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③「家族主義」幻想とジェンダー政策(京都産業大学現代社会学部客員教授 伊藤公雄)

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日本は「家族主義」の国だったのか?

 

 サラチェーノによれば、日本も「家族主義」の国なのだが、本当に日本社会が南欧の諸国や韓国などと比べて「家族主義」なのか、と言えば、実は疑わしい。

 

 イタリアをフィールドとしてきた身からみれば、イタリアの家族間の結合は、日本など比較にならないほど強い。儒教文化がいまだに社会に深く根ざしている韓国も親族間の結びつきは強いと言えるだろう。でも、日本はどうだろう。

 

 戦後、日本文化論で著名なルース・ベネディクトの『菊と刀』には、野原駒吉の英語の本からこんな引用をしている。

 

 「日本人は、家を非常に尊重するという、まさにその理由によって、家族の個々の成員や、成員相互の間の家族的紐帯を、あまりたいして尊重しない」(ベネディクト、1946=2005:155)。

 

 この分析を受けて、ベネディクトも、日本の「家族主義」を、結局、家長としての男性が、目下の者に犠牲を強いる仕組みであって、家族の結びつきを重視した家族主義ではないことを指摘している。

 

 実際、戦後日本社会の実態をみれば、日本が「家族間の紐帯」を大切にしていない社会であることはすぐわかる。たとえば、先ほど触れた、1970年代以後広がった男性の長時間労働だ。南欧の「家族主義」の社会なら、長時間労働で家族との生活が送れなくなるような状況になったら、男性たちは、仕事よりも家族を選ぶのではないかとさえ思う。ところが日本では、「家族のため」と言いながら、遅くまで働くだけでなく、飲み屋で「オールド・ボーイズ・ネットワーク」的な「飲みニケーション」に励み、家族など顧みない生活をしていた男性たちが少なくなかったはずだ。経済だけでしか家族関係を考えることができず、精神的なつながりなど無視していた男性たち(そうした男性たちの態度を否定的に眺めながら、夫離れを着実に深めていった妻たち)の姿をふり返れば、日本社会が「家族主義」だとは誰も思わないはずだ。「亭主元気で留守がいい」がテレビCMで流れる「家族主義」の社会は、ちょっと考えられないことだろう。

 

イデオロギーとしての「家族主義」

 

 こんなエセ「家族主義」の社会にもかかわらず、「家族を守ろう(本当に家族を守ろうとするなら、まず長時間労働の制限とワーク・ファミリー・バランスを制度化してほしいものだ)」的な声が、日本社会では、保守を名乗る勢力から語られ続けてきた。

 

 というのも、日本における与党=自由民主党の「家族主義」が、戦前の天皇制のもとで形成された「家長の家族支配と、メンバーへの義務と犠牲の強制」(先程のベネディクトの指摘通りだ)を目指したものに他ならないからだ(男性主導とはいえ、男性が育児や介護、料理などもそれなりに担っていた日本の伝統的家族とは大きく異なる明治民法以後の「近代の日本家族」なのだが)。

 

 世界中で家族が多様化し始めている。シングル(単身所帯)も急増しているし、シングル・マザーやファザー家庭も増えつつある。さらに、同性婚の法制化や親族外(例えば、家事労働者や介護労働者などの)メンバーとの同居ということも、アジア地域を含めて世界では当たり前になりつつある。しかし、現在の日本社会が、こうした家族の多様性にきちんと対応してきたかと言えば、いうまでもなく逆行ばかりが目立つ。「現実には存在しない」夫婦と子どもや三世代同居の「家族の強い絆」の幻想を、保守派の文化人や政治家(そんな主張をする保守派の政治家の「家族」の実態を見てみたいものだ)がばら撒き、「現実の課題」から目を逸らし続けてきたのが最近の日本だったのではないか。その結果が、グローバル・ジェンダーギャップ指数(2022年7月発表)で世界146ヶ国中116位(今回、「1位」と発表されている教育分野には、高等教育進学率のデータが提出されていない。毎年100位台のこの数字を加えると教育分野は90位くらい。本当は、116位よりももっと悪いはずだ)という状況であり、少子・高齢社会に何の対応もできないままでいる日本の「現在」なのだろう。

 

 必要なのは、家族の自立(人権問題を除く、行政権力からの介入を許さない家族の自立・自律)と、それを支える政策的な(特に子どもがいたり、問題をかかえている家庭への)「家族支援」という、普通の社会が展開している「家族政策」なのだ。しかし、日本の社会は、イデオロギーとしての「家族主義」に拘束されたまま、本格的な家族政策に足を踏み出しかねてきたのだ。

 

家族教育支援法と統一教会

 

 安倍元首相の死を契機に、こうした保守派の家族政策の問題点が露わになりつつある。特に、「家族教育支援法」や、「家族断絶防止法」や憲法24条の改悪の動きの背後に、旧統一教会のエセ「家族主義」(家族を崩壊させる「家庭連合」)が深く関わっていることも明らかにされつつあるからだ。中でも、やっと日本社会がジェンダー平等に動きを開始した21世紀の初頭に、右派宗教勢力と右派政治家のブロックがジェンダー平等へのバックラッシュを展開したことで、日本のジェンダー状況は30年近く遅れてしまったことを見逃すわけにはいかない。

 

 その意味で、日本における家族とジェンダーをめぐる「政治」(日常生活から、国政までの広い意味での政治)は、現在から、再度、「やり直し」が求められているのだ。

(P.64-P.67記事抜粋)

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