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『社会運動』 291号

2004年6月15日

目次

インタビュー『戦後政党の発想と文脈』から 市民活動と市民型政党の可能性 松下圭一/和田安希代‥‥ 2
第16回社会経済セミナー報告 企業の社会的責任(CSR)とは何か 後藤敏彦‥‥12
この一枚<憂慮する科学者連盟>‥‥ 23
最新遺伝子組み換え作物事情 市民力で相次ぐGM作物屋外実験中止へ<日本> 倉形正則‥‥24
 モンサント社をめぐって大きな動き  <北米> 清水亮子‥‥27
 新遺伝子組み換え法の表示始まる  <ドイツ> たかおまゆみ‥‥30
現代アソシエーション研究 ポール・ハースト『アソシエーショナリズムは可能か』(上)南島和久‥‥38
シリーズ・監視社会C 認証の政治力学−バイオメトリクスの現在 粥川準二‥‥48
<食>の焦点 おにぎりと日本農業 今野 聰‥‥53
アソシエーション・ミニフォーラム

 食の安全のためにわたしたちの求めるもの ―食品安全条例(さいたま)藤本敦子‥‥55
 アソシエーションってなんなのさ(沼津) 小出清子‥‥56
心に障害を持った人が自律して回復するために必要な社会支援とは

 慢性的児童虐待後を生きる当事者としての私 小田玲子‥‥59
生活クラブ40年、<活動労働>から<市民労働>へ 柏井宏之‥‥63
雑記帖 宮崎 徹‥‥64

<特別インタビュー>

市民活動と市民型政党の可能性
『戦後政党の発想と文脈』から

松下 圭一
(法政大学名誉教授)


<聞き手>

生活クラブ生活協同組合・東京
理事長 和田 安希代

 「政局」は動いた。しかし、政治の「未来」が見えない。しかも「役所」の「劣化」は、年金問題でいよいよ明らかになった。主体をも含めた課題の多さは、確かに重苦しい。しかし、時として良質な歴史の論理に出会うとき、こうした重さが<浮力>に転じることがある。松下圭一さんは、戦後史の中で、その理論によって「自治体が発見された」と評されている。しかし、今も「地域」が軽んじられる中、「国家論」の「抽象」が横行する。再び歴史的な「発見」の意味を考えることから、市民政治の離陸を考えたい。(編集部)

<和田>私は生活クラブに関わってきたのは、80年代の産直運動が盛んな時代でした。60〜70年代の学生運動からの流れが産直運動に転換してきた時期でもあります。それ以前の生活クラブの初期の頃などの話はたまに、断片的に聞くだけでした。先ごろ、先生が刊行された『戦後政党の発想と文脈』(東京大学出版会)の時代的背景と重なります。本誌『社会運動』286号で道場さんの「初期生活クラブと「地域」の発見」という論文を読むと、松下先生と、生活クラブ創設の段階からの関わりが分かってきました。「地域民主主義」というキーワードを含めて、先生は当時、時代状況をどのようにお考えになっていたのでしょうか。

<松下>私の知る範囲では、生活クラブの発足と私は直接の関係はありません。時代の問題意識を共有していたということでしょう。このため、私は市民活動としての生活クラブにはいつも親近感をもっていました。生活クラブは、1965年に始まりますが、その60年代は、日本が農村型社会から都市型社会に移りはじめるころでした。都市型社会が成熟するのが、ちょうど80年代で、生活クラブが急激に伸びるころです。
 生活クラブの出発は抽象的な観念からでなく「十円牛乳」(註)というような具体的な「必要」からでした。しかも、そのころ日本では地域の理論、市民活動の理論、それから自治体の理論がなかったのです。知識人達は保守・革新を問わず当時は「天下国家論」だった。だから生活クラブは、本当に手探りだったと思う。手探りだったから、今日の生活クラブがあり、かえってよかった。手探りでしたが、生活クラブの問題の立て方は、非常に先駆的でした。そのうえ、今日、協同組合としての「生活クラブ」、社会・文化活動としての「ワーカーズコレクティブ」、さらに議員を選出し自治体政治を動かす「生活者ネット」の三層をつくった。当時は、誰も予想していなかったでしょう。
 当時は理論的には「保守対革新」対立時代で、その運動をみると保守は後援会と圧力団体、革新は「労働組合」が中心だった。しかも、この労働組合は、大企業と公務員の組合が中心で、零細業では今日もそうですが組合がなかった。労働組合は労働者の上層三分の一しか組織していないし、企業組合という閉鎖性を持っていた。60年安保を英雄視する方もいますが、このとき労働組合は企業単位の「動員」で、地域を素通りしていたのです。これでは、日本の「戦後民主主義」は底抜けではないかという反省から、私は1960年に「地域民主主義」そして「自治体改革」という言葉を作り、その理論化をめざします。つまり、労働組合中心の考え方を地域での生活中心に変える、というのが私の模索の始まりだったのです。そのような時代ですから、生活クラブも「十円牛乳」を今日の活動水準までもつくってきたというのは、大変な構想力だったと思います。生活クラブは、日本の戦後の運動の中でも、画期的な運動として、高く評価される必要があると考えます。  ‥‥続く

第16回社会経済セミナー報告@

企業の社会的責任(CSR)とは何か

後藤 敏彦(環境監査研究会幹事)

T.はじめに
 企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)という言葉は、昨年春ころから頭文字のCSRが新聞等に載らない日はないと言っていいくらい、ブームに近い扱いになっています。欧州でも、環境ならびに企業のことで世界的に著名なJ・エルキントンという人が、『CSRはブームか』という冊子を出しているように、CSRが盛んに言われています。
 アメリカではこの言葉はちょっと嫌われています。しかし、全く使われていないわけではなく、CSRの企業ランキング等が発表されていますし、コーポレート・ガバナンスという言葉で、同じような問題を扱っています。コーポレート・ガバナンスは、日本では企業の管理の仕組みとか統治構造のような意味に限定して使いますが、アメリカではもっと広い意味で使われています。
 ここには、企業の方もいらっしゃるようですが、基本的に生協の方々が多い。といっても、生協が企業か企業でないかという議論をするつもりではなくて、後でCSRの規格化の話をしますが、実は、いま世界では、CSRよりも、すべての組織の社会的責任という意味で、SRもしくはOSR(Organizational Social Responsibility)が話題になっています。その規格化をしようという話ですので、他人の話ではないということを、最初に申しあげておきます。
 社会的責任投資(Socially Responsible Inves-tment・SRI)という言葉が出てきます。私の肩書きの1つに社会的責任投資フォーラムがありますが、後で詳しくお話しします。
 また、CSR、OSRを推進する上で、多くのステークホルダー(利害関係者)とのダイアログ(対話)が極めて重要になるということで、ISOの世界でも、環境コミュニケーション規格を作ろうという動きがあります。私は日本のエキスパートとして'01年7月以来規格作りにかかわっていて、去る2月25〜27日パリで開かれた会議にも出席しましたが、コミッティドラフト(素案)に掛かる寸前のところまで来ています。
 生協の皆さんは、いわゆるコンシューマーとかクライアントと違って、会員ではあるけれどもさまざまなミーティングや対話を重ねてこられたと思います。企業の世界でも、いま、大企業を中心に、従業員との対話、地域住民との対話、専門家集団の会話も含めて、まさにマルチステークホルダー・ダイアログが盛んに行われています。
 企業を分類する軸はいくらでもあります。株式会社、有限企業、合名会社という分類もありますが、SRIというものを考える時に最も特徴づけているのは多国籍企業です。‥‥続く

最新遺伝子組み換え作物事情−日本

市民力で相次ぐGM作物屋外実験中止へ

ずさんな拡散防止とリスクコミュニケーション

市民セクター政策機構 倉形 正則

 遺伝子組み換え(GM)作物の屋外栽培実験が相次いで計画されています。全農の平塚圃場で予定されていた「スギ花粉症緩和米」を始め、農水省が公表しているだけでも11種類の新たなGM作物が屋外栽培を目指して説明会を開いています。生物多様性条約のうちにGM生物の環境影響を規制する「カルタヘナ議定書」が発効し、日本も同議定書の批准とともに、その国内法として通称「カルタヘナ法」を昨年制定しています。農水省はこれに基づいて第一種使用=屋外栽培実験の指針を作りました。今回の各地に於ける栽培説明会は、この指針規定に基づいて行われているものです。参加した三カ所の説明会を通じてその問題点を報告します。


●栽培中止を発表−全農GM薬イネ
 独立行政法人の農業生物資源研究所と全国農業協同組合連合会(全農)は、5月8日、平塚にある全農の農業試験場において、「スギ花粉症緩和組換えイネ」の屋外栽培実験に関する説明会を開催しました。説明会には、県内の生産者や生活クラブ生協の組合員、あるいは県外からも含め約100名が参加し、徹底した説明を求めました。
 今回、資源研と全農が屋外栽培を計画しているのはスギ花粉症のアレルゲンとされる二つの蛋白から7つの部位(エピトープ)を産生する遺伝部位を抜き出し、合成した全く新規の人工遺伝子他をイネに組み込んだものです。本来、薬品として厳密な審査を経るべき生理活性物質を、イネに組み込み、食品として登場させようとする大きな問題を孕むGM作物です。
 当日は続出する質問のほとんどに満足な説明はなされず、全農はGM作物を作らないが、今回のGMイネは商品化を目指して開発を行うという、まったく矛盾する説明を繰り返しました。時間を理由に説明会は、予定圃場前へと移り、そのまま流れ解散となりました。
 その後、多くの反対の声を受けて、全農は5月26日「風評による農業等への影響を懸念する声が強いことなどから、関係機関と協議のうえ中止する」ことを‥‥続く

最新遺伝子組み換え作物事情−北米

モンサント社をめぐって大きな動き

―組み換え小麦開発中断とシュマイザー裁判―

市民セクター政策機構 清水 亮子

●モンサントがRR小麦開発中断!
 5月10日、モンサント社はラウンドアップ・レディ小麦(以下RR小麦)の開発中断を発表した。同社は2002年12月にこの小麦の承認申請を米国とカナダで提出し、早ければ今年にも承認されると見られていたことから、この発表を受けて、世界中に衝撃が走った。
 モンサント社は開発中断の理由として、1997年以降、米国・カナダの小麦作付面積が25%減少したことを挙げており、今後は、より収益が望めるトウモロコシ、ワタ、大豆、ナタネの開発を優先するとしている。
 しかし、開発中断の背景に、北米の小麦農家、日本・韓国といった大きな市場の消費者からの強い反対があったことは間違いない。
 今年(2004年)3月20日から28日にかけて、生活クラブ生協、遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン(以下キャンペーン)、日本消費者連盟、大地を守る会、市民セクター政策機構の代表からなるメンバーの一員として、カナダとアメリカの4都市を訪れた。代表団には、414団体から集まった「RR小麦の承認中止を求める請願署名」が託されていた。署名団体のメンバーを合計すると、実に120万人を超える。
 カナダでは「小麦の首都」と呼ばれるウイニペグで記者会見を開き、「RR小麦が承認されるようなことになったら、小麦全体の輸入を止める」とはっきり主張した。首都オタワでは、農業・農産食品省のトップ官僚と懇談が実現し、ボブ・スペラー・カナダ農業・農産食品大臣あての署名を提出。米国では、ミネアポリスで全米の遺伝子組み換え小麦反対運動をリードする活動家のひとりデニス・オルソンさん(IATP、農業貿易政策研究所)と懇談。小麦の主要生産地であるノース・ダコタ州ではロジャー・ジョンソン農務大臣に署名を提出した。
 北米訪問から間もない5月10日にモンサント社の開発中断が発表され、私たちのカナダ訪問をコーディネートしてくれたナダージュ・アダムさん(カウンシル・オブ・カナディアンズ)からは「あなたたちの力なしには、成し遂げられなかった」と感謝のメッセージが届いた。

 

●モンサントの中断の真意は?
 モンサント社の開発中断の発表に対するNGOは複雑なものだった。モンサント社の発表にはこう書かれている。「他の特質を持った遺伝子組み換え小麦が導入されるまでは、RR小麦導入のためのあらゆる努力を延期する」。‥‥続く

最新遺伝子組み換え作物事情−ドイツ

新遺伝子組み換え法の表示始まる

ドイツ語翻訳工房 たかおまゆみ

 昨日04年4月18日からEU規則EU03/1830により、遺伝子組み換え体(GMO)と遺伝子組み換え食品(GM食品)の新表示がEU域内で始まった。家畜飼料にGMOを使ったか否か表示義務がない点が批判されているが、GM痕跡を留めないものでも表示義務が発生し、種・苗まで遡って検証できるシステムになっている。レストランのメニューにも表示義務が発生した(メニュー表の頁数はどれくらい増えるのだろう!?)。非GM食品を消費者が選択する権利をさらに保障したものになっており、「ある菓子会社が、“GM使用”と表示したとたんに売り上げが大きく落ち込み、回収せざるをえなかった」というエピソードなどが耳に入り始めたなかでこの原稿をまとめている。

 

●ドイツの反GM運動の源泉
 BSEスキャンダルの責任をとって、2001年1月にフィッシャー保健相(緑の党)とフンケ農業相(社民党)がシュレーダー内閣の閣僚を辞任し、後を引き継いだのが、ウラ・シュミット保健相(女性、社民党)とレナーテ・キュナスト農業相である。さらに、農業省は「消費者保護・食糧・農業省」と改組された(略省BMVEL。以下、便宜上「農業省」と呼ぶ)。キュナストは1955年生まれの女性で48歳。それまで緑の党共同代表を務めており、“元気なツッパリ姉ちゃん”などと評されてきた。この交代で社民党と緑の党の担当省が入れ替えになったわけだが、これはシュレーダー政権が、環境主義・市民主義の緑の党色を活用し、農業者保護の農業政策を消費者保護寄りに転換する姿勢を表明したものだった。ちなみに環境大臣も緑の党のユルゲン・トゥリッティンが努めている。
 BSEは日本では想像できないほどのショックをドイツやEU市民に与えた。彼らは肉食だから‥と決め付けてはいけない。「動物福祉」が食品・環境分野に謳われているのがドイツでありEUなのだ。ドイツ語圏諸国は農と住がとりわけ近接している。政策的にそうしてきた。飛行機の窓からドイツを見下ろすと、田園地帯の只中に古くからの住環境がみえ、隣の集落まで森が続き、しばらくするとまた農地が現れ箱庭のような街並みがその中にポッカリ浮かび、また森に覆われる―――この緑と暮らしの調和努力(日本の里山などに比して「人工的」だという批判あり)の中で、市民の生活にも農業と酪農は肌身の距離だ。子どものための農場ゲームや動物絵本が目立つのは教育的意図ばかりではなく彼らの生活そのものだからだ。それが目の前で数万頭という牛が火あぶりにされ、引き続いた口蹄疫での家畜惨殺の現実は、どんなに彼らの感情をかく乱したことだろう。環境政策分野のトップランナーをドイツが努めるようになったきっかけは「森林枯死」だというのはよく知られた話だが、GM拒否感情も「牛の火あぶり」(と莫大な経済損失)に大きな泉がある。‥‥続く

<<現代アソシエーション研究>

ポール・ハースト1
『アソシエーショナリズムは可能か』(上)2

解説 南島 和久

(嘉悦大学・國學院大學非常勤講師)

訳 政治理論研究会 3

 イラクをめぐる政治社会状況一つを見ても、この時代のキーの一つは、「近代主権国家の揺らぎ」である。しかし、ここに私たちは否定的側面だけでなく、世界史的な意味での、市民の力とアソシエーションの台頭の中に未来を見たい。今回、紹介する論文の執筆者ポール・ハーストは、「アソシエーション型社会変革の実践構想を示した」(田畑稔)数少ない理論家の一人である。しかし、昨秋来日が予定されていたが、直前に急逝された。ハーストの紹介が乏しい日本の研究事情の中で、政治理論研究会の協力を得て、比較的彼の主張がコンパクトにまとめられた論文の本邦初訳を掲載する。(編集部)

 

1 アソシエーショナリズムとは
 20世紀の初頭、アソシエーショナリズム(Associationalism)は流行となり、政治学の学説として受け入れられていった。アソシエーショナリズムは多元主義者の国家論と結びつくことで、ラディカルに、しかし権威的にではなく、経済的および政治的権力の再配分を提起してきた。
 事実、アソシエーショナリズムは、自由市場の資本主義と国家社会主義との間の第三の道(a third way)となることを求めていた。アソシエーショナリズムは、バートランド・ラッセル(Bertrand Russell)によって、彼の広く読まれたオルタナティヴ(alternative)な学説の政治学入門書である『自由への道』(Roads to Freedom)においてそれ自体提唱された。しかし、1920年代、一方で国家を回避し市民社会における活動によって主要な変革を成し遂げることができると考えていたギルド社会主義者たちのように、アソシエーショナリズムを主張する何人かの人たちが政治的に失敗したことについて、アソシエーショナリズムは間違いなく苦悩していた。とはいえ、政治権力の多元化と分権化、市民社会の自治および労使協調に依拠する学説は、国家間の紛争や階級闘争が激しく、中央政府の権力や大規模な支配が集権化され、階統的に組織された大量生産が行われていた時代には、ほとんど成功をみることできなかった。

2 1980年代とアソシエーショナリズム
 1980年代、アソシエーショナリズムは、どちらかといえば当時の政治学説としては異質な内容や理論形態であったにもかかわらず、政治理論として復権をはじめた。アソシエーショナリズムの主張を阻んできた主だった否定的諸要因は、その力を失いはじめた。新しくてより柔軟な生産方法が、より自発的な経済や需要のパターンの急速な変化に対処するために紹介され、フォード主義に基く標準型大量生産方式は衰退に向かった。大規模で高度に集権化された企業は、もはや産業効率性からすれば必要とされる形態ではなかった(Piore&Sabel 1984)。大きいことは、もはや生産面における規模の経済性にとって強い支えではなかったのである。‥‥続く

シリーズ:監視社会C
認証の政治力学

バイオメトリクスの現在

粥川 準二(ジャーナリスト)

 このシリーズ「監視社会を考える」は、本年1月本誌で第286号より開始された。いうまでもなく、9.11事件以降、急速に進む「監視社会」に危機感を覚えたからだ。しかし、問題は「セキュリテイ」へのベクトルが、「テロの脅威」によるだけのものでないことだ。最近の「誘拐未遂」事件だけでなく、私たちの「便利さ」への欲望がアクセルであることだ。シリーズの完結にふさわしい論文を掲載する。(編集部)

 

■――バイオメトリクスとは?
 バイオメトリクスとは、身体的な特徴や行動的な特徴など、個人に固有の情報を利用して、本人の確認を行なう認証方法である。日本語では「生体認証」や「生体識別」などと訳され、バイオメトリクス認証と呼ばれることもある。指紋や虹彩(瞳の模様)、顔などで個人を識別するという風景は、『ガタカ(GATTACA)』、『6D(シックス・デイ)』、『マイノリティ・レポート』などSF映画でもよく見られるが、こうした管理・監視システムはフィクションの世界だけでなく、現実の社会においても浸透し始めている。
 インターネットを利用した商取引などが盛んに行なわれている現在、セキュリティに対する要望が高まり、バイオメトリクスはますます注目を集めている。社会のIT化とともに、あらゆる場面で、より高いセキュリティが求められるようになったのだ。カードなどと違って、本人から原理的に切り離せない特徴を利用するバイオメトリクスは、情報の漏洩防止やプライバシー保護のためには有用な技術だともいえよう。
 しかし、その有用性こそが「諸刃の剣」にもなりうる。
 この技術おいて鍵となる「身体的な特徴」として使われるものには、指紋、掌紋、手形、手の甲の静脈、虹彩、顔、音声、DNAなどがあげられる。また、「行動的な特徴」としては、筆跡や打鍵(キーストローク)、歩き方などがある。これらの特徴はいずれも長期間にわたって変化しにくく、類似する特徴を持つ他人が少ないということが利点とされる。つまり個人を同定できる確立がきわめて高いということだ。
 この技術が注目を浴びるようになったのは理由がある。
 第1に、生活のあらゆる場面でIT化が進展したことにより、情報の漏洩防止やプライバシー保護の手段として、精度の高い認証技術が必要とされるようになったこと。カードなどモノによる認証や、暗証番号など個人の記憶による認証は、いずれもなくしたり、忘れたりする可能性がある。またそのカードを盗んだり、なんらかの方法で暗証番号などの情報を得ることで、「なりすまし」もそれなりに可能である。
 第2に、やはりIT化の進展により、この技術の性能が上がり、価格も現実的なものになってきたことである。
 そして第3に、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ以降、社会全体のセキュリティ意識が高まってきたことである。

 

■――バイオメトリクスの実例
 現在、最も広く普及しているバイオメトリクス技術は、古くから警察捜査にも使われている指紋であろう。たとえば、重要な機密情報が入っているため、使用できる人を制限したいパソコンへのログインや、インターネット上におけるeコマース(電子商取引)における個人識別などに、指紋による認証技術が用いられている。もう少し身近なところでは、持ち主‥‥続く

<食>の焦点A

おにぎりと日本農業

(財)協同組合経営研究所 元研究員

今野 聰

1.おにぎり
 さる5月3日付け「日本農業新聞」1面トップ。広げてあっと驚く。「進化するおにぎり」、「集客の目玉 おいしさ競う」、「コンビニ 手作りでふっくら感」、「スーパー 出来たての味で勝負」。どうなっちゃったの、我が日本農業新聞。だが、ちゃんとトップ記事になった取材背景が書いてある。1年間にコンビニは総数販売高30億個。それで重さ100g計算(精米換算50g)とするとなんと15万トン(精米ベース)。業務用需要250万トンの1割弱とある(新聞の試算)。
 今更でもないが、こんなに扱い量が大きいのに、とっくにおにぎりはおふくろの味ではない。「袋(パック)の味」になってしまった。おふくろは大抵おにぎりを握らない。だがどうしてこうなったか、解明は大変である。

 

2.コンビニのおにぎり戦略
 戦後といえば、まず米が圧倒的に不足した。私は農家生まれだから、一時期のカデ飯を除くと、まあ食べれた。学校の遠足では、おにぎりは必携。当時おにぎりを売る店などはなかった。時代は高飛びする。確か1970年代後半、神奈川県内の通り道に、桃太郎旗を立てて、おにぎり販売店が登場した。「わらべ屋」などだった。モータリゼーションと関係していた。遠出に弁当持参が減りだしたのだ。ロードサイドレストランが並行してにょきにょきとオープンした。
 すかいらーくのファミリーレストラン第1号は、1970年。すぐ追って73年の第1次オイルショック。だがモータリゼーションは止まらないで、どんどん。ついに「外食産業」と言われるようになる。外で食べれば、内食用の精米需要は減る。しかしこの時代、生協の米事業急進出があった。一般米屋の減った分をなんとか支える力があった。
 一方おにぎりが良いならと、この頃あったか弁当、持ち帰り寿司、居酒屋焼きおにぎりなどが開発参入する。いわゆる「<RUBY CHAR="中食","なかしょく">」である。これを決定づけたのが、コンビニおにぎりだった。機械おにぎり機、自動開封包装紙、味付け工夫など商品の多様化が進んだ。
 今日の業界第1位セブンイレブン(セブン)が78年でおにぎり初売り。74年第1号店から数えて4年後だったという。だから圧倒的な成功物語になっている。ラジオから「ササニシキ、こしひかり」が広告宣伝される。産地銘柄宣伝は主流になった。
‥‥続く

<アソシエーション・ミニフォーラム>さいたま

食の安全のためにわたしたちの求めるもの

〜埼玉県食の安全・安心条例の制定に向けて〜

埼玉県市民ネットワーク事務局長

藤本 敦子

 埼玉県における食の安全行政は決して満足できるものではなく、ダイオキシンやO-157、狂牛病などの問題が続き消費者の不安が高まった2000年になってようやく「埼玉県における食の安全に係る基本方針」が策定されることになりました。
 庁内横断的に担当事務局が置かれ、策定に向けて県生協連との話し合いが何回か行われ、私も生活クラブから参加して、東京の直接請求運動や東京都食品安全指針などを参考に意見を出しました。できた基本方針は他県に先んじた成果ではありましたが、検査数や監視体制は不十分であり、申し出制度など消費者の積極的な関わりが保障されるものにはなりませんでした。同時に設置された「埼玉県食の安全懇話会」も食の安全に生かされるとはいえない組織でした。
 基本方針ができて間もなく、県内の保健所で検査した加工肉からO-157が検出される事件が起き、県は基本方針に則って直ちに発表と出荷停止の処分をとりました。ところがこれが保健所の検査ミスと判明し、一転メーカーが県に損害賠償を求め、被害額の一部を慰謝料として県が支払うことで決着しました。この事件が埼玉の食の安全行政の行方に一抹の影を落とした気がします。次の年には消費者モニター制度が廃止、消費者センターの統合など、逆戻りしてしまいました。
 中小の食品加工業者や流通業者の食品安全推進の具体策として「埼玉県版ハサップ制度」策定に参加しましたが、不景気の影響は大きく、圧倒的に多数が中小である加工・流通業者だけでなく消費者にとっても食の安全はお題目となりかねない状況での作業で、メリットがあまり感じられない制度となりました。方針や仕組みを作ったところで良しとする行政の体質が見えた気がします。‥‥続く

<心の障害を持った人が自律して回復する為に必要な社会支援とは‥

慢性的児童虐待後を生きる当事者としての私

生活クラブ生協・静岡 小田 玲子

●SSRI
 SSRI(選択性セロトニン取り込み阻害薬・脳の中で活動するセロトニン[気分を安定させる役割を持つ脳内麻薬の一種]を増やす薬)を飲み始めてから19日。「壊れた蛇口からダーダー流れる水のように頭の中に流れ込んできていた不安は止まったけど、自殺念慮が止まらない。」と医師に告げたら薬を倍に増やされた。
 ともかく眠くて寝ている。起きていても頭はボーッとしている。「眠いんですけど」医師に言うと「その位で丁度いいんじゃないの?ともかく頭休めたら。」と言われた。覚えているかぎりこんなに心が穏やかだった事はない。小出ちゃんにTEL「ミニフォーラムの報告書の調子どう?」「うーん、いまイチ。言葉を文章にするってむずかしいよね。」「そーなんだよね、PCの前で文章にしようとすると言葉の持っている魔法が消えちゃうんだ。おまけに今頭が薬でボーッとして‥」「効いてんの?」「うん内因性(脳の生態機能)の部分ね、もの心ついて以来初めてリラックスした状態味わってる。楽だね〜♪コレ。」「へー、今までどんな感じだったの?」「うーん、会議とかでどうしても反対意見とか言わなきゃならなくて心臓がギュッと捕まれているような胃の中で蝶がバタバタしているような感じってあるじゃん。」「うんうん、あるある。」「あれがね、ずーっと続いていたの。1人で居るときも。」「えー!そんなんで今までよく生きてこれたじゃん。」「だからねサバイバー(生存者)って言うの。実際死んじゃう仲間もたくさんいるんだ。」「そうだろうね、私も耐えられない。」

●薬の事
 ここ数年の間に抗精神薬は飛躍的に進歩したらしい。二年前まで飲んでいた第二世代の薬は神経遮断剤であらゆる感覚が麻痺する「絨毯爆撃」だとすると、今回飲み始めた第三世代の薬は「ピンポイント爆撃」だ。副‥‥続く

《状況風景論》

生活クラブ40年、<活動労働>から<市民労働>へ

◆生活クラブ誕生から40年
 生活クラブが世田谷の松原に生まれたのは、40年前の1965年6月1日。その時のことを創立者の岩根邦雄さんは次のように書いている。「その時、私たちは牛乳を共同で購入することを始めた。‥自分たちの身近な場所で、地域社会のなかで何かをやりたい、つくりたいという気持ちから、その実践のきっかけを私たちは牛乳に見出したのだった。‥60年の安保闘争の際、私が一人のカメラマンとして、国会議事堂周辺の激動の現場に入って行き、憤りの血をたぎらせた時から5年経っていた。」(『生活クラブとともに』新時代社)
 60年安保の6.15の衝撃は同じ時の韓国「4月学生革命」とともに記念される。この闘いによって、李承晩と岸信介は退陣に追い込まれた。「僕は60年安保の時はまだ写真を撮っていたんだ。だって、樺美智子が死んだ、あの6.15の現場で写真を撮っていたんだからね。それが政治にかかわるきっかけになった。」(『社会運動』240号)‥‥続く

雑記帖

 自分のことを棚上げしたまま言挙げするつもりはないが、あいかわらずお粗末というか、嘆かわしい出来事が次々と起こっている。おおげさにいえば、日本社会が炉心融解(メルトダウン)しているように見える。それぞれの事件にはそれなりの理由があるのだが、その深層にはどうやら知の劣化があるように感じる。
 ものごとを理論的、体系的に捉えてみるというスタンスが加速度的に失われつつあるようだ。たしかに以削に比べて情報の量は格段に増えたが、それらを整序し、意味を考えるという知的な作業がないがしろにされている。そうなると、政治や経済の問題に対しても対症療法的、パッチワーク的な対処に終始することになる。あるいは先送り、問題の歴史的文脈や構造が見失われ、判断基準も不明確化する。つまり、それなりの仮説をつくる知的作業を欠けば、ことの是非やその影響への想像力ももちえないのである。
 こうした知の病はメディアがつくる言論空間にも現れている。そこで交わされる議論には多様性が失われ、あれかこれかと雑駁化する傾向が強まっている。例えば、最近まで席巻していた「すべては市場に聞け」という立場、人々の主体的な判断に信を置かない一種のニヒリズムではなかったか。知的退廃というべきかもしれない。また、いちおうは立派な市民を作り出す最終工程の大学では、マニュアルや実学の授業ばかりが増えている。実学を軽視するわけにはいかないが、自分で考える基礎力を涵養する機会が少なすぎる。昔のような教養主義もおかしいが、現在のような転換の時代には実学と教養のバランスをとることがかえって大切であろう。ダサイといわれるかもしれないが、理論や思想を大切にすることが、一見回り道のように見えて、案外に社会再建の近道かもしれないと思うのだが、どうだろうか。【宮崎 徹】

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  市民セクター政策機構
   < BYR17071@nifty.ne.jp>


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