月刊『社会運動』 No.304 2005.7.15


目次

300号記念フォーラム・シンポジウム
 <新たな地域づくり>と「協同組合」の可能性 大嶋朝香‥‥2
 コーヒー1杯分の寄附で地球にやさしい未来を 高橋ゆみ子‥‥3
 輝くこどもの表情―谷戸の緑から水源まで 倉橋満知子‥‥8
 こころの病―ピアの輪をいたるところに 小田玲子‥‥10
 まちづくりは「小さなグループ」から 土谷雅美‥‥15
社会的企業の動き ヨーロッパ第三セクター討論会議に参加して 佐藤紘毅‥‥19
「社会的企業」研究会報告 障害者の就労と社会的企業 花田昌宣‥‥25
生活クラブ生協総代会2005 議案書にみる地域の生活クラブ上 編集部‥‥35
この一枚<ライト・ライブリーフッド賞25周年記念>‥‥38
2004「協同組合の旅」報告A 市民共通の道具としての「協同組合」 米倉克良‥‥39
カラシナ由来の抗菌性タンパク質をもつ複合耐病性イネをめぐって 倉形正則‥‥49
<ネットの動き> 神奈川ネットワーク・鎌倉、再び4議席に 仙田みどり‥‥55
<書評>東京白書U再生・市民まちづくり 深田祐子‥‥57
この論文・あの図書
 月刊『社会運動』の印象に残った3論文 芦沢宏生‥‥59
 生協での働き方を考える3点 境 毅‥‥60
 戦後社会と女性3点 渡辺晶子‥‥61
「遣唐使の里帰り」論に異議あり! 「井真成墓誌」問題の歴史喪失 室伏志畔‥‥63
<状況風景論> アジアの協同組織&食文明の二大潮流 柏井宏之‥‥67
雑記帖 米倉克良‥‥68


表紙からのメッセージ 写真家・桑原 史成
 日韓首脳会談が6月20日に韓国の大統領府・常春斎(ソウル)で開かれた。このたびの会談での主題は小泉首相の靖国神社への参拝問題であったようだ。小泉首相は靖国神社に参拝するとは発言していないが、容易に断念することはなかろう。
 この歴史的な夏の“遺産”で対応はA級戦犯7名の分祀あるいは新たな戦没者追悼施設の創設かという声は次第に大きくなっている。しかし竹島(独島)や尖閣列島の領有権の帰属をめぐる問題もある。さらには、中国と韓国をめぐる近現代史の教科書問題もつきつけられた問題である。表紙の写真を撮影した6月14日には台湾の人たちが、太平洋戦争に徴兵され戦死した霊(魂)の分離を求めて靖国神社にデモを行っている。日本がたどったアジアの国々への侵攻の歴史を、戦争を体験していない現代の私たちではあるが、真摯に過去の日本を振り返る責務があるのではなかろうか。


300号記念フォーラム・シンポジウム 新たな地域づくりと「協同組合」の可能性
【進行】大嶋 朝香(フォーラム・アソシエ)

【発言】土谷 雅美(生活クラブ東京)
    倉橋 満知子(鳩川・縄文の谷戸の会)
    小田 玲子(自主研究グループ・ラポール)
    高橋 ゆみ子(生活クラブ北海道)

 本年3月に月刊『社会運動』が、300号となったことを記念する事業の中で、最大のイベントは、この地域の現場の活動を交流するこのシンポジウムであった。各都県レベルの運動の紡ぎあわせはあると思うが、これを越えたグループ全体を視野においた交流は稀な機会であった。運動が、まさしく人が生きる現場に向き合うことによって起きる<言葉>は、シンポジウムの後で大きく反響を呼んだ。その記録を掲載する。(編集部)

<大嶋> 進行役の私から話を始めます。
 私は、2004年度の総代会で生活クラブ生協・神奈川の理事長を退いた後、「フォーラム・アソシエ」の運営委員長として、人々やアソシエーションが横につながり、ひろがることによってできる豊かな活動をつくるためのお手伝いをやっています。
 さて、私が住んでいるのは平塚市です。生活クラブの組合員リーダーをやっている何年間か、朝から晩まで、自分の住んでいる所にあまり関係なく活動をしていましたので、それが終わって、いよいよ平塚市のまちづくりに関わろう、まずは地域エネルギーについて考える会を立ち上げたいと思って、この人はと思う人に働きかけたのですが、大嶋朝香の話に乗ってくれる人は残念ながらいませんでした。私は忘れられた存在?顔がつながっていない、寝に帰っているだけの平塚だった、10年ぐらいの間に、人も市民活動も当たり前ですが、変わっていました。また一歩から平塚市での私のネットワークづくりを始めなければ、ということで仲間づくりをはじめています。1つは、子育て支援のワーカーズ・コレクティブのメンバーとなって、ワーカーになりました。それから、平塚市の総合計画策定の市民参加による委員会に入りました。もう一つ、それだけではつまらないと思ってシャンソンを歌う会にも入りました。ということで、地元にも根をはりつつ「フォーラム・アソシエ」の運営委員長をやっているというのが近況です。
 で、「フォーラム・アソシエ」の運動を説明するのが一番難しい。2004年度から本格的活動が始めましたが、生活クラブ生協・神奈川の組合員の認知度はゼロに等しい状況です。生活クラブ生協・神奈川が地域生協を5つ作ったということは、ご存じの方も多いと思います。組合員の参加・分権・自治をより進めるための組織改革を行い、決定権を身近に持ち、あらためて協同組合づくり、地域づくりに着手したということです。それには、一人一票制のより民主的な運営や一人ひとりが主役になる活動、運動を引き出すコーディネーター型のリーダーが必要です。また自発的な個人やグループのネットワークづくりと、多様なアソシエーションづくりを促進させ、市民が主体的に公共空間を広げるための場づくりや情報提供なども必要です。ということで、そういうことを応援するための機能を持つ組織として、生活クラブ生協から生み出されたのが「フォーラム・アソシエ」なのです。私たちは、生活をより豊かにし、コミュニティワークをひろげる道具としてワーカーズ・コレクティブ運動も展開していますが、私たちは、さらに重層的にボランタリーアソシエーションが多様に存在する社会でありたい。そういうふうに考えて、生活・文化を豊かにすることを目的に出会い、集う道具としての、「フォーラム・アソシエ」なんです。合言葉は「つながる、広がる、豊かになろう」です。現在42団体で構成されています。
 私は、アソシエーション訪問調査をしてみて、実際にお話を聞き、活動の一端に触れるということで解り合えることがどれだけお互いを元気にするかということを実感しています。それぞれのアソシエーションの活動は自立しているのですが、緩やかにネットワークし、さらにそこから広がるためには、お互いを知ることがとても大切です。私たちは、あれも知っているこれも知っていると言ったり、思ったりしていますが、結構本当の姿を知らないことがあるんですね。なかなか直接お互いを感じながら交流しあったりする場もないのです
 今日は、4つの個性的な活動を発表し理解を深めながら、アソシエーションの持つ可能性、アソシエーション社会へのイメージをひろげられたらと思っています。
 それでは、パネラーの皆さんの活動を発表していただきたいと思います。最初に、高橋ゆみ子さんにお願いしたいと思います。−続く


北海道発 コーヒー1杯分の寄附で地球にやさしい未来を
エネルギー政策への市民の対案
高橋ゆみ子


<高橋> 生活クラブ生協・北海道の理事をしている高橋です。私たちが1999年4月から始めたグリーン電気料金運動が、日本初の市民出資による風力発電所を生み出すに至った経過を、ご報告させていただきたいと思います。
 1986年4月に起きたチェルノブイリ原発事故は、8000kmも離れた日本にも死の灰を降らせて、生活クラブで取り組んでいた無農薬のお茶からも、セシウム137が274ベクレルも検出されました。この原発事故を契機に、日本の反原発運動は、原発立地の当地から、都市部とりわけ女性を中心した運動へ大きく広がっていきました。
 生活クラブ生協・北海道の先輩たちも、活発な活動に取り組み、反原発運動を繰り広げました。そして88年、89年に予定されていた、チェルノブイリ原発事故後世界初となる泊原発1号機運転開始の可否を問う、道民条例制定を求める直接請求運動が高まっていました。当時、生活クラブ生協・北海道の組合員は9000名でしたが、そのうち3300名が署名受任者となり、全道100万筆のうち実に17万筆もの署名を集めました。
 しかし、道議会の場で54対52のわずか2票差で否決されて、ついに、89年泊原発1号機、続いて2号機の営業運転が開始されました。
 この間私たちは、学習会とか集会、抗議行動などの運動を中心に、反原発運動を継続していきましたが、抵抗型の運動だけでは、日本の原子力発電に偏重したエネルギー政策を転換させるのは限界があることを認識せざるをえない。そういうジレンマに陥っていました。
 この中で新たな模索が始まり、96年10月、東北大学の長谷川公一教授の講演の中で紹介された、アメリカ・カリフォルニア州サクラメント電力公社による、ソーラーパイオニアのシステムがヒントとなって、グリーンファンド構想が生まれました。
 このグリーンファンド構想には柱が2つあります。1つ目の柱は、グリーン電気料金制度といって、月々の電気料金に5%を加えた額を支払い、その5%を自然エネルギー普及のための基金にするというものです。2つ目の柱は、その5%のグリーンファンド分をプールし、自然エネルギーによる市民共同発電所を建設するというものです。
 99年4月、グリーンファンド構想を実現すべく、60名の組合員が名乗りを上げました。この60名を私たちは「グリーンパイオニア」と名づけて、夢への一歩を踏み出しています。
 グリーンファンドを5%にした理由は、環境保全に必要なコストを応分に負担し合う。つまり、電気エネルギーを使っている量に応じて負担するという考え方からです。
 この5%を拠出するために、私たちは組合員に、節電をしましょうと呼び掛けました。例えば40アンペアの契約を30アンペアに、60アンペアの契約を50アンペアに下げる。あるいは10〜15%といわれている電気製品の待機電力をカットするなどして、無駄な電気を使わないで環境への影響を軽くし、環境保全にも貢献できるという取り組みです。
 それから、「あなたもちょっとだけ節電し、節約したわずかな電気料金を、自然エネルギー普及のための基金に寄附しませんか」と「コーヒー1杯分の寄附で地球にやさしい未来をつくりませんか」という2つのキャッチフレーズで、組合員に「あなたもグリーンパイオニアに!」という呼び掛けをしていきました。−続く


神奈川発 輝くこどもの表情 ―谷戸の緑から水源まで
倉橋満知子

 
<倉橋> こんにちは。私も生活クラブは結構長くて、ネット、ワーカーズ・コレクティブにも参加してきました。これからお話しすることは、神奈川ネットをやっている時に、自分の家の周りの環境に非常に疑問を感じて始めたのがきっかけです。
 といいますのは、15年前に引っ越してきた家の前に鳩川という小さな川があって、これが都市廃水路でドブ川でした。しかし、周りに緑が残っていて、非常にのどかというか、豊かな環境が残っていました。この川の改修工事が始まると聞き、そうすると緑が全くなくなってしまう。すでに工事が終わった所など見ると、全くコンクリートで覆われていて緑が何もない、水が流れる川だけでした。私はそのことに非常に疑問を感じて、土手のあるような自然護岸の改修できないかと思って、10名ほどの仲間と活動を始めました。当時はまだバブルの絶頂期で、開発、開発の時代でした。私たち一主婦が公共工事に物申すなどということ自体、非常に不安でした。しかし、手探りのなかで、いい川造りをしているという話を聞けば、そこに見に行ったり、周りにどれだけの自然が残っているかと調査をしながら、フォーラムを開いたり、市や県に訴えたりしてきました。
 結果的には、周辺の緑は500mほどの範囲しか残りませんでした。ただ、もしかしたらそこも無くなっていた可能性がありますので、それだけでも良かったかと思っています。
 さらに県のほうにお願いして、すでに改修工事が終わった河川残地に、河畔林として植林させてもらうことにしました。しかし、植林するのは簡単なのですが、その後の管理が大変なのですね。苗がまだ小さくて日がよく当たりませんから、木より雑草のほうが勢いがいいわけです。そこは、長さが70mくらい、幅も5mほどしかない、本当に狭い場所なのですが、植林の時は、近所の人や仲間を含めて150名ぐらいの人たちに参加してもらってやりました。植えたのはいいけれども、草取りなど非常に過酷な労働が待っていて、参加してくれる人が少しずつ減っていきました。けれども、植えた木がだんだん大きくなってくると、今度は雑草が木の陰になって生え方が少なくなるので、作業が楽になって少しの人数でもできるようになってきました。
 そういう植林作業をしているうちに、さきほど500mほど河畔林が残ったとお話ししましたが、そこは相模原市の縄文遺跡という公園予定地になっている場所で、その中に休耕田がありました。地主さんが続けられなくなり放置してしまって、谷戸田の形態をしているので、私たちは何とか復元してみたいというか、そこはもともと田んぼをやっていたところで、生き物たちにとってもいい。そういう場所を子どもたちに残しておきたいと思いました。
 そこで、地主さんにお願いしてお借りして田んぼを始めました。といっても、20名ほどの仲間のうちだれ一人田んぼをやったことがない。主婦ばかりですから、どうやって田んぼを起こすのか、苗を育てるのか、全く知らないんですね。私たちは夢中でしたから、地主さんや農家の方に聞いたり、いろいろな方に助けてもらって、ひととおり苗を植えることができました。
 その田んぼは、もち米を植えたのですが、とっても豊作でした。いわゆる1反の半分の5畝の田んぼで、もち米が300kg穫れました。もちろん無農薬の有機栽培です。ものが穫れるとやっぱりみんなとっても嬉しくて、じゃあ来年もやりましょうということで、7年間毎年やっています。田んぼも少し広げて1反・300坪になっていますし、周辺に畑もあります。そして、そこは里山になっていますので、森の手入れなどいろいろやっていますけれども、市内の方たちが30名ぐらい、家族を入れると50名ぐらいが、寄ってたかって1反の田んぼをやっています。普通は1人でやるんですけどね。(笑)
 家族連れできますし、とてもアットホームなやり方をしていて、みんな生き生きとしています。谷戸田は湧水を利用してやっていますので、トンボだけでなくてホタルとかいろいろな生き物がたくさんいます。泥の感触とか、そこにいる生き物たちに直接触れて、子どもたちの表情がとても輝くんですね。私たちは見ていてもとても楽しいです。
 川の関連でお話したいと思います。私の家の前に流れている鳩川の行き先は相模川です。相模川は飲み水・水道水になります.当時は先ほど言いましたようにとても汚れていました。それを毎日見ているととても恐ろしくて、水道水を飲めないと思うのですが、だれ一人、それをきれいにしようというようなことは全くないわけです。−続く



静岡発 こころの病 ―ピアの輪をいたるところに
小田玲子


<小田> こんにちは。今年はいつもの年より30倍ぐらい花粉が多いという話ですけれども、花粉症で病院に通ったという方、いらっしゃいますか。あ、そんなにいらっしゃいませんね。やっぱり、生活クラブでいいものを食べていると、花粉症にかからないのかもしれませんね。(笑)
 じゃ、今まで精神科に通ったことがある方、いらっしゃいますか。挙手するのはちょっと憚られるかもしれませんけれども…精神科と言うと精神病だと思っている方が多いと思います。でも実は、精神科に通う方の中で精神病の方は、ほんの1割程度にしか過ぎません。ほとんどが神経症ということで通っているんです。
 今日は精神科に通っている人々の実態というのを、皆さんに知って頂きたいと思います。
 最初に、「アディクションの氷山」というのがあります。アディクションというのは嗜癖や依存症とも言われています。一番代表的なのはアルコール依存症です。酒は適度に飲んでいれば百薬の長と呼ばれますが、飲みっぱなしになると、家で暴力を振るったり糖尿病になったり最終的に肝臓ガンなどで亡くなったりします。
 アルコール依存症は病気です。アルコール依存症が自助グループの元祖になっています。
 買物依存は、使わないのに高いブランドのバッグを買って、すぐに売りに行くような方。買っている…という行動自体に快感を感じて止められなくなる…行動嗜僻です。
 ギャンブル依存は、パチンコや競馬、競艇などの為にサラ金で借金して、自己破産しても止められない人、特にパチンコは最近女性が増えてきたそうです。
 ワーカホリック、この中にたくさんいらっしゃると思いますが、これも依存症なんですね。家に帰りたくない、子どもの顔を見たくない。生活クラブの皆さんは働き者と言えば聞こえは良いのですが…働き過ぎに気をつけましょう。(笑)
 タバコ、これも肺ガンの基と言われていますね。チェーンスモーカーでなければ、そうでもないのかもしれませんが…最近では禁煙の場所もとても多くなりました。
 ドラッグ、覚醒剤・大麻はむろんの事、近頃合法ドラッグなど言う規制対象外のモノが、子どもたちの手に簡単に入り遊び感覚で飲んでしまう。これは覚醒剤より怖くて、1回使用しただけで脳を破壊した例もあるそうです。皆さんお子さんと話をしてみてください。
 セックス依存は女性が被害を受けるケース。幼女や少女をさらったりとか、物騒なニュースが流れていますね。2〜3日前のニュースで、性犯罪の再犯率は4分の1で、4人に1人が刑務所を出てから又事件を犯すそうです。逆に少女達の性を売る側も低年齢化が進んでいます。これは買う側の大人の男性のモラルも大いに問われる問題だと思います。
 誰でも心の中にストレスを抱えています。自己の現実と向き合ってしまうと、自己嫌悪や理想と現実のギャップなどが見えてしまい鬱々とした気分にならざるを得ません。誰も好んでこんな気分になりたくないので、アディクションにはまって見ない様にしています。氷山は海の上に出ている部分より海面下の部分が何倍も大きいです。海面すれすれから下が鬱に入るラインです。深く大きな根の部分の一番下に本当の自分がいます。
 『神経症・鬱状態』は短時間で治る病気ではありません。原因は、「自分がなぜ鬱になったのだろう」と考え、『同じ経験を持つと感じる人同士安全な場』で話をしていくと、だんだん見えてきます。自分が生まれた家庭から得たトラウマとか、成長の途上でいじめに遭ったりした傷つき体験とか、現在の職場でのストレス、こんな仕事はやりたくないのにとか、あいつが上司じゃ嫌だとか、いろいろあります。
 「アディクションの氷山」の鬱の中に隠れた問題を一つ一つ解いて行く事で一番下にある本当の自分と出会う事ができます。
 私は精神障害者2級です。私はずっと児童虐待を受けて育った大人で、『PTSD・神経症・鬱状態』がもう7年間続いています。私は平成6年と7年は生活クラブの連合消費委員で、新宿に毎月通っていました。あそこに「本の花束」の候補になる本がありますけれども、そこで出合ったのがグロリア・スタイネムが書いた『ほんとうの自分を求めて―自尊心と愛の革命―』(“REVOLUTION FROM WITHIN”道下匡子訳、中央公論新社刊)でした。
 私はこれを読んで、今の私は本当の私ではない。私は虐待を受けている息子を守る事もできなかった。夫や母に簡単便利に使われるだけで、『私』という人間性も認められていない。人の為に生きるのではなく自分の人生を生きる私を探したいという思いから生活を180゜転換しました。
 次の表は正常な人から精神病の人までの流れを著しています。表の中で「症」が付くのは全部薬で改善、つまりある程度治ります。一番左の躁鬱病が精神病で、統合失調症というのは、以前は精神分裂病と言われていましたが、今は100人に1人のありふれた病気です。統合失調症はだいたい8割が薬をずっと飲み続けていれば、普通の生活が可能です。ただ、発症するのが少年から青年に変わりかけてくる、中学生とか高校生ぐらいの時に急性でバッと出て、そこで薬を飲んでいくのですけれども、最初不登校とか家庭内暴力の形で出る事もあります。−続く


東京発 まちづくりは、「小さなグループ」から
土谷雅美


<土谷> 私個人の経験を通して体験してきたことを、多摩南そして東京の生活クラブ生協の実践例として、お話しさせていただきます。
 私は、1991年に生活クラブに加入しました。結婚を機に北海道から東京・町田市に移り住んで、子どもが生まれて友達も出来始めた頃でした。
 当時、私は戸別配送でしたが、冷凍品、野菜も無いという状況で、同じアパートの人に「グループをつくりませんか」と持ちかけました。「興味ない」と即答されましたが、半年程経つと、毎週毎週私の家に品物を届くのを見ていたためか「やってみようか」と声が掛かりました。当時、子育てで知り合った近所の友達などを仲間に班をつくりました。多い時は16〜17人となり、私の家は、今で言う「子育て広場」と化しました。同じ頃にみんなのところに2人目の子どもが生まれました。私はその頃子宝の神と呼ばれていたのですが(笑)、2人目がなかなか生まれないと言っていた人も、土谷さんのおなかをさすっていると子どもが出来ると。(笑)そうすると、上の子どもを病院に連れていきたいとか、買い物にちょっと行きたいとか、「エッコロ共済」制度フル稼働で、子育ての中で班を続けたという状況があります。
 本題ですが、生活クラブ・東京は4つのブロック単協があります。多摩南はその1つで、八王子、日野、多摩、稲城、町田、三鷹、府中、調布、狛江の9つの行政から成っています。ブロックを単協化して10年が経ちました。4年前には組織改革を行い、18支部あったのを、9つの「まち」に再編しました。
 この時に大きく変えたことは、組織の中の最小単位を班から個人にしたことです。
 例えば、班で話し合って、班長会や地区会に持ち寄って支部でまとめる。それから、年に1回の支部大会は班で1票の議決権を持つ。戸別配送も何人かのグループをつくって、そのグループで1票の議決権を持つ。しかし、班長や支部委員は順番という場合が多く、「ねばならない」という悪魔のルールが出来上がってしまいました。(笑)次に支部委員が回ってくる時は班を解散するとか、班長になるくらいなら脱退する、と言い出す始末でした。
 そこで、最小単位は、班ではなく個人としたわけです。今までの組織のしくみは、情報が速やかに確実に組合員に伝わる、という利点がありますので、個人の意思による運営というのは、とても勇気の要る決断だったと思います。実際に、やっていることが見えなくなったとか分からなくなった等の声が聴かれたりしました。
 しかし、配送としての班は残っていますから、人が集まることを大事にし、個人の発信による仲間づくりを始めました。それが地域でのコミュニティづくりです。私はその時町田の委員でしたので、町田の例でお話しさせていただきます。
 ブロックからは、今までの地区割りのようなものをイメージして、コミュニティづくりが提案されましたが、グル−プ登録をしていた実績などから、テーマを持ったコミュニティづくりを呼び掛けました。また、3支部あったのを1つの「まち」とすることで今までの班や地区を基盤にしながらも住所にあまり関係なくコミュニティづくりをすすめてきました。
 コミュニティは、「まち」に登録して、町田の場合、上限年間2万円の予算補助を行います。テーマはさまざまで、お料理とか子育とか手芸とか体操とかコーラスもあります。ちなみに、私は「手話ダンスサークル」というコミュニティをつくりました。
 いろいろなテーマで30ぐらいのコミュニティをつくりましたが、大事なことは、私たち「まち」の委員は、組合員に、こういう理由でコミュニティをつくりましょう、とだけ呼び掛け、テーマとかどんな人が集まるとか、そういうことは組合員主導だということです。それで30のコミュニティが出来たのは、広報などアピールがうまく行った時は人が集まるということであり、今まであまり知らなかった人たちが見えてきました。きっかけは何であれ、新たな人の広がりは共同購入を通して運動を広げるということに確実に繋がっていると実感しています。
 今では、そのコミュニティが行政も巻き込んで地域の課題を解決しよう、という動きも見えてきています。
 町田には現在4600人という組合員がいますから、コミュニティの数はまだまだ少ないと言えます。今後これを広げていく。そして、仲間が連帯して「まち」を支えていく力になっていくことが、これからの課題だと思っています。
 ブロックの運営でも同じようなことが言えます。単年度ごとに活動方針を立て、それを遂行していく委員会を立ち上げますが、具体的な活動にはチームをつくって人を募っています。委員会はちょっとハードルが高いと思っても、チームは、興味があれば参加できるという強みがあります。
 今年2004年度は、「石けんでナチュラルライフチーム」「消費材とことんチーム」「消費材早わかりチーム」「エッコロたすけあいチーム」「子ども参加のまちづくりチーム」「食の安全推進チーム」「3R推進チーム」「農あるまちづくりチーム」「広報作業チーム」「ホームページ作成チーム」などさまざまなチームが出来て、皆さん集まって活動しています。
 組織改革をして4年経った今、チームはその役目を終えたというものもあり、現在、2005年度に向けて整理をしているところです。その中の「エッコロたすけあいチーム」をご紹介したいと思います。−続く



社会的企業の動き EMES・ISTR主催 ヨーロッパ第三セクター討論会議に参加して
佐藤 紘毅(市民セクター政策機構主任研究員)

 協同組合運動の改革をめざして進めてきた「社会的経済」への取り組みは、昨年、4月のモンブラン会議への参加を契機として大きく飛躍した。一つは、世界的なレベルで、非営利要素と協同組合的要素を結びつけた「社会的企業」が共通のキーとなってきたこと、二つは、日本での現場、研究者のヨコの連携が進んだことである。本報告は、ヨーロッパレベルで、盛んに開催されるようになった、会議の一つであるが、各国の状況を比較・鳥瞰する上では、出色の会議であったようだ。(編集部)

会議概要
 去る4月27〜29日、パリ市内において、EMES・ISTR共催による「第1回ヨーロッパ“第三セクター”討論会議」が開催された(注@)。開催趣旨は、全ヨーロッパにおいてこの分野で研究に従事する人々にたいして、各国の異なる歴史的経緯をこえて学際的に自由な討論をおこし、拡大ヨーロッパ市民の生活、ボランティア、アソシエイション、共済組織、社会的経済、連帯を基礎とする経済、などの現在と未来について意見を交換し、公と私の狭間の領域での複雑至難な活動について議論する場を提供する、というものである。
 主催者は二団体で、一方の<ISTR>=「国際NPO・NGO学会」(注A)は、アメリカ合衆国ボルティモア市にあるジョンズ・ホプキンス大学内に本部を置いて1992年に設立され、世界のあらゆる地域を対象に、市民社会、フィランソロピー、NPOセクターなどの分野での調査および教育活動を推進する国際団体であり、多くの国に研究者を中心に会員を有している。他方の<EMES>=「エメス調査ネットワーク」(注B)は、EUの研究プロジェクト「ヨーロッパにおける社会的企業の抬頭」を出発点にして形成された研究グループから構成される大学研究機関等のネットワーク組織であり、社会的・連帯的経済、社会的企業、第三セクター等の調査研究・教育・出版活動を目的としている。
 会議は3日間にわたっておこなわれ、第一日目の午後が全体会議、第二日目は、終日、七つの部会に分かれての報告・討論会議、最終日の午前中も七つの分科会での報告と討論が展開された後、全体会議がもたれた(注C)。会議参加者は260余名であったが、3日間を通して報告が130本あまりにのぼったことを考えれば、過半数の参加者が報告者であったことがわかる(注D)。会議のどの部会も分科会も各報告をめぐって活発な討論が展開されたことからすれば、「会議」というよりもむしろ関係研究者の報告討論集会であった。
 会議は「ヨーロッパ会議」であることから英語およびフランス語のみで展開され、大部分の報告要旨は事前に配布されたが、主要報告は口頭のみで文字化されていないため語学力に乏しい筆者は配布された文書と時として聞き取れるわずかな文言を頼りに討論の流れを追うにとどまった。会議の正確な全体像については、後日、議事録等が発表された際に稿をあらためることとし、印象に残ったいくつかの点について記し報告に代えたい。−続く



「社会的企業」研究会報告 障害者の就労と社会的企業―共同連と共働事業所運動に寄せて―
熊本学園大学社会福祉学部教授 花田 昌宣

 「社会的企業」研究会がはじまった。4月には、「EUのソーシャルエンタープライズを鳥瞰する」と題して、石塚秀雄氏(非営利・協同組合研究所)が、5月には、4月末のパリでのEMES・ISTRの研究集会の報告を山口浩平氏(生協総合研究所)がおこなった。今回は5月28日の研究会(連合総合生活開発研究所にて)で日本の社会的包摂をすすめる「障害者就労と社会的企業」を実践的な立場から論じた花田昌宣氏の話を掲載する。(編集部)

はじめに
 私は、日本にも社会的企業がいろいろな形態で存在しうると考えています。これからご紹介する共働事業所運動が、まさしく社会的企業に値するということを改めて検討してみましたので、そのことをお話ししたいと思っています。

 私の専門は経済学です。1985年から10年ほどフランスにおりまして、パリのレギュラシオン理論の研究グループにいて研究してきました。その中で、社会的セクターとか社会的企業に関しては、リピエッツなどがすこし論じておりましたが、あまり議論になることはありませんでした。ただ、経済学にとって「社会」とは何だろう、とりわけ社会的企業にかかわるところというのは何なのか、考える必要はあると思っていました。
 ここにご参加の方はご存知かと思いますが、1970年代の初めにフランスの東部、ブザンソンという地方都市にある時計工場LIPで激しい労働争議が起き、それが自主管理運動の一つの形として日本に紹介されました。実は、その時に問われたのは、国家と市場の狭間に何がありうるかということでした。
 実際にはLIPの争議は倒産企業の争議で、実態的には、工場を占拠し、生産現場を押さえ、在庫も押さえて販売していくという、日本の戦後に起きた生産管理闘争と同様の性格をもっていました。そこに自主管理など様々な意味合いが付与され、しかも全国的な闘争になっていきましたが、結局、国家の介入によって敗北したというか、終わっていくわけです。
 争議終結後、LIPはなくなりますが、その後生産協同組合という形で残りました。私が1985年にインタビューをした時には、ぼう大な敷地を使って20人ぐらいの人たちが細々と活動をしており、軍需部品の下請け工場となっていました(笑)。本人たちも、こうやって生き残らなくてはと自嘲的に言っていましたが、社会闘争の典型みたいに言われたのに何をしているのかな、という意識がありました。
 本日のテーマとの関連で言いますと、フランスという国は、国家と市場の中間にほとんど何もないというイメージの国で、そのなかで市民社会を議論するのは不思議だと思いますが、国家と市場の狭間に何がありうるのか、ということが気になっています。これがわたしが社会的経済を論じるときの出発点の一つです。−続く



<05総代会特集> 議案書にみる地域の生活クラブ(上)

 5月末に各地域の単協総代会が開催されました。「自から考え、自ら行動する」基本は、同じでも、置かれた地域の条件、そしして、歴史や規模によって、その展開は多軸・重層的な展開であり、極めて個性的であると思えます。これをどのように共有化していくのかということも課題です。編集部としては、議案書を<切り口>とし、編集サイドの目と責任で、注目点を選びました。そのため、全体を表現するものでもなく、また各単協の優先度や議論とは異なるかもしれません。なお、東京、神奈川のブロック単協は、割愛しました。また次号に首都圏4単協の方針抜粋を掲載させていただきます。<編集部>

<東京> 2000年から始まった第3次長期計画では、「私」発を基本としたネットワーク型組織運営への変革を行いました。2005年から始まる第4次長期計画では、目指したい新たな社会の方向性を「多様を認め合う共生の社会」とし、これを実現するためのキーワードを「サブシステンスとリカレント」としています。2005年度の基本方針では、日生協のリージョナル事業連合路線に対し、生活クラブの方向性は、「流通業としてスーパーと闘うことではなく、組合員と、組合員の生活フィールドである地域社会に依拠し、人と人との関係性という社会関係資本をつくり続け、生活と地域にとって必要な事業を行なっていくこと」としています。

<神奈川> 2005年度は生活クラブユニオンの第8次中期計画(2006〜2010年度)の策定年度です。方針の冒頭では、共同購入運動を「持続可能な社会を現実のものにしていくための生活用具」とし「参加する人をふやしていく」としています。また、「地域生活圏(親密圏)に根ざした運動と組織の発展は、クラブ(地域)のヨコのつながり(親密性)や参加の高まりにあります。」として、そのテーマを「コモンズ・デポー運営の自律と自主管理能力」をあげます。また、「不安社会」が進行する中、市民の共同により地域にもうひとつのセーフティネットを張りめぐらす、「市民によるコミュニティの再構築のための活動」として、生活支援のネットワークの具体化をあげています。

<埼玉> 埼玉は、第四次中期計画(2005から2009年度)を議論・決定したことが大きな事項です。計画案では、第三次中計の総括の後に「つなぐ」をキーワードとして議論、組合員アンケートも実行しました。計画の重点テーマは、4つありますが、注目されるのは、組織運営の改正に関わる事項です。『「おおぜいの私」を拡げる活動を推進し、「自分で考え、自分で行動する」個人の自発的参加を基本とした参加型民主主義運営を堅持します』と謳った項目は、従来の地区、支部、ブロックなどの「名称」を含めた改革をめざすものであり、大きな注目点です。配送形態の違いに関わりなく、組合員の主体的な活動が目的とされています。

<千葉> 「暮らしのあらゆる分野で進むグローバル化−対中国貿易額が対米額を上回った−そして、ついに人口減少社会に突入します。−失業者なかでもニート層の増加−こうした状況に日本は、国民は、生活クラブ生協は社会的な使命を果たしているでしょうか」「他人に委ねて不平を言うのではなく、自分たち自身が自分たちの問題を解決する「自己責任」社会を追究し」「時代を切り開く生活クラブの近未来像を描いていきたい」との「はじめに」の決意のもと、トピックスとしては、千葉県産米が05年度より連合会全体で取り組み、県生協連と共に千葉県「食品安全条例」制定活動、そして06年の千葉30周年の節目へと。更に10月より協石連の事務局を担うとしています(予定)。

<長野> 2004年秋に創設メンバーの百瀬理事長が亡くなり、2005年度、新体制で出発しています。2007年度から始まる中期計画(2007年〜2010年)の策定プロジェクトも開始されます。「ひとりでも多くの組合員の参加で、生活クラブ生協の価値と原則を確認しながら、組合員主権による持続可能な生活クラブ」が目指されています。

<北海道> 04年度を、2003年度に実行した、システム改革の検証の1年であったとする北海道です。そのため、05年度の方針も引き続き、生活クラブアイデンティティの確立、そして、独創的と評判の<わくわくまつり>も企画し、「地域としての北海道」を強く意識した方針が特徴です。

<茨城> 「みんなの力や元気がなくては、事業さえ危うくなります。そこには、もう戻りません。」10年の活動を振り返った森田理事長の「はじめに」の最後の文章です。第3次中期計画の最終年度として、「「主体」と「参加」を生みだす民主的な運営の試行錯誤」として組織運営課題に取り組む決意が議案書全体で語られています。

<山梨> 拡大計画では、加入の330名めざしていきます。脱退をおそれず、未利用者をへらしていこうという方針です。お休み組合員(実態のない組合員)を半分に減らしていく計画です。また、個人エリアを始めるときの条件として、センターから片道30分以内の地域に限定することにしました。

<岩手> 再・経営改革3年目、中期計画2年目として、自分たちの手で「自立できる岩手」の実現をめざしています。重点品目は米、牛乳、豆腐。特にJAいわて南との共同出資による「だいず工房」は岩手における共同購入の実践の場と位置づけ、豆腐の班取り組み率90%をめざしています。

<静岡> 仲間作りの集中月間とともに、06年度に豊橋センターを展望した浜松市での生活クラブづくりがポイントです。また、新たな自治組織づくりをめざして、支部・準備支部の基準変更をあげています。05年度に投資し、長期方針を策定、第4次の中計やその後の計画との関連も展望されています。

<愛知> 2005年度は第6次長期計画の2年目です。長期計画に基づく組織改革で、個人を基本とした新しい組織運営と活動が始まり、「全員一律参加」から「多様な参加の仕方の許容」へと変化するため、地域コミュニティ、テーマコミュニティの形成などを支援していくとしています。2005年度中に、豊橋エリア結成大会を予定しています。

<栃木> 設立時より念願であったセンター建設を臨時総代会を開いて実現しました。本年、第三次中期計画2年目の活動のポイントは、24ある「ちいき」を単位とした活動の開始です。キーワードは、「参加・分権・自治」といえます。班の良さを共有した仲間作りも連携がめざされています。

<青森> 主要品目の取り組みを強化するとしています。素性の明らかなパスチャライズド牛乳の優位性を前面に押し出して、拡大と利用結集をおしすすめるとしています。鶏卵の取り組みは、鶏の品種を「ワーレン」から国産鶏種「ごとうもみじ」に完全に切り替え、「種の自給」まで視野にいれた取り組みをすすめるとしています。

<福祉クラブ> 第4次5ヵ年計画をスタートさせる年です。世話焼きW.Co.、家事介護W.Co.の運動と事業の自立、他のW.Co.の自立支援、食事サービス、移動サービス、介護生活用品のブランチ、施設づくりなどの新たなW.Co.づくりと安心訪問サービス、市民の相談窓口をすすめる、としています。

<山形> 生活クラブとして出発して1年経過。日常的には「山形支部」(約2千名)「米沢支部」(約6千5百名)の活動ですが、両支部の共通理解が進みました。連合会との消費材共通化を進め、442品目の価格引き下げを実施、少しずつ定番消費材の利用が伸びた1年でした。今年度は5カ年計画の初年度としての共同購入政策を創り上げて行くとしています。

<群馬> 群馬は99年に生活クラブ連合会に1125人で加盟して6年。2005年度は1715人に拡大しています。今年度から始めた第3次中期計画では、生活クラブ群馬の安定した基盤をつくるため、3000人への拡大を目指しています。今年度から始まったパンの取り組みの定着をはかり、地場野菜の充実を目標に掲げています。



この一枚

「もうひとつのノーベル賞」として知られる「ライト・ライブリフッド賞」の25周年記念大会が、オーストリアのザルツブルクで6月8日から13日の六日間にわたって開催された。これまでに約110の個人または団体が、この賞を受賞しているが、生活クラブ連合会は1989年に受賞。今回の大会には、歴代受賞者のうちおよそ70人が参加し、生活クラブからは連合理事の和田裕子さんと奥田雅子さんが代表として参加した。ザルツブルク州政府の代表、地元の大学関係者、各種市民団体の関係者などを含め、総勢200名ほどが参加し、「オルタナティブを勝ち取る」をテーマに、活発な意見交換がなされた。

1989年10月にスウェーデンで開催された同賞の授賞式については、本誌293号の本欄で取り上げた。生活クラブの受賞理由については、そこに詳細にわたって書かれているのでご参照願いたいが、いわゆる先進工業国において「生産と消費の持続可能な関係性」を作り出したことが評価された。本会議には、地域に根ざした経済モデルを世界中のあらゆる国で模索する人々が集い、共通の問題である「グローバル化」にどう取り組むのか、それぞれの経験に基づいた意見が交わされた。
 


<2004「協同組合の旅」報告A>市民共通の道具としての「協同組合」〜越境する市民権とソーシャル・インクルージョン
米倉 克良 (「協同組合の旅」事務局)


 本誌301号で、生活クラブ連合会主催、市民セクター政策機構企画で、昨年、9月30日より10月10日まで、フランスのパリ、イタリアのボローニャの二つの国と都市をめぐり、連合会の加藤専務を団長、首都圏の生活クラブの専務など7名が参加した「2004協同組合の旅」の報告の前半を掲載しました。今回は、これに続き、議論の焦点である、社会的経済、連帯経済、そして社会的企業論について触れています。(編集部

<301号掲載の主な内容>
T EU統合とヨーロッパ生協の現状
 (1)グローバル化の中の生協
 (2)生協の構造改革と価値
 (3)EUの統合と国際会計基準
(4)EUと統一した協同組合「定款・法」をめぐる多軸・重層
(以上301号)

U 協同組合の価値とソーシャル・インクルージョン
 2001年の秋に行われた「協同組合の旅」(2002)においても、すでに、障がい者の就労のための社会的協同組合や女性の移民のための協同組合など、インクルージョンの現場を視察してきています。
 今回の旅の中では、EUの進行とともに進む、インクルージョン施策が特徴的です。

(1)住宅政策とSCIC

 フランスの公益的協同組合 *3 la Soci■t■ coop■rative d'int■r■t collectif(Scic)、アビタソリデエレSCIC HABITATS SOLIDAIRESは、居住問題のインクルージョンを課題としています。2001年に、公的住居を無断使用している人達に対応する組織、賃貸しのための組織、ホームレスを支援する組織、そして移民の人たちへの組織という、4つのアソシエーションによってつくられました。
 事務局長のスキャラク(Dominiq SCHALCK)さんは、この組織の今進行中の4つのプロジェクトを説明します。
 「ひとつのプロジェクトは、パリのゴビニ市で、社会的に困難を抱えた女性を支援するプロジェクトです。シスターがやっているが、受け入れセンターの建物は、こちらで造るが、管理はそのグループに任せようと考えています。土地があるので、20名程度の託児所と住居を作ろうと考えています。来年開館します。SCICは、協同組合と違い、不動産を集団で買うことができる企業形態です。それで、不動産をゴビニ市から安く買い入れたのです。
 二つ目は、イブリー市というパリの郊外にあるまちで、二つの建物を入手して、11の福祉住宅をつくるプロジェクトです。管理は、アソシエーションです。これは、雇用を提供することによって、インクルージョンをはかろうとするものです。管理は、そこに任せ、私たちが住居の改造計画を進めるというものです。改造の工事を行うのは、社会的に困難を抱えた人たちを抱えた、社会連帯企業です。
 三つ目は、共同家主のアパートに関係するものです。フランスでは、このアパルトマン形式が多いのですが。建物そのものの改造が必要になっているのに、経済的な困難によって、共同家主会が潰れそうなケースがあり、ボロボロになっても直さないという場合があります。空間的にも居住としても、ひどくなるので、建物を私たちが、買い上げて改造し、まともな生活ができるようにするというプロジェクトです。この場合、家主会が立ち直るのであれば、もとの買った値段で売ることにしています。」−続く




「カラシナ由来の抗菌性タンパク質をもつ複合耐病性イネ」を巡って 基礎研究よりも応用化を優先、GMイネの田植え強行
市民セクター政策機構 倉形 正則


 新潟県上越市にある独立行政法人北陸研究センター(農業技術研究機構・中央農業総合研究センター所属)は、遺伝子組み換え(GM)イネの屋外実験を進めています。開発側は可食部では発現しない、イネとカラシナ由来の遺伝子しか使っていない、農薬を減らす組み換えである、等々の「画期的」GM作物であることを強調しています。このGMイネを通して今日のGM作物実験栽培の問題点を整理して見たいと思います。

●田植え真っ最中の上越地域でGM田植え
 「田んぼに入ればこっちの方が馴れている。今日の所は実力阻止はしないが‥」5月31日のGMイネの田植え強行に北陸研究センターに駆けつけた地元農家の怒りの声です。
 実験反対の声が数多く上がっているにもかかわらず5月31日に、0.6アールの屋外圃場で田植えが強行されました。当日は朝8時前から地元の農家や生協の組合員、国会・地方議会の各議員達も次々に駆け付け、8時半頃には100名ほどの怒れる人々によって反対集会がもたれました。
 このGMイネに関しては4月29日に北陸研究センターで「説明会」が行われ、5月24日には、参議院会館内での院内集会がもたれました。いずれもわずかな時間で、実験に懸念を表明する人々の疑問と意見ははぐらかされたままで終わっています。研究センター側は、屋外実験を実行するには地元の十分な理解を得る旨を表明していました。ところが農水省、環境省の屋外実験許可が5月25日に下りた途端に、31日の朝に実行したわけです。

●「地元の合意」の大嘘
 当日は、抗議する人々の輪に研究センターに隣接する農家の方も参加されていました。研究センターでは、実験場と境を接する15軒の農家の方には承認を得ているとこれまで言ってきましたが、その農家は自分は合意した覚えはないし、直接の説明すらないということです。
 既に本誌でも報じられているように周辺の多くの農家や、県内のJAからも反対の声が表明され、県内の新潟総合生協や新潟市民生協、そして地元と深い提携関係にある首都圏の生協からも実験中止の決議が寄せられています。研究センターは何を持って地元合意を得ていると言っているのでしょうか。

●遺伝子組み換え食品「安全性審査」のズサン
 遺伝子組み換え食品は。1996年に大規模な商業栽培が開始されてから、その後を追うように「安全審査」基準が作られてきました。
 日本でもモンサント社のGM作物が輸入される段階になって、GM食品の安全審査ガイドラインが作られました。当時は審査を受ける義務もなく、ガイドラインに法的強制力もありませんでした。その後、市民の運動を受けて法的拘束力のある安全審査基準が作られ、食品安全委員会基準として改めて設置されて今日に至っています。しかし、安全性基準は以下の問題を引きずったままです。
1.組み換え作物そのものの摂食試験、動物実験、慢性や遺伝毒性などの長期試験は免除されている。
2.姿・形の大きな変化、主要成分の変化(実際には、従来の同種の成分分布から外れていないか)が、チェックされているに過ぎない。
3.遺伝子レベルでも組み換えによって何が起こっているのか全容はチェックされていない。
 例えばモンサント社のRR大豆(40-3-2系統)の事例では、遺伝子組み換えによる非意図的効果、それも予期せぬ効果が連続しています。米国や日本における安全審査終了後に、モンサント社は「未知の断片が2カ所に存在する」と発表。ついで第三者の研究グループによってモンサント社が組み込んだ遺伝子断片の直後に未知の遺伝子断片が存在していると発表しました。モンサント社は、それに対してその断片はオープンリーディングフレームでない、つまり存在しても発現しない(タンパク質を作らない)と反論し、非意図的効果はない、としたのです。しかし、2002年には、まさにその未知断片由来の2次転写物(=mRNAメッセンジャー・リボ核酸)の存在が報告されました。
 明らかなったのは、“発覚・発見”がその時どきの検査技術水準に依拠し、“発見”されないと言うことが“存在しない”ということとイコールではないことです。―続く


<ネットの動き>鎌倉市会議員選挙報告 神奈川ネットワーク運動・鎌倉、再び4議席に
県議会議員 仙田みどり


●2期8年のローテーションを重ねて

 神奈川ネットワーク運動・鎌倉は、4月の市会議員選挙において、4人全員の当選を果たしました。4年前の選挙で定数が30人から28人に減った中、ネットは3人から4人への議席を増やしましたが、2年前の県議会議員選挙で私が県議に転進したため3議席となっていたところを、再び4議席に戻すことができました。鎌倉でネットが誕生して20年、2期8年のローテーションを重ねながら議席を増やし、今回5度目の選挙に成功しました。2期目の森川千鶴と三輪裕美子、新人の石川寿美、萩原栄枝で、総勢9人の市議を議会に送り出したことになります。
 こうしたネットの活動は、市民の政治参加、特に女性の参加を確実に広げてきたと自負しています。また、地盤・看板・カバンもない私が県議に当選したことは、女性が立候補しやすい条件作りに寄与したものと考えます。今回の市議選では10人の女性の立候補があり、10人とも当選しました。が、皮肉にも、女性の政治団体として先発したネットは、新たな女性勢力からに追われる立場となりました。女性候補10人中、新人は、民主党公認が2人、保守系から1人、無所属「つくる会」系が1人とネットの2人で6人です。その中で、ネットの新人が特に若いわけではなく、フレッシュさでのアピールは通じませんでした。むしろ、他の女性新人候補の4人は大変機動力があり、駅頭での露出度においてはネットが太刀打ちできないほどで、激しい選挙戦となりました。票数としては4年前に比べて、全体で2500票ほど減らしています。票を減らしたことを真摯に受け止め、4年間の活動の反省につなげています。県議選後のここ2年間、外に向けての地域活動が弱かったことは確かであり、2年後の県議選にむけ県議と連携して、話題性のある調査活動をしていこうという方針を確認しました。
 いずれにしても、女性候補が多数という情勢と選考が遅れ短期間の選挙活動という条件の中で、4人の当選を無事果たすことができたことは、評価に値すると思います。浮気性な有権者が一定割合いる限り、地道な活動だけでは飽きられがち、とはいえ、ネットの政治理念、政治姿勢を思えば、軽々にパフォーマンス的なことはできません。また、鎌倉市民、特に分譲地に住む新住民と言われる人々は、国の政治はともかく市議会には関心が薄く、マンション開発など地域の問題に関わって初めて市議の存在を知るという程度です。そうした地域はネットの支持率が高い一方、民主党の人気も高いのが特徴です。国会議員は民主党、地方議員はネットという構図であったものが、今回、民主党から女性の公認候補が出たことで選択肢が広がり、一部の支持者が民主党公認の市議に流れたとしても不思議ではありません。−続く


《書評》東京白書U 再生・市民まちづくり 東京自治研究センター編
まちづくり支援 東京ランポ 深田 祐子


 東京はどう再生すべきか…1990年代以降、建築などの規制緩和と共に政府が掲げてきた都市再生の政策・プロジェクトに対して「市民」「まちづくり」の視点から分析・提案を行う一冊。戦後の都市としての東京の変遷から始まり、都市構造、法令、制度、しくみ、主体の関係性などを人口の変動、環境、経済、防災、市民活動、NPOなど多角的な視点・切り口で事例を交えながら綴っている。
 「総論」「街」「市民」「都市再生」の4部8章から構成される本書は、1人が1章を執筆するスタイルをとっている。そのため、各章がひとつの論文として完結しており、個人の興味のある章だけ抜き出して読むことも可能だが、1冊の本でこれだけ多角的な視点で「東京」という都市を捉え、提案している本はめずらしい。また、「相互討論を行って執筆したわけではない」と前書きで断りがあるにもかかわらず、1冊の本として全体でひとつの流れができあがり、同一の方向性を持った提案に結びついている。ぜひ1冊まとめて読むことをお勧めしたい。
 さて、そんな執筆者同士の打ち合わせのない本の中に、違う章で同様のテーマ・キーワードが登場する場面が多いことは、本書の魅力のひとつだろう。例えば「NPO」と「公共性」という2つの言葉をめぐって6章では「NPO(ここでは特定非営利活動法人)の数は増えてきたが、そもそもNPO法(特定非営利活動促進法)は小さな組織が法人格を取得しやすくするためにつくられたものであり、活動に公共性があるかどうか、市民や自治体の信頼をおけるパートナーであるかどうかという見極めは別次元のものである」といった趣旨のことが述べられており、続く7章では「近年では『市民参加』にとどまらず、市民の自立を前提とした『市民自治』『市民的公共性』へと、その論点が発展的に展開してきており、単なる理論的な議論にとどまらない。」として、行政が独占してきた公共の限界を指摘した上で、市民も新しい公共の担い手となり得ること、さらには実際にそんなNPOも出現してきていることへと話が展開している。そして8章では社会学者ハーバーマスの考え方・言葉を借りながら新しい公共性と社会統治の概念を具体的な言葉で提議しており、前章で感じる「ではいったい市民も担うことのできる『公共性』とは何なのであろう?」という疑問に対するひとつの見解・答えとなっているといえる。これを討議もなく別々の執筆者が書いており、それがさらにうまい具合に6章→7章→8章と受け渡されていくのだから面白い。むしろこれは編集した東京自治研究センターの章立ての妙なのであろうか。
 現在日本ではちょうど公益法人制度改革が進められているところであるから、この2つのキーワードをめぐっての社会的な動きもある。そのことも念頭に置けば、今度は8章の考え方や7章の現場レベルでの市民の視点を受けて6章で饗庭氏が暗に指摘している「現在の日本でのNPOを含む諸団体(あるいは個人)の『活動』における『公共性』とはどのように定義すべきであり、またどのようにして見極めるべきなのか。その判断の基準と主体、方法はどのように制度化すればよいのか」をフィードバックして考えてみたくなる。また一方で制度的なものに限らず、市民も自ら見極める目を持ち、地域づくりに寄与する市民活動・NPOが地域の中で自然に育まれるような社会環境が整っていくことが望まれるということも、本書の提案する趣旨に沿ったものだろう。
 さてそんな本書の共通のテーマ・前提に「市民参加(あるいは参画)のまちづくり」があることはいうまでもないが、実はこの「市民」という言葉の定義も難しい。「参加するのは大事だが、いったい誰が市民なんだ」という話もよく話題になる。従来から自治体の現場レベルで頻繁に使われてきたのはその地域に住所を有するもの、つまり「住民」であるが、これは地権者にばかりその権利を認めて、周辺住民には提案や計画の作成への参加、異議申し立ての権利すらないという「地権者」主義の延長上にあるように思われる。7章で内海氏はこの「市民=住民」も「地方自治法に根拠を持つひとつの用法ではある」としながらも、「本稿が指す『市民』とはこのような市民像にはとどまらない」として、西尾氏の表現を要約する形で市民性という観点から7点の市民のイメージを指摘している。これは住民の範囲を超えた市民のイメージであるから、当然エリアに関しては一切触れていない。ところが一方で、実際の運用時点−例えば都市計画決定や条例などに係わる場合−エリアをまったく無視して誰でも参加してよいのかということが問題になるケースも当然あるだろう。どの範囲を「地域」とするのか、周辺も含めたそのエリア取りと共に、在勤・在学者や、自治体の範囲を超えた参加も可能とするのか、そのときの参加できる条件、人数、割合など議論すべき点は多いだろう。1章で指摘しているように、夜間人口に比べ昼間人口が極端に多い東京都の場合その重要度はさらに増す。誰を市民と位置づけるのか、エリアに関しては引き続き考えさせられる点が多い。
 エリアという言葉と類似・関連して「地域性」という言葉もある。最近の東京の都市や政府の掲げる都市再生の方針を見ると、どうにも画一的な計画や町並みのような気がしてならない。二宮氏も1章で「見過ごしてはならないのは、急激に都市改造を進めていくなかで東京の個性をかたちづくっていたいくつもの景観の喪失を伴ったことである。」としている。他の各氏も地域に根ざしたまちづくりやコミュニティづくり、さらにそれらをベースにした都市・地域の再生を訴えているのだから、ベースにある考えは同じだろう。
 どうすればその地域「らしい」都市の再生ができるのか。そもそも「再生」という言葉は、現在は失われてしまっている、かつて繁栄していたもの、豊かであったものを取り戻し、もう一度元気にすることのように思われてならない。すべてを壊して、まったく新しいケースを上からかぶせても「再生」ではないだろう。さらにかぶせるケースがどこの都市でも同じとなれば論外だ。長い年月・歴史のなかで培われてきたはずのコミュニティ・文化を取り戻すこと、そこから都市の再生・地域の再生・東京の再生が始まることを願ってやまない。そんなことを考えさせられる1冊である。

この論文・あの図書 月刊『社会運動』の印象に残った3論文
実践女子大学教授 芦沢 宏生


印象に残った三論文を掲示せよとのこと。

@ 『社会運動』298「新たな10年を考える」
河野 栄次 談

 文字どおり社会運動および生活クラブのイデオローグとして多忙の中をよく全体を見通しておられる、と思います。とりわけ、この論文は、世界状況、日本の流通業、生活クラブの実務〈たとえば、P11の図〉、食と“消費者”の関係、およびこれが重要ですが、生活クラブのめざす環境政策の社会性と普遍性について触れておられる。しかも、生活クラブの存在根拠を〈地域〉に置いておられる点が、我々にとって安心できる点であります。
 昨今の「NET」が、政治学者たちの危惧にもかかわらず、地域政党としての方向性を見失っているのではないか。地域の身近な問題関心やその解決に即応できない。組織、組織と言うばかりで、一人一人の能力が不足していて、官僚主義がはびこっているのではないか。この傾向が社会運動にも反映していないか、少々気になります。それは全体として言えることですが、生活クラブに口当たりのいい者を集めた、仲良しクラブならぬ仲間うちクラブになっていないか、以前、最高幹部のお一人にも伝えてありますが、生活クラブは「共産党的創価学会」もしくは「創価学会的共産党」になっているのではないか申し上げたことがありました。「信心と組織」人間では、はじめの理想やめざしたものとは齟齬を来たしているのではと思います。

A 『社会運動』165「55年体制の崩壊後の政治展望」
高畠 通敏 談

 政治展望と新保守主義について的確に述べておられる。尊敬される理論家を失って残念。政治学者として「代理人の政治理論」の必要性と、法理論と法哲学上の解かなくてはならない問題がある、と指摘されている。この問題もいまだ解明されていないのではないか。勉強不足かもしれないが、今後の検討を期待したい。

B 社会運動166「日本における新しい社会運動 その歴史と現状」
井汲卓一、岩根邦雄他

 4人の社会運動を熟知されている方々の対談は、岩根氏の「新しい社会運動の四半世紀」を中心とした議論、なかでも長期的世界回顧とオルタナティブへの志向が勉強になる。さいごの井汲氏の言もおもしろい。分権が「もしアナーキズムであるなら、それでもよろしいJと言われる柔軟な考えは今後の方向性に必要かもしれない。古沢氏の回顧もわかり易かった。ただ、レギュラシオンについては、精査しないと、異論が出てくるのではないか?と思った。さいごに、たしか佐藤氏とであったが、井汲氏をお呼びするときは、車ぐらい出したら」とはなしあったが、さっそく処置された佐藤氏に感謝したい。


生協での働き方を考える3点
京都エル・コープ協同組合運動研究会 境 毅


1)『社会運動』277号(2003年4月号)「個別配送の担い手・ワーカーズ轍−自立・連帯する『協同事業』の主体へ」後藤尚美/細谷正子
2)『社会運動』281号(2003年8月号)「イタリアのB型社会協同組合の意義」佐藤紘毅
3)『資本』崎山政毅著、岩波書店(2004年)
 『社会運動』300号おめでとうございます。『社会運動』誌掲載の論文は、協同組合運動研究会で取り上げたものだけでも相当数に上ります。特に印象に残っているのは「90年代生協運動の可能性」や「西暦2000年、協同組合を語る」といったシリーズ物です。生活クラブグループ及びそのシンクタンクの将来課題や文化の議論そのものがそれらでなされています。しかし今回は、私の独断と偏見で、上掲の二論文を選ばせてもらいました。
 ワーカーズ轍についての論文は、エル・コープの職員研修で使わせてもらいました。個配が事業高の半ば以上を占めるようになってきている最近の生協ですが、個配の配送の仕組みをどのように設計するかが、組合員主体の生協を目指すときに重要になってきます。外部の業者に委託するか、ワーカーズで担っていくか、パートでこなすか、色々選択肢がありますが、轍の試みは、業者に負けないだけの働き方で、ワーカーズとして成立させている事が分かり、非常に新鮮でした。
 次のB型社会協同組合について書かれた佐藤論文は、東京・生活クラブ運動グループ福祉協議会主催の、2004年イタリア研修ツアーにご一緒させてもらったことがきっかけで読ませてもらいました。高槻市で引きこもりの若者をサポートするNPO法人ニュースタート事務局関西の活動に参加していて、そこでの働き方をワーカーズ・コレクティブでと考えていた私にとって、イタリアの社会協同組合B型との出会いは、自分たちの活動のミッションを知る上で決定的でした。
 21世紀には、雇われて働くことに代わる「もうひとつの働き方」が広がっていくでしょうし、そして、地域ではお互いにケアしあって生活していくシステムの設計が問われてきます。これら二つの論文で、私たちは実践的な運動の到達点を窺い知ることが出来ます。
 最後の崎山氏の『資本』については昔の資本論研究会を思い出します。崎山氏は1961年生まれですが、80年代半ばに一緒に『資本論』の研究会をやりました。そのときに物神性と物象化との関連や、貨幣生成のメカニズムについて、新しい解釈が議論されました。
 私は今年の3月下旬に発売された『『モモ』と考える時間とお金の秘密』(書肆心水)で、これらの内容について、ファンタジーの形で述べましたが、昨年出版された崎山氏のこの本では、『資本論』に即して、述べられています。例えば、商品による物象化が、「商品所有者たちは、商品にあやつられて商品に自分たちの意志を『やどす』ととらえるべきだ、主体は人間ではなく物象の側にある」(33―34頁)というように、物象による人格の意志支配であることが解明されています。また、貨幣の生成についても無意識のうちでの本能的な共同行為によってであることが、明快に説かれています。その上で実践的な提起として「商品・貨幣・資本の物神性および物象化に対する批判を実践するためには、社会的に組織される『無意識的・本能的共同行為』を回避し、よりよい関係を形成していく社会的・文化的協働が必要だ」(141頁)と述べられています。商品とは何か、貨幣とは何か、といった問題は答えるのが難しいものですが、21世紀の協同組合運動や社会運動が踏まえるべき理論的課題が、この本で提起されています。一読をお薦めします。


戦後社会と女性3点
渡辺 晶子(読者)


『市民活動と市民型政党の可能性』 松下圭一/和田安希代(「社会運動」291号特別インタビュー 2004年6月)
 松下圭一さんはいつも社会の事象を適切な言葉でクリアに整理してきた。松下さんはこのインタビューでも、日本が農村型社会から都市型社会へ転換した時期に生まれるべくして生まれ、発展した生活クラブの運動をわかりやすく分析している。それまでの「運動型」でなく「生活型」として地域に根を持つ活動を評価し、「社会であれ政治であれラジカルに変える活力は〈地域〉での『市民参加型』の《市民活動》です。」という。「店舗型」でなく「サークル型」生協の生活クラブだからこそ、その中で「市民型の自己訓練」ができ、そこから「生活者ネット」や「ワーカーズコレクティブ」を生み出すことができた、と。
 「主婦の運動」として出発した生活クラブが「主婦」先細りの時代に、どう形を変えていくか、について松下さんは、それぞれの地域経験や就労経験を通して身に付けた専門性を生かす、という提言をしている。方法はたくさんありそうだ。

『若い記者たちへ 松井やよりの「遺言」』 有志記者の会編 (樹花舎 03年)
松井やよりさんは言うまでもなく朝日新聞の記者として、また一市民として、戦争、貧困、性差別…などを追い続けた女性である。定年退職後も「アジア女性資料センター」「戦争と女性への暴力・日本ネットワーク」などで精力的に活動してきたが、肝臓がんのため02年12月に68歳で惜しまれつつ亡くなった。このブックレットは死の2か月前に開かれた「若い記者たちに伝えたいこと」と題した講演の記録が中心となっている。自分に残されたわずかな時間を一瞬も無駄にしたくないと熱い思いを語る松井さんの「遺言」である。
 松井さんは61年に入社したが、社内でも「(女に)新聞記者務まるのかね」と露骨に言われる時代だった。以来、そのような視線をはね返そうと、社会部記者として、精力的に取材し、記事を書いてきた。牛乳のBHC汚染、石油タンパク問題、アジアへの公害輸出、買春観光問題、国際女性年、カンボジアの大量虐殺、熱帯雨林、そして従軍慰安婦、子供買春…など松井さんが記事にしたことで多くの人の知るところとなり、世論を大きく動かした問題も少なくない。松井さんは常に、差別され、傷つけられる人の立場で取材した。大きな力で差別し傷つけるものを憎んだ。彼女は「世の中を変えたい」という気持ちを支えにしてきたが、「別な言葉で言えば『怒り』って言うことじゃないかな」と語っている。松井さんが「買春」という言葉を作り、女性の性を買う男達の責任を追及するまで、性を売る女性の「売春」だけが問題とされていたのである。この転換は大きい。
 日本の女性史で松井さんの果たした役割は実に大きい。最後の力を注いだテーマの一つ「女性国際戦犯法廷」に関するNHKの対応のその後を、松井さんならどのように記事にするだろうか。

『「家族」と「幸福」の戦後史…郊外の夢と現実』三浦展 (講談社現代新書 99年)
 生活クラブが生まれて全盛期を迎えたその時代について分析するために、本著が役に立つ。
 日本では戦後生まれの団塊世代が都市に流入して就職、結婚・出産ブームとなる1970年頃、「消費社会」が成立する。「膨大な数の核家族が生まれ、彼らの住みかとして、郊外が拡大していった。家族は大量生産された。」「それまでの伝統的な地域社会から離脱して、核家族と言う不安定な存在となった戦後の家族をまとめ上げ、凝集させる役割を担ったのが消費なのだ。」と三浦さんは言う。戦後のアメリカが作り上げた新しい「家族」のイメージ(テレビのホームドラマでおなじみ)は「あきらかに冷戦時代のアメリカが生み出した、核兵器と並ぶイデオロギーの兵器」という指摘は鋭い。
 55年に日本住宅公団設立、61年配偶者控除制度、62年中学で女子家庭科・男子技術科スタート…と性別役割分担が強化される。郊外はさらに「仕事は都心、家庭は郊外と言う形で職住を分離する。」そして専業主婦が大量に生み出された。まさにそのような時代だからこそ、生活クラブの運動は生まれ、広がっていったのである。
 急激に大量に生み出された郊外型の家族はやがて様々なところで問題を露呈してくる。故郷喪失、共同性の欠如、均質性(逸脱の排除)、…三浦さんは近年の少年犯罪もこのような社会から生まれるという。家族、学校、郊外の崩壊は「戦後的な、高度経済成長的な、さらには近代的なパラダイムの完全な終焉を意味している。」
 一つの時代が終わる。団塊の世代が定年を迎えようとする今こそ、また家族が、社会が大きく変わる転換点といえるかもしれない。

「遣唐使の里帰り」論に異議あり!「井真成墓誌」問題の歴史喪失
越境の会 室伏 志畔


 昨年、中国の西北大学歴史博物館が発表した唐代の日本人・井真成の墓誌についての里帰り運動は、目をみはるものがある。すでに墓誌は五月十二日に朝日新聞や日中友好協会のはからいで日本に戻り、現在、愛知地球博で展示され、これから東京国立博物館、京都国立博物館、九州国立博物館を経て、年末には藤井寺市への着地が模索されているかに見える。
 何故、藤井寺市なのか。それはこぞって識者が井姓を中国姓一字名称とし、東野治之は「葛井」説を、鈴木靖民は「井上」説を、そして藤田友治は「白猪」説へと進めたが、「河内国志紀郡」(大阪府藤井寺市)の渡来人とする点で一致したことにある。そこで藤井寺市では「井真成市民研究会」が組織され、署名を集め中国に渡り、その墓誌の「里帰り」を要望した。これを受けて各地の大学や研究会は井真成を遣唐使とする立場から日中友好を兼ねて中国の学者を招いてシンポジウムをもち、朝日新聞を中心とするマスコミは、これを全面的に支援する報道をとっている。それは靖国神社問題でぎくしゃくする日中友好を、民間交流からカバーする一面をもっている。
 私は多くの市民が歴史に関心をもち、日中友好を進めることを大いに意義あることと思っているが、それは深く「歴史に学ぶ」ものでなければならない。しかし、あれよあれよのここに至る墓誌問題の進展は、日中友好と里帰りという市場価値に沿っての進展であっても、学門的には井姓を中国姓一字名称とし、それを和姓として考慮するものではなかった。私はこの偏重した流れを平衡を欠くものと考え、和姓の立場
から一言したい。

1.墓誌と井真成の読み
 しかし、その前に墓誌について少し触れておきたい。それは蓋に3字4行で12字、底に16字12行にわたり171字が図のように彫り込まれているが、9つの欠字をもつ。ところで現物の底字は見にくいため、写真は書家の保井晶華さんの模写である。
 その大意は、「姓は井で字は真成、国号は日本である。彼は才能があり、遠い国から唐に来たって、礼儀正しく、勉学に励んだが、734年の1月に36歳の若さで亡くなった。皇帝をそれを哀れみ「尚衣奉御」の位を贈った。2月4日に葬儀が行われた。参列者は悲しんだ。遺骨は異土に埋められるが、魂は故郷に帰るだろう」とある。
 この墓誌が注目されたのは、姓名の表示があり、日本の表記としては金石文としては最も古い用例であったこと、また彼が遣唐使として中国に渡り皇帝から無類の信用をかけられ、死しても魂は故郷に帰ると望郷の念が強く訴えていたことにあった。この望郷の想いを多くの人が汲み、里帰り運動が生まれる背景となった。
 井真成は中国姓とする立場から、「せいしんせい」、「いのまなり」、「せいまなり」の読みが横行しているが、音読みはともかく、和読みと和中折衷読みはどうかと思う。では和姓とする立場からそれはどう読むべきであろうか。和姓としての「井」の読みは姓氏辞典を引くと「い」、「いい」、「いず」、「いずつ」、「いのもと」がある。角川書店の『姓氏家系大辞典』によれば、その中で「いい」の読みが最も多く見える。そして井伊、伊井、飯井、井居、猪井の姓が「井」から派生したことが解る。それでは「真成」は「まなり」でいいのか。私は兼川晋の「まさなり」の読みが和姓にふさわしく思う。そこで私は「いいまさなり」を読みとして推奨したく
思う。−続く




《状況風景論》アジアの協同組織&食文明の二大潮流、歴史再発見のシナリオ
柏井 宏之

●アジアにおける非営利セクター
 東アジア経済共同体の論議が高まれば、当然この地域における市民社会が生み出す非営利・協同セクターの現状と展望が求められよう。日本協同組合学会の春季研究大会は、5月21日、「アジアの協同組合の現段階」と題して麻布大学で開かれ、中国における農村合作社、韓国の農協、東南アジア漁業、フィリピンのクレジットユニオンなどが議論され、それぞれに興味深かった。
 そこには戦前の植民地化のもとで形成された国家統制的側面を残している協同組合とその脱構築、また戦後の開発独裁のもとでの近代化政策の中での農村の二極化、さらには社会主義の農村集団化とその後の市場経済導入の中、流通・金融システムの未整備、グローバル経済の進展の中で模索される新しい協同の創出等が報告された。
 「中国における農村合作社の新展開」を論じた青柳斉氏(新潟大学農学部)は「都市に比べて社会経済的地位の著しく低い中国農村・農民の現状からすれば…『合作社法』の制定」が求められると。その場合、現行規定の「合作社=集団所有制経済」と党・政府の「指導性」の範囲が問題になり、「人治」風土の強い中国では、基層における「村民自治」の実質的拡大と、農民政策の反映機構の形成がキーと強調された。つまり、党や政府の干渉しない、農民の権利を自主的に代弁する社会団体(圧力団体)の登場が必要と。
 東南アジア漁業を論じた山尾政博氏(広島大学)は、沿岸零細漁民が漁業の持続的発展と住民参加型組織をコミュニティ中心に拡がってきているとし、その推進力には従来の協同組合は影響力がなく、住民のニーズに応える新しい漁民の協同の形が増えてきていると分析された。
 フィリピンのクレジットユニオンの話は1906年に遡り、戦前の弾圧と1960年の再興を記録するが、1月に訪韓した私には、韓国信用協同組合の1960年の創設に連動する同時代性を持った話として興味深く聞いた。
●動物文明と植物文明の対比
 食文化にはナイフとフォーク、箸、そして手づかみの3つがあると語り、種と農法をいかに将来の子孫に伝えるかを力説する河野栄次生活クラブ連合会会長が薦めてやまない本に『長江文明の探求』(新思索社)がある。梅原猛と安田喜憲の共著だが、今までの四大文明、エジプト・メソポタミア・黄河・インダスは動物文明で小麦(粟・稗)の畑作牧畜民の文明に対し、長江・縄文・マヤ・アンデスは植物文明だという。長江文明の発掘は従来の稲作発祥の歴史認識を変えるとともに黄河文明から中国文明を説明する歴史観を打ち壊した。気象の大変化によって南下した畑作牧畜民によって、長江の稲作漁労民はアジア各地に押し出されたとする説は、日本の単一民族説を解体し、市民の歴史学がこの間展開してきた日本の古代に南船北馬を読みとる論とも重なる。とくに動物文明は「力と闘争の文明」に対し、植物文明は「美と慈悲の文明」としてその価値観の違いを掘り起こす。地球温暖化など気象激変の予兆のなかで「循環型社会」が問われる現代、近代文明200年を越える着想はこの息の長い文明の変遷から、どのように生活と労働の転換を構想するかを問うている。
●十字軍対イスラム対決の中の奇跡
 8次にわたる十字軍派遣の中から憎悪の連鎖を解く史実として第三次十字軍前後のエルサレム王ボードワン一世とイスラムの指導者サラディンの「奇跡の協調時代」を取り上げた映画『キングダム・オブ・ヘブン』のウイリアム・モナハンの脚本を評価したい。この時代エルサレムでは全ての宗教、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は自由に開放されていた。こういう時代を数十年もつくった考え方の営為は現代こそ問われている。それをうち崩したのは狂信的な騎士団。平和と共存の敵は、内部にあるとする視点で今に至る時代を照らしている。



雑記帖 【米倉 克良】

 戦後60年を語るとき、「沖縄」を欠かせない。私事になるが、「沖縄復帰」をめぐって、当時高校生であったが、一日、クラス・全校討論を行った。今の「石原知事とその係累の首長」のもとでは考えられない。むろん、時差もからんだ「全共闘運動への神話」に引きずられたためか、討論は、上滑りのものであった。しかし、野球部のエースの「沖縄の子は、思い出の甲子園の土を途中で捨てさせられたんだよ」という発言は胸に残った。沖縄が「外国」であったのは遠い昔ではない。その条件は幾重にも捩れてきた。
 気鋭の評者道場親信によれば、ベトナム戦争時代沖縄は、「東アジアの冷戦体制」の集約点であり、「憲法と安保条約の制約から、直接戦地に出撃できない在日米軍は、沖縄の各地域を経由する」このため「『魔法』のように、憲法や条約の諸矛盾が解消してしまう」(「占領と平和」風土社)のであった。この歴史と構造の「再審」そして解決は、重いが私たちの課題だ。
 一方、それは文化の広がりとの接点を持ちたい。「アジアの中の日本学構築」をめざす飯田泰三法政大教授によれば、アジアの中で、日本の思想・文化を分析する方法として、文化の接触論とともに、もう一つ古層ないし文化成層を論じる方法があるという。これで分析すると、むろん「王の存在」につながる垂直軸はあるものの「弥生も古い層は縄文的世界につながり、それは沖縄や蝦夷、おそらくトラジャ(インドネシア・スラウェシ島)まで広がる文化の層なのである。そこにはニライカナイ的な水平軸の、いわば人民的ユートピアの観念があった」(『国際日本学』第2号)という。沖縄は、反転の戦略点でもある。

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