月刊『社会運動』 No.317 2006.8.15


目次

第20回社会経済セミナー報告 不安社会と中小企業の経営環境 三浦一洋‥‥2
憲法論 日本国憲法とアメリカ合衆国憲法 山田雅巳‥‥13
市民が検証する!遺伝子組み換え食品
 ほんとうに大丈夫?遺伝子組み換え大豆 清水亮子‥‥21
 遺伝子組換えダイズの毒性に関する イリーナ・エルマコバ博士の研究についての見解 金川貴博‥‥23
 語るに落ちた代弁者 川島三夫‥‥27
 GMナタネ全国監視活動の報告 赤堀ひろ子‥‥28
公益法人制度改革とワーカーズコレクティブ法B 新『公益法人制度』の準則主義と認定基準をめぐって 丸山茂樹‥‥33
循環型社会への課題 市民の願いが盛り込まれた国会の附帯決議をいかそう 山本義美‥‥37
議案書からみえる地域単協
 協同の理念が輝く豊かな地域社会をめざして 生活クラブ生協・埼玉‥‥44
 30周年を迎え、地域における存在価値を高めます 生活クラブ生協・千葉‥‥52
<生活クラブ連合会傍聴記> 運動は世代を越えて 今野 聰‥‥60
<アソシエーション・ミニフォーラム> 協同組合とはなにか? 藤木千草‥‥63
雑記帖 加藤好一‥‥64


表紙からのメッセージ
写真家・桑原 史成
 今年の初夏は梅雨前線の活発な動きで豪雨が鹿児島から山陰、さらに甲信越にかけて日本海側を襲った。被害は甚大で8府県におよび、熊本県水俣市では市内全域の約1万2,500世帯に避難勧告が出された。九州新幹線も7月22日は運休するなど混乱が続いた。山陰道の島根県・出雲市でも1週間にわたって避難生活が続いた。
 このたびの大雨は山間部の長野県・岡谷市でも大規模な土石流被害が発生するなど死者、行方不明者を出している。表紙写真は平時の阿賀野川であるが、連日にわたって続いた豪雨で領域の阿賀野市では家屋の浸水が起きた。この写真の阿賀野川は福島県・会津盆地の猪苗代湖に源を発する全長が210キロで穀倉地帯の蒲原平野に取水されている。
 平時の河川は、まことに長閑な流れだが自然気象が急速に変わると人間の社会に襲いかかってくる。治山治水は古代からの知恵を有効にいかすように問われているではなかろうか。この阿賀野川は下流新潟水俣病事件を起した現代史の現場にもなっている。

第20回社会経済セミナー報告 不安社会と中小企業の経営環境
全国中小企業団体中央会情報流通部長 三浦 一洋


 今次、経済状況を分析するとき、マクロと現場(とりわけて中小企業)のそれぞれのリポートや分析はあまた存在するが、筆者のように<中間>に立ち、これをつなぐ議論は稀のように思う。社会経済セミナーの講演録を掲載する。〔編集部〕

 皆さん、こんにちは。全国中小企業団体中央会の三浦と申します。お話しの前に、私どもの仕事を少し紹介させていただきます。

 全国中小企業団体中央会は、中小の事業者が共同でいろいろな活動をしようとする時に、組合の設立から運営までの支援をしている団体でございます。中小企業の組合にはいろいろな種類がありますが、一番多いのが事業協同組合です。また、皆さん方もワーカーズコレクティブの活動のための法的な組織の一つとして活用されている企業組合があります。そういう協同組合系統の組合のほかに、商工組合という業界を網羅した同業組合もございます。数はそう多くはありませんが、そういう同業組合の活動の支援もしております。数からいきますと事業協同組合や企業組合が多く、協同組合系の組織への支援が日頃の活動の中心になっております。今日は、中小企業の協同組合の支援を仕事としている立場から、お話をさせていただきたいと思います。

景気は良くなったのか
 今日はごく簡単なレジュメを用意させていただきました。お話しの項目を箇条書きにし、また、いくつかのグラフを並べたものです。項目に沿ってお話しをしたいと思います。
 最初に、いま中小企業の景気の状況はどうなっているのかということです。今日の新聞にも、需給ギャップが解消され、需要のほうがかなり大きくなってきており、マクロで見ると、生産が追いつかない状況が出てきているという記事が載っておりました。ここのところの日銀の量的緩和政策の解除などの話題も含め、景気はかなり良くなってきているのではないかという印象を、おそらく一般の方はお持ちだろうと思います。確かに良くなってきている部分もありますが、仕事が増え、収益も上がって万々歳という状況ではないのが現実でございます。
 お配りした資料の「図表1 中小企業の売上高・収益・雇用DI(業種別)」は、私共が毎月行っている中小企業の景況調査の中から、一部をグラフ化して示したものです。この1月現在の調査が最新ですので、その数字からグラフを作ってみました。ここで見ているのは、売上高と収益と雇用人員の前年同月比です。「良くなっている」「変わらない」「悪くなっている」の中から選択していただき、「良くなっている」と「悪くなっている」の差をグラフにしたものです。たとえば、雇用人員が不足しているか、過剰であるかを見る場合、グラフの棒が0よりも下方向に長く伸びていると雇用の過剰感がまだ強いことになります。全体として見ると、売上高、収益、雇用人員、いずれの指標もマイナスになっております。景気が良くなったと言われており、確かに良くなっている業種もあるのですが、中小企業全体として良くなっているとは思えない。そういう状況が現実でございます。
 ではどういうところが良くなっているのかというと、鉄鋼・金属、一般機械、電気機器、輸送機械の四つの業種です。これら機械金属関係の業種は前年同月比でかなり良くなっております。それがここ数か月続いておりますので、4業種については景気が一定の回復を見せております。それらは例えば、大手の電機メーカーの下請部品メーカーとして部品を供給しているところ、あるいは自動車の下請でいろいろな部品を作っているところです。自動車や電機といった機械関係の業種は、特に輸出がかなり好調であることから、大企業の生産増を反映して、関連中小企業にも発注が来ていることがよく分かると思います。化学・ゴムも売上が回復しております。化学・ゴムの中にはプラスチック製品があり、電機メーカーが作る家電製品の中には、プラスチック部品がかなり組み込まれていることを反映しているのです。
 これらの業種を除きますと、売上も収益も雇用人員も、指標はまだ一様にマイナスです。景気回復は、一部の業種に偏ったものだということがよく分かると思います。
 もう一つ指摘しなければいけないのは、電気機械、輸送機械では確かに売上は上がり人手も足りなくなってきていますが、収益については、まだマイナスの段階にあるということです。仕事が増えて売上高が上がっても、収益の増加にはなかなか結び付かない。中国あるいは東南アジアなど、海外の部品メーカーとの競合の中で、日本国内の企業もそれに合わせた単価設定をされる。したがって、仕事は増えても単価は下がってくるので、収益はなかなか上がらないという状況があります。
 中小企業の場合、発注が出てきて仕事がうまく回っていけば、経営は何とかなるというところもあります。仕事があると安心してしまいますが、それだけで安心してはいけない。やはり収益をどれだけ確保できるかということも考えないと、例えば受注が少し減った途端に、受注減以上の割合で収益が減ってしまうということも起こりかねません。確かに、一部景況が良くなっている業種はあります。しかし、良くなっている業種でも、仕事はあってもなかなか収益に結び付かない。そういう状況にあるのが中小企業の現実です。−続く


憲法論 日本国憲法とアメリカ合衆国憲法 最高法規条項が規定された意味
山田 雅巳 NPO法人市民シンクタンクひと・まち社


 「憲法」をめぐって注目すべき市民の動きがある。
 一つは、自治体の「憲法」といわれる自治体基本条例である。北海道のニセコ町が2001年4月に全国初の「ニセコ町まちづくり基本条例」を制定してから、約30の市区町村が自治基本条例を制定し、百近い自治体が制定を予定しているという。二つ目は、日本国憲法に関わる市民の動きである。政府自民党から憲法改正の動きが始まり、相変わらず粗雑な議論は多いが、これに対応して、従来の「議案」を軸とした憲法に関わる市民運動とは異質な「市民立憲」の動きや国民投票に関わる市民の動きが存在することである。三つ目は、フランスにおけるEU憲法の批准投票において、劇的な「否決」のあとに市民による「憲法制定会議」が設置されたことである。
 この憲法をめぐる一連の動きを行政の劣化と政治主体の多様化との関連付けで捉えたい。
 従来、constitutionは、「憲法」と訳されることが多かった。それゆえ、現在でも「九条問題」などの憲法論議に特徴的なように、関心は、「条文」(テキスト)に偏っているように思える。だから、方法としては、「〈1〉憲法条文、〈2〉憲法理論、〈3〉憲法(政治状況)状況とを、絶えず区別する」(松下圭一)必要がある。その中でも、とりわけ理論が要であろう。
 本山田論文は、歴史解釈を含む「最高法規条項」をめぐる論考であるが、視点はいままでにないものである。それゆえ異論もあるであろうが、積極的な議論につなげていきたい。(編集部)

はじめに
 憲法は国の最高法規であると説明されるのが常である。一般的な感覚からすれば、憲法とは一国の最高法規であってそれ以外の何物でもない。日本国憲法のように、第10章「最高法規」とわざわざ章立てをして、第98条1項で「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と自ら「この憲法が最高法規」であると宣言するのは世界的にも珍しい。諸外国の憲法にも散見されるが1、普通、憲法に最高法規と書くことは、特に必要があると思えない。
 最高法規条項がいかなる理由で規定されたかは、それぞれの国の理由があるかと思うが、ここでは日本国憲法固有の成り立ちから検証してみたい。
 なお、近時の自治基本条例を制定する自治体に対して、安易な発想で最高法規条項を取り入れているのではないかという疑念があり、本稿は、その批判として準備したものの一部である。本稿の最後に、最高法規条項を入れても最高法規性は持ち得ないことに言及し、21世紀に入って、ある種のブームのようにできつつある自治基本条例に最高法規条項を持ち出すことに警鐘を鳴らすのが目的である。日本国憲法を改正して道州制、連邦制を目指す運動論は別として、現憲法下で制定するにふさわしい自治基本条例の最高法規性のあり方を考えるための序章として書いたものである。

1.最高法規条項はどうしてうまれたか
 1945年8月、日本国はポツダム宣言を受諾し連合国の占領下に入った。占領政策の基本は、日本国の非軍事化、民主化、基本的人権の強化であったが、敗戦直後は、美濃部達吉、宮沢俊義ら著名な憲法学者たちは、大日本帝国憲法(以下明治憲法)を改正しなくても民主化は可能であると考えていたことが伝えられている2。当時の政府関係者のほとんどもこの認識に近かった。そのような認識の下、日本国政府内で最小限の明治憲法の改正作業がすすめられた。全面的な改正を期待していた連合国総司令部(以下GHQ)は、1946年2月1日、毎日新聞のスクープ記事で日本国政府の旧態依然とした、保守的な憲法改正案を知り、2月4日にGHQ自らが草案の作成作業を開始し、同月12日にマッカーサーはその草案を承認し、翌13日に日本国政府に提示した。わずか10日間あまりの作業である。
 ここに、始めて日本国の憲法に「最高法規」の条項が登場する。もちろん、明治憲法には「最高法規」なる条項は存在しない。
 GHQ草案の日本語訳3では、第10章「至上法」と章立てして、第90条に「此ノ憲法並ニ之ニ基キ制定セラルル法律及条約ハ国民ノ至上法ニシテ其ノ規定ニ反スル公ノ法律若ハ命令及詔勅若ハ其ノ他ノ政府ノ行為又ハ其ノ部分ハ法律上ノ効力ヲ有セサルヘシ」とする。
 英文原本では、"This Constitution and the laws and treaties made in pursuance hereof shall be the supreme law of the nation, and no public law or ordinance and no imperial rescript or other governmental act, or part thereof, contrary to the provisions hereof shall have legal force or validity."となっている。"supreme law of nation"は、国家の法と国民の法とどちらでも訳すことはできるが、この訳文では「国民ノ至上法」と訳されている。
 日本国政府は2月22日の閣議でこのGHQ草案の受け入れを決定し、同月26日にこの草案に沿った新憲法を起草することを閣議決定した。このGHQ草案に基づいた改正案が1946年「3月2日案」である。「3月2日案」では、第9章「補足」として第107条に「此ノ憲法並ニ之ニ基キ制定セラレタル法律及条約ハ国ノ最高ノ法規ニシテ、之ニ反スル法令、詔勅又ハ行政行為ハ其ノ効ナシ」、とした。ここでは「国民ノ至上法」ではなく「国ノ最高法規」となっている。章立ては明治憲法にならい、現在の第9条の原案となる第2章「戦争ノ廃止」、そして第8章「地方自治」を加えた形であり、GHQ草案の章立てとはかなり違っている。−続く 


市民が検証する!遺伝子組み換え食品
イリーナ・エルマコバ博士来日講演 ほんとうに大丈夫?遺伝子組み換え大豆
市民セクター政策機構 清水 亮子



 イリーナ・エルマコバ博士(ロシア科学アカデミー高次神経機能・神経生理学研究所)が「遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン」の呼びかけに応え来日し、7月3日の東京での記者会見を皮切りに、福岡、大阪、徳島、東京、つくば、札幌の6ヵ所で講演した。エルマコバ博士の実験については、すでに本誌311号(2006年2月15日号)でも紹介したが、通常の実験室用の餌に加えて遺伝子組み換え大豆(GM大豆)の粉を交尾の2週間前からメスラットに与えたところ、生まれた子どもの3週間目までの死亡率が56%に上ったというもの。また、生後2週間目のラットの体重分布を調べると、GM大豆を食べた母親から生まれた子どもは、通常の餌のみ食べた母親から生まれた比較対象群と比較して、10−20グラムの低体重児の割合が6倍も高かった(対照群が6%に対し、GM大豆を食べた実験群は36%)。

●安全性を確認するためのデータは圧倒的に不足
 この実験結果が最初に発表された昨年(2005年)10月以来、実験に関するさまざまな批判と反論が聞かれる。エルマコバ博士自身、この実験は予備的なものであり、今後さらなる実験が必要と考えているのだが、さまざまな妨害にあって、続けられない状況に陥っている。一部のジャーナリストが批判しているように、この実験だけで遺伝子組み換え食品が危険と決めつけているわけではなく、いまの段階では食べるのは時期尚早と、ごくまっとうな懸念を表明しているにすぎないのだ。
 博士の主張は、いたってシンプルだ。それは、「このような実験結果が出たからには、もっと実験を行うべきだ」というものだ。遺伝子組み換え作物の毒性を確認するための動物実験は圧倒的に不足しており、安全性審査に当たっては、急性毒性の有無、既存のアレルゲンと似ていないかどうか、などを開発企業の提出した書類によって審査するにとどまっている。それを飛行機にたとえて、彼女はこう言っていた。「もし、たとえばボーイング社が、飛行機の内部と外部の構造をチェックしただけで、実際に飛ばせる飛行実験をしないまま、大丈夫、安全です、飛ばしてください、と言ったとしたら、どう思う?」
●安全性が不確かなまま、多くの国で承認
 今回の一連の講演でますます鮮明になったのは、遺伝子組み換え食品の安全性についてはっきり確認されないまま、すでに私たちの食卓に上っているという事実だ。この点について端的に指摘した京都学院大学の金川教授のコメントを次ページから掲載する。金川教授のコメントで言及されている「FAO/WHO専門家協議会の報告(2000)」の動物実験に関する考え方は、2003年にコーデックス・バイオテクノロジー応用食品特別部会で採択された「組み換えDNA植物由来食品の安全性評価のガイドライン」にそのまま採用されている。つまり、動物を使った経口摂取実験が行われないのが、安全性審査の世界標準になっている。
 EU(欧州連合)の行政組織である欧州委員会も、WTO(世界貿易機関)の紛争処理委員会に提出した文書のなかで、遺伝子組み換え食品の安全性、特に慢性毒性については実際わからないとしている。「アレルギー、ガンといった慢性症状に関しては暴露データがないので、GM食品の導入によって(急性毒性)以外の健康への影響がこれまであったかどうか、解明する方法がない」(“European Communities-Measures Affecting the Approval and Marketing Biotech Products” パラグラフ45より)。
 EUは1998年から遺伝子組み換え食品の新たな承認と輸入を一時凍結し、これによって輸出市場を失ったと主張する米国・カナダ・アルゼンチンからWTOの紛争処理委員会に訴えられていた。上に紹介した欧州委員会の文書は、この紛争処理委員会にあてて提出されたコメントだが、環境保護団体が情報公開法にのっとって入手するまで、人々の目にふれることはなかった。
 このように、一般の人の目の届かないところでは安全性に関するデータの不足を指摘する一方で、EUは2004年に遺伝子組み換えトウモロコシ(BT11)の輸入と食品・飼料としての販売を認可。消費者に対しては、安全性を強調した。現在に至るまでさらに7品目の遺伝子組み換え食品・飼料が輸入と販売を許可されている。消費者に対しては、遺伝子組み換え食品の安全性の不確かさについて明らかにしない上、2000年の「食品安全白書」で高々と掲げた「予防原則」が実際には機能していない、と環境保護団体「地球の友・ヨーロッパ」は欧州委員会を批判している。
 開発企業からのデータのみに基づいて安全性を審査しているのは、日本の食品安全委員会も欧州食品安全庁(EFSA)も同じだ。この欧州委員会の文書を受けて、EFSAに対する批判が高まっているが、日本における安全性審査の現状も、全く同じ問題を抱えていると言えるし、消費者参加の意見を反映させるしくみが決定的に欠けているため、問題はいっそう深刻だ。 


韓国でGMフリーゾーン宣言 「農者天下之大本」



韓国でGMフリーゾーン宣言 「農者天下之大本」

 彼の地では農楽隊の先頭にこの幟(「農者天下之大本」)が立ちます。農こそすべての基礎、社会普遍の理と言えます。今年3月、琵琶湖のほとりの新旭町で開かれた第1回GMフリーゾーン全国集会に、韓国から参加されている人達がいらっしゃいました。カトリック農民会副会長とウリ農生協の職員でした。そのカトリック農民会の皆さんが韓国江原道の原州(ウォンジュ)市でGMフリーゾーンの宣言を行いました。以前からウリ農生協と交流を続けている生協連合会きらりの皆さんとともに、遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーンもその宣言式に招待され、代表の天笠さんにお供して参加して来ました。その模様を写真を中心に報告いたします。


■カトリック農民会とウリ農生協
 韓国の農業事情は、日本と大変良く共通しています。農家一件当たりの平均耕作面積も約1ヘクタール、食糧自給率も半分以下となり、更に輸入農産物が増えようとしています。
 今回、韓国で初めてGMフリーゾーン宣言式を行ったのは、韓国の北東部、江原道の原州(ウォンジュ)にあるテアン村のカトリック農民会の皆さんです。ソウルにあるウリ農生活協同組合と提携する10軒の農家の水田が対象です。宣言対象の広さは3万坪と聞きました。約10ヘクタールという計算になります。宣言式当日は、ウリ農生協からバス3台、約150名の組合員家族が参加。午前10時に到着。テアン村では、伝統的なサムノリ(大小の鉦、鼓を打ち鳴らす農楽隊)が、出迎えてくれました。

■村を守るGMフリーチャンスン
 合鴨農法の合鴨の放鳥式の後、フリーゾーン宣言はカトリック農民会らしくミサの中で行われました。ミサの後、村の集会所で揃って昼食の後、都会の子らによる田植え、餅つきと続きます。近くの小川に逃げ出した合鴨を子ども達と一緒に追いかけます。日が西に傾く頃、フリーゾーン宣言の目玉「フリーゾーンチャンスン」を担いで練り歩き、村の入り口に安置します。長性(チャンスン)は、日本では道祖神、村を守ります。地区を挙げてのフリーゾーン宣言祭りの一日でした。
 今後、韓国でもGMフリーゾーンが拡がっていくことでしょう。欧州に負けず、アジアでもGMフリーゾーンを拡大していきたいものです。
(市民セクター政策機構 倉形正則) 



市民が検証する!遺伝子組み換え食品 遺伝子組換えダイズの毒性に関する
イリーナ・エルマコバ博士の研究についての見解
京都学園大学バイオ環境学部 教授 金川 貴博


1.エルマコバ博士の発表内容
 エルマコバ博士の実験1,2)は、メスラットに遺伝子組換えダイズ(除草剤グリホサート耐性ダイズ40-3-2、モンサント社3))を食べさせたところ、生まれた子ラットの6割が3週間以内に死んだというもので、非組換えのダイズを食べさせた場合の死亡率(1割)に比べて、著しく高い死亡率を示したというものである。

2.エルマコバ博士の研究に対する批判
 実験は4回行われており、最初に詳しい発表が行われたのは2005年10月である。これに対して2005年12月に英国のACNFP(新規食品と製造工程に関する諮問委員会)から反論が出された4)。また、2006年6月に日本の厚生労働省と農林水産省が、ホームページにACNFPの見解を引用して、それぞれの見解を述べている5,6)。

3.私の見解
 まず、結論から先にいうと、日本国政府は、この実験を無視するのではなくて、この実験を参考に、遺伝子組換えダイズの安全性を再評価するための実験を率先して実施することが必要であると考える。
 エルマコバ実験では、ラットに与えたエサの違いが、ラットの生残率に影響したということが明確である。ここで、エサの違いというのが、組換えか非組換えかという違いなのか、それとも別の要因なのかが問題である。このため、実験への批判は、エサの部分に集中しているが、どの批判を吟味しても、組換えが原因ではないと断定する結論は出てこない。
 もしも、食品の安全性に問題ありとする研究結果が発表なされたら、それに対して、しっかりとした反論が欲しいところである。ところが、エルマコバ博士の発表から9ヶ月が過ぎたというのに、出てくる話は、エルマコバ博士の実験の問題点を挙げて、エルマコバ博士の実験結果を闇に葬りさろうとする動きばかりである。この実験に対する最も効果的な反証は、ラットを使った実験のはずであるが、それが出てこないというのは、どうしたことか。エルマコバ博士の実験の詳細が不明だから、追試験ができないなどというのなら、それは言い訳にもならない。私が(おそらく多くの消費者も)知りたいのは、ラットの子に影響があるのかないのかであって、それにふさわしい実験を行えばよいのである。エルマコバ実験に対しては、すでに2005年12月にACNFPがエサの内容とエサの与え方の批判をしているのであるから、そういう点を改善して、国とか自治体とか大学とかが実験を行えば、話は簡単である。
 これまでに学術雑誌に掲載された論文のうち、組換え食品の子孫への影響についての論文がBrake and Evenson(2004)7)だけしかないというのも、私が組換え食品への不安を大いに感じる原因をなしている。Brake and Evenson(2004)は、オスのマウスの睾丸中の細胞について、一倍体と二倍体と四倍体との比率を調べたのが主で、この実験がエルマコバ実験への十分な反証になっているとはとても言えない。
 それに、遺伝子組換え食品の安全性に関しては、国際的な評価基準でも、日本の安全性評価でも、毒性試験をしなくていいことになっており、それだからといって、ほとんど誰も毒性試験を行わないというのはあまりに不可解な話である。エルマコバ博士のような実験結果が出ても、それをすぐに打ち消せるような材料が、どこかにあってもいいはずと思うのであるが、それが出てこないということは、やはり、この実験を打ち消せる材料がないということになるのだろう。
 それならば、国が率先して、遺伝子組換えダイズの安全性を、再評価する実験を実施する必要があると思うのである。もしも今回の実験が、魚とかキノコの結果だったら、もっと、国が積極的に動くのではないかという気がするが、遺伝子組換え食品については、どうも国の動きが腑に落ちない。

4.安全性評価の実態と問題点
 遺伝子組換え食品の安全性については、厚生労働省のホームページ8)にあるQ & AのD-5番「毎日食べる食品に用いられる遺伝子組換え食品は、高い安全性を確保する必要がありますが、長期の毒性試験(慢性毒性試験)を行っていないのはなぜですか」という項目において、「安全性評価基準においては、必要に応じて一連の毒性試験(急性毒性に関する試験、亜急性毒性に関する試験、慢性毒性に関する試験、生殖に及ぼす影響に関する試験、変異原性に関する試験、がん原性に関する試験、およびその他必要な試験(腸管毒性試験等))のデータを求めています。科学的に必要がないと判断されれば省略することができるとされています。実際、これまでに安全性審査のなされた組換えDNA技術応用食品は、急性毒性に関する試験を実施しているものもありますが、慢性毒性等に関する試験は実施する必要がないと個別に判断されたものです。」と書いてある。つまり、安全審査に合格と言っても、急性毒性試験は一部しか行われいてなくて、慢性毒性試験はまったく行われていないのである。
 この評価基準の元が、FAO/WHO専門家協議会の報告(2000)9)に記載されている見解で、その3ページ「4.遺伝子組換え食品の栄養性評価と食品安全性評価の方法」の記述は、以下のとおりである。
「食品は、成分も栄養価も大きく変動するという特徴を持つ物質の複雑な混合物である。摂取の量的限界と食べ飽きるという効果のため、人間の食事に存在する量の数倍しか動物に食べさせられない。それに、食品に関する動物実験を行うときには、その食品そのものに直接関係しない悪い影響を誘発しないために、用いられる食品の栄養価と栄養バランスを第一番に考慮しなければならない。したがって、何らかの潜在的な悪い影響を検出し、それを食品の個々の特性にきちんと結びつけるのは、極めて困難である。動物実験の必要性を決めるに当たっては、もしもその実験で意味のある情報を得られそうにない時には、実験動物をそうした実験に用いることが適当かどうか、ということも考慮すべきである。(中略)会議では、食品まるごとに対して従来の毒物学的試験を適用することについては、すでに明確になっている実際上の困難があるので、それを遺伝子組換え食品に対する通常の安全性評価技術に使用しないということで合意した。また、会議では、意味のある情報を得られそうにない場合は、動物愛護の観点から、毒物学的試験の使用は正当化できないということを確認した。」(訳文:金川貴博)
 しかし、だからといって、いきなり人体実験というのは納得しがたい。しかも、表示制度が厳密でなくて、どこでどれくらいの遺伝子組換え食品を摂取しているのか把握しきれない。たとえ、これが基本的事項であったにしても、もしも安全性を疑問視するようなデータが出た場合にそなえて、すぐに反論できるようなデータをそろえて持っておくというのが当然ではないのか。遺伝子組換え作物が初めて作られたのが1996年であり、すでに10年が経過しているのであるから、それくらいのデータがあってもよさそうに思える。しかしながら、今回のエルマコバ博士のメスラットを使った実験に対して、それに反論できる実験結果がオスマウスの睾丸の実験しかないとは、あまりにお粗末である。
 今回のエルマコバ博士の来日に先立って、モンサント社などが組織するバイテク情報普及会が開いたセミナーで、元FDA(米国食品医薬品局)バイオテクノロジー安全性専門官のジェームス・マリアンスキー氏は、「現在の安全性評価の手法は、世界的に受け入れられている信頼度の高いものであり、市場に出ている遺伝子組み換え作物および食品は、それに則って安全性が確認されている。遺伝子組み換え食品が世界で流通するようになって10年になるが、これまでに健康被害は確認されていない」と強調したことが、普及会のHP10)に書いてあるが、健康被害の確認を実際に行った人がいるのだろうか。安全性の評価は、上記のとおり、科学的には無理があるということを認めた上で、だからこの方法で評価しようという約束事を決めて、それにしたがって行われている。つまり、結局は人体実験ということで今まで来ている。そうであるからこそ、表示が必要であり、また、遺伝子組換え食品の影響についての健康調査を定期的に行うことが必要だと思うのだが、健康調査を行ったという話は聞いたことがない。

5.歴史から教訓
 日本国民は、これまでにも公害や薬害などの被害をこうむってきた。科学者は「その時の科学では予見できなかった」ということで、ほとんど責任を問われない。また、公害や薬害を出した企業も、問題が表面化するまでは十分に利益を上げることができ、問題が表面化した時には、賠償しきれないということなって、結局、被害者は国に責任を求め、国は多額の税金を損害賠償に投入するという図式になる。国は、これまでの歴史から、しっかりと教訓を学んで、このような過ちを繰り返さないためにも、わが国においては、これを機会に組換え食品の安全性について、国が責任を持って、もう一度しっかりと見直していただきたいと思うのである。
 欧米では、エルマコバ実験を無視しようと努めているようであるが、エルマコバ実験への反論を見ても、組換えダイズが子孫に悪影響を与える可能性を否定できる内容にはなっていない。わが国においては、国が率先して実験を行い、その結果を消費者にはっきりと示していただきたい。

 


語るに落ちた代弁者
川島三夫(文責:編集部)


 本日は先日来の豪雨で電車が徐行運転を繰り返し、先ほどようやく到着しました。JRはこれまでの事故の教訓を活かして充分な徐行をして運転されたのだと思います。何かあることを予期しつつ徐行運転することは、大変重要だなと、徐行運転で遅れながらも考えた次第です。
 それに比べて現在のGM食品は、しっかりとした安全確認のないままに猛烈なスピードで突っ走っているようなものだと改めて思います。さらに言えば電車は人を乗せるために存在するということを忘れて、ひたすら早く走る電車の開発とその技術特許取得に血眼になっているようなものではないかとも思えます。
 先日、GM食品問題でイリーナ・エルマコバ博士をお迎えして講演会を全国でリレーし、私たちの生協のある大阪の地でも7月6日に講演会を開催しました。
 イリーナさんの実験は予備的な実験で、それだけで、何かを断言するのはむずかしいことは判ります。しかし、もっとも大きな問題は、GM食品の安全確認がおざなりである点です。国民の食の安全を守るべき国の政策が不十分だと考えたからこそ、私たち市民はイリーナさんの実験結果について、ご本人から直接聞き、詳しく知りたいと思ったわけです。
 日経BP社のWebで「フードサイエンス」というページがありますが、そこで松永さんと宗谷さんというお二人の方が、エルマコバさんの実験についていろいろ書いておられます。
 その中で松永さんは、「生協のお母さん達は騙されている、見破れない」と書いています。
 確かに今日の食品の問題は、専門化したり、背景が膨大であったりします。理解するのに時間が掛かったりします。
 しかし市民がGM食品などに潜む基本的な問題点を理解できないとすれば、そうした食品を受け入れるか否かは、誰が決めるというのでしょうか。専門家のみに任せるのでしょうか。専門家あるいはそう称する人々にお任せにした結果が、今日の様々な結果となってもいます。市民は判断能力を欠くと決め付け、愚弄する高慢な態度に反発せざるを得ない。
 もう一方はGMウォッチャー宗谷氏です。「商業化されて10年、GMダイズに起因する事故は、世界で一例も記録されていない。」と書いています。既に10年間食べているから大丈夫ですよ、と言っているのです。
 水俣病が正式に認定されるまで何年かかったのでしょうか。更には遅れに遅れた公式認定から50年が経過した今も、多くの未認定患者が苦しんでいます。近くで言えば結局BSEにつながった牛の共食い利用は、顕在化までに何年経っていたのでしょうか。食に関わることだけでもこうした経験がいくつもある。
 GM食品の慢性毒性や世代を超えた影響を懸念して市民が企画した講演会について、10年の人体実験で安全というのは、全く的外れの言い分であり、イリーナさんの実験を闇に葬りたいという業界の本音について、まさに語るに落ちたと言わざるを得ません。(2006.7.19「食の安全とGMイネを考える上越集会」生協連合きらりの川島専務の挨拶より)

注)なお本文中の発言の引用内容は以下のとおりです。
松永和紀氏「4日の講演会で集まった生協の組合員たちは、博士にころっと騙されているように見えた。私と同世代やもう少し若い人たち。子を持つ母親である。彼女たちには、このトンデモ研究が見破れない。」(「日経バイテクFOOD・SCIENCE」2006-07-06)
宗谷敏氏「実は、このような虚しい検証をいくら続けても、博士の…仮説を完全に否定することはできない。しかし、ちょっと考えて頂きたい。商業化されて10年、今や大量生産されているGMダイズの摂取に起因する事故は、人畜とも世界で一例も記録されていない。これが事実である。」(同上)2006-07-11)


<書評>詩とはなにか
世界を凍らせる言葉(吉本隆明・詩の森文庫)
詩学叙説(吉本隆明・思潮社)
「近代文学の無念」の止揚 吉本詩論の達成とは何か
室伏 志畔


 吉本隆明の詩論が思潮社から『詩学序説』と『詩とはなにか』の二つにまとめられ、相次いで刊行を見ている。私はその意味を少しく語るところから始めたい。
 我々は吉本像を彼自身の旺盛な著作活動を通し多く育んだが、それに加え川上春雄による初期習作の発掘、松岡祥雄による未刊行論文とインタビューの集成、また宮下和夫による吉本講演のテープ起し、また青土社からの対談集の刊行等によって、その多方面にわたる重層的な展開を与えられその像を確かにしてきた。
 それらの像に親しみながら、私はその膨大を極めた著作、講演、対話の、「系統的な再編集による再抽出」が次の課題ではないかと考えてきた。それはこれまでそれぞれが私淑した吉本論を競うところから、より本質的な提起への前提となると信じたからである。我々はそれぞれに吉本を大いに語ってきたが、その「方法としての吉本」の可能性を確かめることを怠ってきたのではないのか。その意味で吉本ブームはあったが、吉本ルネッサンスを我々はまだ起し得ていない。
 編集という仕事がすっかりもの書きの陰に隠れ、その創造性が忘れられているが、埴谷雄高発見の先陣をきった鶴見俊輔の「虚無主義の形成」は、松本昌次が編集した『濠渠と風車』、『鞭と独楽』の刊行なしにはありえなかった。その意味で編集は時代に先立つ創造的な仕事だ。
 さて、詩(文学芸術)の誕生を「意識の自発的な表出」に始まったとする吉本詩論に話を戻すなら、『詩学序説』は1956年から2004年のほぼ半世紀にわたる吉本の論理展開とするなら、『詩とはなにか』は、安保闘争前夜の1959年から1986年に及ぶ、吉本の自己表出にアクセントを置いた発言の集成と云えるかもしれない。これらは共にあいまって時代の荒波に沈んだ近・現代詩の検討を通して、時代に耐えうる思想詩に根拠を与えようとする凄まじいまでの吉本の時代との格闘を伝えており、そのほとんどは目を通したものであったが、やはり圧倒されるほかなかった。
 これらの詩論の編集に、昨年度の小野十三郎賞の添田馨が関わっている。『詩学叙説』に編集者の名がないのは、編集者の創造的役割を自ら軽く扱うもので頂けない。それはともかく、この系統的な詩論の集成が、詩の実作者としての添田馨が関わったことによって、自らの詩を時代に耐えうるものとするために、吉本詩論から貪欲にその達成を汲み取ろうとした一詩人の行程が重なり、生き生きとした編集となっている。
 その中で添田馨が次第に、吉本詩論の核心を表現転移論から喩法論にあると見定め、その原理論である『言語に取って美とはなにか』に先駆した『詩人論序説』に新たな意味を付与しているのは注目される。これを踏まえ、現代詩が伝統に就くことなく、現在へ開くために七・五調の音数律を捨てることの代償に、様々な喩法の重層化による試みを通し、ついにそれに変わる新たな韻律を内在化させたとする最近の「詩学叙説」の達成は、ここ半世紀をかけ登り詰めた吉本詩論の一結論と見ることができよう。
 この吉本詩論における韻律の内在化理論の完成は、それに先立つ多くの現代詩人の先行する実作によって裏打ちされているが、この理論的達成によって現代詩は、伝統歌へ決して後戻りする事のない新たな思想詩としての城塞を整備し得たと云えよう。添田馨の第四詩集『語族』は、東京という都市に覆い被さる幾多の霊をを重層させることによって、喩としてしか語り得ない現在を開示しえたのは、この吉本詩論の達成とその消化なしにありえなかったことを語るものである。
 それでは、この二つの詩論によって開かれた、吉本詩論の達成とは何か。それは北村透谷の必敗を前提として戦わねばならなかった「近代文学の無念の止揚」と私は呼びたい。−続く 

市民が検証する!遺伝子組み換え食品 GMナタネ全国監視活動の報告―進む遺伝子汚染―
生活クラブGM食品問題協議会 赤堀 ひろ子


 昨年に引き続き全国各地で市民によるナタネの自生調査が行われ、「遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン」に各地から寄せられたナタネ調査数は、北海道から鹿児島まで、1942検体。昨年の約2倍となりました。その他同時に調査を続けている種子ネットなどの300検体を加えると、2246検体となります。(全国調査の結果については、このページの地図と次のページの表参照)。その中で生活クラブ生協の活動について生活クラブ静岡の赤堀理事長に報告していただきました。

 7月8日に目黒区中小企業センターにおいてGMナタネ自生全国調査報告会が行なわれました。昨年に比べて、調査範囲が28府県から42都道府県に広がり、「遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン」に寄せられた検体数も1942検体と昨年の1172検体から大幅に増えました。また、検体の管理や検査の精度もすすみ、1次検査と2次検査の結果にほとんど差がみられませんでした。ここでは、生活クラブの活動に絞って、2年目を迎えたGMナタネ監視活動が、それぞれの地域でどのような影響を与え、地域の中で共感を持って受けいれられているかを含め検証していきたいと思います。

■千葉ではラウンドアップ、バスタ両方の耐性を確認
 生活クラブが調査した地域は1都1道11県で、新たに山梨・福島・青森・北海道が加わりました。検体数は、1071検体。検体数以上の、組合員や提携生産者が参加し、面としての大規模な全国調査になりました。生活クラブのなたね油の生産地である北海道滝川町、青森県横浜町でも行ないました。1次検査で、擬陽性を含む陽性は、神奈川1・千葉5・茨城2・福島1の計9でした。昨年出ていた長野県では、同じ場所を調査したのですが、行政などの管理が徹底されたのか、今回はでませんでした。2次検査の結果は千葉県で、ラウンドアップ耐性が5、バスタ耐性が千葉・茨城両県でそれぞれ1つずつ発見されました。特に、千葉県では、組合員が、ラウンドアップ・バスタ両方の耐性遺伝子を持つセイヨウナタネの交雑株を発見しました。両方の耐性遺伝子を持つ株は開発されていません。原産地のカナダか千葉県内でこぼれ落ちにより自生し、自然に交雑していったと考えられます。環境省では、三重県・福岡県で同様の事例があったと、今春報告していますが、市民の手による調査では初の発見であり、悲しい快挙?といえるでしょう。
 茨城県鹿島市では、バスタ耐性GMセイヨウナタネが発見されました。鹿島港から内陸の搾油工場への輸送ルートでした。千葉市のものも、千葉港からの輸送ルートです。今回の生活クラブでの調査では清水港からは、発見されませんでしたが、3月に農民連分析センターの調査では3検体がバスタ耐性でした。また、種子ネット・よつ葉会の調査では、名古屋港で10、四日市市の搾油工場までのルートでは、57地点の調査箇所から、37も発見されました。この報告会で、米澤製油の安田さんが、「日本中にナタネ畑があったころ、地産地消でナタネ畑の近くに地元の搾油工場があった。大手は港の近くに工場を移していけるけれど、中小の内陸部にある搾油工場は、そこで搾るしかないんだ…」と話してくれました。ナタネ畑の喪失は、それぞれの土地で育んできた、ナタネを植えて油を搾り、灯りをともし、食用にし、ナタネを田に鋤きこんでイネを植えるという人々の営みや暮らしが失われていった過程で起きていったことではあるけれども、その代償はあまりにも大きいといえます。輸入GMナタネによる遺伝子汚染がじわじわとすすんでいる現状をしっかり認識し、市民が継続的に監視すると共に、行政・関連業界による事態の早急な把握と適切な対策、例えば、輸送トラックの改善などの要請が必要です。
 生活クラブ静岡では、清水港を重点監視地域とし、他の市民団体と連携しながら定期的な監視と行政との話し合いを持つことを7月の理事会で決定しました。更なる遺伝子汚染を防ぐために、自生GM作物に何ら対応もできないカルタヘナ国内法の改正要請も視野に入れて、それぞれの地域で、GM作物栽培規制条例(GM作物の交雑・混入の防止)の制定を求める運動など組み立てていきましょう。そして、そのことが、地域の中で共感を持って受けいれられGM食品への関心を喚起し反対への合唱に繋がっていくと思います。−続く 



新「公益法人制度」の準則主義と認定基準をめぐって…市民セクター分断のイデオロギーに反撃を!…
参加型システム研究所 客員研究員 丸山 茂樹



1.はじめに…期待は裏切られた!
 去る5月末、参議院において公益法人制度の改革に関連する「3法案」が可決されて、過去数ケ年にわたる「公益法人改革問題」は、一応の決着を見ました。
 その内容はもしかしたら生協の「公共圏づくり」やワーカーズ・コレクティブの「法人格の獲得」に役立つかも知れないという“期待”とはほど遠いものでした。このことは、既にワーカーズ・コレクティブ ネットワーク ジャパン事務局の金忠紘子さんが本誌5月号(314号)の『民間が担う公共を推進する法改正となりうるのか?』で指摘している通りです。しかし、今回の改革は「出資型(拠出型)の公益法人」を認めなかったというだけでなく、政府与党が進める行政改革・規制緩和・民営化推進路線の行き着く先である日本的<新自由主義体制>のイデオロギーが貫かれている事に注目する必要があると思います。すなわちこの公益法人制度によって、生協やワーカーズ・コレクティブは公益性がない団体、NPOや財団法人等は公益性がある団体に分類されて、制度的にも理論的にも市民セクターが分断される危険性が生じているのです。そこでこの論考では少し踏み込んで、何を巡って誰と誰が論争しているのか?表層だけでなく深層に迫って見ることにします。
2.「公益」法人とは?その定義と範囲
 政府の行革推進本部によると「改革のポイント」は、『「民間が担う公益」を我が国社会・経済システムの中で積極的に位置付け、その活動を促進すること。公益法人について指摘されている諸問題に適切に対処する観点から、制度を見直すこと』となっておりました。
 しかしながら実際の改革の対象は、社団法人と財団法人に絞られています。地域社会の中で地道に行われている生活協同組合の安全な食を求める様々な活動、参加型福祉の事業や運動、ワーカーズ・コレクティブの介護・家事・配食サービス・移動サービス・リサイクルショップ等、様々な活動も「公益」団体とは見なされないのです。一体なぜこんな理不尽がまかり通るのでしょうか?それは彼等の「公益の定義」からきています。彼等によれば生活協同組合やワーカーズ・コレクティブの活動は「不特定多数の人々の利益でなく、特定の人々の利益のために活動するものであり、出資金制度があって剰余金を利益配分しているから、公益団体ではない」とし、生協もワーカーズ・コレクティブも、公益団体から排除したのです。
 この定義への批判は後に行うことにします。では彼等の言う財団法人や社団法人は実際にはどんな「公益」活動をしているでしょうか?一般的な意味の財団や社団がそれぞれの目的に添って「公益的」活動をしていることは事実ですが、日本では各省庁や政治家が自分達の利権の砦として官製財団を設置しているケースが極めて多い。例えば特定官庁のOBを中心とする財団法人が官製談合事件の被告として今、司法によって断罪されているのは周知の事実です。各省庁のOBが役員・幹部職員として天下りして、税金を使って人件費を賄い、無駄な事業を繰り返していることが「公益法人白書」にも多々記述されています。彼等の言う「不特定多数の人々の利益」「公益」というのは単なる建て前に過ぎず、事実を分析すれば明らかです。にもかかわらず「不特定多数の利益のため」に「出資金も利益の配分もしない建て前」があるから「非営利が担保されている」と言うのです。実際には「天下り先」としてポストを確保し「出資せず配当もしないが、多額の役員報酬・職員給料・退職金」という“利益”を配分している事実には目を瞑っている訳です。
 竹中平蔵大臣は「財団法人は民間団体であり、今度の改革で完璧に民間化される」と胸を張りましたが、今回の制度改革によって事実上の官製財団が衣替えし「民間非営利・公益」団体という晴着を着て振る舞うことになります。
 但し、今までとは違い次に述べるように主務官庁の“許可”も監督も必要としなくなって“登記”のみで設立出来るようになり、公益性の認定は「有識者会議」を経て総理大臣や知事が行うことになったのです。−続く 


循環型社会への課題 市民の願いが盛り込まれた国会の附帯決議を生かそう
―100万人の市民立法活動の報告概要―容器包装リサイクル法の改正を求める
全国ネットワーク事務局 山本 義美



 100万市民が法改正を求めた容器包装リサイクル法の一部を改正する法律が先の国会で成立しました。
 私たちの取り組みにより、(不十分ながらも)3Rを進める事業者の自主的取り組みを引き出し、法改正を求めた市民の願いは国会の附帯決議に盛り込まれ、次につながることができました。残念ながら、私たちが主張した「拡大生産者責任の徹底」は実現せず、「発生抑制」や「再使用」の文言についても、法律の条文には明記されませんでした。このため、今後は「附帯決議の内容」や「事業者の自主的取組」が、きちんと実行されるようにチェックしてゆくことが大切となってきます。以下、私たちのこれまでの活動の成果と課題、そして今後について報告します。

そもそもは、ごみを減らし、リターナブルびんを広めるために始めました。
 そもそも生活クラブ生協では、ごみやCO2などの環境負荷を減らすため、1994年からびんの形を統一したリターナブルびん(Rびん)の回収再使用に取り組み、グリーンシステムという組合員活動を進めてきました。この取り組みを社会に広めるため、Rびんに取り組む生協と協力し、「びん再使用ネットワーク」というNPOを立ち上げ、普及活動を進めてきました。
 ところが、ワンウェイびんやPETボトルなどは市区町村が税負担で収集するために事業者負担がなく、事業者が自己負担で回収するリターナブルびんは広まりませんでした。このため、“税金でリサイクル収集するしくみ”を定めた容器包装リサイクル法を改正することを目的として、びん再使用ネットワークの加盟生協を基軸としながらも、さらに全国のごみ問題に取り組む市民と一緒に「容器包装リサイクル法の改正を求める全国ネットワーク*(以下、全国ネットワーク)」を設立して、法改正を求める請願署名の運動に取り組みました。
*「全国ネットワーク」:ごみ問題解決を目指す、北海道から沖縄までの市民、団体が参加したネットワークで、2003年10月に発足。2005年10月現在、215団体、183個人が参加。事務局長は須田春海(市民立法機構共同事務局長)。
 法改正を求めたポイントは、「リサイクルの収集費用を製品価格に含める」ことと「リサイクルよりも発生抑制、再使用を優先する」ことです。請願署名には、2004年6月までに全国から100万筆の賛同が寄せられ、国や政党による見直しの動きを早めることができました。

署名の成果で、いったんは、「拡大生産者責任の徹底」が合意されました。
 2004年7月、中央環境審議会(環境省)と産業構造審議会(経済産業省)で見直し審議が始まりました。そして、2005年6月の「中間とりまとめ」には、「拡大生産者責任を強化する方向(事業者が自治体の収集費用の一部を負担する方向)」が盛り込まれ、100万筆の請願署名の成果により、このレベルにまで到達することができました。
 しかし残念ながら、2006年2月の審議会「最終答申」には、2005年10月に出された日本経団連の意見が反映され、「収集費用の一部負担」という文言は消されてしまいました。ただし、その日本経団連の意見書には、「事業者は自主的に3Rに取り組む」との内容も含まれており、(その内容は不十分ですが)、少なくとも「事業者の自主的取組」を引き出すことにはつながりました。−続く

議案書からみえる地域生協
生活クラブ生活協同組合・埼玉
協同の理念が輝く豊かな地域社会をめざして
前号にひきつづき、生活クラブ生協の年度方針の要約を、編集部の責任で掲載します。

議案書からみえる地域単協
生活クラブ生活協同組合・千葉
―30周年を迎え、地域における存在価値を高めます。―
 生活クラブ生協千葉は、今年で設立30周年を迎えます。同時に第8次中期(3年)計画の初年度も迎えます。生活クラブ千葉は04年度にたすけあいネットワーク事業を分離(社会福祉法人生活クラブ、生活クラブ・ボランティア活動情報センター、(株)生活サポートクラブ、コミュニティケア研究所)しましたが、各地の市民ネットワークやワーカーズコレクティブとともに生活クラブ千葉グループの総合力で地域に貢献していくことを掲げています。編集部による06年度方針の抜粋です。



生活クラブ連合会総会傍聴記 運動は世代を越えて
(財)協同組合経営研究所 元研究員 今野 聰


はじめに
 今年も以前ほどではないが、いくつかの生協総会を傍聴した。どの総会でも、関心は論点の明確性と時代に対する先駆的提案にある。だからか総締めくくり的位置にある日本生協連総会には、やや失望した。コープさっぽろの経営危機打開がようやく軌道に乗ったらしいこともあった。また県域規制撤廃のため、現行生協法改正に取り組む決議案にさしたる苦渋も無しに、圧倒的な賛成があったからでもある。背景には共済事業の競合激化とか、いくつかの事業連が県域を跨ぎ、実質加盟単協のあらゆる事業・活動分野に入りだしたことにある。
 昨年、「日本の生協の2010年ビジョン」が決定された。全国主要ブロックに主軸になる事業連合結成である。その一環として商品取扱量結集で「クリティカルマス」論が登場した。その語感に驚き、にもかかわらず全国各地店舗の構造改革論はかつての「店舗ペガサス論」を嫌った程度だったからだ。SM店を中心に最大効率追求店舗論を超えるものはなにもない。
 一方、昨年初頭華々しく打ち出した「日本農業改革論」もやや引っ込めた感じなのだ。戦後60年、マッカーサー占領政権が行った不在地主からの農地強制取り上げ以外、日本農業の構造改革論はさしたる成果無し。ついに、ここまで来てしまった。なし崩しに衰退するに日本農業と農業者。それに日本生協連新方針が希望を与えつつあるとは到底思えない。
 だからか、今年は生活クラブ・グループの全国各地単協総代会は注目された。その集大成ともいうべき連合総会を、かつてない関心をもって傍聴した。すでに加藤好一論考(本誌06年5月号「農業情勢の転換と共同購入の課題」)でも片鱗が見えてもいた。それは長年の提携産地・庄内遊佐町で、米・飼料用米・大豆の構造的転換協同だからである。では当日の総会討議はどうだったか。

1、さがみ生活クラブ生協総代会で
 その前に、連合会に参加している単協事例を触れる。生活クラブ・神奈川の5つの地域生協の一つ「さがみ生活クラブ生協」である。生活クラブ・神奈川の方針に基づき、地域分権として設立3年目。今回決議した「第1次中期5ヵ年計画」策定に、私は1年間アドバイザーとして関わった。おかげで手元には膨大なメモが蓄積された。要するに、@県央に農業地帯が営々と営まれている現状を直視する。A地域に生活クラブの存在が鮮明に見えるようにする。Bこうして県内最小生協が、いずれは地域大型生協に拡大加速する決意を全体化する。そういう長期計画を総代会で圧倒的多数で決議したのだった。
 ところで私の想いには、@1972年6月、成分無調整「農協牛乳」開発に決起した津久井郡農協組合員に、30年後の新たな提携展望をつくる、Aそこの300名組合員を1,000組合員にし、デポを新規展開する、B管内を住民参加のエコ・ミュージアムにする行政構想と対等に連携する、以上の狙いがあった。だから検討会では毎回そのことを慎重に提起した。だが最終案は、より足元のJAさがみとの判りやすい「地産地消」だった。こうしてアドバイザー提案は簡単に無視された。かえって検討メンバーのパワーに脱帽した、実に楽しい1年だった。
 5月23日総代会論議をひとつだけ紹介する。「デポーでのレジ担当は、ご苦労さんと言うだけでなく、そろそろありがとうと言おう」という提案だった。私はこの時、論議の拡大を期待した。議論は少し続いた。そしてこれこそ次期中計のプロジェクトで大いに論議するとの答弁で総代全員納得。さわやかな討議経過ではあった。実に最終答申にいたるまで検討されたテーマでもあった。おそらく「デポー」か「店舗」か、あらたな様相を帯びるであろう。あたかも農協で「直売所」が「Aコープ店」に置き換わろうとする動きに関係しそうだからでもある。
 似たことだが、いま全国の生協1,189店(2005年度推定)のどこかで、新しいレジ対応用語法が論議されているだろう。私の定点観測店である「西友練馬駅店」では、利用者から店長への辛らつ意見ビラが連日公開されている。大半は店舗要員の接客サービス問題である。ここにもSM(SSM)店舗間の競合が新時代に入ったと実感させられる。テーマは違うが、どこか通底する。連合総会は見ものだ。

2、生活クラブ連合会総会で
 ようやっと焦点の連合総会だ。6月23日(金)、上野近くのホテル・ラングウッド。もう何度この総会を傍聴したことか。一時はホテルを探すのに苦労したものだった。今回の総会代議員を見渡してみて、顔ぶれは相当新しい。「さがみ生活クラブ生協」の何人かと言葉をかわした。勇退予定の河野栄次会長の挨拶は何か。
 方針提案にもある通り、時代が生協にとって困難である。1980年代末、セゾングループのリーダー堤清二が「21世紀は協同組合の時代」と言った。彼は生活総合産業と言い、りんごの木1本オーナーとも提案した。鮮やかな提案は、そっくり流通産業が時代変革の主動力だった。その彼が引退して久しい。今や、勝ち負け組み論に堕している。デフレ経済危機からの脱却、国際交易の新協定交渉の国別むき出し国益論、そして構造改革仕上げに狂奔する小泉内閣とグロ−バル経済推進派。
 こういう時代に打ち出された2007年1月稼動の新センター実稼動論である。詳細な予測データからは、ともあれ「クリティカルマス」の向こうを張る「クリエテイブマス」の材・質・量が求められる。おそらく単協自立と連合という従来の組織運営原則は、軌道修正を迫られよう。それが参加型の徹底としてなにか、明確には推定できない。
 さて河野会長である。冒頭挨拶とその後一回答弁に立ったが、彼の主要発言をランダムに書く。
「いままさに協同組合の存在が問われている」。「協同組合は生活の道具である」。
「材をめぐって生産と消費の総てには対応できない」。
「26単協に合意を求める努力に全力投球し、同時に批判は受けなければならない」。
「生産する消費者運動こそ必要である」。
(なおそれらは本誌06年7月号米倉克良「雑記帖」にも詳しい)。
 以上総てを加減乗除すれば、河野思想、河野生協論、河野実学論、河野社会運動論など、厳密な枕言葉を付けて、次の世代が引き継ぎその本質は理解浸透していくのだろう。しかも言わんとすることが、まず目の前の実勢事業展開であり、2007年1月稼動の新センター実稼動論である。続いて、将来を描く仮説(仮設)であり、実証のための実践である。困難も想定される。しかも変幻自在だからである。
 かつて1970年代末、行きなれた東京本部で毎回5時間、創立メンバー岩根邦雄理事長の話を聴き、そこにはうず高く関係書があった。彼にあったのは、困難を怖れない危機突破信念だった。組合員信頼と言っても良い。こうして私は営業担当だったが、産直米を除けば、取引実績はゼロ。すでに牛乳工場は建設中だった。引用文献のどれも、実営業担当には不要だった。だが、単に営業でない生協担当ならどうか。反論もし、だから全農や農協はこうすべしと自己確認していく過程でもあった。多かれ少なかれ、当時どの生協リーダーにも、理想に燃えた発言がある時代だった。
 それから30年余、岩根初代理事長の理念をそっくり引き継いだ河野会長が勇退する。かわって東北地方の各加盟単協代議員が、牛乳消費拡大対策を語り、広報における単協と連合会の機能分担を熱く語る時代になったのだ。

3、更なる挑戦に希望
 昨年11月私も編集員となって『現代社会をつくり・かえる―進化する生活クラブの参加型システム』(NPO参加型システム研究所)を発刊した。多くの神奈川・生活クラブ組合員の実践記録と展望論がある。これからの生活クラブの事業と運動の論争素材であって欲しい。
 その中で、私の論考「農村共同体の参加力」は農協組織で40年経験した上での自己批判であった。戦前から国家の保護のもと、1943年には大東亜建設のため邁進する農業団体の組織決議であった。戦争参加そのものの宣言だった。
 こうして決定的反省からの戦後民主過程つくりの農協。そして今、日本農業の担い手育成の土壇場だとして国の強引もプラスし、「集落営農」論で騒々しい。
 たとえば宮城県の古里JA加美よつば。産米50万俵をめぐって、苦闘は続く。多くの集落に、現に400年続く共同体の伝統形成がある。農業史研究者・守田志郎の言う「村は村である」。この難しさを打開するため、ここでも参加型に中心の軸をもつ生活クラブ運動から学べば良いとアドバイスをしている。だが、ことは簡単にあらず。だからこそ、希望を語りたい。2007年1月からの新センターを背負った事業展開とは、農協と産地生産者にとってはその希望であろう。 以上 


ワーカーズ・コレクティブネットワーク ジャパン(WNJ)代表 藤木千草
次月号に詳細を掲載致します。
<アソシエーション・ミニフォーラム>東 京
協同組合とはなにか?東京大学農学生命科学研究科助教授 万木 孝雄氏


 東京大学で協同組合論の授業を担当されている万木先生のお話を通して、日本における協同組合の位置づけと、存在意義を再確認することができました。特に、大学生協の理事として、協同組合経営にかかわられた上での率直なご指摘が印象的です。東京大学生協の理事会もなり手があまりなく、組合員である学生や教職員に対する「協同組合の教育」が足りないとのことでしたが、自分の学生時代を思い出してみても「生協」というのは少し安く文房具や本が買える「購買部」としか考えていませんでした。出資をして組合員になるということも、会費を払ってスポーツクラブの会員になるのと同じレベルで捉えていました。再び生協に出会うのは、生活クラブ生協に加入した時ですが、最初は「安心して食べられるおいしいものが買える」サークルの会員になるという程度の認識でした。
 しかし、15年前にワーカーズ・コレクティブに出会い、この働き方にあう法人格をつくる活動を通して、協同組合について学び考える機会を多く得て視野が拡がりました。ICA(国際協同組合同盟)の協同組合原則にもある「教育、訓練および広報:協同組合は組合員や選出された役員、マネージャー、従業員がその協同組合の発展に効果的に貢献できるように教育と研修を行なう。協同組合は一般大衆〜ことに若者とオピニオン・リーダーたち〜に協同組合の特質と有益性を広める。」ことの重要性を痛感します。特に学校教育などで、社会にある組織形態のひとつとして株式会社などと共にとりあげる機会があればと思います。大学でも万木先生のように協同組合について教える先生がもっと増えていくといいのですが…。
 「弱者が誕生せざるを得ない資本経済の中でこそ、協同組合が必要である」という万木先生の言葉はまさにワーカーズ・コレクティブ運動の基礎です。少子高齢社会・格差社会において、「自発的に自分たちのニ一ズや願望を実現するための民主的な自治的な組織」である協同組合は、課題解決の有効な手段です。既存の協同組合自体がまずその特長を認識しなければなりません。
 万木先生、これからも応援と若者への教示をよろしくお願いします。


雑記帖 加藤 好一

 先日、生活クラブ連合会を代表して西豪州に行ってきた。目的はNON-GMOの菜種生産の継続を、現地の生産者、流通に携わる農協関係者、西豪州の農務省の担当官に訴えることだ。これを目的とする現地訪問は私自身は四年ぶり二度目であり、生活クラブ連合会としては通算四度目となる。
 菜種は輸出大国のカナダがGMの作付比率を拡大させているため、生活クラブはカナダを諦め、西豪州に輸入原料菜種をシフトさせてきた。そして、日本の消費者はGMを拒否するとの繰り返しの西豪州での訴えは、現地マスコミにも登場するなど、西豪州の菜種関係者を大いに刺激するところとなった。その甲斐あって、豪州は国レベルではGM推進なのだが、州レベルではモラトリアムの立場にあり、特に西豪州は農務省の担当官が今回の訪問の際に「西豪州は菜種に関してはGMOフリーゾーン」(遺伝子組み換え作物栽培拒否地域)である旨を公言するまでになった。これまでの努力をふまえるなら、生活クラブ関連のフリーゾーン宣言の最大産地は西豪州だと大言壮語もしても、そこそこは許してもらえるはずだ。
 ところが、である。帰国後、ある新聞で次の見出しを目にした。「マーガリンに値上げ圧力 菜種油、自動車と取り合い」。昨今、欧米で菜種油の自動車燃料としての使用が拡大している。特にEUでそのスピードが急だ。背景には原油高がある。現在、生活クラブがNON-GMOの輸入菜種を安定確保できるのは、EUのこの需要に支えられているとも言える。しかし今後需要がさらに拡大し、燃料用ならNON-GMOでなくてもよいとするような圧力が強まったらどうなるか?
 今回の訪問ではこのことに対する危惧の念を表明してきたが、NON-GMO菜種の命運は、今後の原油高の動向にも翻弄されそうだ。

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