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市民セクター政策機構

市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

大きな、喜びね」あの人はそう言った(韓国語翻訳家 斎藤真理子)

季刊『社会運動』2020年4月【438号】特集:子どもの命を守る社会をつくる

 子どものころピアノを弾くことが好きだった。ところが思春期に入って、急に嫌になった。背伸びして弾いていたショパンもモーツァルトも何だか軽薄に思えてきた。生意気盛りというやつだ。
やがて、パイプオルガンなら弾いてみたいと思った。
 カトリックの家庭だったので、毎週ではないが教会には行っていた。住宅街にある小さな教会だったが、小さなパイプオルガンがあるにはあったのだ。オルガンを演奏していたのはベルギー人の年配のシスターで、あの方に習いたいと思った。
 どのようにお願いして実現したのか全然覚えていないのだが、習えることになった。土曜日の午後に訪ねていくと、シスターはたいへん喜んで迎えてくださった。
 まず、両手でりんごを持つような形を作ります。その形のまま、手を鍵盤の上に置きます。ピアノと違うところは、スタッカートがないこと……そんな内容を話してくれた。大柄で、ふっくらして見るからに温和な表情のシスターは、それほど日本語が流暢ではなく、ゆっくり、ゆっくりお話をされたと思う。
 そして、シスターは両腕を広げるとにっこりしてこう言った。
 「大きな、喜びね」
 何か、不思議にすてきなことを聞いた気がした。けれどもその日本語は、ふだん自分が読み、書き、聞き、話しているのとはあまりに違う次元から降ってきたので、私はただぼんやりしてしまった。そのまま時間は過ぎ、一回めのレッスンが終わったが、何を習ったのだか、「大きな、喜びね」の後に起きたことは何も覚えていないのだ。余韻が大きすぎて。

(P.132~P.133記事抜粋)

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