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市民セクター政策機構

市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

医療と介護をつなぐ訪問看護の重要性(白十字訪問看護ステーション代表 秋山正子)

季刊『社会運動』 2016年7月【423号】 特集:食料消滅!?

インスリン注射が必要な一人暮らしの人をケアする
 糖尿病でインスリンの注射を使っており、そのことが影響して、特別養護老人ホームになかなか入れず、ショートステイも利用できなかった人の事例を紹介します。その人は、一人暮らしで認知症、うつも発症していました。賭け事が好きだったために奥さんは子どもを連れて家を出て行ってしまい、家族に見捨てられたと自暴自棄になってアルール依存症になり、肝臓由来の糖尿病を発症しました。60歳を過ぎて健康状態が悪くなると、社会的、経済的な面でも状況が悪くなり、坂道を転げ落ちるように自立が困難になって、生活保護を受給するようになりました。この時に生活保護のワーカーと保健師が共同してかかわり、アルコール依存症からは脱却できました。ところが、そうしているうちにうつ病にもなって、保健師と一緒に専門の医療機関を受診すると、アルツハイマー型認知症とも診断されました。
 ある日のこと、保護費をもらいに来ないので、ワーカーが心配して電話をかけたのですが、電話にも出ないので、家に様子を見に行くと、せんべい布団の中でうずくまっていました。保健師に相談して、入院させようということになり、通院していた大学病院に交渉しましたが、大学病院は、救命救急や、より専門的で高度な医療が求められる高度急性期医療が対象なので、慢性疾患の人は受け入れてもらえません。新宿区には、大きな病院がたくさんある一方、一般病院の病床が少ないという特徴があり、一般病院の空きベッドを探すのはとても難しいのですが、保健師が一生懸命探して入院できました。
 入院後、約2カ月で病状が安定し、糖尿病は良くなりました。しかし、生活の場所が変わり、管理されて全部人任せになったため、認知症が進んでしまいました。退院前に特養ホームの入所を申し込んだのですが、インスリン注射ができないという理由で受け入れてもらえません。「日曜日は看護師がいない」「5時に看護師が帰るので、夕食前、就寝前のインスリンは無理」というように、インスリン注射が必要だとなかなか難しいのです。こうしたあまり知られていない問題もあります。結局、要介護3の状態で自宅に戻ってきました。
 保健師と生活保護課のワーカーに「特養ホームが見つかるまで何とかしのいでほしい」と頼まれたので、私は短期間のことだと思って引き受けました。まず、毎日の生活をきちんと整える必要があります。この人の場合は、場所の認知機能が落ちているので、道順を覚えられず、人がついていなければ外出できません。そこで通院介助のためにヘルパーが来ることになりました。毎日一定の時間に起きて30分ほど歩きます。これは運動療法にもなりました。糖尿病の人は食べたもののエネルギーをきちんと消費することが大事なので、この運動はとても良かったのです。薬は月に2回の訪問看護でなんとかやりくりして、インスリンは外来で注射してもらいました。注射後は、すぐに血糖値が下がるので、低血糖予防のためにその場でごはんを少し食べさせるという工夫もしました。
 当初は「家族に見捨てられて死んだ方がましだ。このような自分はいらないだろう」と自暴自棄になって、「死にたい」とばかり言っていましたが、2、3カ月経ったある時、私に、「毎日『おはようございます』と言って人が自分を訪ねてくる。きちんとあいさつしてくれる。こんなありがたいことはない。もう少し生きてみようかと思う」と言われました。最初は、本当に表情が動かないうつ状態で、どうなることかと思っていましたし、時々カッと怒ってヘルパーを怒鳴ったりするので、ヘルパーもびくびくしていましたが、毎日の生活の積み重ねによって「人を信じてもいい、生きていてもいい」と思ってくれるようになり、その言葉を聞いた時には本当にうれしかったです。
 インスリン注射が必要なので、特養ホームでのショートステイは利用できませんでしたが、年2回の短期入所的な入院を病院にお願いしていました。ところがある時、その病院で隣のベッドの患者と言い争いをしてしまい、「こんなところにはいられない」とタンカを切って自分で退院してしまったのです。私たちとしては、「明日からインスリンはどうするの!?」という思いでした。それがちょうど金曜日だったので、土曜、日曜はどうしようと思いました。近くの診療所の医師に、「実はこういうことであそこの病院を飛び出してきたのです。明日のインスリンがないと困るのです。助けてください」と、お願いに行ったところ、「いいよ」と言ってくれました。私が知っている範囲で、どのような薬を飲んでいるか、どのような病気の経過なのかなど、情報を医師に提供し、診療所に通うことになりました。
 生活のリズムがつき、おおまかだけれど薬、食事などの管理ができるようになったことで、要介護度は改善され3から2に、最後は1になりました。糖尿病のコントロールができ、人と会って話すことで精神的な面でのうつも改善され、認知症の症状も進まない状況になったのです。診療所の医師には、「インスリン注射が必要なので特養ホームには入れそうもない。経口の糖尿病薬に替えられないでしょうか」と相談しました。注射は医療行為なので、原則的には医師や看護師などの医療従事者にしかできません。注射が飲み薬になると、随分、生活しやすくなります。「空腹時の血糖値を1週間測ったら考えてもよい」と医師は条件を出しました。しかし、一人暮らしの認知症の人が血糖値を1週間も測るのは容易ではありません。そこで家中に「食事をしないで診療所に行くこと」と貼り紙をしました。枕元、電気スタンド、歯みがきをして出るので水道の蛇口の真上、トイレの扉、トイレに座った時の目の高
さのところ、全部に貼り紙をし、何とか測定した結果、ほぼ正常範囲だったので、医師も経口の糖尿病薬に替えてくれました。
 すべての人ができるわけではありませんが、このように交渉を重ねることで、その人にとって何が必要なのかを把握し、対応していくことが大事だと思います。その後、この人は、病院の短期入院だけでなく特養のショートステイが利用できるようになり、7年間、非常に落ち着いた状態で、自宅で過ごして亡くなりました。

(P.158~P.162 記事から抜粋)

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