<特集>
アソシエーション・フォーラム①
生活者的知性とアソシエーション―思想としての「アソシエーション革命」
大阪経済大学人間科学部教授 田畑 稔
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私のアソシエーション論への取り組みは(1)マルクス「アソシエーション論」の再読からはじまり、(2)A・グラムシとアソシエーション論の結合の模索へと進み、(3)さらにアソシエーション論を現代日本の社会変革論として展開する(今年3月に共同研究『アソシエーション革命へ』を刊行)という形で、少しずつ進んでおります。(4)そして現在は生活者視点とアソシエーション論の結合を深めたいと「日常生活世界の哲学」に取り組んでおります。今日は、私自身のこういう取り組みの流れに沿いつつ、話していきたいと考えます。
20世紀の大事件といえば何といっても二度にわたる未曾有の帝国主義世界戦争があり、経済領域では「フォーディズム経済」という大量生産大量消費型成長経済の出現がありました。しかしもう一つ、対抗システムとしてのいわゆる「ソビエト型社会主義」の成立と大崩壊があげられるでしょう。今日、この側面を思想史的に総括するとすれば、必ず「アソシエーション」に向き合わざるをえないのです。80年代に入って私は、自分自身の思想的な軌跡もあり、「もう一度マルクスを読み直す」ことを始めました。このまとめが94年に出した『マルクスとアソシエーション』(新泉社)です。結論的に申しあげると、マルクスの思想の根幹にあったアソシエーション論は「ソビエト型社会主義」では事実上抹殺され続けたと言わざるをえないのです。
例えば大月書店から出ていたマルクス、エンゲルス全集の訳語の問題です。ここには、マルクスのAssoziationやassoziiert(associatedアソシエートした)になんと20以上もの訳語があてられております。それから「assoziiertな労働」と「kombiniertな労働」に同じ「結合した労働」という訳語があてられている。これは驚くべき混同です。つまり資本主義では協業が進みますからすべて「結合した労働」が基本です。ところが皆さんが生活協同組合などでやっている「アソシエートした労働」というのは自治と協働と共有に基づく未来型の労働のあり方であり、単なる「結合した労働」と全く異なるものです。
もうひとつは、マルクスの盟友エンゲルスが、マルクス死後かなり加筆修正を行ったことです。良く知られている『共産党宣言』の日本初訳は堺利彦と幸徳秋水が苦労して出したものですが、これもエンゲルスが監修した英語版でした。ここでは例えば「すべての生産がアソシエートした諸個人の手に集中すると」が「国民全体の巨大なassociationの手に集中すると」と書き直なおされているのです。なぜ「アソシエートした諸個人」ではいけないとエンゲルスは考えたのでしょうか。‥‥続く
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追悼・ポール・ハースト
故ポール・ハースト
アソシエイティブ・デモクラシーと自治・共和
栗原 利美(法政大学大学院政治学専攻博士後期課程) |
田畑稔先生の指摘では、最近逝去したポール・ハーストは、「アソシエーション論」の論者の中でも比較的まとまった「アソシエーション型社会変革の実践構想を示した」理論家である。こうした点で、ハーストの理論の分析は、私たちの次の課題の一つであった。主要著作の完訳はまだなかったが、今秋には来日も予定されていた。まさに、日本への本格登場はこれからという時期であった。今回は、今後展開が期待される政治理論からの視点から、追悼を含めて寄稿していただいた。(編集部)
ポール・ハースト(Paul Hirst)の訃報(2003年6月16日逝去、享年57歳)を聞いて、非常な驚きを感じた。私自身全く予想もしていなかったし、まさに若すぎる死であった。ハーストは、ロンドン大学バークベック校の教授で、社会理論(Social
Theory)を専門とする研究者であり、英国民主化運動の市民団体「チャーター88」(Charter88)の議長も務め、政治理論的にはデモクラシーのリニューアルをめざすアソシエーショナリズム(Associationalism)の唱導者としてつとに知られている。ハーストを追悼するとともに、ハーストのアソシエイティブ・デモクラシーを自治・共和論の観点から考察し、その現代的意義を究明したい。
私が、ハーストの代表的著作であるAssociative Democracy(Polity Press,1994)を読むことになったきっかけは、98年に法政大学大学院に政治学専攻の夜間大学院が設置された時の院生とともに、ハーストの著作を読む研究会活動だった。始めは「ブレア改革に影響を与えている理論家ではないか」そして「日本ではまだ翻訳がない」という理由であった。この一環として、社会人の活動という制約があったが、ハーストの論文‘Can
Associationalism Come Back?’を、生前ハースト本人の承諾を得てメンバーで翻訳することができた(邦訳の題名は論文の趣旨をふまえて『アソシエーショナリズムは可能か』とした)。論文は、アソシエーショナリズムの歴史的意義と本質をコンパクトに整理したものであったが、現実政治の新たなあり方を考察する上で、たいへん魅力的であった。
ハーストは、もともとアルチュセリアンとして理論研究を出発したが、その後アルチュセール主義だけでなく、マルクス主義とも決別した。マルクス主義理論に対して、その理論的枠組みが経済還元論・階級還元論であるため、十分な社会分析が困難であるとのラディカルな批判を展開したのであった(Cutler
et al,1977,78)。この著作の共同著作者の1人であったヒンデスがネオ・フーコー派「統治」理論へ転進したのに対して、ハーストは、アソシエーショナリズムへ転進することとなる。80年代に入り、ハーストは多元的政治理論の研究や現実政治の分析に取り組んだ。多元的政治理論のリヴァイバルへの貢献となった著作の編集(Hirst
ed,1989)やアソシエイティブ・デモクラシーの出発点ともなったサッチャー政権に対する批判(Hirst,1989)がその成果であった。また、コーポラティズム論やカール・シュミットの政治理論の批判的検討も行った。そしてハーストの研究は、代議制民主主義を前提としながら、いかにしてその欠陥を克服するのかという問題の考察(Hirst,1990)を経て、アソシエイティブ・デモクラシー論の構築(Hirst,1994)へと結実していくのであった。
アソシエーショナリズムは、いくつかの思想的な源泉があり、ハーストは、ロバート・オーエン、ヤコブ・ホリヨークなどの英国の協同組合主義者、フランスの社会主義者のジョゼフ・プルードン、J・N・フィッギス、ハロルド・J・ラスキ、G・D・H・コールなどの英国の多元的政治論者の名をあげている(Hirst
1994 :15-16)。このなかでも20世紀の多元的政治理論は、近代国家が中間団体を排除したのに対して(近代国家観念の形成者と位置づけられるホッブスにとって、〈国家〉と〈個人〉の中間に介在する〈集団〉とはリヴァイアサンに巣食う「蛆虫」にすぎなかった[松下1969
:143])、集団の観念を基軸として政治理論の転換を行ったもので、近代国家とアソシエーションを鋭く対立するものとして把握することから、アソシエーショナリズムの理論的基礎としてきわめて重要である。
アソシエーション(association)は、本来特定の目的のために組織された集団を意味するが、今日的に重要なのは自治的・自律的アソシエーションである。ハーストは、アソシエーショナリズムの重要な命題として、「個人の自由と人々の福祉は、両方とも可能な限り多くの社会的事項が自発的で民主的な自治を行うアソシエーションによって執行される時に、最大限に実現される」(ibd.:19)としている。具体的には、これまで国家の機能であった、保健・医療、教育および福祉などが、国家からアソシエーションへ「委譲」(devolution)されるのである。また、「自発的で自治的なアソシエーションが、漸進的かつ累進的に、経済社会的諸事項の民主的統治(democratic
governance)の一次的手段になる」ことをあげている(ibd.:20)。この場合のアソシエーションには、中央集権型のシステムではなく、自治・分権型のシステムの政策主体であり、経済社会的ガバナンスを担う役割が期待されている。アソシエーションは民主的で自主的であるので、特定のアソシエーションに加入し、そのメンバーになれば運営に参加できる。いわば参加型システムの自治であるといえる。
また、公的・私的な領域について、アソシエーショナリズムの二つの特徴を指摘する。「アソシエーショナリズムは、二つの基本的特徴を持つ。それは国家と市民社会の分離を橋渡しし、変容させる。すなわち、国家を多元化(pluralizing)し、市民社会を公共化(publicizing)する。第二に、それは公的および私的の両方の領域における団体(corporate
bodies)の民主的統治を推進する。ヒエラルヒー的経営の範囲を制限し組織を効率化する新しいモデルを提供することを目的とするのである」(ibd.:74)。こうして、「アソシエーショナリズムは、公的および私的領域の区別が変容され、ガバナンスが国家を超えてより広い社会にまで拡大し、そして国家の集権化とヒエラルヒー的指令が最小限にまで縮小されるような、その名に値する『市民社会』を創ることを追求する」のである。すなわちこのことは、市民共和型社会の形成につながる論理であると考える。
こうした「現代のアソシエーショナリズムは、リベラルな代議制民主主義に対するある程度広範な補完(supplement)以上のものではあり得ない。それは、個人が地域的基盤に基づいて投票する権利を廃止することも、個々の市民やアソシエーションの権利を擁護することを試みる公的権力としての国家を廃止することも、追求し得ないのである」とあくまで議会制デモクラシーが根底に置かれる。これは英国の立憲主義の伝統であると思われる。
以上のような基本原理をもつアソシエイティブ・デモクラシーについて、篠原一(東大名誉教授)による簡潔明瞭な解説がある。「これは、アソシエーションを非常に強調するトクヴィル派の系列です。彼(ハーストを指す-筆者)の場合、近代のはじめはアソシエーションが活発に機能していたが、十九世紀が進むにつれ労働組合、企業、国家組織など全て巨大化し、アソシエーションが巨大な組織に押しつぶされてしまった。そこで、規模小さな組織が復活しないと、デモクラシーや市民社会が崩壊してしまうという主張です。例えば、国家機構に依存する福祉国家ではなく、アソシエイティブな市民組織主体の福祉国家をつくろうとすることです。彼の面白いのは、従来のコールやラスキのようなアソシエイティブな系列の多元主義国家論が失敗したのは、企業組織や官僚組織という大きな組織の代替物としてアソシエーションを考えたからだという点です。むしろアソシエーションを補完的な役割と位置づけ、今のシステムの中でじわじわと社会を変貌していくという発想のグラジュアリズムである」(篠原
1998 :37-38)。それゆえハーストの業績は、現実の行政の現実的変革の提案を含むリアリテイのあるものであり、この点私たちだけでなく、批判者も含めた多くの人々に今後の理論的展開が強く望まれていたといえる。
デモクラシーという言葉は、古代地中海政治から19世紀のヨーロッパ政治までは「衆愚政治」を意味していたが、19世紀後半の「社会民主主義」の登場によってプラスの意味に転じ、普遍的価値をもつにいたった。デモクラシーはそもそも全ての人が全ての人を支配するというのが原型で、支配者と被支配者が同一主体であるという矛盾をかかえたものである。それゆえにデモクラシーは完成されたものではなく、「永久革命」(Long
Long Revolution)的な性格を持ったものだと考える。そこで、デモクラシーの担い手である市民は、デモクラシーを不断に変革していかなければならない。これには、市民の政治に対する習熟が必要となる。「市民の政治習熟には、数世代以上にわたるながい市民運動の経験蓄積を土台とした、(1)自治・共和型の政治発想の熟成、(2)自治・分権の政策・制度の開発が不可欠である」(松下1995
:29-30)との指摘があるように、デモクラシーの根底には「自治・共和」の政治原理がおかれるべきであると考える。
現代デモクラシーの系譜の一つである共和政治は、古代地中海文化圏における「ポリス的民主主義」に由来する。ここで基本となるのは、市民がres publica(公衆の仕事、関心事)の決定および施行に参加(participation)することである。もともと「共和」はラテン語のres publicaに由来し、公衆の仕事、関心事を意味する。キケロがレス・ピュブリカとしレス・ポピュリであり、ポピュラス(人民)とは「お互いの権利についての共通認識と、その利益追求という二つの絆によって統合した人々の結合体」(De
Republic)と定義しているように、ただ人間があつまれば成立するものではなく、相互の権利についての共同追求に携わる人々の存在を必要とする。ここにおいて、このような資格を持った人間=市民、集合=公衆、携わる仕事=共和となり、人間の活動は、市民共同体の財産=共有財(コモン・グッド、コモンウェルス)を生みだす。英語圏で、共和政治をコモンウェルスとも称するのはこの結実からみた表現である(参照、寺尾1981
:51)。そしてこの参加は、参加する市民の範囲が広いほど、参加する事柄が多いほど、参加する方法が多様であるほど民主的である。
わが国においては、松下圭一が既に1975年の『市民自治の憲法理論』で、自治・共和論を展開している。まず市民について、その人間型を理想概念ではなく規範概念であるとして「市民とは、自由・平等という共和感覚をもった自発的人間型、したがって市民自治を可能とするような政治への主体的参加という徳性をそなえた人間型である」(同:Ⅹ)と定義している。そして市民の政治課題として、Ⅰ市民自由・Ⅱ市民福祉をあげ、そのために「市民自治による<MG
CHAR="○","A" SIZE=70.0>政策決定、<MG
CHAR="○","B" SIZE=70.0>政策執行、<MG
CHAR="○","C" SIZE=70.0>政策責任をにないうる政治システムを、自治体、国の各レベルで構成しなければならない」とし、「自治体・国レベルそれぞれの機構分立にもとづく均衡抑制という分節政治」(同:28-29)の理論を展開し、「シビル・ミニマムの発想は、都市型社会における市民福祉の市民自治による実現という、現代的意味における《共和》(res publica)の観念の提起を意味する。それは、国家による恩恵給付としての福祉ではなく、市民自治による市民福祉、いわば<公共善>の自主構成である」(同:48)としている。
また松下には、英国の多元的政治理論に関するすぐれた研究論文(松下
1969)があり、国家と個人の間にある「中間団体」に着目した先見性がある。これが自治体の発見につながり、自治体改革に関して重要な提言を行っている。
私が、ハーストのアソシエイティブ・デモクラシーの理論を学びなから感じたのは、これをこうした自治・共和論の観点からとらえるおもしろさであり、松下理論との共通性であった。先に紹介したハーストの理論の整理もこの観点から行ったものである。ハーストのアソシエイティブ・デモクラシーは、非常に多様な論点を含んでおり、それぞれの読み手の問題意識で解釈することが可能であると考える。例えばハーストの共和主義について、捧 堅二(高野山大学教員)は、ハーストは「共和主義」(republicanism)を以前から一貫して批判しているが、それは主権国家を前提にしている共和主義思想に対する批判で、共和主義そのものに対する批判ではなく、ハースト言説には、公的領域における人間の自由(公的自由)という古典的共和主義の考え方、また「公的領域」を市民社会にまで拡大していこうとする考え方がみられるとし、「多元的共和主義」の存在を指摘している(捧1997
:39-40)。
今日、英国のように市民社会が成熟した社会では、国家権力が市民社会に全面的に介入してゆく従来の福祉国家型モデルはもはや通用しないことは誰の目にも明らかである。ハーストのアソシエイティブ・デモクラシーは、新しい経済・社会システムの改革構想を示しており、死してもなお、その業績は、今後とも注目されるべき理論であると言える。先に見たように、「非国家的公的領域」を社会に拡大していこうとする論点は重要で、特にNPO(非営利民間組織)やNGO(非政府組織)などの活動の影響力が確実に広がっている現実を見ればそれは明らかである。したがって、アソシエイティブ・デモクラシーは、国家と個人を中心とする政治権力論の枠組でのデモクラシー論ではなく、自治・共和型のデモクラシー論であるといえよう。この理論展開こそ、私たちがハーストに期待し、そして直接問いたいことであった。しかし、これがかなわぬ現在、この課題は、残された私たちに課せられたといわなければならない。
最後に、ハーストの代表的かつ刺激的な著作であるAssociative
Democracyは、いまだに完全な邦訳がないのは大変残念なことであるが、この著作がわが国においてもより多くの市民に読まれ、社会の変革に対する一つの理論的基礎となることをぜひ期待したい。
引用および参考文献
Hirst,Paul(1994) Associative Democracy:
New Forms of Economic and Social governance,Polity Press.
Hirst,Paul(2001)‘Can Associationalism Come Back?’(Paul Hirst
and Veit Barder eds.,Associative Democracy:the Real Third Way,Frank Cass)
栗原利美、貝瀬まつみほか共訳(2002)「アソシエーショナリズムは可能か」(『政治をめぐって』第21号)
南島和久(2002)「アソシエーショナリズム考」(同上)
Antony Cutler,Barry Hindess,Paul Hirst and Athar Hussain(1977,1978)
Marx’s Capital and Capitalism Today,2 vols.,Routledge and Kegan Paul, London[岡崎次郎、塩谷安夫、時永淑訳(1986、1988)『資本論と現代資本主義論』全二巻(法政大学出版局)]
Hirst,Paul ed. (1989) The Pluralist Theory of the State:selected
writings of G.D.H.
Cole,J.N.Figgis and H.J.Laski,Routledge,London.
Hirst,Paul(1989) After Thatcher,Collins.
Hirst,Paul(1990) Representative Democracy and its Limits, Polity
Press,Cam-bridge.
松下圭一(1969)「『巨大社会』における集団理論」『現代政治の条件:増補版』中央公論社)
松下圭一(1975)『市民自治の憲法理論』(岩波書店)
松下圭一(1995)『現代政治の基礎理論』(東京大学出版会)
篠原 一(1998)「市民社会の史的展望を求めて」(『月刊自治研』8月号)
寺尾方孝(1981)「共和」『年報政治学1979』(岩波書店)
捧 堅二(1997)「政治的多元主義とアソシエーション」(『季刊唯物論研究』7月号)
早川 誠(2001)「代表制を補完するーP.ハーストの結社民主主義論―」『社会科学研究』第52巻第3号
田畑 稔ほか編著(2003)『アソシエーション革命へ』(社会評論社)
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第2次ワーカーズ・コレクティブ法研究会
サブシステンス社会のイメージ―「労働」概念の転換こそ必要―
古田 睦美
長野大学産業社会学部 |
グローバルな規模でみると、月給をもらっていて団結権や交渉権が保証されている状態の賃金労働者は世界の人口のほんの一握りである。しかし、今までの経済学の理論は、先進国の白人男性労働者をモデルとしてきた。そうした理論にとっては、女性の労働、家内労働、自営業の中の労働、パート労働、臨時、派遣その他のいろいろな働き方は、みんな、インフォーマルセクターの働き方とか見えざる労働、経済外の働き方とされてしまう。
しかし、環境問題や、少子化問題、失業問題への回答を迫られ、低成長期の社会システムのあり方について考えざるを得なくなってきた。その中で、ペイド・ワークがアンペイド・ワークよりも価値があると考えられ優先されてきたこと、つまり、男性優位主義的で経済偏重、開発指向の経済概念も再検討される時代となってきた。「豊かさ」やほんとうの「充実感」を感じることのできる社会にむかうには、「豊かさ」の概念と同時に「労働」概念の転換が必要であり、そうした新しい概念にたったオルタナティヴな働き方の模索が必要である。
ドイツの理論家アンドレ・ゴルツは新しい労働概念を模索し、マリア・ミースは、グローバルな視点に立つエコ・フェミニズムの立場から「サブシステンス(生命と生活の維持)」という新しい概念を提起している。ワーカーズ・コレクティブを考える上で、既存の労働概念と働き方の再考はさけてとおれない。以下、アンドレ・ゴルツの労働論と対比させながら、ミースのサブシステンス概念を紹介し新しい労働概念について考えてみたい。
ドイツの労働組合や「緑の党」などの指導者として大きな影響力を持っているアンドレ・ゴルツの理論を著書『労働のメタモルフォーゼ』にしたがって整理してみたい。
ゴルツが言うには、ギリシャ哲学以来、労働というのは、「自由」対「必要」というふうに考えられてきた。つまり、必要だから労働がある。その対極に自由が構想されてきた。これは社会主義思想でも同じで、機械化によって必要な労働が省力化されて自由になっていくと考えられてきた。
だが、この2極軸からの労働概念ではなく、現在では「自律性」と「他律性」という軸を導入して考えなければならないのではないかと、ゴルツはまず、労働を次の3形態に分けた。
1.経済目的の労働
お金や商品交換が目的の労働で、質を問うていない労働。
2.自分のための労働・家事労働
自分のための労働というのは、商品交換ではなく結果を目的とする。個人や共同体の成員の幸福や開花が目的のものである。
3.自律的な労働
それ自体を目的として行われる自律的活動で、芸術、科学、人間関係、教育、慈善、相互扶助、自家生産等、人間を開花させ、豊かにし、意味と喜びの源泉になると感じられるすべての活動である。これは時間の勘定をする必要がなくなる。つまり、時給いくらというようなことを考える必要がない領域、やっていること自体が喜びとなるような労働。‥続く |
東京の「食品安全条例」の動き
食の安全を守るスイッチを消費者の手に-9.2「市民がつくる食品安全条例」緊急集会
米倉 克良 |
東京都は、8月15日「『東京都食品安全基本条例(仮称)』の制定に向けた基本的な考え方」について」(以下「考え方」:資料1)を公表して、都民からの意見の募集を開始した。来年初頭の、予算議会で条例案が提案される見通しだ。こうした中で、都の条例に市民の意見を盛り込んでいこうと、生活クラブ生協、ネットが中心となって「食品安全条例を市民がつくる会」の準備会が作られ、9月2日に緊急集会が開催されたが、夏休み直後にかかわらず、100名を超える参加があった。(編集部)
緊急集会で発言する神山美智子弁護士
集会は内田秀子さん(東京ネット)の司会で始まった、集会は近藤惠津子さん(準備会代表・生活クラブ生協)の挨拶に引き続き、かつての食品安全条例の直接請求の請求代表者でもあった神山美智子さん(弁護士)の基調講演が始った。
神山さんの話は、これまでの食品事故の事例から、とりわけて、PCBに関連する事故が取り上げられた。PCB問題は、68年のカネミ油症事件が発端である。届け出で患者は14,000人、認定患者は1,900名、死亡28名以上だった。これが87年訴訟は和解するのであるが、ダイオキシン問題の観点の見直しが最近なされ、2002年行われたことによって、ようやく最近救済組織ができたという。しかし、問題は多く、患者を「難病指定」しようとしても、原因者がはっきりしているためにできないなど、縦割りの制度の狭間におかれているという。こうした食品事故が続くかぎり「予定被害者」が未来に出ることになる。神山さんは私たちの運動はこの「予定被害者をなくす」ことであると強調する。‥‥続く |
若林秀樹参議院議員へのインタビュー
NGOをODAの真のパートナーに
―保健・医療を中心にベトナム・カンボジアの現地調査から―
共同取材・成島道官、柏井宏之 |
今年6月、民主党の国会議員団(団長ツルネン・マルテイ参議院議員、以下6名)が「ODAの現地調査」のため、ベトナム、カンボジア両国を訪問した。その際、現地で活動するNGOのメンバーとも懇談を重ね、多くの示唆に富んだ意見交換を行なってきた。そこで、参加メンバーの一員であり、民主党の国際局副局長・NPO局長代理を務め、民間人として在米日本大使館一等書記官(ODA担当)の経験をもつ若林秀樹参議院議員に、これからの日本のODA(政府開発援助)のあり方などについて、お話をうかがってみた。(このインタビューは今年8月8日、同議員の参議院会館事務所で行なわれたものです。)
―最初に、これまでの日本のODAは、あまり相手国の社会の末端に恩恵をもたらしていないのではないかなど、とかく問題点が指摘されていますが、それについてはどのようにお考えでしょうか。
若林 たしかに「箱物」に偏しているとか、実際に役立っていない施設があるとか、これまでのODAについていろいろ指摘されています。また一部にそのようなケースがあるのも事実でしょうが、だからODAは問題がある、と決めつけるのは歪んだ見方だと私は思います。浮上したマイナスの要素をもって、全体を判断することになりますから。これはマスコミの報道の仕方にも一部責任があります。現実に、戦後の東アジア諸国の急速な経済発展に、日本のODAが寄与した力は大きいですし、とくにインフラを中心に各国の経済的な基盤づくりを行ない、それが海外からの資本の導入に役立っていきました。‥‥続く
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未解決な戦後処理
なぜ今、毒ガスなのか―相次ぐ中毒・被災事件と閉ざされた事実を追う―
葉上 太郎(地方自治ジャーナリスト) |
日本国内で帝国陸軍や海軍が製造した毒ガスが相次いで見つかり、かつ被害を及ぼしている。中国では今夏、死者が出るまでの事態に立ち至った。だが、こうした「事件」に対する世間の関心は低く、メディアが好んで取り上げる話題でもない。確かに戦争は60年近く前の「歴史」となり、政治家は再々「戦後は終わった」と宣伝している。果たして本当にそうなのだろうか。現実の被害は我々のすぐそばで、いまだに起きている。それは「軍」の亡霊がなせる業ではない。「戦争」が今に突きつける事実なのだ。
大久野島には至る所に毒ガスの貯蔵跡がある。台座の上にタンクが載せられていた=葉上太郎撮影
◆茨城県神栖町のヒ素中毒事件
ヒ素中毒と聞いて人が思い出すのは、和歌山市のカレー混入事件だろうか、それとも海外での大量殺人事件だろうか。
茨城県の鹿島港に面した神栖町で、原因不明のヒ素中毒事件が発覚したのは、今年三月のことだった。「容疑者」はいまだ特定されていない。だが、中毒を引き起こした原因物質をたぐっていくと、今から58年以上前の戦争と大日本帝国軍に行き着くのだ。
「戦争だなんて、私が生まれるはるか前のことですよ」
最初にヒ素中毒と診断された30歳代の主婦は、ため息をつく。それは、主婦の親ですら子供だった頃の話だ。
主婦が一家で神栖町に越してきたのは1999年だった。10戸近くが肩を寄せ合う平屋建ての賃貸住宅は、敷地内の井戸から水を汲み上げ、飲料水として使っていた。
神栖町は常陸利根川の流域に位置している。町の全域に渡って地下15メートル程度まで堆積している良質な砂は伏流水をきめ細かく濾しとり、「おいしい地下水」に変える。それは何にも増して町の自慢だった。上水道が引かれてはいるが、7割を下回る加入率がそれをよく物語っていた。‥‥続く |