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私のわなわなと韓国人の四角四面の正論(韓国語翻訳家 斎藤真理子)

季刊『社会運動』2020年7月【439号】特集:いまなら間に合う!気候危機

 久しぶりでわなわなした。
 安倍首相が、布マスクを二個ずつ全国民にくれると言っているのをテレビで見たら、熱が出た。三十七度を一瞬越えた程度で、すぐに下がったのだが。
 この人のやること、言うことにはあきれ、怒りつづけてきたけれど、さんざん「曝露」されたため、耐性ができてしまっていた。だが、その日は耐性が役に立たなかった。私は「えー」と声を出した。「ちょ、ちょっと」と思った。それ以上は言葉にならず、言葉にならなかったものが熱となったのである。私はわなわなした。
 思い知らせてやりたい。
 一矢報いたい。
 とどめを刺したい。言葉で。
 昔、よくそんなことを考えていた。若かったころ、一九八〇年代に。旧植民地の出身者や、女や、障害者を何のためらいもなく下に見ている政財界や法曹界の大物に対して。えーっと思うほど時代錯誤な偏見を平気で書く知識人に対して。一生、会う機会などないだろうが、万一出くわしたら顔の真ん中に命中するようなことを言ってやりたい。やっぱり、言葉で打撃を与えたい。何をどう言えば骨身にこたえるのだろうか、逆上するのだろうかと。
 あれから三十年以上。最近の政治状況は「馬耳東風」と「蛙のつらにしょんべん」と「のれんに腕押し」と「鉄面皮」が一台のトラックで乗りつけたみたい。一方では、普通の人たちがヘイトスピーチを口にする。どんな言葉を放ったところで、この人たちにとって打撃にはならないだろうと思わされることの連続だった。しかもSNSには短い言葉でうまく表現する人が大勢いるので、それを見て溜飲を下げておしまいということも多かった。
 どうも、そんな日常の中で、私の言葉はいつのまにか、まるで瞬発力を失っていたようなのだ。

就活の面接の場で彼女の怒りは、こうして完成形を目指した


 『私のチンピラな彼氏』という、変な題名の韓国映画がある。
 主人公は、地方大学を卒業後、ソウルで働いてきた若い女性だ。会社が急に倒産してしまい、再就職活動をしているが全然うまくいかない。お金もなくなってきたので家賃の安いアパートに引っ越すと、隣室にチンピラが住んでいた。最初は乱暴で嫌な人だと思ったが、次第に、けっこういいやつだということがわかってきて……というラブコメディだ。
 最終的にはハッピーエンドで終わる映画だが、でも、ここで描かれる就活風景はかなりきつい。中小企業の面接に行くと、中年男性二人の面接官がまず「恋人いる?」と質問する。次に「『土曜日の夜』という歌、知ってる?」と聞き、主人公が知ってると答えると、ここで歌ってみろと言う。それも、振りをつけて。
 ためらいながらも彼女は、ミニスカートの就活スーツで調子っぱずれに歌い、踊る。それを見て、面接官はクスクス笑う。主人公は呆然とした後、屈辱のあまり部屋から出ていこうとする。だが、ドアのところまで来ると意を決して振りむき、涙ぐんだ顔で言う。
 「いつもこんなふうに面接をやるんですか?」
 ほんとだよね。それくらい言ってやりたい。
 「これがあんたらの習慣みたいだけど」
 そうだよ。言ってやれ、言ってやれ。
 「就職がうまくいかなくて苦しんでいる人間をもてあそぶの?」
 おお、踏み込んだな。直球だ。でも彼女は、まだその先を続けるのだ。
 「いくら弱者だからって、基本的な人間的対応はすべきじゃないですか!」
 韓国人はここがすごい。改めてそう思った。そうなのだ、この人たちはドラマや映画でも、四角四面の正論を真っ向から言う。日本では「あるある」の決め台詞をクライマックスに持ってくることが多いが(「事件は会議室で起きてるんじゃない!」式)、対して韓国では、正論だ。
 このシーンは、正論に至るステップがはっきり見える点で興味深かった。
私たちはふだん、ひどい! と思うことを言われても、とっさに言葉でどう返していいかわからないことが多い。でもこの映画の主人公は、「ひどい!」と涙ぐんだ後、次にどんな言葉を持ってくればいいかわかっている人みたいに見える。

(P.162~P.165記事抜粋)

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