月刊『社会運動』 No.321 2006.12.15


目次

<特別講演>多重債務問題の現状と法改正の動向をめぐって 宇都宮健児‥‥2
社会的企業研究会報告 第14回 共助・協同・協働が拓く福祉社会 麻生裕子‥‥26
第15回 ヨーロッパの共済組織の位置づけ 石塚秀雄‥‥32
協同組合法制化検討プロジェクト 協同組合関係諸法の歴史的展開過程 阿部信彦‥‥39
<ネット・統一地方選挙>Bネットが動いて、再び時代を切り拓く 関根由紀世‥‥47
現代アソシエーション研究会 生活クラブと平田清明 斉藤日出治/岩根邦雄‥‥56
アソシエーション・ミニフォーラム 私たち子どもの将来 森田美和子‥‥71
雑記帖 古田睦美‥‥72


表紙からのメッセージ 写真家・桑原 史成
 「反ロシア」と烙印を押した大国のロシアは小国グルジアに対して経済封鎖に近い制裁を行っている。親欧米路線に大きく傾斜して動くグルジアの現状に、ロシアの国営天然ガスの企業は、価格を2倍以上の1,000立方メートルあたり230ドルに引き上げると通告している。グルジア側の同意がなければ来年からガス供給を停止される可能性もある。
 かつてグルジアは旧ソ連邦の共和国の一つで独裁者とされるスターリンを輩出した国でもある。モスクワからほぼ南に約2,500キロ、黒海に面したグルジアは人口が約700万人で気候が温暖な風土である。マンガンや石炭など地下資源などに恵まれているが、石油やガスはロシアの安価なパイプラインに依存しなければならない脆弱な経済状況といえる。
 大国の旧ソ連邦に編入されていた1921年から分離独立した1991年までの70年間は、小国が翻弄された歴史といえる。現在もグルジアに常駐するロシア軍は2008年までに撤収することになっている。その後のグルジアはEU(欧州連合)とNATO(北大西洋条約機構)への加盟が視野にあるようだ。(グルジアのトビリシで)



<特別講演>多重債務問題の現状と法改正の動向をめぐって<BR>
弁護士 宇都宮 健児</FONT>


 多重債務や振り込め詐欺について、自分との距離を感じる人が多いと考える。しかし、この宇都宮講演を聴いたとき、既存のマスコミがすべてを伝えていないことが分かり、大げさでなく、戦慄する思いがする。9月30日生活クラブ連合会での講演を掲載する。

命を担保にしているクレジット・サラ金

 ご紹介いただきました弁護士の宇都宮です。
 最初に多重債務問題からお話ししたいと思います。この問題は、最近では新聞でもテレビでもよく取り上げられてきていますから、「グレーゾーン金利」という言葉があるということもだんだん知られてきているのではないかと思います。
 消費者金融のことを昔は「サラ金」と言っていたのですが、このサラ金からお金を借りる場合本来無担保・無保証のはずですが、最近命が担保になっていることが問題になっています。つまりサラ金はお金を貸すときに借り手の命を保険の対象にしている。それで借り手が亡くなると、残りの借金は全額、保険会社から払われるようになっています。この保険は、「消費者信用団体生命保険」と呼ばれているものです。
 そして、その保険があることでサラ金会社の社員による過酷な取り立てが行われています。昨年1年間でサラ金大手5社に対し、債務者が亡くなったことにより保険金が支払われた3万9880件のうち、債務者が自殺したケースが3,649件あるということです。3,649件というと、大手5社だけで毎日10人が自殺していることになります。こういうことがいま大きな社会問題になっているわけです。無担保のはずが命を担保にしているのはおかしいという批判が出てきて、一部のサラ金会社、消費者金融会社のなかにはこれをやめるという動きが出てきています。
 実はこれはサラ金だけではありません。去年、埼玉県の富士見市で、認知症の姉妹がリフォーム詐欺の被害に遭っています。全く必要のないリフォーム工事をさせられて、リフォーム工事会社16社ぐらいから5,000万ぐらいの被害に遭っています。それまでに貯蓄した4,000万は全部だまし取られ、残りの1,000万についてはクレジットを利用していたため、クレジット会社に自宅を競売申立てされ、競売寸前でした。このリフォーム工事会社と加盟店契約をしたオリエントコーポレーションも消費者信用団体生命保険契約をしていて、利用者に生命保険を掛ける問題はクレジット会社まで広がる傾向があります。
 こういう借金で人の命が奪われる社会は全く前近代的な社会であり、これを規制しようという動きがいま出てきています。しかしながら、サラ金業界とかクレジット業界の経営者というのは大変なお金持ちになっていますから、政治団体をつくって、かなりの政治家に政治献金をしています。政治家に献金して金利引き下げの動きにブレーキをかけようとしているのです。そういうことで、貸金業規制に関する法案が、消費者側、労働者側、被害者側が押し戻すと、また逆の業者側の圧力がかかってくるというふうに、目まぐるしく情勢が移り変わっているわけです。

アメリカ政府も金利引き下げに反対して圧力をかけてきている

 政府与党に金利引き下げ反対の圧力をかけているのは貸金業、サラ金業界の団体ですが、実はもう一つ大きな圧力団体があります。それはアメリカです。なぜアメリカが圧力をかけるかというと、日本で活動しているアメリカ系のサラ金、消費者金融が2社あります。どこだかおわかりですか。一つは「ほのぼのレイク」です。レイクは、もともと日本のサラ金だったのですが、今はGEコンシューマー・ファイナンスといって、アメリカのゼネラル・エレクトリック・グループが買収したサラ金となっています。
 もう一つは「ユニマット」とか「ディックファイナンス」とか「アイク」という会社を統合した「CFJ」というサラ金です。これはアメリカのシティバンクという銀行が経営しているサラ金です。
 このCFJとほのぼのレイクの規模は、日本のアコム、武富士、プロミス、アイフルに匹敵します。金利を下げるとサラ金会社の利益が減りますから、CFJやGEが中心になって「在日米国商工会議所」による要請という形で日本の政府与党に圧力をかけているのです。
 もう一つ、アメリカの投資ファンドは日本の武富士とかアイフルに投資しています。武富士やアイフルの株をたくさん買っているわけです。アメリカの投資ファンド会社がそういう形で資産運用しているわけです。そうすると、金利を下げるとサラ金会社の利益が減り株価が下落しますので、投資ファンド会社は損害を蒙るわけですね。そういう投資ファンド会社が中心になって、加藤駐米大使とか前の与謝野金融担当大臣に金利引き下げ反対の申し入れをしています。それからアメリカのシーファー駐日大使も政府与党に金利引き下げ反対の働きかけています。アメリカはここ10年近く、日本政府に対し、規制改革に関する年次改革要望書というのを毎年、出しています。昨年末に出された年次改革要望書の中で、サラ金のグレーゾーン金利の明確化を求めています。つまりグレーゾーン金利をちゃんと取れるようにしてくれと、要請しているのです。
 アメリカという国は、私に言わせれば非常に傲慢な国で、安全保障問題以外にも、日本国内のいろいろな社会生活問題に対して介入してくるんですね。BSE問題でもそうです。一部の食肉業者のために輸入を再開しろとアメリカ政府が圧力をかけてくる。
 ご承知のように自民党には業界寄りの人がかなり多い。業界からカネをもらっています。安倍新内閣ができましたけれども、安倍内閣の大臣の中にもサラ金業界からカネをもらっている人が何人もいるのです。だけど、一方では、自民党の中にも後藤田政務官のように消費者サイドに立って規制強化を訴える議員も出てきている。公明党もどちらかといえば支持層に低所得層が多いので、金利引き下げを求める議員が多いです。
 実は民主党のなかにもサラ金業界寄りの議員がいて、その人がノンバンクプロジェクトチームの中心にいたのですが、今度の新執行部では担当者が変わりました。来年の参議院選挙をものすごく意識していますので、多重債務問題は大きな政治マターになってきているんです。それで民主党も基本的には金利引き下げの方針を最近まとめたようです。−続く


第14回社会的企業研究会報告 共助・協同・協働が拓く福祉社会 「労働者自主福祉」の新たな挑戦
<労働者自主福祉活動の現状と課題に関する調査研究報告>
連合総合生活開発研究所 麻生 裕子



 これまで労働組合は、その企業別組合の持つ限界をよく指摘されてきた。しかし、今回連合が提起する「労働者自主福祉活動」は、地域の労働金庫や労済の実態的モデルを視野に置かれながら検討されているものであり、これまでとは段階を画するものででなかろうか。いわば、市民社会の社会運動としての登場である。

 連合総研もようやく地域の課題を研究することになりまして、この2年間にわたり、中央労福協、労金協会、全労済といった労働者自主福祉の3団体と共同研究をしてまいりました。主査は尚美学園大学の丸尾直美先生で、ようやく今年の4月に報告書『共助・協同・協働が拓く福祉社会−「労働者自主福祉」の新たな挑戦』がまとまりました。
 この報告では、理念とか、理論的な位置づけとか、今後の方向性を示すことになっていますが、ここでは、それだけではなく、ヒアリング結果を中心に、今、現場で何が起こっていて、そこから何がわかるのかといった内容で進めていきたいと思っております。

労働者自主福祉とは
 まずはじめにこの研究を行う上で労働者自主福祉とは何かということから出発しなければいけないわけなんですが、ここでは労働者自主福祉を「労働者の労働者による労働者のための福祉活動」というふうに定義し、そこから出発を始めました。
 その上で、これは三つの立場から問題意識を捉えることができると思います。
 1番目として、労働者自主福祉事業団体、労福協、労働金庫、全労済、生協等々ありますけれども、そういった事業団体の立場からの問題意識としては、少子高齢化等、環境の変化の中で自らの社会的役割については再検討する必要があるだろうということ。事業を通じての役割、運動面としての役割、その両面があるかと思うのですが、そうした二つの面での役割がどう果たされているのかというような再検討がまずは必要だろうということです。
 2番目として、連合の立場からということになりますが、未組織労働者の組織化ということが最大の課題であり、地域労働運動をどう再構築していくかということを、連合運動として重視しなければいけないところに来ているわけです。今、既にスタートしはじめたところではありますが、連合は地協改革に伴って、労福協、労金、全労済と共同で、労働者の生活全般をサポートするワンストップサービスの仕組み作りを進めています。パートとか、中小、地場の労働者、失業者、退職者すべてを含んでいくような仕組みが地域で必要になってくるということで、そういった問題意識があります。
 3番目に、連合総研の立場からどういうことが考えられるかというと、生活リスクの増大が非常に大きいために、それに対応していくための新しいニーズ、労働者のニーズというのも出てきているかと思いますが、そういったことに対応していくためにどのような理論構築ができるだろうか。市場万能主義への対抗力、対抗軸のようなものを総研としても打ち出していかなければいけないということです。
 今回の研究の特徴ですが、初年度は職域の福祉共済担当者を対象にしたアンケート調査を行いました。それの中身については、この研究会でも報告済みだと思います。2年度目については、地域の労福協、労金、全労済、労働組合、NPOのリーダーに対するヒアリングを行いました。それらを基にまとめたのが今回の報告書になるわけですが、この構成を見ていただくとおわかりのように、総論の部分は主査による理論的な位置づけをしております。総論、各章を受けての労働者自主福祉活動への課題提起というような位置づけになっております。
 総論の部分は丸尾先生がお書きになったのですが、福祉ミックス論の立場から、労働組合や労働者自主福祉団体は元祖NPOと言えるわけですが、労働者自主福祉運動の復権、潜在力の発揮といったものが市場と政府の役割を補完する重要なシステムとして機能するという主張をされています。
 労働者自主福祉事業や活動が低迷している原因はどこにあるのかということなんですが、それは労働者のニーズ、豊かさの向上というような当初のミッションが希薄化しているのではないか。そこで、新しいニーズを探ること、ユーザーが気付かない潜在的なニーズの掘り起こしも必要になってくるというような主張をされています。
 報告書のキーワードとして、地域軸、高齢化軸、ウィングの拡大、新しい運動領域への挑戦といったような言葉を使いました。
−続く 


第15回社会的企業研究会報告 ヨーロッパの共済組織の位置づけと現状〜欧州の社会的経済の動向
石塚 秀雄 非営利協同総合研究所・いのちとくらし



 ヤマ場を迎える生協法の見直しの最大の争点は、実は共済と生協本体事業の「兼業問題」である。その本質的な要因は、アメリカの多国籍企業による「共済と保険の同一競争化」の押しつけである。それは、協同組合そのものの理解の是非でもある。ヨーロッパの事例で、本質的に考えたい。(9月11日プラザエフにて収録)

 石塚でございます。所属は非営利協同総合研究所「いのちとくらし」ということになっております。本日のテーマは「欧州の社会的経済の動向」ということで、とりわけ「ヨーロッパの共済組織の位置づけと現状」についてお話しすることになっております。

1.共済組織成立の過程と福祉国家との関係
 今、日本では共済の問題がいろいろ注目されておりますが、今日は日本の共済組織や共済組合の話は横に置いておいて、ヨーロッパの話に特定させていただきたいと思います。と申しますのは、ヨーロッパと日本では共済組合の成立過程がかなり違うからです。社会的経済の三つの構成要素とされているものには、協同組合、共済組合、アソシエーションがあり、さらにそれにプラスしてファンデーション(財団)というものがあります。このうちアソシエーションはなかなか定義が難しく、NPOとの関連でどう位置づけるかということでは人によってずいぶん意見が違います。
 共済組織は、産業革命あたりから、アソシエーションという混沌としたものからいろいろな形で分化してきました。協同組合に分かれていったり、共済組合に分かれていく。あるいは政党、労働組合にも分かれてきました。
 そして、この共済組織というものがなぜ社会的経済の構成要素の一つなのかということをヨーロッパ的文脈で考えると、日本の共済の位置づけとかなり違ったものであるということです。すなわち共済というのは、社会的経済原則という点で協同組合に近いものがありますが、一つの特徴は自主的、民主的であるということです。ヨーロッパにおいては、とりあえず共済組合と言っておきますが、共済組合はそれなりの市民権を持っている。社会的経済の一員としての存在が認知されているということがあります。
 日本の場合は、最近では協同組合保険と共済の関係で議論が日本的な文脈で集中しておりますが、ヨーロッパの場合は、独立して共済組合というものが一つの社会的経済のアクターとして存在しているのです。
 1942年にイギリスの「ベバレッジ報告」が出て福祉国家になっていくわけですが、それ以前に共済組合というのは非常に大きな役割を果たしてきました。そして、福祉国家が成立することによって、共済組合は社会保障制度の補完的な役割を一部で担うようになってきたということが言えると思います。
2.ヨーロッパにおける共済組織(共済組合)の定義
 これはEUの中で認知されたという定義でありますが、以下に示すとおりです。
1、資本を持たない。これは協同組合が資本を持つという点とは異なっている。
2、メンバーの加入の無差別・自由。この点は協同組合と同じ。
3、非営利目的。
4、連帯である。
5、民主主義。1人1票。
6、独立性。国家からの補助金に依存しないことが原則。
 日本の共済問題の性格規定の議論の中で欠けているところはどこかというと、4、の連帯とか、5の民主主義という点で、ここはあまり重視されてきていないのではないかと思います。しかし、ヨーロッパにおける共済組合の自己規定では連帯民主主義ということは非常に重要になっている点です。
 具体的に連帯というのは何なのかというと、共済活動そのものの連帯性ということもありますが、共済組合が行う社会的な活動、連帯的な活動というものが一部に存在するわけです。ヨーロッパ各国において共済組織の運動の実体が存在します。共済組織に対する法律は、@いわゆる共済組合法があるもの、A保険会社法があるもの、B協同組合法、アソシエーション法等があるもの、C一般会社法が適用されるもの、D共済組織関連法がまったくないもの、などに分類され、また組み合わさっています。公的社会保障制度との関係の有無もあり、いわゆる自主的共済組織のあり方は多様です。とりわけ、自主的共済組織の使命は、単に社会保障制度関連や保険だけではなくて、さまざまな社会サービス事業活動を行っているところに特徴が見いだされます。その点では自主共済組織の活動は、いわゆる社会的企業や社会的協同組合、非営利組織などと重なるところがあります。
 ヨーロッパの共済組織というのは大きく分けると種類が三つぐらいに分けられます。フランスがいい事例だと思うのです。
 一つは保険法に基づく保険会社の中の一部としての非営利的な保険といった性格。もう一つは共済組合法というものがあって、これに基づく共済組合というもの。これは訳語でどう訳していいのか。ミューチュアルというのは相互扶助というふうにも訳せるので、どっちで訳していいのか考えてしまうのですが、とりあえず共済組合ということです。もう一つ、フランスの場合は農村法というものがあります。共済保険会社というような意味もあります。英語で言うとインスティテューションなんですが、大きくこの三つのいわゆる共済組織があります。−続く 


協同組合法制化検討プロジェクト特別寄稿@
協同組合関係諸法の歴史的展開過程
協同組合懇話会 阿部 信彦



 協同組合法制化プロジェクトは、新年早々の法案化にむけて国の生協法の見直し検討会の議論の煮詰まりに対応して緊張感が増している。一方で短期の視点も必要であるが、長期的な視点で、法制度を議論していきたい。プロジェクトに協力をいただいている研究者の方々の論文を順次掲載する。

協同組合運動の勃興
 協同組合運動は、18世紀後半から19世紀にかけておきた産業革命の「申し子」といわれている。その所以は、機械による大量生産、貨幣経済の浸透により、利潤追求に走る資本家層と劣悪な条件化に置かれた労働者層とに二極分化し、独立小生産者層も、その存立が脅かされたことが主因となった。
 したがって、協同組合運動は、産業革命が最も早く起きたイギリスにおいて先鞭がつけられた。ロバート・オウエン(Robert Owen、1771年生)(以下後掲の図を参照されたい)は理想社会思想に基づき1825年にニューハーモニー平等村を建設し、その後の協同組合運動者たちに大きな影響を与え、「協同組合の偶像」となった。
 ウィリアム・キング(William King、1786年生)も1827年にユニオン・ショップをつくり「協同組合の父」といわれている。
 工業都市マンチェスターから40キロばかり北に所在する小さな町ロッチデールのフランネル工場の職工だったチャールス・ハワース(Charles Howarth、1814年生)らの手で1844年に発足したのが、消費組合としてのロッチデール公正開拓者組合(Rochdale Society of Equitable Pioneers)であり、ハワースは組合定款の立案者である。
 勃興期に設立された組合の多くが、その後挫折している中でこの組合の名ばかりが、今でも燦然と輝いているのはなぜだろうか。その大きな理由のひとつは、協同組合経営原則のバイブル視されているロッチデールの原則を定めた事にある。
 この原則は @民主的管理(組合員は出資口数に関係なく1人1票の議決権を持つ) A開かれた門戸(いつでも誰でも組合員になれる) B出資に対する配当制限 C利用高に応じた剰余金の割戻し D現金取引 E良品の供給 F組合員教育の促進 G政治・宗教からの中立となっており、これらの諸原則が組合員主権の確保と経営的成功につながった。
 イギリスでの協同組合運動は、当然近隣諸国に波及したが、フランスでは1833年に生産者組合が、2年後に消費組合が誕生している。
 イギリスより産業革命の動きが80年近く遅れたドイツでも、「市街地信用組合の父」といわれているヘルマン・シュルツェ・デーリチュ(Hermann Schulze Delitzsch、1808年生)の手で1850年に小商工業者向け信用組合が設立されている。
 「農村信用組合の父」と呼ばれたフリードリッヒ・ウィルヘルム・ライファイゼン(Friedrich Wilhelm Raiffeisen、1818年生)は、62年に農村信用組合(後に購販売兼営)を発足させている。
 日本でも江戸時代、既に協同組合精神に通じる諸運動が見られたが、その代表として二宮尊徳(1787年生)の報徳社運動(1843〜)が挙げられる。尊徳の「天地人」三つの徳に報いようという思想の下に設立された報徳社は共同的結社で、事業の中心の金融は、家業、家政の改善を目的に入札で資金を貸し付け、1回余分の掛け金で年賦償還させるという在来の頼母子講の改良型であった。
 この報徳社運動は、徳義に基づく勤倹貯蓄の考えを軸にしていたので幕府の弾圧を受けることもなく、その自主・自助の精神は、明治期における信用組合運動にも多大の影響を与えている。

日本への伝播
 話しは戻るが、ヨーロッパにおける協同組合運動は、徳川幕府から1868年明治政府に変わり、近代国家としての歩みを始め、遅ればせながら産業革命の洗礼を受けた日本にも伝播した。
 例えば1878年に郵便報知新聞は、馬場武義の「協同商店創立の議」を取り上げ、ロッチデールなど消費組合に関する日本への最初の紹介を行っている。翌79年にはロッチデールプランによる最初の組合「共同商社」が誕生している。
 一方、政府からのドイツへの留学生平田東助(1849年生)が帰国した当時(76年)の日本は、地租改正と米価下落が重なり、農村は自作農を中心に苦しんでいた。
 この状況を目の前にした平田は富国強兵の見地からも、この窮状を救えるのは、先進的なイギリスの協同組合の事例よりも、後進国ドイツのシュルツェ系の信用組合を普及させることだと考えた。
 折よく平田自身内務省の法制局部長に就くとともに、同じころ共にドイツに派遣され志を同じくした品川弥二郎(1843年生)が内務大臣になった。
 そこでシュルツェが国会議員としてその成立に尽力したドイツ産業および経済組合法(1871年)を母法とした信用組合法案を、91年に内務省から帝国議会に上程した。しかしながら運悪く衆議院が解散となり、貴族院も停会となったため、本法案は審議未了で終わってしまった。
 この法案に対し、農学会ならびに農商務省サイドからは、農村振興を主眼とするならば、都市信用組合型のシュルツェ系の原則を見習うのは不適切で、農村に根を張っており、信用以外にも購買、販売、生産者の事業も包括しているライファイゼン系の原則によるべきだとの反論が出た。
 この結果、主導権が内務省から農商務省に移り、97年に農商務省の手で「産業組合法」案として議会に上程されたが、この法案も審議未了の憂き目に会っている。
 ようやく1900年に、ほぼ同じ内容のものが3月6日に産業組合法として公布された。(ただしこの日は天皇裁可の日であって、官報に出たのは7日であったので、農林水産省百年史では3月7日としている)
 以上の経緯から本産業組合法はシュルツェ系の原則に忠実だった信用組合法案に対し、ライファイゼン系の原則も織り込んだ両者折衷型であった。−続く 



社会的経済―世界の動き
モンブラン会議に向けた国際ミーティング 参加報告記
近畿労働金庫 地域共生推進センター長 法橋 聡(共生型経済推進フォーラム運営委員)



<ネット・統一地方選挙>B ネットが動いて、再び時代を切り拓く
統一地方選挙にむけて・情勢と課題
<お話>  市民ネットワーク千葉県 事務局長 関根 由紀世

――首都圏の各県ネットの事務局長さんに統一地方選挙に向けた情勢や課題について順次伺っております。きょうは3回目で千葉県ネットの事務局長さんの関根さんにお伺いします。まず、大きな来年の統一地方選挙に向けての情勢的のお話から入っていただきたいのです。
 ネットとして、これまでの小泉政治というものをどう評価するか。安倍政権はまだ始まったばかりですがこの前の選挙をやって勝ったという感じですか、そのへんの政治をどう評価されるか。
<関根> 県ネット全体としては小泉政治への評価をまとめていません。この5年間、社会には「格差拡大」や「将来不安」といった意識が広がり始め、平和が脅かされようとしています。外交面では中国や韓国との関係悪化が修復できないまま次に引き継ぐという「やりっ放し」を見せました。決して好意的に評価できる材料は見あたらないとは思っています。
 ひとつ評価できる点があるとしたら、政策とは少し違った観点になりますが、マスコミの使い方や情報の出し方に関しては、個人的には見習うべきべきものがあったかと思います。緻密なマスコミ操作があったでしょうが、国民に政治への関心を持たせたこと。朝のワイドショーなどでも政治を取り上げるようになり、顔の見えなかった政治家がテレビに出演するようになりました。政治が身近になり、家事をやりながらふっと手を止めてテレビを振り返るような主婦達が増えた。その功績というのは大きいのではないかと思うんです。ただし、国民の反応は政治的成熟とは比例していないのは残念です。
 「わかりやすい言葉」で「短いフレーズ」はネットが「伝える手段」として課題にしていかなければならないことだと思っています。もちろん小泉さんの方法をとりいれるという意味ではありませんが。
――政策的にはもちろん評価はできなくても、政治手法としてという意味ですね。
<関根> そうですね。

議論をつめた国政選挙で
――国政選挙というと、この前の衆議院選挙ですが、推薦は地域によっても違うし、それぞれやり方はあると思うんだけれど、推薦した人は、どうでしたか?
<関根> 民主党9人、社民党1人の計10人を推薦しました。自民圧勝だったので、そのうち民主の2人だけが比例区で復活当選しました。これまで国政への取り組みや、民主党との関わりに対して否定的だった市区ネットもあったのですが、その時は、とにかく日本の政治状況を何とか打破したいと切実に願い、衆議院選挙を「政権交代のできる選挙」と位置づけ、「郵政民営化」一本やりの「小泉劇場」の裏に隠されている政治争点を明らかにしつつ、政策展開の可能性をもとに、何度も何度も議論を重ね推薦を決定しました。
 推薦の議論にあたっては、各候補者に質問状もだしました。総選挙の元になった、郵政民営化について、憲法改正について男女共同参画についてのそれぞれの考え方。それに加え、当選後取り組む重点課題を回答してもらいました。
 推薦を決めるのは衆院選の場合、区ごとに各市区のネットで話し合ってもらいます。衆院選の区分けだと、複数の市区ネットが該当する場合があります。すると、ひとつのネットでは積極的に関わろうとしても、もうひとつのネットは否定的なところも当然でてくるわけですが、かなり前向きに議論ができたという印象があります。
 しかし結果的には自民の圧勝で、ネットが推薦した中では2人が比例区で通ったということだったんです。そのうちの1人がその後、民主党を奈落に追い込んだ、例の「永田メール問題」の永田さんでした。
――大変だったでしょう。ネットはどうするんだ? と言われたんですよね。
<関根> そうですね。市民の方からの批判はいくつかありました。地域では大変だっと思います。もともと県議選や市議選の地域レベルでは民主党は戦う相手です。この区には、虐待事件や資金流用問題で報道された「児童養護施設ほうゆう学園」に関わっている県議がいて、市議会でも県議会でもこの問題を追及してきたという経過があります。なので、地域のネットが「民主党推薦」の壁を越えられるかはとても大きなことでした。会員からも「議会では追及しながらも、国政ではなぜ民主党を推薦できるのか」という声を多々聞きました。しかし、先に述べたようなスタンスで議論をし、最終的には社民党候補者と民主党候補者の2人を並列推薦することに決定しました。ところが、その比例復活をした永田さんが、「永田メール問題」で世論を騒がせ、あげく辞職することになり、今後の国政を考えていく時に、高い壁になったことは否めません。
 民主党というだけでノー・サンキューとはなって欲しくないのですが。−続く 


現代アソシエーション研究会報告 平田清明と生活クラブ  原点から未来を
<お話>  斉藤日出治(大阪産業大学)
       岩根邦雄(市民セクター政策機構顧問)
<進行>  編 集 部



 ソ連社会主義の崩壊とともに、理論としての社会主義そのもの凋落は久しい。その冷静な歴史的評価はなお時間がかかると思われる。しかし、日本における評価において平田清明の存在を、欠くことができない。平田清明と生活クラブは、実に深い関係がある。その商品批判の視点と、生活クラブの使う「消費材」という呼称の重なりは、なお新鮮である。(編集部)

<斉藤>きょうは、岩根さんとお話できる機会を与えていただきまして、大変ありがとうございます。平田清明さんは、1995年3月1日、急性大動脈解離で突然亡くなられたのですが、当時、鹿児島経済大学(現・鹿児島国際大学)の学長をしていました。その年の1月に阪神・淡路大震災が起きて、平田さんは、東京の自宅から鹿児島に戻る途中、神戸に寄って、震災に遭った知人を見舞い、その足で関西空港から鹿児島に着き、その夜に倒れて翌朝亡くなるという、本当に急逝だったわけです。早いもので来年3月に13回忌を迎えます。
 この機会に平田さんの未発表の草稿を本にしようと、かつての大学院の平田ゼミのメンバーがいま編集作業を進めています。そこには経済学説等の研究論文だけでなく、平田さんがかかわった社会運動、例えば高速道路建設に反対する京都・西山の自然を守る会のことを書いた文章とか、教科書から帝国主義という用語を削除しようという教科書検定に対して出した意見書とか、大学行政に関する活動、たとえば学長のあいさつ文とかを含めて収録しようということになりました。
 私がその社会運動・教育行政関係の編集担当になっています。それで、柏井さんに、平田さんと生活クラブとのかかわりで何か資料があったら送っていただきたいと申し上げたところ、平田さんと生活クラブとの関係について岩根さんと話してみないかということで、今回の対談企画になったわけです。そのときに平田さんが生前「社会運動」誌に書いた9編のコピーを送っていただきました。
 それらをもう一度読み直してみて、平田さんは経済学説の研究者ですけれども、そういう研究者がなぜ生活クラブのような社会運動にかかわったのか、学問と社会運動とのかかわりですね、また当時の「社会運動」誌上での平田さんの発言は21世紀の現代から見てどのような意義を持っているのか、今日はそのあたりのことを考えてみたいと思っています。
 平田さんが「社会運動」誌に執筆を始めたのは1980年ですけれども、先ほど岩根さんと話をしていましたら、生活クラブとのおつき合いはもっと古くて68年からだそうです。ただ、深いつながりが出てくるのは1980年ぐらいですね。私は68年に名古屋大学の大学院に入って平田ゼミで勉強を始めたのですが、平田さんは78年に京都大学に移ります。80年代は学問的に脂の乗り切った時期で、80年2月に『社会形成の経験と概念』(岩波書店)を出しました。それから、『資本論』全3巻の解説を「経済セミナー」(日本評論社)に隔月で掲載し、それをまとめたものが『コンメンタール「資本」』の1('80)から4('83)として出ました。また、82年9月『新しい歴史形成への模索』(新地書房)、82年10月『経済学批判への方法叙説』(岩波書店)を出していますから、80年から83年の間に7冊の本を、しかも単著で書いているわけです。ですから、この時期は生涯でもっとも旺盛な執筆活動の時期だったわけです。さらにこの時期は、同時に京都大学経済学部長という行政的な職務もしていました。したがってすごく忙しいときでした。その多忙な中で、生活クラブとの交流もおこなっていたわけです。平田さんにとって、学問と社会運動とが深くつながっていることが、ここからも伺えます。

平田清明の「学」のスタイル
 ここで平田さんのエピソードをひとつお話ししますと、『コンメンタール「資本」』の時もそうですけれども、平田さんの論文執筆は口述筆記でおこなわれました。社会科学の研究者でこういうことをやる人は非常に珍しいと思います。『コンメンタール「資本」』でいうと、ゼミの中には、商品論、資本循環論、再生産論といった分野をそれぞれ専門とする院生がいますので、例えば商品論の執筆の時はその専門の院生が呼ばれて口述筆記の相手をします。
 私も手伝ったことがありますが、どんなふうにするかというと、院生は白紙の原稿用紙を前にして座ります。平田さんは、構想を書いたメモとか文献類を机の上に置いて、まずタイトルを書かせます。それから自分の構想を大まかに話しながら、「これについて君はどう思う?」と質問をしてくるんです。私たちは、予想していた質問に関しては答えられますが、意外な質問が出ると、戸惑ったりしどろもどろで答えたりします。
 そういう議論をしていきながら、平田さんは突然原稿用紙を指差す。書け、ということです。そうやって言ったことを文章にして、何枚か書いたところで声を出して読んでみて、おかしいところを訂正する。そして、また議論をやる。そういう口述筆記のやりかたなので結構手間がかかります。自分で書いたほうが早いんじゃないかと思ったことがあります(笑)。
 ゼミ合宿のやりかたも、僕は最初びっくりしたんですけれども、平田さんと院生が共同で『資本論』を読みます。それも例えば商品論の、文庫本でたった1ページか2ページの箇所を1日かけて声を出して読んで、そこに出てくる一つ一つのカテゴリーについて、これはどういう意味を持っているかということをえんえんと議論します。あるいは、商品論の中に「ヨハネの黙示録」の文章が出てくると、じゃ聖書を読もうと言って、聖書を音読して議論をするんです。
 このような議論は、平田さんにとって一種の自己内対話といえるものです。自己の内なる異質な他者と対話をしながら、その中で自分の文章を編んでいく。それが平田さんの思索のスタイルだという気がします。
 口述筆記も、テープレコーダーに吹き込めば手っ取り早いのですが、そういう口述筆記ではない。平田さんにとって論文を書くためには、そのような対話が不可欠の要素だったのです。私は、追悼文の中で、平田さんは対話の人だということを書きました。考えてみると、市民社会に生きる人間は、自分とは異質な他者と常に葛藤しながら、対話を通してある共通のものをつくり出していく。そういうプロセスを踏んで社会をつくりあげているんですね。
 そういう意味で、平田さんは、市民社会を研究した人ではなくて、むしろ市民社会を生きた人だ、ということを強く感じました。ですから、今度の未発表の追悼集のタイトルも、『市民社会を生きる』にしたいと提言しています。
 それから、平田さんは「社会運動」誌に書いた原稿の中で、古典とは何かと問うています。古典とは現実に先だってあらかじめ存在するものではなく、「後世の人間が発見し、再生させるもの」だといっています。つまり、古典というのは、いま生きている私たちの日常経験の中でよみがえってくるもの、そして、その経験において常に再発見されるものだと言っています。これが、平田さんの学問と社会運動をつなぐ一番のポイントになると思います。
 例えば「社会運動」誌の原稿の中で、フランスでは労働者がストライキをするのは当然の権利である。それは、労働者が経営者とか資本家と対等に交渉して社会契約を結ぶという、歴史的な伝統の中で培われた関係だと。社会契約というのは社会思想の概念ですけれども、それがまさに現実の経験の中で生きているのだ、ということを強調しています。
 平田さんは、もともと、経済学説史の研究者で、古典の概念的な用語に徹底してこだわった人です。一つ一つのカテゴリーを一言半句もおろそかにせず、徹底して読み下すということをやっている人で、『市民社会と社会主義』(岩波書店)の中で、自分は「範疇(カテゴリー)の鬼になる」のだ、と言っています。その平田さんが、フランスに留学して労働運動も含めた社会運動に接して、マルクスの古典の概念が労働運動の中によみがえっていることを発見します。
 先ほどの『経済学批判への方法叙説』の中で、マルクスの『経済学批判要綱』の社会的個人という概念の研究をしていますが、現実の市民社会というのは、たがいに排他的な関係に置かれたプライベートな個人が、私的な利益を追求する資本の運動を通して社会的共同的な関係を結ぶ、そういう社会である。
 具体的にいうと、企業の生産過程の中で勤労者諸個人は協業と分業を組織して共同的な関係を結ぶ。私的利益を追求する資本の運動の中で、行為事実的に生み出されるこの共同的社会的連関を、勤労諸個人自身が自覚的に制御する。
 これがアソシエーションとかコミュニズムのイメージになってくると思います。
 マルクスは『経済学批判要綱』の中で、この展開をさらに深めて、労働過程における社会過程化の進展を強調します。さらに労働過程がしだいに科学技術過程化する。そうすると、労働者の直接的労働が富の生産に果たす役割はどんどん小さくなっていって、一般的な知性が生産力の基礎になっていく。つまり、富の源泉が個々の直接的労働にあるということをやめて、資本主義の基盤が掘り崩されていく。そして、そういう社会的生産過程の最後に立ち現れるのは何かというと「社会的個人」だ、というふうにマルクスは言うわけです。
 資本の運動は私的個人から出発するのですが、その対極に、人々が行為事実的に生み出す共同的社会的な連関を自覚的に組織する社会的個人が出現する。そして平田さんは、この社会的個人がフランスの現実の社会闘争の中で生きていることを発見する。それが例えば労働者自主管理である、と。具体的にはリップという時計工場の労働者自主管理運動の中に、社会的個人という概念がよみがえっていることを確証するわけです。
 それから、フランスの場合、労働者自主管理運動は、企業の中の運動だけでなく、それを支援する社会勢力、例えばカトリックの司祭とかメディアとか政党とか、そういうものと絡み合ったかたちで社会闘争が展開されている。
 平田さんはマルクスの古典と社会闘争の現実を相互に見据えながら、『経済学批判の方法叙説』の最後のところで、非常に印象的な一節なのですが、「アムスへ行くのはやめよう」と言います。アムス(アムステルダム)はマルクスの『資本論』第3巻の原草稿が所蔵されている図書館がある所です。平田さんは、エンゲルスが編集した現行版ではなく、マルクスが直接書いたノート、原典に当たって資本論研究をやりたいと常々思っていました。日本では、もう亡くなりましたが、佐藤金三郎さんが『資本論』第3巻の原草稿の研究をやっています。平田さんは、本当はそれがやりたくて、パリに行ったついでにアムスへ寄ろうと思っていた。ところが、アムスへ行くのはやめよう、そういう文献研究をやるよりも、古典の概念が現実の経験の中に生きている証人を探すことのほうがもっと大切なことだ、それこそが自分の仕事だと悟ったわけです。
 これは古典の研究をやめるということではありません。古典が現実の経験の中でどうやって生きているのか、それを確かめるのが研究者としての自己の使命であると感得したのです。

社会をつくる運動としての生活クラブ
 平田さんはフランスで労働者自主管理運動のうちに発見したものを、日本の生活クラブの運動の中に読み取ったのだと思います。平田さんはおそらく、日本では労働運動よりもむしろ消費者協同組合とか生活協同組合の社会運動の中に、マルクスの「社会的個人」という概念の生き証人がいることを悟ったのです。
 遺稿集を編集する作業の中で、平田さんが生活クラブ生協のような市民運動をマルクス主義や社会主義との関連でどのように位置付けていたのかを示す興味深い原稿がみつかりましたので、ここに紹介させていただきます。
 平田さんは1973〜4年にパリのソルボンヌ大学で「現代日本におけるマルクス主義の諸問題」という題の講義をしています。
 フランスの学生や研究者に向けて、日本の社会主義やマルクス主義の運動が日本社会の中で占める位置や影響力について語っています。
 平田さんは、まず日本のマルクス主義が、学生運動の諸派、共産党・社会党などの政党、大学教授や作家などの知識人などに深く浸透して非常に強い影響力をもっていることを強調します。しかし同時に、マルクス主義の理念がそのような強い影響力をもちながら、現実の日本の社会を築き上げていく実質的な力を発揮しているかと言えば、まったくそうではない、政党においても、労働組合においても、学生運動においても、マルクス主義は社会をつき動かす理念として作用していないという弱さをもっていることを指摘します。
 革新政党は社会主義の理念を現実化する政策提言をおこなうよりも、自民党の内政・外交政策の反発をよりどころとして結集している。労働組合は労使協調型で、企業の経営に介入する姿勢も弱い。平田さんは常々マルクス主義が輸入思想であって、日本社会の日常生活における人々の経験に根づいた思想となっていないことを批判していましたが、この批判と密接にかかわる論点がここで出されていると思います。
 これに対して、平田さんが注目するのは、マルクス主義を知らずに、つまりマルクス主義の言葉でみずからの主張を語らずに、みずからの生活から出発した市民運動です。この市民運動としては、ベトナム反戦、基地反対などの反戦平和運動、公害反対運動、日照権、騒音防止、ごみ処理などの都市の住民運動、食品の安全や価格問題に取り組む消費者運動、革新自治体の運動などが挙げられています。これらの運動は、マルクス主義の思想も語らなければ、社会主義の理念を掲げることもない。しかし、日本窒素の水俣病を告発する運動、軍需関連企業のベトナム特需を批判するベ平連などの市民運動は、資本主義の私企業による私的利益の追求がもたらす公共性の侵犯を告発するという意味において、私企業の資本主義的本性に対するもっともラディカルな批判となっており、その意味で実質的な社会主義の運動となっている。平田さんはこう言います。しかも、これらの運動はマルクス主義を理念に掲げる学生運動、政党、労働組合よりもはるかに強靭な社会形成力を発揮している。
 こうして「日本における社会主義を問題にするとき、この社会主義的ならざる社会主義に注意することがきわめて重要であります」と、フランスの聴衆に向かって注意を喚起しています。平田さんが生活クラブ生協の運動に注目し、その交流をどれほど大切にしたかがこのフランスでの講義からもうかがえます。最初のところで言いましたように、マルクスの古典思想が日本の市民運動の経験のなかによみがえっていることを平田さんは感じ取ったのです。その意味において、生活クラブとの交流は、市民社会と社会主義を日本の社会形成の課題として生涯取り組んだ平田さんの経験と思想の根幹に触れる課題であったと言えます。

平田の商品批判と生活クラブの消費材
 生活クラブが掲げる理念のひとつに商品批判があります。岩根さんは、『新しい社会運動の四半世紀』の中で、生活クラブの運動を、「日本の資本主義が生み出す商品生産に対する批判であり、それに身をゆだねて生きている私たち自身の生活自体を見直す」運動である、と書かれています。また、商品の批判は、社会的・文化的なたたかいであって、通例の日常的意識の自己克服の過程そのものである、というふうに言っておられます。
 だから、商品批判というのは、狭い意味での生産過程だけの問題ではなくて、文化とか社会をどうつくっていくかという日常生活過程の問題なのです。ところが、経済学者に商品批判ということを話してもなかなか話が通じない、むしろ生活クラブで運動をやっている人の方がよく分かる、ということを、平田さんは言っています。
 そういう意味で、商品の批判というのは、人の生き方・意識の問題とか、社会総体のあり方とか、そういうものにかかわってくる問題だと思いますが、社会の総体的批判という意識が経済学の中では落とされてしまう。
 資本主義における技術革新がどのような方向で進められてきたかを例にとって、商品批判の意義を述べてみたいと思います。技術革新が何のためにおこなわれるかというと、通常は生産過程における労働の生産性を高めるためにおこなわれるというふうに考えがちで、多くの経済学者もそう考えていますが、フランスの経済学者J.アタリは、そうではなくて、資本主義が新しい商品の領域を社会に向けて拡大していくために技術革新が行われる、というふうに言っています。つまり、資本主義の技術革新は、商品に対する需要を創造するために推進されるのだ、と。資本主義は、技術革新によって人間関係とかコミュニケーションといったものを物に置き換えて、それを商品として販売する。そうするとそこに新しい需要が生まれ、新しい資本蓄積の領域が開拓される。アタリは、資本主義が、技術革新をやって人間関係を物に置き換え商品化して、消費者にとって新しい需要を創出するというかたちで発展してきた、というふうに資本主義の歴史を総括するわけです。−続く 



<アソシエーション・ミニフォーラム>東 京
「わたし発サロン」23区南生活クラブ 私たち子どもたちの将来
23区南生活クラブ生協 理事 森田 美和子



 23区南生活クラブ生協の「わたし発サロン」という組合員がさまざまなテーマで話し合う機会を支援する企画がきっかけで、今回『私たち子どもたちの将来』というテーマのもと、
@『BSE・GMO、日本の食品安全行政』
A『この国の子育て・教育問題』
B『医療と福祉・負担と給付』
C『新たなる戦前の兆し?〈共謀罪〉〈憲法改正〉』
 の4回連続サロンを開催しました。
 講師紹介等の協力をお願いするため、1回目と4回目は市民セクター政策機構のミニフォーラムのしくみを使わせていただきました。
 一つ一つについて、私たちが深く考える間もないままに、次々と国会にかけられ決められていく重要な法案を並べてみると、今後日本はどのような国を目指しているのかが、見えてくるような気がします。
 特に日本消費者連盟事務局の吉村氏に講師をお願いしたCの共謀罪は、生活・活動・国の将来の全てにかぶさってくる、とんでもないものだということを改めて知りました。
 現在私たちの社会で処罰の対象となっているのは、既に遂行された犯罪行為です(一部殺人など凶悪案件は未遂も対象)。多くの犯罪は、その準備や予備行為では処罰の対象になりません。実際何が準備や予備に当たるのかは、大変難しい問題で常に冤罪の可能性も孕んでいます。
 しかし、この共謀罪法案によれば、犯罪対象とならない「未遂」や「予備」、あるいは「準備」行為を飛び越えて、犯罪の相談と合意が処罰の対象となります。話し合い(2人以上)をした疑いの時点で検挙することができ、その証拠は「会話」です。そのため、捜査には盗聴が不可欠となります。共謀罪の対象犯罪の種類は620もあり、ほとんど私たちの生活全てが犯罪予備軍として監視対象とされます。
 国境を越える組織犯罪が対象だったはずですが、誰の何に適用するかは、それを判断する人(=警察・検察)の胸一つ。これが通れば、〈憲法改正反対〉など、当局の意向に沿わない活動や自由な発言はできません。情報も制限され、話すことができないということは、実際には「考える」ことも難しくなります。
 こんな危険な法案が出されているのに、多くの国民がそのことに対する危機感を真剣に持たないのはなぜでしょう?
 後で後悔しない為に、私たちの将来に関わるさまざまな法案にもっと関心を持ち、自分でも考え、家族や友人に伝え、投票行為に責任を持たなければならないと思います。共謀罪反対の署名活動や、「心配はしていても、どうすればよいか分からない」おおぜいの方を誘って、少人数でも、話し合ったり学習する機会をたくさん持ちたいと思いました。
参考web「共謀罪ってなんだ」:http://kyobo.syuriken.jp/ 

雑記帖 【古田 睦美】

 このところ千曲川流域学会たちあげのために奔走している。日本最大級の長さと緩やかさを誇る千曲川の汚染は、住民の生活の結果の凝縮ともいえる。本気で改善しようと思えば、地域社会を改造しなければならない。また、洪水などの災害が増加しているのは源流の山村が過疎となって森が荒れ、保水力のない針葉樹林から表土が一気に流出するようになったことも原因だ。死の森、腐った川底、魚の住めない海。この悪循環を断つには、源流から海に到る流域の住民が問題を共有し、共同管理を創る必要がある。
 だが、「環境保全」と「豊かな暮らし」はこれまでの常識では両立しない。マリア・ミース来日時、私が「江戸時代に戻りたいのか」とよく批判されますというと、彼女はドイツでは「石器時代に戻るのかと言われる」と動じず笑った。
 懐古趣味とは別に、胃袋を中心としてサブシステンスを考えている私としては、サンマは炭火で焼いた方がおいしいし、自家採取のこぼれ種菜園の安全な旬の野菜を風土にかなったやり方で食べると、偽りなく「豊かさ」を感じる。たまには炭火で料理できる時間を要求すること、博物館で保存するのではなく食べながら種と食文化を守ること、そうした豊かさの追求と環境保護は、きっと結びつくことができるとの思いがある。そんな新たな「豊かさ」をめざし流域住民が共同できる「下駄履き」学会を模索している。

市民セクター政策機構 〒156-0044 東京都世田谷区赤堤4-1-6赤堤館3F
e-mail:civil@prics.net tel:03-3325-7861 fax:03-3325-7955

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