月刊『社会運動』 No.309 2005.12.15


目次

第19回社会経済セミナー報告 WTO体制下の農業政策と食料主権 矢口芳生‥‥2
食糧政策研究会 日生協「農業・食生活への提言」 藤岡武義‥‥14
公益法人改革 非営利法人制度の税制 出口正之‥‥23
金起燮氏からのたより ドウレ生協連合会に名称変更 金 起燮‥‥34
これからの健康と医療を考える オルタナティブな医療をめざして 岸田 仁‥‥36
食の焦点H みかんと日本農業 今野 聰‥‥43
国際有機農業運動連盟(IFORM)第15回大会「さまざまな持続可能システムを具体化する」 池田真里‥‥45
<子ども>とまちづくり 子どもたちの自己表現を促す非日常の装置 斎藤英厚‥‥50
アソシエーション・ミニフォーラム
ポストハーベスト問題は今 辻田友恵‥‥55
生協と社会的責任 金内志保美‥‥56
<書評> 政治変容のパースペクティブ ニューポリティクスの政治学U 高野恵亮‥‥57
<状況風景論> 「弱きをくじく」農協攻撃、社会的包摂の大阪集会&北斎は愚人か 柏井宏之‥‥59
雑記帖 宮崎 徹‥‥60


表紙からのメッセージ 写真家・桑原 史成
 11月6日、早稲田大学の大隈講堂において「女たちは未来を拓けるか?」と題したフォーラムが開かれた。パネラーは民主党と自民党の女性議員の各3名が参加した。
 民主党からは小宮山洋子、西村智奈美、蓮舫の各氏、そして、話題の片山さつき、佐藤ゆかり氏も招かれていた。司会は同大学のOBの筑紫哲也氏で進行された。
 内容は、女子に対するあらゆる形態の差別、また雇用分野における男女の均等な機会、待遇の確保が促進されているか、であった。しかし、6名の女性議員の共通した意見は法律の理念と現実の間には、乖離が依然とあるということだった。男女雇用機会均等法や男女共同参画社会基本法が施行されているものの、いまだに解決すべき課題が山積していた。
 日本での少子化の現象の背後には、子育てを女性だけにおしつけている"難題"があるように思えてならない。



第19回 社会経済セミナー報告 WTO体制下の農業政策と食料主権
東京農工大学教授 矢口 芳生

●グローバリゼーションと各国の差

 現在、世界はWTO体制下に置かれて、農業・食料をめぐる問題は、競争、効率が最大のキーワードで動いています。その一方で、環境とか地域の問題をしっかり考えていく動きも出てきている、一言でいえばそういう図式だろうと思います。
 米国の場合、人間の環境負荷を受けとめてしまうぐらいの大自然がまだ残っているという面もあって、環境問題が日常的に語られるというふうにはなかなかなりえない。遺伝子組み換え食品の問題一つ取っても、ヨーロッパと米国の考え方は全く違います。
 ヨーロッパの場合、地下水にかなり依存し、国土がつながっているので、ある国が何かやるとほかの国にも影響が出てくる。河川や地下水脈を通して影響が出てくるので、ヨーロッパ全体のさまざまな政策を通して全体を律せざるをえないのだろうと思います。
 環境問題の認識にしても、日本の場合、有機農産物は体に良いからとか安全だから買うと言いますけれども、ヨーロッパの場合、地域に貢献できるからとか、環境に良いから有機農産物を買うというふうに、日本などより一段も二段も意識が高い。環境問題一つ見ても、現在の状況に対する動き方や受けとめ方は、日本と米国とヨーロッパでだいぶ違って、国によっていろいろな取り組みがありますが、各国の農業・食料問題を縛っている要は、やはり、WTO農業協定です。

●工業の論理への接近と限界
 WTO農業協定の評価については、まず、農業あるいは農業貿易の特殊性を工業の論理にかなり近づけた、つまり、自由・無差別の論理・原則を農業の分野でも推し進めていったということ、これはおそらくだれも否定しないだろうと思います。しかし、農業貿易の特殊性を工業に近づけたといっても、おのずと限界があったということも、裏返しの評価として言えるのではないかと思います。その証拠として、ウルグアイラウンドそのものが、長期に渉らざるをえなかった状況があります。そしてその中身は何よりも農業交渉だったわけです。
 なぜ限界があったのか。なぜ農業の特殊性を完全に否定できなかったのか。ご承知のとおり、農業というのは、それぞれの国の歴史を背負っていますし、風土や地形条件を背負っています。したがって、そういうものを工業と同じ論理ですべて自由・無差別にものの行き来を貫徹させるということは限界があった。そして、それを調整する手段として、政策上例外を認めざるをえなかった。それは何かといいますと、「緑」の政策とかデカップリング政策というふうに表現されているものです。

●ドーハラウンドの特徴
 わが国でも今年3月、「食料・農業・農村基本計画」(以下、「基本計画」)が出されました。その中に「緑」の政策とかデカップリングといわれるような政策がいろいろ盛り込まれています。
 私は、現職に就く前は国会図書館におりまして、「基本計画」に出ている諸点については、15年前に、ヨーロッパ等の動きを見ているとそういう方向にならざるをえないだろうと、『レファレンス』(国会図書館月刊誌1991・4)に論文を書いたことがありますが(『食料と環境の政策構想』農林統計協会刊、1995に収録)、その中身がやっと政策に具体化されていると認識しております。
 デカップリング政策とか「緑」の政策といわれているのは、WTO一般の自由貿易原則の例外規定です。
 WTOの新たな交渉として今ドーハラウンドが行われています。これまでは関税引き下げ交渉が中心でしたが、ウルグアイラウンド以降、また今回のラウンドでも各国の農業政策も取り上げられるようになって、国内農業政策まで縛るということになった。このことが結局、長期の交渉になった大きな原因の一つになっています。
 ただ、ドーハラウンドも、本当は昨年12月31日に決定を見るはずでした。しかし、農業問題が中心的課題の一つになって1年延長され、今年末に決着してその内容が2006年1月1日から発効となる運びですが、これもどうなるか、まだ分かりません。
 いずれにしても、議論の中核に座っているのが農業問題で、世界一律の内容になかなか持っていけなくて特殊性を認めざるをえない。農業には先ほど申しあげた歴史とか自然条件があります。さらに、工業との決定的な違いは、農業は生命体の生産、生物生産である。これらの認識の違いが各国の考え方の違いにつながっていると思います。−続く


食糧政策研究会講演 日本生協連「農業・食生活への提言」
日本生協連参与 藤岡 武義


司会 本日は、生活クラブ連合会・市民セクター政策機構共催の「食糧政策研究会」の第一回目です。
 日本生協連は2004年度理事会のもとに「農業・食生活への提言」検討委員会を発足、農業や食生活の問題についての課題を整理し、委員会の見解を「日本の農業に関する提言」「食生活に関わる問題提起」としてまとめました。本日は当時担当役員として委員会に携わられ、現在は日生協参与である藤岡武義さんから、提言についてご報告願える機会となりました。それでは藤岡さん、よろしくお願いいたします。

●農業基本計画見直しにあわせ提言
藤岡 日本生協連参与の藤岡と申します。ただ今、ご紹介ありましたように日本生協連に作られた「農業・食生活への提言」検討委員会では、1年間かけてこの答申を準備しました。答申は3部構成になっています。第1部が動向編、第2が提言・問題提起編、第3が農業・食生活に関する生協の課題についての提起、になっています。
 日本農業に関しては「提言」となっておりまして。一方の食生活に関しては「問題提起」としてあります。というのは農業に関しては、農業従事者あるいは農政に関わっている方など広く社会への発信となっております。食生活については、何らかの結論を出していると言うよりは、生協の組合員に向けて提案をしている。
 最初に書いていますのは、1998年7月に日本生協連が出した「食料・農業・農村政策に関する生協の提言」のなかでまとめた消費者としての6つの要求です。
 @食の安全、
 A品質向上、
 B納得できる価格、
 C選択制の保障、
 D安定供給、
 E食料供給のトータルシステム
 を掲げています。
 この基本的要求は現在も変わらないとしています。それでは何故今回このような委員会を作ったのかと言うことですが、その後の7年間で大きな変化がありました。食品の安全問題が大きな問題となった状況がありました。併せて生協も含めて食品表示問題が大きな社会的な問題ともなりました。
 一方、後で述べますように、耕作放棄の拡がり、生産者の一層の高齢化等により、日本の農業も底力・パワーが落ちています。また国際的にはWTO(世界貿易機構)の新しいラウンドが始まっていて、予定ではこの年末辺りで、農業分野でのさらなる合意がなされようとしている、と言った状況にあります。
 食生活という面で見ますと、食生活の多様化の下で食育と言うものがクローズアップされて、先ごろ食育基本法が制定されました。
 行政面では、5年単位で行われています「食料・農業・農村基本計画」の見直し策定が今年に当たっています。それに向けても生協の意見を言っていこう。そんなところが委員会を作った動機です。−続く 


<公益法人改革>非営利法人制度の税制―正念場の制度改正―
出口 正之 政府税制調査会委員 国立民族学博物館・総合研究大学院大学教授


 自民党の総選挙の勝利の後、小泉内閣は、いよいよ消費税アップを含む、税制改革に乗り出そうとしている。むろん莫大な政府の借金とその体質の問題は、大きな課題である。税制改革は不可欠であり、「負担」をめぐる攻防は不可避である。しかし、ここで忘れてはならないのは、非営利法人をめぐる税制問題である。この国の未来を決めるだろう。この分野で、幅広い見識を持つ出口正之氏が、WNJ(ワーカーズ・コレクティブ・ネットワーク・ジャパン)で講演した内容をW・N・J及び松本典子(駒沢大学院生)さんの協力で、掲載する。(編集部)

 私は、非営利法人に関わるの分野の国際学会―ISTRという学会があり、89カ国の会員がいますが、そこのプレシデントをしています。そこでたまたまISTRという学会と皆さんの分野の研究者の集まりであるEMESが共同で初めて会議を行いました。税制調査会の議論がある最中に行ってきて、ある意味で私自身、非常に勉強になりました。
 政府というものは非政府ではないが非営利です。政府がどういう状況になっているかというと、郵政民営化が典型ですが、民営化して営利の部分に参加しなさいという言い方をしています。つまり、政府部門は非営利から営利部門に移ったほうがいいですよという言い方が強くされているのです。どういういことかというと、営利の部分に行くことによって競争が起きる、競争が起きることによっていろいろな工夫やアイディアが出てくるはずだというある種の信念があるのです。非営利で、かつマーケットの中にいるというほうが、活動が非常に効率的なのだという考え方が、政府をはじめ強く出てきているのです。
 これは政府のセクターの中でもそうですが、非営利のセクターの中でも同じことが言えるわけであって、これを人によっては、「エンパワーメント」(パワーをつける)であるという言い方をすることがあります。例えば、神戸地区でも、阪神・淡路大震災の後に、直後はなるべく寄付でやっていこうという動きがあったわけですが、できるだけ各組織に自立してもらおう、そして自立の中にある種の「働くということ」をしていこうという動きが出てきています。これはヨーロッパだけではなく、世界中で起きてきていることですが、いかんせん世界中で言葉がバラバラで、各国で違う言葉を使っています。したがって各国でいろいろな事が起きているが、世界中で起きているということを知っている人がこれまた少ない。ある意味では、最先端の最先端で活動される皆さんの活動は、まずわかってもらうということを出発点におかないと難しかなと思います。

市民が税制論議の流れを変えた
 現在の政府税調報告書「新たな非営利法人に関する課税及び寄付税制についての基本的考え方」をめぐる議論をお話させていただきたいと思います。
 はじめに申し上げたいのは、法人と組合というのは、考え方において多少違うということです。現在おこなわれているのが、公益法人の改革で、そういう意味では皆さんののうち8割が法人格を取っていない任意団体であるということなので、新規に公益法人という形の設立を考えるということにもなろうかと思います。ただ、法制上は法人と組合は考え方において多少違うということを押さえてほしいのです。公益法人の抜本的な改革を行うわけですが、2年前(2003年)の3月10日に、WNJの皆さんたちや他の方々が運動したのをもって、実は税調の議論が一時ストップします。2年前のストップは今から思えば大きな意味があって、税調の議論の基本的な方向性を変えることにつながったと思うのです。どういうふうに変えることになったかというと、それまでの公益法人改革はどちらかというと、KSD事件に端を発して行政改革という観点から行なわれようとしていました、公益法人を役所が作ってその天下りの受け皿になっている、そこへ膨大な税金が使われている、それを何とかしなくてはならないという観点からの議論だったのです。その2年前の3月10日を境に、考え直そうということになって、今年の改革は基本的には「民間が担う公共」を見据えた抜本改革ということで進んできました。その意味で皆さんの活動が、民間が担う公共なんだということであれば、これは非常にサポートされるであろうというふうに思うし、そのことが一般の方になかなかわかってもらいにくい活動であるから、皆さんが一般の方に、これが民間が担う公共なんだということがわかるような努力を今後していかなくてはという意味ではまだまだイバラの道であるだろうといえるかと思うのです。−続く 


キン・キソップ氏から便り ドウレ生協連合会に名称変更 「地域生命運動」に込めた意味
ドウレ生協連合会 常任理事 金 起燮


 前号で、韓国生協首都圏連合会のキン・キソップ常務理事の発言を載せたが、その後、11月16日から新しい名前「ドウレ生協連合会」に名称変更になったとの知らせを受けた。同時に「アイデンティティをもつための特別委員会」で強調されている「地域生命運動」について、尋ねたところ、詳しい回答がよせられたので掲載する。(編集部)

1.新しい名前
 今までの名前韓国「生協首都圏連合会」は、2005年11月16日から新しい名前「ドウレ生協連合会」に変わりました。スローガンは“生活が生命です”で、ロゴマークも決めました。

「ドウレ」とは、
@溜まった水を、田んぼなど別の場所に移すのに使用する汲み上げ農具
A韓国の農村社会で行われてきた伝統的な共同労働の一つ。田植え、草取り、稲刈りなど、短期間に大規模の村人の労働力を集約的に投入する必要がある時に。日本の結いに相当。

 私たちの新しい名称としては、Aの意味合い
 私たちなりの意味付けは、
@生きる場、生きる空間、生活の場、生活の空間、地域
A消費の協同を超える、労働・生活・生きる行為の協同
B私を持ちながら共を拡大。そして、共の場での私の行為(労働)と行為の間の価値評価、個々人の持つ能力の評価は同価交換。交換価値と使用価値を超えた生命価値の実現、
 この三点に集約され、この三点をより深めさせなければならなく思います。

2.「地域生命運動」の意味
地域生命運動とは、
 “全ての生活領域から個別化・商品化させながら入ってきている市場経済の世界化の波、その中で生命と生存の危機を全ての生活の領域から直面している大勢の母親たちが、異なるが異ならないことをはべっている(包胎している)ことを自ら悟り、自分と自分でないことの間を包胎をもって関係し、共同購入を全ての生活領域に拡大し、生活協同組合を再び生活協同運動に転換させ、その創造的模索を地域と言う新しい場で実践していく”−続く 



これからの健康と医療を考える ―オルタナティブな医療をめざして―
生活クラブ生協・神奈川 常務理事(あんず薬局代表)岸田 仁


はじめに <あんず薬局がめざしてきたこと>
 私たちは、医療や病気のことになると、なぜか医者や病院におまかせになりがちです。しかし日本の病院や医療の現状はとても安心して任せられるといった状況ではありません。それを頭では分かりつつも、多くの人たちはひとたび病気と思ったり体調を崩すと、一昔前なら休養に努めたり家庭療法でしのいだりしたのですが、昨今では直ぐに病院や医者にかけ込みます。そして検査漬けになり、ごく短時間の診察の末に出された薬を不安を感じつつ飲んだり、または手術を勧められ十分納得しないままに誓約書にサインしているのが実態ではないでしょうか。
 本当のところは病気を治すのはその人自身の生命力に他ならないのに、今の日本では医者や薬が病気を治してくれるものと信じて疑わない人が、残念ながら大半です。伝染病や感染症などは別ですが、医療や薬は人に本来備わっている自己(自然)治癒力を高めることを応援するもので、医者や薬が直接的に病気を治してくれるわけではありません。病気や医療は素人には分かりにくい分野であるとして医者任せにするのではなく、他でもない自分のことなのですから、自分の体に良く聞いて、自分で考えて行動していくことが大切です。
 そうした状況の中で、健康に不安を感じていて何とかしたいと考えている組合員の健康管理を支援するために、そしていつでも薬や医療についての相談ができるようにと、生活クラブ生協・神奈川、コミュニティクラブ生協(当時)、福祉クラブ生協の3つの生協と薬剤師集団のワーカーズ・コレクティブあんずが中心になって出資して、10年前に潟Eエルライフが設立され、あんず薬局が生まれました。
 あんず薬局は、薬づけ医療や薬害などに対する不安が高まる中で、「自分たちの健康は他人まかせにしないで自分たちで管理していこう」という生活クラブの健康・医療の運動の中から生み出されたものです。薬や医療に対する様々な不安を解決する「かかりつけ薬局」をめざし、また、健康を自分たちでつくり出す「健康づくりの地域拠点」をめざして10年間活動してきました。漢方薬とハーブを中心にした相談薬局が新横浜、藤沢、厚木の3ヶ所にあり、2004年度は三店合わせた年間の来店者数は約6200人で、開店日一日あたりだと22人になります。それに健康食品の共同購入事業と各種の健康・医療講座を柱にした健康づくり・共育(人づくり)事業が主なものです。

1.「病の肥大化」へどう対応していくのか
<病的なまでの健康追求志向>
 相変わらずの健康ブームですが、現代人の健康追求のあり方は果たして今のままで良いのか、今のうちに考え直さないと先行きとんでもないことになりかねない状況です。先進国、中でも日本人の健康追求志向や病気に対する過剰反応は「病的」といっておかしくないほどエスカレートしています。そのことをここでは「病の肥大化」と呼ぶことにします。度を越した健康追求、何でもかんでもすぐに検査というあり方、そして医療の高度化は、病気の範囲をますます拡大することになってしまいました。つまり自然に治るものまで見つけてしまうからです。そして、投薬、手術、高度医療が行われ、行き着く先は健康保険財政や政府の医療財政の破綻、個人のレベルでは家計の圧迫や病気・ノイローゼの蔓延に帰結し、病気・医療については日本全体が悪循環に陥っているといっても過言ではありません。
 自分にとって健康とは何か、病気とは何か、をもう一度考え直す時ではないでしょうか。もっといえば、自分が生きる意味=すなわち生の総決算としての「死」の意味をあらためてとらえ直すことが必要な時代になってきているのではないでしょうか。死は忌み嫌われており、その死への連想で病気も良くないものと全否定されることになっていますが、果たしてそういうものなのかをもう一度考えてみることが必要です。死を誰もが迎えるものとして肯定的に見ることで、逆に、病気を肯定的にとらえることが可能になるのではないでしょうか。大病をした人や治りにくい病気を持っている人のほうが身体や人生を大事にして、健康的に暮らしているという例はいくらでもあります。逆説的ですが、病を抱えることで人生を豊かにする事が可能な世の中にしていかなければ、「病の肥大化」現象は終わりそうもありません。−続く 



 <食の焦点>H みかんと日本農業
(財)協同組合経営研究所 元研究員 今野 聰


1.みかんは今
 みかんはハウスもの、極早生、早生、露地、晩生みかんと順々に変わっていく。極論すると1年中たべられるようになった。そうはいっても11月中旬になると果物の王座に座る。だがどこのスーパー売り場をみてもさして目立たない。結局旬、新鮮さが響いてこないのである。今年は特に小玉傾向らしい。しかも主産地愛媛産は平年と比較して酸抜けが順調というのに。確かに食べると小玉でもおいしい。1袋詰め放題など売り方も工夫されているが、さほど変化しない。
 東北地方では、戦前戦後を通してみかんは年末果物の高級品だった。贈答品のトップだった。部屋が寒く暖房が不十分だった生活にとって、みかんの色はそれだけでこたつを一層温めたからである。正月に大玉みかんのない生活はさびしかった。戦後40年代りんご不況を尻目に、天井知らずとさえ思ったものだった。だから現在の静かさは一体なになのだろう。

2.産地の隆盛と変化
 周知のとおり1961年に農業基本法が施行された。果実生産、とりわけみかん生産は選択的拡大のエース品目になったのだった。生産はどんどん高まった。私が1974年全農東京センター果実部に転勤した当時、もう一つの大品目りんごを完全に圧倒していた。データでみると1975年辺りがピークで、360万トン。主力愛媛県は段々畑を限りなく開園し、サーカス芸まがいの収穫搬送用レールが敷設された。神奈川県は海岸線から足柄山まで柑橘一色になった。この間、続々葉ダニ殺虫剤など柑橘新農薬が開発され、増産を後押しした。柑橘専門農協は経営安定し、頑丈だった。
 おどろくなかれ、愛媛県には柑橘専門農協連合会があり、市町村専門柑橘農協は信用事業(預貯金業務他)さえ行っていた。だから当時総合農協論と対決する専門農協論があったのだ。そこでは独特のみかん共販理論が形成された。最近総合農協を分離して「米専門農協」になれという暴論が一部にある。これなど淵源にみかん専門農協論があるように思う。
 それはさておき、生産の技術革新に触れれば、1973年ごろ愛知県蒲郡地方では先進的なハウスみかんが始まった。数年間は相当苦労した。先駆性とはこういうものだろう。1996年、農協の柑橘大会に参加して如何に先進的苦労だったか、学ぶことが出来た。今日連休前後にパック詰めのみかんが登場する。皮肉にも、同時に長い低落期への始まりであった。

3.果汁時代の到来
 季節感の逆転と果汁化に触れよう。過剰みかんの出口のひとつがみかんジュースだった。
 すでに1950年代後半、すでに触れた専門連である愛媛青果連「ポンジュース」はあった。それを先発にして、1970年代初期、和歌山、山口、大分などで原果汁生産とセットになった産地ビン加工工場が新設された。本格的な国産の果汁生産到来であった。
 こうした動きを受けて、全農直販KKでは1973年、農協牛乳のあとを追うように紙パック入りチルド果汁1リットルを開発市場投入した。スーパーなどで大方の支持を得て、順調に拡大した。
−続く 


国際有機農業運動連盟(IFOAM)第15回大会 「さまざまな持続可能システムを具体化する」
―オーストラリア 72カ国から1000人余が参集 CO2税を払って参加
池田 真里

 国際有機農業運動連盟(IFOAM)の第15回大会が、9月20日から23日までオーストラリア南部、サウス・オーストラリア州の州都、アデレードで開催された。ちょうど春の初めで、街路や農場の傍らにはアカシアの1種でオーストラリアの国花、ゴールデン・ワトルの茂みが黄色い小花をいっぱいにつけていた。
 IFOAMは1972年に結成され、現在108カ国771団体が加盟。今大会はテーマ「さまざまな持続可能システムを具体化する」の下に、72カ国の生産者、消費者、加工・流通業者、研究者、認証団体職員など有機農業に関心をもつ人々1000人余が一堂に会した。分科会では360件もの研究や事例が報告され、有機農業の科学技術的研究をはじめ、先進国や途上国での環境、健康、社会への貢献事例、地域と結んだ小規模な農場の実践報告から世界規模の展開を語る企業の戦略まで、内容、発表者ともに非常に多様多彩であった。
 また、テーマの「さまざまな持続可能システムの具体化」を大会の次元でも実践しようと、会議で使用される電気は自然エネルギー利用のもの(グリーンエレクトリシティ)で、ゴミはすべてリサイクルされた。また、参加者は任意で一人20オーストラリア・ドル(オーストラリア・ドルはおよそ88円)のCO2税(グリーンタックス)を支払い、オーストラリアで初のCO2税を徴収した大会となった。この税により大会終了後、参加者が利用した交通機関の化石燃料から発生した二酸化炭素総量を吸収するだけの樹木が地元サウス・オーストラリア州に植えられた。必要な樹木の本数は、CO2削減と植樹を進めるグリーンフリート・オーストラリア(NPO)のCO2発生算定式を使って算出された。ちなみにアメリカ、ヨーロッパとアデレードを飛行機で往復すると、発生するCO2を吸収するために必要な樹木は34本である。同NPOは1997年以来200万本を植樹している。

成長著しい有機農業と期待をかける国々
 有機農業は農業の中で最も成長の著しい部門とされ、現在世界で100万以上の農民、生産者が従事し、有機農地総面積は2300万ヘクタール、市場規模は260億ドルといわれ、今後も年10%から30%の成長が見込まれている。今大会の開催地オーストラリアだけでなく、EU諸国、インド、ブラジルなど有機農業を国の政策として位置づけ目標を設定している国も多く、スウェーデンではすでに総農地面積の19%が有機農地という。
 オーストラリアでは、この10年で2万戸の農家が廃業した一方で、有機農場はなお増加し続けている。有機農地は世界総面積の約43%と世界最大であるが、2003年農林漁業省の資料によると、総面積700万ヘクタールの世界最大の有機牧場などその4分の3は粗放経営の牧草地である。オーストラリア農業といえば、牛や羊を広大な農地で放牧飼育する大型農業が思い浮ぶが、このように有機農業も例外ではない。また、オーストラリアは毎年農畜産物生産量の80%を輸出しているが、有機農業も輸出指向である。2003年の有機農産物輸出総量の70%が日本、イギリス、フランス、ニュージーランド向けで、とくに日本は、価格が1割高でも有機食品を買いたいと考えている健康指向の消費者が多いなど有望市場として期待されている。開会式には、農林漁業省政務次官が出席して有機農業への期待を表明し、有機農業育成のための研究開発をはじめとする振興策を詳細に述べた。−続く 


<子ども>とまちづくり 子どもキャンプの現場から 子どもたちの自己表現を促す非日常の装置
斎藤英厚(キャンプ&アースネットワーク(C.E.Net)主宰)


はじめに
 私は、満4歳〜高校生を対象とした宿泊を伴う組織キャンプ活動(以下キャンプ)の団体を主宰しています。今年で16年目になります。活動は主に夏・冬・春の学校が休みの期間が中心で、その都度生協の旅行担当部署がDMやチラシで募集するスタイルをとっていますが、企画内容と運営については、私たちにほぼ一任されています。年間で延べ約1000人の子どもたちが参加します。ほとんどが生協に加入している組合員の子弟(子女)で、居住地区は関東一円にわたっています。
 さて私自身は、かれこれ30年近く、子どもたちのキャンプに携わってきました。家庭、学校、地域など、日常での子どもたちは、そのときどきの社会の姿を映し出します。
 社会の構成員という視点から見た「少子化」や、家庭・学校との関係から生じる「不登校」が昨今取り沙汰されています。そしてこれら日常に見られる子どものさまざまな変化は、現在のわが国の多くの問題を映し出していると言われています。しかし、では主役であるはずの子ども自身のことについて、私たちはどれくらい理解しているのでしょうか。自問も含め、「非日常」のキャンプ現場で見た子どもたちのことをお伝えしたいと思います。

1.キャンプという「装置」
ステレオタイプなキャンプのイメージ
 私は、キャンプは装置(しかけ)であると考えています。目的を達成に近づけるための装置です。こういった考え方はいわゆる自然学校的なものとはいささか異なるかもしれません。
 大正初期に、わが国で初めて組織キャンプが行われて以来、キャンプには「豊な自然があって」「テントを張って」「食事を作って」という不変とも思えるイメージが存在しています。キャンプ後に実施する親へのアンケートで、しばしば「テント生活で食事をつくったりするほんとうのキャンプをやってほしい」といった意見にも、それは窺えます。

日常と非日常
 キャンプの特徴は「非日常」であることです。キャンプという装置を使って、日常ではあまり体験できない人間関係の中で、子供同士、あるいは子どもとリーダー、さらにはリーダー同士が、どう関わりあっていけるか、何を伝え、何を獲得していけるか。いわば、「人間関係作り」そのものが私たちのキャンプの目的であり、わたしたちのキャンプ3項目(※注1)の前提となる考え方です。

キャンプの中心はあくまでも「人」
 私たちは、目的によっては自然が豊な場所でのテント泊も行っていますが、場合によってはフィールドが都会であっても構わないと考えています。
 大切なことは、そこに子どもたちがいて、憧れの対象となるような、少し年上のリーダーがいることです。「装置」という考え方の中心にあるものは「人」に他なりません。

リーダーの役割
 キャンプを実施運営して行く上で「リーダー」の存在はとても重要です。現在約70名ほどの学生、社会人が、ボランティア活動として登録しています。学生では教育系の職種をめざす人たちが多数を占めていますが、社会人の職種はさまざまです。中には現役の教師や医師の参加もあります。
 キャンプにおいてリーダーは、自分の存在をリーダーとして認めてもらえるのかどうか、子どもたちのシビアな視線によって試されます。そこでリーダーは、マニュアルだけでは成立し得ない、一般社会では隠されがちなむき出しの個人として子どもに向き合う関係を迫られます。−続く


<アソシエーション・ミニフォーラム報告>
ポストハーベスト問題は今 ―イメージ購入の恐さ―
多摩南生活クラブ生協食の安全推進チーム担当 辻田 友恵


 私たちは、昨年から、食の安全を推進するためには東京都が制定した食品安全条例を使いこなすことが必要と考え、チームの活動を進めてきました。そして、大半を輸入に頼り、さまざまな加工食品の原料であり、学校給食の主食として、子どもたちのためにも、その安全性を確認したい小麦を題材に食品表示についての学習・調査活動に取り組んできました。その中で気になったポストハーベストの現状と課題について、専門家の話を伺い、その問題点をはっきりさせたいと、食品の分析という活動を進めている農民連食品分析センター副所長藤田一衛さんを迎えて学習会を開催することにしました。
 11月7日(月)10時、多摩統合センターには、チームメンバー4名を含む18名が集まり、真剣に藤田さんのお話を伺いました。
 まずは、農作物(食品)を輸入するということが、実際にはどう行われているのか?時間をかけ、大量に農作物(食品)を輸送するということは、農産物(食品)の質の低下が伴うのですが、一方で虫害など何か問題があると認められれば国内に入れられないので、そのためにポストハーベストが不可欠であること、更に円滑に輸入するために、逆に残留農薬の基準を低くして対応しているというお話がありました。その後、具体的に、藤田さんたちが行ってきた分析データで、小麦と小麦製品に含まれる残留農薬の状況を確認しました。輸入される小麦からポストハーベストの残留の結果がでることは当然ながら、小麦製品(学校給食のパン・市販のパン類・バーガーショップのバーガーバンズ)の残留農薬検出には、驚きを感じた組合員もいました。実際「有機野菜使用などのアピールを行っているバーガーショップならば大丈夫ではないか?」と考えていた組合員もあり、イメージ情報で購入を決めるということの危うさがはっきりしました。
 更に、国産の小麦を活用した給食をめざす自治体の検査結果では、ポストハーベストの残留を検出しないというデータから、「国内自給」を進めることが、安全な食の追及に大きな力になることがはっきりしました。このように、国内自給率を上げる対応を進めることが必要な状況でありながら、自給率の表示を従来のカロリーベースから金額換算表示に変更し、「自給率が高い国 日本」を演出しようとする動きがあることも伺い、安全な食生活を進めるためには、この状況を正しく知り、チェックをし、更に広報していく活動が重要であると、実感しました。
 時間が許す範囲で、近年増加しつづけている農産物の輸入という点にも言及していただきました。特に、増えてきている冷凍カット野菜は、そのまま調理に利用する場合が多く、残留する農薬がそのまま体内に入る危険性を思うと、その対策が必要であると感じられました。
 藤田さんたちが、その分析結果を元に、輸入農産物(カット野菜)の輸入に対する対策の必要性を国に訴え、新たな基準などを求めた活動なども伺い、私たちチームも、市場調査や生産者への聞き取り含め、具体的な活動を進める中で感じた疑問や提案を、東京都の消費生活条例に基づく申し出制度を活用することにつなげ、私たちの声で、食の安全が少しでも進められれば…と、今後のチームの活動へのヒントもいただきながら、2時間の学習会が終了しました。
 藤田さんには、更に自生する遺伝子組換えナタネの調査、近々解禁されそうな米国産牛肉の問題なども資料として準備していただいていましたが、参加者からの質問も多く、今回そのお話を伺うことはできませんでした。参加者から希望の多かった添加物の学習含め、次の機会に是非と考えています。 


さいたま
 生協と社会的責任―相次ぐ偽装表示事件から―

生活クラブ生協・埼玉
 金内 志保美


 10月28日に生活クラブ埼玉本部にて、「生協と社会的責任(CSR)」をテーマにミニフォーラムを持ちました。 このCSR(CORPORATE SOCIAL RESPON-SIBILITY)への関心が高まっています。 一連の偽装表示事件や事故隠しなど企業の不祥事が頻発したことを背景に、法令遵守(コンプライアンス)、企業倫理という考えが「企業の社会的責任」ブ−ムになっています。
 企業の社会的責任を対外的に表現することで企業価値を高める風潮もあるようです。CSR報告書を目にする機会も増えてきました。企業活動による影響、リスク評価を公開するものですが、中身は企業による企業のための主張となり横断的に第3者が企業評価できるものではないようです。そもそもCSRはだれのためにあるのでしょうか?
 一方、生活協同組合の社会的責任は何か?対社会的に表現し評価を得る必要があるのではとの問題意識のもと、生協にとってのCSRはどうあるべきかについて、当日は高崎経済大学の水口剛先生にお越しいただきました。
 企業と違って出資者であり、利用者である組合員で構成される協同組合こそ、目指すべき社会のビジョンを持ち、組合員自身による自覚的活動を通じて目標に近づく運動体であり、大切にしたい価値観を広く共有する必要があるのではないか、また社会から何を期待されているかについて、社会的に最も影響の大きい分野での積極的な問題提起があって良いのではないかなどを伺い、改めて整理し表現する必要があると感じました。生協内で毎年議案で表していることを他と比較できる指標を作り出し、対外的に説明出来るものをもてたらと考えています。
 「安全、健康、環境」生活クラブ原則は誇りをもってアピ−ルするべき指標になりうるのではないでしょうか。また、EUの理事会が2010年の社会ビジョンを明確に描いて、戦略的に産業界の役割として企業の社会的責任を位置づけた様に、生活クラブが考える10年先の社会を分かり易く伝える生活クラブ流のCSRを考えていきたいと考えています。

<書評> 賀来健輔・丸山仁編著
『政治変容のパースペクティブ ニューポリティクスの政治学U』(ミネルヴァ書房、2005年)

高野 恵亮 嘉悦大学非常勤講師

 本書は“TINA”に対する挑戦の書である。この“INA”という言葉にピンときた方は以前本欄(社会運動300号、2005年3月発行)で紹介した、姜尚中/テッサ・モーリス−スズキ著『デモクラシーの冒険』(集英社新書、2004年)を読まれた方であろうか。「鉄の女」と称されたマーガレット・サッチャー英元首相のもう一つのあだ名であり、その口癖に由来するものである。それは、“There Is No Alternative(選択の余地はない)”の頭文字であり、現在世界を席巻している新自由主義を象徴する言葉である。現在、市場万能主義的なグローバリゼーションが世界中に蔓延し、それ以外に「選択の余地はない」という、まさに原理主義的な様相を呈している。この「他に選択肢はない」、「自分たちが暮らすこの世界を、あるいは政治を変えることは不可能だ」というけだるい諦念と無力感が漂う中で、“Another World is Possible!(もう一つの世界は可能だ)”を合い言葉に「新しい政治」、「新しい社会運動」の可能性を模索する、というのが本書の立場であり、本書が発信するメッセージである。
 本書は14人の研究者による成果であり、序章、終章とそれぞれ6章からなる2部構成となっている。第1部は「現代政治の変容と政治理論の再構築」という理論編、そして第2部は「現代政治の変容と新しい政治過程」と題し、環境、ジェンダー、NPOといった視点から「新しい政治」の可能性を探るという、いわば実例編となっている。また、サブタイトルが示すように、本書は2000年に刊行された『ニュー・ポリティクスの政治学』の続編とも言えるものであり、前作同様イングルハートのニュー・ポリティクス理論をベースに「新しい政治」の動向を解説している。
 イングルハートのニュー・ポリティクス理論については第1章「ニュー・ポリティクス理論の展開と現代的意義」(日野愛郎)で詳しく紹介されているわけだが、大雑把に要約すると、経済・技術的発展による「豊かな社会」の到来が個人レベルにおける脱物質的価値観の台頭をもたらし、それによって経済発展や安全保障の追求といった従来型の争点とは異なる新たな社会運動(例えば環境運動、女性運動、反戦運動など)が生起するということである。この理論は、経済・技術などシステム・レベルの発展が価値観の変容や技能の向上という個人レベルの変化を引き起こす、そしてその変化がライフスタイル争点の重要性増大、エリート挑戦的な政治文化の育成といったシステム全体にフィードバックするという、システムと個人の相互連関に光を当てているという点に特徴を持っている。−続く



《状況風景論》「弱きをくじく」農協攻撃、社会的包摂の大阪集会&北斎は愚人か
(柏井 宏之)

●なぜ今、農協攻撃なのか
 「農協批判の本質をさぐる−農協改革・発展の課題」をテーマに開かれた農業協同組合研究会第2回シンポ(日本橋公会堂)での梶井功前東京農工大学学長の発言は、厳しいものがあった。それは日本の新しい市場主義が80年代後半の「強きを助けて」の段階から2000年代に入って「弱きをくじく」に軸足を移していく政権施策を痛烈に批判するものだった。そこには90年に8%だったGDP対前年比が年々落ちて98年には−2%に落ち込んだ中で、経団連が92年「21世紀に向けての農業改革のあり方」から97年「農業基本法の見直しに関する提言」へ、そしてそれを受けての02年、総合規制改革会議の第2次答申に至る流れを冷徹に検証・批判するものだった。価格交渉力をもつ総合農協解体、独禁法の適用除外や農地購入を禁じる農地法をターゲットにする農業経営の株式会社化―。そこには「農業ビジネスは21世紀の数少ない『宝の山』」(日経ビジネス99.5)、「農協が崩壊するとなると、すごいビジネス・チャンス」(堀江貴文「週刊ダイヤモンド」05.1)といった農業を投機対象のゲームとする流れが露骨に透けて見える。
 「生協からみた農協への提言」を発言した河野栄次生活クラブ連合会会長は、農協が国の制度に依存してきた体質、自らの社会的役割の認識不足を、事業経営では協同組合原則を強調するが実態はどうか、住専以降の農協法は商法準拠で外堀を埋められている中、農協を守るのではなく時代にあったものに創り変えることを提言した。そのキーは人間関係資源に依拠し情報公開を価値として消費者である生活者に応えること、キーワードは商品の価値概念である「食の安心・安全」ではなく「生物の健康」で生産履歴を公開すること、食糧生産の時間と空間の大切さ、協同組合地域社会づくりを強調した。新たな仕組みとして地域の構成員、参画にもとづく「まちづくり」、地産地消、学校給食、たすけあい、食教育、文化活動、最後に目的別・世代別の新しいグループづくりを勧めて激励した。
●203大型店舗撤退後のマチは…
 NHKの「ご近所の底力−撤退大型スーパー」を見た。この一年大型店舗の撤退は実に203にのぼり地方のマチの生活は大変な状況。その深刻さの中で市場に代わるものとして登場してきているのが「ご近所の底力」。青森のある街では、医院や商店がバス停になって行政の補助のない中、資金10万円を出し合って買い物に行けない人たちに昼空いているスクールバスを活用して無料バスを走らせている。三重では2つの大型スーパーが撤退の中で、無人となった店舗前で農村ワーカーズの即売所が賑わっていた。地方の市民力だ。
●壁を越え「連帯経済」は築けるか
 「T・ジャンテ氏招聘フォーラムin大阪」の実行委員会は多彩である。大阪フォーラム代表の斉藤縣三氏は強調する。大阪のテーマは「社会的排除を受けた人々をいかに包摂しうるか」。実行委員会には、ホームレスの人々に働く機会を提供するNPO、障害がある人ない人の共働を求めるNPO、引きこもりの若者に働きの場を創出するNPOなどが中心的な役割を担っている。…全国一の寄せ場を有する釜ヶ崎は大阪に位置する。障害のある人の働く場作りの運動も東京にはない発展がみられる。まさに大阪は新たな様々な社会的排除を受けている人々の坩堝でありそこからの変革のエネルギーに満ちている、と。
●北斎の庶民性への悪罵
 転居すること93回。金と権力に頭を下げず労働を描き続け90歳まで絵筆を離さなかった画家・北斎。70年始め、北斎特集を組んだ『太陽』で丸谷才一は何と「北斎自身の精神的な低さがあげられる」とした。「その気楽で安全な日々の暮らしを、北斎は至って素直に、何の疑いもなしに受容している」と。職人のリアリズム労働の賛歌を江戸の平和ボケといわんばかりに。近代の傲慢が言わせた庶民性を愚人とみる悪罵だ。
 今回の北斎展のポスターは赤富士が丸窓に入れられたオリエンタル風だ。


雑記帖 【宮崎 徹】

 自分の老化のせいばかりではなく、大きなことから小さなことまで世情の変化のスピードが著しく加速しているように感じる。その要因は多様であろうが、ひとつにはグローバリゼーションや市場化の急進展という経済活動の大きな変化がある。この点に関わって最近目についた1,2のトピックスを挙げてみよう。第1は、グローバリゼーションの推進力である海外直接投資(経営資源の国際的移転)について。日本の場合、外に出て行く直接投資と対日投資の著しいアンバランス(大きいときには10:1以上)がずっと問題でありつづけてきた。ところが昨年度にはあっさりと対日投資額が対外投資額を上回ってしまった。
 優れた外国企業は日本が比較劣位にある産業分野を狙って進出してくることが多いので、全体として日本経済の効率化が図られるというメリットをもたらす。しかし、対日投資急増の裏には、いわゆる禿鷹ファンドの「活躍」も見逃せない。破綻に瀕したリゾート施設などが大量に買い叩かれている。元の10分の1ほどの値段で手に入れれば簡単に利益をあげられるし、再建して転売益も出せる。よい対日投資も悪い投資も合わせて日本をターゲットにしはじめたことが、国内経済の変化を加速している。
 第2は、本年上半期の国際収支統計で、貿易黒字を投資収益(海外投資などの果実)がはじめて上回ったこと。これにも原油急騰で輸入代金の急増=黒字減という裏がある。しかし、一国の発展段階史からいえば、加工貿易で黒字を営々と稼ぎつづける時代から日本経済が成熟債権国化への道を歩みはじめた予兆ともみえる。
 これらは経済のマクロ環境の大きな変化であるが、回りまわってわれわれの日常生活の変化にもつながる。変化があまりに激しいときには、むしろじっとしていることの方が大切かもしれない。しかし経営や運動の最前線ではそういうわけにもいかないでしょう。

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