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記事データベース 目次 月刊「社会運動」を中心に各記事を紹介しています。全文は「会員用ページ」に収録してあります。


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『社会運動』 295号

2004年10月15日

目次

<座談会>『社会運動の社会学』と生活クラブをめぐって 道場親信・大畑裕嗣・樋口直人‥‥ 2
反核ヒロシマのいま
 反核・平和・ヒロシマ 清水亮子‥‥12
 戦争しないこと、それは大人の責任 山田美智子‥‥13
 〜2004年、夏、ヒロシマ〜 市塚章子‥‥15
 核戦力の現状―第一撃兵器・P3C対戦哨戒機 倉形正則‥‥17
社会的経済・モンブラン会議へのコメント
 EUにおける社会的経済の認知度 栗本 昭‥‥22
 フランスの社会的経済の現状と事例 石塚秀雄‥‥28
 イタリアの状況と社会協同組合 佐藤紘毅‥‥33
生協と福祉
 生活クラブと「地域福祉」2004 危惧される制度の変質中山靖隆‥‥36
どうなる介護保険 新介護保険制度 制度編 長谷憲明‥‥45
この一枚<共同開発米>‥‥51
<緊急報告>穂枯れで「共同開発米」「飼料米」に被害
 庄内のコメ、台風の潮風で大打撃 柏井宏之‥‥52
GM最新事情 ドイツ、共存に関する法律が一歩前進 地球の友・ヨーロッパ‥‥55
協同組合思想(下) 協同組合ともう一つの社会〜J.ロバートソンの著書や新原則論議 森田邦彦‥‥59
追悼 S.Aベーク氏と「協同組合の基本的価値」の意義 白石正彦‥‥64
<状況風景論>映画『誰も知らない』&江戸期の〈仲間〉‥‥66
雑記帖 大河原雅子‥‥67

<座談会>

『社会運動の社会学』と生活クラブをめぐって

 道場 親信

  (大学非常勤講師)
 大畑 裕嗣

  (東洋大学社会学部教授)
 樋口 直人

 (徳島大学総合科学部講師)

 本誌の題名である「社会運動」にある種の手垢のついたイメージや、決してプラスでないイメージを持つ方々は、少なくないと思われる。こうした現実は事実であるが、この流動する現代に直面しつつ、「社会運動」の「歴史性」を踏査すると驚きに出会うと確信する。市民セクターと協力関係にある、若手・中堅の気鋭の学者の方々が、この課題に正面から取り組んだ。このことの意義を語り合っていただいた。(編集部)

 

<道場>今年4月に、私たちが編者となって日本初の社会運動論の体系的教科書『社会運動の社会学』(有斐閣)を出版したわけですが、ここで「社会運動」という概念を軸にさまざまな現代の運動を扱い、現代社会とのつながりを論じているということもあって、この本をめぐって、編者で座談会をして欲しいと市民セクター政策機構から依頼があり、今日の座談会が設定されました。まず最初に、自己紹介も兼ねてどんな研究をしているか話してください。


<樋口>もともとの専門は移民研究で、トランスナショナルな現象に関心があります。それとの関連で外国人の政治参加や参政権の問題、グローバル化と社会運動について論文を書いてきました。ただ、現在力を入れているのは吉野川可動堰問題にみられるような、90年代以降の住民運動と地方政治との関係です。今年から4年のプロジェクトで、徳島、高知、東京などの知事選と住民の政治意識に関する世論調査を行います。


<大畑>大学院がマス・コミュニケーションのコースだったということもあって、この本で担当したような「社会運動とメディア」の問題について考えてきました。市民セクター政策機構の前身である「社会運動研究センター」の研究プロジェクトの周辺で、うろうろしていたこともあります。
 韓国で1987年から93年まで暮らしたあたりから、韓国の社会運動と市民社会が仕事の中心になってきました。まもなく出る予定の論文では、韓国の環境運動が、「世界化」「地域主義」などの言説の力場の中で、仁川国際空港建設問題にどのように対応していったかを論じました。


<道場>私自身は戦前から戦後の社会運動と思想について研究しています。いくつか軸はありますが、今日の座談会との関連でいえば、戦後の平和運動、市民運動、1960-70年代の住民運動と地域像などについて研究しております。おそらく年内に出せると思いますが、今、創土社という出版社から「シリーズ・1970年代の住民運動」と題した復刊本の叢書を出す編集作業をしています。

 

●社会学における社会運動研究
<道場>では、本論に入りますが、まず、どうしてこのような本を出すことになったのか、というところから始めましょうか。


<大畑>ここに出席の3人も、もう一人の編者である成元哲さんも「社会運動論研究会」に関わっています。80年代中ごろから社会学の分野でも、「新しい社会運動」などへの関心が高まってきました。こうした動きを背景に研究会が   ‥‥続く

<反核ヒロシマのいま>

反核・平和行動ヒロシマ

清水 亮子

 9月4日、川崎市平和館で「反核平和ヒロシマ実行委員会」による2004年広島行動の報告会が開かれた。生活クラブ生協・神奈川では、組合員からカンパを募り、広島の原爆の日にあわせて代表団を毎年、派遣している。実行委員の伊中悦子さんは「派遣し続けることがたいせつ。戦争はいやだ、と思う人を一人でも多く増やさなければ」と言う。今年も神奈川全域から18人が広島を訪れた。大人を派遣するのと並行して、子どもたちのための「子どもツアー」も実施している。
 4日の報告会は、今年の参加者のうち、かわさき生活クラブ生協(神奈川は今年からブロックが単協化)から参加した大人5人・子供5人を報告者として開かれ、約80人が参加。かく言う私も、登戸デポーの組合員として代表団に名を連ね、小学校6年生の娘も「子どもツアー」への参加にカンパから半額補助を受けるという幸運    ‥‥続く

<反核ヒロシマのいま>


戦争をしないこと、それは大人の責任


山田美智子

 この夏、生活クラブから広島平和集会に派遣していただき、貴重な体験をいたしました。 8月5日の「米軍岩国基地」見学では、市街化区域の4分の1を基地が占めるため、地価は高いし道路事情も悪いという厳しい市民生活をよそ目に、「おもいやり予算」(=私たちの払った税金)で基地の中に建てられた高層住宅、基地内住人のための「フリーダム・ブリッジ」が造られている現実を目にしました。 翌8月6日の証言の集いでは、被爆した時の苦しみだけでは終わらず、子の代、孫の代まで苦しみを背負い続ける被爆者のお話を伺いながら、悲惨な体験を語り継ぐことの大切さを痛感しました。午後は「宇品・比治山の戦争遺跡」を巡り、被爆の跡だけでなく、明治天皇の行幸の碑、戦勝記念碑など、戦争に向かって人心を牽引して行ったプロセスを見てきました。
 8月7日は「広島湾スタディ・クルージング」で、似島、江田島を間近に見ながら、旧海軍の爆弾製造工場が、今は民間になっただけで、爆弾を作っていることに変わりはなく、また、今年2月、海上自衛隊呉基地から「おおすみ」が輸送艦としてイラクへ、「さみだれ」がアフガニスタンへ向けて出港したことを知りました。「おおすみ」は戦車揚陸艦で、大型の戦車を一台載せて強襲上陸させることができるホバークラフト(LCAC)2隻が艦内に    ‥‥続く

<反核ヒロシマのいま>

2004年、夏、広島
被爆者の証言に思う

語るひと:市塚 章子

 その日私は、広島駅の近くで赤いヒカリに包まれた。仲間がいる事務所の部屋に向かって叫ぶ。
 「退避―」
 当時、逃げろという言葉は使えなかった。
 すべてのものが自分の上に落ちてくる。飛んでくる。
 気がつくと目の前が真っ暗だ。何も見えない。
閃光のような、鉛のような味が、口の中に広がる。
 廃材と化した事務所の机の下、20cmの間に、私はいる。目の前をほこりがうわぁーっと舞う。まだ体中を赤いヒカリが、炎が取り巻いているようだ。
 よく見りゃ左半身べっとりと血だらけ。ガラスが勢いよく突き刺さったためか。ほふく前進で重なり合う廃材の山から出る。着ている服はすべて、突き出ているもので引き裂かれた。
 原型をとどめない建物のくずの中から、うめき声が聞こえる。瓦礫の中からやっとの思いで這い出てきたモノは、目の前のモノに助けを求める。しかし助けてを求められたモノも重症だ。元気  ‥‥続く

<反核ヒロシマのいま>

核戦争構造の現状
第一撃兵器・P3C対潜哨戒機

倉形 正則

 ソ連邦の崩壊とともに東西冷戦体制は崩れました。冷戦とは、膨大な核兵器による「恐怖の均衡」の別の呼び名でもありました。しかし冷戦は崩れても、人類を滅亡させ、地球に「核の冬」をもたらす核戦争構造は、未だに続いています。イラクへの海外派兵に踏み切った日本。我が国の核戦略システムとの関係を振り返ってみます。

●核保有国の核兵器状況
 核拡散防止条約(NPT)という国際条約があります。NPTは、核兵器の拡散を防ぐための機構ですが、一方で米国、ソ連、英国、フランス、中国の先行組のみを「公式の核保有国」として認可している不平等条約でもあります。
 米国の「自然資源防護協議会(NRDC)」によると、5大核保有国は、現在でも約2万発の「戦略用」核弾頭を保有しています。(米国10,640、ロシア8,600、英国200、仏350、中国400)ピークだった1986年の約6万5千個と比べれば3分の1以下にはなっています。(グラフ1参照)
 グラフ1でも顕著なように、1991年に調印された第1次戦略兵器削減条約  ‥‥続く

「社会的経済」モンブラン会議:コメント@

EUにおける社会的経済の認知度 会社法に続き欧州で3分野で法制化

生協総合研究所

主任研究員 栗本 昭

 私は、おそらく、フランスの社会的経済あるいは連帯経済の話が中心になると思いましたので、それがヨーロッパ全体の中にどのように位置づけられるのか、という点を中心にお話ししようと考えております。といいますのは、社会的経済の発祥の地がフランスで、最も制度化され社会経済の中に位置づけられているのがフランスである、と言われています。ところが、急進党の人だと聞いていますが、社会的経済若手リーダー会議の会長ピエーリ・ジャンテは、今回、呼びかけを送ってきた時に、「社会的経済をフランスあるいはヨーロッパ各国の中でよりビジブルなものにしたい」と言ってきました。社会的経済が一番位置づけられているフランスでなぜこういうことを言うのだろうかと、私は疑問を感じました。
 後ほど石塚さんから詳しくお話がありますように、フランスは、関係大臣もいれば法律もあれば組織もある。さまざまなサポート組織もあるし、研究所も非常に多い。そういう点で、フランスが社会的経済あるいは連帯経済の最大の国であると言って間違いないのですが、現在どのようなところまで来ているのか。「ヨーロッパにおける社会的経済とフランスのポジショニング」という話をしたいと思います。

 

1.EUにおける社会的経済
 まず、EUにおける社会的経済についてですが、粕谷先生からありましたように、1989年にEUのDG23(第23総局)の中にSocial economy unitがつくられました。これがEUレベルで位置づけられた最初だったのではないか。当時は、EU委員長がロカール、フランス大統領がミッテランで、このフランス社会党のコンビが中心となって、フランスでつくられたeconomie socialeをEUに持ち込んだのではないかと考えられます。
‥‥続く

「社会的経済」モンブラン会議:コメントA

フランスの社会的経済の現状と事例 市場を含めた<互酬>にどう踏み込むか

非営利協同総合研究所 いのちとくらし

主任研究員 石塚 秀雄

 いまご紹介がありましたように、私は、モンブラン会議は結局参加できませんでした。主宰のティェリ・ジャンテとはクリスマスカードの交換を3〜4年していたのですが、その後関係が途絶えていたので、久しぶりに会えるかなと思っていたのですが‥‥。

フランスにおける新旧論争をめぐって
 『社会運動』292号に載った北島健一さんの報告「フランスにおける『社会的経済』と『連帯経済』」は、いわゆる新旧論争が一つの軸でしたが、もう一つはどこの場面で活動するのかという領域の問題があると思います。
 私は昨年9月、フランスで、連帯経済のことで何冊か本を書いているベルナール・エメ(パリ大学政治学研究所、ラビルなどの研究仲間)と話をしたんですが、連帯経済というのはどちらかというと社会運動的な領域で、したがって新しいという説明でした。そういう理屈になろうかと思いますけれども、私が連帯経済のことを初めて読んだのは1986年頃のフランスの論文で、グローバル化とかいわゆる発展途上国の経済、特にラテンアメリカ等の内発的な経済活動をどうやって進めていくのか、という議論の中で連帯経済という言葉が主として使われていた、というのが私の印象です。
 その後、フランスで名称論争みたいなこともあったりして、結局、社会的経済連帯経済省という名称になりましたが、長ったらしいから連帯のほうを選んだらどうか、という政治的な議論があったわけです。
 したがって、連帯経済か社会的経済か、というふうに対立するものではなくて、領域が違うという問題と政治的な言葉の振り分けということもあって、中身が相当重なっている。ある人は社会的経済のつもりで連帯経済を使っているかもしれないという、少し曖昧になってきている状況だと思うので、フランスの主軸が非常に明白に社会的経済か連帯経済に移っていくという印象ではない。北島さんはJ.L.ラビルとも親しいし、報告はA.リピエッツに基礎を置いていたので、やや抽象的な話になったのかなという気がします。
‥‥続く

「社会的経済」モンブラン会議:コメントB

イタリアの状況と社会協同組合 内的相互主義を越え外的相互主義も追求

市民セクター政策機構

主任研究員 佐藤 紘毅

「社会」の用語についての後遺症
 社会的経済については、本日この場で問題はほとんど出尽くしており、私の意見などが入り込む余地はないような気がしますが、イタリアの状況を考慮して感想を1〜2点述べさせていただきます。
 ひとつは用語の問題で、いま社会的経済という用語が使われていますけれども、歴史的に見てイタリア人にとってはあまり歓迎すべき用語ではありませんでした。フランス起源の外来語だという意識もあります。それから、ソーシャル(sociale)という言葉はファシズムの時代によく使われて、戦後、民主派あるいは左翼の人たちにとって使いにくい言葉でした。ムッソリーニが失脚した後、ナチスの力で再建された国家が「ソーシャルリパブリック」(Repubblica Sociale)呼ばれ、その流れを汲んで戦後結成されたネオ・ファシスト党は「社会運動」(Movimento Sociale)と称された、といった具合です。こうした状況は80年代まで続いたといってよろしいかと思います。パットナムの研究でも明らかにされましたように、イタリアにおきましても「市民社会」の形成が70年代以降に加速され、カトリック社会派の人々を先頭に左翼勢力や協同組合陣営の人々も徐々に「ソーシャル」を使用するようになりました。
 栗本さんが示されました社会的経済の認知度の表を拝見しましても、最近はイタリアでも「社会的経済」の認知度はかなり高くなっていることがわかります。それは、言葉を受け入れるというのではなくて、実体を受け入れているということだと思います。今でも、協同組合の人たちは、ソーシャル・エコノミー(economia sociale)という言葉を積極的には使用しておりません。ただその実体的存在を語るというのがイタリア的な事情です。
 それから、粕谷さんが、北島健一さんの話に関連して、社会的経済と連帯経済のある側面というか対抗関係というか、その点を注目されたと思いますが、石塚さんのお話にありましたように、私も、必ずしも対抗的にとらえる必要はないだろうと思います。しかし、連帯経済と呼ばれている部門の革新性と申しますか、粕谷さんがおっしゃったイノベーションの部分を背負っている点は強調される必要があろうと存じます。
‥‥続く

生活クラブと「地域福祉」2004

―首都圏の生活クラブ4生協グループ、地域福祉の課題と展望―

NPO法人近未来生活研究所
主任研究員 中山 靖隆

 介護保険制度によって、「福祉」のイメージは「官」から「民」へと大きくシフトした。本稿では、この制度以前から非営利協同の福祉事業・活動に取り組んできた4都県(東京・神奈川・千葉・埼玉)の生活クラブ運動グループの、独自性や介護保険事業の現状、課題、展望等をレポートし、今後の市民福祉の可能性と課題を考える一助としたい。(以下、4都県それぞれの生活クラブ運動グループを、「東京」「神奈川」「千葉」「埼玉」と表記する。)

☆「生活クラブの福祉事業」の規模
 介護保険事業にとりくむ全国の地域生協(医療生協を除く)の、2003年度の介護保険事業高は約76億円(日本生協連調べ・生活クラブ生協を含む44生協分)である。2001年度約47億円、2002年度が約64億であるから、ここ2年で約40%の増加となり、今や福祉事業は、日生協の方針でも、購買・共済に続く生協の「第三の事業」と位置づけられている。
 生活クラブ生協連合会(17都道県・組合員約26万人)の調査によれば、福祉事業を行う生活クラブ運動グループ(8都県の、生協、ワーカーズ・コレクティブ、NPO等を含む)の2003年度における福祉事業総事業高は約70億円。サービス利用者は約30,000人。そこで働くメンバーは約11,000人であった。
 このデータには、食事サービスや子育て支援等々、介護保険外の多様なサービスが含まれ、また生協外の比率の方が大きい。このため単純比較はできないが、全国の生協の介護保険事業高の総計に匹敵する規模である。(下表参照)
‥‥続く

どうなる介護保険(上)

新介護保険制度 =制度編=危惧される制度の変質

長谷 憲明
(関西国際大学教授)

 法律にも明記された、介護保険制度の「見直し」時期が迫っている。制度変更の影響は大きいと言われているが、いまだその全体像は市民に明らかではない。制度は、細かく複雑であるが、市民も参加して将来の「予測と調整」を行い、「制度設計」に参加しなければ、個々にとってもますます使いづらくなる。この課題のため、行政現場の長い経験もあり、かつ市民活動も継続している筆者に寄稿していただいた。 (編集部)

 

1 はじめに
 2006年4月の実施に向けて審議会等で介護保険制度の見直しの検討・調整が進められているが、平成16年7月30日の社会保障審議会介護保険部会で示された「介護保険制度の見直し案」により、一定程度その姿が見えてきたといって良い。
○ 介護保険制度は
第一期介護保険事業
  制度の導入期 2000.4~2003.3.31
措置制度から契約制度※1への円滑な移行・定着を主目的に実施
第二期介護保険事業
制度運営基準の改正及び介護報酬の改定 2003.4~2006.3.31
とりあえず実施した介護保険制度について、法律の枠内での課題解決を図った。具体的には運営基準の改正による質の確保及び介護報酬による介護サービスの誘導である
第三期介護保険事業
介護保険法の改正 2006.4~2009.3.31
社会保障制度改革の嚆矢としての法改正
 というスケジュールで進んできた。今回の法改正により介護保険制度は完成をみるかということ
‥‥続く

<緊急報告>

穂枯れで「共同開発米」「飼料米」に被害
庄内のコメ、台風の潮風で大打撃

柏井 宏之

 生活クラブの米産地、庄内遊佐地域は、日本海沿岸の秋田、新潟とともに、台風15号の潮風台風によって水稲が穂枯れするという塩害による大打撃をうけた。消費者と生産者の顔が見える関係、1年間の契約で供給されている「共同開発米」や国内自給率アップをめざす「飼料米」が直撃された。

 「一夜の風と潮が全てを持っていきました」と、私たちを出迎えた庄内みどり遊佐支店の佐藤秀彰さんが、抑えた語り口で切り出す。
 「台風による塩害で、稲が穂枯れしたり、穂先が飛んで白くなった被害は、遊佐の古老たちも今まで経験したことがないというんですよ。」
 今回、私たちは、法政大学経済学部の粕谷ゼミの「市民事業活動調査−〈テーマ〉食料自給と循環型社会」(リーダー・内海亜美さん)ということで、10名が9月6日、遊佐を訪れたのだが、8月20日の台風15号の雨を伴わない満潮時の潮風によって水稲・大豆が被害、その直後に遊佐に着いた。ちょうど生活クラブ連合会の加藤好一専務や消費委員会メンバーも駆けつけて緊急会議という緊迫した空気と大型台風18号の接近も間近という中で、被害地帯をみた。
 鳥海山をのぞむ広大な水田地帯。一見すれば、穂倒れしているわけでもなく、薄茶色の光景が拡がっている。しかし、よくよくみると黄金色ではない。つまり塩害によって枯れはじめている薄茶色の世界なのだ。台風15号の特色は雨をふくまない強風で、満潮時の海水が強風に吹きとばされる形で、水稲・大豆のほか、中間山地の杉
‥‥続く

GM最新事情

ドイツ、共存に関する法律が一歩前進

地球の友・ヨーロッパ(バイオテックメールアウト2004年7月号より)

(訳・翻訳ネットワーク:松山朋子、藤井美枝、棚町精子、大藪寿里、水野りる子、石田洋子、永田マキ子、山本千鶴子、佐藤直子、三上浩子、十河温子、西容子、荒井佐代子、西尾輝子、岡崎圭子、早川美奈子、山中恭子)

 連邦議会(ドイツ議会)は2004年6月18日、非遺伝子組み換え(非GM)食品の生産の確保と、GM作物と非GM作物の共存の確保とを目指した新しい法律を採択した。この法律は、遺伝子組み換え生物(GMO)の意図的放出に関するEU指令2001/18に基づくものであり、この指令によって各加盟国は、GMOがほかの製品に混入するのを防ぐ対策を講じることが可能になった。新法にはドイツ連邦政府が今年2月に発表した法案(バイオテックメールアウト2004年4月号参照)と比べて、いくつかの改善点(編註:具体的文言)が取り入れられている。

本法律の主な条項とは
○農家や一般市民が、近隣におけるGM作物の栽培について正確な情報を得ることができるような公開登録簿。
○GM取扱業者が非GM農法を保護し、GMOの放出を原因とする「物的損害」(経済的損失)を防ぐべく予防的措置をとる義務。特にGM作物を栽培する際の「優良農業行動」の遵守。
○GMOとの交雑が原因で慣行農家・有機農家が経済的損失を受けた場合の損害賠償制度。
○生態学的に影響を受けやすい地域の保護。新法は連邦自然保護法を改正し、生態学的に影響を受けやすい「ナチューラ2000」地域に著しい影響を及ぼす場合、野外実験およびGMOの使用や取り扱いを認めないと定めている。
○特定の製品について共存が不可能と(事前に)証明できれば、承認しない可能性がある。
○GMOの侵入能力(編注:それまで分布しなかった地域に移入する潜在力)が高まったことにより、環境に被害を与える可能性があるならば、認可の拒否または取り消し(あるいはその両方)が可能である。
‥‥続く

協同組合思想(下)

協同組合ともう一つの社会
J.ロバートソンの著書や新原則論議

日本協同組合学会会員 

森田 邦彦

5.『21世紀の経済システム展望』
 この本は、TOESの提唱者で1987年にNew Economics Foundationを創設したジェームス・ロバートソンの著書Transforming Economic Life: A Millennial Challengeを石見尚先生からの協力の要請に私が応え1999年11月に翻訳し発行したものです。その1年前の1998年の5月、イギリスのバーミンガムでサミットがあり、TOESも「ピープル・サミット」という名前で、会議とデモを行いました。会議には日本からは石見先生と私が参加しました。会議は約300人規模でしたが、デモの方は「ジュビリー2000」という第三世界の債務の免除・軽減を求める組織やキリスト教会関係者など2000人以上にふくらみました。2年後の2000年には、沖縄でG8サミットが予定されており、同じピープル・サミットを沖縄でも開こうという石見先生の提案に私も合意し、この本を翻訳してその資金をつくるという意図もありました。なお、沖縄のTOESには、神奈川の生活クラブ関係の人が10人程度参加していただきました。この本は、西暦2000年(ミレニアム年)を迎えるにあたり、シューマッハ協会が「シューマッハ双書」を発行することになり、その第1回の本としてロバートソンが書いたもので、英語版以外のものでは初めてのものです。
 内容は、21世紀に向かって人と地球が大切にされる持続可能な経済への構想を中心に書いたもので、人間の持続可能な生活の基盤としての地域経済の確立の必要性と、一方で世界規模で広く連携することの必要性を解説したもので、われわれの経済行為をどう調整すれば自然界と両立できるものとなるかを示したものです。内容の詳細な説明は省きますが、ロバートソンはHE経済からSHE経済への転換ということをいいます。HEはHyper & Expansionの頭文字で大量エネルギー依存の拡大経済を指し、SHEは、Sane, Healthy & Ecologicalの頭文字で正気で健康で自然環境を尊重する経済を意味しています。全部で5章から構成されています。
‥‥続く

“協同組合の基本的価値”志向の協同組合運動の
新地平を拓かれたS.A.ベーク氏のご逝去を悼む

東京農業大学国際食料情報学部教授 白石 正彦

●ICA東京大会の立役者
 世界の協同組合人に1992年のICA(国際協同組合同盟)東京大会を通じて“協同組合の価値”志向の理念・原則・実践の3つの結びつきの重要性を理論的・実証的に解明し、ICA改革を提言したS.A.ベーク氏が2004年9月4日に心臓発作でご逝去され、大変驚いている。心からご冥福をお祈りしたい。享年69歳であり、21世紀の新たな協同組合運動の展開に対して貴重なアドバイスや支援を頂けないのが誠に残念である。
 ICAの2004年9月13日付け「Weekly Digest(Volume1,Number 25)」は、在りし日のベーク氏の写真を掲載し、「Swedish Co-operator Leaves Lasting Legacy (永続的な遺産を残したスウェーデンの協同組合人)」という見出しをつけ、突然のご逝去を悼んでいる。すなわち、@1975年にスウェーデン協同組合研究所の初代所長に就任し、スウェーデン協同組合学会会長やICA調査作業部会部会長として活躍されたこと、A1980年代末にはICAの協同組合の価値と原則に関する宣言を見直す作業の国際的協同組合人と科学者グループの総括責任者に任命され、1992年のICA東京大会ではベーク氏の著作である『変化する世界における協同組合の価値』(Co-operative Values in a Changing World)が採択されたが、これが最終的には1995年に採択された新協同組合原則の基礎になっていること、Bベーク氏は周知の著名な協同組合人であっただけに、世界中の協同組合人にとって多大な損失である、と報じている。
‥‥続く

《状況風景論》

親しい親密縁、市民の柔らかな包摂支援への期待&江戸期の〈仲間〉

●『誰も知らない』が映した世界
 カンヌ国際映画祭で14歳の少年・柳楽優弥クンが最優秀男優賞をとった映画だ。立ち見まで出る客席。観客は若い世代、それも女性が多かった。この映画が深く静かに与えている影響、それはあの〈韓流〉ヨン様ブームとは別の、いわば〈仏流〉社会性とも呼ぶべきまなざしだ。
 それは日本で続発する幼児放棄
や虐待報道の冷たい見方を180度ひっくり返す眼からうろこの柔らかな展開で描く世界―。
 母子家庭の4人兄妹。12歳の少年が母親代わりの家事をする。やがて母親が家を出ていく。そして一番幼い女の子が死ぬ。東京の巣鴨で実際にあった事件を監督・脚本・編集の是枝裕和が常識と別解釈の想像力で16年越しに実現した映画だ。それは家族という単位が失われた中で漂流する子どもたちが、いかに日常的に社会から見放されているか、その中で知恵を寄せ合い生き抜き、なすすべもない経済的破局の中で更なる困難に遭遇していくかを今の〈日本の風景〉として、是枝は兄妹の視線から見つめ続ける。
 駅前商店街にコンビニ。団地の街と部屋。そのありふれた風景のマンションへ転がり込むためには母子家庭、それも幼い子連れではダメだ。夫は海外出張と偽り、下の2人の子はトランクに入れられての入居。しかも父親は別々。おそらく出生届が非嫡出子(婚外子)のため出されなかったのだろう、上の兄妹は小学校にも行けない。『誰も知らない』とのタイトルには、少子社会の裏側にある人口にあらわれない婚外子家族の問題が提起されている。
 大家もコンビニの店長も、野球に誘う先生も、電気も水道も止められた子どもたちの泡立つ不安の何も見えていない。見えているのはいじめに遭う少女とコンビニの裏口から賞味期限の切れたおにぎりを渡してくれる若者だけだ。金属音をとどろかせて飛ぶ飛行機とモノレール。この無機質で社会的排除に満ちた〈東京風景〉の中に私たちは生きているのだ。
‥‥続く

雑記帖

【大河原雅子】

 すわ、神様もお怒りか? 9月1日の浅間山噴火のニュースに、地元に被害のないことを祈りながらも、私の頭には「八ッ場(やんば)ダム中止!」の文字が躍り、しばし想像を巡らせてしまった。中規模の噴火とはいうものの、都内の一部にも降灰。群馬県長野原町の水没住民の方の中には、以前から浅間山の噴火を警告する方があり、「やはり!」と私が思うのも無理からぬこと。ダム予定地は2万4千年前の浅間の噴火で、吾妻川沿いに流れ下った火山性の土砂が堆積している場所。水と混じれば崩れやすく地すべりが心配されている場所だからだ。
 昨年11月、国は八ッ場ダムの事業費を4600億円に倍増。知事たちはまともな調査もせずこれを受け入れ、議会も賛成派が多数を占めた。そこでこの問題に取り組んできた「首都圏のダム問題を考える市民と議員会」は、全国市民オンブズマンの有志・弁護士と協力して、住民訴訟を視野に入れた1都5県一斉住民監査請求を 計画。9月10日、5293名(埼玉858名、群馬523名、千葉1337名、東京2037名、茨城401名、栃木137名)が、八ッ場ダム事業に対する住民監査を請求したのだ。監査請求は、自治体の不当もしくは違法と思われる公金支出について住民が監査委員に監査を求める仕組み。
 だが、各都県での水余りや妥当性のない治水計画を監査委員が正当に監査ができるかどうか、監査委員の能力や役割が問われている。監査委員4人のうち2人は議員。議会での慣例的な選挙で選出され、いきおい知事与党の議員だ。知事の予算執行を常に是としてきた議員に、この役割は酷というもの??前回の東京都への住民監査請求は、政策議論は議会の役割として門前払いとなり、住民は意見陳述さえ許されなかった。だが、今回は公金支出の不当性・違法性の指摘に弁護士が知恵を絞った。役にたたない制度ならいらない。住民の権利として、期待に応える監査であって欲しいものだ。



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