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市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

一人言といっても まぁ、いろいろとあるのだ(韓国語翻訳家 斎藤 真理子)

季刊『社会運動』2021年1月【441号】特集:コロナ禍の協同組合の価値 -社会的連帯経済への道-

 まさか、自分が一人言を言う人になるとは思っていなかった。想定外。そんな境地は完全な別室で、そこへ呼ばれるなんてまるで予定にない感じ。
 とはいえ、一人言といってもいろいろある。家の中で探しものをするときの「えーと」とか、布団をたたむときの「よっこらしょっ」とか。会社のデスクでメールをチェックしながらの「まずい」とか、目の前で電車が出ちゃったときの「あー遅かった」とか。その程度はもちろん、私だって言っていた。前者はかけ声みたいなものだし、後者のことばはその場にいる他者の目を何となく意識しながら、容認される範囲内で発声されている。どっちも、他人が聞いても別に奇異には感じないだろう。
 そういうのと、人が奇異に感じるような一人言との間には確実に溝があって、自分がそこを越えることはないと信じていたわけだ。
 ところが、年月が流れると自分の仕様が変わる。
二年ぐらい前だったか、バターが値上がりしたことがあった。スーパーで乳製品の棚に立って「うわー、すっごいな」と実感した。そして「高いよねえ。こんなの、買えないよね」と思ったそのとき、隣にいた同年輩の女性が(私の実感としては、その人はすーっと私の横に滑ってきたように感じた)、こっちの顔を見ずに、「そうよねえ」と言った。
 あのとき私はただ思っただけでなく、「高いよねえ。こんなの、買えないよね」と実際に声に出して言っていたのだ。あの女性が「そうよねえ」と返事してくれたのは、私を変な一人言おばさんにしないための助け舟だったのかな? そうだったらありがたい。とにかく私も、十分に奇異だと思われる一人言を言っていたわけだ。

 

二〇〇九年の大晦日の夕方忘れられない一人言を聞いた

 

 奇異な一人言というなら思い出がある。
 ずっと昔、出勤時の満員電車の中で、ドアにぎゅーっと押しつけられたままの中高年の男性が一言、「自己崩壊、か」とつぶやいたのを見たことがある。そのとき私はまだ二十代で、自分自身も満員電車が耐えがたく、いっぱいいっぱいで、ぎょっとする余裕さえなかった。ずっと後になって、人間は追い詰められるとああいうふうになるのかなあと思った。
 その男性は目をつぶって頬をガラス窓に押し当てていた。本当に小さな声だったが、静まり返った車内だから、近くにいた人にはみんな聞こえただろう。一瞬、何と言ったのかわからず、「ジコホーカイ」という音を「自己」と「崩壊」という二つの単語に結びつけるのに少し時間がかかった。
 それから、これは日付けまではっきり覚えているのだが、二〇〇九年の大晦日の夕方にちょっと忘れられない一人言を聞いた。商店街を歩いていたとき、暗い顔をした女の人とすれ違ったら、すれ違いざまにその人が「いい時も、悪い時も」とつぶやいていたのだ。今も覚えているのは、そのことを書きとめておいたからである。その年末は私にとっても、いい時ではなかった。だから聞き取れたのかもしれないと、今になって思う。あの人どうしているかなと、思うこともある。
 でも、ここまで書いてきてちょっと不思議な気がしてきた。この二つのことばを、私はこんなにはっきり覚えている。面と向かって聞いた膨大なことばの数々よりはるかに鮮明に覚えている。こんなに聞き手にしっかり定着したことばを、一人言と呼ぶのも変な気がする。

 

ことばの元栓はどのへんにあるかわからない

 

 スーパーのバター事件のしばらく後のこと。私は電車の中でぼんやりと「私、一人言を言うんだな。気をつけよう」と考えていた。最寄駅に着き、パーッと電車のドアが開く。降りる。歩き出す。自分では颯爽と歩いているつもりだ。そしてホームを颯爽と歩きながら私は「やーねえ、私、一人言言うのよ」と一人言を言っていた……。

(p.118-P.121 記事抜粋)

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