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憲法は魔法の杖ではない(伊藤塾塾長 弁護士 伊藤 真)

季刊『社会運動』2017年1月【425号】特集:STOP THE WAR! 護憲派による「新九条」論争

「新九条」論は、現状の追認にしかならない

 

―例えば、あえて個別的自衛権と自衛隊の存在を憲法に明記することを提案している「新九条」論を、どのように評価されますか。

 今の南スーダンの状況を見ていると、「本当に九条はどこまで役に立っているんだ」と心配されていることは、私もよく分かります。ただ、伊勢﨑賢治さん(東京外国語大学教授、平和構築専門)の『新国防論』(毎日新聞出版2015)の、「国際紛争解決の手段としての武力行使は放棄するが、日本の施政下の個別的自衛権行使のみを認め、自衛戦力を保持する」という主張には私は反対です。

 この「新九条」論に従えば、自衛隊が海外で武力行使をするために出かけていくことはできなくなります。派遣されている部隊はすぐさま国内に戻さなくてはならないはずですが、今の憲法下ですら撤退しない人たちが、「新九条」に改憲されたからといって自衛隊を撤退させるとはとても思えません。武力行使に行っているのではないと強弁し続けて、現状を追認するだけです。自衛のための交戦権を認めることになるので、かえってデメリットの方が大きい。国防のためとはいえ戦争をする国になるわけですから、そのための軍需産業を栄えさせなければいけません。せっせと武器を作り輸出していくことでしょう。戦争をする以上は当然、徴兵制も認められる。アメリカと同じような「普通の国」になる第一歩、と思えばいいでしょう。

 結局どんなに憲法の条文で戦争を限定しても、解釈の余地は必ず残るのです。その時々の権力者が幾らでも都合のいいように解釈をしてしまう。その文言=解釈にどういう意味を込めるかは、政権ではなく国民の意思です。「新九条」論は国民の意思として「何をさせたい」、「何をしたい」のかしっかりと議論するきっかけにはなるかもしれません。しかし「新九条」論であっても、戦争する普通の国になった場合のダメージ、リスクの方がよほど大きいだろうと思います。ましてや、井上達夫さん(東京大学教授、法哲学)の九条削除論などは、あまりにも歴史的経緯や現実を無視しており賛成できません。「九条を削除して戦争するか否かをその都度国民の多数意思で決めればいい」というのですから、日本国憲法の立憲主義(109ページ)を根底から否定するものです。自分たちが被害を受けず様々な利権を得られるようなら、他国での戦争に賛成してしまう恐れがどこの国の国民にもあります。それを日本国憲法は許さないために九条を規定したのです。間違いに気づいた後に取り返すことができない人の命がかかっている問題だからです。間違いを犯しかねない民主主義自体をも縛る、この九条の存在意義を忘れてはなりません。

 

日本の国益には「武力によらない国防」の方が現実的

 

―それでも「新九条」論は、自衛隊が派遣されている南スーダンの状況や中国の海洋進出など国際情勢への対応として現実論のようにも思えます。伊藤さんのお考えは「理想主義」と捉えられないでしょうか。

 何度も言うようですが、「新九条」論のように改憲したところで、現状は変わりません。現在の政府解釈で個別的自衛権は認められているのですから、それを明文化したところで、日本の対中国の国防面でできることの実態は何も変わりません。南スーダン問題も同様です。正規の軍隊を認めた上で武力行使を明文で限定すればよいという点に関して言えば、多分、見ている世界が違うのでしょう。私は自分が言っていることほど現実的な話はないと思っています。海外で武力行使しないと規定したとして、今の政府がそれを守るという現実をとても想像できません。憲法に書いた通り安倍政権がそれを守ってくれると期待する方が、私にはよほど理想主義に思えます。

 個別的自衛権についても現実的に考える必要があります。例えば、北朝鮮が日本を直接攻撃する危険性がどれだけあるでしょうか。もし、それを本気で考えたら、日本海側にあれほど多数の原発を放置しておくはずはありません。つまり政治家は本心では危機と感じていないのです。そもそも北朝鮮は、今、世界最大の抑止力をもっているアメリカに楯ついて核武装をしようとしているわけです。日本の軍事力という抑止力を高めたところで、何の効果があるでしょう。あるいは中国が日本本土を本気で攻撃するでしょうか。今ではお互いが最大の貿易相手国です。インターネットで情報が行き交い、経済がこれだけ緊密になっている中で、日本と中国が戦争をすることが両者の国益にかなうと現実的に考えている人が何人いるでしょうか。

 「日本が攻められたらどうする」と抽象的に言うことは幾らでもできます。「現実的」に考えた場合、どれほどの蓋然性があるのでしょうか。日本が軍事力をどんどん増やしていくことが、本当に日本の平和につながるのでしょうか。具体的に考えれば考えるほど現実味に欠けます。

 軍隊を持てば使いたくなります。それが現実です。危ないおもちゃは持たない方がいいのです。もちろん今すぐ自衛隊をなくすことは非現実的です。ですが、世界が「分断と対立の時代」に入った今こそ、「抑止力を高めることが日本の国民の命を守る、生活を守ることにつながる」という古い発想に頼り続けることが、どれほど非現実的で危険なのかを理解してもらう努力をしないといけないと思います。

 「武力によらない国防は理想論だ」と単純な論理で主張する人もいますが、何を目指すべきなのかのゴールを意識することは重要です。実は非武装の方が日本の国情に合っているし、国益にもかなう。「武力によらない自衛権」すなわち、武力行使以外の自衛の活動はもちろん可能です。自衛隊は「国境警備隊」や「災害救助隊」に改組していく。軍事力への依存を減らしていく代わりに外交、政治、経済、文化、教育、何よりも理念の力を国防力としてつけていく。そうしながら相対的に軍事への依存を小さくする努力をしていくことを、憲法九条は私たちに課しているのだと思います。

(P.62~P.66記事から抜粋)

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