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日本軍「慰安婦」―その女性たちの話を「聞く」ことから (アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」館長 渡辺 美奈)

季刊『社会運動』2019年10月号【436号】特集:「平和の少女像」が示す希望 韓国と日本の歴史を直視する

─日本政府はその後、軍の関与を認めて、謝罪し、お金も払いましたよね。


 「何度も謝罪した」とよく言われますが、いつ、どこで、「謝罪」したのか具体的に知る必要があります。
 金学順さんの名乗り出をきっかけに「慰安婦」制度の研究を始めたという中央大学の吉見義明さんが、慰安所設置への軍関与を示す公文書を発見すると、それは92年1月の『朝日新聞』に掲載されました。
 その直後に訪韓した宮澤喜一首相はお詫びの言葉を述べざるを得ませんでしたが、「慰安婦」制度の具体的な事実を踏まえたものではありませんでした。
 ちなみに、ソウルの日本大使館前で、被害者と支援者によって毎週続けられている「水曜デモ」は、宮澤訪韓を機に92年1月8日に始まったのです。それが2011年12月14日に1000回目を迎えるにあたって、被害者たちが立ってきたその場所に「平和の碑」(少女像)が建てられました。その経緯を思い起こすことはとても大事です。
 さて、金学順さんが提訴した1991年12月以降、日本政府は調査を実施し、その調査結果をもとに93年8月に「河野談話」(95ページ参照)を発表します。そこでの「お詫び」の言葉は、政府としてなされた「お詫び」と捉えられうる唯一のものだと私は思いますが、政府調査が不十分だったうえ、「法的には解決済み」と主張したので、当時は批判のほうが大きかった。ちなみに「謝罪」という言葉は使われたことがなくて、いつも「お詫び」。これも反発を買いました。
 1995年8月の「村山談話」は、植民地支配と侵略を認めた大事な談話ですが、「慰安婦」への言及はありません。直近では、2015年のいわゆる「日韓合意」のなかで、岸田文雄外相が安倍晋三首相に代わって「お詫び」するシーンがありましたが、「性奴隷ではない」とか、「軍の強制連行は証拠がない」と主張するなか、「どのような行為に対してお詫びしているのか」という事実自体が曖昧化され、「お詫び」というより「侮辱」だと批判されました。
 1995年に政府が設立した民間基金、「女性のためのアジア平和国民基金」が募金で「償い金」を支給したり、2015年の「日韓合意」では国庫からの10億円で決着をつけようとしましたが、それらの「お金」は日本軍による性暴力被害に対する賠償である、といった明確な位置づけがなかったため、尊厳の回復には至らなかったのだと思います。
 普通に考えて、義務教育の教科書から「慰安婦」記述が消され、「平和の碑」を含めた市民による記憶の取り組みを日本政府が妨害している状況で、「反省している」と捉えられるでしょうか。やはり、謝罪が謝罪と受け止められる「行動」が求められていると思います。
(P.86~P.87記事抜粋)

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