月刊『社会運動』 No.307 2005.10.15


目次
「社会的企業」研究会報告 社会的企業論の射程 北島健一‥‥ 2
NPOと日本での社会的企業――運動面から 山岸秀雄‥‥13
食の焦点G じゃがいもと日本農業 今野 聰‥‥23
化学物質規制法をめぐって 私たちは有害化学物質を次世代に残さない 安間 武‥‥25
書評 現代生協論の探求・現状分析論 柏井宏之‥‥45
 ワーカーズ・コレクティブ―地域に広がる福祉クラブのたすけあい 野崎雅利‥‥48
 市民立憲案2005 廣瀬克哉‥‥52
<追悼>藤田友治氏 市民歴史運動家の死 室伏志畔‥‥56
<状況風景論>野村かつ子さんと平和賞、八幡山界隈&連合の「地協構想」 柏井宏之‥‥59
雑記帖 古田睦美‥‥60


第3回「社会的企業」研究会報告 社会的企業論の射程 フランス、イギリス、アメリカの認識の差

松山大学経済学部教授 北島 健一

 当初は「連帯経済の現代的意義」というタイトルで研究報告をするということでした。「連帯経済」となるとフランスの議論が中心になろうかと思います。しかし、いま、きょうおみえになっている農林中金の重頭さんたちとご一緒に、「社会的企業」についてイタリアやイギリスを回って調査研究していますので、きょうはそういうものも踏まえて、お話ししたいと思います。「意義」というところまで確定したものは今のところ出しにくいと思いましたので、どんなインパクトを持ちうるのかというタイトルで報告させていただきたいと思っております。

1.社会的企業の大まかなイメージ
 まず、連帯経済と社会的企業とがどう関わるのかということが当然問題になるかと思います。連帯経済というのは、そもそもフランスで90年代の頭頃から定着していった概念であり運動です。それ以前にも失業問題の深刻化などに対応して、オルタナティブ経済と呼ばれる運動が70年代、80年代ぐらいにあったわけですが、そういうものの延長線上に出てきた概念です。
 当初、どういう実態を連帯経済と言っていたのかといいますと、まさに顕在化してきた社会的に恵まれない人たちを助けたり、また持続の難しくなったコミュニティのニーズに応えていく市民のイニシアティブによる「連帯を組み込んだ経済活動」を指していました。とくに長期的な失業者とか、移民とか、ホームレスといった人たちの自立を支援したり、もうすこし対象の広がる保育などの福祉サービスを担ってきた市民団体を念頭に置いて出てきた概念なのです。

ヨーロッパで「社会的企業」(フランスでは『連帯経済』と呼ばれる)登場してくる背景(インターミーディアリーとしてのサードセクターの視点の重要性)

 ただ、そういう新しいイニシアティブを研究する人たちが国際的に交流するときに、ではその「連帯経済」という概念が通じるのかというと、そうはいかない。これはかなりフランス的な概念であるわけです。19世紀の30年代、40年代ぐらいに起源を求めるのですが、フランスの歴史・文化に根付いた考え方であります。そういう意味で、「社会的経済」という概念もそうでしたが、連帯経済もやはりすんなりと入っていかない。そこで、ヨーロッパの共通の概念として出てきたのが「社会的企業」であるわけです。
 フランスで連帯経済を広めるうえで大きな役割を果たしてきたのはラヴィルという社会学者です。彼は社会的企業研究のヨーロッパネットワークの一員でもあり、そこからも知れますように、連帯経済と社会的企業というのはほぼ重なるといってよいかと思います。ただ、最近は連帯経済をもうすこし広げて使うような傾向が出てきていることも確かです。
 だいたい連帯経済というのは、社会的経済が組織の法形態や運営原則によって定義されてきたのに対して、それとは一定の距離を置いて、もうすこし意義とか目的といった中身のレベルで考えようとしてきましたので、わりと抽象的なつかまえ方をしてきたわけです。そこで、最近はそれを反映して、具体的なレベルでは少し広く使っていこうという傾向がみられます。−続く


第4回「社会的企業」研究会報告 NPOと日本での社会的企業 ―― 運動面から
NPOサポートセンター 理事長 山岸 秀雄


はじめに
 私のほうは運動面からということでお話しします。山岸流の実践論だと思っていただければと幸いです。
 1998年にNPO法が通ったわけですが、よく欧米人が来て、日本のNPOの制度とか論議は四半世紀から30年遅れていると言っていました。
 欧米では反戦運動に参加した世代は未だに「68年世代」というような言い方をしております。そこが大きく社会の転換があった時期だという言い方をしています。ここでたぶん欧米と日本の社会の選択が違ったのだと思います。欧米、とくにアメリカでは、60年代末、ちょうどこのときにNPO法の制度の整備をして、政府や経済界は意図的にNPOをつくらせて、反体制的な運動を体制内化していくという一つの面を意識的につくったのだと思います。ヨーロッパでもそうだと思います。NGOを沢山つくっていくという制度をやってきています。
 その差がどういうことになるかというと、4〜5年前、朝日新聞の政治記者に今の欧米のリーダーを全部洗って調べることを提案したら、特集記事で書いたのですが、カナダ、イギリス、フランス、ドイツと全部調べたら、その8割ぐらいの首相とか大統領がかつて学生運動を過激にやって手配されたり逮捕されたりした人間なのです。そういうことで、欧米は反体制的な動きをしていた人間をもう一回社会に取り入れながら、もう一回政治の舞台に上げていっていた。
 それに対し、日本ではそういうことは排除していくという、まさに管理型社会をつくっていたわけです。当然、そういう固い社会ですから、女性差別もあれば、障害者に対する差別もあった。こういう部分を温存してきたというのは、先進国で唯一日本の制度のあり方の選択が、68年の前後あたりからあったのではないかと。NPOの運動をやるときは、いつもそこを見定めながら、今、自分は何をすべきなのかということを考えています。
 そうは言っても、いろいろな目的を考えたりしながらも、NPOの最大の悩みはどうやってめしを食うのかということで、それがいつも頭の9割ぐらいを占めている。それでもミッションとか、いろいろ言いながらやるので、なかなか悩みは深いということです。−続く


<食の焦点G> じゃがいもと日本農業
(財)協同組合経営研究所 元研究員 今野 聰


1、戦後風景とじゃがいも
 今年の「『農業白書』(平成16年度)を精読していたら、輸入途絶など不測時の食料自給は」と、物騒なことが触れられている。昭和27年度ベースで「いも類などの熱量効率の高い作目への作付転換」で「1人1日当たり1,880〜2,020kcalの熱量供給が可能であるとの試算結果がある」という。そこにイラストされた1日に3食のメニューは、朝食:じゃがいも2個、昼食:じゃがいも1個、さつまいも2本、夕食:さつまいも1本で、ごはんは朝夕各1杯が基本である。なにか、くらっとタイムスリップした。試算結果であって、実メニューではないと但し書きがある分、一層当時を思わせて、不思議である。
 昭和27年は、私の中学1年生である。即座に想いだせる。宮城県の農村では春休みは、じゃがいもの種まき。初夏はいも畑で、巨木のようなあかざの草取り。夏休みに入るとすぐ、じゃがいも掘り。この農作業手伝いは終日もあったが、大抵半日幅だった。こうして子供の頃の定番手伝いが義務化された。こうしてじゃがいもは常食だった。
 ではごはんとの関係はどうだったか。白米にじゃがいもの増量補給で「カデメシ」が3〜4日に1回か。昼ご飯はなく、そっくり皮ごと煮じゃがいもということが実に多かった。それで、昼食事がうまかったかどうか。個人差があるが、選択の余地はなかった。じゃがいも常食だから、戦後10年間の食事風景は微妙なじゃがいも観になる。じゃがいも嫌いは同世代人によくいる。よほど白米を食べられなかった口惜しさなのだろう。−続く


<自治体公共政策研究>有害化学物質を次世代に残さない EUの新たな化学物質規制(REACH)をめぐって
<お話> 安間 武(化学物質問題市民研究会) <聞き手> 編 集 部


 EU憲法国民投票の「否決」という報道は、衝撃的であったが、その後「何故か」という報道はつとにみあたらない。日本のマスコミは、欧州よりアメリカに偏っている。こうした中で同じような扱いがこのREACHをめぐるものだ。REACHの本質については政府や企業、マスコミ、より市民の方が鋭敏に反応している。この市民の声を日本の化学物質政策に反映させたい。(編集部)

北海・バルト海の汚染は、一国認識を変えた
――まずREACHの背景と現状からおしえてください。
<安間>ヨーロッパの人々は地球上のあらゆる場所や生物が大量の化学物質で汚染されていることを知るようになりました。年間約4億トン、数万種類の化学物質が製造されており、水、土壌、大気、植物、動物、人間など、あらゆる場所を汚染していることに気がつきました。
 私は前欧州議会議員でREACHの策定に深く関わったスウェーデンのインガー・ショーリングさんが著した『EU化学物質政策の探索ガイドREACH何が起きたのか、なぜ?』という本を翻訳しましたが、その中では、これらの汚染を調査した多くの報告の例を挙げて次のように説明しています。
 汚染物質が、その発生地である温暖地域から地球規模の蒸留作用で上空に上がり、長距離飛行して山岳地帯や北極にまで運ばれて、大気、雨水、雪、海、湖、川などの環境を汚染しています。そしてそこに棲む生物や人間を汚染しています。
 また、汚染物質は身の回りの食物、たとえば魚、野菜、果物や、家の中の埃、そして人間の血液、組織、さらには母乳をも汚染しています。
 化学物質への暴露は人間の様々な病気と関連していると言われています。化学物質が原因と言われる病気には、がん、心臓血管系疾患、呼吸器系疾患、生殖系疾患、発達系疾患、神経系疾患、化学物質過敏症などがあると言われています。特に、胎児、子ども、そして女性などが化学物質による影響を最も受けやいのです。
 人々は地球環境が破壊されていることを実感しています。気候変動、オゾン層の破壊、生態系の喪失、大事故、雨や湖の酸性化、地表オゾンの増大、川や湖、地下水の汚染、森林破壊、海岸の汚染、廃棄物、そして生態系の一員である人間や動物の健康へのダメージです。
 化学物質汚染は国境を越えて自由に広がっていきます。ヨーロッパでは特に北海やバルト海などの海洋汚染がひどくなりました。これらの環境汚染は一国では対処できないという認識の下に、1972年、世界で初めて環境保護をテーマにした国連人間環境会議がストックホルムで開催されました。そこでストックホルム宣言が提案され、各国首脳はその宣言に述べられた環境の保護の指針原則に合意しました。
 その後、環境汚染に対する多くの国際条約が結ばれました。これらの国際条約にはそれぞれ重要な概念や原則、目的が盛りこまれています。EU加盟諸国の政策において、環境問題や化学物質問題が重要な課題として位置づけられていきました。
――これは汚染が国際性を持っているということで、いろいろあるかもしれませんが、EUの統合が牽引していくという要素が大きいですか。
<安間>EUはヨーロッパ諸国が軍事と外交を除く社会、経済政策について、ひとつの共同体としてまとまった国家の連合ですから、当然、環境問題もEUの大きな政治課題となります。
 環境の問題についていえば、最初の1972年の時は、ECはありましたけれども、もっと小さかったですね。しかし、彼らにとって身近なバルト海とか北海の汚染を目のあたりにして、一国では解決できませんから、国際間で処理しなければという認識だったと思います。
−続く


<書評>『現代生協論の探求』 (現代生協論編集委員会編、コープ出版、2005年)
勝ち組めざすリアリズム 事業統合路線の全面化と緻密化


 生協総合研究所が01年以来追求してきた「生協学」の成果を6部15章17人からなる構成で世に問うた労作である。わが国の総世帯数の3分の1を占めるまでに拡がり、成熟した日本型生協が、これからのあり方を「大きな文脈の中で見直す」(まえがき・藤岡武義)として、日生協の進める事業統合路線の理論的緻密化の試みを意味付けした著作である。そのため生協総研、日生協のラインの専門家たちが未来構想のデッサンを描き、多様な広がりの分野に有識者の知見を求める構成となっている。

●成熟段階迎え収斂思考が突出
 トップ論文、「日本型生協の特質と現状、変化のトレンド」(栗本昭)がキーである。それは氏が03年に監修した、世界史的なパラダイムの転換期のもとでおこった『ヨーロッパ生協の構造改革―生き残りをかけた挑戦』(コープ出版)で精緻に報告されたヨーロッパ生協の収斂のモメント、グローバル競争のもとにおける@コア事業への集中、A大規模事業システムの構築、B大規模組織のガバナンスを基本的な方向として認め、日本でも遂行しなければという基本認識である。なぜか。日本で多国籍企業ウォールマートの本格的な展開のマグニチュードが襲う前に生協の転換を進めなければ生き残れないという危機認識である。それも相手が全面登場する前にという勝ち組をめざす時間のリアリズムを感じさせる。この間、日生協は事業戦略としてのクリティカルマスということで、流通に影響を与えるためには量的な大きさ、共同開発・共同仕入・機能統合としての広域地域連合の統合が必要との論に収斂、それはイタリアの経験に学ぶとされている。全国10地域ほどのリージョナル・グループのイメージ図を描き、その日生協の統合路線は瞬時に全国を席巻した。フランス、ドイツなどの生協が多国籍企業に敗退した中でイタリアでは、多国籍企業上陸の前に、生協がアドリア海、北西部、ティレニア海で広域連合を形成、健闘していることを実例モデルとして紹介、それは確かに事実である。
 だが同時にイタリアの場合、分権も統合以上に強調されている。何より多種多様な協同組合が協働しあっている。イタリアでは大きいのも小さいのも、消費も生産も信協も農協も労働者生産組合も、さらには市民の創る公共を拓いた社会協同組合も地域できり結びクモの巣のように縦横に健在なのであって、二次組織、三次組織の統合だけが全面開花しているわけではない。このようなイタリアの協同組合地域社会のネットワークが活力の源泉なのではないか。その点でコミュニティへの単協の自治と自立は底力がありさまざまに豊かである。そこの強調のない収斂は、結局垂直統合にならないか。
 日本での統合を論じるならば、10年前のコモジャパンと今回の統合再編はどう違うのかからもっと丁寧に論点整理がいるのではないか。
−続く


<この本薦めます>ワーカーズコレクティブ−地域に広がる福祉クラブのたすけあい−
編集:福祉クラブ生活協同組合中央法規・本体価格1800円


 ぼくは福祉についてなにも「知っていない」、いやまったく自分は「門外漢だなあ」、と思いながら書評なるものをいま書こうとしています。
 ですからせめて、「地域の福祉とはいかにあるべきか?」の試みの数々を、ワーカーズコレクティブという働き方・組織のあり方の実践において−参加型福祉の活動を現在進行形で担っておられる−著者の方々の主張に対し、失礼のないよう、ご紹介させていただきます。

 本書は、1989年に全国で初めて「組合員とワーカーズと職員とで創る生協」として、また、全国で初めての「福祉専門生協」として歩みを続けてきた福祉クラブ生協が、その15年間で積み重ねてきた活動の到達点をその当事者自身がまとめ、整理された貴重な実践報告集です。少子・超高齢社会が現実のものとして間近に到来する日本の未来を考える時、「私たち」が自分たちの生きている社会、世界について知り、いくらかでも良い方向に向けてゆけるように、これからの生き方や新しい地域社会を創っていくためのヒントや勇気、そして元気を与えてくれる本です。
 ワーカーズコレクティブは、協同組合の精神に基づいて、雇われるのではなく、対等な立場で自主的に自己決定して責任を持つ働き方です。起業し、地域でさまざまな職種の事業を展開しています。地域の生活を充実させるために必要な機能を担う「非営利」の市民事業でもあります。その事業は、まちを明るく元気にする手段の一つとして、メンバー一人一人が目的を持ち、能力を生かし合いながら生き生きと働く「コミュニティワーク」です。ワーカーズコレクティブは全国で600団体あり、神奈川県にそのうち219団体あり、連合会をつくり、相互扶助とワーカーズコレクティブ法制化を目指して活動しています。私が「第6回ワーカーズ・コレクティブ全国大会in北海道」に参加させていただいた際に最も強く印象に残ったことは、経済低成長の失業の時代に、働く場の創出と、おおぜいのワーカーズコレクティブメンバーによる地域経済の振興を「誇り」をもって本気で進めていると、頼もしく感じられたことです。−続く


<この本薦めます>『市民立憲案2005 いま、みなさんと話し合いたいこと』
著:市民立憲フォーラム(生活社、2005年)


 本書は2004年4月に発足した市民立憲フォーラムが、今後の日本の社会や政府、国や国家がどうあるべきかについて、市民を基点に約1年間にわたって検討を重ねてきた内容を中間報告としてとりまとめたものである。「中間報告」と名付けられているのは、これが成案として提示されているのではなく、「市民的討議」を始めるための叩き台として示されているということを意味している。また、一部を除き条文の形式をとっておらず、憲法の全体をカバーするものではない、という点でも中間報告である。カバーされているのは平和、市民の自由と権利、地域の自治、裁判所、市民勧解制度(注)の5点に限定されており、天皇、内閣、国会、財政などについては今後の討議課題とされ、この中間報告には含まれていない。

憲法とは何か
 本書の独自の存在意義は、憲法とは何か、また、何であるべきかについて、市民を基点にして見る立場にたって、あらためて根底から論議していることにある。誰が憲法を定めるのか。つまり、誰が「法」に基づいて「政府」を作るのかという問いが、本書の議論の出発点となっている。そのためには、国という制度がなくなっても当然のこととして存在する「人びと」を位置づけることが必要であり、本書はそのような人びとの呼び名として「市民」という語を用いている。市民立憲の「市民」とは、そのような意味で理解すべきものとして提示される。これは、近代立憲主義の原点に立ち返った古典的な主張であり、目新しい議論というわけではないが、現代日本の憲法論議のなかでは、それが異彩を放っている。
 政治家による憲法論議の中には、現行憲法に国民の権利ばかりが多数書かれていて国民の義務が少ないことを問題視するものが目立ち、あるいは個人的な生活の場における倫理に属する事項を憲法の中に書き込もうという主張が散見される。また、政府だけではなく、人びとが構成する社会のあり方や、個人的な生活まで含めての「この国のかたち」の設計図として憲法を位置づけていると思われる主張も数多い。そのような憲法論議のあり方に対して、本書は憲法というものの基本に立ち返って批判を提起しているのである。
 本書の主張を、ひと言にまとめるならば、「わたしたち市民」が「法」を定め「政府」をつくり「責任」の在りかを明らかにするのが、憲法を立てるということだ、となる。市民的討議が展開され、それにもとづいて新しい憲法を立てることができれば、本書の主張の根幹は達成されるといえよう。−続く


市民歴史運動家の死ー藤田友治追悼 「天皇陵」公開要求や日中学術交流に足跡
室伏 志畔(越境の会)


 70年代に始まった古代史ブームは、80年代に入ると市民による歴史研究運動を胎動させた。その中にあって、かつてない組織力を示した藤田友治氏(歴史・哲学研究所所長)は、この8月27日、還暦をまたず逝ってしまった。(『社会運動』271号、272号、273号、283号、284号、301号に藤田氏の論文収録)

◆市民の歴史研究と天皇陵の公開要求
 君は、これまでの大和一元史観に飽きたらず、大和朝廷に先在した九州王朝・倭国を説く古田武彦に注目した全国に散在する市民による歴史研究会を、80年代に入ると会員が800名、非会員数千名の突出した全国組織としての「市民の古代」の会にまとめ上げた。そこに君の関学での大学闘争の経験と、立命館大学の大学院での哲学研究が生きていた。その意味で「市民の古代」の会の拡大は、単にヘッドとしての古田武彦の存在だけによったのではなく、エンジンとしての君の機動力なしにはあり得なかった。それはその後「古田武彦とともに」ある諸会が、君が組織を去るとせいぜい数百名の組織以上に出ないことによって明らかである。
 君はその年誌「市民の古代」の先駆けになった「古田武彦とともに」の中で、「宮内庁への『天皇陵』公開要求交渉」について触れ、宮内庁書陵部と直接交渉を持ち、市民がもっと手近に資料を入手にできるようにと要求している。その後、君は会とは別に、茨木市を中心とする歴史研究の市民講座を開校し、集って来たメンバーを組織し全天皇陵を市民と共に歩いて調べる見学会を組織し、平成の蒲生君平(注1)を気取り、『天皇陵を発掘せよ』に始まる天皇陵シリーズを三一新書から次々に発刊し、注目を集めた。それは古田武彦にはない市民参加型の研究として、新しいスタイルを君は開いた。そのことは大いに評価されよう。
 僕はそのとき、60年安保後のデイス・コミュニケーションを軸に吉本隆明が編む「試行」の影響化にあった。そのため、君が会を緩やかな開かれたものとして結んで行くのは、ベ平連の市民組織論に似たものを感じ、一抹の不安を感じたのは、世間の風向きが変ったとき、この組織はどう対処しえるのかと云う危惧にあった。−続く


《状況風景論》野村かつ子さんと平和賞、八幡山界隈&連合の「地協構想」

●ノーベル平和賞に千人の女性を
 95歳の野村かつ子さんが「05年ノーベル平和賞に1000人の女性を」の一人に推薦されたことを祝い囲む会が、6月29日、生活クラブ世田谷センターホールで開かれた。京都からJEE(国際環境保護国際交流会)の細木京子さんが出席、スイスから発せられたよびかけには150カ国から2000人にのぼる推薦がよせられ、日本からは野村さんは「難民を助ける会」の相馬雪香さん、在日韓国人宋神道さん、沖縄の「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の高里鈴代さん、歌手横井久美子さん、絵本作家安藤由紀さんらと共に選ばれたと報告した。
 野村さんは、10年前の1995年に語ったレジメを示し、生協運動は「勝つのではなく負けない活動をしよう」と再び強調した。当時、欧州の生協が相次いで倒産、故大谷正夫氏の指摘した倒産理由は「大規模スーパーやチェーンストアとの競争に打ち勝つことに腐心、原点を忘れた生協は組合員の組織であることを忘れた。それ故、組合員が離反した」は今も大事な視点だ。価値と原則を崩さず、ICA100周年大会で追加された2原則「自治と自立」「コミュニティへの働きかけ」を重視し組合員活動や市民活動に熱心な生活クラブを逆に激励された。
●石川三四郎の不尽草房・共学社
 野村さんは今、徳座晃子さんと世田谷区八幡山に住んでおられる。ここは大正時代、文化人の村として知られ、多くの思想家や文人が逍遙した。近くに蘆花公園があってトルストイと徳富蘆花を記念する旧家が保存されているが、その近くに石川三四郎の共学社があった。環状8号線とゴミ焼却場工事で面影はなくなった。大杉栄が伊藤野枝と下町亀戸で活躍したのに対し三四郎は不尽草房とも呼ばれた世田谷の田園地帯にあった共学社で野菜づくりと家畜を飼って若者の一宿一飯を営んだ。石川は谷中村の田中正造の足尾銅山鉱毒事件救援をし、農民自治主義者として知られる。竹下夢二もここで肺結核を病んで死んだ。大宅壮一の戦後の雑誌が集められた文庫は今も若者のメッカだ。農協の協同組合学校のあった地は今はJAスーパーだ。賀川豊彦の肉声が聞こえる上北沢の松沢教会の記念館は、戦前の社会運動の宝庫だ。
 何より野村さんの住む黒瓦の民家には藤村や賀川の直筆の屏風などがある。「一杯資料がありますよ」が口癖の野村さんの海外市民活動資料をフィールドワークするのは読書の秋にふさわしい。そして近くの松沢病院の広大な杜はいつか社会協同組合によって開放されたならと想うだけで楽しい界隈だ。
●団塊世代の定年と地域活性化
 社会的企業研究会の9月例会で労働組合のナショナルセンター連合の「地協構想」を高橋均副事務局長が語った。「労働組合は労働者を代表しているか」と、雇用労働者の19.2%しか組織しえていない労働組合は、未組織、とりわけパート・契約労働者の80.8%に顔を向け、ビジネスユニオニズムからソーシャルユニオニズム(社会的労働運動)へ転換する以外に道はないとする大胆な提起であった。連合が全国471ある地協のうち05年度には106カ所に専従をおき「生活地域」にいる異色の分野の人たちと手を携えてワンストップサービスの空間を創ろうとするもので、それは07年問題といわれる団塊世代の定年退職対応と生涯労働者構想の一環でもある。WNJの金忠さんが「地域では企業の効率論理は通らない。男性が地域に帰ってくる時には『地域で生活する方法』といった私たちの研修プログラムを受けて」と要望、爆笑が湧いた。今私たちが「社会的企業」で事業と運動の業種の壁を乗り越える議論をしている時、労働運動の本体が動き出した。
●面白いグローバル市民社会論序説
 斉藤日出治氏の『帝国を越えて−グローバル市民社会論序説』(大村書店)が面白い。グローバル経済は近代西洋文明による非西洋地帯の支配の過程が極限的に進行するだけでなく、市民社会がグローバルな市場社会へ総動員されるとして、平田清明の市民社会論の今日的読み方を語る。私たちが理解している市民社会論で今日を語るのは無理で6つのタイプを展開、平田没後10年に捧げられている。



雑記帖 【古田 睦美】

 衆院選も終わり、地域は合併秒読みの日常に戻った。既存の利権構造を基盤に主に財政メリットを強調する推進派と、反対してきたものの合併やむなしとなれば、それを契機に合併後の大きな規模では果たしえない、より小さい単位での関係づくりや根本的な地域構造の改革をめざそうとする市民的改革派のせめぎあいが展開されている。私の住む長野県でも、ほんとうのまちづくりの適正規模は?市民参加のルールはどうあればよいのか、市民協働のあり方は?などを根本から考えようと、合併する市町村の市民同士が、お上より先にと動きはじめている。今後、日常的な合併の弊害について具体的に議論していく必要があるだろう。
 たとえば、上田市と合併予定の真田町、武石村は全国でも有数の質のよい学校給食を持っている。真田町では、学校給食会の圧力に屈せず、週5日地元産の米飯(発芽玄米入り)、地産地消で野菜と小魚中心の和食メニューを実施、キレるこどもが多かった以前と比べて暴力等問題行動が著しく減り、集中力が増したのか、小中ともにCRT試験で名の知れたお受験校を凌ぐ成績を修めた。凄いのはできる子ができるだけでなく落ちこぼしがなくなり、以前は60人もいた登校拒否がほぼなくなったことだ。上田市はよくあるセンター給食である。補助金つきで学校給食会経由の米は古古米入り、輸入小麦には環境ホルモン物質が含まれている。何もしなければ合併後真田は上田化する。市民の力で上田の子どもたちにも真田の給食の質を保証したい。市民的改革派の、こんなローカルな課題にグローバリズム的改革は答えられない。こんなことが民主党大敗の一因かもしれない。


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