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市民セクター政策機構

市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

②JR青森駅前543回を数える「金曜日行動」
(生活クラブ生協・青森 元理事長 戸川雅子さん)

【好評発売中】季刊『社会運動』2023年4月発行【450号】特集:原発ゾンビ ―再稼働なんてありえない

1985年4月9日、青森県議会全員協議会で当時の知事、北村正哉氏が原発の核燃料サイクル施設の受け入れを表明した。県に対して電気事業連合会から協力が要請された六ヶ所村での三施設の立地についてだ。「受け入れの可否は、県民投票で決めるべきだ」とする署名が9万2千筆も集まっていたが、県民投票条例の請求より先に、知事が施設受け入れを決定してしまった。そしていま、下北半島には核燃料サイクル施設が連なっている。青森市で2023年現在、37年にわたり反原発・反核燃運動を続けている戸川雅子さんに活動への思いを聞いた。

 

「私も原発を自分ごととして考え、行動しよう」

 

 チェルノブイリ原子力発電所の事故が起きた1986年、戸川さんは「青森にも放射性物質が降っているのではないか」と不安になった。正確な情報を求めて原発関連の学習会や講演会に参加した。市民運動をしている時に「市民科学者」を育成していた故・高木仁三郎氏の「高木学校」が青森市内で開かれ、戸川さんも通って原発の基礎を学んだ。労働組合などが企画する反原発集会にも参加するようにもなった。
 その頃、戸川さんの心を掴んだのがドキュメンタリー映画『核分裂過程?再処理工場を止めた人々』(ドイツ/1987年)だ。ドイツ南部のバイエルン州のバッカスドルフという緑豊かな小さな村を舞台に、使用済核燃料再処理施設の建設に反対する人びとの創意あふれる運動が実写され、映画完成の2年後の89年、実際に建設は中止された。映画の中で「再処理を止める闘いは、民主主義と自治を守る闘いだ」という言葉が戸川さんの胸に響き、「私も原発を自分ごととして考え、行動しよう」という思いを強くした。

(P.32-33記事抜粋)

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