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市民セクター政策機構

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甲府の街で出会った戦争 

室田 元美

 

富士山のふもとに広がる甲府盆地にも、戦争の記憶は残されている。

1945年7月6日から7日の「たなばた空襲」と呼ばれる米軍の爆撃によって甲府の市街地の74パーセントが焼け、1127人が亡くなった。

いまもあちこちに、空襲で犠牲になった人びとの供養碑を見ることができる。

甲府の空襲や、甲府にあった旧陸軍歩兵連隊「甲府49連隊」の記録をとどめるために、市民によって建てられたのが「山梨平和ミュージアム」だ。ここでは、地域の歴史をどのように残そうとしているのだろうか。

 

市民による手作りミュージアム

 

 甲府に興味を持ったのは、2014年春から始まったNHK朝の連続ドラマ、『花子とアン』がきっかけかもしれない。日本に初めて『赤毛のアン』を紹介した訳者の村岡花子の故郷である。村岡も、彼女と同じ東京の女学校に通っていた柳原白蓮なども、昭和の初めから戦後にかけての、まだ女性の権利が認められていない時代に、文学や表現を通じて自由を模索した女性たちだった。

 それまでにも甲府へ行ってみたいと思ったことはある。「山梨平和ミュージアム」という手作りの、よいミュージアムがあると親しい人から聞いたからである。

 地図を手に駅前からバスに乗ったのはいいけれど、降りてからあちこち迷い、ようやく探し当てた「山梨平和ミュージアム」の建物は、大きくはないが洒落た造りだった。甲府の歴史を残したいと願う800人もの市民の賛同金などによって、2007年にオープンした民間のミュージアムだ。2階建の1階は甲府の戦争の記録、2階は甲府に生まれ、戦前・戦後も平和・民権・自由主義を貫いた石橋湛山の展示スペースになっている。

 ミュージアムの中へ入ると、目に飛び込んできたのはアメリカの爆撃機B29とゼロ戦の模型。甲府空襲の記録だった。1945年7月6日から7日にかけて、深夜約2時間にわたり甲府とその周辺を焼き尽くし、「たなばた空襲」と呼ばれた。日本でも規模の大きな内陸都市のひとつであり、兵舎や紡績工場、機械工場なども多かった甲府は、当初から空襲のターゲットにされていた。

 午後11時23分に空襲警報が鳴った。寝静まったまちをのみこむB29の轟音。絨毯爆撃が容赦なく襲い、雨あられのように降り注ぐ焼夷弾の下で1127人が命を奪われ、この空襲で亡くなったすべての方の名前が刻まれている。真夜中にB29が低空飛行し、甲府市役所をはじめ、裁判所、病院、銀行、新聞社、多くの学校やお寺を次々と爆撃していったのだ。市街地はほとんど破壊され、あちこちに黒こげになった焼死体が重なり合っていた。それほどの大惨事であったにもかかわらず翌朝、大本営は「我々の被害は軽微なり」と報じたという。

(P.174~P.176記事から抜粋)

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