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市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

たった一人自分が読むためだけの翻訳もある (韓国語翻訳家 斎藤真理子)

季刊『社会運動』2019年10月号【436号】特集:「平和の少女像」が示す希望 韓国と日本の歴史を直視する

 誰もが、中学高校の英語の授業で盛んに英文和訳をやらされる。あれだって翻訳の一種なのだが、そう思っている人は少ない。翻訳はもう少し「本格的」な、または「ちゃんとした」もので、中学高校でやったのは練習にすぎないと思っている。けれども実は、英文和訳の宿題と「何か本格的で、ちゃんとした、翻訳、みたいなもの」まではほんの一歩ではないかと思う。一歩とは、自分の欲求がそこにあるかどうかということだ。
 スマホで検索すれば、だいたいの外国語の歌の歌詞の大意ぐらいはすぐにわかる。だが、歌詞の一言一言の意味をもっとしっかりキャッチしたくて韓国語の勉強を始めた中学生を知っている。すみずみまで知りたい、深く知りたい。知ったら人にも見せてあげたい、共有したい。そんな欲求が強ければ、人や機械が翻訳した結果に飽き足らず、自分で辞書を引いて翻訳にチャレンジすることは苦にならないだろう。英文和訳の宿題から一歩踏み出すときには、必ず具体的な契機がある。
 そしてときには、「自分が読むためだけに翻訳する」という状況も、ありうる。
 
「怠け者のママ」が訳す『チボー家の人々』

 『れくいえむ』(郷静子・文春文庫)という小説がある。1972年に芥川賞を受賞した作品だ。第二次大戦当時の横浜を舞台に、ある女学校に通う二人の少女の交流を描いている。著者の郷静子さんの戦争体験が下敷きになっていると見ていいのだろう。1年生で16歳のなおみと、3年生で18歳の節子。これを読んだとき私も16歳の高校生だったので、戦時中の女学生の生活ぶりに恐れをなしながら、ひき込まれて読了した。
(P.180~P.181記事抜粋)
 

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