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1.「自助・共助・公助」という分け方は適切なのか? (日本福祉大学名誉教授 二木 立)

<好評発売中>季刊『社会運動』2021年4月【442号】特集:自助・共助・公助と生活クラブ

─菅義偉首相の所信表明演説で「自助・共助・公助」が注目されるようになりました。そもそもこの言葉はいつから、だれがどのような分野で使うようになったのでしょうか。

 

 「自助・共助・公助」(三助)の言葉自体は、おもに社会保障分野と防災・災害支援分野で使われますが、だれが言い始めたのかは「詠み人知らず」です。防災・災害支援分野では2000年頃から使われ始めました。社会保障分野で本格的に三助が使われたのは、1994年に発表された「21世紀福祉ビジョン?少子・高齢社会に向けて」です。
 しかしながら結論として三助、これに互助を加えた四助は、使わないほうがいいというのが、私の持論です。
 三助、四助という表現は簡潔でキャッチーですが、意味が曖昧で人によって全く違います。例えば防災・災害支援分野では、「自助」は自分、「共助」は地域・近隣のお互いの助け合い、「公助」は国と自治体の支援という形で一貫して使われ、ブレがありません。したがって私は災害支援分野で「自助・共助・公助」を使うぶんにはとやかく言いません。
 問題は社会保障分野での用いられ方です。厚生労働省も、2000年の「平成12年版厚生白書」では、「共助」を「家庭、地域社会」で支えるという意味での、「自助、共助、公助」を用いていました。ところが2006年に官邸の「社会保障の在り方に関する懇談会報告書」が「共助」を「社会保険」という特異な意味で用い、それを厚生労働省も踏襲したのです。ただし、厚生労働省内でも、社会・援護局等は、現在でも「共助」を「共に助け合う」と旧来どおりの意味でも用いています。
 厚生労働省が「共助」を「社会保険」としてしまったので、伝統的な地域(近隣)の助け合いである「共助」の居場所がなくなりました。そこで「地域包括ケア研究会」は2009年度の報告書で、従来の「共助」を互助と言い換え、「自助」「互助」「共助(社会保険)」「公助」という4区分(四助)を提案しました。現在では、この四助が地域包括ケアや地域共生社会づくりに携わる専門職・自治体関係者の間で使われることが多くなったため、用語の使われ方がさらに混乱してしまったのです。
 社会運動や協同組合運動ではどうかと調べてみると、「共助」を「協働」と使っているケースも結構ありました。協同組合や共済制度が共助だという記述も見受けられました。ここでも使う人によって意味はまちまちです。
 「自助」についても、本人のみなのか、家族を含むのか、用いる人の家族観によって異なるのが現状です。厚生労働省のサイトでも本人のみの場合と、家族を含む場合の両方の説明があり、統一されていません。また同じ自民党の政治家でも、新自由主義派で個人主義の小泉純一郎氏・菅氏は自助を「本人のみ」としていましたが、伝統的共同体を美化する保守派の安倍晋三氏は「本人と家族」と見なしていました。
 このように使う人や組織によって意味が異なる三助、四助は、用語や概念が厳密ではないため学問的に正しくないことはもちろん、一般社会、社会運動などでも混乱をもたらすため、適切ではないと私は考えます。

 

─社会保障の分野では、1994年の「21世紀福祉ビジョン」で初めて「自助・共助・公助」が登場したとのことですが、なぜこの時に出てきたのでしょうか。

 

 1970年代前半までは日本は高度成長期で、政府も欧州並みの福祉国家を目指していました。ところが1970年代後半?80年代に成長が鈍化し、社会保障や福祉の抑制、見直しが叫ばれ始めました。1978年の「昭和53年版厚生白書」には、「(三世代)同居という、わが国のいわば『福祉における含み資産』とも言うべき制度を生かす」との悪名高い言葉が登場しました。老親の面倒を子や孫が見るなど家族間での支え合いが提唱されたのです。今後目指すべきは、欧州並みの「福祉国家」ではなく日本に合った「福祉社会」である。つまり国家の役割は限定的であるとの文脈で「日本型福祉社会論」が唱えられました。
 高齢化社会が進むと、それでも追いつかなくなるので1994年、厚生省の高齢社会福祉ビジョン懇談会は報告「21世紀福祉ビジョン」で「自助・共助・公助の適切な組み合わせ」を打ち出し、それまでの政策を180度まではいかないが90度ほど軌道修正します。北欧や欧州並みの高福祉・高負担でも、低福祉・低負担でもない、中福祉・中負担の「適正給付・適正負担」という独自の福祉社会の実現を提唱しました。「21世紀福祉ビジョン」では、特に「21世紀に向けた介護システムの構築」が提唱されているのが従来にはない新しさです。このときはその財源として「間接税」(消費税)が示唆されていました。同年末、初めて公的介護保険が提起されましたが、これは家族で高齢者の面倒を見る、民間活力や私的介護保険の導入など、80年代の日本型福祉社会論が破綻した表れだと私は見ています。

 

自助が強調されてきた、日本の社会保障

 

─「自助・共助・公助の適切な組み合わせ」は、変わってきたのでしょうか。自助が強調されだしたのは、いつごろからですか。

 

 「自助」という言葉自体は、明治初期から使われていました。イギリスのサミュエル・スマイルズ著『Self-help』、今流に言うと自助論ですが、1871年に翻訳された『西国立志論』が当時ベストセラーになったのです。
 社会保障分野で「自助」が強調され始めたのは、先に述べた1970年代後半?80年代の福祉見直しの時代です。1979年に閣議決定された「新社会経済7カ年計画」には個人の「自助」が何度も出てきます。一番わかりやすいのが「個人の自助努力と家庭や近隣、地域社会などの連帯を基盤としつつ、効率のよい政府が適正な公的福祉を重点的に保障する」で、「自助」が前面に出てきました。なお、この「公的福祉」は「社会保障」の意味です。「新しい日本型福祉社会」という言葉もここでストレートに使われています。
 1983年の「昭和58年版厚生白書」でも「我が国独自の福祉社会の実現に努めなければならない」「すなわち、自立自助・社会連帯の精神、家族基盤に根ざす福祉、民間活力、効率的で公平な制度を基本とする将来にわたるゆるぎない活力ある福祉社会の建設をめざす必要がある」と書かれています。
 非自民の細川内閣で生まれた1994年の「21世紀福祉ビジョン」では、少し方向転換し「自助、共助、公助のシステムが適切に組み合わされた重層的な福祉構造」と述べられました。その後も、本音は別としても表現だけは三助の序列のない「適切な(最適な)組み合わせ」が定番になっていました。
 それに対して菅首相はコロナ下にもかかわらず「まず自分でやってみる」と自助を強調したため話題になりましたが、これは2010年に発表された自民党の新綱領「自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組を充実する」をふまえたものであり、自民党としての基本的な考え方だと言えるでしょう。

(p.71-P.75 記事抜粋)

 

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