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市民セクター政策機構

市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

④国は平気で嘘を言い、国民は疑いもせず騙される
(元生活クラブ生協・神奈川 組合員 大河原さきさん)

【好評発売中】季刊『社会運動』2023年4月発行【450号】特集:原発ゾンビ ―再稼働なんてありえない

福島第一原子力発電所事故後に故郷の福島県に戻った大河原さきさんは、「原発事故被害者団体連絡会」の事務局として被害者の人権の回復などに尽力する。さらに汚染水海洋放出にも目を光らす。「原発再稼働に舵を切りたい政府は巨額の税金を投入し、『もう事故は終わった』という空気をつくり出しているのです」と話す。福島県で活動しているからこそわかる原発事故と、その後を聞いた。


放射能に汚染された福島県に帰郷する

 生活クラブ生協・神奈川のはしどデポー(生活クラブの店舗)の組合員だった大河原さんが福島県に帰郷を決めた直接の動機は、30年以上前から福島県船引町で有機農業に取り組んできた弟の大河原 伸さんからのSOSだった。福島原発事故による放射能は伸さんの農地にも降り注ぎ、収穫した農作物などの放射能測定値を知らされた時は絶望した。しかし、土壌汚染は深刻ではなかったことから、農作物の生産は続けられた。ところが、放射線量の数値を提示して販売しようとすると顧客は3分の1にまで減ってしまった。「周囲は危ないというだけで、誰も助けに来てはくれない」と訴える伸さんと何度も電話で話した。そして、農産物の放射線量を自分たちで測り、数値を提示した上で買ってもらう直売所を作る伸さんの計画を手伝おうと、大河原さんは2013年5月に直売所がある三春町に移住した。


 船引町は太平洋から50~60キロ程離れた中通りという地域にあり、地盤も固く家屋の倒壊など地震の影響はそれほど受けていなかった。一見すれば、昔と何も変わらない故郷。しかし、その土地が汚染させられてしまったことへの落胆は大きかった。「放射能に真っ赤な色でも付いていれば怖いとわかるのですが、見えないし、においもない。危険が感じられないから、気にしないで生活できてしまう怖さがあります。さらに、放射線量は測らないとわからないし、すぐに影響が出るほどではないので気付かないようにすることもできます。加害者側にとっては都合のいい被害なのです」

福島第一原子力発電所事故後に故郷の福島県に戻った大河原さきさんは、「原発事故被害者団体連絡会」の事務局として被害者の人権の回復などに尽力する。さらに汚染水海洋放出にも目を光らす。「原発再稼働に舵を切りたい政府は巨額の税金を投入し、『もう事故は終わった』という空気をつくり出しているのです」と話す。福島県で活動しているからこそわかる原発事故と、その後を聞いた。

放射能に汚染された福島県に帰郷する

 生活クラブ生協・神奈川のはしどデポー(生活クラブの店舗)の組合員だった大河原さんが福島県に帰郷を決めた直接の動機は、30年以上前から福島県船引町で有機農業に取り組んできた弟の大河原 伸さんからのSOSだった。福島原発事故による放射能は伸さんの農地にも降り注ぎ、収穫した農作物などの放射能測定値を知らされた時は絶望した。しかし、土壌汚染は深刻ではなかったことから、農作物の生産は続けられた。ところが、放射線量の数値を提示して販売しようとすると顧客は3分の1にまで減ってしまった。「周囲は危ないというだけで、誰も助けに来てはくれない」と訴える伸さんと何度も電話で話した。そして、農産物の放射線量を自分たちで測り、数値を提示した上で買ってもらう直売所を作る伸さんの計画を手伝おうと、大河原さんは2013年5月に直売所がある三春町に移住した。


 船引町は太平洋から50~60キロ程離れた中通りという地域にあり、地盤も固く家屋の倒壊など地震の影響はそれほど受けていなかった。一見すれば、昔と何も変わらない故郷。しかし、その土地が汚染させられてしまったことへの落胆は大きかった。「放射能に真っ赤な色でも付いていれば怖いとわかるのですが、見えないし、においもない。危険が感じられないから、気にしないで生活できてしまう怖さがあります。さらに、放射線量は測らないとわからないし、すぐに影響が出るほどではないので気付かないようにすることもできます。加害者側にとっては都合のいい被害なのです」

(P.40-41記事抜粋)

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