月刊『社会運動』 No.217 1998.4.15


目次

市民と専門家の連携を考えるU 座談会:暮らしと科学の間には‥
坂下栄/桑垣豊/清水隆彰/畠瀬和志/古川和光/箱山敬三/一居健司‥‥2
「南」からの人権・民衆レポート グローバル化とグアテマラの女性達 伊従直子‥‥24
運動情報 釜ヶ崎・山谷から日本の「いま」を見る 若島礼子‥‥27
3・15世界消費者権利の日によせて 貧困への挑戦 F.Josie‥‥32
第3世界ネットワーク通信 市民参加の行財政 シラード・フリスカ‥‥36
海外情報 グリーンな電力は生き残れるか?‥‥38
読書感想文 いいだもも『20世紀の<社会主義>とは何であったか』 井手左千夫‥‥42
投稿「神戸小学生殺人事件」通説シナリオへの疑問 戸田清‥‥44
代理人運動 市民ネットワーク北海道 山口たか‥47 市民ネットワーク・千葉県 中村久美子‥48 東京・生活者ネットワーク 樋口蓉子‥49 神奈川ネットワーク運動 森直美‥50 ふくおかネットワーク 外井京子‥51
となりの芝生から ‥‥46
読者の声 ‥‥52



表紙からのメッセージ 写真家・桑原 史成
 来




 「わたしなりに、『われらの同時代』ともいうべき、過ぎ去った短い20世紀について、早手仕舞いに歴史的総括を試み、その20世紀の経験の総括に基づいて、かならずや人類史的危機がしだいに露呈してこざるをえないであろう、将来の21世紀をいかに生きるべきか、のオルタナティヴを価値構想した、一種の決算書です」。
 いいだもも氏がこのように宣言する書物を書評するなどという力量は私にはない、ということを、この2ヵ月で身にしみた。
 私には決算書を評価する能力=「マルクス的共産主義」についての造詣に基づく自らの思想的立場、がない。かといって決算書を解説する能カ=20世紀に関する広汎な知識の積み重ねとしての教養、にも欠けている。評価も解説もできない人間が書評を書くというのはルール違反である。
 書評は書けないが読書感想文は書ける。いや正しくは感想文をこそ書かねばならない。何故なら私が読んでもこの本はおもしろかったから。つまり、「マルクス的共産主義」についての造詣に基づく自らの思想的立場がなく、20世紀に関する広汎な知識の積み重ねとしての教養に欠く人間にとっても、この本はおもしろかったのである。『20世紀の<社会主義>とは何であったか』という題名によって、あらかじめ読者対象外に身をおいてしまう圧倒的多数の人々に、Γ題名にまどわされずにこの本を読んでみてよ。高村薫や藤沢周平をおもしろく読めるだけの語学力と感受性さえあれば、充分にこの本もおもしろいですよ」と伝えるために、私は感想文を書かなければならないのである。では何故におもしろかったのか?

<歴史=物語>の聴衆=消費者として
 三波春夫の「元禄名槍譜・俵星玄蕃」は私にとっての昭和歌謡曲ベスト1である。『平家物語』『太平記』も好ましい。『三国史』などは吉川本はもちろん横山光輝からファミコンゲームまで一通りハマッた。要するに「軍記物」「語り物」が大好物である。「サラエヴォに始まり、サラエヴォに終わる」20世紀の歴史書である本書を「俵星玄蕃」と同例に論じることは書評では許されないかもしれないが感想文ではアリである。共通するのは歴史=物語に対する感受性と人間に対するシンパシーである。
 山崎佳代子氏の『解体ユーゴスラビア』(朝日選書)を手がかりに、今日的サラエヴォ事態を出発点として、バブル崩壊後の日本、中国王朝交替史、マルクスの同時代としての∃一口ッパ史、レーニン「帝国主義論」、ドイツ社民党とレーテ革命、NEP(新経済政策)とフォーディズム、コミンテルンと中国革命、「レーニン最後の闘争」の現場検証、農業コルホーズ化政策の惨状を経て、テオ・アンゲロプロスの最新作『ユリシリーズの瞳』のラストシーン、サラエヴォの霧の中の惨劇で終わる本書は、学問・教養としての歴史ではなく、物語、語り物としての歴史の魅力をいやというほど教えてくれる。通史として語ることによって浮かび上がってくる諸個人、一人ひとりの人間の栄光と悲惨を語ることよって実感しうる歴史。
 物語の消費者としての聴衆がどのように歴史を実感しえたのか、その中身の検討はさておいても、共振しうるものとして歴史をとらえることは、21世紀に向けての最低限の条件である。

<歴史=物語>の語り手=生産者として
 もちろん、歴史は単なる物語ではない。
 「歴史とは物語ではない。出来事である。その出来事と自ら遭遇する構えなくして歴史は語れないのではないか。歴史は高見の見物をするものではない。それに接するものが、自分白身の構えから生き抜くべき経験である。要するに、俺だったらどうしたか、俺ならどうするか、ということ抜きに歴史は語れない。
 だから、歴史を語るとは、覚悟を語ることである。いま、覚悟なく歴史をふりかえり、歴史を語ることが多すぎないか。」(『不逞者』宮崎学、角川春樹事務所)。
 いいだもも氏には覚悟がある。「マルクス没後の極東の一門人」としての自負であり、「マルクス的共産主義」者としての立場である。
 この覚悟−骨太な背骨−が貫いているからこそ、本書は<歴史=物語>の書になり得ているのである。ロシア革命期におけるボルシェビキを始めとするすべての主人公の個性がくっきりとうかび上がってくるのも、いいだもも氏の一貫した「マルクス的共産主義」者としての立場ゆえである。
 覚悟を持った者が語る物語であるからこそ、歴史はおもしろいのである。“歴史の消費者であることと生産者でもあること。この自覚を持ちえるのかどうかが、21世紀に向けての社会主導者の最低限の資格である。

ロウを得て蜀を望む
 最後に、本書のサブタイトルに注目したい。21世紀のオルタナティヴヘの助走、とある。あくまでも助走である!! オルタナティヴを展開しているのではないのである。冒頭に引用したいいだもも氏の手紙にあるとおり「オルタナティヴを価値構想」したものである。 21世紀へのオルタナティヴ構想(いいだ氏の表現では「新生事物」)を求めての第一歩=20世紀のく社会主義>の総括の書である。答えはない。問いがあるのみである。
 「現実には戦後の『民主主義』へのノスタルジアと20世紀の『社会主義』へのノスタルジアのカクテルにほかならない戦後的価値の保守だけでは、時代の根本的転換の開始に対応できない」し「対抗できない」のである。
 「新生事物」としてのオルタナティヴ構想も、それを担うべき主体についても明示的に語らず、その「価値構想」のみを総括として提出した著者の誠実さが、強く心に残る。
 あえて一言注文をつけるとすれば、本書がシリーズの第一作目であってほしいという期待である。本書に続き、20世紀の<社会主義>シリーズとして、是非とも義和団事件から始まる中国革命史と、江戸後期から始まる日本革命思想史の刊行を望みたい。「極東の一門人」には極東を舞台とした歴史=物語をこそ語らせたい。

−続く


<投稿>「神戸小学生殺人事件」 通説シナリオヘの疑問

戸田 清(長崎大学)


 私は元神戸市民ということもあって、「神戸小学生殺人『連続殺傷』事件」とはいったい何であるのかということが、ずっと気にかかっていた。『神戸小学生惨殺事件の真相』(神戸事件の真相を究明する会、1997年8月)を非常勤講師をしていた津田塾大学の学生自治会が送ってくれたのは、10月のことである。その直後に長崎大学生協書籍部で『続神戸小学生惨殺事件の真相』(1997年10月)を入手した。これらはA少年が犯人であるという通説への疑問点を体系的、実証的に明らかにした力作である。そして、『小倉タイムス』の瀬川負太郎社長の呼びかけで1998年2月22日に行われた現地調査(福岡などの市民有志による)に参加した。案内してくれたのは、「神戸事件と報道を考える会」などの人たちである。
 163センチのA少年が中学校正門の右側の塀(高さ198センチ)の上に淳君の切断した頭部を置いたというのは果たして本当だろうか。人間の頭部はけっこう重いので、小学校6年生の淳君の頭部は7キロくらいになるであろう。私(身長169センチ)も7キロよりずっと軽い鞄を置いてみたが、どうも流布されているシナリオは不自然に思えた。試みに肩車をしてもらうと、容易に置けるように感じた。脚立を使うよりも肩車のほうが簡便である。早朝だったとはいえ、学校の前の道路や、その前の10メートルくらいの高さの台地を走っている道路や住宅から見ている人がいるとすれば、丸見えである。ふつうなら見張りをおいてやるだろう。さらに合図など指揮をとる人がいたほうがよいかもしれない。A少年がひとりで置いたというよりも、3ないし4人の大人が置いたとみるほうが自然である。黒いブルーバードの目撃証言を蒸し返して再検討したほうがよいのではないか。「僕は、まず正門の右側の塀が目に入ったので、その塀の上にB君の首を置くことにしました。僕は、B君の頭部の首付近を両手で持って、背伸びをしながら、その塀の上にB君の首を置きました」(『文藝春秋』1998年3月号137頁)というA少年の検事調書の言葉には、自分の身長より35センチも高い塀の上に重い首を置く苦労が感じられない。
 タンク山のアンテナ基地は、97年11月に理由不明の改修工事が行われた。側溝の幅は場所によって違うが15〜18センチである。背骨(脊椎)のうち首の部分は頸推といい、すべてのほ乳類は7個の頚椎から成っている。頚椎と頚椎のあいだは、軟骨(椎間板)である。「素人」が首を切断しようとするときには、第5頚椎と第6頚椎のあいだの軟骨のところで切るのが容易である。ところが、淳君の場合は第2頚椎の椎体と椎弓(いずれも骨)の部分が鋭利に切ってあったと神戸大学医学部法医学教室の龍野嘉紹教授は証言している(『続神戸小学生惨殺事件の真相』神戸事件の真相を究明する会、1997年10月、10頁)。
 第2頸椎は正面から見ると顎のうしろに隠れており、切断するのが難しい。そのように切断するためには、遺体を仰向けにして、首を強くのけぞらせ、前から切ったと推測されるという。このように狭い側溝では、首を入れてそのような切断を行うことは不可能であろう。また切断面の鋭利さ、死斑や腐敗の状況などから見て、糸のこや金のこで切ったというよりも、むしろ凍結させて電動丸のこで切ったのではないか、とも指摘されている。「B君の首が溝の上付近に来るように置」いてコンクリ一トの地面の上で切断したという供述(『文藝春秋』123頁)は不自然であると言わざるをえない。私は現在は一応、社会学専攻であるが、かつて家畜解剖学教室にいたことがあるので、この「解剖学的な疑問点」はずっと気になっていたのである。
 そのあと私たちは、入角(いれずみ)の池のほとりに降りてみた。急坂が続き、所々に上り下りを容易にするためのロープが張ってある。1997年5月の事件当時に口ープが張ってあったかどうかは不明である。警察のリーク情報のなかに「入角の池」が出てきたのはようやく10月のことであり、検証しようがないからである。相当に急な坂を中学生が重い首を持って上り下りする(『文藝春秋』130頁)ことは、不可能とはいえないにしても相当大変であろう。また地元の年輩者でも「入角の池」という地名やその読み方を知らないという。
 学者・文化人やマスコミの対応もおかしい。神戸家庭裁判所が10月17日に下した医療少年院送致との決定要旨第4項目には、警察官が少年Aに嘘をついてだましたことは違法であるとして警察調書を証拠から排除し、にもかかわらず検事調書は採用したことが記されている。しかし10月18日の各紙社説は「警察官の犯罪」(浅野健一氏の表現)に何らコメントしていない。野口善國弁護士の「少年が警察官にだまされた、許せない、と訴えたので、大人なら当然無罪を主張して争うが、少年だから家裁の決定に同意した」という弁解も理解に苦しむ。また、社会学者宮台真司氏は淳君の頭部が発見された1997年5月27日から沈黙を守り、14歳の少年逮捕の報道がなされた6月28日から少年の犯行であるとの前提で(と読みとれる)コメントを出し始めたという(『透明な存在の不透明な悪意』宮台、春秋社、1997年)。権力の理論的研究で博士号を取得した社会学者が「犯人と容疑者の混同」という初歩的な誤りを犯しているのではないか。
 なお、「神戸事件の真相を究明する会」のメンバーのなかに革マル派の関係者が含まれていることをもってその問題提起の価値を否定する人がいるようだが、そのような議論には賛成できない。元共同通信記者の浅野健一氏(同志社大学)もホームぺージのなかで、「『神戸事件の真相を究明する会』などが提起してきた疑同点が解明されていない」と述べている(「少年『処分』をどう見るか」1997年10月23日)。少年事件の非公開原則は、国家が矛盾したリーク情報を垂れ流すことを決しで正当化しない。私は、疑問点に対する政府の説明責任(アカウンタビリティ)を求める立場から、「神戸事件と報道を考える会」の提言に賛同している。賛同者のなかには、甲斐道太郎、金時鐘、□岳章子、槌田□、早川和男、樋口健二の各氏など多数の良心的な知識人が入っている。少年Aが冤罪である可能性は、決して小さくない。
 (資料の問い合わせは、神戸事件の真相を究明する会TEL03-3232-9005、
FAX03-3232-9035/TEL・FAX06-370-0217、神戸事件と報道を考える会 TEL06-373-5151)




 海−続く 





−続く
 



 2
−続く




 ヨ−続く





 飯−続く

《状況風景論》 

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雑記帖 【 】

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