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市民セクター政策機構

市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

3.施設選びは「看取り」に対する姿勢を見る ―幸せに死ぬために必要なこと(作家・作曲家 たくき よしみつ)

季刊『社会運動』2018年7月【431号】特集:年金一人暮らし高齢者に終の棲家はあるのか

 作家、作曲家、狛犬研究家など様々な顔を持つ、たくきよしみつさん、63歳。母親を看取り、父親の介護に直面しながら、自らも老後の準備を始めている。今年1月、『医者には絶対書けない 幸せな死に方』(講談社プラスα新書)を出版したたくきさんに話を聞いた。

 

─          衝撃的な著書のタイトルですが、「死に方」ということに目を向けられたのはなぜでしょうか。

 

 当初のタイトルは『死ぬ技術』でした。自然にまかせる、運命に従うという考え方ではきちんと死ねない。「死ぬ技術」が必要だ、という意味です。

健康なうちは「ピンピンコロリで死にたい」と言う人が多いんですが、そういう死に方ができる人は極めて少ない。およそ8割の人は病院で亡くなります。入院したら最後、簡単には家に戻れないし、家で死にたいと思っても、看取りをしてくれる訪問医がいなければ難しい。病院で死ぬか家で死ぬかを、人生最後の段階で選べるわけではないんです。幸せに死ぬためには、知識、準備、そして実行力が必要です。

(P.122~P.123記事から抜粋)

 

 

「ここで死なせてくれますか?」という問いで施設の姿勢を見極める

 

 このままでは介護保険制度が崩壊するのは目に見えていますから、国はとにかく介護費用の負担を下げたい。そのために、例えば「地域包括ケアシステム」という名目で、地域ボランティアが介護現場にもっと入り込めるように規制を緩めています。しかし、ボランティアという素人が介護現場に入って事故が起きたときの保障は誰が行うのか。現場のプロからは、かえって自分たちスタッフの手が煩わされることになりかねないというクレームも出ています。

 この4月の介護保険制度改定では、デイサービス事業者にリハビリポイントのような「成果報酬」をつけて、利用者の要介護度を下げるように促す方向も打ち出しました。しかし、デイサービスを利用している老人たちは、リハビリで社会復帰が望めるような人ばかりではありません。介護の必要度・難易度が高い老人を受け入れたくないという事業者が増えたら本末転倒ですし、ゆったり穏やかに死んでいきたいという望みが、集団でのリハビリやらなにやらの強制で乱されるのも気の毒です。

 これからはますます「穏やかに、幸せのうちに死ねる」施設は消えていくでしょう。

 もちろん入所・入居費用が払えるかどうかも深刻な問題です。費用はまさにピンキリで、地方の特養では、要介護度の条件などによっては月12〜13万円くらいで収まるところもあるようですし、セレブ御用達で有名な都内のある施設のように「65歳から79歳まで入居した場合の費用は2億2000万円〜5億5200万円」という金額を提示している施設もあります。

 地域的には、当然、都市部のほうが高額ですが、要介護度と費用は比例しているわけではなく、様々なケースがあります。要介護度が高ければ介護保険から使える費用が高くなりますが、限度額をオーバーすればその分は自費負担になります。それに、要介護4より要介護2のほうが利用者負担額が高いということもあります。

 父が入所している施設に私が支払っている金額は月におよそ17万円くらいですが、オムツや医療費、日用品などは別にかかるので、これが月に1〜2万円くらい。オムツについては、日光市は現在、月6000円まで補助してくれる制度があってとても助かっています。

 しかし、父のような幸運に恵まれるケースは極めて稀で、サービスの質においても、金銭的な負担の面においても、自分たちが70代、80代になるときには、優良な介護サービスを誰もが受けられるとは思えません。お世話になっている施設でも「私たちの順番になったときはとても無理です。ここもいつまで続けられるか分かりません」と明言します。介護や医療現場で働いている若い人たちはみんなそのことを分かった上で、老人たちに接しているわけで、本当に頭が下がります。

施設選びは難しくなる一方ですが、長期入居・入所契約する前に、ぜひそこの施設長や経営者に「ここで死んでもいいですか」「ここで死なせてくれますか」と聞いてみましょう。どれだけしっかりした答え方をしてくれるかで、その施設のポリシーや姿勢が見えてきます。

(P.129~P.130記事から抜粋)

 

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