<司会> きょうは、来年7月に予定されている都議会議員選挙を視野に入れたうえで、そこにローカル、即ちネットワークというものを、さらに大きくして、いかに浮上させていくかという問題意識で考えていきたいと思っています。
昨年から、2000年の分権改革以降、三位一体改革が課題となりました。そのなかでも、この間、国や省庁とのせめぎあいで、知事会の中でも「もう一つの国が立ち上がった」との感想も出ました。ローカルと国とのせめぎ合いがより鮮明になったかと思います。そういう情勢があります。また、過去で言うと、89年の都議選は消費税の話でしたし、93年は新党ブームの最中でした。そういう意味では、都議選というのはある意味では国政にストレートで「ローカル」が現れにくいです。来年はちょうど戦後60年で、かつネットが85年にはじめて議員を出してからちょうど20年目に当たり、いろいろ交錯する年ではないかと思います。そういう意味も含めて、「東京ローカルをいかに」ということを考えていきたいということで、きょうは辻山先生と、山口さん、西崎さん、岩永さんに参加をしていただいております。まず、最初に山口さんから、東京ネットをいかにたたかうかということを伺って、座談会に入っていきたいと思います。
働く・育てる・市民力をかかげて
<山口> 先ほど、辻山先生から「今、都議会のネットの議員が6人になりましたか。すごいですね」と言われたのですが、2001年には3人から6人へと議席倍増で全員当選を果たしました。従来、5人以上で会派を組むと、「交渉会派」という扱いでしたが、新しい勢力に対してのイジメなのか一部会派からは「9つの常任委員会に出なければ交渉会派ではない」と別の基準が持ち出されました。結局結論は出ていないのですが、今のところ「交渉会派並み」ということで活動を進めてきました。
そのことで代表質問の権利が拡大したり、取材を受ける機会もあったり、公的な所での発言も増えてきたと思います。ただ、6人という人数はまだ議会の中では議員提案権を持てないわけで、様々な側面で制約があり、中途半端な結果を強いられてきた3年半だったと思います。やはり発言権を広めることと、今の石原都政に対してきちんとした政策を持っていき、政策転換を図る制度提案をするためには、議員提案権を得ることが必要になってきます。議員提案権は11人以上ですから、最低11人、できたら今回も倍増という方針があります。
私たちは、地域の中で、地域の運動グループの人たちや、NPO、NGOの人たちとの連携による活動という足場を持っていることで、政策の幅も広く、既成政党とも違う市民のネットワークが認知される存在になってきているのではないかと認識しています。
今回は、スローガンとして「働く」「育てる」「市民力」という三つをキーワードにたたかっていきます。
「働く」ということがネットの前面に出てきたということでは、労働組合の人たちとか、東京ワーカーズ・コレクティブ協同組合の人たちからも、やっと働くということに視点を広げてくれたのねと期待されているようです。これまでも、パート労働などを取り上げてきましたが、若者のフリーターやニート(NEET)の問題もあり、NPO、NGOの働き方もあります。今後は、地域にたくさんの「働く」場をつくり、若者も高齢者もリストラされた人も仕事も選べるような労働の価値と実態を作り出す必要があります。さらに、
「育てる」ということでは、子育ち・子育てを地域社会で支え合い、地域の関係性を育て、自分自身も育て、地域に潜在している様々な市民の活力を育てることも含めて訴えていきたいと思います。
さらに「市民力」という意味は、これからは分権ということで地域をしっかりしていかなくてはいけない。「市民力」を駆使して、都政改革の一歩を踏出そう、ローカル政治はローカルパーティこそが担うべきだと訴えたいです。
今回、この都議選はなんとしても全員当選ということで、今、活動を進めています。
<司会> では、都議選をかこむ全体状況から議論していきたいと思います。この点で、辻山先生のお話をいただきたいと思います。とりわけ三位一体改革をめぐる今年のせめぎ合いも含めて、国と地方自治という観点からお話をお願いします。
三位一体の虚実と市民自治
<辻山> 三位一体改革というのは、国の政権与党の予算分捕りに地方が介入したという感じの図柄なんですが、実は昨年(2004年)の6月に閣議決定されました小泉内閣の「構造改革基本方針2004」(骨太方針)というものの中に、「国庫補助金削減の具体案は地方公共団体に取りまとめを要請し」という文章が入ってきています。これが発端なのですが、いろいろあちこち聞いてみましたけれど、だれが入れたのかということがわからないんです。閣議決定にまで上っていくものは各省庁の事務次官クラスまで含めた合意があって、一字一句調整するのだそうです。しかし、その部分については総務省も関与していないんだそうです。だから、これは小泉さんの強い意思で官邸の側が最終段階で入れてきたと考えられるわけです。
そのときに問題になるのは「なぜ地方の意見か」ということですが、これはおわかりのように、与党の各政調部会が抵抗していて、それが各省と連合を組んでなかなか補助金削減に応じない。つまり、内閣の調整力がないということをおそらく小泉さんも感じていたのでしょう。地方の側の意見だよというのを圧力としてバックアップしてもらいながら押し切ろうと考えたふしがあるんです。その図式は私もわかるんです。内閣の政策調整力が落ちた。とりわけ予算の分捕り合いということになると各省必死ですので、内閣で調整ができないから調整の案を地方に任せるという画期的な出来事が起きたわけです。 ‥‥続く
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