月刊『社会運動』 No.308 2005.11.15


目次

現代アソシエーション研究会報告 フランスのEU憲法国民投票と市民運動 コリン・コバヤシ‥‥2
「社会的企業」研究会報告
 第5回 社会的事業と金融 山口郁子‥‥11
 第6回 地域協議会強化とワンストップサービスへの展望 高橋 均‥‥16
遺伝子組み換え作物の野外実験を通じた考察 リスク評価論の客観性 科学への市民コントロール 柳原敏雄‥‥24
<子ども>とまちづくり もっと遊びたい、いろんな体験をしたい 雛元昌弘‥‥39
コーデックス・バイオ特別部会 遺伝子組み換え動物などのガイドライン作成始まる 清水亮子‥‥45
WTO香港会議に向けて 中国の遺伝子組み換えイネの開発にストップを 清水亮子‥‥48
韓国生協首都圏連合会を訪ねて 韓国生協運動の目的と課題 金 起燮‥‥50
<書評> 自治体再構築 南島和久‥‥54
<アソシエーション・ミニフォーラム>報告 東村山駅前開発の疑問 島崎よう子‥‥58
<状況風景論> T.ジャンテ氏の来日決定、ILO50周年&関西悲喜情報 柏井宏之‥‥59
雑記帖 大河原雅子‥‥60

表紙からのメッセージ 写真家・桑原 史成
 近年、交通事故が減少の傾向にあるとはいえ、昨年は7,358人の死者を出している。そのうち歩行者2,250人、夜間の事故で70%に当たる1,547人が不慮の災難に遭遇している。
 ことに雨の日の夜の死亡事故が多いのは、自動車の運転手側から先方の歩行者の存在が判別しずらいからとされる。そこで、今は反射材が注目をあびている。交通事故を未然に防ぐために衣類や自転車などに付ける装備品のイベントが10月中旬に新宿駅西口の地下広場でも催された。


現代アソシエーション研究会>報告 フランスのEU憲法国民投票と市民運動
コリン・コバヤシ (著述家、美術家・在パリ)


 EU憲法の国民投票が仏で「否決」されたことを多くの日本人は知っている。しかし、何故か、どういう経過であるか、そもそも「憲法案の内容」について、日本の報道内容は、おそろしく貧弱である。マスコミ報道自体が、アメリカに偏っている。フランスでの市民運動を活発にされ、そして私たちにとっては「協同組合の旅」でお世話になった、コリンさんが来日された折、その多忙な日程の中で、時間をとっていただいた。EUをめぐる新しい動きに注目したい。(編集部)

民主主義のクライシス
 私は1970年からフランスに住んでいますので、考え方が半分フランス化しております。残り半分の部分の日本的精神と、ある意味で葛藤を続けながら生きている異邦人です。外部に立つ異邦人の立場から、今回のフランスのEU憲法をめぐる国民投票周辺の動きをお話ししたいと思います。
 この度の国民投票を通してさまざまなことが明らかになってきました。とりわけ、マスコミ/メディアの問題が危機的な状況にあることが明白になりました。このメディアの問題は、今日の民主主義全体の危機を考える場合、その典型的な表れの一つとして捉えることができると思います。
 日本では主要メディアの大半が政府の御用情報機関と化している現在、こういう問題を批判的に取り上げることはなくなってしまいましたが、フランスにおいては、少なくとも1980年の前半ぐらいまで、ジャーナリズムが曲がりなりにも機能していました。そこには民主主義の根幹である公正、そして多元主義を擁護していくことがメディアの役割であり、民衆の共有財産である情報を平等・公平・多元主義の立場で分かち合うことがジャーナリズムの責務であるという共通認識があったと思います。そのような共通意識が明らかに崩壊の危機に瀕しています。
 今日、フランスの主要メディアにおいても、まず資本の手が強力に延びてきていて、大資本によって新聞社やテレビ局が買収されています。それから、いま申し上げたような、公正と多元主義を守っていくことが放棄されています。左翼系日刊紙『リベラシオン』とか、フランスにおいて最もクオリティの高い新聞と言われている『ル・モンド』でさえ、最近は明らかに公正と多元主義を放棄しつつあります。その背後には、アメリカが主導する新自由主義的なグローバリゼーションしか選択肢がない、という<単一思考>が決定的に影響しているように思われます。
 このようにフランスのメディアはある意味でクライシスに達して、湾岸戦争以来、とりわけ1995年12月、1か月続いたゼネストを境に、非常に問題視されるようになりました。
 1996年、社会学者、今は亡きピエール・ブルデューやその周辺にいる人たちが集まって、ACRIMED(Action Critique M■dias)というNPOが設立され、あらゆるマスコミの情報を分析し、論評を加えていくというかたちで、市民の側からのメディアチェックが始まりました。さらに、2003年、ACRIMEDが中心になって、もう少し幅広いメディアの監視協会・Observateur fran■ais des M■diasという組織が、NPOとして立ち上がり活動を始めました。
 この2つが、EU憲法国民投票に至る前に2度ほど大きなデモを行っています。これは、当時行われた、自由主義を擁護するあらゆるメディアの一方的な情報の垂れ流しに対して、抗議を行ったものです。
 当時のマスコミの報道状況をアンケートで調べますと、報道されている全体量の70%が賛成意見を流しており、わずか30%のみが反対意見というアンバランスなものです。とりわけラジオ・テレビは、極端な排外主義者あるいは民族主義者を招待して登場させ、あたかも、反対意見はそういった考え方の人たちなのだと言わんばかりの情報操作が行われたのです。
 また『ル・モンド』においては、<ATTAC France>(Association pour la Taxation des Transactions financi■res pour l'Aide aux Citoyens,France:市民支援のために金融取引課税を求めるアソシエーション)のような、オルタナティブな反グローバリゼーションの市民運動を展開している運動体の意見は、例えばその代表者ジャック・ニコノフのインタビューが一度載っただけで、他の人々の意見はほとんど掲載されませんでした。しかし、左派の反対運動にインパクトを与え、そのまとめ役を担ったのは、まさに<ATTAC France>のような市民団体だったのです。−続く


<第5回「社会的企業」研究会報告 社会的事業と金融 中央ろうきんのNPO施策から見た現状と課題
中央労働金庫 営業推進部 NPO推進次長 山口郁子


 「『非営利・協同セクター』を支援するファンドの現状とあり方」というテーマに沿って、私ども労働金庫の取組みをお話ししたいと思います。まずは、NPO支援に取組む経緯、そしてNPO融資の現状と課題、今後の展望についてお話させていただければと思っています。

●労働金庫創設の背景
 労金は1950年代、岡山県と兵庫県で誕生したのを皮切りに全国に相次いで設立されました。戦後間もない当時、勤労者一人ひとりの社会的信用力は乏しく、一般の金融機関から融資が受けられないという状況でした。そこで、労働組合や生活協同組合が出資し合い、自分たちの金融機関を作ろうと設立されたのが労金です。
 一般の金融機関とは異なる設立の背景を持ち、勤労者に対する金融信用事業を通じて、労働運動あるいは生協運動の発展に寄与してきました。つまり、働く人たちの暮らしや福祉の充実を図り、安心して暮らせる社会をつくっていく――。そういう理念を金融サービスで実現していくことが、労金の本来的な役割といえます。

●ろうきんのNPO施策のめざすもの
 NPOへの取組みは、合併前(東京労金時代)の96年から始まりました。学習会、シンポジウムの開催をした他、99年には近畿、東京、群馬(現:中央労金)など、NPOに関心を持つ3金庫を中心に「NPO研究会」を発足しました。同研究会においてNPOの運営について調べていくと、「資金がない」「人材不足」など活動を支える社会基盤の整備が課題であることが分かりました。その後00年に「NPO事業サポートローン」を開発し、続いて寄付型預金「社会貢献定期NPOサポーターズ」の取扱いを進めました。

 労金がNPO支援に取組むきっかけとなったのは、90年代後半に続々と誕生した市民活動団体――、地域に根ざし市民が必要とするサービスを提供することを目的に活動や事業をおこなうそうした団体を支えていくために、地域にお金を回していく仕組み作りが必要ではないか、という思いでした。
 しかし、NPOに対する融資制度の開発には、多くの課題がありました。
 もともと労金は、貸出金の約9割が住宅や車の購入資金など勤労者への融資であり、個人に対するサービスが中心でした。したがって、「事業者」に対する融資に踏み出すのは、ある意味で勇気の要る決断でした。
 また、設立の根拠である労働金庫法においても、福祉以外の分野で事業をおこなう団体に融資できないなどの制約がありました。当然ながら、労金法が制定された当時は、NPOの存在が無かった訳ですから、法律を改定する必要がありました。
 業態の中央機関である全国労働金庫協会を通じて、監督官庁(厚生労働省)に2年近くお願いし続け、ようやく02年3月に労金の融資先(員外扱い)としてNPO法人が法律上明記されました。そういう意味で、本当に一からの努力があったわけです。

●2つの支援メニュー
 現在中央労金には、NPOに対して2つの資金的支援メニューがあります。
 1つは「NPO事業サポートローン」です。00年4月、近畿と中央2つの労金が国内金融機関で始めて取扱いを開始し、現在では、北海道から沖縄までの全13金庫に広がっています。融資実績は05年3月末現在、13金庫合計で142件・8億9,050万円。うち中央労金の実績は、55件・2億9,540万円となっています。
 もう1つは、「中央ろうきん助成プログラム」です。これは、融資と違ってご返済いただく必要のない資金で、プロジェクトや団体の立ち上げを支援するための制度です。同プログラムは02年から行っており、04年度までに77団体に3,150万円を助成しています。−続く


第6回「社会的企業」研究会報告 地域協議会強化とワンストップサービスへの展望 〜連合の取り組み状況報告〜
日本労働組合総連合会 副事務局長 高橋 均


 先の衆議院選挙では、「既得権益にしがみつく守旧派労働組合」ということでえらく叩かれて、結局思うに任せず見事に、あれぐらい負けると気持ちがいいぐらいに負けてしまいましたが、なぜそうなったのかも含めて、これから労働組合が生活地域(生活していく地域)でどんなことをやっていけばいいのかということについて、提起をさせていただきたいと思います。

1.組織率の現状から何を読み取るのか

(1)「労働組合は労働者を代表している」と言えるのか

 まず、資料のグラフを簡単にご説明させていただきたいと思いますが、連合に限って言いますと、今、組織率(雇用労働者に占める連合の割合)は12.5%です。労働組合全体でいいますと19.2%ですが、連合に限って言いますと12.5%になっています。
 次頁の下の円グラフの左に10年間の比較を載せております。1994年と2004年を比較した数値ですが、雇用労働者の数は5371万人(+92万人)となっていまして、1994年に比べると雇用労働者が92万人増えていることになります。組合員の合計は1031万人(−239万人)となっていますが、これは10年間で239万人組合員が減少したということです。なぜ94年と比較したかといいますと、日本で労働組合員の数が一番多かった年が1994年だからです。1270万人おりまして、雇用労働者で割算いたしますと組織率が出ます。雇用労働者の数が増えてきており、組合員も減ってきている。したがって、組織率はずっと右肩下がりになっているということです。
 12.5%ということですから、本当にこれで労働者を代表していると言えるのかというところまで追い込まれていると言えます。組織率が3割とか35%などになりますと、このあいだの選挙でも自民党もあんなふうにはならないわけで、そこまで労働組合の組織率が低下してきているということだろうと思います。
 特徴をいくつか申し上げますと、女性労働者の数がどんどん増えており、10年間で149万人増え、雇用労働者の41%になります。しかし、女性の組織率は12.8%と非常に低いわけです。なぜ低いかと言いますと、パートの数が1107万人です。これは疑似パートなどは除いた週当たり短時間で働く本当の意味のパートタイム労働者数ですが、これが10年間で270万人増えています。270万人増えたうちの4分の3が女性でありまして、しかも、パートの組合員は3.3%でありますから、全体的に女性の組織率を押し下げている要因がここにあるわけです。そして、どんどんこのパートタイム労働者が増えてきているということが言えます。
 反対にフルタイム労働者の数が10年間で178万人減っています。「パートは雇用の安全弁」というふうな言い方を経営者が言っておりますが、あれは全くウソでありまして、フルタイム労働者がパートタイム労働者に置き代わってきているということが数字の上ではっきりしているわけです。
 次に企業規模別にどんな特徴があるかと言いますと、民間で1000人以上の企業(雇用者の数が10年間で84万人減って913万人)の組織率が50.6%で、10年間で10ポイント近く落ちましたが、それでも1000人以上の大きな会社は半分以上労働組合があるということです。反対に100人未満の所を見ますと、労働者の数は2550万人と雇用労働者の数の半分ですが、ここの組織率はわずか1.2%で、全部合わせても組合員の数で31万人しかいないということが言えます。
 10年間の特徴で申し上げますと、1000人以上の民間企業で134万人減ったことになります。100人〜999人未満の中堅のところで52万人減りました。100人未満のところでも若干減っていまして、公務員の関係は42万人、組合員の数が減っておりまして、239万人減ったと言いましたが、圧倒的に数が多いのは民間大企業のリストラによる組合員の減少と言えるかと思います。
 産業ごとに見ますと、卸売・小売業・飲食・宿泊・医療・福祉といった新しく出来てきた第3次産業の組織率が極めて低いという現状があります。このままでは労働組合は労働者を代表していると言えない。連合に限って言うと、12.5%の組合員の利益をどうのこうのというふうに考えている時代はもう終わった。そのままでいくとだめで、むしろどんどん増えてきているパートタイマー、派遣、あるいは請負といったところと一緒に運動していくようなことが必要になってきているのではないか。

(2)ビジネスユニオニズムからソーシャルユニオニズム(社会的労働運動)

 レジュメに「ビジネスユニオズムからソーシャルユニオズムへ」と、何かわかったような、わからないようなことを書いていますが、要するに言いたいことは、19.2%の自分らのことを言ってはだめですね。むしろ80.8%の方々のところにどうぼくらの運動を広げていくのか。もっと具体的に言いますと、今、連合本部では月に85円組合費を頂いておりますが、この85円は19.2%の人には還元しません。これはちょっと言い過ぎですが、還元しません。むしろ80.8%の方に使っていきますのでよろしいですねということで、情は人のためならず、グルグル回って自分のところに来るんだというところが私流の社会的労働運動という理解であります。
 お聞きになった方もいらっしゃると思いますが、3〜4年前、ILOのある専門部会で労働組合が労働者を代表しているのかと言えるのかと使用者団体が言ってえらくもめたという経緯があります。ごく当たり前に政労使代表がILOを構成していると考えていまして、労の代表は当たり前のように連合が出ていっていますが、どうもそれは常識ではなくなりつつあるという危機感をもって連合はこれから運動を進めていきたい。
 したがって、大企業の正社員ではなく、多様な属性を持った労働者が等しく参加できるし、パートや派遣、女性、退職者の方も含めて参加できるようなことが必要ではないのか。そうするためには、やはりプライオリティナンバーワンで組合員を増やす、仲間を増やすという組織化のための体制整備を図る必要があるということで、4年前から連合としては連合本部の財政の約2割を人的にも財政的にも組織拡大に注ぎ込んできたわけですが、なかなか思うようにいっていないということであります。
 これからの中心は、パートとか、派遣、契約労働者が一つ、もうひとつは大企業の分社化等々が進んでおりますけれど、関連企業・中小の部分と一緒に組合を作って運動を進めていこうと、今、考えているところであります。とは言っても、100人未満、10人、20人のところで言いますと、企業別労働組合という発想そのものが成り立ち得るのだろうか。地場で10人とか20人で毎日オヤジ(社長)と一緒に仕事をやっているところで、夜になって「社長!」「委員長!」と言い合うようにうまい具合にいくのか。むしろこれは地域ユニオンという受け皿を作って、生活していく地元で連合の顔が見える運動をしていく必要があるのではないかと考えています。−続く



遺伝子組換え作物の野外実験を通じた考察 リスク評価論の客観性 ―科学への市民コントロール―
弁護士 柳原 敏夫


1.はじめに―ささやかな表明―
 真の法律家とは法律を最も信用していない連中のことである――ご多分にもれず、最初この言葉を聞いた時、私もまたその意味がさっぱり分からず、それが胸に落ちるまで20年近く要した。それまでの間、法律家とは所詮、人の不幸を食い物にするハイエナでしかないのかと正直なところ思っていた(だから、法律を仕事・研究の対象にしようとする連中の気が知れなかった)。しかし、それ以上の問題はそうした悩みを共有できる場所、人がいなかったことである。そうした私にとって、この悩みを初めて共有できた場が、「日本の法学の先駆的業績」と評価されている民法学者の川島武宜の主著「科学としての法律学」(1958年)である。川島は、この本の中で、「学生時代、法律学というのはいったいどういう学問であるのかもわからないで、日々の学生生活に少しも生き甲斐を感ずることができなかった」(2頁)と法律学への不信を赤裸々に語っている。にもかかわらず、「自分も含めて、多くの法学生たちが、そうした法律学に興味を持つようになったのは、実は法律学を正しく理解したからではなく、むしろ、普通の素人にはわからない『秘伝奥義的技術』を身につけたと感じて、素人には分からない技術を使いこなせることに一種の優越感・快感に浸るためである」と看破した。
 そこで、川島は、素人には分からない「秘伝奥義的技術」を駆使して、素人をちょろまかすためだけに存在しているとしか見えない法律学への不信を正面から表明し、これに代わって、法的判断の客観性=科学性を確立することを彼自身の終生の課題とした。それが「科学としての法律学」である。また、その成果のひとつが、彼の弟子の平井宜雄の因果関係論(因果関係を、事実〔科学的判断〕としての因果関係と、それを踏まえた法的な判断としての因果関係という2つの異質な次元があることを明らかにした)として広く知られている。

 これに対し、私は、今再び、自分が同じ問題に直面していると感じている。それは、リスク評価論の新米学生になったからである。そして、リスク評価論を読み始めてみて直面した現実とは、「リスク評価論というのはいったいどういう学問・制度であるのかわからないで、日々の勉強生活に少しも生き甲斐を感ずることができなかった」からである。正直言って、リスク評価の文献を読んでも、「ダメだア、1行たりとも理解できねえ」というのが正直な実感である。それどころか、市民運動の現場からも、「リスクコミュニケーションに対して口にするのも汚らわしい大嫌いな言葉」「本の索引からも削除してしまい、燃やしてしまいたい」といった過激な反発の声を聞くに及んで、ひょっとしてこれは自分ひとりの感想ではなく、ここには多くの市民に共通する問題が潜んでいるのではないかと思い直すに至った。そして、これだけ根深い不信をばらまいているにもかかわらず、他方で、こうした意味不明のリスク評価論を論じてやまない人たちがいるというのは、前述した川島の指摘の通り、「普通の素人にはわからない『秘伝奥義的技術』を身につけたと感じて、素人には分からない技術を使いこなせることに一種の優越感・快感に浸るためである」のではないかと疑うようになった。
 そこで、私も、ひそかに、川島にならい、素人には分からない「秘伝奥義的技術」を駆使して、素人をちょろまかすためだけに存在しているとしか見えない(にもかかわらず、この世にのさばり幅を利かせている)リスク評価論への不信を正面から表明し、これを一掃して、リスク評価論の客観性=科学性を確立することを私自身の終生の課題としたいと願うようになった。
 なお、誤解がないように言っておきたいが、ここで私が問題にしているのは、リスク評価論の客観性=科学性であって、たとえば或る化学物質がどの程度の危険性があるかといったリスク評価の科学性のことではない。ひょっとして今のリスク評価は科学的に行なわれているのかもしれない(もっとも、BSE〔狂牛病〕のリスク評価からも明らかな通り、すべてがそうであるとは到底思えないが)、しかし、ここで問題なのは、リスク評価の科学性ではなく、リスク評価のシステム全体がどのような構造になっているのか、その科学的(=客観的)な解明であり、そして、その解明に基づいて、客観的・科学的なリスク評価を担保する方法を発見すること(私は、これらを総称して、「リスク評価論の客観性=科学性」と呼んでいる)である。ところが、BSE(狂牛病)のリスク評価を見ていても明らかな通り、リスク評価論の現状は、「普通の素人にはわからない『秘伝奥義的技術』」に陥っている。そこにこそ、今、科学の光を照射する必要がある。川島にならっていえば、それが「科学としてのリスク評価論」の探求である。

2.リスク評価論の謎
 リスク評価を学び始めて以来、最も不可解と感じた謎は、リスク評価論では何が最も基本的な問題なのか、何が最も根本的な課題なのか、それが少しも明らかにされていないことである。
 もともと、多様な価値観の共存を前提とする現代の民主主義国家の下では、当然、どんな制度・システムにおいても、その制度のあり方・運用の基本的指針をめぐって、多様な価値観の共存・対立を反映して、そこに根本的な理念・価値観の対立が存在する。そのことは、とりわけ重要な制度であればますます顕著である。
 例えば、刑法という制度であれば、その制度のあり方・運用の基本的指針をめぐって、古くから、刑法は秩序維持を目的とすべきであり、そのために刑法を積極的に発動すべきであるという価値観と、刑法は個人の生活利益の保護を目的とすべきであり、その発動はやむを得ない必要最小限に限定されるべきという価値観の基本的な対立が存在した。
 ところが、リスク評価論では、この基本的な問題がさっぱり分からない。つまり、もともと民主主義国家は、多様な価値観の共存を前提としているのだから、リスク評価論という重要なシステムにおいても、多様な価値観の共存・対立が反映して、リスク評価のあり方・運用の基本的指針をめぐって、基本的な理念・価値観の対立が当然のことながら発生する筈である。にもかかわらず、今のところ、リスク評価をめぐって、そこに、どういう根本的な問題が横たわっているのか、この基本的な対立・問題点は、我々市民の前には、ちっとも明らかにされていない。あたかも、何の対立も葛藤もないかのように、すべての矛盾を解決した万歳三唱の制度として存在しているかのような相貌を見せている。しかし、もしそうだとしたら、それは欺瞞でしかない。なぜなら、多様な価値観の共存・対立を前提にしている以上、無矛盾な制度・システムなど原理的にあり得ないものだから。また、かりにそうならば、実際上、少なからぬ市民からリスク評価論に対する激しい反発など起きる筈がない。
 そこで、リスク評価論をめぐって、そこにどういう根本的問題が横たわっているのか、それを明らかにすること――これが「科学としてのリスク評価論」の探求その1の課題である。−続く


<子ども>とまちづくり もっと遊びたい、いろんな体験をしたい 子どもたちの「自立」を支援するコミュニティづくり
雛元 昌弘(まちづくりプランナー)


 「少子高齢化社会」は確かに様々な面で、今そして今後の社会の大きな問題であることは確かであろう。しかし、こどもそのものの存在に関わって、私たちは、どれだけ問うてきたであろうか。むろん頭の隅では、大きな環境変化には気づいてきた。分野は広く課題は大きいが、あきる野市の協同村の「木登りプロジェクト」など、多様な地域の実践に関わってきた、雛元氏に寄稿いただいた。(編集部)

 数年前の年末に、『千と千尋』『ハリー・ポッター』『ロード・オブ・ザ・リング』の3本の映画を続けてみたことがあります。それ以来、私は市町村の様々な計画作成のヒアリングや講演などにおいて、「この3本の映画の共通点は何だと思いますか」、という問を投げかけ続けています。
 これらの映画の共通点は、大人への自立準備期に、子ども達が様々な体験をし、成長する映画といえます。『千尋』は『千』と名前を変えられて風呂屋で働き、『ハリー・ポッター』は寄宿舎生活に入り、『ロード・オブ・ザ・リング』では冒険の旅にでます。そして、彼らは友だちや先輩、おとな達に助けられながら、成長していきます。
 今、わが国の地域社会では、子どもが保護される立場から、社会の中で働き、自分と仲間のために役割を果たす、戦うための実践的な社会的教育の機会はほとんど失われています。
 子ども同士のコミュニティや子どもを取り巻くコミュニティの再生、そのための系統的な取組が今こそ必要と考えます。
注:ここで「子ども」は、保護期(0〜9歳)の子どもと、自立準備期(10〜17歳)の子どもの両方を含みます。

1.木登りや小型ヨットのインスタラクターの体験から
 この数年間、様々なグループに協力して、子どもを対象に、木登りと小型ヨットやカヌーのイベントを行ってきました。あきる野市の協同村でも、木登りのイベントに協力しました。
 その結果、わかったことは、子どもたちが木登りや川遊び、舟遊びの経験がほとんどなく、しかも、30代後半〜40代前半の親たちも経験が乏しい、ということです。「おじさん、川に手を浸けていい」とお行儀よく聞いてきてびっくりさせられますが、さらに、「川の水って冷たいんだ」とびっくりしています。また、木登りでは親たちが下から子どもに細かくあれこれ指示する、という過保護ぶりも、気になります。
 一方、昔と変わらず子どもたちが頼もしいのは、「おじさん、自分たちだけでヨットに乗っていい?」「このまま、ここでキャンプしたい」などと元気で、イベントが終わったあとに、ハーネス(安全帯)も付けないで木に鈴なりになって、私たちをハラハラさせたりします。
 塾やおけいこ事、情報機器などで、子どもたちの能力が高まる一方、子ども同士で行う遊びの体験が犠牲になっています。そして、その影響は、遊びを通して自然と身につく身体能力の低下や、子どものコミュニケーション能力の低下、創造力の低下などに如実にあらわれています。しかし、「遊びたい」「自分たちだけで冒険したい」というような力は子どもには備わっています。そのような失われてしまった機会を、おとな達は提供できるかどうかです。
 さらに、私は、子どもたちが誰一人落ちることなく木登りができる、ということなどから、子どもたちがかつて行っていた様々な遊びは、子どもの発展にとって、もっと重要な意味を持っているのではないか、という仮説にたどりつきました。「子どもはなぜ遊ぶか」ということについては様々な説がありますが、私は「動物進化追体験説」を提案したいと思います。そして、子どもたちがそのような本能を十分に満足しないまま成長することは、なんらかの大きな影響があるのではないか、と心配しています。
 長い間人類が行ってきた「動物進化を追体験する遊び」を止めてしまった子どもたちにどのような影響がでてくるのかはまだわかりません。そうである以上、「40〜50年前に子どもたちが遊んでいた事をやらせる」という方が、安全側にあると確信しています。

2.子どもが集団で遊べる環境づくり
 仕事柄、各地で保育所や学校を訪ねることがありますが、「動物園のように、保育所や学校でしか子ども達に出会えない時代になってしまったね」と、同行の研究員と話すことがしばしばです。親子と出会うことは多いのですが、地域で集団で遊んでいる子どもを見かけることは少なくなりました。たまに見つけると、希少動物を見るように、うれしくなって車を停めて見てしまいます(誘拐犯と間違われないか、気にしながらですが)。
 このような大きな変化の原因ははっきりしています。少子化に加えて、小学生の多くが塾やおけいこごとに通い、1週間に友だちと遊んだ日数は0〜1日が5割で、遊び場所は自分の家か友だちの家、遊びはテレビ・ゲーム・漫画・おしゃべりなどなのです。―続く 


コーデックス・バイオ特別部会 遺伝子組み換え動物、栄養強化食品の安全性評価のガイドライン作成が始まる
市民セクター政策機構 清水亮子


 9月19日から23日にかけ、千葉の幕張メッセで「第5回コーデックス・バイオ特別部会」が開催され、50の加盟国、4の国際機関、15のNGOから152人の参加がありました。市民セクター政策機構の「コーデックス研究会」のメンバーからは、日本消費者連盟の山浦康明さん、真下俊樹さんがCI(国際消費者機構)の代表として、そして清水がICA(国際協同組合同盟)から参加。同じくICAからは、西分千秋さん(生活クラブ生協・千葉)も参加しました。
 この部会は2000年から2003年の4年間で第1ラウンドが開催されたため、今回は「第5回」と呼ばれています。今回のラウンドも4年間の期限付きで開催されることになっており、今年がその1年目に当たります。2003年までの第1ラウンドでは、「遺伝子組み換え食品のリスク評価のための一般原則」「組み換えDNA植物由来食品の安全性評価のためのガイドライン」「組み換えDNA微生物を使用して作られた食品の安全性評価のためのガイドライン」の3つの文書が採択されました。第2ラウンド1年目の今回は、今後議論すべきテーマについてのフリーディスカッションから始まりました。
 コーデックス会議といえば、専門的用語が飛び交い、とかく敬遠されがちですが、WTO(世界貿易機関)が貿易紛争の際に参照する国際機関として定めて以来、一躍重要な機関になりました。WTOルールの下では、コーデックスなどの国際機関が定める基準より厳しい基準を各国が設けるためには、「科学的に正当な理由」
を示す必要があります。もっぱら「科学」がふりかざされる反面、牛肉の全頭検査も「科学的でない」と言われてしまうような世界です(これについてはコーデックスではなく、OIEという別の機関ですが)。たとえばコーデックス・バイオ特別部会には、BIO(バイオテクノロジー産業機構)のような業界団体が国際NGOとして出席し、できるだけ緩やかな基準ができるように活発に発言しています。私たちのような消費者の利益を代表する本当の意味のNGOも、できるだけ厳しい基準ができるようにがんばらなければ、と思っています。

1.EUは未承認の混入を認める方向?
 今回の第5回特別部会に関して、各国政府やNGOは事前にコメントを提出し、どんな議題について話し合うべきか、話し合うべきでないのか、意見を表明していました。この中で困ったコメントだと思っていたのが、European Community(欧州委員会とEU欧州連合加盟各国で構成する代表団)が、「未承認組み換え植物の微量混入の安全性評価」を最優先課題としていた点です。EUでは、トレーサビリティに基づく表示制度など、遺伝子組み換え作物については厳しい規制を行っています。こともあろうにそのEUが未承認の混入を認めるような議論を始めてしまえば、日本の消費者としても、日本政府に対して未承認の混入を追及する足がかりを失いかねません。
 このコメントの中身は、会議の中で次第に明らかになったのですが、たとえばOECDなどの国際機関に安全性評価についてのデータを蓄積し、ある国ですでに安全性承認が下りていて、かつそのようなデータベースに申請データがある場合には、他の承認していない国でもある程度までは混入を認めよう、という議論でした。
 前述のようにEUは、European Communityという代表団を組んでコーデックスに参加していて、このグループの中でコンセンサスをとりながら発言します。
 EU加盟各国の中には、遺伝子組み換え作物反対の立場の国も少なくないのですが、EUの行政機関である欧州委員会は、基本的には遺伝子組み換え作物推進の立場です。コーデックス会議が始まっても、会議の合間をぬって調整が続けられていましたが、幸いEU加盟各国の反対が大きく、今回は、未承認作物の混入について議題として進めていく点では合意に至りませんでした。

2.日本政府は業界代表?
 もうひとつ困ったのは、日本政府が提案した「スタック・ジーン」植物の安全性審査についてでした。スタック・ジーンとは、簡単に言えば掛け合わせで、たとえばすでに承認済みのRRトウモロコシとBTトウモロコシの掛け合わせの場合、改めて安全性審査を受けなくてもいい、という日本の食品安全委員会の立場をそのまま世界標準にしようとする試みでした。しかし、これも「スタック・ジーン」の定義がはっきりしないなどの理由から、新たな作業の対象とはならず、これにもほっとしましたが、日本政府の業界利益を代表した立場は、今後監視を強めて抗議していかなければなりません。
 その他、いくつかの政府が提案していた「生理活性物を発現する植物」「医薬品成分、非食品成分を発現する植物」(スギ花粉症緩和米、ワクチンを生成するための植物など)、そしてクローン動物は、コーデックスの対象外として議題として取り上げられませんでした。―続く 


WTO香港会議に向けて 中国の遺伝子組み換えイネの開発にストップを
−遺伝子組み換えイネ戦略会議、タイで開催−
清水亮子


 10月12日から13日にかけ、タイのバンコクから北へ車で2時間ほどのスパンブリという町で、遺伝子組み換え(以下GM)イネの問題に取り組むための戦略会議が開かれた。「グリーンピース東南アジア」の呼びかけに応えてコメの生産国であるアジアの10カ国から集まったのは、マレーシアのペナン消費者協会、第三世界ネットワーク、農薬行動ネットワーク、バングラデシュのUBINIG(オルタナティブな開発のための政策研究所)、フィリピンのSEARICE(地域のエンパワメントのための東南アジア地域イニシアティブ)、インドのジーン・キャンペーンなど17団体。幸い私も、遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーンのメンバーとして、この会議に招待された。

●国の研究機関が主体の研究開発
 GMイネについては、フィリピンにあるIRRI(国際イネ研究所)で80年代からさまざまな研究開発が続けられているが、中国では近々承認が目指されており、いままさにホットな話題になっている。イランでも殺虫性のBTイネの野外実験が始まった。日本でも、日本企業や地方自治体によるGMイネの研究開発は、根強い反対が功を奏し、すべてストップしているが、国が管轄する独立行政法人を中心に、研究は今も活発に行われている。中でもいま最も問題視されているのが、新潟の北陸研究センターで行われている耐病性イネの開発だ。この日本の例にも見られるように、GMイネの開発は現在、国の所有する研究機関で主に行われているのが、各国に共通する傾向だ。
 今回の戦略会議では、まず上記のような各国のGMイネ開発状況の情報を共有することに始まり、これらの開発を止めるために何ができるのか、お互いの経験の共有が図られた。中でも特筆すべきなのは、フィリピンにしろ、バングラデシュにしろ、タイにしろ、イランにしろ、GM技術を使わない伝統的な品種や農法のほうが、品質も収量も勝ることをデータで示しつつ、化学物質やGM技術に頼らないオルタナティブな農業を推進する試みがなされている点だ。
 二日間の会議を受け、FAO(国連食糧農業機関)に対して「GM作物とGM食品への支援を止め、かわりに、持続可能で環境的に健全な農業システムのため研究開発を支援する」ことを求める「GEフリー・コメ宣言」(会議ではGMのかわりにGE/Genetically Engineeredを使用)が採択され、10月16日の世界食糧デーに先立つ14日、バンコクのFAO事務所に提出された。会議の参加者たちがそれぞれの民族衣装を着て、宣言文と同時に、それぞれの国から持ち寄った多様な品種のコメを手渡すというパフォーマンスも行われた。

●中国でのGMイネの違法栽培
 この会議で最も話題が集中したのが、中国のGMイネ開発だった。中国では今年4月、未承認のBTイネ(殺虫性のイネ)が市場で出回っている事実が発覚したが、香港から会議に参加したアンガスさんは、この調査とメディア・キャンペーンに携わったグリーン・ピース中国のメンバーである。グリーンピースの調査手法は、本誌305号で紹介したGMナタネの自生調査の手法と基本的には同じで、まず検査紙を使ってタンパクの検査を行い、そこで陽性だったものをDNA検査に回すという方法だ。
 中国ではBTイネは承認されていないにもかかわらず、開発した研究者が自らの関係する種子会社にその種子を販売させた。パッケージに青虫マークがついており、殺虫剤をかけなくても虫がつかないという触れ込みで、在来品種のものに比べると2倍くらいの高値で取引されている。高値につられて、在来種なのに青虫マークをつけたフェイクが横行しており、グリーンピースが検査紙を持って農村に調査に出かけると、自分が買った種子が本物かどうか不安に思う農民が、ぞくぞく詰め掛けたという。
 このような実験段階の種子の流出は、後を絶たない。会議が行われたタイでも、未承認のパパイアの栽培が確認されたばかりだ。

●中国のGMイネ、ついに商品化!?
 上記のスキャンダルの影響もあり、中国では今年の作付けに合わせたGMイネの承認は見送られたが、早くも来年に向けた動きが出ている。今年12月、承認について審査する「バイオセイフティ委員会」が招集され、特に白葉枯病に抵抗力のあるBBライスについては、組み込まれた遺伝子がアフリカのワイルド・ライス由来のものであることから比較的安全と考えられていて、真っ先に承認されるのではないか、と懸念されている。他にもBTライスなど数品種が審査される見込み。
 中国政府は国家機密の名の下に、バイオセイフティ委員会のメンバーについても、承認申請の資料についても、全く公表していない。グリーンピースのアンガスさんは、中国政府に対してGMイネを市場が拒否していることを示してほしいと、特に日本の消費者に対する期待を語った。先の未承認GM米の流出の際、日本の農水省から中国政府に問い合わせの電話が即刻入ったことが、今年の作付けに承認が間に合わなかったことの背景として大きいとアンガスさんは見ている。

●今年の12月は香港のWTOへ!
 このようなまさにホットな状況の中、今年12月、香港でWTO閣僚会議が開かれる。それにあわせて遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーンは、タイの戦略会議にも参加した農薬行動ネットワークとのコラボレーションで、中国のGMイネに焦点を合わせたワークショップを開催する。生活クラブ生協もこの動きに参加するとともに、アジア各地から詰め掛けるGMと闘う人々との交流を予定している。
 今年2月にはWTOに関わる運動をしている団体が緩やかなネットワーク「WTO市民連絡会」を作って、アジア太平洋資料センター(PARC)が事務局を担い、情報交換を行っている。香港へは、脱WTO草の根ネットワーク、ATTAC Japanなど多くのグループが代表団を送る予定。香港では、12月11日から18日にかけ、市民によるさまざまな行動が繰り広げられる。



「韓国生協首都圏連合会を訪ねて 韓国生協運動の目的と課題
―農業を守り、連帯重視の新方針― 金起燮常務理事に聞く


 法政大学の粕谷ゼミの韓国における「コミュニティのための市民事業活動調査」の一環で、訪れた生協首都圏連合会の金起燮常務理事が語った、学生たちへの話にズームインした。(編集部)

◆日本と韓国の生協の違い
 日本の生協運動の歴史は長いですが、韓国の生協運動は1980年代から始まりましたから、歴史はまだ浅いです。また、日本の生協運動が生協を通してやろうとしている目的とか役割と、韓国の生協運動が発祥した当時の生協に与えられた目的や役割は、ちょっと違う面があります。
 日本の生協の場合、主として戦後の食料不足のなかで、消費者に食料を与えるという歴史的背景があっただろう。もちろん、1970年代につくられた生協はちょっと違う面もありますけれども、日本の生協の大きな流れとしては、たぶんそういう視点があるだろうと思います。
 韓国の場合、日本では1948年に作られた消費生活協同組合法(生協法)が1990年代後半に作られましたから、社会が生協に対して注目する役割とか生協の使命は、日本のような物不足時代の消費者保護とは違うところがあります。

◆韓国生協が創られる2つの背景
 それは何かというと、韓国は、1970年代から20年間、年率11〜12%ぐらいの経済成長を遂げる中で、公害問題、有害食品問題などがあちこちから噴出してきて、それをどうやって解決していくか。また、1980年代から、アメリカとかオーストラリアから安い農産物がどんどん入ってきて、韓国の農業がだんだんつぶれていく中で、いかに韓国の農業を守るか。この2つが、韓国で生協がつくられる大きな背景になっています。
 そういう背景から、韓国の生協で扱っている商品の半分ぐらいが1次産品、残りのほとんどが加工食品で、雑貨などはあまり扱っていません。また、事業の中で生産者との提携とか産直を非常に大事にしていく。これは、80年代はどういう時代に入っていて生協が生まれたのか、ということの影響ではないかと思っています。私たちがやっている生協のブロックの名前は首都圏連合会で、ソウルとソウル周辺に住んでいる人たちが組合員です。
 韓国の場合、全人口は約4800万で、首都圏の人口は2000万強ですから、2人に1人は首都圏に住んでいるというくらい、首都圏は人口が密集している地域です。この地域で私たちは生協運動をやっています。
 そして、ソウルとその周辺では数多い生協が活動していますが、私たち生協首都圏連合会には15の会員生協が参加しています。それから、生協がつくられてある程度安定してから連合会の会員として受け入れるのですが、つくられたばかりでまだ安定していない生協が7つありますので、合計22の生協で連帯事業を行っています。
 首都圏連合会の会員生協の組合員数は3万5千人で、1つの生協あたり組合員数は日本と比べて少なくて小さい組織です。連合会から会員生協への年間供給高は200億ウォン、日本円にすると20億円ぐらいです。
 一昨年、私たちはフィリピンのネグロス島にお邪魔しました。私たちはそこから民衆交易、フェアトレードという視点で砂糖を入れていますが、その前に、会員生協の理事長の皆さんをご案内してネグロス島の農民たちと交流しました。それからほぼ毎年交流を行っています。いま皆さんにお配りした英文の資料は、その時に作った私たちを紹介するための資料です。
 それから、韓国語のパンフレットは私たちの商品の案内書です。これを毎週作って組合員の皆さんにお配りしています。1週間に400品目ぐらいの商品を扱っています。
 首都圏連合会には4つの部署があります。
 1つは企画管理部で、総務とか経理とか、そういう仕事をやっています。2つ目は、どういうものを生産者にお願いするか、どのくらいの量を生産者に作らせるか、どういうものを新しい商品として開発するか、という仕事をしている商品部です。3つ目は、生産者から運んで来て、それを組合員さん向けに仕分けをして、それぞれの会員生協の配送センターまで持っていく。そういう仕事をしている物流部です。4つ目は、例えば商品案内書を作るとか、会員生協が行っている組織活動を支援するとか、そういう仕事をしている連帯事業部という部署です。
 きょうは、この4つのパートを担当している3人のメンバーが、私と一緒に来ています。もし、具体的なご質問があれば、それぞれの担当者がお答えします。−続く


<この本薦めます> 松下圭一著『自治体再構築』 (公人の友社、2005年)

 2000年4月1日に施行された地方分権一括法を核とする「第一次分権改革」(西尾勝)と呼ばれた一連の制度改革は、それまでの国と自治体の在り方を根底から揺さぶるものであった。この分権改革により、従来「上下・主従」と観念されてきた中央地方関係は、「対等・協力」の関係であるとされたのである。
 かつて松下圭一は『自治体は変わるか』(岩波新書、1999年)において、この分権改革が単なる制度改革にとどまらず、実質的には「明治国家の解体・再編」を意味するものであると指摘した。このような壮大な文脈を背景に持つ分権改革は、一般的には手法・制度論にのみ関心が集中しがちである。例えば財政論議としての地方分権論では、三位一体の改革として税財源の移譲の在り方や国庫補助負担金の一般財源化などがいわれている。だが分権改革の論点としては、リベラルな社会の形成をどのように進めていくのかという日本社会のダイナミズム関する展望を欠くことができない。この壮大な文脈に位置づけられる自治・分権の時代を軽妙な語り口で示してくれるのが、今回紹介する『自治体再構築』(公人の友社)である。
 ところで、本書は、松下の2000年から2004年までの講演ををまとめたものである。同書は上に述べたような分権改革後の、新しい自治・分権時代における時務課題を扱ったものである。したがって読者にまずお勧めしなければならないのは、同書を手にとって読んでいただくことである。これを紹介するのは所詮二度手間でしかないが、ひとつのきかっけとして以下ご参照いただければと思う。

自治体と市民の「協働」
 表題の≪自治体再構築≫とは聞き慣れない言葉である。松下は同書冒頭でこれを「決意」を基本とするものだと述べている。これはどういう意味なのだろうか。この点を明らかにするため、また、同書の全体の見取り図が描かれていることからここでは、「自治体再構築の市民戦略」と名付けられた第1章の内容を紹介することとしたい。
 この第1章でまず松下は「協働」という表現を糾弾する。市民自治の理論家である松下を知る人から見ればこの表現はショッキングなものと感じられるかもしれない。なぜなら「協働」とは、従来のオカミ支配から脱却し、市民と行政との対等・協力な関係を表現したモダンな自治体の在り方を示す言葉だと解されるのが一般だからである。
 だが、そこに書かれている内容を読んでみると、糾弾されているのは協働という言葉による「思考停止」であることがわかる。市民に主権があり、市民の税金によって賄われている行政が、なぜ市民に向かって「協働」というのか。この疑念が、松下の基本的な論点提起なのである。
 松下のいう「市民」は生活者としての市民である。都市型社会において、共同体・身分型の相互扶助が不可能となったとき、個人の能力を超える公共課題が出現する。社会保障、社会資本、社会保健の領域、すなわち松下のいう<シビル・ミニマムの公共保障>の部分でこれは顕著な課題となるが、この生活者の領域をめぐって、<余暇と教養>をベースに政治習熟を果たしていく存在、それが松下のいう規範的な意味での<市民>である。そしてこの<市民>が公共問題の一部を信託するのが自治体であるというのが松下政治理論の骨格である。
 ここで問題となるのは、この<市民>を、「所管」、「支援」、「補助」、「保護」、「育成」などとする自治体側の考え方である。自治体が使う「協働」という言葉には往々にしてこのような意味が込められている。ここでわれわれはもう一度、市民自治から出発するべきではないか。すなわち市民は「協働」の「対象」ではなく「主体」なのではないか。松下の市民自治論は、テーマをかえてもつねにここを出発点としているのである。−続く 

<アソシエーション・ミニフォーラム報告>東村山駅前開発計画の疑問
東村山・生活者ネットワーク


 東村山駅西口再開発計画は1.2ヘクタールに交通広場、アクセス道路を整備し再開発ビル、駐輪場を建設するもので、追加事業を含め概算で総額約139億円。このうち約70%が公費負担(国都市の税金及び市債)残りは、ビル(26階建て)の保留床を売却して調達します。東村山市はこの再開発ビルの2階半分と3階全部を公益スペースとして11億4千万円で買取る計画です。
 財政が緊迫したなかで巨費が投じられる駅前再開発事業に対して、市民は何をチェックし市民にとって有益な事業するためのポイントは何かを学ぶため2回目の学習会を開きました。
 課題のひとつに地下駐輪場の設置があります。駅前広場を整備することによって廃止される駐輪場の代わりに1500台分13億3600万円の地下駐輪場の計画が浮上しました。市が調査した、現在の駐輪場利用者の実態から見れば、駐輪台数は妥当な数字かと思われます。しかし、予測される人口減少によって今後も継続的に1500台もの駐輪場が必要なのか、またランニングコストから考えると、地下につくることの経済性を検証するべきとの指摘がありました。
 1階と2階の一部は商業スペースとして店舗が入る予定ですが、他市の駅再開発事業では店舗が思うように埋まらず、結局パチンコ店やゲームセンターが入ったという事例があります。まちの顔としての駅ビルをどのようなものにしていくかは、長期的視点にたったトータルなまちづくりのなかでの駅前再開発事業としてのコンセプトが必要です。
 まちづくり交付金は民間活力やNPOなど市参加が条件となっていますが、公益スペース案は、いつ誰がどのような協議を持って提案されたのか、今だに明確な説明がありません。公益スペースにもかかわらず、市民参加の場面が保障されないまま、案が進もうとしています。市はアンケート調査で市民参加を保障したと主張していますが、提案の仕方が不十分で回収率も低くとても市民参加を得たものとは言えません。本来共に、進めていくべき地権者や関係者にさえ、説明が不十分で不信感が生まれてきています。
 公益スペースの運営をふくめた事業やまちづくりに対し、行政は市民の活力を生かし協働の視点をもつべきで、それが保障される仕組みづくり条例の制定が急がれると実感した学習会でした。
東村山市会議員 島崎よう子
 


《状況風景論》 T・ジャンテ氏の来日決定、ILO50周年&関西の悲喜情報

●東京・大阪・熊本でフォーラム
 ティエリ・ジャンテ氏の来日が決まった。昨年4月末、粕谷信次法政大学教授とWNJの藤木千草・金忠紘子さんが社会的経済モンブラン会議に参加、その後、粕谷教授宛に日本とアジアで社会的経済や社会的企業のネットワーク促進についてたびたび情報や動きを発信してきた人だ。それが契機となって研究所間の協働として社会的企業研究会が生まれ、今回、東京・大阪・熊本でフォーラムをもつようになったたわけだから縁はとても深いといわなければならない。
 11.27東京フォーラムの呼びかけは連合総研の鈴木副所長の手による名文で次の言葉で始まる。
 経済のグローバル化が進展する「市場の声」にのみ忠実であろうとする荒ぶる資本の貪欲さが、ともすると「社会の声」をかき消すような状況が生まれています。「市場の声」が「社会の声」を無視して一人歩きするのをどうやって防ぐのか。これは、近代産業文明がはじまって以来、われわれに課せられた宿命的な課題です。もともと社会の中に埋め込まれていた経済活動を、再び社会の中に埋め戻していくさまざまな試み、社会的経済の構築をめざすさまざまな運動が営々と営まれてきました。いま、ヨーロッパでは「社会的企業」と総括される新しい動きが勃興し、社会的経済のさまざまな担い手たちの連携が、徐々に「新しい現実」を形成しつつあります…。
 たまたま生活クラブ親生会の奥村吉明前会長が、面白い文章を送るよと言って80年に早稲田大学で大山郁夫生誕百年記念講演会があり、丸山眞男が講演したコピーが届いて驚いた。戦前の無産運動の雄・大山郁夫が1923年に著した『政治の社会的基礎』について、丸山は、この本が「政治現象を下から解明しようと試みた」、「国家の中に社会があるのではなくて、逆に社会というものの一つが国家なのだ」と大山はみていたと語っている。「社会」に焦点を当てきれなかった私たちの運動が「くに」と「世間」に負け続けた自戒からはじめなければならないと思わざるをえなかった。
 幸いにも11.28大阪フォーラムでは、障害者とホームレスの就労支援、新しい協同組合の環境生協などのパネラーも決まり「社会的排除」と闘う日本的状況もジャンテ氏と交歓できそうだ。実行委員会も釜ケ崎でもたれた。熊本学園大学では水俣学研究センター主催で、水俣病で疲弊した地域再生と社会的企業の新しい考えとつなぐ企画が進んでいる。
●児童労働なくすために
 国際労働機関(ILO)の再開設50周年記念シンポジウムに出かけた。政・労・使三者運営のこの国際機関は、グロバーリズムのなかで、労働を柱に大きな役割を果たしている。中でもディーセント・ワーク(人間らしい仕事)では、4つの戦略目標@仕事の創出、A仕事における基本的権利の保障、B社会保護の拡充、C社会対話の推進をあげ、全てにジェンダー平等を掲げている。児童労働をなくす活動もさかんだ。世界の子供の3分の1は基礎教育を受けていない。世界のサッカーボールの75%はパキスタンの子供7千人によって造られ(写真)、チョコレートのカカオ生産には25万人の西アフリカの子供が働いている。今回の東京フォーラムは、国連大学ウタントホール、国際労働機関(ILO)の後援をえて開かれる。
●京都ベ平連の飯沼二郎氏が逝去
 1965年に活動を始めた京都べ平連の代表で7年間にわたる定例デモに毎月参加、また雑誌『朝鮮人』を1969年から刊行された飯沼二郎氏が亡くなられ、その偲ぶ会の案内が届いた。飯沼氏は農業経済学の専門家、よびかけには石田紀郎、槌田劭、金時鐘、姜在彦、鶴見俊輔氏の名前が並ぶ。識者の柔らかい共同空間、いかにも京都だ。
●気鋭・添田馨氏に小野十三郎賞
 詩や詩評論の創造的な書き手に送られる大阪文学協会の小野十三郎賞に添田馨氏の『語族』が受賞した。選考委員は金時鐘、辻井喬ら。辻井は「叙事詩や叙情詩という枠にはまらない重量感がある」と表したが『社会運動』に「色で読み解く〈戦後詩〉の風景」のシリーズでその気鋭の評論に胸打たれた人も多いことだろう。
(柏井 宏之) 


雑記帖 【大河原雅子】

 本誌1月号で既報のとおり、映像作家の鎌仲ひとみさんが、使用済み核燃料の再処理工場が建設された青森県六ヶ所村の人々に取材し、「六ヶ所村ラプソディー」を制作中だ。旗上げした赤堤館シネクラブにお招きし、お話を伺った。
 前作「ヒバクシャ:世界の終わりに」では、原爆から劣化ウラン弾まで、世界に広がる被ばくの脅威を浮き彫りにした。もはや、加害者も被害者も区別はない。兵器であろうと平和利用といわれる原発であろうと、核エネルギーを使い続ける限り、低線量被曝は増え続け、私たちは一人残らず「ヒバクシャ」となる。「人類と核は共存できない」というまぎれもない事実を前にしても「何も知らない、知らされていない」と思いたがる己が身勝手に恥じ入るばかりだ。
 使用済み燃料をすべて再処理し、抽出したプルトニウムを使う核燃料サイクル路線をとるのは、世界中でも今や日本だけという不思議。高速増殖炉「もんじゅ」の事故以来、核燃サイクル計画は頓挫したままなのに、再処理工場は本格稼動に向けて着々と準備がすすんでいる。すでに日本は、長崎型5000発分にも匹敵する43トンものプルトニウムを保有しているという。使うあてもないままに、さらにプルトニウムを作り続けることには、核拡散の危険を増大させるものとして国際的な批判も免れまい。
 小泉首相は「自衛隊はどこから見ても軍隊だ」といつのまにか開き直り、自民党の改憲案にも「自衛軍」の文字がみえる。六ヶ所村で作り続けようとするプルトニウムの使い道が透けて見える気がする。自衛のための核武装を、世界で唯一の被爆国が言い出すほどのモラルハザードはない。鎌仲監督の発信を受け止め、原子力廃止と賢明なエネルギー選択へと、一歩でも半歩でも、1mmでも進みたい。

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