月刊『社会運動』 No.313 2006.4.15


目次

11.27 Tジャンテ氏招請国際市民フォーラム 日本における社会的企業の実践と社会的経済発展の諸課題(上)
栗本昭/藤木千草/山岸秀雄/鈴木秀幸/高橋均‥‥2

井手敏彦選集出版記念 ごみ減量のいっそうの推進のために 熊本一規‥‥14
リレートーク 沖縄からトラジャへ アジアの成層から日本を考える 飯田泰三/細田亜津子/安江孝司‥‥27
ICA会長バルベリーニ氏来日 ワーカーズコレクティブを視察訪問 ‥‥40
食の焦点I トマトと日本農業 今野 聰‥‥42
第9回社会的企業研究会報告 サービス経済化とコミュニティビジネス 樋口兼次‥‥44
<書評> 復刻シリーズ1960/70年代の住民運動 山本崇記‥‥54
 現代社会をつくり・かえる 米倉克良‥‥56
<状況風景論> 生産者交流会、中小の激戦&ALWAYSと集団就職 柏井宏之‥‥59
雑記帖 古田睦美‥‥60

表紙からのメッセージ 写真家・桑原 史成
 この5月1日に、水俣病が公的に確認されて50年の節目をむかえる。1956年(昭和31年)に水俣保健所に報告され、確認されてのことだが、水俣病の発生はそれ以前であることは間違いない。
 “奇病”ともいわれ、後に水俣病とされる。この疾患は医師が個人の診断で病名をつけることは出来ない。行政の審査会において決められるのである。つまり認定患者には補償、賠償金が支払われるために認定基準がまことに厳しい。では、未認定の人たちはどうしたか。医療に直接的には関わりのない裁判に救済を求めてきた。そして、やっとのことだが、2004年に最高裁はチッソ水俣病関西訴訟で「国と県の行政責任」と認め、「国家賠償責任」が確定した。
 そして、これまで沈黙していた数千名の不知火海沿岸の住民による新たな訴訟が、いま進行している。水俣病事件は終息するどころか、新たな司法、行政の問題に展開しようとしている。写真は父母が他界して姉が患者の妹の介護に当っている。
<桑原史成写真展【水俣の肖像】銀座Nikon Salon4月10日(月)〜22(土)10時〜7時>

11・27 Tジャンテ氏招請 国際市民フォーラム報告 日本における社会的企業の実践と社会的経済発展の諸課題(上)
<パネリスト>
藤木千草(ワーカーズコレクティブネットワークジャパン代表)
山岸秀雄(NPOサポートセンター理事長)
鈴木秀幸(労金協会専務理事)
高橋 均(日本労働組合総連合会副事務局長)
<モデレーター>
栗本 昭(生協総合研究所)

 昨年、11・27のシンポジウムは、欧州の社会的経済の中心的活動家を招いたというばかりでなく、日本の社会的経済を横断する「場」の設定と協同という画期的な意義を有するものである。その内容的な中心的課題とテーマは、ほぼこのフォーラムにおいて網羅されているといって過言はない。(編集部)

日本の社会的企業・社会的経済の現状
<栗本>今の基調報告(ジャンテ氏の報告)を受けて日本における社会的企業、あるいは社会的経済をどう発展させていくかという問題についてのパネル討論を開始したいと思います。壇上におりますのは、それぞれ全国組織の代表です。藤木さんは労働者協同組合であるワーカーズ・コレクティブの全国ネットワーク(W.N.J)の代表です。山岸さんはNPOの中間支援組織であるNPOサポートセンターの理事長です。ワーカーズ・コープやNPOは日本における社会的企業の典型的な形態ではないかと思います。そういった意味で「新しい社会的経済」の組織と言っていいと思いますが、一方、労働金庫や労働組合は古くからの「伝統的な社会的経済」の組織と言っていいと思います。全国労金協会の鈴木専務理事には、NPOに対する様々な融資や支援を行っている点をお話いただきたいと思います。高橋さんは日本を代表する労働組合のナショナルセンターである連合の代表として、労働組合として社会的企業あるいは社会的経済にどうこれから対処していこうとしているのか、ご報告いただきたいと思います。
 この4者はまったく性格も異なり制度的な枠組みも異なります。日本では、協同組合にしても法律が十いくつあって、官庁ごとに、法律ごとに分断されています。協同組合は国際的に見ても大きな力を持っていると思いますが、その横の連携がなかなか取れていない。NPOは特定非営利活動促進法によって規制されていますが、他の公益法人や社会福祉法人などと比べて税制優遇は限られています。労働金庫と労働組合は比較的近い関係にありますが、協同組合やNPOとは連携が弱いのが実情です。開会挨拶の富沢先生の言葉にあった「タコつぼ状況」がなかなか克服されていないということです。
 今回この様々な背景の異なる団体が一緒に集って、日本における社会的企業なり社会的経済を今後どうしていくのか、日本の市民社会をつくっていく上で決定的に重要なこれらのアクターあるいはセクターの活力をいかに高めていくか、という共通の課題で同じテーブルについたこと自体が、新しいことであり意義があると思います。
 そこで、本日のパネル討論ではまず、2つのラウンドですすめていきたいと思います。最初のラウンドは現在の社会的企業あるいはその支援組織がどういう活動をしているのかという現状の紹介です。これを4方からそれぞれお話いただきたいと思います。そして第2ラウンドとしては、今後日本における社会的企業・社会的経済を発展させていくために、いかに相互の提携・連帯を強めていくのか、またいかに社会的企業・社会的経済が発展していくための基盤を整備していくのか、制度的な問題も含めてどうすすめていくかについてそれぞれ提起していただくということにしたいと思います。
 それでは、早速ですが社会的企業あるいはその支援組織の現状についてお話いただきたいと思います。ワーカーズ・コレクティブ ネットワーク ジャパンの藤木さんからお願いします。−続く


井手敏彦選集出版記念講演会報告 ごみ減量のいっそうの推進のために 骨抜きの「拡大生産者責任」(EPR)
明治学院大学教授 熊本 一規


 元沼津市長で市民運動家の故井手敏彦氏のさまざまな分野にわたる著作を新たに編集した『地域を変える市民自治-井手敏彦の実践と思想』(緑風出版)の出版記念の講演会が2月4日、沼津市で開かれた。井手氏のごみ減量の『沼津方式』にみるリサイクルの歩みには、今日の「拡大生産者責任」(EPR)の思想があり、日本では経済界と官界がいかにそれを回避した政策になっているかを、熊本一規教授の記念講演は明るみにだした。(編集部)

1.処理のことを考えない生産
 従来、一般廃棄物の処理は自治体が担い、その財源は税金でまかなうことが原則とされてきました。しかし、税金負担のごみ処理には大きな問題点があることがわかってきて、ここ15年あまり、その原則が世界的に見直しを迫られています。
 どういう問題点かと言いますと、一言で言えば、処理のことを考えない生産が行われるということです。例えば、塩ビは生産費は安いけれども焼却するとダイオキシンや塩化水素を発生するから、公害防止費用が高くつき、したがって処理費が高くつきます。しかし、いくら処理費が高くつこうと、税金で負担してくれますから、生産者は一向に構わない。
 消費者は消費者で店頭で価格の安いものに飛びついてしまいます。塩ビは生産費が安いので価格も安く、消費者が飛びついてしまう。塩ビを買えば、それが廃棄物となったときの処理費が高くつき、したがって税金が高くなるのですが、そこまで考慮に入れる消費者はほとんどいません。
 したがって、税金負担のごみ処理の下では、生産費は安いが処理費のかさむようなものが、どんどん生産され消費されることになってしまいます。一言で言えば、処理のことを考慮しない生産、あるいは市場になってしまう。あるいは、生産が野放しで行われ、そのツケが税金に押し付けられることになる。
 その結果、ごみ処理費は、どんどん高騰するし、ごみ量もどんどん増大するということになってしまうのです。

2.有料化は本質的な解決策ではない
 では、どうすればこの問題点を解決できるでしょうか。
 まず、ごみ有料化でこの問題点が解決できるか、を検討していきましょう。あわせて有料化の論拠も検討することにしましょう。
 有料化の論拠は、主として二つあります。一つは、有料化すれば市民にコスト意識が生まれてごみが減るということです。もう一つは、より公平になる、つまり、ごみを多く出す者が多く負担し、少なく出す者は少なくてすむ、ということです。
 まず、ごみが減るという論拠について検討します。
■リバウンド効果(減るのは1〜2年)
 有料化してごみが減るかというと、減るところもあれば、減らないところもあります。環境省が93年に行ったアンケート調査によれば、減るところは五割弱です。
 しかし、減るところも、ほぼ例外なく、リバウンド効果を持ちます。体重と同じように、いったん減るけれども、減るのは1〜2年で再び増加するのです。
 最近、環境省は有料化を強力に推進しています。自治体の固有事務である廃棄物処理に環境省が強力に介入すること自体が異常ですが、環境省が有料化に減量効果があることの論拠としているのが、図1のグラフです。
 これは、全国の市町村に対してアンケート調査を実施し、人口10万人以上の回答市町村227のうち23自治体を選んで、有料化を実施した年及びその前後5年間の一人一日当たりごみ排出量の平均値の推移を示したものです。
 図1について、環境省は、「有料化2〜3年後にやや増加した後、4〜5年後に減少する傾向が見られる」と解説しています。
 しかし、グラフを見たら、4年後まではほぼ横ばいで5年後に減っていることが分かります。
有料化の効果が5年後にいきなり現れるなどということは、まず考えられません。現れるとしたら1〜2年後です。だから、5年後に減っているというのは、何も有料化で減っているわけではない。ほかの要因がおそらく働いているのです。
■有料化では生産はなんら変わらない
 このグラフを見た久留米市の市会議員の方が、この23の自治体の中には必ず久留米が入っていると言われた。なぜなら、久留米では有料化したけれどもごみは減らなかった。ごみが減らないものだから有料化後5年後に19分別を始めたところ、ごみが減ったというのです。だから、久留米が絶対入っているはずだということで、環境省に23の自治体がどこかを明らかにしてほしい、公表させてほしいということで依頼されたのです。−続く 


<特別リレートーク・アジアの文化史>アジアの成層から日本を考える
衣・食・住の生活文化と死生観・他界観のアジア的広がり・連鎖 【沖縄からトラジャへ】
<お話> 法政大学沖縄文化研究所
飯田  泰三(兼担所員・法政大学教授)
細田 亜津子(国内研究員・長崎国際大学教授)
安江  孝司(所長・法政大学教授)


<編集部>
 いま、グローバリーゼーションの流れの中で、遺伝子組換え食品などの問題が指摘されています。食品の安全や安心の問題は、無論、国や自治体の政策に関わりますが、一歩深く考えると、その問題は、文明史的な視点が欠かせなくなります。生き物ですから、すべてを「工業化」しようとして、生き物の時間や人間の壮大な食の歴史を無視しようとしますが、完全にできません。それゆえ、食物をめぐる「時間」や「空間」に視点がいき、その点からも、生活全体と文明史的な視点がいつも欠かせないのです。すでに本誌でも、「〈稲〉と長江文明」(徐朝龍、267号、268号)を掲載してきました。仮説として、アジアが、キーとなってきました。こうした点を踏まえ、今回、中村哲さん※が作られた法政大学の沖縄文化研究所の方々に、フレームとしての「アジア」の視点を広め、深めて考えていく、きっかけとなるようなお話をお聞きしたいと思います。まず、飯田先生から、総括的なお話をお願いします。

天皇制古層より古い層とアジア
<飯田>日本文化の問題をアジアへの広がりのなかで考えるとき、私は沖縄を「アジアの中の日本学」構築のためのキー・ストーン(要石)、「戦略的拠点」として、中国南西部やインドネシアのトラジャまでの広がりで考えたいのです。その点、法政大学の沖縄文化研究所がトラジャに関わるにいたった経緯からお話すると、わかりやすいと思います。
 研究所で数年前、奄美大島に行ったことがあるのですが、そのとき、二つのことに注目しました。一つは、奄美に今なお残っている高床式の稲籾を貯蔵する「ボレ倉」というものが、古事記の神代の巻にすでに表われている「高倉」と同じものであるだけでなく、それとまったく同様の形式のものが、トラジャ――そこには広大な「棚田」があります――をはじめ、中国南西部から東南アジアにかけての各地に見られることです。
 もうひとつは、「風葬」です。これもトラジャでは現在も行われていることが、長年トラジャを研究しておられる細田先生とご一緒に奄美に行くことで、わかったのです。それならばトラジャまで行ってみようということになりました。
 そしてもう一つの経緯として、私がかねてから追っかけている文化接触論と文化成層論の視点から展開したものがあります。従来、日本とアジアの関係は、「中華文明」との関係でしか考えられてきませんでした。しかし、その「中華文明」というのは「黄河文明」であり、日本の古い層を縄文・弥生と考えると、「黄河文明」とは違うわけです。かつて、丸山眞男は、いわば稲作文明と結びついた天皇制的な「古層」を固有のものとして考えて、それと「中華文明」との関係を考えようとしましたが、私は以前からその点、問題があると考えていて、その天皇制の古層のさらに下に、いわば「アジア的古層」ないし「人類学的古層」というものがあるのであって、それを「征服」し、あるいはその上に乗っかる形で、「天皇制的古層」が成立したのではないかと考えるようになっています。
 私は20年ほど前から、日本政治思想史講義との関係で「古事記」を読み返しているのですが、西郷信綱さんが琉球の古歌謡集「おもろさうし」を参照しながら提示した古事記の「出雲神話」についての解釈に、目を開かれる思いをしました。従来は、たんに大和に対する出雲、あるいは中央に対する地方豪族集団といったイメージで、出雲はとらえられていたのですが、そうではなくて、「出雲神話」には「天皇制的古層」よりも、もっと古い層があるという読み方です。
 例えば、オホナムチノミコト(大国主)による「出雲の国造り」に、スクナビコナが協力したという記述に西郷さんは注目するのです。このスクナビコナは小さい神で、「海のかなたから」やって来て、国造りの手伝いをした後、「粟柄(アワガラ)に乗って常世の国に戻っていった」。つまり、海上のかなたに「他界」として「常世」があって、そのような世界とつながる中で「出雲」が作られた。そして、それを「征服する」――いわゆる「国譲り」をせまるために、タケミカヅチという神が降りてくる。つまり「武力」で迫るわけです。その後に「天孫降臨」があるわけです。
 西郷さんは、スクナミビコナがやってきて、また戻って行った「常世」は、沖縄の「ニライカナイ」と同じではないかと言うのです。そういうふうに「水平軸」の彼方に常世がある。このことが「天孫降臨」(=「征服」)よりも前にあるということが重要です。こうした「常世」的世界は、水平的世界であり、「垂直軸」(→支配権力の成立)の「天孫降臨」よりも古い「人民的ユートピア」を指し示す層ではないか、という印象的な言い方を『古事記の世界』(岩波新書)でしているわけです。−続く 


<食の焦点>I トマトと日本農業
(財)協同組合経営研究所 元研究員  今野 聰


1.トマトの今
 スーパーの野菜売り場を観ると、春先なのにトマトがにぎやかである。だから真夏になれば、それこそ花盛りとなる。つまり年中トマトは売り場の王様になった。完熟などの品質、糖度表示、価格も1個単位から、パック詰めまで。それを不思議と思わない常識は一体正しいのだろうか。ここからトマト論争になるのだが、それはあとで触れる。ともあれ、こうして年中消費される代表品目だから、日本農業を象徴していると言って良い。
 なにしろ私は、夏場のまるかじり以外、食べ方を知らなかった世代に属する。トマトの美味しさとは畑でもぎとったもの以上にはない。それを流水に浮かべて冷やして食べる。それでよかった。ハウス栽培の現場で、自慢する生産者の顔に同調するのに苦労したのだった。真冬の食卓消費のシーンが浮かばないままずっと現在に至る。わが冷蔵庫にはほとんどトマト在庫はない。あるのはトマトケッチャップなどソース類だ。それにトマトジュースから野菜ジュースという訳である。

2.トマトの昔と「ソース」
 橘みのり『トマトが野菜になった日』(草思社、1999.12.25)は副題が「毒草から世界一の野菜へ」。カゴメ創業100周年が契機になって出版された。メキシコ、ペルーなど現地取材が豊富で参考になる。関連年表は1492年コロンブスのアメリカ大陸発見から始まる。だが航海日誌を見ても、トマトとは出合わなかったらしい。写真も豊富。そこに自然性のトマトがある。ははん、原種は全てミニトマトだ。原種から開発努力すれば、栽培種開発が早いということが分かる。
 さて本書からヒントだったのは、如何にしてトマトが基本の味(ソース)になったかである。生鮮で食べる食習慣ではない。野菜でトマトだけがその位置を占める。ウスター、ピューレ、ケチャップ、チリソースなどである。生活クラブ・東京の機関紙「ジョイエス」06年4月号は「国産100%トマトケチャップ」が1面トップである。しかも遺伝子組み換え対策済みと明示されている。組合員のストックや使用頻度も見える。−続く
 

第9回社会的企業研究会報告 サービス経済化とコミュニティビジネス
白鴎大学教授 樋口 兼次

 樋口です。
 私は中小企業の問題をやっている者ですが、戦前からの協同組合、同業組合の問題といったものもやってきたなかで、協同組合や、非営利セクターの問題、社会的企業の問題を考えていく立場です。
 どちらかというと工業経済学の独占とか寡占理論などが中心なのですが、なぜ中小企業をやっているかと言いますと、独占・寡占の裏返しは小企業でして、常に小企業が支配されたり収奪されたりすることの対象になるという関係です。市場の競争関係をどういうふうに考えるかということで独占・寡占と小企業というのは裏返しになるわけです。
 最近、独占、寡占も様変わりしてきまして、中小企業も様変わりしている。そのなかで社会的企業という問題も、中小企業の側が非営利事業のようなものにアプローチしていったり、社会的な貢献といったものを目的にした中小企業が生まれてくるという状況も出てきます。
 実は、非営利セクターというのは、市民とか労働者層から出てくる流れだけではなくて、一般企業の社会的企業へのアプローチという流れがあるのです。そこにはサービス経済化という問題が背景にあるということを基本的に抑えながら考えてみたいというのが、今回のご報告の趣旨であります。
 さて、本題に入ります。サービス経済化の流れをざっと見ていきたいと思います。
 図1は1982年から2002年までの20年間の間にGDPがどういう部門で作られているかを見ますと、農業部門はきわめて小さくなって、工業部門が27〜28%で、あとはほとんどがサービスということになります。この中で運輸とか、不動産とか、金融とか、卸・小売に分けて見ていくと、卸・小売というのはむしろ縮小してきていまして、金融・保険、不動産、サービスの三つのいわゆる第3次産業の主流が膨張しているということははっきり見えるわけです。
 サービス経済化というのは明らかに進んでいるということです。
 産業別の事業所の推移を見ても、同じことは言えますし、従業者数で見ても、そういうことは同じように裏付けられています。
 サービス経済化は女性の社会進出という問題と不可分になっているわけです。女性の労働比率の高いものをよく見てみますと、サービス業に掲げられるもの、飲食・小売りというところが圧倒的に高い。農業は補助労働で女性が多いですが、女性の労働で主力になるのはやはりサービスです。
 労働力の男女比率が1:1になるのは目前です。所得の配分などを見ると、まだまだ圧倒的に男性が多くなっていますが、徐々に男性の失業率が高くなり、女性の失業率は下がっていき、女性の給与ベースが上がり、男性の給与ベースが下げられるという調整を経て、労働力の女性化は進んでおり、それはサービス化の流れと一致した流れとしてとらえることができるわけです。
 こういうなかで企業規模がどうなるかということです。われわれの側からしますと、企業規模というのは常に気になっていまして、産業別とか、累計別の企業規模の変動がどうなっているかをここ30年ぐらいの間、ずっと見てきました。
 図2のところを見ていただきますと、これは企業数を単純に規模別で切ったものですが、小規模企業・中企業・大企業に分けています。製造業で言うと、大企業=300人以上、中企業=20〜299人以上、小企業=20人以下。小売・サービスでは大企業=50人以上、小企業=5人以下。その間が中企業ということで区分したものです。
 これで見ますと、大企業は1991年から2001年の10年間に約3分の1に減りました。
 小規模企業も数としてはかなり減っていますが、これの大半は高齢者で後継者のいない家族経営の退出で、家族経営は新規参入も非常に少なくなっていますし、高齢化によって引退したり、亡くなるという自然減でどんどん減っていく。−続く 



<書評>「復刻・シリーズ1960/70年代の住民運動」(創土社刊)
「公共性」を拒否する想像力―住民運動が突きつけた「力」と「もうひとつのこの世」―


 2005年11月、創土社から「復刻・シリーズ1960/70年代の住民運動」と題して5冊の本が発刊された(以下、カッコ内は初版時の出版社、出版年)。それは、石牟礼道子編『水俣病闘争 わが死民』(現代評論社、1972年4月)、甲田寿彦『わが存在の底点から 富士公害と私』(大和書房、1972年7月)、宮崎省吾『いま「公共性」を撃つ[ドキュメント]横浜新貨物線反対運動』(新泉社、1975年3月)、のら社同人編『壊死する風景―三里塚農民の生とことば―(増補版)』(のら社、1976年6月)、中村紀一編著『住民運動“私”論 実践者からみた自治の思想』(学陽書房、1976年8月)の5冊である。
 道場親信氏の「刊行のことば」によると、「とくに行政・企業による『公共性』の独占を問い、自らの存在をかけて生活の場の主権をとりもどす闘いの記録であり、運動者自身の手(声)による運動の記録であるものをとりあげ、この時代の住民運動の問題提起がもつ今日的意義を、とくに『公共性』を捉える視点に求め、再読と再評価の機会とすることを目的として企画され」、「入手難であることを優先して」上記の5冊が選定されたということである。
 5冊の初版本がそれぞれ世に出たのは、高度成長政策の歪みをただす住民運動が1960年代に全国各地に激発し、1970年の「公害国会」を経て以降、それらが「敗北」を重ね、「いきづまり」(宮崎省吾)、「窮地」(中村紀一)に陥っていた時期に当たる。その中で運動者がこれまでの自分たちの歩みを捉え返し新たな展望を見出そうとして編まれたのがこれらの書物であり、初版本が出版された際の文脈といえる。ただ、大量生産・大量消費される研究者や活動家による運動言説に比して、住民たちの<声>は容易にかき消され埋もれてしまいがちである。その複数の<声>に再び光を当てた今回の復刻は、私たちが1960/70年代の住民運動に向き合いそこで問われていたものを考える際の貴重な参照点となるだろう。以下、この復刻の今日的意義を「公共性」議論の問題点と絡めて論じてみたい。
 「公共性」という言葉が立場を超えて学会や論壇での合い言葉となり運動圏へも浸透してきて久しい。社会秩序を強化したい人びと、若者の物事に対する無関心・無感動をなげく人びと、民主主義の深化・拡張を求める人びと、みな「公共性」という言葉を使用している。もちろん、言葉は同じでもそこで言われている中身は多種多様であり、時に相反してもいる。しかし、復刻された5冊の中で問いかけられているものが、現在の「公共性」議論で参照されているようには見えない。そのこと自体が現在の議論の位置を逆照射しているように思う。それは現代人の想像力が如何に一つの枠組の中に馴化されてしまっているかをも示している。
 1960/70年代の「対決型」住民運動から「参加」「オルタナティブ」を希求する「政策提案型」住民(市民)運動へ。このような図式的な理解は、運動圏も含めて、一般的なものといえる。そして、それは声高に「反」(アンチ)を叫び行政・企業と過度に対立する住民運動は不毛であるという理解へと接続していく。そこから脱し新たな運動を展望したい者たちにとって、1960/70年代の住民運動は否定的なイメージをもって想起され続けている。その象徴的なフレーズに「地域エゴイズム」がある。この言葉は、現在の住民運動に対するバッシングにも使用されるものであり、運動圏においても「克服されるべきもの」とされている。−続く 


《状況風景論》
生産者交流、中小激戦、『ALWAYS』の世界&ICA会長の目線


●地元生産者と組合員の交流
 10回目を迎えた生活クラブ静岡と静岡親生会の「生活クラブ新委員学習会」が、7地域から組合員67名、役職員16名、静岡親生会27名、生活クラブ親生会8名が参加して3月10日、富士市内で開かれ、交流・議論・発表がされた。
 地元生産者は、伊豆太陽農協、奥和、こめや食品、新橋製紙、富士製粉、明治製紙、焼津養鰻漁協、ヤマボシ、幾見養鶏、伊藤食品、英君酒造、冨良食品、丸喜食品、丸榛吉田うなぎ漁協が参加、河野栄次生活クラブ連合会会長から「協同組合の意義と生活クラブの課題」の基調報告を受け、それをめぐってKJ法で議論するやり方。協同組合と市場の違いを大いに語らう対話と発表が続けられた。関心が高かったのが「情報開示」だったのが印象的。
●業種と流通再編からの試練
 富士といえば製紙工場の街。最盛期140社を越えた製紙の街は今や70社に淘汰。ネピア、エリエールなど大手三大製紙の資本力にものいわせた業界再編とこの間の流通再編にあって、生死をかけた戦いのさなかにあり、中小製紙は販路の地方スーパーの撤退や郊外型SCによる小売の激減、大手の過剰在庫放出の中で苦しい戦いを強いられ、この春に更なる倒産・再編が待ち伏せているという。生協では組合員活動によって古紙をポイント回収する活動などの地味な活動は石けん運動同様、大手寡占化のなかで生産者は苦境に立っているのだ。生産者交流によって見えるこの見聞の大切さを痛感した。
●『ALWAYS−夕日の三丁目』の圧勝
 日本アカデミー賞は山崎貴監督の『ALWAYS』がほとんどの賞をさらった。東京タワー建設の進む昭和33(1958)年が「携帯もパソコンもTVもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう」と追想されるのか。10年後の1968年を描いた多文化時代の『パッチギ!』の井筒和幸監督や沢尻エリカに賞の一つもあって良かったハズなのにと思うが、この映画はTV・洗濯機・冷蔵庫がそろう三種の神器の到来を現代日本が成立した時代として日本人のノスタルジァにかなったのだ。貧乏と汗、正直と友情、どこも埃っぽくすすけた生活空間の中にあった、他者を思いやり分け隔てなかった庶民の生活空間がやけにうつくしくやさしく、かつあやうい。『パッチギ!』のような<ノイズ>がないのだ。
●廃校になった貝塚隔定高校
 『ALWAYS』のハイライトの一つは上野駅に降り立つ集団就職だった。
 大阪では泉州に集団就職した貝塚高校隔週定時制が廃校になり、40年の記録をまとめた『かがやき』が3月に出され地方紙に一斉に載った。中卒女子生徒が働く二交代繊維企業に合わせてつくられた隔週定時制と呼ばれる高校で、昭和41(1966)年創設。「女工哀史」さながら、戦後の糸偏景気を支えた中卒女子の「金の卵」を引き寄せる制度で、「働きながら高校に学べる」を合い言葉に大阪の泉州の貝塚、和泉、泉南、横山に存在した。
 就学数9千人、卒業できたのは4300人弱、しかし他の定時制より卒業率を上回る。出身地は長崎627人、鹿児島484人、宮崎266人、愛媛238人、熊本117人など全国26都道府県、会社は45社にのぼる。編者の教員が72年の「健康問題」をあつかった過去の記録、難聴を訴えた生徒達のデータを記載することから企業側からクレームが出され、記録誌から割愛、自費出版されたのも衝撃だ。
●ICA会長の夢ある目線
 労協連が招いたバルベリーニICA会長の「世界の協同組合を語る」3.18神戸国際会館の講演は胸打つものだった。氏は「協同組合は、発展途上国においても、発達した諸国においても、21世紀初頭の諸問題に立ち向かうための、より適切な企業形態である」と強調、グローバル時代にあって多国籍企業は社会的「責任の回避」を特徴としていると論難、イタリアの協同組合は新たな協同組合の就労づくりに剰余金の3%をあててプロジェクトをつくり、若い女性たちの夢を就労にいかす社会協同組合に力を入れていると強調した。(柏井 宏之) 

雑記帖 古田 睦美

雑記帖
 あるべき働き方と暮らし方のバランスを巡って最近思うことがある。16年6月「男女共同参画社会の将来像」がまとめられ、その中で、日本社会の中にある障壁として、「仕事と子育ての両立困難・長時間労働・育児や地域社会への参加が低い男性」「働く場における男女間格差」などがあると指摘され、これに対して2020年の社会像として、「長時間労働の解消により男性の家庭への参画が促進され家庭が充実・活性化、子育て・教育力が回復」「生活と仕事とのバランスのとれた生き方の実現により、見失っている喜び・価値の再発見とともに現在の男女が抱える問題が解消、生き方の選択の幅も拡がる」とされ、両立支援策の充実に力が入れられることになった。
 こうした動きの中で、父親の育児参加と子どもの数は無関係と躍起になって主張する人口問題や少子化問題を研究する男の学者たちが増えてきた。確かに、実証データは、夫に育児参加意識のある高学歴カップルでは晩婚傾向、一人っ子傾向があるとか、子どもが多いとパートより保育料が高くなることから女性が主婦にならざるをえないといった現実を映し出しているので、統計的にさぐっても、男性の育児参加による子どもの数の増加という事実は出てこないかもしれない。だが、政策というのは、現在まだ存在していない状態を構想することができるものではないのか。
 それよりも、重要なのは労働政策と男女共同政策との連携なのではないだろうか。17年12月「行動計画」(改訂)の中で、「パートと正社員間の(雇用状況に応じた)均等待遇」が書き込まれた。オランダの「時間差差別禁止法」のように実行ある労働法の整備が急がれる。

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