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異なる歴史認識を持つ韓国と日本 どのような対話が可能なのか (恵泉女学園大学名誉教授 内海 愛子)

季刊『社会運動』2019年10月号【436号】特集:「平和の少女像」が示す希望 韓国と日本の歴史を直視する

日本人は、なぜ南北統一への動きを傍観できるのか

─文在寅大統領は南北統一に関しても努力をしています。しかし日本人の多くは南北統一の動きに対して距離をもって傍観しています。
 
 朝鮮半島の分断は、日本に無関係ではありません。植民地支配の結果でもあるのに、無関係と思っているのか、おっしゃる通り、私たちは冷めた目で見ている。
 南北を分断する38度線、これはアメリカとソ連による日本軍(第19師団と第20師団)の武装解除のための暫定境界線でした。その後、冷戦の激化で軍事境界線と化し、1948年、南北にそれぞれ政権が樹立されると、国境線の性格を帯びるようになりました。
 そして、1950年に始まった朝鮮戦争は、1953年7月に、国連軍と朝鮮人民軍・中国人民志願軍との間で休戦協定が結ばれましたが、この時、ほぼ38度線にそって休戦ラインがひかれました。なお、韓国はこの協定には調印していません。
 日本軍の武装解除の境界が、冷戦、そして朝鮮戦争のなかで、今日のような分断線と化し、解放後74年経った現在も、民族を分断している。その朝鮮戦争の特需で、日本は経済復興のきっかけをつかんだことは、よく知られています。
 私もそうでしたが、朝鮮の植民地支配についてよく知らない、あるいはその歴史事実を知っていても、そこで何があったのか、いま、問題になっている元「慰安婦」や徴用工が、どのような苦汁をなめ被害を受けたのか、その被害者への賠償がどうなっているのか、具体的に知らない人が多かったと思います。いま、当事者たちの訴えに応えて一緒に運動をしている人たちのおかげで、証言を聞いたり読むことができるようになりましたが─。
 文大統領だけでなく、南北統一にむけて必死に努力している韓国人たちは、分断の一因を作り出した日本人のこの傍観的態度にいら立ち、時には腹を立てている、そう感じることがあります。
 この傍観的態度から抜け出すには、日本人が、植民地支配の責任と賠償補償の事実を明確に認識する必要があると思います。
 1945年8月14日に日本が受諾したポツダム宣言の第10項には「吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加へらるべし」という条文があります。これをもとに戦争犯罪の調査が始まり、翌年の1946年5月3日に極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判が開かれ、A級と呼ばれる「重大な戦争犯罪人」28人が起訴されました。戦争指導者の裁判はこの28人(判決は25人)で終わっています。東京裁判が天皇を裁かなかったことはよく指摘されていますが、朝鮮・台湾への植民地支配も審理の対象になっていません。裁判は1928年、パリ不戦条約以降の日本の侵略を対象にしていたので、植民地支配は問われないままでした。
(P.168~P.169記事抜粋)
 

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