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大阪母子変死事件をくり返さないために(ルポライター 眞弓 準)

季刊『社会運動』 2016年1月号【421号】特集:子ども食堂を作ろう!

ファッション街の片隅で
「大阪二児餓死事件」は起きた

 

 2010年7月30日午前1時40分頃、大阪有数のファッション街の大阪市西区南堀江1丁目にある10階建マンション。3階の部屋のベランダにハシゴでレスキュー隊員二人が登り、真っ暗な部屋を懐中電灯で照らした。ゴミが積み重なった部屋の真ん中だけ床が見えていた。そこに、一部白骨化した全裸の幼児二人が、仰向けでT字形に寄り添うようにして倒れていた。
 亡くなっていたのは、羽木桜さくら子こちゃん(3歳1ヶ月)と楓かえでちゃん(1歳8ヶ月)姉弟だった。
 15㎡のワンルームの部屋には、空っぽの冷蔵庫だけ。エアコンは動いておらず部屋は排泄物だらけ。ジュースのパックや、スナック菓子の袋、おむつなどのゴミの山に二人は囲まれていた。
 検死の結果、桜子ちゃんは辛子やマヨネーズ、そうめん出汁、製氷庫の氷の結晶まで舐め、楓ちゃんにも分け与えていた。食べものがなくなり、ゴミ溜めの残飯を漁り、カップ麺の容器も綺麗に舐めた跡が。姉がゴミを漁って食べているうちに食中毒を起こし、弟より10時間以上前に死亡したとみられた。体には4日分以上の排泄物が付着し、弟はそれを食べたり飲んだりした形跡もあった。
 部屋は近所のファッションヘルスの運営会社による契約。居住者で幼児たちの母親である店員・下村早苗容疑者(23歳)が、同日午後1時25分、「死体遺棄」容疑で逮捕された。
 調べによると、6月9日に彼女は帰宅。2食分の蒸しパン、おにぎり、手巻き寿司とジュースを開封して置き、部屋のドアに粘着テープを貼り、玄関の鍵を掛けて立ち去った。
 7月29日、同じ階のマンション住民から異臭の苦情で、管理人が「部屋を見たい」と店側に連絡。24日の勤務を最後に欠勤していた彼女に、店の上司が電話し、帰宅するしかなくなった。
 18時半頃に部屋に戻り、子どもたちの変わり果てた姿を見て、早々に部屋を出た。上司にメールで、「ゴミだらけやから見にいかんといて。子どもらも放ったらかしにしてるから… 。どうしたらいいかわからない。もう死にたい」と、子が死んでいるとほのめかし、知人男性と神戸に行き、ホテルに泊まった。
 上司はマンションに行き、「部屋から異臭がする」と110番通報し、事件が発覚した。
 司法解剖の結果、死後1~2ヶ月。胃や腸には食料は残っておらず、少なくとも数日間は何も食べていないとみられ、脱水を伴う低栄養状態で飢餓により死亡したとされた。

 

虐待のトラウマ

 

 彼女は、三重県四日市市生まれ。父親は、県立高校の教諭で、ラグビー部を27年間指導し、強豪校にした名監督。母親は父の教え子でラグビー部のマネージャーだった。彼女は長女で妹二人がいる。
 彼女が5歳の頃、父親の浮気が原因で、母親は三姉妹とともに別居。ある夜、2時頃、彼女は父親に、母親がいつも居ないと電話。駆けつけた父親が見たのは、飼い犬の汚物の臭いがひどい部屋で、汚れた服で髪はベトベトの無表情な三人の姉妹。母親は、子どもを置いて頻繁に外出し、育児放棄の状態だった。
 父親は彼女が小学1年生の時に離婚し、三姉妹を引き取った。彼女が小学3年生の時、父親は連れ子のいる女性と再婚。連れ子にナイキの運動靴を買っても、三人はワゴンセールのもの。連れ子にはディズニーのTシャツで三人は安物。寝るときや外出も継母は連れ子とだけ一緒、という差別が続き、彼女が10歳の時に父親は離婚。以来、まだ小学生の彼女が妹達の世話をした。
 中学生になってから、彼女は荒れた。茶髪にして夜はカラオケや仲間の家に。バイクを乗り回し補導された。毎週、家出や外泊をし、家出のお金を稼ぐため援助交際。14歳で友人の男子たちに集団レイプされた。父親には言えず、相談を受けた中学担任が妊娠の確認を手伝った。
 父親は、東京の専修学校のラグビー部監督の知人教諭に彼女を託した。不登校の子が多い学校に通い、3年間放課後はラグビー部のマネージャーとして活躍した。
 その頃、父親に手紙を書いている。
「私の夢は、いいおかあさんになることです。世界一温かな家族にすることです」

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