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市民セクター政策機構

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子育て支援ルポ③
子育て中の母親に冷たい社会でも保育園だけは違う(NPO法人ワーカーズ・コレクティブ キャンディ ―神奈川県川崎市)

【好評発売中】季刊『社会運動』2023年1月発行【449号】特集:政治の貧困と子ども

貧困問題の本質から目をそらさないこと

 

 子どもをめぐる経済的困難がクローズアップされるようになったのは、2000年代に入ってからです。「子どもの貧困対策推進法」が2013年に制定されたことで、「子どもの貧困」という言葉がマスメディアでも頻繁に使われるようになりました。また、子ども食堂や無償の学習支援などの活動が広がりをみせ、「子どもたちのために自分が何をできるか」という意識を持つ人が増えました。基礎自治体における大きな変化は、子どもの貧困に関する実態調査をはじめ、子どもの貧困対策計画が作られるようになったことです。そのような動きは法律に基づくものであり、一定の前進であると評価できます。

 

 しかし、一方でこのような現状にはもう一つの側面があります。それは、「『子どもの貧困』という枠組みであることによって法律の制定が可能となった」ということです。子どもも成人も、いずれの世代も直面する貧困は、同じ社会構造のなかで発生しているのですから、貧困を生み出す構造を組み替え、不平等を解消する必要があります。けれども、貧困問題全般の解消を目指す単独法はありませんし、今後もその実現は難しいと思われます。なぜなら、新自由主義的な政策を推し進めようとすることと、貧困問題の根本的な解消は相容れないものであるためです。

 

 しかしながら、現在の社会体制においては必然的に絶えず貧困が生み出されていくので、国としてはそのことへの社会不安や不満には、対症療法的に対処する必要があるわけです。そこで、国も貧困対策に取り組んでいることを示す手段として、子どもの貧困対策が活用されてしまう側面に注意が必要です。子どもの貧困対策が不可欠なことは言うまでもありませんが、「子どもには罪はない」という社会の眼差しの一方で、「親は何をしているのか」と大人の貧困を自己責任として非難する世論があることも事実であり、貧困問題の本質から目をそらす方策になりかねないのです。
子どもの貧困対策推進法の施行を受けて、政府は2015年、「夢を貧困に潰させない子供の未来応援国民運動」を始めました。ウェブサイト上では、企業や個人から広く寄付を募る活動や、企業とNPOのマッチングが行われています。子どもの未来を潰させないのは重要なことですし、市民社会の取り組みも重要ですが、貧困率を下げる努力を政治がしていなくても、「国民みんなで貧困対策をやっていますよ」というカムフラージュになりかねません。

 

家族のあり方への国家の介入戸籍制度の問題

 

 このような女性が劣位に置かれる社会が改善されない背景には何があるのでしょうか。私は、そのことを考えるうえで欠かせない問題の一つとして、日本に特有の戸籍制度があると考えています。日本では夫婦別姓すらいまだ実現されていませんので、婚姻届け時には夫婦どちらかの姓を選択しなければならず、ほとんどの夫婦が男性姓を選択しています。そうすると戸籍上では必然的に夫が筆頭者となります。また、父母欄では「父親が先、母親があと」という序列がつけられてきました。非嫡出子が続き柄欄に「男」「女」と差別化され記載されてきた点も、家父長的な戸籍制度の在り方の象徴です。戸籍制度は家父長的家族制度やジェンダー不平等を固定化する機能を有していますが、日本の学校教育では戸籍制度について教えられません。そのため、大学生になっても戸籍を見たことがない若者や、夫婦別姓の選択肢がないことを不自由と感じることがない若者が多くいます。「先生、ラブラブで結婚するのだから、わざわざ別々の姓にするなんて考えられません」という学生の声も聞きます。ふだん見ることもない戸籍が、人びとの意識をコントロールする巧妙な社会装置になっているわけです。韓国では、2008年に男女平等を定める憲法に反するとして戸主制を廃止したのですから、日本も制度を変えられないわけはありません。しかし、そこが遅々として進まないという点に、日本の特徴が色濃く表れていると思います。

 

 社会政策のなかでも「家庭」は格好の対象とされてきました。例えば、1979年に自民党の特別委員会から出された「家庭基盤の充実に関する対策要綱」では、「国家社会の中核的組織」として家庭を位置づけ、老親扶養と子どもの保育は「第一義的に家庭の責務」と明示されています。低成長期に国の財政基盤が脆弱になっていくなか、介護も子どもの養育も家庭に求めていくわけですが、そこでいう「家庭」=「女性」「母親」です。地域の助け合いと家庭での自助努力に委ね、公共的な政策はますます縮小していく構図です。

 

 また、2006年には文部科学省が国民運動として「早寝早起き朝ごはん」を呼びかけています。ここでも、国民運動を担うのは女性であり母親になるわけです。この国民運動を検討している書籍として、『「食育」批判序説「朝ごはん」運動の虚妄をこえて、科学的食・生活教育へ』(森本芳生著・明石書店)が参考になります。2002年に愛国心を養う道徳の教材「心のノート」が導入され、内心から国民を統制するとして問題になったように、2005年に成立した食育基本法は体や胃袋からの国民統制と言えるものだと述べられています。家庭や家族制度は一つの戦略的拠点として、戦前に、天皇制を頂点にする家族国家観によって社会全体を統制していった時代を彷彿とさせます。

 

 とはいえ、単身世帯がどんどん増えている実情からもわかるように、家族の形態も大きく変わり、「父親・母親と子どもからなる世帯」が標準世帯だというイメージはもはや幻想になっています。にもかかわらず2016年10月に公表された家庭教育支援法案(自民党案)では、改正教育基本法を基盤として家庭教育を重視し、国家が求める家庭像、親像が示されていると指摘されています。家族や個人が法律に合わせて生きる社会ではなく、家族や個人の実情に合わせて法律が柔軟に変わっていく社会にしていかねばなりません。

 

再分配を強化する反貧困/脱貧困の政策を

 

 子どもの貧困は景気がよくなれば解消されるというものではなく、また、個人の努力による貧困解消には限界があることは明白です。貧困対策として、子どもの「教育の機会均等」「生育環境の整備」が明瞭に打ち出されている一方で、本来必要なはずの反貧困/脱貧困のための政策が行われていないことが問題です。絶え間なく貧困を生み出す構造は不問に付されたまま、家庭の努力や子どもの意欲を高めることが前面に押し出されてしまっているように見えますが、税や社会保障による所得再分配を強化し、持続可能で公正な雇用と賃金を保障していくことが急務です。企業の社会的貢献が謳われるなかで、食料支援なども広がりを見せていますが、中卒や高校中退の方々の正規雇用を保障するような企業の社会的貢献をぜひお願いしたいところです。

 

 従来の家族観から脱皮し、シングルで子どもを育てている人びとを起点にして普通に暮らせる社会へと変わっていけたら、誰もが生きやすい社会になっていくはずです。反貧困/脱貧困を目指す政策、ジェンダー平等を目指す政策を車の両輪として、社会的正義が実現されていくことを願います。

(P.39-40、P.45-P.47記事抜粋)

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