命が軽んじられ始めた今日にあって、彼らは砂漠の中のオアシスのようにも見えた。日本では有事法制が整備され、平和憲法が蔑ろにされ、イラクのファルージャでは600人が虐殺され、何の関係もない子どもたちまでが殺害されている。そんな状況下でも、同じ人間としてイラクに心を寄せ続けた彼らの態度には頭が下がる。アメリカのパウエル国務長官ですら、「危険を知りながら良い目的のためにイラクに入る市民がいることを日本人は誇りに思うべきだ」と述べている。彼らの行動は各国では評価されている。
 ところがである。どうしたことか?平和憲法を持った日本だけが3人を叩いているのだ。「どうして??」世界の人々は理解に苦しんでいる。日本では9条を無視したような戦争法体系が整備されつつある。自衛隊を撤退させなければ人質が殺害されるかもという事態にもかかわらず、政府は有事法制を審議入りさせ、自衛隊員の交代派兵も行った。首相は人質の家族には一度も会おうともしなかった。カナダで首相が人質の家族に励ましの電話をかけたというのとは大違いである。平和で安全な日本はどこへ行ってしまったのだろうか?‥‥続く

参院選の争点:

まやかしの「三位一体」財源カットで自治体予算組めず崩壊する自治の現場とナショナルミニマムへの切り込み

葉上 太郎

(地方自治ジャーナリスト)

 「予算が組めない!」。地方自治体が悲鳴をあげている。国が2004年度予算から地方財源の大幅カットを開始し、自治体が大混乱に陥ったのだ。来年はさらに削減が強化される見込みで、財政力の弱い自治体では、自治そのものを放棄する動きさえある。国政の失敗を地方につけ回すことで、国の形が足元から崩れていく。こんなことでいいのか。

「闇討ちとか、辻斬りとかみたいだ」(片山善博・鳥取県知事)
「一方的に十分な議論もせずに決めて通知し、そのまま実行するということは極めて遺憾。本来許されないことと思う。小泉内閣は地方経済を無茶苦茶に潰すつもりなのか」(藤田雄山・広島県知事)
 怒りに満ちた言葉が知事たちから漏れる。
 04年度予算の編成は、首長から一斉に国への批判が吹き出す事態となった。
 それは、国の財源と権限を地方に移す「三位一体の改革」と言いながら、国が財源を一方的にカットしただけで終ったため、自治体によっては予算が組めなくなってしまったからだ。「乾いた雑巾を絞るようなもの」。そんな声すら聞こえる。
 三位一体の改革とは、国庫補助負担金▽国と地方の税源配分▽地方交付税――という三つの地方財源を一体として改革しようとするものだ。それぞれ国が差配権限を持ち、自治を統制する手段としてきたため、地方へ移すことが分権を進めるための必須条件とされた。ちょっと遠回りになるが、仕組みを説明しておきたい。


◆税収の2倍の支出で巨額赤字に
 税には国税と地方税がある。その割合は3対2だ。収入がその割合なら、国と地方の支出は3対2となるはずだが、なぜか歳出段階では2対3に逆転する。それは国税として集められたものが地方へ移され、実質の仕事を行っているのは自治体となっているからだ。こうして国税が地方へ移される手段が、補助金や地方交付税である。
 補助金は国が何らかの政策実現のため、自治体の行おうとする一定の事業に資金を補助する制度だ。交付税は、国税のうち一定の割合をプールし、財源の足りない自治体に配分する制度である。今の税制度では税源が都市に集中しているため、これを補正し、国民なら日本どこでも最低限のサービスが受けられるよう保障する仕組みでもある。‥続く

韓国総選挙の結果と今後

盧武鉉の政策を乗り越える市民運動

丸山 茂樹

韓国農漁村社会研究所理事

1.ウリ党の勝利は圧勝か?それとも接戦か?
 選挙の結果は周知のことですが(表1)に示した。選挙の開始前のころ、新聞やテレビなどマスコミの世論調査結果は、いづれも政党支持率でウリ党が約45%、ハンナラ党が約25%程度でウリ党の地滑り的な圧勝を予測していました。
 ところが開票の結果は、得票差は僅か2.4%でした。ウリ党は選挙前、47議席に過ぎなかったから、152議席の獲得は3倍以上、全議席の過半数であって大躍進であることは間違いありません。しかし、大統領の弾劾に反対する声が75%を超えていたことを考えると、38.2%:35.8%という結果は、選挙の過程でかなり大きな変化があってハンナラ党が巻き返したことは明らかです。
 経過を追いますと、大統領弾劾反対の圧倒的な市民運動の盛り上がりの中で、急激に支持を失ったハンナラ党は周章狼狽の末に、新しいリーダーに朴正熙元大統領の長女の朴槿恵を選びます。彼女はウリ党議長の「年長者蔑視」の失言にも助けられ、先ず光州を訪問して民主化運動の犠牲者を慰霊し、「過去と決別してゼロから出発する!」と宣言。「平壌へ飛んで金正日と会って関係を改善する」と公約し、「巨大与党の出現はチェック機能のない危険な政治を招く」と警告しつつ「民生安定、地域経済優先」を説いて巧みに地域感情に火をつけました。
 こうして「弾劾は是か非か」という論争の焦点をそらして、保守層と慶尚道の民心を再結集する事に成功したのです。
 ウリ党は危機感に駆られ、鄭東泳議長が議員候補を辞退、中枢メンバーが“運動の純粋性”を守るため「分党を視野に」離党声明を出すなど早くも混乱と分解の兆しを見せました。


2.接戦を制した首都圏のヘゲモニー闘争
 ところで、ともかくも接戦を制する事が出来たのは、ひとえにソウル特別市とその周囲の京畿道及び仁川広域市、即ち首都圏におけるヘゲモニー闘争でした。なぜなら後にも述べますが首都圏以外では、従来の<韓国政治の構図>である東はハンナラ党の地域主義、西はアンチ・ハンナラ党の地域主義という構図が形を変えつつも維持されたからです。
 何しろ総議席299の内、首都圏は109議席を占めております。しかも地方から移り住んだ人々や学生など若い世代も多いが、大企業の本社や官庁も多くて、リベラルな要素もある反面、現在の地位や権力を維持したいという豊かな中産階層も多くて、ここで激しいヘゲモニー闘争が行われたのです。ここでウリ党はハンナラ党に実に76:33という勝利をおさめました。詳しく見るとその差1000票以内という激戦区がたくさんあってどんな闘いが演じられたか、興味尽きないのですが別の機会に譲ります。しかし指摘しておきたいのは、選挙の前に日本では俄かに信じられない程の大規模な大衆の運動が多種多様に展開されたという事です。
 大統領弾劾に反対する大小無数のデモや集会、都心では少ない日でも3000人規模、週末になると13万人以上の大地を揺るがす大規模な決起。中央選挙管理委員会が“違法集会”と呼び、警察当局が“断固取締り”を声明し‥‥続く

EUの遺伝子組み換え作物規制

完了に近づく法的枠組み作り

ドイツ語翻訳者

たかお まゆみ

●モラトリアム解除と表示実施
 EUの食品安全行政は、「80年代まで判例法に基づいていたが、93年の市場統合と食品流通の自由化により法律を体系化する必要に迫られ」(※1)ていたという事情が一方に存在していた。そこに登場したのが遺伝子組み換え体(GMO)問題だ。農業分野でのGMOは繊細な問題だが、EU権益と巨額の企業益とがかかった先端技術問題であることから、EUの経済発展のためには、早急に安全基準・規制基準を制定して前進しなければならないというEU行政部の意向が、GM関連法の制度化に大きくはたらいた。しかし、EU市民のGMに対する拒否感は非常に強かった。GM論議と同時に発生していたBSEと、引き続いた口蹄疫広域発生スキャンダルが相乗効果を及ぼし、安全な食品を選択できる市民の権利に相応の配慮を払いながら、法制化が進められてきたといえる。
 対米関係も重要だ。イラク戦争開戦前、仏独の協力を取り付けたかった米国は、EUのGMO新規承認モラトリアムに対して「WTO提訴」という脅しをかけながらも実行できないでいたが、03年5月23日ついに提訴に踏み切った。提訴理由は、確たる科学的根拠がない貿易規制を禁じる「WTO衛生植物検疫(SPS)協定」違反だ(※2)。EUばかりではなく、EU既承認の一部GMOの禁止を続ける仏・オーストリアなども個別に提訴された。しかし、EUはつい先ごろモラトリアムを解除を実質的に決定したし、大企業利益も擁護するEU政府自身が、GMの法的整備を怠っている国を欧州裁判所に訴えているくらいだから、米国によって提訴された点が事実であるかどうか不明に思える。この件でのWTOでの初回協議は不調に終わった様子だ。「紛争処理に関する小委員会」が結成され、そこでの論議に移った。いったいどういう裁定がなされるだろうか?提訴事実を認めて裁定が行なわれるとすれば、両者はともにWTO加盟国であるが、カルタへナ条約をEUは批准し、米は批准していないという国際法上のアンバランスに何らかの判断があるか注目したい。
 いずれにしろEU市民は、米国とWTOがどの様な処置を講じようと
‥‥続く

日本の遺伝子組み換え作物規制

グローバル・国・地域、それぞれの動きが活発に

市民セクター政策機構

清水亮子

 遺伝子組み換え作物に反対する運動の成果として、北海道や岩手県で栽培規制の条例制定に向けた動きが進む中、政府は、農林水産省が管轄する「独立行政法人」で遺伝子組み換え作物の野外実験を実施する際の栽培指針を2月末にまとめた。遺伝子組み換え作物がまわりの作物に与える影響が懸念される中、国と地域レベルの政策のせめぎ合いが始まっている。

 

試験栽培を進めるために国が指針を策定
 2月23日、「第1種使用規定承認組換え作物栽培実験指針」の第三回検討会が開かれ、農水省が管轄する研究施設である「独立行政法人」による遺伝子組み換え作物の野外実験のための指針が採択された。「第1種使用規定承認組換え作物栽培実験」という耳慣れない言葉は、後述する「カルタヘナ法」の用語だが、簡単に言うと屋外での実験栽培のことだ。 2003年11月26日に第1回目の検討会を持ったこの会合は、2回の検討会とパブリックコメントの手続きを経て、農水省にしてみれば、遺伝子組み換え作物の野外実験を行うための栽培指針の採択に、はれて年度内にこぎ着けたことになる。
 他方、地域レベルでは、実験栽培を含む遺伝子組み換え作物の作付けに反対し、栽培規制の条例を求めるがここ数年、あちこちで見られた。昨年だけでも、茨城での大豆の鍬込み、滋賀県での栽培禁止条例を求める運動、岩手県、北海道での栽培ガイドラインへの動きなど、道県レベルの動きが活発である。国の栽培実験指針は明らかに、このような動きを牽制することを意図している。
 指針では、遺伝子組み換え作物の環境への影響を防止する措置を定めているが、果たしてここで定められた措置によって、交雑などの環境影響は本当に防げるのだろうか。


国の指針で交雑は防げるか
 遺伝子組み換え作物の実験は、まず実験室内での実験、それから温室などのいわゆる
‥‥続く

生活クラブ埼玉の共同連事業所めぐり

地域に開かれた障害者の働く多彩な場

―パンの店、団子屋、喫茶・雑貨、リサイクル、印刷所―

生活クラブ生協・埼玉理事長 末吉 美帆子

 

山村 章

 

市民セクター政策機構 河本美智子

 

W.N.J代表
井瀧 佐智子

 国が定めた企業に障害者の雇用を義務化する法律によると、法定雇用率は56人以上は1.8%だが、現状は1.4%という。障害者の働く場を確保するには、どうすればよいのだろう。3月11日から13日、早春の滋賀県の湖南地方は一部にまだ雪が残る寒さだった。生活クラブ埼玉は「地域での障害者がいきいきとくらすために」というテーマで、関西を中心に障害者と健常者がともに働く場をもうけ、そこで生活できるというしくみをどのようにつくっていったのかをみてみたいという思いで、NPO法人共同連とその事業所を見学し、交流をしてきました。

 

重度障害の子どもの自立を支えるためにはじまったぱん食の店「こさり」
 生活クラブ埼玉はエッコロ制度の中で地域団体育成支援のエッコロ助成制度をつくっている。(02年、03年約500万円を10団体に助成)今年3月に公開審査会を行った。応募団体は32。最後に近づいたプレゼンである団体の代表が「ボクは今怒っています。今まで聞いてきて、障害者や弱者の支援は行政がきちんと整備すべき分野で、なぜ市民がこんな苦労しながらやらざるを得ない現状なのか。改めて腹が立つ」と発言した。5分の待ち時間を削ってまで発した怒りは共感できる。しかし気付いてしまった人はやるしかないのだ。行政や社会の仕組みに異議を申し立てをし、変革していくこと。もう一つは具体的な実践によってあるべきモデルの形を提示していくことだ。
 今回共同連作業所を視察させて頂く機会を得たが、ガンバカンパニーの代表中崎ひとみさんと共鳴した点がある。「障害のある息子のために事業をおこしたのではありません。」当事者のやむにやまれぬ必要性から具体的な実践が生まれ、思ってもいないパワーが生まれる。しかし必要性が充足されてしまうと発展をつづけるのが難しくなってくる。授産施設が「家でぶらぶらされていても困る。ともかく通う場所ができてよかった」となってしまうのはしかたないことなのだろうか
‥‥続く

生活クラブグループ福祉事業交流会

地域の力でつくり出す市民事業と福祉政策

焦点は介護保険の問題点や高齢者住宅

実行委員長 松浦 恵理子

 生活クラブの運動グループでの福祉活動は15年に及びます。利用者の立場にたって地域に必要な機能づくりをすすめ、「利用者の状況の変化」に応じて必要な機能を工夫して作り出してきました。介護が必要となった方にとって残された時間があまり長くないということを、ケアに携わるメンバーは経験の中から実感しています。だからこそ、持てる力を出し合って、必要なしくみ作りをすすめてきたと言えるでしょう。これから、団塊の世代が65歳を迎える数年後には、特に都市部では急速に高齢化がすすんでいきます。2005年度の介護保険制度改正に向けた検証とあわせて、生活クラブ運動グループが協同組合としての枠を超えて、今の制度に足りないしくみを地域の中にどのように作り出していけるのか、改めて考える機会として3月28日、青山にある東京ウィメンズプラザホールでシンポジウムを開催しました。

 まず、北海道から報告くださったのは、生活クラブ生活協同組合月寒デイサービスセンター「デイこたけ」施設長の菊地純江さん。地域の人との出会いの中から土地・建物の提供を受け、生活クラブ北海道としては初めての福祉事業として、2001年にデイサービスセンターを開設しました。
 山形県からは米沢生活協同組合グループホーム助け合いの会代表幹事の今野敏子さん。助け合い活動の中からボランティアをつのって「たくろう所」を運営して10年、ニーズに応じて宿泊を受け入れたりすることから、新たな挑戦として2004年2月にグループホーム「結いのき」を開所しました。
 千葉県からは生活クラブ・ボランティア活動情報センター設立準備会座長の佐々部憲子さん。特別養護老人ホーム「風の村」の運営を担う「社会福祉法人たすけあい倶楽部」が生協のたすけあいネットワーク事業を統合して福祉事業の一元化を図ることを受け、その支援団体としての「たすけあい倶楽部を支える会」を改組して、「生活クラブ・ボランティア活動情報センター」(Volunteer Activities Information Center)通称VAICを立ち上げました。地域のボランティアのコーディネートを図りながら、これからの福祉活動におけるボランティアのあり方、果たす役割を改めて考えていくそうです。
 埼玉県からの報告は生活クラブ埼玉の福祉担当理事・連合共済事業委員長の金内志保美さん。生活クラブ生協のセンターを活用した3箇所での「デイホームわ〜くわっく」での事業を行う中で、2004年2月に新規事業として訪問介護と居宅支援の事業を立ち上げました。
‥‥続く

<書評>武藤博巳著
『入札改革 談合社会を変える』(岩波書店、2003年)

―真の「構造改革」の主題は何か―

 

栗原 利美

法政大学大学院政治学専攻博士後期課程

 本書は、入札談合事件の悪循環を断ち切るために、入札制度そのものを根本的に見直すという視点から入札改革を論じた意欲作である。
 構成は、「序章 入札談合はなくなっていない」、「第1章 入札談合を生む土壌」、「第2章公共サービスの外部化・民間委託化―入札改革の背景―」、「第3章 総合評価入札への転換を―金額基準から社会的価値基準へ―」、「第4章談合社会を変える」からなっている。
談合の温床としての入札
 次に、それぞれの具体的な内容について紹介したい。
 第1章では、まず入札の定義について解説し、指名競争入札が談合の温床になっているとし、談合を支えるのは、政・官・業のいわゆる「鉄のトライアングル」であるという現実を明快に指摘し、談合防止の取り組みについて、いろいろな事例をあげ、次のように概観する。◎規制の強化―入札契約適正化法、官製談合防止法の制定。◎参加者を増やす―一般競争入札の対象金額の引き下げ、条件付き一般競争入札や公募型指名競争入札の導入。◎指名業者特定への対策―現場説明会の廃止、郵送による入札、電子入札などで業者が一堂に会する機会をなくし、談合相手の特定を防ぐ。◎入札関連情報の取り扱い―@入札関連情報を広く公開することで、市民社会の監視を強めようというものと、A談合に活用されそうな情報の漏洩を防ぐという互いに矛盾する二つの動きがある。以上見てきた中にも、談合防止策の強化が談合のさらなる巧妙化を招いている実態もあるので、「いたちごっこ」の循環の外側から、入札制度全体を見直す視点も必要不可欠との問題提起を行っている。
‥‥続く

《多元的歴史観の諸相》(完)

歴史纂奪と『日本書紀』

市民が東アジアに開いた多元的な史観

越境の会 室伏 志畔

 古代史をめぐる連載シリーズをひとまず終えることにする。70年代以降、市民の歴史研究運動として始った活動は、戦前の皇国史観を脱けるため、戦後の記紀の「神代」を切断した津田左右吉らの「実証史学」に対して、そこにかえって戦後の一国的に閉ざされた日本人の歴史アイデンティティの問題があるとして、いろいろな切り口から語っていただいた。そうした個別的な論考がハーモニーしあって明らかにしつつある市民の歴史運動の現状を<鳥の目>でまとめてもらった。

 かつて本誌に連載された「市民の多元的歴史運動の流れ」は、70年代に始まった日本国に先在する倭国を説く九州王朝説を踏まえ、日本古代史を大和枠の中に囲おうとする学界を溢れた市民による歴史研究運動が、現在は大和枠はおろか一国枠を越え、学界外で東アジア民族移動史の一齣に位置づけるところまで進展しつつあることを、リアルタイムで展開し、市民運動に繋ぐものであった。この主張は『日本古代史の南船北馬』(同時代社)としてまとめられた。
《市民の拓いた新たな歴史像》
 それを踏まえ、新たにリレー連載されることとなった本誌の《多元的歴史観の諸相》は、九州王朝説の原点から藤田友治が「君が代」について論じたように、その歌詞が90年代初頭に博多湾岸から発見を見た、地名(千代)、神社名(さざれ石)、神名(苔牟須女媛)に因むなら、その君は大和の天皇ではなく、博多湾岸の君に関係するとする市民の研究運動の成果を踏まえて、それを賀歌とすることなく挽歌に反転させた。そして今、彼は中国や朝鮮との東アジアの共同の歴史研究を実現させつつある
‥‥続く

《状況風景論》

新選組と多摩の「民権」&盧大統領の「済州島事件」謝罪
◆いたるところ「新選組!」
 東京はいたるところ新選組であふれている。日野市や調布市だけでなく多摩全体で様々な企画が年明け以降めじろおしだ。日の丸をバックに近藤勇、土方歳三のポスターや「誠」の旗はすっかりおなじみだ。
 だがちょっと待てである。少し前までは「民権の多摩」として語られてきたのではなかったか。明治維新が、薩長の藩閥政府であったことに反発、1870年代後半、多摩地域で数多くの結社がおこり、参政権や憲法制定を求める自由民権運動が拡がった。その意味で多摩は結社=市民のアソシエーションが輩出した先駆的地域なのだ。ここから「日本国民ハ各自ノ権利自由ヲ達スベシ」を謳った五日市民衆憲法草案を生んだ開明的なところなのだ。‥‥続く

雑記帖

 イラクで武装集団に誘拐された5人の日本人が無事解放された。解放の喜びも束の間、人質となった人たちに対して「自己責任論」が噴出している。この間、当事者はもとより、連日マスコミ報道に晒されてきた人質の家族への誹謗中傷は激しく、インターネットの掲示板には匿名性に胡坐を書いた悪意にみちた言葉が溢れ、少なからずたじろいだ。小泉首相の自覚論を筆頭に、政府・与党をはじめ、国民の中からも自己責任を問う声が強まっていることに、新たな不安を感じる。危険な地域の取材はフリーランス記者に頼っていながら、自己責任論の共犯者ともなっている日本のマスコミの横暴さと浅薄さに絶望的な思いを持ったのは私だけだろうか?
 人質事件は、政府のアメリカ追随の自衛隊派兵を背景に起っていることは、否定しがたい事実。是が非でも自衛隊をイラクに送りたかった小泉内閣は、ことさらイラク情勢は安全と宣伝してきたのではなかったか。
 しかし、実際の治安悪化は予想以上であり、アメリカの占領下に迷彩服と小型とはいえ武器持参で送込まれた自衛隊は、どこから見てもアメリカに協力するれっきとした軍隊だ。自衛隊に対する認識は、犯行グループの声明文のみならず、人質解放に尽力したイラク宗教者委員会の日本政府批判からも明白だ。イラク国内はほぼ戦争状態であり、イラクを愛し、復興を支援するNGOは歓迎しても、自衛隊は招かれざる客。撤退を求める声は高い。スペインでは公約に従ってサパテロ新首相が部隊撤退の指示を出し、イタリアでは首相の方針に反して世論の7割が撤退を求めている。
 「命こそ宝(ヌチドゥ・タカラ)」は世界共通。自衛隊の撤収と国連主導の主権移譲を求めて止まない。【大河原雅子4・18記】



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