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『社会運動』 293号

2004年8月15日

目次

<特別インタビュー> 丸山眞男と「戦後民主主義」・<市民> 飯田泰三×小塚尚男‥‥2
<自治体公共政策研究>分権改革と議会・首長 自治体選挙の動向と地域政治の課題 牛山久仁彦‥‥11
「公益法人改革」をめぐる最終局面 正念場の出資型非営利協同法人制度 柏井宏之‥‥25
協同組合思想(上) 協同組合ともう一つの社会 レイドロウ報告の先駆性 森田邦彦‥‥31
この一枚<ライトライブリーフッド賞受賞>‥‥ 36
社会経済セミナー報告C 日本の食料―開発輸入の向こう側(下)エビと鳥インフルエンザ問題 山本博史‥‥37
アジア社会運動会議報告 05年香港WTO閣僚会議に集結を呼びかけ 倉形正則‥‥49
高畠通敏先生を悼む 計量政治学と市民の政治学、そして生活者の政治学 大海篤子‥‥54
〈書評〉 鹿野政直著「現代日本女性史」 太田哲男‥‥57
〈状況風景論〉 マッカーサーの「日本占領」&アーミテージの改憲論‥‥59
公示 市民セクター政策機構第9回総会報告‥‥60
雑記帖 加藤好一‥‥68

<特別インタビュー>

丸山眞男と「戦後民主主義」・〈市民〉

<談話>
飯田泰三(法政大学教授)
<聞き手>
小塚尚男(市民セクター政策機構)

 生活クラブ運動が始まって40年になる。この節目に時代状況は、大きな転回点に立っていると言ってよい。生活クラブは「戦後民主主義」の下で始まったけれども、松下圭一によれば、それは「『戦後民主主義』、つまり、それまでの『戦後改革』という、上からの民主主義ではなくて、下からの民主主義という点で、生活クラブは画期的な意味を持っていた」のである(本誌291号)。松下の師である丸山眞男は、「戦後民主主義の旗手」と呼ばれてきた。丸山とその「戦後」を学ぶことによって、この時代の転回を検証することは可能であろうか。丸山ゼミ出身で、松下圭一の後輩である飯田教授に、当機構の小塚尚男がインタビューを試みた。(編集部)

●丸山眞男と市民社会 
<小塚>丸山さんと、生活クラブとは、接点がないように思っていました。しかし、最近思い出したことですが、神奈川の生活クラブの有志に招かれて、丸山さんは90年ごろ講演されたことがありました。『現代の理論』を編集されていた安東仁兵衛さんがコーディネートされたのですけれどもね。


<飯田>それは貴重な情報です。丸山さんは健康を害して東大を辞めて以後、健康をある程度回復してからはずいぶん様々なところへ出かけていって、しゃべっているわけです。そうした記録を収集・公表していくことが「丸山手帖の会」(『丸山眞男手帖』を年4回発行)の主たる活動になっていますので、もし生活クラブ関係で丸山さんが話した記録がありましたら、ぜひとも提供していただけ   ‥‥続く

<自治体公共政策研究>

分権改革と議会・首長
自治体選挙の動向と地域政治の課題

明治大学政経学部助教授

牛山 久仁彦

 参議院選挙の焦点は、年金問題だとされ、分権改革の課題は遠のいた感がする。しかし、財源委譲の課題を含めて、これから本格的なせめぎあいが確実に自治体をめぐってやってくる。来年の都議会議員選挙を含めて、課題は大きい。この間の自治体選挙の動向と自治体をめぐる課題を明大牛山助教授に講演していただいた。(編集部)

 

 私は大学で、地方自治を教えながら、自治体職員のみなさんと、具体的な政策課題について研究をする機会も多いのですが、もう一つのテーマは市民の活動や運動についてのもので、市民の視点から、自治体行政はどうあるべきかというような問題を考えてきました。90年代以降、分権改革が進む中で、自治体も経営という感覚を磨く一方で、自治を進めるためにはどうしたらいいか、ということを考えております。

 最近、私が一番気になっているのは、例の自己責任論です。3人の人質の方が解放されても、イラクの人たちのために、貢献してきた人たちが、なぜ、犯人みたいにうつむいて日本に帰ってこなければいけないのか。わざわざ、自業自得とか書いた紙を持って空港まで出掛ける者もいる。これは危機的状況ではないかと思います。
 このことは、自治体の問題にもかかわることです。私たちは、分権改革で自己決定、自己責任と言ってきましたが、今回、国民が、自己責任というのは政府のいうことを守ることだ、みたいになってくると、話がだいぶ違ってくると思います。   ‥‥続く

「公益法人制度改革」をめぐって

正念場の出資型非営利協同法人制度
行革事務局 準則主義の「拠出金」非営利法人を準備

市民セクター政策機構

柏井 宏之

 政府の「公益法人改革」をめぐる論議に対し、出資型非営利協同法人制度を求める市民運動は、5.15の明治大学リバティホールを埋めたシンポジウム、7.5の都庁内で開かれたフォーラムの相次いでの高まりの中、ついに行革事務局が「拠出金(出資金)」の非営利組織を認める方向へ大きく踏み出した。しかし、財務当局の非営利組織全体に課税の網をかぶせたい意図と、非営利組織、なかんずくNPOと協同組合の出資型非営利協同法人制度への関心の低さとが相まって、既存の官許組織が既得権の立場から反発、制度と税制をめぐって複雑な踊り場と正念場の局面をむかえている。

5.15シンポジウムに多様な層からの期待と熱気
 「オルタナティブな社会的起業をめざして−出資型非営利協同法人制度を」全国に提案した5月15日の明治大学でのシンポジウムは、三つの点で画期的な集会だった。
 一つは、事例報告が多岐にわたり出資型の市民資金によって運営されていることに勇気づけられたことだ。市民風車わんずと鯵ヶ沢町と題してグリーンエネルギー青森の三上亭さんが市民出資1億9千万円を含む3億8千万円の総事業費をあつめ風車建設に成功した感動的な報告、神奈川ワーカーズ・コレクティブ連合会では5部門に212団体5908名が働き、たすけあいグッピーでは03年度36名で11412時間の活動実績を創り出したとの中村久子さんの「出資・労働・運営」の報告、千代田区のまちづくり会社プラットホームサービスではSOHOエージェントとの協働による中小ビル    ‥‥続く

協同組合思想(上)

協同組合ともう一つの社会
〜レイドロウ報告の先駆性

日本協同組合学会員

森田 邦彦

 協同組合は今、大きな試練の中にある。グローバリゼーションの波は、協同組合の中に会社化の流れをつくり出す一方、営利事業や公的セクターではない第三セクター「非営利・協同」の地域社会に根ざした社会的企業として、再生・転生する動きも活発だ。今、改めて、協同組合がめざした「もう一つの社会」をレイドロウやシューマッハの思想と関連づけて、森田邦彦氏に、生活クラブ連合会の「政策討論集会」で話してもらった内容を紹介したい。(編集部)

 

目次
1.はじめに
2.「レイドロウ報告」について
3.E・F・シューマッハとその思想
4.TOESについて
5.『21世紀の経済システム展望』
6.「協同組合の価値」の論議について
7.協同組合の新原則
8.ヨーロッパの協同組合の動向
9.さいごに

1.はじめに
 激しく変わる社会の中で何が重要なのかを考える場合に、変えてはならない視点と尺度、基準が重要であると思います。重要な尺度とは、人間であり、人の命である、と思います。さらに、それを支えてくれる他の動植物がある。水がある。食べ物がある。呼吸に必要な酸素をくれる自然や環境がある。そして地球がある。
 人の命が重要なのは、命がなければ「何が重要か、重要ではないのか」「何が善で何が悪なのか」「どう生きればいいのかを探る(倫理)」といった行為が必要がなくなるからであります。

 われわれの取組みは、人間とそれを支えてくれる環境(地球)にとって、よりよい未来をつくる行動、これに基礎をおかなければならない、これが私の答です。
 デカルトという思想家が、17世紀の初めに「われ思う。ゆえに我あり」といい、「人は『考える』ということを超えて考えることは出来ない」と宣言して、人間を近代思想の主人公としました。その結果、近代技術が発達し、人間は地球のすべてを支配できるかのような錯覚を持つにいたり、今では命さえも人間が作れると信じるようになりま‥‥続く

社会経済セミナー報告C

日本の食料−開発輸入の向こう側(下)
タイの自然環境を壊したエビと鳥インフルエンザ問題

東洋大学国際地域学部講師(前協同組合経営研究所常務理事)

山本 博史

「世界の台所」をめざす現地の取り組み
 アジアの工業化政策の中で、加工食品、アグリビジネスは、各国政府の優等生に位置づけられています。

 日本では東南アジアや中国からの農水産物の輸入が急増していますけれども、いずれも、安い労働力を最大限活用して、最近では加工度を増して日本に持ってくることで、より付加価値を大きくしようという動きが進んでいます。
 各国の工業化政策において、一番大事な点は原料が国内で確保できるということですが、製造業、例えば自動車産業とか家電産業は、鉄鋼製品はじめ基本的な原料を輸入せざるをえませんし、工場建設は、機械設備その他資本財を外国特に日本から入れないと完成できません。そういうこともあって、工業化が進めば進むほど輸出も増えるけれども、それを上回って輸入も増えるという経済になっています。
 その点、アグリビジネスは、原料が国内で確保できるという利点があって、各国政府から優等生として最大限の奨励措置を受けているわけです。
 また、ほかの産業がオートメ化してかなり省力的なシステムになっているのに対して、アグリビジネスはまだまだ労働集約型で、雇用の創出がたいへんしやすい。これもまた優等生に位置づけられる理由になっています。
 さらに、一極集中を避けるために、タイ政府としては地方分散型の工業化を進めようとしていますが、どうしてもバンコク周辺で工業化が進んでしまいます。その点、アグリビジネスは、産地に近いところで安い労賃で仕事ができる。そういう意味でもたいへん有利です。しかも、それを日本から進出した企業が大いに支えています。
 ブロイラーやエビなど、農水産物やその加工品の日本への輸出がたいへん大きなウエートを占めています。表1「タイからの主な輸入農水産物」は、近年の輸入金額の多い順に載せてあります。
 1番多いのが鶏肉、2番目が鶏肉以外の食肉加工品、3番目が焼  ‥‥続く

ソウルでのアジア社会運動会議

2005年香港WTO閣僚会議に結集を呼びかけ

市民セクター政策機構 倉形 正則

 去る6月13日から15日に渡って、韓国ソウルのコリア(高麗)大学を会場に、「アジア社会運動会議」と一連の関連企画が持たれました。日本からは「脱WTO草の根キャンペーン」を軸としてこの行動に合流する「6月ソウル行動」が企画され、約70名の参加者が、海を渡りました。その前段行動も含めた様子について写真を交えて報告します。

アジア版ダボス会議への対抗行動
 6月13日と14日の両日に渡って、韓国のソウルにある高級ホテル新羅(シルラ)ホテルで世界経済フォーラム(WEF)の東アジア経済首脳会議「アジアの平和と繁栄−アジア戦略ラウンドテーブル」が開催されました。
 世界経済フォーラム(WEF)は、その年次総会が開かれるスイスの保養地名をとって通称“ダボス会議”として知られています。世界を代表する企業のトップや、各国政府首脳も参加する国際会議です。ちなみにWEFの年会費は、一人3万ドルとのこと。世界中の金儲けへの“障壁”をなくすことが、WTO(世界貿易機構)の進める“グローバリゼーション”の目的ですが、ダボス会議は、その最先頭を切り開く国際会議となっています。
 一方、世界経済フォーラム(WEF)に対抗する民衆の国際会議が、“もう一つの世界は可能だ”を合い言葉に開かれている「世界社会フォーラム」(WSF)です。95年以来ブラジルのポルトアレグレで開催されてきたWSFは、今年はインドのムンバイで開催されました。
 ダボス会議は、世界の各地域で地域版会議を開催しています。今回の「アジア戦略ラウンドテーブル」もそうした地域版世界経済フォーラムです。
‥‥続く

〈追悼〉

計量政治学と市民の政治学 そして生活者の政治学 ―高畠通敏先生の思い出― 

立教大学非常勤講師 大海 篤子

 7月7日、高畠先生の訃報が届いた。この日がそう遠くないのでは、という惧れが、遂に現実になった。先生は昨年から、大腸がんの治療をされていたが、肝臓への転移が進行していたのである。

  先生が卓抜した政治学者であったことはいうまでもない。先生は豪放磊落な一面とやさしさ、そして人間への尽きない興味と敬意を持っていらっしゃった。政治分析の論文には、厳しい批判と同時に暖かさを感じる名文が多い。  先生は1956年に優秀な成績で東京大学法学部政治学科をご卒業になった。当時の東大では優秀な学生は卒業直後に助手となり、3年間で助手論文を書き、大学に就職していくことが多かった。高畠先生はラスウェル研究を助手論文として立教大学に就職された。(その経緯は、力尽きる日までお書きになった「あしがくぼ通信」http://tmkokino.hp.infoseek.co.jp/ に詳しい)。 

 東大進学にあたっては、数学が得意なので、理系か法学部かと選択があったそうだが、法学部にしたのは「貧乏弁護士」であったお父上のご意見であったという。後に、その数学力が先生の「計量政治学」への取組みを可能にした。先生は長い間選挙の翌日には、毎日新聞と新潟日報(田中角栄研究以来のつながり)に選挙分析を執筆するのが常だった。現在では選挙結果は、報道ショーになっているが、先生が開拓者として選挙分析をしていた頃は、新聞社のデスクで夜明けまで原稿を書いたという。

  今回の参院選でも先生の「教理計画法」分析はピッタリとその結果を予想していた。

  高畠先生の一番の「らしさ」は、60年安保闘争時の「声なき声の会」の事務局を担ったこと、さらに、65年には鶴見俊輔、小田実らを誘って反戦運動組織「べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」を立ち上げ、市民と学者の掛け橋となったことであろう。この二つの運動に積極的に関わったことが、市民政治理論を構築する先生の原点であった。また全共闘時代、立教大学も学生に占拠されたが、先生は学生と「腹を割って話し合い」、とうとう私学で唯一機動隊を導入せずに事態を収束させた。そのときの学生との約束で、教授会の開放、社会人学生の受け入れ(1978年立教大が初めて)などが決まったという。お蔭で1989年に、私は立教大学社会人学生として、先生に出会うことができた。
 先生の研究者としての立場は、反権威であった。自由な個人としての立場から、政治を統治の道具と考えるのはなく、市民が自発的に秩序を形成する力として論じることであった。先生の反権威の立場を示すエピソードが丸山真男批判としていくつか世間に伝わっている。高畠先生は、丸山先生が見せる東大政治学を守ろうとする姿勢、政治思想や歴史を政治学の主流と位置づけることは権威的であると批判してきた。丸山先生は60年安保後、それまで積極的に関わった現実政治への発言を全てやめた。すなわち、「夜店をそろそろしまって本業のほうを・・」(丸山真男座談9、287頁)という有名なフレーズを残して、日本政治思想史の研究に専念した。高畠先生はその夜店と言われた現実政治の分析の重要性へのこだわりを貫きつつ、丸山批判を単なる批判にとどめず、あらたな市民政治学という道を切り拓いた。
 戦後アメリカ政治学の主流であった行動論を徹底的に研究された高畠先生は、大衆運動から市民運動への理論構築のためには、政策決定の重要なアクターは国家ではなく、政治家・有権者・それを取り巻く人々の個人の行動にあることを認識する必要があると常々おっしゃっていた。高畠先生の研究は、現実政治の分析の道具として計量政治学を広めつつ、現実政治が市民の登場によって大きく変わろうとしていることに対して、市民側からの理論を構築することに主眼があった。そこに生活者という視点をとり入れたのも先生の業績であった。数ある著書の中でご自分が一番好きだとおしゃっていたのは『地方の王国』(岩波書店、同時代ライブラリ、1997)である。各地を歩いて、インタビューをして行く中で、先生が出会った方々の言説・行動が政治の流れを作っていくものだと実感なさったからにほかならない。
 私が立教大学の社会人学生となった年、先生はオーストラリアから帰国されたばかりで、大変生き生きとしていらっしゃった。その学識の深さと学生への愛情あふれる名講義で、飽きることない時間が、生きた政治と対峙しながら過ぎた。そして、実にタイミングよく、時間が来るときちんと講義が終わるのは驚きであった。2年からゼミ生として研究室に入り浸った。研究室にエライ先生(京極純一先生、神島二郎先生等)やジャーナリストが取材していても、学生に「そこにすわっていていいよ」と同席を許し、話を聞くことを認めて下さった。「耳学問は大切だ」というのが先生の持論であった。
 先生の別宅、秩父のあしがくぼの家は、連休や正月には梁山泊となって、貧乏学生・卒業生の溜まり場になり、先生は贈られたうまい酒・高い酒を学生に惜しみなく振舞った。4年のゼミ生は12月初めの秩父夜祭に出かけ、先生の家で先生手作りのカレーを食べ徹夜で話し込む。夏のゼミ合宿は「金を使わせない」ために、那須にあった立教のオンボロ施設で自炊。往復も新幹線があるのに普通列車の急行。午前・午後としっかりゼミを開いて、夕方には日帰り温泉の鹿の湯に出かけた。ちょっと熱めの湯から出ると、「本物の温泉とはこういうもんだ」と機嫌がすこぶる良かった。学生を一人の仲間として扱ってくださる先生は今では少なくなった。
 立教大学に大学院政治学研究科と法学部政治学科が開設されたのは先生のご尽力による部分が大きかった。私は学部、大学院と高畠先生からご指導を受け、選挙分析を学んだが、数学が出来ないために、未だに苦しんでいる。その後、私がお茶の水女子大学、女性学講座に進学して「女性と政治」をもっと研究したいと伝えると、指導教官にあたる原ひろ子先生にすぐその場で電話をして下さった。私だけでなく、就職・困りごとの相談は、その場で先生のネットワークを利用して連絡を取って下さった。
 ある日、「今みんなで書いている『現代市民政治論』という論文集に大海さんも女性のこと書いてよ」と、お誘いを頂いた。先生の立教大学退職記念論文集で、先生とのつながりの深い先生方、弟子たちが1年以上まえからプロジェクトを作って研究会をしていたが、私には声がかからずひがんでいた。その理由は、先生が「ジェンダー」は社会学の領域のものと思い込んでいらっしゃった所にあったと思う。何かの折、それに気がついた私は「先生ジェンダーは分析概念で、全ての学問の見直しを迫るものです。私は政治学をジェンダーで見直すということをやっています」と大抗議、そして大講義を展開してしまった。先生がすごいのは、「分かった」とおっしゃったかどうかは忘れたが、上記論文集の執筆仲間にして下さったことだ。「おばさん」だから、「初学者」だから、「実績がない」などの偏見を持たずに扱ってくださった。
 ようやく、自分の仕事として政治学研究に立ち向かえるようになってきた私としては、ここから先生にご指導して頂きたかった。ことあるごとに名著『政治学の道案内』に頼っている。初心者用の政治学教科書であるが、実は奥が深く学生時代には理解できない部分があって「政治学の迷い道」と学生は揶揄していた。ご逝去後の日々は喪失感が深い。「甘えちゃいけないよ」という、男性としては高音のやさしい声がどこからか聞こえてくる思いがする。ご冥福を祈りながら、先生の著書に繰り返し目を通す日々である。

鹿野政直『現代日本女性史 フェミニズムを軸として』(有斐閣)

運動の蓄積を幻影としてはならない

桜美林大学教授 太田 哲男

どなたも同じことであろうが、「この人の書いた文章なら可能な限り入手して読みたい」という作家・学者が私にも数人いる。著名な歴史家・鹿野政直氏(日本近現代史)は、私にとってそういう学者である。
 著者はこの本の冒頭に、「幅広い意味でのフェミニズムは、20世紀後半におけるもっともめざましい思想運動・既存の文明への挑戦の1つであり、それゆえに社会運動・政治運動としても展開した。わたくしは、(中略)意識の上では、男たちがそれに向きあうだけのどんな思想をつくりえたかとの自問とともに、揺さぶられつづけてきた。女性のそうした軌跡を跡づけ、自分に認識しておきたいとの念が、この仕事への動機となった」と書いている。
 この本で概観されるのは、主には1960年代以降の「女性史」である。
 私もたとえば「家庭科男女共修」「国際婦人年」「夫婦別姓」「思秋期」など、耳にしてはいても、その相互の関係などということは漠然としか考えていなかった。この本を読むと、これら一つ一つの事項がいわば支流となり、それらの支流・水脈が大きな流れを形作っているさまが、鮮やかに浮かび上がってくる。
 しかし、そういう鳥瞰的なところだけが、この本のおもしろさであるのではない。「女性史」の細部が、幅広い目配りと豊富な資料の読みに支えられて、さまざまに書き込まれているところも、引きつけられる点だ。たとえば、著者はある資料集を読みながら、「おびただしいビラ類に目を通してゆくと、ときとして言葉が空転しながらも、新しい自己を打ち立てるための思索の積み重ねに出会う」(62ページ)と書き、いくつかの言葉を引用している。その中から二つの言葉を引いてみよう。
 「日々の生活の何でもない習慣が、それが日常性であるがゆえに、支配・被支配のすぐれた一表現形態であることが忘れられている」。「多くの女は“子を産む”という生産性の論理にあわない負担を持つ故に、生産の基幹部分から排除され、パートとして、臨職として労基法からこぼれ落ちる所にいる」という具合である。
‥‥続く

《状況風景論》

マッカーサーの「日本占領」&アーミテージの改憲論

●「国破レテ 山河アリ」
 時代は皮肉な転移を伴う。米英のイラク戦争と占領統治を日本の占領民主化に重ねる論議がつきない。真珠湾攻撃と9.11テロ、カミカゼと自爆テロ、それらが二重写しになって、今日、米英のイラク統治の自己合理化をひきおこしているという奇妙な風景のことだ。小泉のブッシュ追随にこのトラウマが刻印されている。
 マッカーサー元帥が日本占領連合軍最高司令官として、厚木飛行場におりたったのは1945年8月30日。袖井林二郎の『マッカーサーの二千日』(中央公論社)は、今の日本人が完全に健忘症になっているこのあたりのくだりを鮮やかに描く。
 マッカーサーはマニラから厚木までの飛行機のなかで「まず軍事力を粉砕する。ついで戦争犯罪人を処罰し、代表制に基づく政治形態を築き上げる。憲法を近代化する。自由選挙を行い、婦人に参政権を与える。政治犯を釈放し、農民を解放する。自由な労働運動を育て上げ、自由経済を促進し、警察による弾圧を廃止する。自由で責任ある新聞を育てる。教育を自由化し、政治的権力の集中排除を進める。そして宗教と国家を分離する」と口述し
‥‥続く

雑記帖

【加藤好一】

 「現代の理論」の創刊準備号で、多く人が安東仁兵衛氏の思い出を語っている。筆者も晩年の安東さんに大変お世話になった。特に、協同組合論との関連で都度言われたことの一つが、「ベルンシュタインに学べ」であった。
 しかし、この宿題の一端に取り組んだのは、ようやく最近になってのことだ。
 19世紀後半期において消費協同組合に対する評価は概して低かった。その思想的源流はオーエンやマルクスがそれに冷淡であったことに由来するのかもしれない。そんななかにあってベルンシュタインは、協同組合に「きわめて大きな期待」をもっており、今後多様に活動の場を広げるであろう協同組合の発展のために、その礎石・母胎として消費協同組合が果たすべき積極的な役割をみていた。
 篠原一先生は近著『市民の政治学』で、新しい市民社会論は古典的市民社会論の主流派とは異なり、国家と経済社会(市場)と市民社会の三つの領域が相互に接合しながら、むしろ市民社会が優位にたつべきだと考えられていると整理されておられる。注目すべきは、ベルンシュタインが百年以上も前にこの問題と格闘していた節があることだ。この市民社会論とのかねあいにおいて、協同組合が積極的に位置づけられているように思える点は、一つの遅まきながらの発見であった。
 昨今、流通再編等の進行の中で、生協の広域組織統合が各地ですすめられている。あらためて協同組合の本質や使命についての議論が深められる必要がある。生活クラブ連合会は、今秋、欧州の協同組合の視察団を派遣する。筆者もこれに参加するが、こんな問題意識をもって臨み、その盛衰を見聞してみたい。



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