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『社会運動』 298号

2005年1月15日

目次

新年のあいさつ 柏井宏之‥‥ 2
<新春特別企画> 新たな10年を考える 河野栄次‥‥ 3
第17回社会経済セミナー報告 ファスト風土化する日本 三浦 展‥‥19
この一枚<阪神淡路大震災> 前川智佳子‥‥30
日本協同組合学会第24回大会報告 子会社化とアウトソーシングを議論 柏井宏之‥‥31
健康を「食」から考える@ 病の肥大化現象と進歩のパラドックス 岸田 仁‥‥37
食の焦点D りんごと日本農業 今野 聰‥‥42
アメリカ大統領選をめぐって ブッシュの再選と平和運動の課題 ウォルデン・ベロ‥‥43
正義と快楽の「人間抹殺」B ハンセン病元患者の宿泊拒否・誹謗中傷事件にみる日本社会の病理
葉上太郎‥‥48
“色”で読み解く『戦後詩』の風景A ふたつの“戦後”を渡り合う風―吉本隆明の詩 添田 馨‥‥54
人間と原子力 映画『六ヶ所村ラプソディ』 鎌仲ひとみ‥‥59
<書 評> バーナード・クリック『デモクラシー』 栗原利美‥‥62
2004年バックナンバー ‥‥66
雑記帖 古田睦美‥‥68

巻頭言
市民セクター政策機構理事長

柏井 宏之

 新年の連帯のご挨拶を申しあげます。
 お正月を孤独の中で過ごす独居高齢者に「おめでとう、今年もよろしくね」と声をかけ、食事会をする試みについて、私の属するNPO法人の運営会議は長い議論をしました。そこから見えるものは、地域の中でかすかにつながり合った親密園の“新しい家族”のつくりようです。職員にとっても大事な休日、しかしそれを越えて自発的な自立支援に取り組まれた人も、野宿労働者のいのちの支援を含め多かったことでしょう。人のぬくもりはその中に育ちます。
 昨年7月の市民セクター政策機構の総会で、私たちの状況認識にふれて「市民社会のなかから自発性でつくるさまざまな社会的包摂の機能の必要性であり、非営利事業が寄付型のNPO法だけでなく、出資型の協同組合法を含む民法34条の抜本改正によって、意志ある人が準則主義のもとでさまざまな非営利事業を起こし、自由で新しい働き方によって、地域社会から市民社会を地道に創り出すことを、時代は問い続けている」と述べましたが、それはますますはっきりとしてきているように思います。
 ファルージャとチェチェンでおこった悲劇は、私たちが21世紀の巻頭に願った「多文化共生」の世界の陰画で、重い気分にとらわれます。ここまで暴力がまかり通る時代、それを抑止しえない現代知性と民主主義の無力が横たわり、これからも問われ続けようとしています。連帯の波に代わって沈黙が覆うとき、如何に暴力の荷担に手を貸すことになるかに人はふるえています。
 国内に眼を転ずれば、爆発する中国経済の余波で浮遊した日本経済によって、まるで不況はなくなったかのような錯覚のもと、政治改革は先送りされ、東京はビルラッシュ、銀座はブランド商品のショーウインドウの街を謳歌しています。
 かつて、五木寛之は、パリの凱旋門にたって、この豪奢はどこからきたのかと慨嘆したのを思い起こしますが、上海と東京の眼のくらむような様相は何を表徴しているのでしょうか。富とは盗まれた「死んだ労働」の化石とどこかで聞きましたが、マネーの物神崇拝が地獄絵の逆さ絵として不夜城を現出させています。
 谷川健一は『図書新聞』(12.25)の年末インタビューで「失われゆく中間地域−〈渚〉の消滅が象徴するもの」を語っています。それは昨年だされた2冊の『心にひびく小さな民の声』(岩波書店)と『渚の思想』(晶文社)にふれたものですが、「庶民に息づく〈品位〉」のあっという間の喪失が突き出されています。あらゆる日常的なリアリズムは消し込まれ、仮想的なバーチャルな世界が人々をとらえて放しません。まるで合わせ鏡の中に連続する自分がどこにいるのか、わからなくなる迷路に、日本の高度消費が舞っています。
 私たちが、顔の見える地域から押し出した「生活者の政治・社会・生活・労働・文化」の創出が問われる一年が始まりました。

<新春特別企画>

新たな10年を考える

生活クラブ事業連合生活協同組合連合会 会長

河野 栄次

 本年は、戦後60年の節目を迎える。戦後システムの綻びの中に、先行きの不安と不信は渦巻いている。しかし、この時代を切拓いていくために、私たちは、地域という足元から歩みを続けたいと考える。おりしも生活クラブ連合会は、第4次中期計画の策定中である。この時代を背にして、計画の議論を<ヒロバ>として位置付け、新しい力を得たい。年頭にあたりこの新たな10年の議論のために、河野会長の生活クラブ親生会総会での講演をメッセージとして掲載する。(編集部)

 

人口減少の時代

 こんにちは、河野です。生活クラブの新たな10年を展望する前に、これからの10年の社会状況について4点ほどあげます。
 主要な点で言うと、1つは「人口減少の問題」です。日本全体として、2006年から人口は減少します。既に、県別でみると、半数の県の人口は減少しています。しかし、都市部は2016年まで人口は減りません。要するに、都市に人口は集中するのです。実態は過疎化がさらに進行するということになります。
 戦後60年近くになりますが、人口増大にともなって経済が発展してきました。食糧生産も然りです。様々な機能を含めて拡大生産してきたのですが、人口減少への転換を期に、そうした構造そのものが変わることになります。私たちは、こうした事態を経験したことがありません。これまでの価値基準は、いつも前年よりもプラス、去年よりも向上・増加です。経済の仕組みもそこにあり、マーケットはつねに拡大する方向にありました。日本のマーケットは、人口増大ではなくなった時に、例えば食糧生産では廃棄速度を速めない限り、食糧は余ることになります。浪費せず、有効に活用するという考え方だと、食糧生産の方法を変えることが必要になります(また食糧輸入を見直すことがカギです)。
 こうした事態は、15年前から日本は「飽食のなかの過剰生産、過当競争」にもかかわらず、そのことを問題とせず、商品の廃棄を繰返して成長してきた発想を改めることになると思います。
 それから、人口構成の偏りと労働力不足が発生するということ

 

 ‥‥中略

 

 

地球環境の問題

 2番目は、「地球環境の問題」です。地球の温暖化が言われてから20年以上経っていますが、とくに近年はっきりしてきたのは、世界同時気象異常の発生です。例えば、今年の日本の気象を見れば夏は猛暑、そして、台風の上陸が例年の6個を上回り10個にもなりました。しかも、台風の発生場所が日本に近い太平洋上に変化しています。各国を見れば、中国ではある地域は干ばつ、ある地域は洪水です。アメリカではハリケーン。これは台風と同じです。地球環境の変化によって世界の気象変化が大きくなってきているということです。
 気象異常によって一番影響を受けるのが食糧生産です。いままでは世界同時異常気象と思っていませんから、例えば南半球がだめなら北半球がある。北半球のアメリカ大陸がだめならヨーロッパがあると考えていましたが、それではもう賄いきれません。食糧が不足すると、必ず紛争が起こるのです。食糧が維持されていれば、紛争は戦争にまで発展しないのです。アルゼンチンの場合、国としての経済状況はひどいものですが、食糧自給率100%以上ですから人々の生活はそれほど困ってはいません。食糧問題では暴動がおこりません。戦後という時間軸でみると、イタリアも同様で、20年も前からイタリアの国の経済は破綻しているといわれ続けていましたが、イタリアには大企業が少なく、中小企業と協同組合が強くて、食糧が一定水準で自給できているので、暴動から紛争にまではなっていません。
 戦後から今日まで食糧自給率を下げた国は、先進国では日本だけです。現在、食糧自給率は40%といわれていますが、実態はもう少し下がっているはずです。これまでは、自給率が下がっても、貿易収支は黒字で外貨がありますから食糧は輸入できるという時代が終わる、ということです。世界同時的に食糧生産に問題が起こってくると、まず自国の食糧事情の安定が第一になるわけですから。お金を出しても買えないということが起こり得るということです。
 環境の点で一番大きい問題は、水問題です。これは1990年代に「21世紀はなぜ戦争が起こるか」と聞かれたら、水だといいました。例えば、ウランがあっても原子力発電はできません、水がない限り。火力発電も同じで、水がないと発電できません。水力発電は言うまでもありません。エネルギー問題のカギは水です。それから、世界は都市化に向かっています。都市化する時には、ボットン便所から水洗便所が普及します。これも水を使用します。いま中国では都市化が非常に進み、水問題が深刻になっています。アメリカでは、どのような水を使って食糧生産しているのか。カリフォルニア州の場合、化石水を地下から汲み上げて利用しています。何億年前の水か知りませんが、早晩その問題が生じるでしょう。

 

 ‥‥中略

 

市場経済の問題

 第3に「市場経済の問題」、これは多国籍企業による市場の支配の問題です。多国籍企業はWTO(世界貿易機構)のルールに基づき活動していると主張しますが、現実は資本の論理による暴力的な力でもって押し切っているといえます。アメリカが仕掛けているイラク戦争と非常に似ております。
 少し話が変りますが、先日、生活クラブの提携先の畜産生産者、全農の担当者とともにNON-GMOトウモロコシの点検のためにアメリカに行ってきました。04年は天候が良く、トウモロコシは大豊作です。通常ならば、シカゴ穀物市場のトウモロコシ価格は相当下がるはずですが、実際にはあまり下がりませんでした。その理由は、石油代替燃料としてトウモロコシ原料のエタノール製造工場がものすごい勢いで出来ているからです。通常の輸出用トウモロコシは、ミシシッピー河を下り、河口のニューオリンズで輸出用船舶に載せ替え、パナマ運河経由で日本に到着します。最近では、ミシシッピー河に遠い地域の生産者は、内陸輸送に経費がかかるため、エタノール工場に出荷するようになっています。エネルギー戦略であり、食糧戦略でもあるのですが、豊作になっても暴落しない仕組みをつくっている

 

 ‥‥中略

 

小売業の構造問題

 4番目が「小売業の構造問題」です。40年前から、アメリカに比較して日本の小売業者数は10倍多いと言われてきました。しかし、現実的に小売業の数は減らないのです。サービス産業も含めて、ある水準で維持されています。退職後新たなことをするとなると、小売業、サービス業が多い。構造不況業種というと、その一番手は建設業です。日本の労働者6,000万人のうち、10人に1人は建設業に携わっていると言われていますから約600万人が関わっています。ある人が言うには建設業の現状では400万人もいれば充分で、建築業界から200万人程度の失業者が出るということですよ。それぐらい凄まじいもの

 

 ‥‥中略

 

新たな10年への基本戦略

 今後10年の社会状況として4点ほどあげました。これらの点を認識したうえで、生活クラブがどのような基本的戦略を立て運動・事業を展開して行くのか、ということになります。まず、現在の生活クラブ運動の基本的なものは何か、理念も含めて明確にすることです。
 協同組合は、組合に参加する人々の“道具”であること、組合員が自分の生活を良くするために主権者として登場しなければなりません。協同組合は組合員主権です。生活クラブがこの40年間優れているとするならば、「自分で考え、自分で行動する」をコンセプトに、組合員を“お客さん”にせず、常に主権者として登場する機会を創り続けてきたことです。その具体的事例が、組合員参加による消費材開発です。組合員が50万人になろうが60万人になろうが、組合員が必ず消費材開発に参加して、生活に必要な生活材を創る運動に取組むことです。この運動が連続しなければなりません。
 加藤専務が先ほど述べたように、生活クラブにおける主要6品目(米、牛乳、鶏卵、畜肉3品)、野菜を加えた7品目の組合員一人当り利用量は、余程のことがない限り利用が低下します。野菜を除いてこの傾向は10年続いています。事業高を維持するためには、調理食品に代表される加工度の高い材の取り扱いが要求されています。主要品目でも、私に合うように加工してくださいと要求され始めています。なんでもかんでも加工していいのか、考えることが今必要です。私は提携生産者に対して、食糧をエサにして供給しないで下さいと時々言います。消費材の本来的な価値は何か、ということをはっきり主張してくださいとお願いしているところです。
 ところが、事業的な数値を前にすると、本質的なことよりも現象的なことに追われてしまいかねません。最近の生活クラブはあまり論争がありません。そして取扱い品目がどんどん増えてくるわけです。しかし、取扱い品目数はもう限界です。注文用紙を何枚多くしたところでダメです。例えば他生協では1週間分の商品の注文用紙がなんと60頁にもなっています。それだけ取扱い品目を多くしたとしても、組合員の一人当り利用高は生活クラブより低いのです。


 ‥‥中略

 

協同組合の歴史的位置と現在

 まず、「協同組合の概念」についてもう一回整理してみる必要があります。というのは、1991年にベルリンの壁が崩壊し、これを契機に東側陣営の解体が始まりました。1917年のロシア革命以降、市場経済・資本主義国に対抗して、計画経済・社会主義国がありましたが、一党独裁、国家の官僚化によって人々の意思を反映しない仕組みに変質し、崩壊したわけです。それ以降、まさに世界中が市場経済主義となりました。
 しかし、よく考えてみると、資本主義経済が勃興して以来、協同組合が存在しました。協同組合の原理は実にシンプルです。人々が協働しながら自分たちの生活を良くする仕組み、社会をつくると書かれています(資料1)。協同組合は嘘なんかついていけないようにできています。資料をご覧ください。ここには、協同組合の定義・価値・原則が書かれています。
 価値として、協同組合は自助、自己責任、民主主義、平等、公正、そして連帯を基本的価値とする。協同組合員は創設者の伝統を受け継ぎ誠実、公開、社会的責任、そして他人への配慮という倫理的価値を信条とすると記されています。この基本的価値は拝む対象にしてはダメで、少なくとも行動原理に、使いこなしながら、基本的価値の内容をつくり変え、豊富化していくことが必要なのです。
 協同組合原則は、協同組合がその価値を実践に移すための指針ですから、運動・事業の点検の項目として理解することです。協同組合の事業運営は、人間を中心にする経済の仕組みといえます。ヨーロッパでは今、市場経済とは異なる「社会的経済」ということが言われてきております。私の考えは、人間関係を中心にする人々の生活をよくするための価値基準を持った経済の仕組み、という理解です。ですから、必ずしも今までの経済が発展するという概念ではなく、人々の生活がなりたつような経済の仕組みを考えること。協同組合を中心とする非営利事業も含めた新しい経済の仕組み、と言えます。
 日本におけるBSE(牛海綿状脳症)の発生は、表現は悪いですが、協同組合が市場社会に登場する絶好の機会と言えます。協同組合では全ての事業・活動内容を情報公開することは基本原則です。取扱い品目の生産流通履歴(トレーサビリティ)の開示は当たり前です。このことをすべての企業が行なうことになったのです。
 

 ‥‥中略

 

食糧主権と食糧の国内自給

 次ぎは「食糧主権と食糧の国内自給」です。これについて「0.5次産業」と書きました。0.5次産業と書いた理由をお話します。現在の食糧生産は、生産者と消費者が対立した構図ではなくなってきています。例えば養豚、養鶏、ブロイラー、酪農の生産者たちは、家畜に与える飼料は外国、主にアメリカから輸入しています。この点でみると、生産者は消費者なのです。飼料を購入する消費者です。生産者の飼料購入する際に、生活クラブがすべての生産者の間に入って取りまとめ、全農を通してNON-GMO飼料原料をアメリカから輸入しています。そうすると、生活クラブは消費者という位置ではなく、生産者と共同して食肉など食糧をつくるという位置なのです。ですから1次産業でなく0.5次産業としたのです。
 食糧生産というのは本来、食べる人間が見渡す範囲の地域でできていたのです。考え方を変えれば、地球の裏側に行かなくても「可視的領域」でできるのです。しかし、現実は市場競争、コスト問題があるから海外から輸入することになっています。
 これから先は、問題点として認識しながら輸入を継続して行く一方で、できる限り国内で自給戦略をゆっくり着実にすすめる。国内自給戦略は、地域での雇用の創出とも重なり、食糧生産をつなげていくという考え方が必要になります。
 さらに、国内生産を持続していくためには、機械設備、技術の課題があります。例えば米沢製油では、私たちが望む、化学薬剤を使用しない「湯洗い」という生産技術を持っています。しかし、その基礎になる湯洗い前の搾油機械が壊れたら、今ではその機械を製造しているところはありません。その機械を単体で製造するとものすごく高いものとなり、無理です。米沢製油では、中古機械を予備として購入し保管しているそうです。機械が壊れたらどうなるのか、米沢製油でナタネ油をつくり続けることができるのか、こうした問題が将来生じてきます。これらのことまで考えていきませんと、素性のわかる消費材は手にすることができなくなるのです。
 生産者が消費材の生産過程を公開し、その内容を理解できる消費者がいないと、結局何もできません。

 

‥‥中略

 

種の支配と日本の気候風土に適した食糧生産

 再び、鶏の話をします。今年9月にアメリカに行った時に、ブロイラーの生産地を見て来ました。現在、ブロイラーは、チャンキー種とコッブ種を育成している2社が世界を支配しています。世界中の肉用若鶏(ブロイラー)の8割がこのチャンキー種とコッブ種になっています。
 一方の雄であるコッブ社に視察にいく機会がありました。コッブ社では現在、飼育期間が標準42日齢、生鳥体重2.6kgで出荷しています。10年後に、どのような肉用鶏を育種開発しようと考えているのかと聞くと、10年後には同じ飼育期間で体重を3.2kgにするという。さらにスゴイのは、ムネ肉の割合です。胸の現在の割合が22%ですが、10年後には26%になるよう開発を計画している。ムネばかり大きい鶏をつくるらしい。日本人の場合、ムネ肉よりもモモ肉の方が消費されています。同行した人が日本向けにモモ肉を中心とした開発を質問したのですが、彼らにとって日本のマーケットは対象外とのことです。
 日本の肉用若鶏の生産実態からみると、他の鶏種を扱うということはほとんど出来ませんから、日本の市場ではますます需給のギャップが大きくなると言うことです。ですから、肉用若鶏の育種改良の流れは既に私たちとは関係なく、決定されているのです。
 

 ‥‥中略

 

生活クラブの環境政策の社会性と普遍性

 環境問題に関しては「自主管理監査制度」にそって進めていきます。要するに、有害化学物質や食品添加物、重油や電気等のエネルギー使用量など、総量を削減して行くことです。化学物質や水、重油の削減を数値化し、メッセージとして社会に訴えていくことです。生産者との提携で生活クラブ26万人の共同購入によって化学物質を何十d削減したか、今年度はさらに5d削減しようと、具体的に数値目標を出しながら社会的にアピールしていく。生活クラブ内で実践していることを、社会化することはできると思っています。その時、他の団体とぶつかることもあるでしょう。しかし、基本的な点を主張しながら、一方で現実の中で妥協していく。そして妥協しながらも、結果的には総体として動いていくことが必要です。化学物資については個別項目にあまり囚われずに、総量削減です。これは、生産者ばかりではなく、組合員の生活の仕方にも関わる重要なことです。
 今後、かつてのような経済成長は望めません。むしろ、高齢社会化などでGDP(国内の生産額)は横ばいできれば充分となります。そういう意味で、かつてのように使い捨て、廃棄はしなくなります。生活者の「生活の質」を、地球環境問題の裏返しとして考えていくというふうに考えないとダメです。そして、リユースびんを使用した時の限界性を明らかにしないといけません。例えば、リユースびんを使うときは、生産段階で厳しい検査しないと事故になる危険性がありますので、それに応じたリスクがあることを明らかにすること。そうしたリスクも開示し、消費する側もある水準でそのことを理解していかなくてはならないといえます。非常に難しい問題がいくつかありますが、敢えてこのことをこの10年で積極的に展開することです。やっていくということです。

 

地域社会づくり、新たな10年へ

 次ぎに、「情報公開に基づき、客体から主体へ、基本的には地域社会づくり」についてです。
 東京単協が「ブロック単協化」したのは、15年近く前になります。私が提案したことは、ブロック単協化ではなく「自治体単協化」、市町村毎の生活クラブ生協にしたい、ある意味で、現在のブロック単協化は妥協の産物です。その狙いについてお話します。
 私たちの共同購入は、働いて得た収入のなかの食糧消費支出を共同化して「生活に必要な材をつくる運動」をしているのです。しかし、一家族の生活は食糧消費だけではなく、働いて得た収入から税金払っています。税金は、市町村など基礎自治体や都県で、公務員人件費や教育費、道路、医療に使われています。行政に税金を取られているという発想では、生活は豊かになりません。払う限りにおいて、その使い道を私たち自身が自分の問題として理解する。「納税者主権」の考え方で、生活を豊かにするためには税金も市民が参加して有効に活用を図る必要があります。その一つの方法として、代理人運動をすすめ、議会で条例を提案できるように、予算案の組み替えできる議員数まで代理人を増やそうとしてきました。各地域でネットワーク組織をつくり、そこを核に代理人運動を進めてきたのです。また、生協も地域を中心に、人々の協同のなかで事業・活動を進めることができれば、等身大で生活の質の形成を考えてきました。
 そしてさらに、ワーカーズという形で地域の働く場を創るという戦略が加わります。公務員はおおよそ人口125人に1人程度います。人口10万人規模の自治体の公務員数は約800人程度です。
 この人口10万人自治体で26業種のワーカーズをつくれば400人程度の雇用を産み出すことが
 ‥‥中略

 
 とするなら、これまで準備してきたこと、いままで取り組んできたことを自分たちで、もう一度再評価してみてはと思います。そこで確認が出来れば、一人ひとり自分なりの決意を込めて、生活クラブ運動に参画していくことになるでしょう。優れた道具を作りましょう。少し、10年後をイメージして考えてみました。ご参考になればと思います。以上で、終わります。(2004年11月18日、親生会総会にて収録)

 ‥‥後略

 

第17回社会経済セミナー報告B

ファスト風土化する日本

三浦 展

消費社会研究家

 皆さんは、夏休みとかお正月に生まれ故郷にお帰りになった時に、現在と20〜30年前とでは故郷の風景がずいぶん変わってしまった、と思われるのではないかと思います。
 この写真は宇都宮市近辺(写真1)だったと思います。私が考える典型的なファスト風土の光景の一つだと思いますけれども、もう日本中がこうなっています。私の故郷の新潟県上越地方の高田も、今はこんなふうになっています。
 左下の看板のFKDIというのは百貨店の名で、都心にあった店舗をなくして郊外に移転したものです。3月頃東北新幹線の車窓から撮ったので、遠くに雪の山々が見えています。右奥の大きな建物は病院でしょうか。手前には広い道路が走っていて、それに沿って、パチンコ屋がありラーメン屋がありauのショップがあります。ここは、おそらく20年ぐらい前までは全くの田園地帯で何もなかった。そこに大きな道路が整備され、商業施設が移転してきて、病院とか大学とか福祉施設など、行政関係のさまざまな施設が郊外にどんどん移転してきた。そういう風景の典型がこの写真です。
 車社会に、中心市街地は対応できなくなって、ロードサイドにどんどんお店が移転したわけです。例えば私の故郷では、30年ほど前に高田と直江津が合併して上越市になり、市役所が田んぼの真ん中に出来ました。そうすると、いろいろな機能が、旧直江津でも旧高田でもないその真ん中にどんどん集まるようになっていったわけです。
 しかし、郊外化にも2段階あるような気がします。1段階目の郊外化地域は、すでにさびれつつあります。例えば、もともと何々街道と呼ばれていたような、江戸時代からの街道が国道になるわけですが、道幅が狭い。30年ぐらい前、そこに、パチンコ屋もあれば仏壇屋もあればマクドナルドもあるというふうに、商業施設がどんどん出来ていきました。
 しかし、すでのそのような郊外地域では、この写真(写真2)のように看板の店名も消えていて、店はつぶれてしまっています。ここは新潟市から村上市に向かう国道7号線沿いですけれども、狭いし古いので郊外自体がさびれている。つまり、最新の郊外化によって、中心市街地だけでなく、旧郊外、旧ロードサイドもさびれるという状況になっているわけです。
 これが(写真3)新郊外です。秋田県かどこかですが、道路が非常に広くてきれいです。
 私は、昨年、家族旅行をしましたが、お金を掛けたくなかったので、JTBの白神山地行きのツアーについつい引かれて行ってきました。もちろん八幡平とか角館などのいわゆる観光名所も行くけれども、白神山地には2時間ほどしかいなくて、ひたすら道路を走りまくって「道の駅」に行ったり、昼食は契約しているロードサイドの蕎麦屋などにダーっと行く。一台のバスが来て食べ終わると次のバスが来るというピストン輸送の感じで、まさに「人間ファストフード」状態でした。
 バス会社は鉄道会社が経営していたりして、地方では有力な資本です。だから会社から教育されているのかも分かりませんが、バスガイドさんはひたすら道路を褒める。昔は山のほうの狭い道を走らなければいけなかったのに、国道が出来たお陰でこんなに早く行けるようになったんですよと、ツアーの3日間ずっとそんな話をするので、国土交通省の回し者かとか、わざわざ白神山地を見にきてなぜ所沢とか大宮・日進辺りの風景を見なければならないのか、と思いました。(笑)
 このツアーは、新幹線で仙台まで行き、そこからバスで2泊3日で回って、盛岡から新幹線で帰ってくるというものですが、料金は3万足らずで新幹線で往復するより安い。結局、JTBが「道の駅」や蕎麦屋や旅館などからキックバックしてもらっているから、そういう低料金で回れるわけです。‥‥続く

この一枚

阪神淡路大震災

 1995年1月17日に大震災が発生し未曾有の被害をもたらしました。阪神・淡路大震災です。震災に遭った人々は呆然と立ちつくす中、全国から集まったボランティアの活動は目を見張るものでした。ボランティア元年とも言われ、日本には育ちにくかったボランティアが行政ではできない活動をし、NPO法が生まれるのを早めました。
 また、市民の街づくりなど、そこに住んでいる人たちが「どんな街を作り、どのように暮らしたいか自分たちで考えよう」という考えが当たり前になり、市民自治の気運が大きく高まりました。
 なお「阪神淡路大震災10年」の追悼行事が1月17日(日)午前5時46分から神戸市長田区の御蔵地区で、また「震災10年のつどい」が同日午後5時から西宮市勤労会館で、NPO法人都市生活コミュニティセンター主催で開かれます。会費千円、FAX0798(36)5114‥‥続く

日本協同組合学会

第24回大会報告

子会社化とアウトソーシングを議論
強まる非協同組合形態への転化圧力

市民セクター政策機構

柏井 宏之

 日本協同組合学会の第24回大会は「子会社化とアウトソーシング」をテーマに<CODE NUM=00A4>10月16日から2日間、広島大学総合科学部・生物生産学部の教室で開かれた。これは昨年のミュンクナー教授の「協同組合の会社化」をめぐる提起を、世界の動きと日本の中では具体的にどのような実態にあるかをさぐるドキュメントな議論であった。(編集部)

背景に4分野の事業多角化と〈分離・結合・創造〉の流れ
増田佳昭氏(滋賀県立大学)が協同組合ガバナンス問題を指摘

 〈座長解題〉ということで、増田佳昭氏(滋賀県立大学環境科学部)は、いま、なぜ「子会社」「アウトソーシング」なのかと問い、昨年の栗本報告、グローバル化と大競争の強まりがヨーロッパ生協における事業の売却や企業買収、協同組合本体の会社化が構造再編としておこっているとの問題状況を冒頭確認してはじまった。(詳報は『社会運動』286号参照)
 日本でも、子会社化(協同会社化)は事業再編の重要な手段と位置づけられ、全農は36都府県の経済連を統合、他方で多数の子会社の再編と「広域会社化」、不採算部門の子会社化の流れが急である、また生協でも単協、連合会で少なからぬ子会社があり、組合員への配送分野でアウトソーシングが見られる、と指摘した。同時に全農の子会社の偽装表示事件に象徴される赤字の累積や不明朗な経営などの問題の噴出があり、それらの協同組合にもつ意味、利用者である組合員の統制とコントロールの検討の必要性を語った。
 背景に、協同組合の事業多角化の流れがあり、本来のコア事業の周辺に多角化が進むとし4分野をあげた。@水平的多角事業−農協や生協の共済事業、福祉事業、農協のエーコープやガソリンスタンド、A川上事業・川下事業−生協の食品加工・製造、農協の生産物加工・卸小売販売、Bインフラ事業−物流・情報、C間接支援事業−研究・コンサルタント、などである。それを「分離」「結合」「創造」の三類型にして事業部門再編と組織形態がおこっていると表にして説明した。‥‥
続く

健康を「食」から考える(上)

生活習慣病が死亡原因の60% “病の肥大化”現象と“進歩のパラドックス”

生活クラブ神奈川常務理事(あんず薬局代表) 

岸田 仁

はじめに
 日本の医療費は年々増大の一途で、厚生労働白書によれば2001年度には31兆円を超えました。2001年度の国民所得の伸びはマイナス2.7%であったのに対し医療費は3.1%の伸びとなっています。ここ10年ぐらいで見ると国民所得の伸びが毎年1%未満であるのに対し、国民の医療費の伸びは平均で6%にもなります。国民所得に対する医療費の割合は1991年に6%であったものが2001年には8.5%と大きく増えています。医療費は2025年には104兆円に達すると推計されています(この半分は老人医療費)。一世帯あたりの年間医療費は現在、70万円台ですが2025年には300万円を超えるとも見られています。経済的な面で日本の医療は早晩破綻せざるを得ないでしょう
 そうした中で医療費の負担先である政府管掌健康保険は1993年度から、そして組合健康保険は1994年から経常収支が赤字となり、以降年々赤字幅が拡大しています。とくにここへきて多くの健康組合が事業破綻に追い込まれ、健康保険制度の根幹が揺るぎ始めています。政府も国民健康保険に続いて組合健康保険と政府管掌健康保険の加入者の自己負担を2003年3月から3割に引き上げましたが、自己負担が5割に引き上げられるのは時間の問題だと見られています。このように高率の自己負担に支えられた保険ではもはや保険制度とは言えなくなるのではないでしょうか。
 医療費が増大している原因には生活習慣病、老人医療費の増加と医療の高度化の影響が大きいと言えます。不養生や生活の乱れが主な原因と見られている生活習慣病は増加の一途であり生活習慣病の予防は大きな社会問題になっています。生活習慣病の受療率は1960年に比べて1996年は3倍から数10倍(高い伸びのベスト4は、高血圧、精神障害、脳血管疾患、ガン)になっており、医療費急増の大きな要因になっています。‥‥続く

<食>の焦点D

りんごと日本農業

(財)協同組合経営研究所

元研究員 今野 聰

1、 「王林」と「ふじ」
 山形市在住の友人から、11月末りんご「王林」に続き「ふじ」が届いた。今年のリンゴ栽培の困難が一層判る便りが添えてある。12月で雪が降らず、ヒヨドリが食べ始めた被害の中。
 「昨年以上の変形玉の多さに驚き、落胆と無念さがやがて怒りにさえ変わっていき、扼ぎとったりんごを地面にたたきつける、三度や四度ではありませんでした」
 前便「王林」便りから、真夏日、猛暑、10数回を数えた台風の来襲等々の異常気候の中でのことだった。
 いよいよ、今年もりんごの本格シーズンに入ったなと思い起こさせてくれた。しかも「王林」、「ふじ」。圧倒する品種のロマン。戦後直ぐのりんごは越冬食味の小玉種「雪の下」だった。太宰治『津軽』の数え切れない雪種類。その下で凍ることを拒否して、飢餓克服と健康とジューシーを届けてくれたりんごだった。「りんご」ブームに乗って、古里・宮城県の鳴瀬川上流辺り、デルタである川原畑に大規模栽培をした先駆者がいた。長く続かず、今は巨大米穀取扱いメーカーに転進している。
 全農に就職した1962年、まもなくりんごとの付き合いが始まった。岩手県の「りんご包装革命」だった。「もみがら木箱入り」から「塩ビ容器入りダンボール包装」への転換促進だった。早朝市場に着荷したりんごを、「押せ果」がないかどうかを調べ、ダンボールの安定性を検証するという作業である。長野県のりんご産地に包装革命を探った。農薬16回使用時代にも入った。私はその担当もした。‥‥続く

米国大統領選挙をめぐって

ブッシュの再選と平和運動の課題

ウォルデン・ベロ

 2004年11月、米大統領選でのブッシュの再選で、世界の反戦運動に衝撃が走った。反グローバル化運動の中心的存在、ウォルデン・ベロが、11月8日、平和に向けてのグローバルな草の根レベルの連帯を訴えた文章を掲載する。(編集部)

 

 オハイオ州での票の集計をはじめ、不正について繰り返されている主張は信頼できるものではあるが、民主党を含むほとんどの米国人は、ジョージ・W・ブッシュが350万票差でジョン・ケリーに勝って大統領に再選されたことを認めている。

ヘゲモニー・ブロック          ●
 いずれにしても恐るべき事実は、共和党が、一方的な勝利ではなかったとはいえ、勝利を手にしたことである。1980年にロナルド・レーガンが始めた政治革命は新たな局面を迎え、2004年の選挙では、米国の政治の重心は、中道右派ではなく極右派であることが確かめられた。いまや国政は二分され、しかもその戦いは熾烈をきわめている。しかし共和党右派がやってきたことは、彼らの支持基盤に対して脅迫観念を植えつけるようなイメージをあらかじめ作り出し、選挙区のあらゆるレベルの勢力を取り込むための戦略を仕立て上げ、市民社会やメディアでそれを用いてきたことである。一方のリベラル派や改革派がもたついている間に、この極右派は、きわめて単純なある映像を使って、支持基盤の多様な要素を一つにまとめ上げてきた。その支持基盤とは、南部および南西部、多数派である白人男性、新自由主義的(ネオ・リベラル)経済改革の恩恵をこうむってきた中・上層階級、企業国家米国、そしてキリスト教徒原理主義者たちである。この映像は、基本的に人の潜在意識に働きかける、いわゆるサブリミナル効果をもたらすもので、米国の国内から見た姿と国外から見た姿を映し出している。大きな政府を擁護するリベラル派とふしだらな同性愛者たちや不法入国者たちとの結束によって弱体化されている国内から見た姿、そして、憎悪に満ちた第三世界の未開人たちや米国の力と繁栄をねたむ時代遅れのヨーロッパ人たちの総攻撃を受けている国外から見た姿だ。‥‥続く

正義と快楽の「人間抹殺」B

ハンセン病元患者の宿泊拒否・誹謗中傷事件に見る日本社会の病理 我々の犯罪は続いている

地方自治ジャーナリスト

葉上太郎

 沖田稔さん(72)は2003年11月、熊本県の「ふるさと訪問事業」に参加した、国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園(熊本県合志町)の入所者の一人である。宿泊先のアイレディース宮殿黒川温泉ホテル(同県南小国町、廃業)が泊まることを拒んだ、あの事業だ。
 故郷に戻れない元患者のために、県が園内の出身者を募って招く、たった一泊のバス旅行。それは、患者根絶やしを目論む国の手先になって、患者狩りに血道を上げた自治体としての、せめてもの罪滅ぼしでもあるのだが、その事業で新たな差別と誹謗中傷が生まれるという救いようのない事件だった。
 ただし、一泊旅行そのものは、アイレディースのいわれなき「拒否」にも関わらず、宿泊先を別の施設に変更し、予定通りに行われた。
 「なんとなく沈んだ空気で……。バスが出発すると、県の担当職員が『一部の予定が変更になった』と説明しました。落ち込んでいたのは、我々よりも職員でね」
 沖田さんは、そう振り返る。
 熊本は差別意識の強い土地柄だけに、恵楓園の入所者達は、様々な差別にさらされてきた。
 店に入ることを断られる。
 飲食店に入っても、使った後ですぐ捨てられるよう欠けた皿で食事を出される。
 囲碁の県大会では、主催の新聞社に参加を拒まれたことすらあった。この新聞社は「人権」を売りにしている社だったが、そうした社までが平然と差別するほど世の中の差別意識は強かったのである。
 だが、そうした「扱い」を恒常的に受けてきた入所者達は、ある意味で上手な身のかわし方を会得していた。「社会」からの攻撃を、まともに受けていては身が持たない。向けられた刃をかわす術を自然に身につけていたのだった。
 しかし、県の職員に免疫はなかった。‥‥続く

“色”で読み解く「戦後詩」の風景(2)

ふたつの“戦後”を渡り合う風―吉本隆明の詩

添田 馨

■ふたつの“戦後”時空
 “戦後”とは、それ自体がたとえようもなく深い陰影を帯びた言葉だ。なぜそう思うかというと、その言葉の響きのなかには、心情的にまったく新しい歴史時間へ向かおうとするベクトルと、簡単には断ち切れない過去へ向かおうとするベクトルとが、分かちがたく混融しているからである。例えば「戦後民主主義」という言葉は、当時、あきらかに新しい歴史時間をそこに根づかせるための魔法の呪文でもあった。だがその魔法がうまく機能するためには、それまでにあった過去のなまなましい痕跡は見えてはならないし、また過去の歴史観もこの魔法によって全否定されなければならなかった。戦後イコール平和な世の中であることをイデオロギーとして含意させるには、こうした魔法(意識操作)は必須であった。現在、戦後民主主義に対して根底的な疑問が発せられているとすれば、それは“戦後”という時空間があわせ持つこうした欺瞞的性格によるところが大きい。
 だが私には、これとは別にもうひとつの“戦後”時空があったように思われる。わが国の場合、戦後とはいうまでもなく敗=戦後つまり直近の世界戦争における自国の敗北以後のことを指している。しかしこの場合の「敗北」とは何か。それはひとことで言うなら、ナショナル・アイデンティティの国民的規模での巨大な喪失のことであるだろう。つまり人的、物的、心的な、巨大なそれは喪失の事件以外の何物でもない。私たちの戦後社会とは、こうした喪失のうえに、しかもこうした‥‥続く

人間と原子力

映画『六ヶ所村ラプソディ』

映画監督

鎌仲 ひとみ

 2004年の春に初めて六ヶ所村を訪れました。再処理工場や核廃棄物の埋蔵施設などがある場所と漠然としたイメージしか持っていなかったのですが、思いっきり裏切られました。
 4月とはいえ、まだ、早春のみぞれ混じりの雨が降っていました。車で走ると山と湖が入り組んだ自然が圧倒的な美しさをもって迫ってきます。晴れ間に道を歩けば水芭蕉や座禅草が咲いています。木々の色が、今も行くたびに心の中で確認するのですが、見たこともない鮮やかな発色をした緑、薄茶、黄色、で目に飛び込んできます。車が湖と山と牧草地帯と海を通り抜けると、小高い場所に再処理工場の偉容が見えてきました。巨大な施設が塀に囲まれて建っています。そのかたわらには風車が立ち並んでいるのです。とっても不思議な気持ちになります。

 縁があって六ヶ所村で核燃に反対している菊川慶子さんの花とハーブの里を訪ね、通称「牛小舎」と呼ばれる昔の牛小屋を改造した場所を拠点に撮影を始めました。

 六ヶ所村に再処理工場が建ち始めたのは1993年のことです。日本には52基の原発があり、毎年そこから1000トンの使用済核燃料が出てきます。そのうちの800トンをこの工場で化学的に処理してウランとプルトニウムを取り出し、再びそれを原発の燃料として使おうという「プルサーマル計画」と呼ばれる核燃料サイクルの要となる施設です。
 これまで日本は使用済核燃料をイギリスとフランスの再処理工場に出して処理をしてもらっていました。それを本格的に自前でやろうというのです。
 「日本は資源の少ない国だから」「化石燃料にはもうたよることはできない」「地球温暖化を防止するためにも原子力がベスト」「このまま使用済核燃料がたまったら原発が止まってしまう、そうなったら電気も止まってしまう」とプルサーマル計画を勧める様々な理由があります。
 そしてまた一方で「再処理しても核のゴミは減らない」「再処理をすると原発の365倍の放射能汚染が起こる」「もっと自然エネルギーを開発するためにも、再処理は議論を尽くすべき」「19兆円も当初の予算よりかかってしまう、経済性に問題がある」「もともとウランを燃やす原発の炉でプルトニウムの混合燃料を燃やすのは事故のリスクが高まる」と反対する意見も沢山あります。‥‥続く

「六ヶ所村ラプソディー」支援者募集中!

 『ヒバクシャ――世界の終わりに』の監督、鎌仲ひとみさんが、新しい映画に取り組んでいます。2004年、原子力発電の使用済燃料再処理のための工場が完成し、試験運転を開始した六ヶ所村を、1年間、現地で取材する長編ドキュメンタリーです。本格稼動目前にもかかわらず、マスコミで取り上げられることの少ない六ヶ所村を追った貴重な映画です。制作にあたって、広く支援が呼びかけられています。(編集部)

 

撮影にあたって 鎌仲ひとみ(監督)
 私はイラクで白血病やがんになった子供たちに出会い、なぜ彼らがそのような病気で死ななければならないのかを知るために映画『ヒバクシャ――世界の終わりに』を作りました。
 1991年の湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾がもたらした体内被曝が子供たちを病気にしているという可能性、そして世界中での微量の放射性物質による被爆――低線量被爆が広がっている実態が浮かび上がってきました。そしてたどり着いたのは私たち自身の足下、日本の六ヶ所村でした。そこには私たち自身の生活から出てきた大量の核廃棄物が蓄積していました。
 六ヶ所村が抱える問題は六ヶ所村だけのローカルな問題ではありません。この映画は、六ヶ所村という特殊な村を描きながら観客があたかも鏡を覗き込むように自分自身をそこに見出すようなものにしたいのです。現代文明を享受しながら、次の世代が抱えるであろう問題の解決を先送りにしていく。それが核の時代に生きるということなら私たちは、どんな未来を選択していこうとしているのでしょうか。

ご支援のお願い(制作プロジェクトチーム)
 映画『ヒバクシャ――世界の終わりに』を日頃、ご支援いただきありがとうございます。映画をごらんになった方はすでに加害者も被害者も区別なく、低線量被爆が世界規模で進行している事実に気付かれたと思います。微量の放射線が人間にどう影響してゆくのか、まだ世界に定説はなく、私たちの大部分が放射能とはいったいどういうものなのかを知らないのが現実です。
 これまでは反対する人たちだけを取材した作品が多かったのですが、この作品では推進する人々も同じ目線で取材したいと考えています。彼らもまた、核施設と共に生きることを余儀なくされた人々に違いはないのです。反対、賛成と単純に二つに分けるのではなくそれぞれ主張にそのまま耳を傾け、そこに至った経緯、事情をつぶさに知りたいのです。原子力産業の未来を信じる人々の声を聞きたいと思っています。そして声をあげることができなかった人々の声なき声も。ですからどんな運動からも政治活動からも自由に作りたいと願っています。反核の運動からすら自由な立場で作って初めて、これまでこの問題に振り向くことのなかった人々に観ていただける作品になるのではないかと期待しているのです。

★映画「六ヶ所村ラプソディー」(鎌仲ひとみ監督作品、2005年夏完成予定)
「六ヶ所村ラプソディー」制作の途中経過を「六ヶ所村通信」としてビデオまたはDVDで販売します。現在<1口万円>で「六ヶ所村ラプソディー」を支援していただける方々・団体を募集しています。<2口>以上ご支援いただいた方には、「六ヶ所村通信ー第一楽章」を進呈させていただきます。
振込先:郵便振替口座 00160-7-353262
加入者名「六ヶ所村ラプソディー」制作プロジェクト
問い合せ先:tel. 03-3341-2863
URL: http://www.g-gendai.co.jp/hibakusha/

<書 評>
バーナード・クリック著 『デモクラシー』 (訳 添谷育志、金田耕一、岩波書店、2004年)

栗原 利美
法政大学大学院博士後期課程

 本書は、わが国でも著名な英国の政治学者であるバーナード・クリックが書き下ろしたデモクラシーに関する入門書の全訳である。原著は、Bernard Crick,Democracy:A Very Short Introduction,Oxford University Press,2002であり、サブタイトルが示すようにデモクラシーに関する「非常に簡約な入門書」となっている。しかし、内容的には著者の政治理論の集大成の上に立脚しているためかなり高度であり、また著者のユニークな見解や語り口がいたるところにちりばめられており、単なる教科書的な入門書とは全く違ったものになっている。
 もともと「デモクラシー」という言葉は、これを使用する人々によって多様な概念や意味を持つやっかいな言葉である。しかしクリックも言うように、今日この言葉を使わずに暮らすことなどできないのは事実である。そこでこの言葉の意味を考えることは、政治学に興味を持つ者だけでなく現代を生きるわれわれにとって、必要不可欠なものであると言えよう。このたび添谷、金田両先生の翻訳によって、わが国におけるデモクラシー論にはあまり見られないデモクラシー論が、日本語で読めるようになったのは大変喜ばしい限りである。この機会に、是非このクリックのすぐれた著作を紹介しておきたい。

本書の構成について
 まず翻訳者が、原著のタイトルであるDemocracyを「デモクラシー」としたこと、また本文中のdemocracyを一貫して「デモクラシー」と訳したことは、すぐれて賢明な選択である。翻訳者がいろいろと思い悩んだことは、本書の解説である「クリックのデモクラシー論」に詳細に述べられているのでそちらに委ねるが、翻訳では原文のもつニュアンスを大事にする必要があること、また「デモクラシー」は「イズム」ではないことから、もし「デモクラシー」を「民主主義」としてしまっていたら、かなり興ざめた翻訳書になっていただろう。‥‥続く

雑記帖

【古田睦美】

 埼玉県の教育委員に「新しい歴史教科書をつくる会」の元副会長高橋史朗氏が任命され、続いて、教員委員として「男女共同参画社会基本法」へのバックラッシュの旗手、埼玉大学の長谷川三千子氏が起用されるのではと危惧されている。
 最近、「男女共同参画は、少子化の歯止めにはならない」という主張がめにつく。たとえば平等の進んだ北欧でも少子化が進んでいる国があり、そもそも少子化対策と男女共同参画は別物であって、男女平等は結局出生率に責任を持っていない、騙されてはいけない、「家庭や家族を大切に」というのである。
 先の夏、生活時間の国際比較研究の一環として北欧を訪れた。日本的なトンチンカンな文脈はさておいて、スウェーデンの厚生省にあたる部署で少子化問題への対応について聞いてみたところ、スウェーデンでは常に男女平等政策がとられてきた、出生率は経済に左右されるという回答だった。女性が安定した職に就いてから産もうとするので職がないと晩婚化がすすみ、経済不安がある場合人々は産み控えるという。
 スウェーデンはEUの中では賃金も高く、ダブルインカムを謳歌している国、EU10カ国比較でみると、一日平均で男性4時間25分、女性3時間19分と欧州一二を争う長時間労働である。とはいえ、13年度社会生活基本調査の日本の労働時間は男性6時間28分、女性3時間19分と、欧州とは比べ物にならない長さである。そのうえ、男性の家事時間はスウェーデンの2時間29分に比べて日本ではわずか35分。女性の仕事と家事の合計は、スウェーデンで6時間54分、日本で7時間43分、日本の既婚フルタイムの女性は10時間以上にもなる。雇用不安と家事責任の不安の相乗効果がある日本では産み控えて当然ではないのか。


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