生活クラブグループ
市民セクター政策機構

市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

5.百年後から視た原子力(おしどりマコ 芸人・記者)

季刊『社会運動』2018年1月【429号】特集:あれから7年、福島の現実

百年後から視た原子力 

おしどりマコ

 

 人間の脳は「忘れる」という機能があるから生きていけるそうです。辛いことや哀しいことが、いつまでも忘れられなかったら、立ち直れませんもんね。だけど! 「忘れる」からこそ、アホなことを何度も何度も繰り返すという愚かさもあります。原発事故から7年。私はずっと原発事故の取材をしながら、私が生きているうちに、また原発事故を経験するだろうなぁ…と感じるようになりました。

 この原稿を書いているのは2017年の11月ですが、22日の東京電力の記者会見では、とうとう、TVカメラが一台もありませんでした。取材する記者が2011年から年々減り、何台も並んでいたTVカメラが代表カメラ1台になり。けれどwebメディアのニコニコ動画とIWJ(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)のカメラは並んでいたのですが。IWJが東電会見の専属取材者を解雇したのは16年。ニコニコ動画もとうとうカメラが来なくなり。11月22日の東京電力定例会見では、動画撮影して中継をしていたのは、おしどりだけという…(けれどその後、Webメディアのカメラは復活しました!!)

 なぜ取材が減ったか。原発事故が落ち着いたわけではありませんよ! 原発事故の取材に関して、現在圧力がかかっているわけでもありません。「視聴者の関心が減ったから」取材が減ったんです。報道がなくなったから、関心が減ったのではないんですね、ここ重要。特に、webメディアのカメラがなくなったのは「取材しても視る人がいないから」一択です。

 関心が減るとどうなるか。東京電力の会見では、情報公開が後退する一方。作業員の方がたが高線量被ばくする作業の、作業計画、計画線量、実績など、以前は公開されていたのに、今はなし。毎回質問するも、「もう、作業員の線量を質問するのはおしどりさんぐらいで、1人のために情報をまとめるのは…」と言われる始末。原発建屋内の調査や、汚染水タンクの分解など、今でも1カ月で20ミリシーベルト(mSv)近いような作業もあるんですけどね! 原発事故後の2、3年は、まだ会見で、記者が追及して情報が出てくる場面もありましたが、最近は質問する記者が減り、質問しても回答はなく、という状況。たまに会見に来られるベテランのTV記者さんは、「また事故前に戻っちまった!」

 最近は、神戸製鋼の不適正な品質管理(データ改ざんや未測定の製品を納入していたこと)の会見も取材しています。原子力施設に納入されてるからね。「品質点検における妨害行為について」という会見に、妨害行為って何?と驚いて取材に行ったら、なんのことはない、現場の責任にしただけでした。「点検のときに、現場が不適合品の情報を隠していた!」それが妨害行為だって。でもその「現場」って「工場の管理職を含む神戸製鋼グループ従業員」なんだよね、神戸製鋼の副社長が「妨害行為!」って被害者みたいに会見開いてたけど、責任転嫁しすぎじゃない? 清水建設が福島第一原発の廃炉作業で、作業員の経費を数千万円水増し請求していたことが発覚したのは9月。現場の所長が自殺し、「A氏(現場の所長)の急逝により、本件の完全な解明は困難を伴う」という報告書を、9月末に清水建設は出しました。これも現場の責任にして幕引き?

 原子力まわりの取材はそんなのばかり。「最高峰の科学!」では全くなく、目先の利益優先、ヒューマンエラー、責任転嫁、似た案件ばかりです。けれど、原子力規制庁の検討会では、全国の原発の再稼働の審査がどんどん進んでいます。神戸製鋼の製品は、全国の原子力施設でも使われていて、現在調査中なんだけど。まぁその調査、というのも各事業者が調査して、規制庁はその報告待ちなだけ、形だけのものだけどね。

 11年の政府・東京電力統合対策室の合同会見で、原子力安全委員会の加藤重治審議官(当時)に、こんなことを言われました。

 「原子力というものは、特殊な産業です。いったん事故が起これば、壊滅的なダメージを与えます。なので、原子力は、他の産業のように『規制基準をクリアする』という運用ではダメなのです。規制基準をクリアするのは最低ラインで、各事業者が、自分たちで考えながら安全面を追求する、そのような形でなければ、破壊的なダメージを与える原子力を人間は使ってはダメだと思います。規制基準をクリアしているから安全なんだ、という思考停止、規制基準止まりであれば、原子力を扱う資格はないと思います」

 こういうことをおっしゃる官僚の方がたが11年には少しはおられ、原子力業界を改善せねば、と動かれておられましたが、今はみな異動、離職され、私は事故前は知らないけど「事故前の原子力推進時代に戻った」そうです。

 

(P.154~P.157記事から抜粋)

インターネット購入