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病院や介護施設でお国言葉の手すりにつかまる(韓国語翻訳家 斎藤真理子)

季刊『社会運動』2020年1月【437号】特集:もうテレビは見ない-メディアの変質とつきあい方

 私は地方出身だが、お国言葉、地方語とはずっと距離があった。
 親がそうだったからでもある。私が生まれたのは新潟だが、両親は二人とも、新潟で育った人ではなかった。父は仕事のために新潟に来たのであり、母は新潟にルーツはあるのだが東京生まれで、戦争末期に東京から疎開してきて、定着した人だ。そのため家庭の日常語は標準語だったから、私は小学生のころ、自分は全校でいちばん標準語がうまいと思っていた。
 高校を卒業して東京に出てきて四十年が経つ。その間、新潟言葉について通りいっぺん以上のことを考えた覚えはない。母のルーツが新潟だったので母方の祖母は新潟言葉を使っていた。というより私の思い出の中で祖母はバイリンガルで、私たち孫に向かってはきびきびと標準語を話すが、古い知り合いと電話で話すときなどには新潟言葉のイントネーションが見えた。例えば、「ありがとうございます」と言うときには、「ありーーーーーーがとございます」と、「ーーーーーー」の部分をゆったりと伸ばすのである。その感じは何となく懐かしさとともに覚えているが、でも、全校でいちばん標準語がうまいとひそかに自慢だったのだから、やっぱり基本的に、新潟言葉はバカにしていたと思う。

 「ありーーーーーーがと」の「ーーーーーー」の部分にもたれかかってみたかった

 そんな新潟言葉について考えてみるようになったのは、両親の介護が始まり、東京と新潟を往復するようになってからのことだ。
 親の老いに対処するという新しいミッションに足を踏み入れると、言葉に関しても新しいステージが開く。そこは今まで知らなかった言葉が飛び交う世界で、今まで知らなかった仕事をする人たちとコミュニケーションを取らなくてはならない。そして、専門用語、業界用語云々より先に、自分の気分を整える言葉のステージも変わるのだと思う。
 例えば私は、両親の病院にずいぶん付き添ったのだが、それが度重なるうちに独特の疲労を覚えるようになった。もちろん、自分のために病院に行くだけでも疲れるものだが、それだけではなかった。やがて、私は口を開くのが億劫になってきた。診察室に入る前からへとへとになっていた。やがて気づいたのは、私は自分の言葉に疲れているということだった。具体的には、自分の話す標準語に疲れていたのだ。
(P.140~P.142記事抜粋)

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