月刊『社会運動』 No.318 2006.9.15


目次

市民セクター政策機構新理事長あいさつ 澤口隆志‥‥ 2
12月2日・3日、東京・関西で国際シンポジウム 社会的企業が拓くサード・セクターの新しい地平 藤井敦史‥‥ 3
遺伝子組み換えイネの問題点 ディフェンシンって聞いたことがありますか? 金川貴博‥‥ 8
公益法人制度改革とワーカーズコレクティブ法C 行政・営利企業では満たせない社会ニーズへの対応 藤木千草‥‥18
<食>の焦点K きゅうりと日本農業 今野 聰‥‥25
森と海をつなぐ運動 海洋環境保護と漁協の役割 落合明史‥‥27
<書評>
 ブルーベリーソース物語 田中夏子‥‥31
 『アイデンティティの政治学』 南島和久‥‥33
 バグダッドバーニング2・イラクの今を生きる 亀田旬子‥‥37
 『越境としての古代』 添田 馨‥‥39
<ミニフォーラム報告>
 電気自動車を共同購入できないか? 桂 協助‥‥45
 市民参加型公益事業とワーカーズ・コレクティブ 猪口愛子‥‥46
公示 市民セクター政策機構第11回総会報告 方針・予算・定款・新役員名簿 ‥‥47
<シンポジウム神奈川発:私たちの暮らしとグローバル経済>のご案内‥‥58
雑記帖 細谷正子‥‥60


表紙からのメッセージ 写真家・桑原 史成
 この5月1日、熊本県水俣市で水俣病が確認されて50年の節目にあたり慰霊祭が行われた。式典には胎児性の水俣病患者をはじめ、多くの関係者たち約1,000名余が参列した。政府を代表して小池百合子環境大臣が出席していた。
 地元の水俣市は小泉首相の参加を希望していたが、外遊のスケジュールを理由に実現は不発に終わった。いま、不知火海沿岸の人びとによって新たな提訴が起きている。いずれ3,800人になるであろうと予想される原告の数に政府と行政は苦慮している状況にある。
 水俣の発生からすでに半世紀が経過しているものの終息は見られない。水俣病の認定基準が行政と司法の2通りがあって、その判断条件が大きく異なっていることに問題がある。現時点で残された点は償いのみの対応であろうと考えられる。環境省には英断をもって認定基準の見直ししてもらいたいものと考える。表紙の写真は、車イスの胎児性患者に挨拶の視線をおくる小池環境大臣。


市民セクター政策機構新理事長就任のご挨拶 ―実践と理論の自由な往復をめざしてー
理事長 澤口 隆志

 市民セクター政策機構は、去る7月18日に第11回定期総会および第1回理事会を開催し、新年度方針を決定するとともに新役員体制(後掲)を決定しました。
 新理事長として一言就任のご挨拶を申し上げます。
 私、澤口隆志は、本年5月まで、22年間、生活クラブ生協(神奈川)の専従職員としてさがみ生活クラブ生協専務理事、生活クラブ神奈川常勤理事などを務めながら、共同購入運動の最前線で組合員、W.Co、職員そして生産者と共に活動してきました。
 今年は、生活クラブ連合会の役員体制も大きくあらたまり、生活クラブグループ総体が一大転換点を迎えています。また、加速する農協解体への動き、生協の社会的使命についての議論無き生協法改定への動きなど、協同組合それ自体の存在意義が大きく揺れ、その社会的価値や役割が根本的に問われています。
 このような彼我の状況の中で、私たちが、次の10年、20年の運動・事業の展望を拓いていくためには、過去の成功経験に寄りかからず、組織が自己革新を図り、新たなチャレンジを進める必要があります。それには、メンバーひとり一人が自己革新しなければならず、まず自分自身がもう一度ゼロから新たな挑戦をしようと考え、市民セクター政策機構に参加しました。
 市民セクター政策機構は、今、生活クラブ連合会をはじめ生活クラブグループ総体のシンクタンクとしての役割をより一層効果的かつ組織的に発揮することが求められています。
 そのために、私は、第1に、市民セクター政策機構が、活動現場や生産現場の実践の中に今後の運動・事業の展望を開くヒントや事例をキャッチし、それを先鋭に理論化し、内外に発信し、それがまた新たな実践の呼び水となるような、実践と理論の自由な往復をつなぐ役割を果たすことが必要だと考えます。第2に、研究テーマの重点の置き方、月刊「社会運動」のあり方、事務局組織機構のあり方など、短期中期的な課題の検討と実施が必要だと考えます。是非、皆さんからの率直な意見、提案をいただきたいと思います。
 私も、この新体制のもと、皆さんとの率直な討議と協同を通して、失敗や批判を恐れることなく、必要な改革を大胆に行い、市民セクター政策機構が、地域や生産現場での問題解決に少しでも貢献でき、そのような市民のイニシアティブの広がりが歴史や未来への希望を広げることに寄与できるよう、ベストを尽くす覚悟です。どうぞよろしくお願いいたします。


12月2日・3日 東京・関西で国際シンポジウム 社会的企業が拓くサード・セクターの新しい地平
―イタリア・トレントの社会的協同組合の経験から―
立教大学コミュニティ福祉学部 助教授 藤井 敦史


 昨年の11.27ジャンテ招聘市民国際フォーラムは、日本の社会的経済に関わる、協同組合、市民事業、労組、NPOなどの実践家、そして学者や研究者にとっては、歴史的な取り組みであった。
一つは、欧州などの世界の社会的経済のネットワーク化に(モンブラン会議や研究者のネットワークなど)呼応したものであり、第二に、日本における社会的経済の実践家と研究者を横断する最初の取り組みであることであった。そもそも昨年のシンポジウムは、前記した一つ目の、性格上、その理論的中心人物を招聘しようとするものであるから、ドゥフルニ教授、そして今回企画のボルザガ教授についても当然候補に挙がられていたのである。したがって、今回の藤井さんが中心となって進められておられる企画は、昨年のシンポと深い関係を有するものである。本文中にあるスピンオフとコンソーシアムについては、生活クラブやワーカーズが世の中の「合併」の動きの中で「分権化」していくこととその困難に「同時性」を見る方は少なくないと考える。(編集部)

はじめに
 近年、サード・セクター組織の新たな潮流として、「社会的企業」が、日本でも注目されるようになってきた。この社会的企業という概念は、大まかに言って二つの文脈、一つは、米国流の社会的起業家を重視した社会的企業の流れ、もう一つは、EUにおける社会的経済・連帯経済から派生してきた社会的企業の流れから導入されている。この内、日本では、相対的に見て、前者のアメリカ流の社会的企業論が、企業の社会的責任(CSR)などとも絡めてもてはやされている印象を受ける。しかし、アメリカ流の社会的企業論は、基本的には、NPOに対する市場主義の浸透を意味しており問題も多い。例えば、社会的企業がCSRとの延長線上で捉えられていることもあって、社会的排除という中心的なイッシューが看過されてしまいがちである。また、通常、社会的企業は、困難な生産要素や購買力の乏しい地域市場を抱えており、政府からの補助金や事業委託にある程度依存していることが多いのに、一般市場からの事業収入のみで経営的に成り立つ組織であるといった誤ったイメージも流布されている。そして、経営学的な視点からの議論が多いこともあって、社会的企業の成功や発展が、往々にして、社会的起業家によるイノベーションのみに還元されて説明されてきた。以上のような日本での「社会的企業」の導入状況に対して、むしろ、もう一方のEUの社会的企業の流れについて検討することは、単なるサード・セクターの商業化・市場化としての社会的企業観を相対化する上で役に立つ。また、EUの社会的企業論では、ドゥフルニが論じているように、社会的企業が、NPOセクターと協同組合セクターのクロス・ロードに位置する組織として捉えられており、日本でのNPOと協同組合の関係性を捉え返し、両者の連携関係を模索する上でも、示唆を与えてくれると言えるだろう。
 こうした中、欧州の社会的企業研究をリードするEMESグループの代表的な理論家であり、実践的にもイタリア社会的協同組合の促進に尽力しておられるトレント大学のボルザガ教授等をお招きして、来る12月2日・3日に国際シンポジウムを東京と関西で開催することになった。そこで、今回は『社会運動』の誌面をお借りして、本シンポジウムの概要と背景となっている問題意識やねらいについて簡単に説明させていただき、読者の皆様への参加の呼びかけとさせていただきたい。

1)国際シンポジウムの概要
 今回の国際シンポジウムの内、関西でのシンポは、現在、内容の詳細が詰められている状況だが、12月2日午後に行われる東京でのシンポは、立教大学21世紀社会デザイン研究科と日本学術振興会人文・社会科学振興プロジェクト(研究領域「多元的強制社会の構築」)の主催、社会的企業研究会と21世紀社会デザイン学会の共催で、立教大学で開催されることとなった。報告者は、トレント大学経済学部のカルロ・ボルザガ教授の他、同じくトレント大学ISSAN研究所の研究員モニカ・ロス氏、トレント県における社会的協同組合のコンソーシアムであるコン・ソリダの会長マイケル・オドリッツィ氏である。この内、実践家のオドリッツィ氏は、A型社会的協同組合カレイドスコーピオで活動を始められ、現在は、トレント県の協同組合連合(FTC)の副会長でもある。そして、各報告者による報告は、以下のようなテーマでなされる予定となっている。

@モニカ・ロス氏報告:イタリア・トレントの社会的協同組合の概況、社会的協同組合を支援する大学の役割(ISSAN研究所の事例から)
Aカルロ・ボルザガ氏報告:社会的協同組合の発展を支える制度設計、新しい社会的企業法やトレント県法の改正をめぐって
Bマイケル・オドリッツィ氏報告:社会的協同組合の発展を支える中間支援組織としてのコンソーシアムの役割

 関西でのシンポが、主として、事業領域(障害者雇用や対人社会サービス)に即して、トレントの社会的協同組合が展開してきた活動実践の意義に焦点が当てられるのに対して、東京でのシンポでは、むしろ、イタリア・トレントの社会的協同組合を支えている制度的基盤(団体法制や事業委託制度等)や社会的基盤に焦点が当てられることになるだろう。以下、東京でのシンポのテーマに関して、その背景や意味について述べることにしたい。
−続く 


遺伝子組み換えイネの問題点 ディフェンシンって聞いたことありますか?
京都学園大学 バイオ環境学部 教授 金川 貴博


 国の独立行政法人「農業・食品産業技術総合研究機構」の「上越研究センター」が遺伝子組み換えイネ「カラシナ由来の抗菌性タンパク質(ディフェンシン)をもつ複合耐病性イネ」の屋外栽培実験を継続しています。本稿を寄せて下さった金川先生は、そのディフェンシンGMイネに対していち早く危険性を指摘し、その根元的な指摘は内外から大きな反響を呼んでいます。この問題に関して金川先生ご本人に丁寧な解説を寄せて頂きました。

1.はじめに
 ディフェンシンとは、動植物が作るタンパク質の一種で、抗菌作用があり、動植物が病原菌から身を守るための最初のバリヤーとして使っている一群の物質である(川田ら,2005)。近年、その重要性がだんだんと明らかになるにつれ、ディフェンシンなどの抗菌タンパク質(抗菌ペプチドとも言う)を病気の予防や治療に使うという研究が行われるようになってきた。これまでは、病気の治療には、抗生物質(編集部注1)が多用されてきたのであるが、抗生物質が効かない菌(耐性菌)が蔓延してきたことから、新しいタイプの抗菌剤の必要性が高まっている。とはいえ、抗生物質の例でもわかるとおり、抗菌剤の使用には、耐性菌の出現がつきものである。ディフェンシン等の抗菌タンパク質の耐性菌は、抗生物質耐性菌よりもはるかに大きな問題を引き起こすのであり、耐性菌についての慎重な検討が不可欠なのであるが、そのことが研究者の間ですらまだ十分には認識されておらず、危険な研究が進行している。
 その一つが、ディフェンシン産生の遺伝子組換えイネであり、昨年、このイネが、新潟県にある農水省管轄の研究センターの圃場で栽培された。このイネの栽培が、おそろしい病原菌(ディフェンシン耐性の病原菌)の出現につながるおそれがあることを、私は、実験者に対して指摘した(金川,2005)のであるが、実験者にはよく理解できなかったようで、耐性菌に対する何の処置もなされないままに、実験が強行された。今年も同様の野外栽培が行われており、栽培中断を求めて、現在、新潟地方裁判所高田支部で争われている。

2.ディフェンシンの役割
 ディフェンシンは、その名前からもわかるとおり、防御(ディフェンス)に重要な物質である。私たちは、飲食や呼吸で常に様々な種類の菌と接触している。そこで、呼吸器や消化器の表面では、病原菌の侵入や繁殖を防ぐために、必要に応じてディフェンシンを分泌している。たとえば、喘息治療で吸入ステロイド薬を使うと、気管支へ細菌が来たときに気管支から普段よりも大量のディフェンシンが分泌されて、感染を防いでいるということが明らかになっている(Homma et al., 2004)。ステロイド薬は免疫を抑える作用があるので、ステロイド薬を使うと肺炎や気管支炎にかかりやすくなるはずであるが、実際にはディフェンシンのおかげで感染が起きにくいという結果になっている。
 また、ヒトのα-ディフェンシンがエイズウィルスの増殖を抑制することも実験で確認されている。実際のところ、エイズ感染者であっても長期間発症しない人を調べた結果、長期未発症者はα-ディフェンシンを分泌して体内のエイズウィルスの活動を抑えていると推定される(Zhang et al., 2002)。

3.生物は必要なときにだけ作る
 抗菌力のある物質を生物が作る場合は、必要なときにだけ作るとか、病原菌に感づかれないように隠し持つとかして、病原菌が抗菌剤と接触する機会を少なくしている。もしも、抗菌剤を病原菌に頻繁に接触させたりすると、病原菌が抗菌剤への対策を立ててしまって、抗菌剤が効かなくなってしまう(病原菌が耐性を獲得する)おそれがある。たとえば、ヒト・ディフェンシンのHNP-1では、細胞内で合成されるときには、94個のアミノ酸で構成されていて抗菌作用がなく、これが切断されて、30個のアミノ酸になると抗菌作用を発揮する(Valore et al., 1996)。つまり、病原菌が近づいてくるまでは、抗菌部分を鞘に収めていて、いざ出陣というところで、鞘をはずして、病原菌を攻撃するのである。
 マウスも同様の仕組みを使っていて、鞘をかぶせた状態のディフェンシンを小腸の表面に分泌し、病原菌への攻撃が必要になった時には、その鞘を捨てて、抜き身のディフェンシンで攻撃をする。そこで、ディフェンシンの役割を示す実験として、ディフェンシンの鞘を捨てる能力が欠損しているマウス、つまり、ディフェンシンで病原菌を攻撃できないマウスを利用した実験が行われている(Wilson et al., 1999)。
 まず、普通のマウスとディフェンシン欠損マウス6匹ずつに、289,000個のサルモネラ菌(食中毒菌)を与えた実験では、普通のマウス(図の■)では10日目で1匹が死んだのに対し、ディフェンシン欠損マウス(図の●)では7日目に2匹、8日目にさらに2匹が死んでしまった。このように、ディフェンシンでサルモネラ菌を攻撃できるマウスと、できないマウスとでは、生残に明らかな差が出た。
 また、摂取させるサルモネラ菌の数をいろいろに変えた実験では、マウスの半分が死ぬサルモネラ菌の数は、普通のマウスでは114,000個なのに対し、ディフェンシン欠損マウスでは14,100個だった。つまり、ディフェンシン欠損マウスは、約八分の一の数のサルモネラ菌で死んでしまったのである。この実験結果は、もしもディフェンシン耐性のサルモネラ菌が出現した場合、ディフェンシンによる攻撃の効果がないので、普通のマウスでも通常の八分の一の数のサルモネラ菌で死んでしまうということを示している。このように、ディフェンシン耐性菌は、普通の病原菌よりもはるかに大きな感染力を持つことになるのである。
 ディフェンシンなどの抗菌タンパク質については、その詳細が十分には明らかになっていない段階であるが、このように、感染予防の第一線で大きな役割を果たしていることがすでに解明されている。そして、これらの実験結果は、もしもディフェンシンに対する耐性菌が出現したら、私たちがわずかの量の菌と接触するだけで感染して発症してしまうおそれがあることを示している。−続く 


公益法人制度改革とワーカーズ・コレクティブ法C
行政・営利企業では満たせない社会ニーズへの対応 改革の趣旨を実現できる制度になり得るか?〜公益法人制度改革
ワーカーズ・コレクティブ ネットワーク ジャパン(WNJ) 代表 藤木 千草



 4年にわたる公益法人制度改革へのWNJの提案活動を振り返り、見えたことについて報告させていただきます。

ワーカーズ・コレクティブが求める法制度とは?
 日本のワーカーズ・コレクティブ運動は、1980年の国際協同組合同盟(ICA)モスクワ大会でレイドロウ博士が「西暦2000年の協同組合」の中で提案したことを受けて、生活クラブ生協の業務を受託する形で始まりました。第1号が1982年に横浜市で誕生し、全国へ拡がり、職種も生協の業務受託にとどまらず、食・高齢者支援・子育て支援・環境保全・情報・障がい者との働き場づくりなど、生活の中の様々なニーズに応えるべく多岐に亘っています。現在、WNJが把握しているだけでも全国で約600団体あり、17000人以上の人が働いています。
 事業を展開する中で、物件を借りたり、融資や車の購入などをする場合、事業体として法人格を取得することが必要になります。1995年にICAが発表した「協同組合の定義・価値・原則」を参考に、WNJも同年に「ワーカーズ・コレクティブの価値と原則」を発表していますが、ワーカーズ・コレクティブは協同組合のひとつです。「出資する」「全員が経営者として雇われずに働く」「地域のニーズに応える非営利事業」という特徴には、既存の法人格では「中小企業等協同組合法」の中の「企業組合」が1番近いということで、現在全国の14%のワーカーズ・コレクティブが取得しています。また、1998年に特定非営利活動促進法(以下NPO法)が公布されてからは、2000年の介護保険制度導入もあり、約25%の主に家事援助や介護、高齢者への配食サービスなどを手がけるワーカーズ・コレクティブは特定非営利活動法人(以下NPO法人)となっています。
 しかし、企業組合は「地域のニーズに応える非営利事業」という位置づけではなく、NPO法人は出資ができず、雇用されて働かなければなりません。いずれもワーカーズ・コレクティブにとっては着心地の良くない服を着ている形です。6割のワーカーズ・コレクティブは任意団体のままであり、WNJでは15年近くワーカーズ・コレクティブにあう法人格を作る活動を続けています。
 どのような法律を作りたいか、WNJが2001年第5回全国会議で発表した第3次ワーカーズ法要綱案をまとめると次の7点となります。@自分たちが出資する。A雇われないで働く。B非営利団体である。C相互扶助の精神で地域社会に貢献する事業をおこなう。(公益性)D税制上の優遇措置がある。E届け出により成立する。(準則主義)F届け出情報の公開−続く 



<食>の焦点K きゅうりと日本農業
(財)協同組合経営研究所 元研究員  今野 聰

「曲がりきゅうり」論争
 1970年代、初期野菜産直事業のシンボル的存在が、曲がりきゅうりだった。どうしてそんなに論議になったか。例えば、古典的労作である長須祥行『産直運動』(東洋経済新報、昭和54年)から。1977年茨城県石岡市で行われた「農業を考える―茨城農民と首都圏消費者の集い」のドキュメントから関係分を抜く。日立市のある主婦の発言。
 「あたしたちはどうしても安全で健康な食べものを欲しいのです。それだったら、曲がったキュウリであれ、虫の喰ったキャベツでもいいのです。なぜ、そのようなものが八百屋やスーパーで売っていないのでしょうか」
 詳しい論争経過は省くが、要するに曲がっていても美味しいではないか。それを何故出荷時に除くのか、これが消費者側の言い分。生産者側は、出荷規格は検討するとしても、店頭で、曲がりきゅうりを買わないではないかと言う。
 テレビをはじめ、マスメデアはこの乱闘ぶりをよく取り上げた。こうした論争の背景には、第1次石油ショックのあと、急速に高まった食品安全志向があった。同時にスーパー店頭の野菜売り上げ急増であった。つまりスーパーが小売の王様になりつつあったのだった。それならスーパー以外に売り場ができて、そこにまがりきゅうりがふんだんに用意されれば良いではないか。こうして、脱スーパーの野菜売り場、例えば大地を守る会、らでぃっしゅぼーや、ポラン広場などがどんどん登場してきた。そこには無選別野菜こそ時代に潮流をつくると確信した流通改革者がいた。
 だが今日、どうして「曲がりきゅうり」論争は空洞化したのだろう。

四季をまたぐ先駆
 真夏の今、きゅうりの売り場は冴えない。どこにでもある野菜になる。だから美味しい。なのに希少価値でないからだろう。畑から笊に山のように採ってきた。それを洗って、味噌をつけて食べた季節感は全く過去になかった。このまま、9月〜10月、もうそこにはない。だがいまや違う、堂々秋野菜に変身するのである。
 日本農業新聞06.6.10付け「やさしい図鑑キュウリ」によれば、2004年の生産出荷量56万トン。全国栽培面積1万3700ha。トップ群馬1,110ha、福島947ha、宮崎858ha。群馬、宮崎は6万トン台とある。つまり全国各地に分散生産され、地域内消費も多い。冬春きゅうり(12〜6月)、夏秋きゅうり(7〜11月)と2分されて、それが普通になっている。旬がない。
 生活クラブ共同購入注文書「Livery」最近号で2006年9月1・2週号のトップを開く。「旬は豊水へ」。勿論これ和梨のことである。
 では、きゅうりの旬は何時か。無加温の露地栽培なら、当然夏場になる。そのように日常はセットされていたことは既に触れた。これが1960年代の状況であった。農業ビニール・ポリエチレンなどの被覆資材の開発・改良が、きゅうりの前進栽培を可能にした。さらに進み大型ハウスにまで行き着いたのだ。そこでは冬季加温に石油源エネルギーも使われるようになる。
 農薬使用も常態化した。すでに触れたトマト栽培とおなじである。こうして「旬」は崩れた。だれの責任かの論争もあった。市場関係者に訊けば、冬場の需要が落ちないのだという。こうなると、生産は周年化で、一層議論が難しい。−続く 


森と海をつなぐ運動 海洋環境保護と漁協の役割 みえぎょれんが取り組んできた海の環境を守る運動
三重県漁業協同組合連合会 指導部 落合 明史



 戦後の高度成長期、国策として産業優先の施策がとられ、各地で公害が引き起こされました。そのひとつ、四日市コンビナート周辺の海も大きな痛手を負うなか、伊勢湾の浄化に立ち上がった人たちの記録です。「みえぎょれん」と三重県の漁業者は、海を生産基盤とし同時に生活の場とする者の責務として、漁業の永続を願って海を中心とする各種の環境保全に取り組んでいます。(編集部)

「海と渚環境美化運動」の推進
 1962年、高度経済成長とともに増加しつつあった漁業公害に対し、全国でも初めての「三重県漁場を守る会」を組織し、「海の資源を守る運動」を全県下に展開しました。60年代半ば以降、生活排水を元凶とする沿岸域での赤潮が多発するなか、69年より「海と川を美しくする運動」に取り組み、92年からは「海と渚環境美化運動」として水槽実験などによる合成洗剤追放運動などを通じて、環境保全の重要性の啓発に取り組んできました。また、7月第3月曜日の「海の日」を中心に、県内の各漁協を中心に地域住民の協力を得て県内一斉海浜清掃を実施しており、生活の場の尊さと海の環境保全に対する啓発に大きな効果を発揮してきました。2005年の漁協別海浜清掃実施状況は開催場所58箇所、参加人員約10,000人にのぼりました。

1.せっけん普及運動
赤潮・青潮
 水中のチッソやリンが多くなりすぎると植物プランクトンが異常に繁殖し、そのとき、海の色が赤く変わる現象を赤潮と呼んでいます。干潟のもつ海水の浄化能力の低下や、川から流れ込む有機物の増加などが赤潮の原因と考えられます。
 伊勢湾・三河湾では、1990年頃までは年間100回前後の赤潮が発生していましたが、昨年は32回(愛知県水産試験場・三重県水産研究部)と近年減少傾向にある一方、青潮の増加が問題となっています。

 赤潮の発生で異常に繁殖した植物プランクトンは命が短く、死骸はやがて海底に沈み、バクテリアなどに分解されますが、その際、大量の酸素を消費するため貧酸素水塊が発生し、これを青潮(苦潮)と呼んでいます。水中の溶存酸素が極度に低下するため、魚介類に大きな被害を与えており、伊勢湾におけるアサリの水揚減少の主因ともなっています。現在、伊勢湾中央部の海底は永年にわたって堆積したヘドロに覆われており、毎年、夏場には貧酸素水塊が恒常的に発生するなど漁業者にとっては深刻な問題となっています。

海水汚染の原因はなにか?
 かつては、海と川の汚れは産業廃水がな原因となっていましたが、環境問題に対する国民意識の高まりに後押しされ工場などに対する厳しい規制が行なわれるようになった結果、除々に改善されつつあり、今日では伊勢湾の汚れの半分以上が生活排水によるものといわれています。

水を汚さない方法
 「流しの排水口には細かいストレーナーや水切りネットなどを備え、食器についた油汚れは、紙などでふき取ってから洗う。みそ汁の作りすぎ、料理の食べ残しをせず捨てることがないようにする。米のとぎ汁は肥料としてまく。食用油はできるだけ使いきる。風呂の残り湯の利用。洗濯には、洗剤は適量使用する。洗濯機にはくず取りネットをつかう。合成洗剤よりせっけんを使う。」など、漁協女性部が中心となって展開しています。

せっけんと合成洗剤
 せっけんも合成洗剤も、界面活性剤と洗浄補助剤で構成されています。せっけんの界面活性剤は脂肪酸ナトリウムか脂肪酸カリウムだけで、それ以外の合成界面活性剤(直鎖アルキルベンセンスルホン酸ナトリウムやアルキル硫酸エステルナトリウムなど)が使われているのが合成洗剤となります。原料が植物性でも合成界面活性剤が使われていれば合成洗剤に変わりなく、せっけんは一日で分解されて水と炭酸ガスになり自然界に溶けこみますが、合成洗剤は1ヶ月近く分解されません。しかも下水処理をしても完全に除去できないため、合成洗剤は環境や人体に悪影響をおよぼします。せっけんの方が合成洗剤よりも環境・人にやさしいということになります。−続く 


<書評>『ブルーベリーソース物語』(ユック社、2006年)企業組合ワーカーズ・コレクティブ凡
Tさん、お元気ですか。あなたにどうしてもお届けしたい本があります。
田中 夏子〔都留文科大学教員〕


 Tさん、先日はお葉書をどうもありがとう。卒業後、ご実家でじっくり静養したことが功を奏して、元気になさっているご様子、またこの夏休みには信州にいらしてお友達のところでリラックスをしているとのこと、何よりです。大学三年になる頃から学校に来るのがいろいろな意味でつらくなって、しばらく休んでから、通常より一年多くかけて卒業証書を手にしたあなたの写真を年賀状で拝見したとき、正直本当にうれしかったです。また、春先、Tさんから久々に電話いただいた際、以前こちらからお送りした、新潟県の小さな村について書かれた本を読んで、大学時代、社会調査の授業実習で一緒に歩いた信州のM町〔現在この町はS市への合併で自治体としての名前はなくなりました〕のことを思い出してくださったとおっしゃっていたでしょう?それも私にとっては励みになる言葉でした。
 それで実は、次はどんな本をお送りしようかなぁと考えていたところです。そんなとき、とても素敵な本に出会いました。企業組合ワーカーズ・コレクティブ凡が作った『ブルーベリーソース物語』(ユック社、2006年)という本です。
 ワーカーズ・コレクティブという言葉は耳にしたことがありますか。信州でも、ワーカーズ・コレクティブと横文字では名乗らないまでも、女性が中心となってたくさんの農産物直売所や加工所があったのを覚えていますでしょう。私たちが調査で通ったM町やK村でもお蕎麦や乳製品、お豆腐等の加工、販売が行われていましたよね。大学の近くのK村では、村の女性100人以上が出資をして、加工所を切り盛りしているケースにもめぐり合いましたね。ワーカーズ・コレクティブとは、働く者自らが出資をし、管理、運営も担う、そういう働き方の場を指す言葉です。その目的とするところは「暮らしを大切にする働き方の実現」。そしてこの本の主人公「凡」(東京都町田市)はそのことを、もう20年にわたって追求してきた事業組織です。
 私が初めて「凡」の活動を知ったのは1986年、25、6歳の頃でした。ちょうどTさん、あなたの今の年齢ぐらいですね。当時、加盟していた生協の班活動を通じて、この新しい働き方について知り、カルチャーショックを受けたのです。私は、新卒で金融関係の企業に就職したのですが、そこでの働き方になじめず、「人間が大切にされる働き方について勉強したい」と思って職を辞し、アルバイトをしながら大学院で勉強を始めたところでした。そのときの「凡」はまだ事業といっても時給も500円前後で、事業内容も、まずは地場野菜の共同購入から始まってその加工事業に着手したばかりの頃だったと記憶しています。事業としては地味かもしれませんが、しかしそこに込められた関係者の思いに触れて以来、私はずっと、この「人間が大切にされる働き方」をめぐって、考えたり、調べたりしてきたわけです。
 そうして20年を経たワーカーズ・コレクティブがどんな歩みを重ね、何を達成し、そしてこれから何をめざそうとしているのか、この本はそれらを代表の西貞子さんの言葉をはじめ、多くの当事者の言葉によって、生き生きと紡ぎだしています。その紡ぎ方がまた見事で、一気に読んでしまいました。ひとつのワーカーズ・コレクティブの発展と困難を歴史の中におき、また多く関係者の言葉を得て、その思い、関わり方が決して一様でないことを丁寧に検証し、その上でこれからの「暮らしを大切にする働き方」がどんな課題を抱えているか、足元から考えさせてくれる、それがこの本の大きな魅力です。
 ところでTさん、実は私は、この「ブルーベリーソース物語」の「書評」を書く仕事をお引き受けしました。この本の魅力について、私はいくらでも紙面を使いうるような気がしますが、その魅力を客観的な文章でつづるよりも、あなたにぜひこの本をお送りしたいと思った、その気持ちを書評の誌面に託すことにしました。今、懸命に試行錯誤しながら、自分の心と身体をないがしろにしない生き方を探っているTさん、あなたに、まずこの本を届けたい、そういう思いでつづった文章ですから、この本のメッセージの、すべてではないにしろ、その一部は、この雑誌の読者の方々にお伝えできるのではないか、そんなふうに思うからです。
 20年間かけて事業の経営を安定化させてきた、その努力や工夫については、本書の随所で語られていますが、本の中でも指摘されているように、一般の企業ならもっと効率よく、スピーディに事業分野を拡大したり、事業高を伸ばすことも不可能ではなかったかもしれません。しかし「凡」は、いわゆる経済的な達成目標とは別のところに「目的」を置いてきました。その筆頭はなんといっても「暮らしとやりがいを大切にした働き方」ですが、そこから、「街の農」と「日常の食」に足場を置く事業、それを可能とするさまざま人々とのネットワークづくり、そしてともに働く仲間や仕事の提携先(原料供給からパンフレット作製にいたるまで)との「対等性、平等性」等、数珠つなぎのように「自分たちの事業、仕事はこうありたい」というイメージが具体的に繰り出されていきます。そしてスローながら「なりたいものに少しずつなって」いったのがこの20年だったといいます。例えば「働きやすさ」の実現もそのひとつ。時給を上げ、労災に入り、労働時間も確保して年収に一定のめどをつけ、一時金や退職金の支給を可能とし、そして社会保険への加入を果たすまで、設立から十数年がかかっています。
 なぜ時間がかかるのでしょうか。「労賃」にしても、当初は、自分たちの生み出す製品が「自分たちが買うことのできる値段」であるべきとの方針のもと、「最後に決まる」仕組みだったのが、視点を変えて「働き手の経済的な自立」を保障する体制に切り替えるには、経営的な基盤を強化する必要があったし、何より自分たちの「呪縛」を壊していくという大きな課題がありました。また、それをリーダーが決断するだけではなく、「凡」のメンバー全員で共有することも必要でした。
 こんなふうに、「凡」の歩みは、一気に目的にむかって駆け上るのではなく、「すこしずつ」ゆっくりと、手ごたえを噛みしめつつ、あるときはワーカーズ・コレクティブの理論的な考え方とは馴染みにくい決断も織り込みながらの歩みだったようです。しかしだからこそ、たくさんの副産物にもめぐまれて、それが意外と「暮らしを大切にする働き方」への回路になりうるものだったりもするのです。迷いつつゆっくりと自分たちならではの解決方法を見出していく。それは、規模や場面の違いこそあれ、Tさん、これからあなたがやろうとしていることとも少し重なるような気がしています。
 また本の感想などをうかがえる機会のあることを楽しみにしています。 

<書評>マイケル・ケニー著、藤原孝・山田竜作・松島雪江・青山円美・佐藤高尚訳
『アイデンティティの政治学』日本経済評論社、2005年
(Kenny,M.,The Politics of Identity:Liberal Political Theory and the Dilemmas of Difference, Polity Press, 2004.)



 政治とは、権力それ自体をめぐるものとして表層化された社会現象である。だが、社会の深層に目を向けるときそこには、階級や格差などに代表される生活上の他者との差異(difference)の問題が横たわっている。この差異を中心に論じるならば、当該差異を承認可能な水準にするための市民技術として「政治」は存在し、これを具現するための社会装置として「政府」が存在するのだといえる。
 このことを踏まえていえば、一方で体制の座にある者は当該差異の存在を否定しようとし、体制の座に就こうとする者はその正統性に挑戦状を叩きつけるという形での代表制をめぐる競争が成立する。他方で社会の成熟に伴い、差異それ自体が多元・重層化することにより政府の統合力そのものが低下するという現象が生じることとなる。
 20世紀半ばには、前者の差異をめぐる競争を政治の核心とみなす議論が説得力を持ちえていた。すなわち、階級社会論である。だが、この差異が縮小するにつれ、党派性に基づく競争軸は多元化・複雑化・個別化の中に解消し、かつての「だれもが関係する差異」よりも「必ずしもだれもが関係しない差異」がクローズアップされるようになった。評者の理解では、この新しい差異の議論にかかるひとつの社会学的解釈が、マイケル・ケニーの、『アイデンティティの政治学』ということである。

本書の意図
 「アイデンティティ」と「政治」というキーワードでまず連想されるのは、「ナショナリズム」である。日本では、戦前の欧米の帝国主義を前にして登場したアジア・ナショナリズムの勃興や、丸山眞男が「日本におけるナショナリズム:その思想的背景と展望」(『増補版 現代政治の思想と行動』未来社、1964年)で論じたような、ファッシズムへと連なる日本ナショナリズム論がなじみ深い。
 しかし、本書の議論は、これとは異なる「現代」の「政治」にかかるものである。すなわち、本書で議論される「アイデンティティ」の議論は、こうしたこれまで政治学で論じられてきた政治的統合と表裏のナショナリズムの議論を控除した議論、すなわち現代社会における差異に基づいた共通性−女性やゲイの解放といった諸個人が自覚的に選択したわけではない社会的「指標」−例として挙げられているのは「黒人、ゲイ、ラテン人、アーミッシュ系など」(17頁)―を背景とした「アイデンティティ」論である。
 本書では公共空間から取り残された社会的指標に基づく政治の議論―これらは「非選択的」な属性を持つものとして論じられる―に焦点が当てられる。この議論をより具体的に表記するならば、「マイノリティ・グループに権利を与えることにいかなる利点があるのか」、「「差異」というものは(ポスト)近代社会の中で、個人性と道徳性が有効に作用する規範的な原理となるのかどうか」、「政治的協力を探る場合、道徳的不一致や社会的多元性が意味するものは何か」、「政治的価値の協約不可能性とは何を意味するのか」、「市民社会や民主的シティズンシップに対してなされる、道徳的・社会的挑戦とは何か」(1頁)などの問題層の議論であるといえる。
 ただし、本書はこれらの問いについて特定の立場からいずれかの規範を正しいものとして論証するものでは必ずしもない。むしろ、著者のエネルギーの多くは議論の健全性と成熟性を求め、「説明」とそれぞれの言説に内在した「批判」へ振り向けられる。本書は難解であるが、その難解さは―テーマの難解さもさることながら―、このようにそれぞれの立場への安易な内在化を図っていないことからもたらされるものであろう。
 これらを踏まえた上で、本書の最大の問題意識は、差異やアイデンティティや承認の要求が必ずしも自由主義と敵対的でないことをいかに論証するかという点に向けられている。治者と被治者の同質性を究極の理念型とする現代民主政は、異質性の是認を前提とした場合にいかなるレシピを持ちうるのか、あるいは自由主義の問題としてこの問題層を捉えるためにはいかなる論説に目配せをすべきかについて、本書は見取り図を示す位置にあるといえる。

自由主義とアイデンティティ
 さて、こうしたアイデンティティの政治の議論は、個々人にとって非選択的なものでありながら、他方の極において社会的連帯の可能性を有している。本書においてアイデンティティの議論が「社会集団」におけるそれとしてしばしば限定的に語られるのはこのためであるだろう。
 本書では、アイデンティティの発露としての「集団の権利」がまず衝突しなければならないのは、「偏りのない、公共精神に満ちた市民」であると語られる。なぜなら、「非選択的」と表現される、動かしがたい「差異」に基づいた集団は、どこまでも自由主義的なシティズンシップ―「民主的包含、非差別、尊重の平等」(27頁)の拡大と実現―の達成を原理的に阻んでしまうものだからである。
 とくにサイレント・マイノリティと呼びうる集団の権利は、公共空間においては「禁忌的」な扱いを受ける。禁忌として排除されてきた様々な問題が噴出し政治空間を構成していくこと、それがアイデンティティの政治学なるものが捉えるひとつの問題層であるが、この領域の問題に対し、公的機関は回答を用意する資格はあるのかと筆者は問いかける。自由主義的な解釈によれば、「不利益を被る集団に対して権利と保護を与える」、「マイノリティ集団の平等の価値を承認するという感覚の要請を求める」という回答が用意されると筆者はいう。(これらはいずれもミラーやセンの議論に連続するという意味で、「自由主義的な選択肢」である)。−続く 


<本の紹介>バグダッド・バーニング2 いま、イラクを生きる 著=リバーベンド 訳=リバーベンドブログ翻訳チーム
解説=酒井啓子 写真=桑原茂 2006年8月 潟Aートン発行
虚偽を真実として、真実を虚偽として、計画・拡大される「対テロ」世界戦争の現実
亀田旬子(生活クラブ連合会)
食品業界全体の取り組みとコープ・イタリアの役割


 生活クラブ連合会が、9・11「事件」後のアフガニスタン「報復」侵攻に反対声明を出して5年。イラク戦争開戦時、会員単協が軍事攻撃の停止要求を出して3年。開戦理由となるような大量破壊兵器はなかったという「公式」発表から1年。海上自衛隊は、アフガニスタンで「不朽の自由作戦」を継続する米軍の艦艇への給油をインド洋・アラビア海で継続。陸上自衛隊はイラクを撤退しましたが、航空自衛隊は米軍支援輸送を大幅に拡大しています。
 「内戦寸前」「死者10万人以上」「死者1日100人ペース」「避難民16万人を超える」と報道されるイラクの人びとは今、どんな生活をし、どう考えているのでしょうか。
 「マスメディアの記事や、浅薄な中東専門家の解説を聞くより、よっぽどイラクがよくわかる」と中東専門家・酒井啓子東京外大教授が推薦するのが、インターネットのブログ「バグダッド・バーニング(バグダッドは燃えている)」。
 イラクの首都バグダッド在住の二十歳代後半のイラク人女性が、「対テロ」戦争と占領下の現実をこのブログに書き込み続けています。非常に困難な生活で疲労困憊の中、彼女は自分の考えや体験だけでなく、家族や親戚、友人、隣のおばさん、八百屋のおじさん、政府の役人などとのやりとりを知性あふれる筆致でユーモアを交えながら再現。多様なイラクの人びとの生活と思いを生き活きと伝えています。
 英米で出版された書籍版は、ルポルタージュ文学に贈られるユリシーズ賞などを昨年、受賞しました。
 日本では、このブログが女性有志によって翻訳され、日本語サイトで読むことができます。(http://www.geocities.jp/riverbendblog/)
 この日本語サイトの2003年8月17日から2004年5月22日までを収録して2年前に発行されたのが、「バグダッド・バーニング イラク女性の占領下日記」。生活クラブ連合会では図書の共同購入や、「本えらびの会」が翻訳チームのメンバーを招いて学習会を行ないました。
 本書は、その続編で2004年6月1日から2006年6月10日までを収録。地図、写真、年表、主要人物紹介、イラク料理レシピや解説なども付され、読みやすく編集されています。
 この期間にあったのは、暫定政権発足、大量破壊兵器は存在しなかったという米国調査団最終報告、グアンタナモ収容所のコーラン冒涜事件、米軍とイラク政府軍のファルージャ再侵攻・化学兵器(白燐弾)使用、国民議会選挙、移行政府発足、新憲法承認の国民投票、正式政府発足など。米国による「自由」「民主化」の中、治安も経済も水・電気などの供給も経済制裁下の戦前の水準より後退し、産油国なのに石油製品さえ入手困難となり価格も高騰。彼女は、米国政府と米軍だけでなく、米軍とともに帰国した操り人形のような亡命イラク人の新政府高官や、イラク兵などを強く批判します。さらに昨年1月の国民議会選挙以降は、新政府の「イラン」的要素に危惧と恐怖と焦燥を深めていきます。
 中東のイスラム勢力に対抗させるために米国が育成・強化したフセイン政権が倒されたおかげで、「悪の枢軸」とされるイランの国際的影響力が増強されたのです。親イラン政府が成立し、シーア派が「治安部隊」や「警察」を牛耳り、宗教や宗派の違う人びとを「テロリスト」「反乱勢力」およびその「容疑者」「関係者」として弾圧。空爆・銃撃・車両爆弾の爆発・襲撃・占拠・捜索・略奪・誘拐・拷問・暗殺の頻発…。職場や学校が閉鎖されたり、過去30年なかった女性へのヒジャーブ(頭を覆うスカーフ)などの服装の強要や、職業や学業を断念させる圧力も強まり、したがわなければ、親族を巻き込んで暴行され収容所に送られるおそれがある状況。−続く 


<書評>『越境としての古代』越境の会・編・同時代社
市民運動としての古代史研究のうねり 第一〜第四集までの歩みを中心に
詩人 添田 馨



■『越境としての古代[4]』刊行の意味
 いわゆる古代史学の専門家ではない普通の市民が中心となって、古代のわが国の政治的あるいは社会的な歴史像を、あたかも巨大な岩山に一本々々手製の鑿を打ち込むようにして着実に刻みつけてきた成果が、現在、目に見えるかたちで結実しつつある。大学アカデミズムによらない市民の手によるこうした古代史研究の流れは、ここ四半世紀の間に全国的に広がり、列島各地にさまざまな研究会が組織されるまでになっているが、それらは背景にすがるべき学問上の権威をなにも持たない分、それだけ自由にみずからの知のフィ−ルドを開拓できていったように私には映る。すなわち古代史に関する知見を絶対少数の専門家の占有に帰することなく、それをひろく自分たちの手の中に確実につかみ取っていく姿勢として堅持し続けるさまは、あるいはひとつの社会運動としての条件を具備しつつあるすがただと言っていいのかもしれない。
 そうした力強いうねりの本流のひとつ、「越境の会」が編集・発行する『越境としての古代[4]』(同時代社刊)が2006年の5月に刊行をみた。ここまで、過去にすでに三回の刊行実績をほこるこの論集だが、同会を主催する室伏志畔を中心に、今回も気鋭の古代史論考が肩をならべる格好になっている。
 冒頭の「越境通信4」で、室伏氏は「大和から疑え」と題するメッセージを発しているが、そこで次のように述べる。

 あらゆる宗教が一点の神聖性をそそり立たせ、それへの疑問封じの上に成り立ってきたことを思うなら、あらゆる日本研究は宗教のいかがわしさを免れていない。そこでは大和そのものが天皇制のタブーにあるため、垂直性をもって語られる一切が超重力を受けてひしゃげていることが全く理解されない。つまり天皇教のメッカ・大和にあっては、天地が逆立ちしているのだが、この国の知識人は田子作よろしく嘘を育てる。
(「大和から疑え」より)

 室伏氏がここで「嘘」として総括しているものとは、いわゆる「大和一元史観」つまりわが国の王権は大和朝廷にはじまり、歴史の中心はすべて大和に発するという、私たちの常識をしばる根深い“信仰”のことである。その信仰をささえてきたのが『古事記』『日本書紀』という二大歴史書であり、私たちは日本史を学びはじめる一等最初から、学校でこのように教えられ育ってきたはずだ。この点では、戦前の皇国史観も戦後史観も、まったくのところ同断なのである。
 そして室伏氏が言っているのは、そのこと自体を疑えということなのだ。つまり、『古事記』『日本書紀』をつらぬく記紀史観もさることながら、それを根拠に発したすべての常識と学問体系を疑えと言っているに等しい。あまりにもそれは壮大な事業であるほかはない。同書第八章「鎮魂の設計図 称制論」のなかで、室伏氏は「大和一元史観」の大立て者である藤原不比等について、「過去の半島(朝鮮:引用者注)にこだわり、現在と云わず未来をも失う危ない橋を渡るより、新たに簒奪した一切の大和を我がものとすることによって、現在及び未来に続く繁栄を、一掃した大和勢力以上の大和人として振る舞うことによって享受」しようとした人物として描き出し、さらにみずからの矜持の思いをもこめこう書く。

 この歴史改竄の虚偽意識を何百年も徹底して整形し、現在の『日本書記』の誕生に至るドラマを知るとき、それ以上の努力なしに、我々の明日がたやすくあるなどと、私は決して思うまい。
(「鎮魂の設計図 称制論」391頁)

 私は、これら一連の“市民運動としての古代史研究”のうねりが、かつて藤原不比等が生涯かけて作りあげ、千三百年ちかい年月を経て私たち日本人の意識にまさに苔むすまでに根を張らせたこの大和史観を越えるための「それ以上の努力」に、今後間違いなくつながり得るものだと、心底からそう信じたい。

■古代史論のこれまでのあゆみ
 私は、主に「越境の会」およびその周辺の諸活動をとおして見えてきた、古代史論のまったく新しい展望について、ここにその概要を紹介していきたい。それを知るには、まず今から三十年ほど前に登場した「倭国=九州王朝説」についてどうしても触れておかなくてはならないだろう。すなわちそれは、大和朝廷以前に、わが列島を代表する王朝(=倭国)が現在の九州北部に先在したというものである。−続く


<アソシエーション・ミニフォーラム>東 京
電気自動車を共同購入できないか 講師 舘内 端氏
(世田谷区赤堤館にて桂協助)



 当機構会員の桂さんの熱心な働きかけで、下記のように電気自動車のミニフォーラムが持たれました。例えば発電用風車を銚子沖にたくさん建てると首都圏の電力需要はほぼ賄えるという試算がありますが、一方で化石燃料が頼りの自動車は、別の対策が必要です。でも車も電気で走れるのなら、展望はぐっと明るくなります。風車を充分建てられれば、原子力発電は要りません。火力発電もずいぶんと減らせることでしょう。そんな夢の持てる学習会でした。(編集部)

 さる7月26日に市民セクター政策機構の主催で「電気自動車を共同購入できないか」と題するミニ・フォーラムが開催されました。その目的は、地球温暖化の防止策のひとつとしてガソリン車やディーゼル車から電気自動車に転換していくこと、そしてこの転換過程を始動させるテコとして共同購入運動を適用すること、これらの有効性・実行可能性を学習・検討することにありました。
 講師には電気自動車の啓蒙・普及の活動をしている市民団体・日本EVクラブの代表の舘内端さんにおねがいしました。そのお話しの一部を紹介しますと、
・石油の消費が地球温暖化の最大の原因だが、石油の最大の用途は自動車燃料です。1リットルのガソリン(1kg弱)が2.3〜2.4kgのCO2を発生させている。したがって電気自動車への転換によるCO2削減効果は顕著です。
・電気自動車への転換にたいする懸念として、原子力発電への傾斜をすすめることになるのではという声を聞くが、日本では深夜の余った電力を利用することによってすべての自動車の電気量をまかなうことができ、原子力の誘引にはならない。むしろクリーン・エネルギーへの道をひらくという意義が大きい。
・電気自動車の普及にとって技術的な面でのネックだったのは、充電時間、バッテリー重量、航続距離などの問題だった。しかしこれらはこの数年で顕著に改善されてきている。こうした新型の電気自動車にたいする認識をひろめ、ふるい認識をあらためてもらう必要がある。もうひとつ大きなネックだったのは価格の高さです。
・共同購入によって大量生産への道を拓き、価格をさげ、市民が市民の目線で新型電気自動車を推奨することで不安と誤解を解消できるのではないか。
 こうしたお話のほか、豊富な経験談があり、とても時間がみじかく感じられました。
 なお冒頭で生活クラブ神奈川の横田克巳元理事長から、'80年代半ばに神奈川県生協連がこころみた電気自動車の共同購入(結果は不成功)をふりかえって、そこで明らかになった問題点が示されました。舘内講師のお話しからすると、それらの多くは現在では解決されたと見ることができますが、課題としてのこっている問題(たとえば地域において電気自動車の修理にあたる技術者・事業者の体制)もあり、運動を成功裏にすすめるための貴重なお話でした。


<アソシエーション・ミニフォーラム報告>米 沢
市民参加型公益事業とワーカーズコレクティブ
生活クラブやまがた生活協同組合理事 猪口 愛子



 7月27日、生活クラブやまがたが事業経営するグループホーム「結いのき」で、これからの市民参加型公益事業とワーカーズ組織の基本と社会的意義、そして設立と運営について、講師に柏井宏之さん(市民セクター政策機構)を招いて開かれた。生協としてグループホームと、たくろう所を開いているが、組合員活動として「支える会」がさまざまな活動を行っているが、今後、ワーカーズ・コレクティブに発展していくための議論を行った。(写真は「支える会」の総会から)

*    *    *
 今までワーカーズ・コレクティブには、女性が生き生きと働いているというイメージしかなかった。しかし、今回の話を聞き、「新しいタイプの協同組合、新しい働き方」「出資・運営・労働を皆で共有し、暮らしやすい街にするための機能を担う市民による事業体」であるという事を加えて知った。
 首都圏ではワーカーズの設立が相次いでいるが、米沢においては身近にないため、遠い存在に感じ、よくわからなかったが、話を聞き、冊子を読んで、ワーカーズ・コレクティブとは何かをよく理解する事ができた。
 特に、「仕出し弁当」と「喫茶」に関心を持った。
 仕出し弁当は消費材を使った食材、もちろん旬のものを中心に、米沢の郷土料理も入れるとなおグッドだと思った。弁当箱は環境を考えて使い捨ては使わず、リユースできる物。箸はつけず、「myはし」を定着させる。米沢中どこを探してもなかった弁当、「カラダに優しいお弁当」を食べたい、作りたい。その中で、食の安全・安心について多くの人が感心を持つような料理教室をしたりできたらいいなと思う。
 「喫茶」は、プロ級の腕を持つお母さんが大勢いる。パン、ケーキ、ピザ、スパゲッティ、などなど。もちろん消費材を使って、「カラダに優しい、食べると癒される」そして、地域の人たちが、気軽に立ち寄れ、おしゃべりできる場所があったら最高だと思う。「カラダと心に優しい店」米沢が元気になる。
 生協の活動の中で培ってきたものと、母親の経験を生かすことができる。それも雇われるのではなく、対等な立場で自主的に自己決定して責任を持つ生き方ができたら、どんなにいいことだろうかと思った。
公示 市民セクター政策機構第11回定期総会開催報告(要約)
開催日:2006年7月18日(火)17時〜 開催場所:生活クラブ連合会7階会議室

第3号議案:2006年度方針
はじめに
1.今、私たちが直面している社会状況
 2006年度の活動方針を提起するに当たり、今、私たち自身が直面している社会状況とはどのようなものなのか? その状況認識を一致させ、課題を明らかにし、あらためて、短期中期の対策の方向性を確認する必要があります。

1)地球規模での危機の連鎖の拡大
@加速化する地球温暖化をはじめとした環境・生態系の破壊
 2005年度、世界各地では、南極のラーセン棚氷の溶解が進み、グリーンランド大氷河の溶解速度が過去10年で2.5倍になり、アルプス、ヒマラヤ、アラスカでも氷河の溶解が報告され、その一方でヨーロッパ各地での熱波や日本での異常高温が伝えられました。気温の上昇によって熱帯地域においては一部の農産物の生育適温はその上限に近づいています。科学的にはまだ証明されてはいないといわれていますが、事実として1980年台から始まった海面の温度上昇と並行した砂漠化は一層進行し、その砂漠化の進行が気候変動を加速化するという負のスパイラルが指摘されています。そして、京都議定書批准を拒否し続ける米国での超大型ハリケーン・カトリーヌによる大災害とその被害を「人災」として拡大した米国社会の極端な富の偏在の事実は記憶が新しいところです。加えて、頻発する戦争は、人命はもとより生態系も含め最大の環境破壊行為であり、米国ブッシュ政権の軍事活動は、世界各地域で憎しみの連鎖を拡大すると共に環境それ自体に甚大な被害を与えています。
A地球環境問題と食料・水問題の危機の連鎖の拡大
 2005年度はまた、このような地球環境の危機の連鎖として食料・水枯渇時代の到来が迫っていることが、各方面においていよいよ実感され始めた年でもあります。また、鳥インフルエンザのアジアから欧州への拡大、中国、タイ、インドネシアでの死者の発生拡大、世界的な遺伝子組み換え作物の広がりはこの実感に追い討ちをかけるものです。さらに、世界第一位の大豆生産国、輸出国となったブラジルにおける遺伝子組み換えも含めた大豆生産の拡大とそれに伴うアマゾンの森林破壊の拡大、米国、カナダのBSE問題によるヨーロッパ諸国のブラジル産牛肉の輸入増大に伴うアマゾンでの森林破壊進行の報告など、環境問題と食料問題の危機の連鎖の拡大はとどまるところを知りません。
B問題の根源を深刻化し、根本的な対策の実施を遅らせる市場競争原理至上主義の高まり
 2005年12月のWTO香港閣僚会議は、WTO体制強化を手段とする米国主導のグローバルスタンダードの世界化戦略の真の意図が、金融、証券、流通部門はもとより、農業、漁業、森林、鉱山などに加えて教育、医療、水など各国の基本的な市民生活にかかわる公共サービス部門までも含む、すべての産業・領域の市場開放をめざすものであり、疑いもなく、米国を中心とした巨大な多国籍企業が利益を得ることにその究極の目的があることを明らかにしました。このような市場競争原理至上主義(内橋克人氏)の世界規模での拡大は、南北間の格差と相互理解の困難性を拡大し、各国の国内問題としても格差拡大と社会的亀裂を増幅しています。それは、環境・食料・水問題に対する南北の壁を越えた地球レベルでの市民的合意形成や対策実施に向けた市民的連帯を一層困難にさせています。

2)日本社会に広がる食料安全保障の軽視、生命軽視、格差容認の風潮
@進む食料安全保障の基盤崩壊
 米国ブッシュ政権への追随を基本とする小泉政権の下で、市場競争原理至上主義一辺倒の社会システムづくりの渦中で、国内の食と農業・漁業基盤は大きく揺れています。品目横断的経営安定対策のこの秋からの実施は、大規模農家と集落営農を将来の「担い手」として育成することを目的とするとしていますが、日本の農業従事者の53%が65歳以上であり、大半の農家が1ヘクタール以下の中小規模である事実からすれば、このままでは、これまでの日本の農業を担ってきた中枢農家の切捨てにつながるものといわざるを得ません。
 一方で日本生活協同組合連合会はその「農業・食生活への提言」によって、輸入農産物関税を逓減さるべきだとして、政府農政の支持を表明しました。加工食品も含め、持続可能で循環型の食料生産をめざしてきた国内の心ある生産者・生産地に先行きへの不安が広がっています。さらに輸入水産物の増大、地球温暖化による水温の上昇と海洋汚染に伴う水産資源の減少は、漁業従事者の高齢化の問題と共に、漁業基盤の維持を農業以上の危機的状況に陥らせています。
 このような食料安全保障の危機をよそに、消費生活に占める食費の割合であるエンゲル係数は遂に23%を割り込み、生活に占める「食」の地位は低下するばかりです。「作って食べる」から「買って食べる」ライフスタイル、親が朝食を食べないために朝食抜きの小中学生の増加が進んでいます。
 さらに、06年11月、コーデックス・バイオテクノロジー応用食品特別部会において前回までの植物由来に続き、今秋は「組み換えDNA動物由来食品」のガイドラインに関する議論が俎上に上る予定ですが、市民生活や生産者に与える影響も含め、その内容や進め方などの情報は不透明なままです。
A進む生命軽視、格差社会の容認
 市場競争原理市場主義の一元的な促進は、マンション耐震偽装事件、JR西日本尼崎脱線事故、エレベーター事故の頻発という効率・コスト優先による生命軽視の風潮と、ライブドア・村上ファンド事件、日銀総裁事件に象徴される拝金主義の蔓延、「勝ち組み」「負け組み」という格差社会の進行を容認する社会の風潮を加速化しました。
 しかし、2005年衆議院選挙において自民党は296人当選の大勝を収め、農村型から都市型政党へと転換を図る自民党の戦略は先行きへの不安を抱えるニートなどの若者をはじめとした無党派市民層の一定の取り込みに成功したかのごとくです。これに対して、税財源移譲含め進まぬ分権改革の中で、07年春の「統一地方選」に向けたオルタナティブな選択肢の動きは不透明なままです。

3)大きな曲がり角に立つ協同組合
 このような社会状況の中でお金だけに頼る市場原理至上主義一辺倒の社会システムではなくオルタナティブな社会システムのシナリオと担い手をプロデュースすべき非営利市民協同セクターは、それどころか、グローバルスタンダードの大義名分の前にその存立基盤すら揺さぶられています。
 2007年春に予測される生協法改定に向けた日生協―厚生労働省の動き、強まる農協解体論、介護保険制度改定実施開始に伴う各生協・ワーカーズコレクティブ事業への影響など、国内の協同組合は生協も農協も大きな曲がり角に立っています。
 また、多くの協同組合系・消費者系市民シンクタンクは厳しい経営問題に直面しており、このままでは市民シンクタンクの多くが近い将来不在となる可能性すら予測せざるを得ない状況です。それは、市民の問題解決力の衰退につながり、多国籍企業、国家政府による情報管理社会化の加速化につながりかねません。

T.基本的視点ー今こそ、問われる市民セクター政策機構の役割と機能
1.市民による参加・分権・自治の力によって社会を変える道を切り拓いてきた市民セクター政策機構の各会員・団体組織
 市民セクター政策機構を形成している会員、団体は、55年体制(1955年当時の自民党と民主党の保守合同)以来の政・官・財の三位一体制が若干の曲折はあっても基本的には揺ぎ無く貫徹されてきた日本社会にあって、「要求・批判型」ではなく市民自身が問題解決の主人公となることの必要性と有効性を自ら示す「モデル提示実践型」の運動・事業を打ち立ててきました。それは生活のあり方→生産のあり方→働き方→政治のあり方にまで及び、それを約30年という短い時間軸の中において成しえたという意味で、世界的にも稀な、市民が社会を自治していく発信と実践の歴史です。

2.大きな転機に立つ私たちの運動と事業
 しかし、一方で、今、私たちは大きな転機に立っています。それは大きく言って下記の二つの側面から言えます。
@主体的側面:生協、生産者組織、W.Co、ネット等、各会員・団体組織において、どう異世代間の連携・協働を高め、共にどう次の10年の運動を実現していくのか?が問われています。
A社会的側面:私たちが切り拓いてきた「市民」「生活者」「自治」「参加」「分権」「環境」「コミュニティ福祉」「コミュニティ労働」「市民資本」「安全」「安心」「トレーサビリティー(追跡可能性)」「無添加」「低農薬」「非遺伝子組み換え」などの社会的価値は広く市民権を得ました。その反面、情報の洪水や表面的な「安心・安全」宣伝が横行する中で、私たちの運動・事業の存在価値自体が見えにくくなっています。それ故にこそ、私たちは今、生活クラブ連合会を構成するすべての単位生協、生産者、関連組織が再度運動を強化し、社会へのメッセージを鮮明に発信し、攻勢に転じる時を迎えているのです。

3.今、市民セクター政策機構が果たすことが求められている役割・機能
 以上からも明らかなように、今、私たちは、共同購入運動、W.Co運動、市民自治政治運動をはじめ市民が自分で問題解決を進める運動・事業が持つ価値の普遍性や未来性を、鮮明にメッセージする活動をあらゆる場面で強化する必要があります。それによって、「格差社会」を容認し加速化する拝金主義、市場競争原理至上主義一辺倒の競争社会に対し、市民の参加・分権・自治・協同に基づくオルタナティブな地域や社会の運営のあり方を提案・実践しモデルを提示していく必要があります。
 したがって、市民セクター政策機構は、生活クラブ連合会はじめグループ総体のシンクタンクとして、具体的で豊富な会員・団体の活動事例・事実を踏まえて、これを理論的に先鋭化することによって、地域や生産現場での実践に貢献する必要があります。そのために、各単位生協や生産者組織はもとより会員・団体各組織との連携のあり方、テーマや活動の重点の置き方、メディアとしての月刊『社会運動』のあり方も含めて、その役割と機能を見直していきます。

U.基本方針
1.06年度は、市民セクター政策機構設置の原点に立って、これまで培ってきた研究分野・蓄積・ネットワークを見直し、それを踏まえながら、活動の重点のおき方やテーマのあり方を検討していきます。
2.そのために、会員・団体各組織との率直な意見交換の場を持ちます。
3.活動現場・生産現場の実践の中に存する普遍性・社会性・未来性を理論化するために、新たな研究者、ジャーナリスト等とのネットワークづくりを意識的に推進します。
4.市民セクター政策機構は、その活動成果を『会員・団体に還元』すると共に『社会的な提案』として活かすために『情報発信できるメディアをもったシンクタンクとして機能していく』ことをめざしてきました。上記の状況や問題意識を踏まえて、月刊『社会運動』のあり方を検討していきます。またホームページの刷新も検討していきます。
5.以上の役割を果たすために、市民セクター政策機構の組織としてのあり方について生活クラブ連合会と協議を行っていきます。
6.活動テーマのポイント
●時代が長期の転換期にある中での、多軸重層型で持続可能な循環型社会づくり
●食の自給力の向上
●市民による食料・農業政策の提案と遺伝子組み換え問題
●協同組合研究
●社会的経済と社会的企業
●調査研究活動(分節民主主義と上記各分野における先端研究とコーディネイト)
●月刊『社会運動』編集
●市民セクター政策機構の活動が会員拡大(=共感の獲得)につながることを常に意識する姿勢

V.活動計画
1.アソシェーションの展開
 講師費用などの補助により会員・団体の主体的なミニ・フォーラム開催を支援する「ミニフォーラム支援制度」の周知徹底により、フォーラム開催と、その結果としての会員拡大に結びつけていきます。

2.調査研究
 今年度は、@協同組合運動論 A社会的経済・社会的企業 B 食品の安全 に軸を置きながら調査研究を進めていきます。
@協同組合運動の調査研究
(担当 澤口隆志)
 21世紀の協同組合の未来像を明らかにするために、協同組合の基礎的な理論研究を進めつつ、社会的経済や社会的企業論などの現代的課題にも挑戦していきます。
 農協解体論の強化、生協の大規模合併と生協法改正の動き、公益法人改革をめぐる法改正など、生活クラブグループとして、これまでの議論や蓄積を踏まえ対応を検討していく必要があります。
 また、生活クラブ連合会と連携し、「06協同組合の旅」の成果を踏まえ、国際協同組合の理論課題を整理し、生活クラブグループの理論と政策形成に活かしていきます。
*協同組合法制化検討プロジェクト
(担当/柏井 宏之)
 グローバリーションと「市場万能社会」に対抗する協同組合の社会的役割を明確にし、日本の協同組合の法制度のあり方を探り、「協同組合の未来図」についての生活クラブグループの見解・スタンスを内外に示すため、連合会と協力して「協同組合法制化検討プロジェクト」を推進します。
A社会的経済・社会的企業研究会
(担当 米倉克良)
 首都圏の研究所間の協働として生まれた社会的企業研究会は、1〜2カ月間に1回のペースで、生活経済研と市民セクター政策機構を共同事務局として運営していきます。藤井敦史立教大学教 授らによるイタリアからのボルザガ氏(イタリア社会的経済学者)の招請企画に協力します。
B食の安全分野の調査研究
(担当 澤口隆志)
*食糧政策研究会
・生活クラブ連合会「食糧政策研究会」に引き続き協力します。
・WTO農業交渉の動きに注目し、情報を整理、発信できるようにします。
・種子の問題について、内外の動向を調査します。
・「食品のリスク論」「食品のリスク評価と消費者参加」についての連続企画を開催します。
・上記成果のブックレット化を追及します。
*コーデックス研究会
 11月から幕張で行われる第6回コーデックス
・バイオテクノロジー応用食品特別部会では、遺伝子組み換え動物由来食品の安全性評価のためのガイドラインについて議論されます。日本とオーストラリア両政府による原案では、植物とほぼ同様のガイドラインが作られようとしています。コーデックスについて分かりやすい情報提供を行い、会員・団体の現場での活動に寄与します。

C第3次ワーカーズ・コレクティブ法研究会
(担当 藤木 千草)
 今年5月の公益法人制度改革3法などの情勢の変化と、WNJ(ワーカーズコレクティブネットワークジャパン)の法制化運動の蓄積を踏まえ、今後の方向性を検討します。また、生活クラブ連合会の「協同組合法制化検討プロジェクト」とも連動して、調査・研究を進めます。
D現代アソシエーション研究会
(担当 米倉 克良)
 これまでの若手社会学者と連動した取り組みを活かし、最新の動向や事例も企画しつつ、「大衆社会論」など戦略的課題も挑戦していきます。
E自治体公共政策研究会
(担当 米倉 克良)
 来年が統一地方選挙の年であることも踏まえ、月刊『社会運動』連動企画、自治体基本条例の動きや、地方財政計画の分析を行っていきます。
F参加型ガバナンス研究会
(担当 坪郷 実)
 今年度は、コミュニテイ・ガバナンスを軸として、参加ガバナンスの展開、地域−自治体−政治、地域―企業―市場という柱のもとに、研究のまとめを図り、年内刊行をめざします。
G環境科学研究会      (担当 坂下 栄)
 環境科学調査・母親世代編の最終報告をまとめます。全体報告は、前回の中高生調査を踏まえたものとして行うことをめざします。また、参加単協を中心に報告会の開催をミニフォーラムとして行うことの提案も併せて行います。

3.調査事業
 1990年の生活クラブ事業連合会設立以降、市民セクター政策機構は〈社会運動研究センター〉を改組(1996年)し、調査事業室を設置し、地域調査や共同購入実績分析、生活クラブ生協への政策提言等を行ってきました。〈「社会が生活クラブに追いついた時代」の生活クラブのあり方〉という視点にたって、引き続き調査・提言活動をおこなっていく必要があります。『メディア・ラボ構想』はその一環であり、そのコンセプトは生活クラブ東京における「旅行事業プロジェクト」(仮称)に引き継がれ具体的な事業計画の立案が開始されました。
 また『食生活変化・研究共同プロジェクト』は「報告書」の作成をもって終了しますが、次の段階として、生活クラブの〈食生活ビジョン〉を描く方法を検討中です。
 生活クラブのテーマとする〈協同組合地域社会〉像を描く下地となる「生活クラブ運動グループの地域事業調査」は現在第二回目の調査がまとまり生活クラブ連合会へ提出しました。今後は、この結果を基礎にして調査活動を進めていきます。
 調査事業室の業務報告紙(ニュースレター)「くらしみるめ」は隔月報告を継続していきます。調査結果(データ、図表、写真等)は読み取りやすく、わかりやすくするためカラー版にしました。

4.協同組合の旅
 「2006協同組合の旅」は、これまで未開拓であった北欧地域を中心として5月に実施し、貴重な視察でした。この成果を活かし、生活クラブ連合会と連携して、世界の協同組合運動の動向の共同研究を進めるとともに、その視点で次の「協同組合の旅」の企画を検討していきます。

5.国際活動への協力
 これまで市民セクター政策機構は、「協同組合の旅」など、生活クラブの国際活動への協力を行ってきました。これに加えて、遺伝子組み換え問題やWTOに関連する活動を通し海外との多様なネットワークを持つようになりました。06年度は、これまでの関係を継続的な交流につなげるために、海外との音信とネットワークを見直します。英文ニュースレターを発行します。

6.諸活動との連携
*「ストップ!GM連絡協議会」「生活クラブ遺伝子組み換え食品問題対策協議会」への協力
 生活クラブ連合会との連携でナタネの自生調査、エルマコバ博士(ロシア)招聘企画、GMOフリーゾーン運動、表示の改正運動などに協力します。
 また、コーデックス研究会を通じ、分析と情報の共有を行います。
*「生活サポート」事業への協力
 東京の単協からの要請を踏まえ、多重債務者対策の協同組合づくりに協力します。
*「地域創造ネットワーク」への協力
 高齢者の組織化を含めたネットワークの活動に協力していきます。

7.社会経済セミナーの実施
 会員・団体がそれぞれ単体ではなく力を合わせて追求していくべきテーマを共有することを目的として、社会経済セミナーを3月と9月の年2回実施します。また、会員・団体の現場での活動を浮き彫りにし、理論化し、社会的な発信につなげていく場とすることをセミナー開催のもう一つの目的として位置づけ、組み立てていきます。

8.自主研究会
 会員・協力者で意思ある人とグループの活動に施設利用や交通費、参加費などを補助する仕組みです。
@翻訳ネットワーク
1.各研究会との連携で、重要な海外文献をピックアップして翻訳していきます。
2.2005年度に翻訳したシュマイザー裁判に関するフィルム「ジェネティック・マトリックス」の発表に向けた取り組みと発表イベントを企画します。
3.英文ニューズレターの翻訳を行います。
4.通訳者養成をめざします。
A環境科学フォーラム
 引き続き廃棄物問題等を中心に『社会運動』誌上に発表します。
B市の歴史研究運運動
 歴史アイデンティティに関する草の根保守の動きがアジアの中の日本を見失う歴史認識を拡げつつある中で、多元的な文化価値の豊穣な交差を押し広げるため、日本各地の歴史発掘を試みます。
C鑑賞と批評の会
 逐次、運動と文化の結びつきの視点で運営し、赤堤シネクラブも、柔軟な開催をめざします。
Dシビル都市塾(政治理論研究会)
 現代アソシエーション研究や自治体公共政策研究会と連動し、原典逐次学習の大切さを広めます。
E自助グループ「ラ・ポール」
 こころに障がいを持つ人の多様な課題をフォローしながら、自助グループの形成を支援します。

9.広報媒体について
@月刊『社会運動』
 生活クラブ連合会との協議を必要に応じて行いながら、紙ベースの「社会運動」とウェブの両方の強化をはかっていきます。
 「編集委員会」を軸に、新たな執筆者の発掘と充実に努め、トータルな紙面改善を検討します。
 「英文ニューズレター」を年2回発行し、海外との継続的な人的ネットワーク形成をめざします。
Aインターネット
・Web画面を改訂します。
 キーワードから辿る『社会運動』ページを設けます。『社会運動』は全目次の掲載を2006年中目処に実施します。
・研究会・イベント他のお知らせは適宜掲載します。
・英語ページの作成、海外会議に持参した英文資料などをWeb上に掲載します。
Bブックレット
 新しい社会運動・協同組合運動などの事例を中心としたブックレットの発行を検討していきます。
C英文ニューズレター
 海外への情報発信を目的とし、翻訳ネットワークと協力し、発行します。

10.会員について
 新たな役員・事務局体制の形成を契機として、あらためて市民セクター政策機構の目的や活動の趣旨、必要性を広くメッセージし、会員・団体の獲得をめざします。

11.事務局
 事務局会議を充実させ、基本方針に沿って役割・機能ならびに仕事の質の見直しを行っていきます。生活クラブ連合会と市民セクター政策機構の関係と連携のあり方を見直す協議を必要に応じて行っていきます。

第5号議案:定款の変更について

理事定数変更

<変更項目>理事定数を30名以内から35名以内とします。
55ページの定款をご参照ください。

第6号議案:役員改選
57ページ新役員一覧表でご確認下さい。

雑記帖 細谷正子

 仕事の業務委託先に労協とワーカーズがある。労協の担当者はせっせと労協新聞を置いていく。そこにはなじみのある地域活動の言葉が載っていて、こんなこともやっているんだ、と軽い驚きを感じる。その労協メンバーのオバサンは食のワーカーズの惣菜を時々買っていく。こういう形で生活クラブの消費材の広がりを感じるのは嬉しい。そのような職場であることは、私にもワーカーズにも喜ばしいことだが、年に一度両者で頭を悩ます時がある。決算の時期だ。
 ワーカーズという働き方を、少しでも多くの人に理解してもらおうと、双方共に事あるごとに語る。多くの人が初めて聞くという顔をするが生協運動との連携を知り、ナルホドという顔になる。会社が明確にワーカーズの可能性の価値を選び取っているのだが、これが、決算時期になるとトタンに周辺から理解されにくくなる。ワーカーズを支援し手を結び地域に役に立とうという「会社」があってもいいではないか。他の食の業者ではない、ワーカーズに委託した意味があり、それが大きくは見えなくても、少しずつ成果になっているではないか、と言っても、大きな安心感を与えることにはなっていないらしい。世の中が、ワーカーズという立場をきちんと理解し認めようとしていない所に起因しているからだと思うのだが。
 東京都の職員と話しをした時、明らかにワーカーズを知らないと思った。安定性の根拠として数字を示すことが最優先となると、私としてはさりげなく会話を変えながら「次はどうやって攻めようか」と考える。ワーカーズの存在が世の中で確固たるものとなれば「会社」としては関係を作りやすくなる、とつくづく感じる。

市民セクター政策機構 〒156-0044 東京都世田谷区赤堤4-1-6赤堤館3F
e-mail:civil@prics.net tel:03-3325-7861 fax:03-3325-7955

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