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“もの言わぬ教員”が増えてしまった理由(フリージャーナリスト 前屋 毅)

季刊『社会運動』2019年4月<434号>【特集:学校がゆがめる子どもの心ー「道徳」教科化の問題点】

道徳の教科化に、疑問や反発を感じている教員は少なくない。しかし実際の教育現場は以前から、意見があっても口に出せず、あるいは口に出す余裕がなく、ともすれば思考停止に陥っているという。
そんな状態で道徳を教科化すれば、いくら文部科学省が「読み物道徳」から「考え、議論する道徳」への転換を掲げても、逆に教科書任せで創意工夫をしなくなり、特定の価値観を押しつけることになっていくのではないだろうか。
なし崩し的に道徳の授業がスタートしてしまった今だからこそ、教育の現場にもっと目を向けるべきではないか。そこで教育問題に詳しいジャーナリストの前屋毅さんに、様々な問題が複雑に絡み合う教育現場の現状を聞いた。

 「教育の現場を取材すると、確かに教科書や学習指導要領の通りに教えればいい、逸脱してはいけないと思い込んでいる教員は多いですね。本来、授業内容である教育課程の決定権は学校にあるのですから、教員の創意工夫で編成することができるんですよ。
 でも実際には、自分で考えて授業を組み立て、自分なりの授業をやれと言われても困る人が大半。教員自身、子どもの頃からそういった教育は受けていないし、大学では、学習指導要領に沿った授業をどのようにやるかということを教わって教員になるわけですから。
 2002年に、いわゆる“ゆとり教育”の象徴として導入された『総合的な学習の時間』も、そうした教員自身の問題点を浮き彫りにしました。『自分で考え、自分で課題を見つける方法を教えなさい』と言われても、どうやって教えればいいのか分からないという若い教員が続出したのです」
 学習指導要領とは、それぞれの学年で学習すべきことの最低基準とされている。最低という割にはやることが多すぎるが、教員の自主性を制限しているわけではない。にもかかわらず、教員自身が、思考停止に陥っているのだ。
「いわゆる“大企業病”と同じですね。余計なことをせず、出る杭は打たれないようにするのが、いちばんの処世術というような。
 特に、教員になろうという人は、学校で『やりなさい』と言われたことを真面目にやってきた優等生が多いし、教員になったらなったで、教員免許を更新するために、組織からはみ出すようなことはできなくなる。管理されることに慣れてしまっているのかもしれません」

(P.63~P.65記事抜粋)

 

非正規教員の生活と教育モチベーションの関係
 いまの教員は、本当に忙しい。授業以外にも仕事が山のようにあるためだ。よく言われる部活以外にも、設備の補修から校庭の手入れ、保護者の対応、生徒の問題行動への対応、文科省や教育委員会から求められる膨大な書類仕事。しかも、教育予算を削減するため、国は教員数をさらに減らしていく考えだ。
 「公立学校の正規の教員は、その報酬の3分の1を国が負担し、残りの3分の2を地方自治体で負担しています。国が配分する予算内で自治体は給与権や人数を自由にできる制度(総額裁量制)が導入されたため、低予算で人数を増やすために増えてきたのが非正規教員です。
 正規・非正規といっても、どちらも教員免許は持っていて、違うのは教員採用試験に合格したか否かということだけ。それでも、非正規教員の待遇は、正規の半分以下と言えるでしょう。
 しかも非正規で給与が少ないからといって、その分、仕事が楽になるわけでもない。担任を持たされている非正規教員も少なくありません。自分の生活がカツカツなのに、将来を見越した余裕のある教育をやれと言われるわけです。それは無理な話だし、当然モチベーションだって上がらない。それでも職を失いたくないから、上に意見を言ったり、ましてや学校を変えようなんて言えません」
 余計なことは考えず、教科書や学習指導要領に従っていれば、とりあえず上から文句は言われない。しかし、そのやり方なら誰が教えても大差はないし、教員の数だって多くする必要はないという理屈になっていく。自らを追い詰めるジレンマに陥っているのだ。

職員会議は存在するが、実質的な会議ではない?

 組合が衰退し、非正規教員が増え、学校の管理体制が強まっていくなか、いまでは教員が声を上げることは、どんどん難しくなっていると前屋さんは話す。
「市町村の教育長は、県の教育委員会にしばられ、県の教育委員会は文科省にしばられている。文科省からすれば、しばってなどいないというスタンスですが、ことがあれば文科省から役人がやってきて指導される。実際指導されるかどうかはともかく、そう考える学校関係者は多いということです。ましてや教員は、校長にたてつくようなことを言えば、人事考課で給料、ボーナスを減らされるかもしれないと口をつぐんでしまう。
 東京都内の小学校で教えている教員に話を聞くと、『職員会議は存在するが、実質的な会議ではない』と言います。大事なことは校長と主任などの幹部だけが、企画会議と称する会議を開いて決め、職員会議はそこで決まったことを伝える場でしかないと。以前なら、例えば、教科書の選択一つにしても教員の意見が反映されましたが、いまは教育委員会の選定委員で決めています。若い教員は意見を述べることさえ許されず、言ったとしても、鼻で笑われるだけ。そんな職場に何年かいれば『何を言っても無駄』となり、“もの言わぬ教員”が量産されていく。
 ですから、まずは学校に蔓延する無力感を取り払わなければなりません。多くの人は、教育方針とは上から降って来るものだと思っていて、それについて考えたり、反論することをしなくなっています。教員だけでなく、保護者をはじめとする地域住民が、『教育について発言できる』ということに気づき、実際に発言すれば、教育委員会も何らかの対応を取らなければならなくなるでしょう」

(P.67~P.69記事抜粋)

 

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