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市民セクター政策機構

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「ヘイト・スピーチは「憎悪犯罪(ヘイト・クライム)」である」(東京造形大学教授 前田 朗)

季刊『社会運動』 2015年10月号【420号】特集:あなたが「下流老人」になる日

ヘイト・スピーチとはヘイト・クライム[犯罪]である

… 日本ではリベラルな人たちでさえ、
ヘイト・スピーチを「表現の自由」と考えているのが気になります。

 そもそも日本の憲法学者に「ヘイト・クライム、ヘイト・スピーチとは何なのか」という認識がなく、そのため「表現の自由」論を間違って適用しています。
 表現の自由の中には「思想の自由市場論」というものがあるのですが、私は、それは誤りだと考えています。これはアメリカ流の理論で、要するに経済市場における合理性と同じで、「より優れた意見が生き残り、間違った意見は論破されて淘汰される」という考え方です。良い表現、悪い表現、正しい表現、間違った表現を権力が判断するのではなくて、全部「思想の自由市場」にのせる。そこでお互いに批判しあう中でより良い意見が生き延びるというものです。
 これをジャーナリズム論にあてはめると、「現在は少数意見であっても議論することによって多数意見に変わるかもしれないし、その逆もあり得る。だから全部の意見を対等に土俵にあげるべきであり、少数意見を尊重せよ」という話です。そしてこの理屈をヘイト・スピーチにまで当てはめるわけです。私はそもそも「思想の自由市場論」は間違っていると思っていますが、仮に「思想の自由市場論」を前提としても、ヘイト・スピーチとは別問題です。
 というのは、ヘイト・スピーチとは構造的な差別のもとで、主としてマジョリティがマイノリティに対して行うヘイト・クライムであるからです。日本人が在日朝鮮人、中国人あるいは移民に対して行う差別的暴言がヘイト・スピーチです。これは「思想の自由」の問題ではなくて、朝鮮人、中国人という民族的な属性に関わる問題であり、どんなに議論しても彼らは日本社会の中で永遠にマイノリティのままです。日本の人口が1億2000万人で、外国籍の人たちが200万人だと1・6%の存在です。「議論によってマイノリティがマジョリティに変わる」ことはありません。日本社会で日本人がマジョリティであるのは半永久的に変わらない。この変えられない現実に対して「思想の自由市場論」を適用することは誤りです。
 具体的に言えば、カウンターデモの人びとが在特会に対して「帰れ、帰れ!」と叫ぶ時には、「この場から立ち去れ! 家に帰れ!」という意味でしかありません。ところがその反対に、在特会が在日の人びとに対して「帰れ、帰れ!」と叫ぶ時には「日本から出て行け! 朝鮮半島に帰れ!」という言葉の暴力になるのです。ですから、マジョリティによるマイノリティに対する暴言は、「表現の自由の問題」ではなく、「人種差別であり、その被害者にとっての問題」と認識すべきです。
 これは、国際人権法上でいえば「人間の尊厳」の問題ですし、日本国憲法では「個人の尊重と幸福の追求」の問題です。「個人の尊重」には個々人の属性、例えば男や女、あるいは性的マイノリティであるか否かとか、アイヌ民族や琉球の人も含めてどんな民族であるのかといった、それぞれの属性が関係します。こうした、個人の属性に向けられた差別への対処が問われているのであり、表現の自由を適用することはできないというのが私の考え方です。ただし、刑事規制が行われた場合には、何が禁止される行為であるのか明確に線引きできないと表現の自由が不当に侵害されるという課題は残ります。

 

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