月刊『社会運動』 No.306 2005.9.15


目次
<戦後60年>
 丸山眞男と戦後60年の現在 間宮陽介‥‥2
 占領と平和<戦後>という体験 道場親信/米谷匡史‥‥14
 マケドニアの国家原理の模索 いまも続くユーゴスラヴィア社会主義解体の余波 芦沢宏生‥‥26
GM最前線
 北海道遺伝子組み換え作物の規制条例―交雑防止措置基準の検討結果 富塚とも子‥‥35
 ガイドラインから条例化目指して―つくば 北口ひとみ/宇野信子‥‥38
 千葉県食品安全条例実現の運動 西分千秋‥‥40
 日本中から遺伝組み換え作物を締め出そう! 清水亮子‥‥42
 コーデックス・バイオ特別部会が千葉で開催 清水亮子‥‥44
生活クラブ生協総代会 議案書にみる地域の生活クラブ・埼玉・千葉 編集部‥‥46
この論文・あの図書 「21世紀システム」構築のための鉱脈を示唆する3点 粕谷信次‥‥52
この本薦めます ワーキングマザーの生活と夢 小池雅子‥‥54
<ネットの動き> 憲法改正問題に取り組んで 中川淳子‥‥55
<状況風景論> 震災の記録と非営利・協同の活断層&わっぱの会の突破力 柏井宏之‥‥57
<公示>総会報告 第10回市民セクター政策機構総会 編集部‥‥58
雑記帖 細谷正子‥‥64


表紙からのメッセージ 写真家・桑原 史成
 江戸三大祭の一つといわれる富岡八幡宮例大祭が、この8月14日に江東区で行われた。氏子の神輿(みこし)、総数54組が3年に一度の奉行で永代通りを中心にして練り歩いた。この大祭は真夏の“水かけ祭り”とも言われるほどで、沿道からホースやバケツで水がかけられる。永代橋から近い佐渡町では、トラックの荷台にシートを敷きつめ、一際大きな水槽が用意されて、通過する神輿に一斉に水を浴びせかけていた。


<戦後60年特集>特別インタビュー 丸山眞男と戦後60年の現在
<お 話> 間宮 陽介 京都大学人間・環境学研究科教授
<聞き手> 米倉克良 編集長


<米倉> きょうは、戦後60年ということで、間宮先生に丸山眞男を中心としてお話ししていただくことをお願いしました。
 なぜかということですが、私たちの生活クラブ運動が機関紙の題字にあるように「生活と自治」すなわち、生活を豊かにし、自治をするという一つのテーマですが、この考え方の前提を戦後議論したというのは丸山さんにさかのぼると考えています。生活クラブの言う「市民自治」ということの前提に丸山さんの公共論があり、そのパースペクティブの中から今のある日本の状況を吟味したいのです。いわば「戦後史の再審」という課題を縦軸にして、自治という柱につながっていくような議論をしたいのです。今アスベスト問題に代表されるように「行政の劣化」が顕在化していますが、一方で、市民の側から、市民が担う公共みたいな新しい動きもあります。しかし、さらに一方では、極端に原始化して私化していく、そして歪んだ事件も起きてくるというのが、今の日本の状況であろうかと思うのですが。

公共から逃走する人々と人気者現象
<間宮> 丸山さんは戦後日本の民主主義運動のチャンピオンみたいに言われてきたわけですが、丸山さんの『自己内対話』(みすず書房)を読むと、自分は戦後の日本に一貫して違和感を持ち続けてきたとあります。今の小泉政治や東京都の石原知事の言動なんかを見ていますと、丸山さんの違和感をどうしても引き継ぐ感じになります。つまり、戦後60年、戦後の憲法の下でデモクラシーでやってきたのだけれども、それがはたしてどれだけ人々のあいだに根付いてきたかということです。
 そうした問題の一つに「公」と「私」の問題があると思うのです。今の日本を見ると、公と私が切断され、人々は「私」の中へどんどん閉じ籠もっている、人々の間の連携とか連帯とかいうものが希薄になっていくわけです。その一方で、公がどんどん大きくなって、パブリック=国家みたいな形になってきている。
 今、小泉構造改革で自由化が行なわれているけれども、今の現状というのは、一方では小さな政府が進み、他方では国家がどんどん大きくなっている。要するに、小さな政府と大きな国家というのが並行して進んでいると思うのです。私は、それは単に並行しているだけじゃなくて、密接な関係があり、しかも、私と公の分離と非常に関係があると思うんです。
 ある政治学者が言っているのですが、日本でもアメリカでも、かつて公共的な領域と言われたもの、街路とか、広場とか、そういった都市空間、あるい、公的な教育、基礎教育・義務教育などの制度空間、それらが変質を被っているというのです。もっと言えば、リッチな人たちはパブリックな空間から逃走しはじめているというのです。都市で言いますと、金持ちたちは公共空間を抜け出してgated community(塀で囲われたコミュニティ)というものをつくる。そこへ入るにはパスワードを入れて入る。金持ちたちはそこに自閉することによってセキュリティを確保している。では貧しい人たちはどうかというと、従来のパブリックな空間、街路とか広場に取り残されている。
 かつては金持ち、貧乏人に関わりなくパブリックな空間をつくっていたのが、金持ちたちはそこを引き払ってgated communityをつくるようになる。教育も同じでしょう。日本では、金持ちの子弟は公立学校を忌避して私立学校に行く。東大だって今では金持ちたちの学校みたいになっています。従来のパブリックな空間が変質を被っているのです。
 ミシェル・フーコーのパノプティコン(Panopticon)というのがありますね。扇型をした監獄の扇の要の位置に監視人がいて、扇の縁の所に囚人が閉じこめられている。囚人たちはそれぞれ壁で仕切られていてお互いに没交渉です。このパノプティコンは今の日本を表現しているような気がするのです。
 もっともフーコーのいうパノプティコンでは、扇の要の位置にいる監視人は囚人を見ることができるけれども、囚人には監視人が見えない仕組みになっている。囚人は自分が監視人に見られているかどうかは分からないから、見えない視線におののきながら自己を規律づけるわけです。フーコーは鞭による規律づけではなく、不可視の視線が強制する自己規律を論じているのですが、視線を監視人→囚人の一方向ではなく、監視人→囚人と、囚人→監視人の二方向にしたらどうなるか。囚人には互いの顔は見えないけれども、監視人は見えるわけです。ぼくは、二方向視線のパノプティコンの監視人の位置にいるのが小泉さんとや石原さんであるような気がするんです。
 つまり国民や都民は自分たちを支配する監視人に一方的に支配されているのではなく、みずからが自分たちの支配者に熱いまなざしを送り、声援を送っている。小泉さんや石原さんはたんなる支配者ではなく、人びとの拍手喝采を浴びる支配者…。彼らは「改革者」として売っているけれども、この改革者は人気者でありながら、冷徹な目で人びとを操っている。独裁者なのだけれども、人気者としての独裁者。小泉さんとか石原さんというのは、人気者でありながらある種の監視者なのです。二方向の視線をもったパノプティコンはある種の公共空間です。人気者はある種のパブリックな存在ですから、パノプティコンは疑似公共空間になっている。しかし人びとは独房に閉じこもっていて相互交通はないわけですから、本来の公共空間ではない。人気者というパブリックな存在によってかろうじてパブリックな性格をもっているにすぎません。−続く


<戦後60年特集>現代アソシエーション研究会占領と平和 <戦後>という経験(下)
<対談> 道場 親信(大学講師) 米谷 匡史(東京外国語大学教員)


 前号掲載の「占領と平和」(上)については、葉上レポート「戦闘機を巡る物語」とともに、本誌の戦後60年特集という位置付けであった。後者はその描写によって「戦争」が「空間」としても「時間」としても「遠くでない」ことを鮮明にさせ、前者にあっては、戦後史を運動を含めて包括的に問う対談となり、好評である。対談は、その核心いよいよ歴史の「再審」という課題に向かっていく。(編集部)

 1 「戦後」を問いなおす
 2 戦後日本のダブルスタンダード
 3 戦後のアジアと日本のねじれ、そして、1990年代
 4 開かれた戦後史へ
 5 親米派保守とアジア派保守
 6 『菊と刀』をめぐって
 7 東アジアと冷戦構造

 8 冷戦構造と敵対関係の継続
(以上305号掲載内容)

9.占領と歴史の再審
<米谷> それでは、3点目の「東アジア」の中の「占領」のテーマにうつりましょうか。
<道場> 東アジアという視点では、例えば「東アジアの冷戦と国家テロリズム」シンポジウムは、台湾における2・28事件と、韓国・済州島4・3事件(*7)の名誉回復と歴史的真実の解明が、非常に重要な動機になっていると思います
 このシンポジウムの人たちが持っている運動家的な意識と歴史家的な意識が、非常にいいところで結合しているなと思うのは、事件の名誉回復とか真実究明の要求を合わせて、全体をもう一回構造化しようという意識があって、アジアの多様なエスニシティを持った人々が参加してきているところで、同時代経験として何があったのか、もう一回見ていく、という共同作業をしている点です。
 そうすると、例えば沖縄の銃剣とブルドーザーによる土地取り上げの問題、日本における阪神教育闘争のような問題、あるいは東アジア各地で起きた基地周辺における性暴力の問題、さらに「従軍慰安婦」の問題など、それぞれの国家がそれぞれに行使した暴力というものの連関性が見えてくる。
 つまり、日本帝国の崩壊とアメリカ帝国の進出と言ったらいいかもしれませんが、システムの切り替え期における幾つかの暴力を、もう一度その時代に置いてみると、個別の国民史の中での不幸な事件ではなくて、連関していたということが見えてくるわけですね。冷戦構造というものがつくられていく中で行使された暴力として、読み直すことができる。そういう中で、大戦後の初期段階の軍の占領という事態と軍事的なるものの展開、ここに含まれる暴力が「戦後」を考える上で根本の問題としてあることが見えてきます。
 そこで、占領というものをどう考えるか。この問題が、近年、非常に注目されてきているといえるでしょう。
 その時に、占領を各国の国民史の中にばらばらに切り離してしまうのではなく、例えば日本の戦後史でいうならば、占領期があって、独立して高度成長があってというふうに、苦労した時代の一エピソードとして読む。あるいは韓国も、独立国家を営む過渡期の問題として占領という時代があった、というふうに一時的なものとして読むのではなくて、例えば韓国と日本の占領は、連合軍最高司令官マッカーサーが、それぞれの占領軍の司令部を配下に置いて、南朝鮮と日本本土と沖縄を統括していた一体の占領だったということを構想しなおすことになる。
 その中で、例えば南朝鮮では非常に暴力的な占領支配が行われ、沖縄でも土地の取り上げにつながるような暴力的な支配が行われた。にもかかわらず、帝国の中枢だった日本本土では、天皇は温存され日本政府も温存され、例えば南朝鮮で行われたような、現地政府を通じた即決裁判による反政府勢力の虐殺のようなこともなかった。
 そういうふうに、力が非常に不均衡に機能するような占領体系があった。そうすると、同じ占領下でなぜそういう違いが生まれたのか、という問題意識も生まれるし、それが日本帝国の崩壊と東アジアの冷戦体制の再構築というもののなかで生まれた力のひずみであるとすれば、われわれは各国で起きた不幸な事件を共通の過去として共有しなければいけない、という問題意識も生まれてくるのではないかと思います。
 このような占領体制があった。われわれはそういう認識をようやく持ちうるようになってきたわけですが、しかし、それを攪乱する要因もあります。それは先ほど米谷さんが指摘された人の移動の問題です。1950年代中盤まで、帰国事業まで含めれば60年代ぐらいまで、第二次世界大戦までに生じた人の移動を、もう一回戻したり、再移動したりという動きが生じていた。そうした人の移動の問題は非常に大きかったと思います。
 中でも、アメリカ陣営が敵視していたのは、アメリカ的にいえば国際共産主義による世界革命の「陰謀」というか、そういう人の移動と連続性・つながりです。彼らにとっては、国境を越えたコミュニケーションを保っている勢力があること自体が非常に脅威で、過剰に怪物視してたくさんの人を殺すというようなこともやっていたわけです。
 確かに共産主義は、これまでの国民国家によって切り分けられた世界とは違う世界、コミュニズムを理想としていたので、そういう別な世界をつくるために対抗的な運動をつくり出していました。そのインパクトは、特に冷戦をつくる側であったアメリカにとって、非常に脅威だっただろうと思われます。その後、そうした力の場というのはほとんど見えなくなってしまった。単に反共主義的な解釈か、逆に世界革命の側からの見方かのどっちかしかなくて、実際にそれがどう拮抗しあっていたのかということは、近年になって双方から文書が出てきたことにより、ようやく事実の次元でとらえられるようになったという感じがします。そのへんを一番やっているのは和田春樹さんだと思いますけれども、東アジアの秩序化という動きと、それをもう一度揺さぶっていく動き、それから、それぞれの国民国家が、どういうふうに暴力を行使して境界を確定していったか。おそらく、こういうダイナミズムが見えてくるのではないかと思います。


10.戦後史と象徴天皇制
 そしてもう一つ、日本の戦後史を考えていく上で重要だと思われるのは、象徴天皇制の問題です。
 ジョン・ダワーは、『敗北を抱きしめて』(岩波書店、2004)の中で象徴天皇制は「日米合作」というふうに描き出しました。僕も、あまり自覚せずにダワーの議論を引用しながら「日米合作」という言葉を何度か使っていますが、それをちょっとはみ出すことも本の中でやっています。
 象徴天皇制だけではありませんが、東アジアの占領体制とか冷戦期のものは、単に日米合作なのではなくて、韓米合作とか台米合作というふうに、二国間合作体系の集大成みたいなものが東アジアの安保体制だったということができるので、そういう多元性を認識することが必要だと思います。
 それから、象徴天皇制は日米の合作だけでなくて、例えば延安にいた岡野進(野坂参三)は、延安と合意をつけるためにアメリカから派遣されたミッションの人々とのインタビューで、天皇制は残していいですよ、と答えています。この背景には延安やモスクワが消極的にか積極的にか同意を与えているという事実があるわけです。
 ということは、象徴天皇制というデザインになるかどうかはともかく、日本の敗戦間際の時期に、連合国の中で、天皇を短期的に処罰しないという合意がほぼつくられていたらしい。そういうことがこの間見えてきています。
 これは左翼にとってある意味で都合の悪いことかもしれません。連合国間で協調がとれていた時代の産物なのかもしれないけれども、一応、アメリカに単独占領を許し、その下で天皇制を残すことは追認するという確認が取れていた。その後、国内にいた人々を中心に日本共産党も対決に向かっていくわけですが、ある時期、いろいろな勢力が相乗りで、とりあえず天皇制を残して戦後を出発させようとした。これは事実だと思います。
 アメリカの内部でも複数の力が重なり合っていて、僕は非常に複雑だなと思いながら、この本を感慨深くまとめていきましたが、例えばベネディクトのようなアメリカでいうとリベラル左派に属する知識人と、ジョゼフ・グルー(*8)のような伝統的・権威主義的な保守とが、天皇制維持で合作できる。アメリカの中にもそういう合作があった。この合作は、その後、要するに保守のみが生き延びてリベラル左派は赤狩りで消されていくなかで、決着がつけられていきますが、ある時期そういう合作があったわけです。
 これは、象徴天皇制というのは、天皇家にとって、いくつかの幸運というか偶然が重なった部分もあると思いますが、象徴天皇制という解決が、右派・左派合作の時間の中で可能だったということです。
 ベネディクトがそれをきちんと書かないことも問題だと思いますが、『菊と刀』を読むと、日本文化のパターンに即した、非常に伝統的なものをアメリカは残したので、アメリカは正しい文化論に基づいた正しい占領政策をやった、というふうに書いてある。もっといろいろな偶然に支えられた力の産物だということを、あの本は消去しているのです。
 したがって、天皇制が維持されるのは、その後の文化論者、特に中曽根時代にもてはやされたような人々が言っているような、伝統に即していて正しくて文化的なヘゲモニーが強いからだというより、あの時代のあの瞬間の力のバランスの中で生み出された面が強いので、それを過剰に文化論化してはいけないのではないかと思います。
 要するに、実力さえ行使すれば、暴力的に廃止することもできたはずで、廃止されてしまえば、あえて乱暴な言い方を許していただくなら、それに即して「国民史」が叙述されたということは十分に考えられることではないかと思います。そこを読み違えてはいけないのではないか。もちろん、その上で、残存する意識というのはきっとあっただろうし、復活させようという勢力は絶えず現れたかもしれない。しかし、あの時点で廃止されなかったのは必然ではない。そこを必然と語るところに、文化論のまずいところがあるのではないかと思います。あの瞬間にあった奇妙な合作、直ちに分解するような合作をどう評価していいか分からない。アメリカであればニューディール連合だったのかもしれませんが、グルーのような保守も登場できたわけですね。
 そういうものが日本に移された場合、もうちょっと右に寄ったところに野坂参三も乗っかった合作ができて、それは直ちに分解していく。冷戦の進行がそうした合作を必然的に分解していくわけですが、占領を支えた力のバランスといいますか、そういうものが見えて面白かったというところがあります。
 アメリカと日本ではそこで力の均衡が生じたのに対して、朝鮮では力のバランスが非常にシンプルで、親日派プラス暴力的な軍事支配が貫徹されて、植民地支配に抵抗したグループは戦後にほとんど繰り越されない。つまり、暴力支配で絶たれてしまったというところがあって、リベラル性の非常に低い合作だったわけです。
 そういう合作の様子というのも、占領というものを見ていく中で、非常に重要なポイントなのではないかと思います。

11.システムとしての東アジア占領
<米谷> 東アジアにおける占領を考えるにあたって、道場さんが非常にクリアに整理されたように、東アジア冷戦を一方で束ねる力としてアメリカの力は非常に強い。アメリカの軍事的展開が基盤となってある相互連関をつくっている。これまでばらばらにとらえられてきたものを再構成し、互いにつないでいくことによって、道場さんは、一つのシステムとして東アジアの占領を見るという視座を提示されています。
 他方で、一つのシステムとしての東アジアの占領構造を、−続く


マケドニアの国家原理の模索 いまも続くユーゴスラヴィア社会主義解体の余波
実践女子大学教授 芦沢 宏生


「バルカンで何が起きているか?」
 日本の新聞にはほとんど知らされていない事柄が日々進行している。本誌の若い読者諸氏は、Balkanで凄惨な紛争が起きた時は、ほとんど小学生だったろうと思う。そこで、まず、「バルカン諸国ってどこ?」ということからはじめて、バルカン半島の中心は、旧ユーゴスラヴィアなので、このユーゴの成立と解体について述べよう。(地図参照)

(1)ユーゴスラヴィアをとりまく周辺国
 図Tで見ての通り、ユーゴスラヴィアは、Balkan半島の中心部分を占める。南にギリシャ。西にアドリア海、アルバニア、イタリー。東にブルガリア。北東にルーマニア。北にハンガリー、オーストリア。これらの国々に囲まれている。実に種々雑多な民族や宗教や言語のモザイク地帯である。
 古来、さまざまな勢力が、ここユーゴスラヴィアを通過していった。そして、ここを支配し、かつパレスティナを占領し、消滅していった。ここ周辺民族は、さらに巨大な世界帝国、つまりローマ帝国やビザンチン帝国や、オスマントルコ、ハプスブルク帝国の支配を受けた歴史をもつ。今までも、スロヴェニア、クロアチアは、ローマンカソリックを宗教とするし、セルビア、マケドニアは、すぐ南のギリシャ正教会を源とする正教会(オルトドキシー)を信じている。ユーゴスラヴィアの真中に位置するボスニア・ヘルツェゴヴィナは、オスマントルコのイスラム教と、ローマンカソリックとギリシャ正教会のモザイク地帯である。もっとも、このユーゴスラヴィアの6ヶ国は、以上の宗教をいずれも混在させていて、単一の民族や単一の宗教や単一の言語などということはありえない。
 支配と隷属がないまぜになった歴史の中で、同化と反撥を繰り返して、今日にいたっている。
 ここユーゴスラヴィアの現代史は、流動と変化の只中にあると言えよう。第一次世界大戦、つまり1914年以前には、現在のスロヴェニア、クロアチア、ボイボディナ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナあたりまで、オーストリア・ハンガリー帝国に支配されていた。第二次世界大戦、つまり1939年〜45年頃は、最北部・スロヴェニアあたりとクロアチアのダルマチア地方は、ドイツとイタリーに占領されていた。ボイボディナはハンガリーに、モンテネグロのアドリア海周辺は、これまたイタリーに、アルバニアの北部とコソボのあたりもイタリーに占領されていた。マケドニアはブルガリアに占領され、セルビアは、実質的にドイツに管理されていた。
 しかし、戦後アルバニアは、反ソだったり、親中国だったりして、紆余曲折して、極貧の経済水準のまま取り残され、いまだに、生活水準は浮上しない。いまだにアルバニア全土の主たる景観はトーチカである。大中小アルバニアで、このお椀をふせたようなトーチカが見えない場所はまったくない。独裁者ホッジャの恐ろしい建築費であった。

(2)どうしてユーゴは分解したか?―石器時代の世界観のなせるわざ―
 石器時代的感覚が、いまなおつづく。地理的には、戦闘機で10〜20分のキョリが理解できない。物流も理解できない。日常、USAのチキータバナナを食べ、CASIOのデジカメやパソコンを使い、生活している。この世界の狭さが理解できない。セルビアのミロシェビッチはコソボ・アルバニア人いじめをはじめ、コソボ・セルビア人の民族意識を過度に狂 −続く


北海道遺伝子組換え作物の規制条例―交雑防止措置基準の検討結果 国の基準の「2〜3倍の隔離距離」を答申
富塚 とも子(市民ネットワーク北海道運営委員)


 遺伝子組み換え(GM)作物の栽培の規制と罰則を定めたGM規制条例*が公布されてから5ヵ月が経ちました。(*正式名=北海道遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例)
 GM規制条例は罰則を伴う規制なので、効力発生まで1カ年の期間が設定されています。同条例に基づく、GM作物の「開放系試験栽培の届出」および「開放系一般栽培の許可申請」の受付は2005年10月1日から始まることになります。
 この申請受付に先立って行われていた交雑混入防止措置基準の検討作業の結果が、2005年8月18日に報告されました。
 審議していたのは知事の諮問機関「北海道食の安全・安心委員会」の専門部会「遺伝子組換え作物交雑等防止部会」(通称GM部会)。道庁はこの報告を元に、条例の実効性を左右する正式な規則を定めることになっていますが、部会案への大幅な変更はないと思われます。
 「GM規制条例」の経緯と交雑混入防止措置基準に係る検討結果について報告します。

GMイネ実験栽培を契機に広がった運動
 2003年5月19日、市民ネットワーク北海道の会員から、「北海道農業研究センターで遺伝子組み換えイネ屋外栽培実験が予定されている。明日がその説明会だ」という電話が入りました。遺伝子組み換え作物(GMO)が加工食品に姿を変えて大量に流通することを知る市民の多くは、共同購入などの防衛手段を持っています。皮肉にも、それが、GM食品規制運動への参加意欲を低めている側面があります。しかし、北海道の育種や開発の中核施設である北農研センターで、GMイネが栽培されることは、GM作物に対する不安と危機感を増大させ、大勢の市民が説明会に参加しました。栽培の中止を求める多様な意見に対し、北農研センターは一方的に説明会を打ち切り、田植えを強行しました。

全国の市民運動が生んだ「GM規制条例」
 事件を契機として市民ネットワーク北海道は、生活クラブ生協、遺伝子組み換え食品に反対する生産者、食品販売業者、消費者などとともに、北海道遺伝子組み換えイネいらないネットワーク(以下いらないネット)を結成し、街頭署名や抗議集会、国や道への申し入れ等を活発に行ないました。この活動は、新聞、テレビといったメディアによって報道され、生産者、消費者、そして行政それぞれがGMOへの関心を高めていきました。さらに、道外から多大な支援をいただいた実験の中止を求める署名は47万1164筆に達し、これがGM規制条例制定の大きな推進力となりました。
 同年12月、北海道は、道議会予算特別委員会で、市民の安全な食を追求する権利とGM作物に対する不安に言及し、GM作物栽培規制を含んだ「(仮称)食の安全・安心条例」の制定を目指すことを明らかにしました。札幌や北海道だけでなく全国の消費者が、北海道におけるGM作物の屋外栽培に強い懸念を示したことが条例の誕生を促したことは間違いありません。

ガイドラインから条例へ
 2004年3月には、『北海道における遺伝子組換え作物の栽培に関するガイドライン』が策定され、GM植物の屋外栽培が規制されました。しかし、このガイドラインは、道立農業試験場での実用品種の育成を目的とした遺伝子組み換えの研究を見合わせ、GM植物の屋外栽培の規制を謳う一方で、バイオ技術は将来有望であるとして試験研究機関でのGM植物栽培実験の実施条件を別途検討するとしていました。
 このため、研究機関が道内でGM植物の屋外栽培実験する際の実施条件を検討する「遺伝子組み換え作物の栽培試験に係る実施条件検討委員会」が2004年5月に設置されました。検討会委員として11人が任命され、第1回委員会は同年6月1日に非公開で行なわれました。(検討会の傍聴と議事録の公開を求める市民の声により、第2回から傍聴が可能となりました。)
 検討の結果以下の後退した結果となりました。

交雑率を0%に−安全推進室長の提起
 このような経過を経ながら、「北海道食の安全・安心条例」ならびに「北海道遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例」は2005年度第1回定例道議会(05年2月23日提案、3月24日可決)において可決され、3月31日に公布されました。
 2005年5月、北海道は、「食の安全・安心条例」に基づき、北海道の食の安全・安心を図るための知事の付属機関として、交雑混入防止措置に関する調査審議を行なう「北海道食の安全・安心委員会」を設置しました。公募の委員2名を含む15名の委員と特別事項を調査する5名の特別委員が、5月27日に第一回委員会を開きました。その場で科学的な知見から調査審議するGM部会を立ち上げ、条例において最も重要な
 @交雑混入防止措置基準について
 A試験研究機関の要件について
 B説明会開催(説明対象の範囲)
 の3点がGM部会に付託されました。

 4回開かれたGM部会の席上、北海道農政部食の安全推進室長の東氏は「交雑を防ぐとは交雑率を0%にすること」と明言しました。

部会員の科学的態度vs強引な「座長メモ」
 これに対して複数の委員から、「屋外でGM作物を栽培した場合、交雑率を0%にすることはできない」、「農水省が出している実験指針の隔離距離は科学的な設計で出されていない」「交雑について科学的に判断しうるデータがほとんどない」「科学的な判断のためには、非組み換え作物で大規模な交雑実験をする必要がある」など、交雑を防ぐ措置基準を科学的に決定することはできないとの意見が出されました。
 GM部会の松井座長は「科学というのは、灰色で判らない事がたくさんある。それが科学的ということ。交雑した場合の責任は私が持つ」と議事を進行しました。しかし、松井氏はどのような責任を取るというのでしょうか。科学的な判断を求められている委員会の座長として無責任極まりない発言といわざるをえません。
 その後も、各委員から現状では科学的判断はできないという意見が繰り返し出され、議論は膠着しました。第3回部会で松井座長は論点整理のためとして「松井メモ」を委員に配りました。このメモを基に、基準を策定すべき作物として、イネとダイズ、トウモロコシ、ナタネ、テンサイの5作物が提案されました。また、松井氏は「科学的に解らないのだから、せめて科学者の良心として国の基準に安全率として2をかけてはどうか」と、隔離距離を国の指針の2倍として交雑防止措置とすることを提案しました。慎重派の委員から、冷害等による花粉の長距離飛散、テンサイの不時抽台、また、虫媒による花粉の遠距離飛散、イネの開花時期が重なった場合など、距離要件だけでは交雑は防げないとの指摘に、「では防虫ネットをかけてはどうか、距離も2〜3倍にしましょう」と話を締めくくりました。松井メモの内容が、ほぼそのまま、8月2日の第4回部会で採用され、8月18日の食の安全・安心委員会に諮られました。
 委員会では、農水省の指針の2倍とした安全率に対する懸念、距離によらない交雑防止措置は距離要件を満たした上でさらに併用するのが望ましい等の意見が出されましたが、内容については特に変更はされませんでした。GM部会の提案がそのまま知事への答申となったわけです。
 8月末までには、知事へ答申した事項を含んだ条例施行規則等の策定が行なわれ、9月上旬には、条例の手引きと、逐条解説などが公表され、10月1日には、許可申請及び届出の受理が始まります。
 GM部会のメンバーで、GM作物に慎重な姿勢を示し続けた佐野委員は、8月18日の食の安全・安心委員会で、「研究栽培はできるが、一般栽培はできないように考えた」との趣旨の発言をしました。その言葉が真実かどうかは別として、「GM規制条例」は、反対派にとっても、推進派にとっても強力な道具になりうるものです。実際、北農研センターでは条例が出来次第、2007年のGMイネの屋外圃場における実験栽培の申請をするとしています。信頼性の高いモニタリングがこの条例で実施できるのかが今後の焦点のひとつになると思われます。さらに、今後、開放系一般栽培の許可申請が行なわれた場合、その交雑混入措置が知事が定める基準に適合しているかどうかの判断もGM部会が行なうことになっています。が、部会に対しては、今ひとつ信頼できないというのが実感です。10月1日以降は、より多くの市民でGM作物栽培の動きをチェックしていく覚悟です。
−続く


ガイドラインから条例化目指して GM実験の本丸「つくば」を舞台に規制条例目指して
つくば・市民ネットワーク 事務局:北口ひとみ・宇野信子


始まりは「GM意見交換会」
 今年2月中旬にミニフォーラム「GMフリーゾーン報告会」で得た新たな情報を携えて、その2週間後につくば市主催で行われたGM意見交換会へ参加しました。意見交換会には消費者・研究者・農業生産者など約70名が集まり、GMの安全性や研究する権利を訴える研究者側と、根拠が不明確な「安全性」に不安や交雑の補償も含め栽培規制の条例化を求める消費者側の間で様々な意見が交わされました。数少ない出席者であった農業生産者からは「GMが良いか悪いかわからないが、風評被害に遭わないですむものを」という希望が出されました。結果、参加者から「いろいろな意見があるので、それぞれが持ち寄ってみんなが納得いく栽培規制をつくってはどうか」という提案があり会は終了。
 開催したつくば市は、各研究機関で実際にGMに携わる研究者と、私達のように栽培自体に不安を抱く消費者の間で交わされた活発な意見交換に当惑気味のようでしたが、3月議会で市担当部から規制を設けるための検討会設置案が出されるに至りました。

当然ながら、研究者はGM推進派…
 しかしながら、その後、播種シーズンを迎え、研究所で次々とGM作物実験栽培の報告及び説明会が開催されましたが、交雑防止の観点から開放系実験栽培の中止を求める消費者の願いは聞き入れられないどころか、研究側は「GM作物が通常の作物と何ら変わりがなく、安全であることを実際に見て確認してもらう」という理由でGM作物の展示栽培まで計画したのです。もちろん、私たちは他の「NON―GM」を望む消費者団体とも連携し、栽培当日、中止要請や反対行動をしましたが、研究側はこれを強行しました。消費者の「見た目で判断できないから不安」を全く理解しない、誠意のない行動です。こうした対応から検討委員会へ推進派の研究者が参加したのでは、規制を緩やかにする方向へと強引に持っていく状況が生じると予測されました。それでは規制設置の意味がなくなります。

規制を阻むもの…
 市が提案してきた検討委員会メンバーは、以下の構成でした。
 消費者3名、JA事務局2名、JA生産者4名、GM研究者2名、学識経験者1名、行政担当1名の計13名。すべて行政側からの指命とされ、公募枠はありません。
 私たちとしては、市民公募による参加枠の設置とあわせ、GM研究者の参加は栽培規制を緩くせざるを得なくなると判断し、専門的助言者としては学識経験者の参加で充分であるとして、メンバーから研究者を除外するよう要望を出しました。しかし、長年国立の研究所としてつくばに君臨してきた経緯もあり、市としては「研究者の参加は必要」「国が認めている実験を規制できない。県の指針を越える内容は無理」「届け出制が限界」との見解で、数回の検討委員会を経て、年度内制定、次年度施行開始を目指しているようです。
 また、当の地元の農作物生産者へは情報がほとんど伝わっておらず「GMのことはよくわかんね―作ってみて売れなかったら作らなくなる―消費者次第」と交雑による不可逆性が認識されていない状況で、東海村の臨界事故で痛手を被った生産者達の関心・願いは、ただただ「風評被害は避けたい」という点でした。−続く


千葉県食品安全条例実現の運動
西分 千秋 生活クラブ千葉・副理事長


 東京や埼玉で形となってきた県レベルでの食品安全条例。千葉県生協連の「食の安全推進委員会」のメンバーでもあり、かつまた県条例の検討作業部会の公募委員でもある生活クラブ千葉副理事長の西分さんに、現況を聞きました。

――まず食品安全条例制定に向けたこれまでの経過を教えて下さい。
西分 BSEの発生などを受けて、千葉県生協連として2004年に県食品安全条例の制定を請願した署名運動に取り組みました。その請願が2004年9月の県議会で全会一致で採択されたことを受けて、県条例として制定に向け動き出しました。
 私達の要望はもちろん中身ある条例ができることですが、もう一つの柱としてその制定の過程に県民、私達市民がより多く参加することでした。ですから県にもその点を強く要請しました。
 県ではそれを受けて食の安全をテーマにしたタウンミーティングを04年度に開始予定でしたが、実際には05年にずれ込んでしまいました。タウンミーティングは、5月と7月にこれまで2回開かれ、第3回目が8/27に開催されます。
 条例の叩き台を検討する「千葉県食品安全条例(仮称)検討作業部会」というのが設置されていますが、同時に市民参加の一つの手段として、その検討作業部会(全15名)に市民枠として5名の委員が公募されました。
 私は県生協連の「食の安全推進委員会」の一員としてこの運動を担当してきましたが、この作業部会委員公募に応募したところ、選任されて条例案作りに携わっているところです。

――作業部会では既に相当な議論がされたのですか。
西分 既に3回開かれたのですが、8月4日の第3回目にようやく「条例案の骨子」の素、レベルのものが事務局から提示されて、やっと、各委員が意見を述べることができた段階です。3回目討議を反映した素案が出され、検討されることになっていた4回目会合が、8月23日の予定でしたが、9月に延期になってしまいました。ということで8月27日に開催される、成田でのタウンミーティング、これがこのテーマでは予定されている最後のタウンミーティングのようですが、その前に検討作業部会での論議を踏まえた骨子案を県民に向かって出せないことになってしまいました。

――これまでの作業部会論議で感じている問題点とか、盛り込みたい中身とかについてお話下さい。
西分 千葉県は全国で6位に位置する600万の人口を抱える大消費地です。一方で、北海道に次ぐ第2位の農産物の生産県でもあります。さらに、食品コンビナートを背景に食品輸入の拠点として千葉港と成田空港を抱えている食品輸入の拠点でもあるわけです。そうした位置にあった安全条例を作りたいと思っています。
 さらに生活クラブとしては、遺伝子組み換え食品についても、お寒い国の施策を補完することをこの条例に求めています。具体的には北海道の条例のように、遺伝子組み換え作物の栽培規制に結びつく内容も盛り込みたいところです。
 今回の条例作りの事務局は県の健康福祉部衛生指導課に属する食品安全対策室です。畑から食卓までのその循環の中で、どこが欠けても、食の問題が噴出しますが、その点ではこれまでの事務局提起からは、食品衛生行政に重点があるきらいを感じます。−続く

日本中から遺伝子組み換え作物を締め出そう! 全国に広がるGMOフリーゾーン運

 本誌前号(2005年8月号)で、1月の滋賀県を皮切りに、GMOフリーゾーン運動(遺伝子組み換え作物は作らない!と宣言する運動)が各地に広がりを見せ始めていると報告した。滋賀県では、「生協連合会きらり」の生産者が畳3畳分の看板を立て、GMOフリーを宣言したが、本号では生活クラブ生協の生産者を中心に最近の動きを写真で紹介したい。

●庄内みどり農協(山形県遊佐町)
 写真1は、庄内みどり農協遊佐地区農政対策推進協議会が設置した看板。遊佐町では、生活クラブ連合との提携でコメが作られているが、遊佐地区管内全域(3000ha)が、「GMOフリーゾーン」に登録した。同じく連合会が提携している栃木県開拓農協、箒根酪農協もGMOフリーゾーン登録の準備中。

●農(みのり)安心ネットワーク(東京)
 写真2は、生活クラブ・東京の提携生産者のグループ「農(みのり)安心ネットワーク」のメンバー、田中仁司さんの畑で行なわれたGMOフリーゾーン宣言看板除幕式(8月5日)。当日は、生活クラブの生産者、組合員だけでなく、町田市農協など地元の農業関連団体、マスコミ各社なども含め総勢51名が参加。このような看板が、東京近郊で生産する農安心ネットワークのメンバー65人によって67箇所に設置された。農安心ネットワークがGMOフリー宣言した総面積531ha。東京都の農地面積の約5%にあたる。
●GMOフリーゾーン実行委員会(神奈川)
 写真3は、かわさき生活クラブ生協(神奈川)の「秋の活動スタート集会」(8月24日)。川崎ではこの日、GMOフリーゾーン運動もスタートを切った。神奈川県全体で「GMOフリーゾーン運動実行委員会」が結成され、遺伝子組み換え作物栽培規制を県に求める市区町村からの意見書提出のための請願署名が、横浜北、横浜みなみ、かわさき、湘南、さがみの各地域生協で展開されている。
 同時にカンパも集めて、提携生産者の畑に看板を設置する予定。
 他にも千葉では提携生産者の「元気ネット」「山武ネット」が準備中、埼玉では提携生産者だけでなく周辺の一般農家も対象として、GMOフリーゾーンの呼びかけが行われている。
 ここでは、生活クラブ生協の提携生産者のみ紹介したが、他にも東北では「置賜興農舎」「ネットワーク農縁」など農民グループのよびかけで、9月3日に仙台で「GMOフリーゾーン宣言・東北ネットワーク」の設立集会を開催するなど、急速に全国に広まっている。遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーンに8月11日までに登録されたGMOフリーゾーンは、53団体、120ヵ所、4011.7ha。

*GMOフリーゾーンに登録するには、以下のホームページへ。http://www.no-gmo.org/new/2005/gmfreezone.htm
(清水亮子)


コーデックス・バイオ特別部会が千葉で開催−何が議論されようとしているのか?−

 9月19日から23日にかけて、千葉の幕張で、「コーデックスバイオテクノロジー応用食品特別部会」が日本を議長国として開催されます。すでに2000年から2003年にかけて開催された同特別部会の第1ラウンドでは、遺伝子組み換え食品の安全性審査(リスク分析)について議論され、「一般原則」、GM植物と微生物由来の食品の安全性審査についてそれぞれ定めたガイドラインの計3文書が採択されました。
 今回の部会は、いわば第2ラウンドといえるもので、第1ラウンドで積み残した分野について話し合われる見込みです。前回の会議の最後に「今後の作業」として提案されていた議案の中には、「鉄分増量レタス」のような「栄養分を強化した植物」、「花粉症緩和米」のような「医薬品もしくはその他食品ではない成分を発現する植物」なども含まれています。
 スターリンクやBt10のような未承認作物の混入事件は後を絶ちませんが、「未承認遺伝子組み換え食品の微量混入」といった議題も案として上がっています。さらに議題として有力視されているのが「遺伝子組み換え動物(魚を含む)」で、米国では成長の速度を速めたサーモンがまもなく市場に出ると見られています。
 今年から行われる特別部会は、前回と同様、4年間と期限が区切られており、今年の第一回会合では、今後4年間でどのような議題を取り上げていくのかを議論し、来年からの3年間で、ガイドライン等の文書を具体的に策定していくことになります。
 市民セクター政策機構では、日本消費者連盟の山浦康明さん、真下俊樹さん、市民バイオテクノロジー情報室の天笠啓祐さん、それから市民セクターの翻訳ネットワークの有志らをメンバーとする「コーデックス研究会」を今年3月から積み重ね、今後の議論の下敷きになることが予想される「遺伝子組み換え動物由来食品に関するFAO/WHO専門家会合の報告書」(2003年)やコーデックス事務局からの求めに応じて各国政府が提出した、今回の特別部会で取り上げるべきと考える議題についてのコメントなどの資料を読み込んできました。その成果もふまえ報告します。

●各国の立場
 まず日本政府は、政府が月に一度程度のペースで開催している「コーデックス連絡協議会」の中で、委員を務める山浦さんが、事前に情報公開することを再三求めていたにもかかわらず、事前に公表もせず、ひそかに英文でコメントを提出しました。その中で@異なる形質を付与する遺伝子を複数持つ植物(重層的遺伝子組み換え=スタック・ジーン)、A栄養が強化された遺伝子組み換え植物、B遺伝子組み換え魚を順番に優先議題とするべきとしています。その理由として、すでに市場化が進んでいる(日本での掛け合わせ遺伝子組み換え植物など)、商業化が進んでいる(米国での遺伝子組み換え魚は商業化目前)などを挙げています。
 また、EUは、未承認遺伝子組み換え食品の微量混入問題を優先順位の@に上げています。米国も「未承認」とは明記しないものの、混入についての議題を最優先していうることから、米国とEUが足並みをそろえてBt10のような未承認作物の混入のケースで、貿易が滞ることを回避しようとしていると思われます。コーデックス委員会は、「人々の健康をまもる」ことと同時に「貿易の促進」も目的としていることの矛盾が、ここに現れています。
 一方EUは、遺伝子組み換え魚について優先順位の2番目に上げ、「環境面・倫理面にも配慮すべき」とコメントしていることから、植物で盛り込めなかったこのような側面をどう盛り込んでいくのかが、大きな争点のひとつになるでしょう。

●NGOの立場
 国際消費者機構(CI)は、第一ラウンドにもアメリカのマイケル・ハンセンさんらが出席し、消費者の立場から積極的に発言しましたが、今年から始まる部会について、「(魚を含んだ)遺伝子組み換え動物」にしぼって議論すべきとしています。理由として挙げられいるのは、米国などにおいて商業化されようとしているため緊急に討議する必要があること、そして、前述の2003年FAO/WHO専門家会合の報告書がすでに存在することです。この報告書では、倫理、宗教、動物福祉などの側面の重要性が指摘されており、CIは、これらの側面も安全性評価における「他の正当な要因」(OLFs)の議論をすべき、という立場です。「医薬品もしくはその他食品ではない成分を発現する植物」などは、食品の安全性問題の範囲外であり、議題とするべきでないとコメントを出しています。
 コーデックス研究会としても、このCIのコメント提出については、全面的支持の意志を表明しました。
 2000年から2003年に開催された前回の会合の経験から言えば、米国・カナダなど遺伝子組み換え推進諸国、そしてそれらの国々から参加している業界団体のNGOと、CI、グリーンピース、49thパラレル・バイオテクノロジー・コンソーシアムといった市民の側に立った数少ないNGOとの間の議論の応酬となることが予想され、それにEUがどのような立場で絡んでくるかで、議論の行方が大きく左右されると思われます。生活クラブ生協からもICA(国際協同組合同盟)として2名が参加、コーデックス研究会からは他の2名がCI枠で参加し、議論の行方を監視します。
 また、遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーンの主催で、9月22日に集会を開き、今回のバイオ特別部会の議論の中身について報告します。


<2005総代会特集>議案書に見る地域の生活クラブ(下)首都圏単協抜粋編・埼玉・千葉

生活クラブ生活協同組合・埼玉

第4次中期計画(2005〜09年度)について
1.はじめに
2.第4次中期計画策定にあたって
3.第3次中期計画の到達点要約
(1)生活クラブの30年
(2)第3次中期計画の問題意識
 利用結集の単位が個人化する中で、協同する仕組みをどのように作り上げるかを模索しました。
(3)第3次中期計画の主な到達点と課題
@地区主体の組織運営
 地区が主体となるための仕組みを整備しました。もっとも身近な単位で組織運営ができるようになりました。しかし、班を基盤とした組織運営が続き、ひとり一人を単位とした運営のあり方を模索してきました。
A仲間づくり
 戸別配送を中心に拡大は進み、班組合員数は減少しました。チラシの新聞折り込みをきっかけとした拡大を進めました。人が人に語りかけて拡大する力量の低下を課題としました。
B利用結集
 仲間作りが進んだことにより、総供給高は増加しました。一方で、世帯当り利用高は低下しました。ライフスタイル多様化に応じた利用高の設定の仕方を課題としました。
C生活課題解決のための自立したグループの形成
 地域協議会・拠点を活用した取り組みは行われました。しかし、関連以外の団体との連携、新たなグループづくりを課題としました。
D個人レベルの情報の受発信
 組織として組合員個人まで届ける体制は整いました。組合員同士や組合員から組織へという方向の発信を促す工夫が不足しました。
E不安を感じない地域づくりを進める福祉計画
 エッコロ制度の改正、介護事業への参入などに取り組みました。地域との関係づくりが課題です。−続く


生活クラブ生活協同組合・千葉

はじめに
 この一年、―略―「一人は万人のために、万人は一人のために」という理念を共有する世界の協同組合の一員として、貧困、戦争、災害などで人間としての尊厳と日々の暮らしの安定を奪われた人々に対して何ができているのかを自問せざるをえない一年でした。
 私たちの暮らしはあらゆる分野でグローバル化が進んでいますが、とくに食料の海外依存度が異常に高い状況が続いています。食料自給率は先進国中最低の40%であり、世界の人口の2%を占めるに過ぎない日本が、世界の農産物輸入総額の10.2%を占め、水産物は33.4%とさらに多く、世界最大の輸入国となっています。小麦は世界第2位(6.8%)、とうもろこしでは20.5%で世界第1位、肉類も24.5%と米国を上回る世界最大の輸入国となっています。昨年(2004年)、日本の対中国貿易が対米貿易額を初めて上回り、中国はわが国の最大貿易相手国になりました。アメリカとの政治、経済両面にわたる緊密な関係が日本の戦後の特徴だったことを考えると、大きな歴史の転機を迎えたといえましょう。
 中国をはじめ、アジア各国との政治、経済上の結びつきが、わが国にとって最も重要な課題であることを認識する必要があります。
 そして、日本は、ついに人口減少社会に突入します。10年前から生産人口(15歳から64歳まで)は既に減少していましたが、再来年(2007年)には総人口が減りはじめます。2050年には総人口がおよそ1億人に減り、さらに急速に減少を続けていくと予想されています。
 千葉県ではまだ総人口は増加していますが、生産人口は既に減少をはじめており、また、今後10年から20年にわたって、老年人口(65歳以上)が急速に上昇します。その上昇率は埼玉県に次いで全国第2位です。また、2003年の調査による合計特殊出生率は、全国平均の1.29を下回る1.20(東京、京都、奈良に次いで4番目に低い)になっており、少子高齢化に対する待ったなしの対応が求められています。
 また、失業者の増加、なかでもニート(NEET=Not in Employment Education or Training)と呼ばれる「職に就いていず、学校機関に所属もしていず、そして就労に向けた具体的な動きをしていない」若者たちの急増が大きな社会問題なっています。ニート問題は、少子化、高齢化以上に社会の基本構造を揺るがす大きな課題だとの指摘もあります。
 さらに、人口が急速に減少するなかで、男女がともに子どもを育てながら働きやすい男女共同参画社会を推進すること、外国人労働者の受け入れ体制を整えることも急務です。
 これまで、「私たち」の社会は、誰かを排除して成り立っていました。人種、国籍や性、障がいの有無などで、いわれなき差別を受けている人たちが今もおおぜいいます。しかし、わが国でもようやくにして、誰もが、その人らしく、地域社会でともに助け合って暮らすべきという、ノーマライゼーションの思想が社会の規範になりつつあります。
・日本はこうした状況に対して、しっかりとした内政、外交を進めているでしょうか。
・私たち国民は、しっかりとした見解を持ち、必要な行動を行なっているでしょうか。
・そして、生活クラブ生協は、協同組合の社会的な使命を果たしているでしょうか。

 生活クラブでは、それまで長期漸減傾向にあった組合員数が、01年度秋に、システム改革により拡大基調に転換しました。しかし、03年度以降は、Weコープの減少傾向へのブレーキを効かせつつも減少そのものに歯止めをかけるにはいたりませんでした。また、Iコープの伸びも鈍化しています。デポーも苦戦しています。
 その存在価値が薄らいでいけば組合員は増えなくなります。生活クラブ生協はどんな社会的使命をもって地域に存在しているのかを良く考えなければなりません。また、その使命を果たすために、生活クラブ生協の弱いところと強いところをはっきりさせ、新たな時代の生活クラブらしさをつくりあげていかなければなりません。
 現在、国政の大きな課題として「三位一体」改革の問題が議論されています。
 明治以来、日本においては国を絶対的な権威とする中央集権国家が続いてきました。第2次世界大戦後の新しい国家体制においても、この体制は変わらず続いてきました。
 2000年に地方分権一括法という法律ができて、ようやく分権の必要性が叫ばれるようになりましたが、分権とは実はこれまで他人任せにしてきた問題を自分の責任で解決するということです。中央集権体制においては、国民は、政治や社会の問題を政治家や官僚に委ね、自分は利益を享受し、文句を言う立場を決め込むことができ、ある意味でとても気楽でした。戦後の民主主義にはそういう一面がありました。これに対して、分権とは市民が自ら政治や社会の問題を解決する主人公になることです。集権よりはるかに大変なことです。ですからこれまで分権、分権と叫ばれながらも、叫んだ当人たちが具体的な対案を提示することができないことが多かったのです。
今回、地方6団体が小異を捨てて一致して、国に対して財源移譲の具体案を提出したことは、国や官僚に委ねていた責任を地方自ら背負いますという決意表明であり、日本の歴史上画期的なエポックだと思います。これは、単に国の権限が地方に委譲されるということではなく、市民自らが政治や社会の問題を自分たちの責任で解決していく、「自己責任」社会の出発点として位置づけられます。
 生活クラブが、1965年に東京世田谷に細々と産声をあげて以来一貫して追求してきたのは、、この「自己責任」社会をつくっていくことだったといえましょう。生活クラブでは「自主運営」「自主管理」という言葉が多用されてきました。組合員による生活クラブの自主管理、消費材の自主管理、組織の自主運営、そして住民による地域社会の自主管理というふうに。
 牛乳からはじまった生活クラブ生協の活動はこの40年間に大きく発展し、組合員自らが参画して様々な消費材を開発し、利用してくるとともに、代理人運動、ワーカーズコレクティブ運動、クラブ・チーム活動、環境や福祉の活動など、地域社会に貢献する様々な活動を生み出してきました。04年には、社会福祉法人生活クラブ、生活クラブ・ボランティア活動情報センター(VAIC)という2つの新しい生活クラブも誕生しました。これらの活動の底を流れている理念はすべて共通しています。私たちは、自分たちのことを他人委ねて不平を言うのではなく、自分たち自身が自分たちの問題を解決する「自己責任」社会を追求してきたのです。
 明治維新以来の大きな時代の節目、この21世紀初頭の日本という社会で、そして、千葉県という地域で、私たちはどういう社会的な存在価値を持って活動していくのか、そのことが問われています。これまでの生活クラブ千葉29年の歴史と蓄積を大切にしつつ、新しい時代の新しい発想で、時代を切り拓く生活クラブの近未来像を描いていきたいと思います。−続く



この論文・あの図書 「21世紀システム」構築のための鉱脈を示唆する三点
粕谷 信次(法政大学教授)

(1)C.ボルザガ・J.ドゥフルニ編著(2001)『社会的企業』(和訳:内山哲朗・石塚秀雄・柳沢敏勝、日本経済評論社、2004年)

 市場化の波を受け入れつつも、決して社会的ディメンションを手放さないヨーロッパ諸国の社会革新への挑戦は、つねに、われわれに強い刺激を与える。最近の『社会運動』誌には、「社会的企業」という言葉が頻出しているが、表記の鉱脈のありかを示唆するものとして、C.ボルザガ・J.ドゥフルニ編著(2001)『社会的企業』を第一に挙げたい。
 「国家」、「市場」の両セクターの「失敗」が明らかになるとともに、両セクターに属さない、人と人との直接的な関係(生活世界的な社会関係)からなる「第三セクター」(「社会セクター」)が全体社会にもつ重要性が再認識されだした。そして、この第三セクターにアプローチする概念として、「社会的経済」あるいは「NPO」という二つの有力な概念が提起されている。
 しかし、同書は、この二つの概念では、ごく最近のヨーロッパにおける「第三セクター」の革新を把握しきれないとして、「社会的企業」の登場に注意を促す。「社会的企業」とは、「NPO」あるいは「社会的経済」の新しい展開であり、「企業家的活動性」と「社会的(非営利)活動性」とを併せもった「社会的企業」という新しい法人類型の革新的登場であるという。すなわち、「アソシエーションと財団は、より生産的で企業家精神に富んだ行動へと移行し」、「協同組合が(共益だけでなく)社会的目的が第一義性をもつことを再発見している」という。
 そして、それらが展開している主要な分野として、社会的サービス、コミュニティケアサービスと雇用創出の二大領域を挙げ、それらの相乗的重合のうえに、社会的包摂と地域開発分野が重なり合うことを発見しつつ、その延長上に、第三セクター全体の革新的再構築を、かくて、この革新による、市民的活力に満ちるとともに持続可能な21世紀社会経済システムの構築を展望する。
 この刺激は、「社会的企業研究会」設立に向けてわれわれを誘うに十分である。

(2)宮本太郎「非営利セクターの新しい役割−福祉政策による労働支援とジェンダー平等−」『社会運動』296号(訂正版:ブックレットより)

 この論文は、短いながらも、動揺し、再編されつつある福祉国家についての著者の壮大にして細密な比較研究を背景としながら――「社会的企業」セクターの潜在的可能性のディメンションを(1)で示唆された以上にさらに高めつつ――、われわれが求める21世紀社会経済システムづくりのもっとも豊かな鉱脈のありかを透徹した論理で示唆する珠玉の論考であるように思われる。
 著者は、差し当たり、ワーカーズ・コレクティブの活動を念頭において――しかし、ワーカーズ・コレクティブを「社会的企業」に置き換えてもよいという、したがってことはより大規模、かつ、よりダイナミックになり得る――、つぎのようにいう。
 「(ワーカーズ・コレクティブは、)無償労働、有償労働のそれぞれの領域にまたがり、かつそのなかで市民の自律的な活動を支援していく、あるいは活動空間を形成していく、その軸心にある」と。つまり、人びとの働き方(生き方)において、家庭内の無償労働と雇用関係の下にある有償労働(賃金労働)との間に、新しい連帯・社会的な働き方の活動空間――いってみれば、「有償ボランティア労働」(あるいは、ベックの「市民労働(対価は市民給付)」)の空間――を広げる。
 ただし、著者は、それだけでは、ジェンダー平等化は必ずしも達成されない、といい、次の重大な条件を付する。3)ワークシェアリングをはじめ、労働市場の論理を生活世界の論理に沿って改革して、4)両性ケア労働提供者モデルの提起するような、有償労働、無償労働を両性が共に担う関係を実現していかねばならない。女性運動、労働運動との連携を必要とするのである。しかし、筆者(粕谷)には、女性のアンペイドワークをこのように新しい活動空間に引き出したときに、労働運動の再生も実ははじめて可能になるというように、両者は相互関係にあるように思われる(労働運動は、団塊の世代がいよいよ企業から解放されてコミュニティに参加し得るようになり、ここに一つ期待がかけられるが、しかし男だけでは再活性化するとは思われない)。

(3)成島道官「東アジア共同体の可能性と問題点」『社会運動』302号

 すでに与えられたスペースを使ってしまったが、どうしても、もう一点触れておきたい。持続可能な「21世紀社会経済システム」は、グローバリズムの勢いを止められない限り、一国内での構築を目指して、こと足れり、するわけには行かない(グローカルな市民的公共性の拡大を必要とする)。
 20世紀末のWTOシアトル閣僚会議が挫折して以降、多国籍企業を推進力とする新自由主義の巨大なうねりは、FTAを次々に締結しつつ、グローバリゼーションを進めている。東アジアでもいまや二国間から一気呵成に東アジアFTAに進もうとしている。しかし、経済活動の自由化をFTAによってさらに進めようとしても、通貨体制の問題にしろ、エネルギー問題にしろ、東アジア諸国が国家主権の一部を放棄を迫るなんらかの共同なしには難しい問題に直面するに至っている。東アジア共同体論が東アジア諸国から――域内統合の進展を主要な論拠として――提起されている背景がそこにある。日本では、諸格差の拡大による社会的持続可能性、環境破壊による生態系的持続可能性への無頓着に加えて、偏狭な復古的ナショナリズム、米国依存の日本独自外交の放棄が重なり、それにすら反対している人々が少なくない。
 しかし、中韓がこれに積極的な姿勢を示すに至って、日本でもこの議論の受け皿づくりが必要だとして、急遽、官主導の政財官学「オールジャパン」の「東アジア共同体評議会」がつくられ、諸構想がいろいろ語られだした。しかし、そこに、NPOセクターも「社会的経済」セクターも、日本における「第三セクター」は、スッポリと抜け落ちている。ことは急を要する。『社会運動』300号記念フォーラムの紹介ともに、掲載された成島論文は、官財主導の、その東アジア共同体論の問題点を突くものであり、これから『社会運動』で展開されなければならない重たい課題と同時に21世紀システム構築の真に巨大な鉱脈のありかを示唆するものであると思う。



<この本薦めます>ワーキングマザーの生活と夢 藤澤和子著 文芸社 1500円+税
小池 雅子(目黒区・保育士)


 著者の藤沢さんとは、私の次男と彼女の長男の東輝くんが同じ保育園の0歳クラスからのお付き合いです。彼女が学童クラブの指導員、私が保育士として、まさにワーキングマザー真っ盛りでした。本文中にもありますが、お互いに子どものお迎えを頼んだり、夜の会議のために預かりあったりして、毎日を駆け抜けていたように思います。そんな彼女から小包が届いた時には、すぐ「とうとうやったな」ピンときました。育休中に、「私いつか本を書きたいと思っているの。そのために少しまとめ始めているんだ。」と聞いた時、上の二人の子育てと仕事だけでも大変なのに、すごいなあと思ったこと、やるとなったら集中力のある彼女のことだから、やるかもねと思っていたことを、思い出しました。
 この本は、帯にもあるように<働く母はがんばるぞ〜。21世紀に生きる若い女性たちへの応援歌!!>です。私たちが子育て中、忙しい中でも何かと理由をつけて親同士が集まっておしゃべりしてきたのも、その時々の年齢での子育ての悩みを出し合って、「私だけじゃないんだ、がんばろう」とか「こんな知恵もあるのか、やってみよう」と元気をもらうためだった気がします。この本には、働く母のがんばりや子育ての大変さだけでなく、子育ての楽しさ、子どもの成長の喜び(たくさんの連絡帳は財産ですね)、生活の知恵・子育ての知恵がいっぱいです。現在進行形のワーキングママ達にも、これからそうなろうとしている世代の人たちにも、知恵をもらいつつ、頑張ってみようかなと思える本だと思います。
 もう一つ素敵なのは、そんな大変な子育て時期を過ごしながら、また少し子育てが一段落してからの彼女自身の人間としての、一人の女性としてのはばたきです。映画の事、コンサートの事、バレーのこと…文化への欲求もあきらめない、学びたいという欲求も持ち続け、しっかりと実現する。第4回国連世界女性会議NGOフォーラム、北欧の福祉研修、ニューヨーク2000年女性会議への参加と、広汎な世界に目を向け学んでいくバイタリテイには頭が下がります。子育ても、働き方も、こまごまとした生活の事も、こうした大きな仕組みや動きと切り離さず捉える視点がこの本全体に貫いているのは、そんな彼女の学びに支えられているのを感じます。
 仕事と生活に押し潰されそうになっている多くの女性に、もちろん男性にも!この本を読んで欲しいと思います。そして、どうしたら「女性がもっと働きやすく、もっと生活しやすい国」にできるか一緒に考えられたら素敵ですね。
<参考>あまたにあるようでないのが、この本と同様に「子育ては大変だ」の一言で集約されない現実をトータル捉えた書籍の類である。それが告発するのは、そのままこの国の無策ぶりである。<共同保育>を作り出した「働く母の会」の50年にわたる歩みは、まさしく「子育ての戦後史」に他ならない。著者の藤澤氏も執筆しており、同じく薦めたい。(編集部)
「働いて 輝いて 次世代へつなぐ働く母たちの50年」(働く会母の会編ドメス出版2500円)


ネットの動き 憲法改正問題に取り組んで(中間報告)
信州・生活者ネットワーク岡谷 中川 淳子


 私たちは近年の国の方針に『危険な、きな臭さ』を感じていた。教育現場に国旗と君が代を持ち込み強要し、教育基本法を変えようとし、イラクへの自衛隊派遣を強行している。これで憲法改正となり、9条を変えたらたいへんなことになるのではないか…と不安でいっぱいになっていた。私たちは『憲法改正についての学習会を開こう』と米倉氏に講師の派遣をお願いした。その時に氏から『…9条があるのに自衛隊はイラクに派遣されているでしょう。自衛隊の位置付けも考えないと状況は変わらないんじゃないかな?』と言われ、言葉に詰まってしまった。確かに政府は9条の存在には目をつぶり『イラク復興支援特別措置法』を発令し、自衛隊を戦闘中のイラクに送ってしまった。自衛隊の活動範囲はこの前例によってさらに広がってしまう可能性が大きい。止める何か、を私たちは持たなければならないということはわかっているが…。
 第1回の学習会は、『明るく楽しく考えたい市民の憲法』と題して市民シンクタンクひと・まち社の山田氏を迎えて行った。明るく楽しくと言っても、参加メンバーは公民の授業以来憲法にはお目にかかっていない人ばかりで皆不安を募らせていたが、学習会終了後の反省会では『現憲法に幾つかの誤りがあるにしても、現実との乖離や他国の改正頻度を挙げて改正へと向かうのは疑問。環境権や、地方分権の推進は理解するが、9条については変えるべきではない。今、国民のどれほどが憲法改正について議論しているだろうか、さほどの議論が無いまま国民投票を行ってはならないと思う。』など、それぞれに意見を出し、活発に話し合うことができた。そして更に学習を深める為、信州ネット主催の憲法学習会に参加した。信州ネットでは衆議院法制局の橘氏を迎え、『最近の憲法論議をめぐる動き』として最終報告書を提出した衆議院憲法調査会の活動を中心とした話を聞き、また、今後どのように進めていくのかについてまでを知る事が出来た。−続く


《状況風景論》 震災の記録と非営利・協同の活断層&わっぱの会の突破力

●震災が生んだNPO法
 東京と宮城でおこった強い地震は、改めて震災に備えることの重要性を痛感させた。死者6千人を越えた阪神・淡路大震災。その兵庫の生協・都市生活の理事研修に出かけた私は「防災未来館」に案内された。それは1.17の震災を崩壊していくビルや高速道路を映像で体験するシアター、倒れ燃える街の中を歩く通路、そして震災復興に駆けつけるボランティアの何千枚という写真のコーナーで構成される。阪神大震災がNPO法を創ったのだという実感と追体験ができるものになっている。東京の防災が治安に傾く中で、震災とは政府も市場も機能しない地域の市民力、共助・共生である事がよく記録されている。
 あの時「コープこうべ」と「都市生活」が繰り広げた地域生活支援と被災者支援法の不屈の活動が忘れられない。その記録は都市生活地域復興センターの生協・都市生活の炊きだしに並ぶ市民の写真やことばを綴った『共生社会への讃歌』にまとめられ、協石連傘下の協同組合ではおなじみだ。震災後「10兆円近くの税金が注がれた」(県復興推進課)ためか街は箱モノで埋まって何となく冷たい印象は否めない。理事研修には新任の人が多く、世代の活断層も走っている。当然にもこの硬質な街で、「生協の未来は」「社会の中の生協は」の問いが多かった。
●NPOと協同組合は今…
 昨年12月、閣議決定された「今後の行政改革の方針」は、「許可主義を改め、…準則主義により簡便に設立できる一般的な非営利法人制度を創設すること」を打ち出した。この明治以来の民法34条に踏み込む官の提起に「非営利・協同セクター」のNPOと協同組合は今、どのような立場をとろうとしているのか。その両者はサード・セクターとしてもっと協議しこの千載一遇の機会にもの申すべきではないか。今の議論では協同組合は特別法の温室の中でこのらち外とされる。
 ここでいう非営利法人の対象は、現公益法人と中間法人と任意団体の準則主義による法人だけで非常に変則的なものとなる。肝心のNPO法人も特別法ではずれている魔可不思議な提起なのである。今、EMES(欧州のサード・セクター研究ネットワーク)とISTR(国際NPO・NGO学会)は、社会的企業という概念で、協同組合とNPOの交差空間こそ重要として市民力による非営利事業の創業を提起するとき、またもや日本はその間を遮断しかねない。7月の社会的企業研究会で、市民福祉団体協議会の田中尚輝氏は「協同組合陣営は怠慢ではないか」と議論の立ち後れを指摘されたのはもっともなことだった。これでは協同組合は21世紀の「市民セクター」の中に生き残れない。
●就労創出にかけるわっぱの会
 わっぱの会30周年総会で、「社会的協同組合」紹介の第一人者、田中夏子さんが話をされるというので出かけた。田中さんはとても丁寧に働くことに第一義的な意味を見いだしたイタリアの社会協同組合の意義を語られた。私は共同連が「当事者主権」を具体化した事業体、さらにはさまざまな法人を活用して就業の場をつくりだした点でその苦労は日本での「社会的企業」なのだと強調した。その点でワーカーズ・コレクティブは協同組合の側から「社会協同組合」に接近したが、わっぱの会の30周年記念企画『旅するわっぱ』のビデオをみると生活共同体から出発して「共に働く」を結実、いきなりトリエステの伝説・サンジョバンニ精神病院跡の場面に突っ込んで、専門性と制度の話に違和感をもって失望するのは凄い。連帯の中の断絶、何より個人の感性で体当たりする若い力に突破力を感じる。
●部落解放文学賞と「接点の会」
 第31回部落解放文学賞、識字部門入選作「わたしの一日」がいい。78歳の定山順徳さんの肉声がきこえる。『部落解放』552号には、土方鐵さんへの追悼を金時鐘氏と鎌田慧氏が寄せている。「解放新聞」編集長、「差別と闘う文化会議」事務局長として活躍、その氏のことについて、上田正昭氏の提唱で部落、沖縄、在日朝鮮人問題を考える『接点の会』があったことを金時鐘さんが語っている。それは今、歴史「再審」が問われる時代、貴重な民衆の遺産だ。
(柏井 宏之)

雑記帖 【細谷 正子】

 少し前からだろうか、求人募集に応募してくる状況を見ると、団塊世代の男性の動きがにぎやかになってきた気がする。早めに次のステージの準備を始めるのか。また、私の仕事の関係から言えば、介護ビジネス関係の仕事に初挑戦してくる中高年の姿も増えた。これから広がる分野だから仕事はいくらでもあると思ってのことなのだろうか。しかし現実はなかなか厳しい。
 一方の受け入れ側は、時間をかけ慎重に選んでいく。それは、団塊世代の定年を意識していることもあるが、それよりも、これからの時代に必要なキャラクターを吟味している、という感じだ。明らかに仕事の質が変わる時代に、これまで通りの人材はいらない、と考えている。
企業が、次に必要な人材の質を探している。しかし昨日まで関係も無い会社の真ん中で働いていた人が、これまでとは違うキャラクターを要求されてもそう簡単なことではないだろう。
 しかし私たちなら、この求められている人材にかなり近い人材たちを、どうすれば用意できるか、わかっているのではないか。
 このような様子の今だからこそ、福祉ビジネスにおいては、その地域に住む人にとって必要な仕組みを、今ある実体を編みこみながら、つくっていくチャンスだと思う。一人ひとり生き方の違う人、抱える状況も違えば、望みが違う。そんな地域に何があればいいのか、誰がいればいいのか、その問題を解決する方法は、かつての生協組合員の得意なところではなかったか。これまで、地域にそのための仕組みをたくさん作ってきた。地域社会で定着してきた歴史がある。そこから更に網を広げる時かと思う。でも、何かズレを感じる。企業人の私からみても、はがゆい程ズレを感じる。

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