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2.超高齢多死社会で最期を迎える場所を考える(立川在宅ケアクリニック院長 荘司 輝昭)

季刊『社会運動』2018年7月【431号】特集:年金一人暮らし高齢者に終の棲家はあるのか

 

 誰にも看取られずに亡くなる高齢者の報道が後を絶たない。そして、そのほとんどは〝異状死〟扱いとなっている。これから独居高齢者がますます増えていく中で、介護を支える地域包括ケアシステムは機能するのだろうか。その中で独居高齢者は、死をどのように迎えることになるのか。

 

 かつての日本は「家で死ぬ」のは当たり前の光景だった。1945年には80%以上の人が自宅で亡くなっていた。戦後、医療の高度化が急速に進み、73年の老人医療費無料化などもあって、76年には病院など医療機関での死亡数が自宅死を上回り、その後も増え続け、近年は80%になっている(図1)。

 一方、「自分自身の最期をどこで迎えたいか」を尋ねた調査では、49・5%の人が「自宅」と答えている。さらに「実際に死を迎えると思う場所」を聞くと、「自宅」は16・6%に減り、医療機関は41・1%に増え、「やむなく病院で死ぬ」と想定している人が多いようだ。そして、実際は80%以上の人が病院で最期を迎えている。希望する死に場所と実際に亡くなる場所とが乖離しているのが現実である(図2)。

 高齢で日常生活が困難になった場合、自宅で最期まで療養しない理由に「家族の介護などの負担が大きい」、「緊急時に家族へ迷惑をかけるかもしれない」と答える人が多い。自分の意向よりも家族への配慮を優先している。また、家族の側も「自宅で最期を迎えることは本当にできるのか?」といった不安を抱え、病院などを最期の場所として考える傾向もある。独居の人は「経済的に負担が大きい」「介護してくれる家族がいない」も挙げている。

 

 実際の地域医療や訪問医療の現場でどのようなことが起こっているのか。東京都多摩地域の孤独死の実態を調べた訪問診療医の荘司輝昭さんにお話を聞いた。

(P.18~P.20記事から抜粋)

 

 

 

在宅で亡くなる人の半数以上が「異状死」として扱われている─荘司先生が発表された「多摩地域で2012年に自宅で亡くなった1106人を分析したところ、56%にあたる615人が、異状死扱いだった」というデータに驚きました。

 

 私は多摩地区で監察医業務を長年しています。このデータは、管轄地の書類を1枚ずつ調べて分析したもので、他の地域でも調べれば同じかもっと多いところもあるでしょう。医師は診療している患者が死亡した場合、あるいはすでに死亡している患者を診察した場合に「異状死」と判断すれば、24時間以内に警察へ届け出なければならないことになっています。

 継続的に看ていた人がその病気で亡くなったと判断した時、主治医やかかりつけ医が死亡診断を行い、異常がなければ「死亡診断書」を書きます。それ以外のものに関しては、異状死扱いになり、「死体検案書」になって警察が介在することになります。

 例えば、高齢の方が自宅で心不全が進行し最期という場合に、継続的に看てくれている先生がやってきて「息を引き取ったみたいだ」と言ってくれれば、死亡診断に進みます。

 しかし、「救急車を呼びなさい」と言われ、病院に運ばれて救急台で心臓マッサージをされたとします。搬送先の医師はその人を初めて看た時点ですでに息をしていません。ですから、死体と一緒だということで異状死という判断になります。いまの日本の医療現場では、病院での初診時に心肺停止、あるいは初診時死亡状態は異状死体で、警察が入ることになります。

 56%の異状死扱いの中には、自宅で死亡して病院に運ばれている人も含まれます。その3割近くは老衰、がん、慢性疾患などで、本来であれば警察扱いにならないで済んだはずの人たちでした。

 実際には、自宅で隣に寝ていた療養中の夫が亡くなったので、慌てて救急車を呼んだから調べられる。あるいは、お婆ちゃんが自宅で、老衰で冷たくなったけれども、休日でかかりつけ医が休診していると救急車呼ぶか、警察に連絡しなければいけなくなったなどのケースでしょうが、救急搬送されれば、病死の可能性が高くても、犯罪死を見逃さないために警察に通報します。

 過去に様々な犯罪があったように保険金や資産などがどうなっているかも警察はきちんと調べます。警察の方もナーバスな問題として丁寧にやっているけれども、遺族や問い合わせを受けた人は、「警察に強い口調で調べられた」と言い、自分が犯人になっているようなイメージを持つのです。なので、お別れの時に警察が入ってしまうのは、不幸なことだと思います。私たちは大震災も経験しましたし、交通事故などもあります。いつどこで何があるか分からないし、最終的な死に場所は選べません。でも、最期の時を穏やかに迎えるということも含めて、選べるのであればいまのうちに、どこで死にたいのかを考えておかなければいけないと思います。 

(P.22~P.24記事から抜粋)

 

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