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原発事故によって引き裂かれた日本(市民セクター政策機構 専務理事 白井和宏)

季刊『社会運動』2018年1月【429号】特集:あれから7年、福島の現実

原発事故によって引き裂かれた日本 

市民セクター政策機構 専務理事 白井 和宏

 

史上最悪の原発事故

 

 2011年3月11日、あの時、自分が何を感じていたのか、いまも鮮明に記憶している。突然の原発事故によって、この先、日本はどうなるのか。得体の知れない恐怖と、張り詰めた空気が社会を覆っていた。

 13年9月、東京オリンピック誘致に向けて安倍首相が「フクシマについてお案じの向きには、私から保証をいたします。状況は統御されています」とアピールした時、多くの人びとが批判した。原発を「統御(アンダーコントロール)」しているどころか、汚染水が海に流れ出ている状況だったからだ。

 しかし東京電力福島第一原発事故から7年たったいま、あなたは何を感じているだろうか。被災者の苦難や、進まぬ廃炉工程についてどの程度ご存じだろうか。すでに「避難解除区域」に住民が戻り始め、福島県産の米をPRするテレビコマーシャルも盛んに流れている。原発に関する報道も少なくなった。史上最悪の原発事故であるにもかかわらず、人びとの記憶は薄らぎつつある。

 

復興に取り組む人びと

 

 原発から40キロ離れた「飯舘村」は、事故によって高濃度の放射性物質に汚染され、村全体が避難指示区域に指定された。しかし17年3月から一部地域を除いて避難指示が解除された。18年4月には、新しい小中一貫校が開校され、子どもたちの帰村が期待されている。それでも現在、帰村したのは住民の約1割。その7割が高齢者である。(本誌33ページ、大渡美咲氏)

 避難解除区域といっても、居住が可能とされる地区の年間被ばく線量は20ミリシーベルトまで引き上げられた。これは通常の数値(1ミリシーベルト)の20倍になる。かつては「日本で最も美しい村」の一つと言われた飯舘村。しかしいまでは、除染作業によって出た汚染土や枝、草などが黒いフレコンバッグ約150万袋に詰められ野積みされている。

 他方では、「原子力に依存しない安全で持続可能な社会作りと会津地域のエネルギー自立」をスローガンに掲げて設立された「会津電力株式会社」の支援を受けて、「飯舘電力株式会社」が設立された。太陽光発電と、パネル下での牧草の育成を組み合わせた「ソーラーシェアリング(営農型太陽光発電)」事業を進める。もともと和牛の肥育農家だった飯舘電力(株)の社長は、「将来はここの牧草を与えた〝飯舘牛”を実現したい。息子の世代は帰ってこないだろうが孫の世代が戻られるように、いま頑張る」と熱く語るのを聞くと、飯舘村の復興を祈らずにはいられない。(126ページ、「福島の再生可能エネルギー地帯」)

 

 

置き去りにされた人びと

 

 

 こうして帰村と「復興」が徐々に進む一方、置き去りにされた人びとがいる。いわゆる「自主避難者」にとって住宅支援だけが頼みの綱だった。ところが福島県は「区域外避難者」に対する住宅の無償提供を17年3月で打ち切ったのだ。(10ページ、吉田千亜氏)

 「自主避難」と呼ばれるが、人びとは好きこのんで住み慣れた土地を離れたわけではない。「人災による原発事故から身を守るため、やむを得ず避難した被害者」である。東京電力や国が充分な生活補償を行うことは当然の義務である。高線量地域への帰還を積極的に推進する一方、住宅支援を打ち切る自治体行政の姿勢は、被災者の生活を分断する。国や東京電力に対する「賠償請求訴訟」も全国で起きているが、勝訴してもその金額はわずかでしかない。(115ページ、村田弘氏)

こうした状況が許されているのは、社会全体の空気がいつの間にか「原発事故は福島の問題」へと変化したためではないだろうか。

 

放射性物質の汚染

 

 しかし放射性物質による影響は福島に限らない。日本全体がいまも汚染されたままである。福島第一原発から放出された放射性物質は気流に乗って全国に拡散し、山や谷、平地に留まったままである。福島県以外でも線量の高い「ホットスポット」は各地に存在する。食品検査で問題にならないのは、国が全国レベルの調査を行わず、自治体まかせにしているためだ。(88ページ、槌田博氏)

 そして最大の問題は「廃炉の行方」である。政府が描いた廃炉計画は絵に描いた餅でしかなく、現実にはまったくめどが立っていない。そもそも事故で溶け落ちた核燃料がどこに、どのような状態で存在しているかさえ、いまだに把握できていないのである。事故が起きても対処方法が分からず、「事故を防ぐことができない」巨大科学技術が原発の恐ろしさなのだ。(54ページ、後藤政志氏)

 40〜50年という福島第一原発の廃炉工程表が何度も先送りになっているにもかかわらず、5基の原発が再稼働を始めた。電力会社は少なくとも26基の原発を動かそうとしていると言う。それというのも活断層評価や防災対策をないがしろにした、新しい「規制」基準が作られたためである。(98ページ、伴英幸氏)

 

原発と冷酷な社会

 

 事故後、県外に転校した小中学生に対するいじめが多発し、いまも続く。16年11月には、福島県から横浜市に避難した生徒が、同級生からいじめを受け、「賠償金があるだろう」と150万円も恐喝されていたことが明らかになった。しかも小学校や市の教育委員会はいじめを把握していながら対応せずにいたのだ(150万円は賠償金ではなく両親の貯蓄だった)。

 福島県では多発する甲状腺がんに不安を感じながら生活している親子が多数いるのに、検査体制は不備のままだ。しかも、健康を案じることが「復興」の妨げになるとして、その声はかき消されようとしている(71ページ、崎山比早子氏)。また、各地で実施されていた子どもの「保養」活動も減少傾向にある。(25ページ、疋田香澄氏)

 

 「忘却」と原発事故

 

 廃炉困難な福島原発、汚染された日本列島、置き場所が決まらぬ放射性廃棄物、核廃棄物の処理方法、山積する問題を何一つ解決しないまま進む再稼動。

 1979年スリーマイル島、86年チェルノブイリ、2011年福島…。次に原発事故が起こるとすれば、それは再び日本ではないだろうか。巨大地震が迫っていることは確実だ。それでも人びとは原発事故を教訓とするどころか、忘れつつあるからだ。人間は「忘れる」ことで愚かなことを何度も繰り返す。

 人びとの平穏な暮らしを破壊した原発事故の責任を忘れず問い続けること、それは私たち自身の人権を確立することなのだ(154ページ、おしどりマコ氏)。7年目のいま、改めて福島と原発の現実に向き合ってみた。

(P.6~P.9記事全文)

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