生活クラブグループ
市民セクター政策機構

市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

食品の安全確保と反原発運動

 

 生活クラブ生協は、北海道から兵庫にある33の独立した生協(単協)からなるグループで、各単協が出資して生活クラブ生協連合会を形成している。現在(2021年)、組合員は約41万人いる。
 生活クラブ生協の再生可能エネルギーの取り組みの歴史は、脱原発社会への歩みとして位置づけられる。
 1986年4月26日、ソビエト連邦(当時)のチェルノブイリ原子力発電所で大事故が起きた。放射能は、ソ連だけでなくヨーロッパ、そして日本にまで流れてきた。
 1986年11月、厚生省(当時)は輸入食品に対する放射能の暫定基準値を370ベクレル/㎏とした。生活クラブ生協連合会は、1987年5月、国の基準の10分の1にあたる37ベクレル/㎏を暫定自主基準値とし、自主基準値を超えた食品は供給をストップするという措置をとった。その際に、国内産(提携産地)のお茶から227ベクレル/㎏のセシウムが検出される。生産地で焼却処分されたものもあったが、生活クラブ生協で引き取ったお茶もあった。このお茶をどうするのか、例えば「反原発・脱原発を語る一つの道具」として使うことなどが各単協で話され、実際に原発事故に関する集会で放射能汚染された食べ物の見本として使われることもあった。
 同時に、生活クラブ生協・東京では、食品安全条例制定を求める請願署名活動、生活クラブ生協・神奈川では放射能測定を求める運動が組合員から広がっていった。その1987年から88年にかけて、生活クラブ生協・北海道では泊原発反対運動が展開され、泊原発の可否を問う道民投票条例の制定を求める直接請求運動が行われた(88ページ参照)。
 80年代後半の日本の反原発運動を見ていくと、様々な市民運動グループ同士が出会いネットワークをつくり、その運動は全国的な盛り上がりを見せていった。各地生活クラブ生協が行った活動も、そうしたネットワークをかたちづくる運動の一つだった。

(p.30-P.31 記事抜粋)

 

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