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『社会運動』 299号

2005年2月15日

目次

<特別インタビュー> 自治基本条例と北海道(上) 神原勝/伊藤牧子‥‥ 2
アソシエーション・市民社会 「マルクス再読」をめぐって 田畑稔/的場昭弘‥‥12
中越地震報告 新潟県中越地震から見えてくるもの 伊藤久雄‥‥29
健康を「食」から考える 食、崩壊の背景 岸田 仁‥‥36
この一枚<戦時貯蓄債券> ‥‥43
インド・ボパールの農薬工場ガス漏れ事故から20年 ボパールにさまよう死の遺産 ディネシュ・C・シャルマ‥‥44
協同組合研究 協同と自由―戦時期「協同主義」の検討 林 和孝‥‥48
“色”で読み解く『戦後詩』の風景B 幻視のなかの革命 谷川雁と黒田喜夫 添田 馨‥‥54
<状況風景論> 阪神大震災10年、ろうそく法要&都市生活CCの集い ‥‥59
雑記帖 加藤好一‥‥60

特別インタビュー

自治体基本条例と北海道(上)

<お話> 神原 勝
(北海道大学教授)

<聞き手> 伊藤 牧子(生活クラブ北海道・理事長)

 各地域で自治基本条例の制定についてはかなり動きが出ています。それは分権改革の結果としてあります。分権改革のときに、そこに残った課題は、一つは自治体のあり方の議論、もうひとつは財源移譲の話であると言われました。財源移譲の話というのは今の「三位一体」の問題で、自治体のあり方というのは、自治基本条例と合併、あるいは道州制の議論ということになってくるわけです。こうしたトータルな問題の典型が、北海道に集約されている状況があります。トータルな課題を、生活クラブ北海道の伊藤理事長から神原勝先生にインタビューしていただきました。(編集部)

 

生活クラブの自治と分権改革
<伊藤> 生活クラブの「自治」の延長と「市民が政府をつくること」ということから話しを始めます。生活クラブは食べ物の共同購入から始まり、自分たちの生活は自分たちで自治したいと環境、福祉など様々な問題に取り組んできたわけですが、基本になるのは、自分で考え、自分で行動するということです。計画を立て、予算を組み、合意のもとで活動をつくっていく。生活を自治し、地域を自治するというのも、活動のなかで教育されてきました。しかし、組織やシステムが変わっていく中で、今までのように自らが参加する主体をつくっていくことが困難な状況にあり、今抱えている一番大きな問題です。これから議論する分権改革においても市民が政治の場に参加し、まちづくりをすすめる主体をどのように形成していくかが同じように問われているのではないかと思います。その点も含めて神原先生の分権改革の意義とはどのようなことでしょうか。


<神原> 分権自治というのは、政策を含めて政治的な決定の地点を市民生活の身近なところに近づけていくこと、もうひとつは、市民の身近なところに引きつけた権力を市民が自主的、主体的に使ってよいまちづくりを行なうこと。そうした二つの要素があると思うのです。
 もう少し大きな観点からいえば、私は「三つの分権状況」ということを考えるのです。分権というと、地方分権という言葉が一番なじみやすい言葉かもしれませんが、実は地方分権だけではなくて、「国際分権」とか「市民分権」などという言葉も私は使います。この二つを合わせて国際分権・地方分権・市民分権と、分権には三つの次元があるのです。
 まず国際分権です。私たちは、国民国家を中心にして、発想し、考え、行動してきたわけですが、この国民国家は、日本だけではありませんが、後発国から中進国、さらに先進国へいく過程では、まさに中央集権で、中央政府が権限も財源も人材も情報も技術も一手に掌握して追いつき型近代化を達成するというやり方が百数十年続いてきた。
 それはそれなりに有効な面があったのですが、その帰結として先進国あるいは成熟社会になっていきますと、内政中心型の集権的な政治行政は限界に突き当たります。経済の問題、人権、平和、環境といった問題を考えても、これらが地球規模の問題になって、一国の政策判断だけではやれない。そこで、政策決定の地点が、一国単位から国際単位に移行する。国連をはじめとして国際的な機構に事実上の政策決定権が移っていくという流れです。私はこれを国際分権と言っているわけです。‥‥続く

アソシエーション・市民社会

「マルクス再読」をめぐって

田畑 稔

大阪経済大学 人間科学部教授、季刊『唯物論研究』編集長

的場 昭弘
神奈川大学 経済学部教授、「アソシエ21」事務局長

――本日は、お二方は初顔合わせと言うことで、歴史的対談ではないかと密かに思っております。生活クラブは今、アソシエーション論を拡げていこう、という機運があります。私流解釈では動機は二つある。一つはグローバリズムの嵐の中で生活クラブの運動を位置づけしたいという点。二つ目は生協としての転換点、再アソシエーション化の機会なのではないか。
 田畑先生からはマルクスとアソシエーションという形で当機構では、既に提起していただいておりました。また新たに『マルクスと哲学─方法としてのマルクス再読』という書籍が出来上がったと言うことで、蓄積のまとめであり、アソシエーション論の前提として金字塔的に重要なことと認識しています。
 時同じくして的場さんより『マルクスを再読する』が出されました。これはぜひお二方の対論をお聞きしようと企画させていただいたところです。今日が初めてと言うことですので、良い機会を作れたのではないかと自賛しております。
 レジメを拝見するとお二方とも多岐に渡っておられて、このまま論議すると3、4日分の量があるかと見受けられます。アソシエーション論のところからマルクス再読に迫ってみたいと考えております。

 

田畑 今日はお互いに新著を論評しあうという趣旨ですが、私の方は的場さんの本を随分楽しく読ませていただきました。ところが私の本は大冊で、読み通すのも難儀な代物ですし、ましてその評価となると、自分で言うのもなんですが、肯定否定にかかわらず、おそらくそうすぐにはいただけないと思われます。しかも私は的場さんとはこれまでさしたる交流もありませんので、白紙状態に近い的場さんにこんな短時日でコメントをお願いするということですから、大変な難儀を強いたのではないかと思います。
 一応、そういうことも考えて、先に私のほうから、的場さんの本に合わせる形で、両者の対比をかなり図式的にさせていただきましょう。その上で必要な限度で詳しい議論をすると言うのが望ましいのではないかと考えております。
 まず共通面としては「マルクス再読」というアプローチがあります。ただし、強大なソビエト体制が前提であれば、新しい「読み方」を対置するだけである種の存在理由を保持できるという外見もありえたわけです。しかし今ではそれでは意味がない。21世紀的実践の観点からマルクスを読み直す。この点が二人に共通する点であろうかと思われます。的場さんの本でもネグリ1)の『帝国』を絡めて、マルクスを再読しておられるし、私の場合も今回の本でこそ直接実践は扱っていませんけれど、『マルクスとアソシエーション』、さらには『アソシエーション革命へ』と不十分ながら一連の作業をしております。‥‥続く

新潟県中越地震から見えてくるもの

〜阪神淡路大震災との比較から〜

伊藤 久雄(自治労東京都本部)

 2004年10月23日夕刻、新潟県中越地方を襲った大地震は、東京地方をも揺るがした。筆者の郷里(高柳町)も中越にあたるため、当日の夜半まで電話は不通であった。翌日、高柳町の被害は軽微であることが判明したが、震源地の川口町をはじめ、甚大な被害が発生していることが明らかになり、不安が募った。筆者の友人・知人には幸い大きな被害はなかったが、今日まで2回支援等に訪れた者として、記憶の鮮明なうちに感じたことを書いておきたいと考え、メモ的に綴ったものがこの拙文である。したがって、中越地震全体をフォローしたものではないことをお断りしておきたい。(記録等は2004年12月末までのものである)

 

1.中越地震の特徴
 新潟県中越地震の特徴は、阪神淡路大震災と対比すると分かりやすい。科学的な分析は別として、現地に足を運んだ感想レベルでも次ぎのような違いが顕著であった。
@ 阪神淡路大震災が神戸市等の大都市市街地を襲い、三宮駅周辺や長田区などを中心に大きな被害が発生したのに対し、中越地震は中山間地に大きな被害が集中した。
A この結果、山古志村全村避難や、小千谷市十二平全地区避難など、村全体、あるいは地区全体の機能が失われ、しかも少なくとも一冬は帰村、帰宅することが不可能な事態が生じた。
  これらは、それぞれの集落に通じる道路が各地で寸断されたことが大きい。盛土した部分は、ことごとく崩れた(むしろ地すべり状態で流された)。切り取った部分も崩れた箇所が多い。
B 中越地震は余震が長く続いたことも特徴の1つである。またライフラインの復旧が、ライフラインが収容されている道路の損傷が激しかったことも重なって遅れた。その結果、避難所生活を余儀された人々が多く、しかも長期間に及んだ。阪神淡路大震災とは単純に比較することは困難かも知れないが、住宅被害を比較すれば、避難者はきわめて多かったということができる。下表からは、余震を恐れ、一部損壊の住宅からの避難が続いたことを読み取ることができる。
‥‥続く

健康を「食」から考える(中)

食、崩壊の背景

岸田 仁

生活クラブ生協・神奈川 常務理事(あんず薬局代表)

3.食の崩壊の背景
(1)北緯50度文化の北緯35度地帯への適用実験
 食の変容と崩壊についてもう少し詳しく検討してみましょう。日本列島は亜寒帯から亜熱帯まで長く分布していますが、主なところは北緯35度を中心に温帯に属します。日本人は温帯地域に適した穀物や野菜を食べてきました。
 ところが前にも述べた戦後の食生活近代化の流れの中で、高たんぱく、高脂質、低糖質を特徴とする欧米の栄養学と食材が怒涛のごとく流入してきました。これらの地域はだいたい北緯50度あたりに位置し、低温で少雨です(図表3)。彼らは穀物が十分採れないために牧畜を起こしその肉や乳を食べてきました。気候が寒いので高カロリー食が必要とされたわけです。
 戦後、1950年代後半から急激な欧米モデルの食生活への変化が進みました。わずか30年間でこれほど食生活を変えた国や民族はないと言われています。1億人規模の壮大な人体実験が行われているとも言えなくはないでしょう。(図表4)
 伝統的な食生活体系が崩壊し食材も変わってきました。また食に関する知恵・技術・経験・勘・コツなどの食文化・食術も断絶しかかっています。

(2)戦後栄養教育の問題点
 食生活近代(欧米)化を支えてきた戦後の栄養教育の問題点について整理しておきます。
 第一は、欧米のものは何でもすばらしい、といった明治維新以来の欧米崇拝主義が根底にあると思います。
 第二は、栄養素を過大視したり、栄養バランス偏重の考え方です。こうした考え方のバックボーンは有名な哲学者のデカルトに端を発した「要素還元主義」とも言われていますが、食生活という全体を見るのではなく、栄養素などの部分を過大に見る考え方です。近代医学も臓器などの部分を治すのが中心で人間全体を見ることが欠けているので、昨今批判が強まっているのと同じ問題です。‥‥続く

この一枚

昭和18年6月に発行された割増金附戦時貯蓄債券です。

 この種の債券、昭和17年には20億円、翌年には50億円発行された。昭和18年の一般会計における国債比率は125億円のうちの50億円で、39.8%。平成15年度の一般会計予算81兆9000億円中、国債発行額は36兆4000億円、44.4%です。現在の国債発行比率は戦時中よりも多い数字です。

 第二次世界大戦に突入した当時の日本は、「大東亜共栄圏の建国」の名のもとに戦時体制を強化し、巨額の軍事支出をまかなうため、政府は巨額の赤字国債を増発しました。国債の大部分は日銀引き受けで発行されましたが、軍事費の膨張を尻目に国債の市中消化は漸時困難となり、悪性インフレーションの元凶となっていきました。
 こうした インフレーションを浮動購買力の吸収により抑制することを目的に発行されたのが、利付きの「貯蓄債券」や割引方式の「報国債券」でした。これらふたつの債券は、資金を軍事産業に優先的に投入することを目的とする「臨時資金調達法」に基づき発行され、宣戦布告とともに“戦時債券”として知られていきます。

インド・ボパールの農薬工場ガス漏れ事故から20年

ボパールにさまよう死の遺産

―20年前、インドの農薬工場から漏出した有毒ガスによる被害はいまも続いている―

ディネシュ・C・シャルマ

 インド中央部のボパール(マディアプラデシュの州都)で、化学、産業、環境上、史上最悪の災害を人類が目の当たりにして以来20年になる。
 1984年12月3日、寒い冬の夜も真夜中を過ぎた頃に約40トンのイソシアン酸メチルをはじめとする毒性ガスがユニオン・カーバイド社の工場から漏出し、数千人もの人々が瞬時に生命を奪われ、何千人に傷害をもたらした。
 致死性の混合ガスに曝露したことによる健康への被害は、かくも長い年月を経た後でさえ、いまなお拡大している。放置された工場敷地からは今でも有害物質が土壌へ、地下水へ空気中へと漏れ出ている。インド政府と州政府は、浄化費用をどこが払うかでいまだにもめている。科学者達は生存者に対し今後どのような追跡調査をしていくべきかで、まだ意見が分かれている。そしてその一方で、何千もの被災者がゆっくりと死に向かい、彼らの子ども達は畸形を伴って生まれてきている。

 

●事故から20年、調査終了から10年で初めてだされた報告書
 インド医科学評議会(ICMR)は、この大災害のすべての調査活動を終えた後10年もたってからようやく、8万人を超えるガス被災者に対する1985年から1994年までの総合的な追跡調査結果を初めて発表した。この報告によって、この災厄がイソシアン酸メチル(MIC)単独で引き起こされたものではないことが明らかになった。犠牲者が吸い込んだ煙霧状の毒ガスは、水と高温によってMICが分解されてできた約20種の物質が混ざったものであり、致死性のシアン化水素(HCN)やMICのポリマーなど、大量の化合物であった可能性がある。この混合ガスは、非常に高温になったタンクの中で起きた暴走反応によって生成された。‥‥続く

協同組合研究

協同と自由―戦時期「協同主義」の検討

林 和孝

 人は人と協力することなくしては生きていけない。私たちの認識そのものが他者との交流のなかからしかつくられないように、人の生は他者との協同(共同)を前提としている。その一方で、人は自由な存在である。自由は放恣ではないけれども、自由を抑制されるとき、だれもが何らかの変調をきたすだろう。個の自由と協同、個人の生き方から社会システムまでを貫いているこれら2つの規範的価値の関係は、現実にどう結びあわされているのか。協同は自由な主体を前提としているはずだ。しかし、協同は往々にして強制に転化して、自由を抑制しかねない。これらは二律背反的な傾きをつねにはらむ。共存させるべきこれらの価値は、いかに折り合いをつけるのかが問われることになる。
 なぜ、今、このような問いかけをするのかといえば、次のような状況認識をもつからだ。
 現代は「個性の時代」ともいえるほどに個が強調されている。人びとは個を謳歌して、人と人との協同関係を結びたがらなくなっている。地域生協における班が衰退の一途をたどり、各種の活動の担い手不足が恒常化しているように、協同組合における協同のあり方は、この時代性の前にたじろいでいるかのようにも思える。
 政治思想として個人の自立をかきたてる新自由主義は、一面、この「個性の時代」の子ではないだろうか。市場の役割を最大限に評価して小さな政府を追求する新自由主義に対して、政府による福祉を対置するだけでは時代のリアリティを見失う。だが同時に、市場がすべてを解決するわけではない。‥‥続く

“色”で読み解く「戦後詩」の風景(3)

幻視のなかの革命
―谷川雁と黒田喜夫の詩

添田 馨

■「戦後革命」という幻想
 「戦後詩」というテーマの立て方には、文学に関してのとても重要なふたつの本質が隠されている。「戦後」とは歴史的な述語にほかならず、また「詩」は文学上の範型にほかならない。従って、この互いに次元を異にするふたつの要素が一体になった「戦後詩」という言葉には、歴史的な意味と文学的な価値との両方が含まれることになる。だが、これは何も特殊なことではない。ひとたび文学というものの成立ちについて思いを馳せるなら、世代をこえて語り継がれる息のながい作品といえども、それの発生母胎には、かならず時代の側からの刻印が跡を残さずにはいないし、しかし一方でそれは時代的な制約をこえ、人間の普遍的な部分にまでつながっていく価値の創出にも寄与する二重性を有する。これらは、そのどちらか一方が本質というのではなく、その両方がともに本質といいうることなのだ。
 ところで、戦後まもない時期に生きた何人かの詩人たちの思想の中核には、社会主義革命へと求心する倫理的なテーマ性が実に深い陰翳を落としている。それぞれの作品に込められた意思や情念の振れ幅はけっして同じものとはいえないが、これらの詩作品において詩人個々が抱いた〈革命〉への引き裂かれた思いは、その共通した負の響きにおいて確かにわが国の“戦後”におけるポエジーのひとつの中心を形成した。いいかえれば「戦後革命」‥‥続く

《状況風景論》

阪神淡路大震災10年、ろうそく法要&都市生活CCの集い

●御蔵地区のろうそく法要
 18万人とも20万人とも言われるスマトラ沖大地震と津波による死者の実感をもつことができない。10年前の阪神・淡路大地震で6433名が亡くなったが、西宮の〈特非〉都市生活コミュニティセンターがよびかけた「震災10年の集い」に寝袋をもって出かけた。
 午前3時45分起床して暗い静寂のなか3台の車で、最も打撃の大きかった長田の御蔵・菅原地域の「ろうそく法要」に出かけた。雨がろうそくを灯す後からかき消していく。濡れた冷たい公園の大地にかろうじて灯がともる5時46分、静かな黙祷が始まり、曹洞宗の僧侶による読経が続く。
●公園に死んだ少女の写真
 その公園の後の一角に、二十歳前後の女性の遺影と供物を並べた路上の祭壇があった。インタビューを受ける父親らしい白髪の人は激することもなく娘への思慕を語っていた。その時、私は死がかけがえもなく大事なものを奪う残酷さを思い知った。10年の歳月が刻んだ父親の生=老いと娘の死=若さがストップしているまぶしいまでの写真。私学会館でもたれた「市民追悼式」の「音楽法要」、聲明と琵琶の調べの75分は凛として心に残った。
●どこへ消えた11兆円の復興資金
 神戸市の進めた震災復興事業。医療産業都市を謳うが、起債が道路と公園とハコモノだけに限られていることからおこるアンバランスな施策がめだつ。いまもまだ埋立地を造成して企業誘致をもくろむ。その埋立の先に神戸空港の造営が進む。‥‥続く

雑記帖

【加藤好一】

 「生協、全国9地域に統合 来年メド」。日経新聞1月7日付夕刊の一面にこんな活字が躍った。これは日本生協連の「新ビジョン」に基づくもので、2010年を大きなターニングポイントとする、生協の長期的指針たろうとするものだ。
 バブル期に日本生協連は、大手チェーン・ストアと堂々と渡り合う、という路線を鮮明にしたことがある。日本生協連の矢野専務は、新ビジョンについてマス化路線を前提に同質競争と差別化に挑む路線だと言い切っている。当時の路線を髣髴とさせなくもないが、そこには「負の遺産」脱却への意志と相当な危機感がある。
 その最大の課題が、困難に陥った生協の事業と経営を、広域事業連合を軸とした連帯の強化=経営統合によって立て直し、ウォルマートの日本上陸の本格化等による、流通業の競合激化に打ち勝とうとすることだ。所得格差が拡大して低所得層が増加し、かつデフレ基調が継続する中で、端的な「低価格戦略」を実現すること。それが主たる眼目であり、危機感になっている。
 もう一つの危機感。それは「2007年問題」だ。「団塊の世代」の一斉リタイア。これは今後の日本の社会、経済の動向を占う最重要の問題だ。生協でもこの世代が中心となり現在の組織と事業が形成された。そして現在も利用・出資・運営の主役である。今年は「戦後60周年」であり、戦後世代のリタイアが始まる。「2007年問題」の端緒となる年なのかもしれない。
 現在生活クラブ連合会は、2005年度からの次期中期計画を検討中だ。新ビジョンにも学びながら、しかしこれまでの自分たちの理念や運動・事業を、あらためて貫こうという確認になるはずだ。新中期計画は6月の総会で提案・決定する。



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