月刊『社会運動』 No.322 2007.1.15


目次

<新春・巻頭論文>あしたをつくりつづける「生産する消費者」運動 加藤好一‥‥2
生活クラブ連合会、厚生労働省へ意見提出 「生協制度見直し検討会とりまとめ(案)」にたいする見解 ‥‥12
第2回フリーゾーン全国大会に寄せて GMOなんかいらない!ジョゼ・ボヴェインタビュウ コリン・コバヤシ‥‥15
第5回食糧政策研究会 民主党の農業政策とEUのWTO農業交渉戦略 篠原 孝‥‥19
第21回社会経済セミナー報告 食品リスク論の正体 BSE・遺伝子組み換え食品から見えるもの 福岡伸一‥‥34
食糧主権世界フォーラムにむけて 食糧主権の確立をめざして―農民・消費者の権利の確立を コリン・コバヤシ/ジョゼ・ボヴェ‥‥44
<食>の焦点M イチゴと日本農業 今野 聰‥‥47
コーデックス・バイオ特別部会報告
 「ストップ!GMO全国行動in千葉」におよそ400人 清水亮子‥‥49
 未承認GM食品の合法化が画策される 山浦康明‥‥53
埼玉ネット・統一地方選挙 ネットのやるべきことが見えてきた 加藤佳子/藤本敦子‥‥55
第15回社会的企業研究会報告 保険業法改正と共済制度 島田祥子‥‥62
2006年バックナンバー ‥‥66
雑記帖 宮崎 徹‥‥68


表紙からのメッセージ 写真家・桑原 史成
 宇井純さんが逝った。昨年11月11日、入退院を繰り返していた慈恵医大の病院で、動脈瘤の破裂が彼の命を奪った。74歳であった。昨年は水俣病事件の確認50年という節目の年でありながら発言もできないまま病床に身をゆだねなければならなかった。それに足尾鉱毒事件による谷中村の廃村から奇しくも100年という。これまた一つの節目となっていたが、歴史の舞台となった渡良瀬川の流域をも訪れることが叶わなかった。
 私は、1962年に宇井さんと知り合い、水俣には何度か同行したことがある。同年8月新日本窒素(現チッソ)の水俣工場付属病院で水俣病の原因が独自で研究されていることを知った。私は宇井さんに連れられて研究者(医師)に会い、実験のノートを撮影したことがある。それは2年余前のネコの実験400号を追試するデータであった。それを宇井さんが実名で発表したのは1968年出版の『公害の政治学』(三省堂)である。母校の東大で主宰した自主講座「公害原論」は宇井さんらしい生き方あった、と称えたい。



<新春巻頭論文>
あしたをつくりつづける「生産する消費者」運動
生活クラブ事業連合生活協同組合連合会 会長 加藤 好一


はじめに
 新年明けましておめでとうございます。
 生活クラブの歴史の中でもエポック(画期)をなすであろう2007年が明けました。どのようなエポックとしていきたいか? つらつら考えていることを「あしたをつくりつづける『生産する消費者』運動」と題して書き記してみたいと思います。
 昨年は「生活クラブ親生会」(以下、親生会)が設立されて30周年という記念すべき年でした。親生会とは、生活クラブの代表的な消費材の生産者が自主的につくった生産者団体で、現在は123社で構成されています。ちなみに現会長は4代目で兜ス田牧場社長の新田嘉七さんです。新田さんはこの1月1日付で会長になったばかりで、恐らく本稿がその情報を最も早く公にする特権を得ています。
 30周年を記念して作成された冊子で、親生会前会長で和高スパイス且ミ長の山田充さんは、「世間で言う“業者会”とはかなり異質な組織」だと言い、初代会長で現平田牧場会長の新田嘉一さんは、生活クラブと生産者の「対等互恵」を繰り返し強調しながら、「危機を共有し、提案する生産者組織へ」と訴えています。そして、「対等互恵」の基本は、「それぞれの思いを理解し、譲歩し、犠牲を払うことを合意すること」だとしています。
 今日の親生会は、とりわけ遺伝子組み換え食品の問題以降、加工食品の原材料対策から親生会生産者の指定原料化(例えば醤油を原料とするとき対策済みの生活クラブの醤油を使用する等)が進み、生産段階における横のネットワークを大きな特徴としています。山形県の親生会では、循環型農業のための資源循環のネットワークが築かれており、このように単なる「業者会」とは確かに異なる内実が、生産者相互の連携関係として今日多様に存在しています。
 昨年の11月22日、親生会結成30周年を記念する集いが水道橋のホテルで開かれました。親生会所属の生産者はもとより、生活クラブの組合員や役職員ら総勢600人が参加した集いでは、連合会前会長の河野さんをコーディネーターとする、生活クラブの代表的な消費材生産者数社のパネルディスカッションをメインに、それを受ける形で私が記念講演をさせていただきました。
 本誌編集部から依頼された本稿のテーマは「2007年方針」というものでしたが、この講演で消費材に関して若干課題に触れましたので、それを敷衍する形で以下編集部からの要請に応えてみようと思います。

1.消費材の「要件」と「揺籃期」の生活クラブ
 資料として生活クラブの設立から1990年代までの年表を作成してみました。(P4参照)時期区分の表現はある大学の先生によるもので、概ね妥当していると言えましょう。1965年の結成から1973年までの「揺籃期」。平田牧場の豚肉の産直が開始される1974年から70年代末までの「基礎確立期」。ワーカーズ・コレクティブや代理人運動など、「多軸重層型」の多様多彩な運動が噴出した80年代の「発展期」。それらの基礎の上に福祉などより地域に密着した運動が展開され活動の幅を広げた90年代の「成熟期」。
 ところで生活クラブでは、「商品」と言わずに「消費材」と言っています。河野さんはその消費材の要件を次の6点にまとめています。@使用価値を追求したもの。A生産者の再生産を保障する適正価格であること。B原材料、生産工程、流通、廃棄のすべての段階における情報の公開。C生活に「有用」であり、身体に「安全」であり、環境に「健全」であるもの。D生産者と消費者の対等互恵と相互理解と連帯の条件があること。E国内自給と自然循環の追求(世界の有限な食料・資源を横取りしたり、搾取することをせず、いま以上の「飢え」と地球資源の危機を拡大しないため)。
 しかしこのようにすっきりと語れるようになるまでには、消費材をつくりつづける様々な格闘がありました。年表によりながら今日の消費材政策に至る、節目として重要と思うものを拾い出してみましょう。
 まず1965年に生活クラブは東京世田谷の一角で牛乳の共同購入組織としてスタートします。生活クラブは材の本質を不断に追求し、商品としてあることに異議申し立てする意味で再開発しつづけることこそを共同購入運動の核心としていますが、後述するように牛乳はまさにその典型であり、生活クラブを象徴する材の一つです。牛乳を抜きにして生活クラブを語ることはできません。
 「揺籃期」において特筆すべきは、一つは牛乳に加えて鶏卵と米の産直がスタートしたことであり、「主要品目が牽引する共同購入」へのこだわりはこの時期からつづく生活クラブの特質です。二つは、1972年のオリジナルコープ第1号の信州みその開発です。これは今日からみて極めて重要な転換点になりました。
 私が1980年代初頭に配達担当していた頃は、まだ日生協のコープ商品の取り組みがわずかにありました。しかし今は一つもありません。のみならず今日生活クラブが取り組む消費材は、食品で言えば95%以上がいわゆるPB(プライベートブランド)品だといっても過言ではありません。1973年の第1次オイルショックによるモノ不足がこの流れを後押ししたという事情もあったにせよ、消費材をつくりつづける運動としての生活クラブ運動は、その後十数年でこのようなアイテム構成に行き着きます。信州みその開発はまさにそのスタートでした。

2.「基礎確立期」の重要性
 「基礎確立期」にすすみましょう。この時期において最も特筆されるべきことは何か? 私は1975年の「自主運営・自主管理」の方針化こそ、その後の生活クラブを決定づけた出来事だったと思います。そしてこの「自信」はその前年の豚肉の産直の実現によってもたらされたものであり、「自分で考え自分で行動する」ことが心地よいと思う人びとが大ぜいになることによって、80年代の「発展期」は必然となりました。
 経済評論家の内橋克人氏が「自覚的消費者」とおっしゃっています。内橋氏はその意味を、「商品を買うという行為の背景に、どのような社会の構造があって、どのような政治的な意志というものがあるかを考え、そしていま何が必要なのかがわかる。値段が安いにこしたことはないが、それがなぜ安いのかを問う判断力をもっている」と解説しています。私はこの言葉がとても好きなのですが、「自主運営・自主管理」の方針化こそ「自覚的消費者」を大ぜいにしていくことの運動宣言だったように思います。
 生活クラブ運動の2005年度実績の数字を紹介すると、ワーカーズ・コレクティブでは582事業体、そこで働くメンバー総数17,052人、総事業高120億円弱。福祉事業では従事者10,000人強、事業所数448、ケア総時間143万時間で総事業高83億円。代理人運動では地域ネット数110、会員総数9,000人、代理人数141人という内容です。これらはまさに、「自主運営・自主管理」を体得した人びとのなせる結果です。
 「基礎確立期」の話題に戻りましょう。親生会は「基礎確立期」の真っ只中の1977年に結成されましたが、同じこの年に生活クラブでは合成洗剤の取り扱いを中止します。それは合成洗剤とせっけんの並行取り組みと、組織内外の論争、説得と同意の積み重ねの末のことであり、せっけん利用者が組織内で多数派になることをもって生活クラブは合成洗剤を取り扱わない生協になったのです。レイドロー博士は『西暦2000年における協同組合』で次のように述べています。
 「もし世界が乏しい資源の中で歩まなければならないとすれば、消費者協同組合は経済性と倹約を強調することによって、脱工業化社会の気取りと浪費を放棄させるべきである。消費者が常に正しいとはかぎらない。消費者はぜいたく三昧や放縦を求める悪習や欲望から、しばしば保護されなければならない。豊かで、飽食の社会においては、消費者協同組合はいかに人目をひくような販売をしているかによって評価されるかもしれない。しかし、それほどぜいたくでない健全な社会にあっては、消費者協同組合は何を売らないかということによっても評価されよう。」
 生活クラブは、レイドロー博士が言う“売らない物”が数多くある生協であり、合成洗剤を取り扱わないことはその象徴ですが、しかしそれは論争と活動の蓄積によるものでした。この合成洗剤の取り組み中止に至るプロセスと組織ダイナミズムはとても大切なことであり、民主的決定のお手本です。この点に今日学ぶべきことがとても多いように思います。
 ところで、日本の生協の多くは、昨今「産直」比率を大きく低下させてきています。しかしこれまでの日本の生協の生産現場に接近しようとする姿勢は、日本の生協の特徴だったように思います。
 3年前に欧州協同組合の視察を行ない、あるイタリアの生協を訪問しました。そこでその生協の理事長と生協の役割について意見交換する機会を得ました。彼いわく、生協は「消費者視点」をもっぱらとし(生産者視点を考慮しない)生産者に品質・規格を要求すればいいのであって、生協が生産に関わるなどあるべき姿ではない。日生協は昨今このような姿勢を強めていますが、消費材をつくりつづける生活クラブの観点からして、私はその考えを全く異にする他ないと考えています。
 私が生活クラブの主張のうちで最も好きなのが「生産する消費者」ということです。生活クラブはこの言葉のままに、1978年に生協設立10周年の記念事業として千葉県に牛乳工場を、北海道に肉牛牧場を自らつくるまでにその志向を強め徹底します。あのイタリアの理事長には思いもよらないチャレンジのはずです。しかし生活クラブの消費材をつくりつづける運動はここで大きく飛躍し、生産を自らの実践課題とするまでになったのです。

3.時代と力量を前提としてつくりつづける
 以上のように、今日ある生活クラブ消費材の基本的特質(要件)は、ほぼ「基礎確立期」の試行錯誤で方向づけられました。消費材をつくりつづける運動は、一つひとつ自分たちの納得する材をわがものとしていくことであると同時に、一旦つくり上げた材でもその時々の課題や問題意識に基づき、自分たちのもてる力量の範囲で消費材をつくり変えつづける運動でもあります。このことはすべての材についていえますが、これを象徴材の牛乳を通して確認しておきたいと思います。
 生活クラブの本ものの牛乳を求める取り組みは、「生産する消費者」としての自前の牛乳工場建設で第2期を迎えます。成分無調整の牛乳を自分たちの工場でつくる。自分たちの工場であるからには、情報の公開性は徹底されます。牛種から飼料や飼い方、乳質・乳成分、製造原価等々その情報開示するレベルは自前の工場ならではのものになります。生活クラブは牛乳をまずこのようにわがものとします。
 本ものの牛乳を求める第3期は、1988年の殺菌温度の変更です。なにが牛乳にふさわしい殺菌温度かの社会的論争があるなかで、生活クラブはパスチャライズド化(72℃15秒殺菌/HTST殺菌)を選択しました。日本で当たり前の超高温(UHT)殺菌(例えば130℃2秒)の牛乳は人に害ある菌のみならず有用な成分まで破壊してしまう。だから有用な成分の破壊を最小にする殺菌法の選択が必要だ。こうしてパスチャライズド化に踏み切るのです。
 しかしこの殺菌法の選択は殺菌率という問題と付き合わざるをえません。UHT殺菌は滅菌状態を結果するのでよほどひどい状態におかない限り短時間で腐ることはありませんが、HTSTはUHTよりは殺菌率が悪く扱いにはより神経質にならざるをえません。生活クラブで「腐る牛乳こそ本もの」と極論するのはこのことです。これを裏返して言えば、HTST殺菌の選択とは、健康に育てられた乳牛から一般の乳質基準を大幅にクリアーするような良質な原乳をしぼり使用することを不可欠とし、このように生産してくれる酪農家群あってこそそれは可能となる。この当たり前のことを当たり前に学び実践することこそがパスチャライズド化の最大の課題でした。
 本ものの牛乳を求める第4期の挑戦は飼料問題です。今日NON-GMO(遺伝子組み換え作物不使用)飼料が生活クラブで実現できているのは、この第4期の挑戦によるIPハンドリング(区分管理)されたポスト・ハーベスト・フリー(PHF/収穫後農薬不使用)のコーン・プログラムが予め用意されていたからこそのことです。90年代初頭、全農の5万トンの船をベニヤ板で仕切って3,000トン(現在は10万トンレベルに拡大)を輸入するという、非常識極まりない挑戦から始まったこの取り組みは、本ものの牛乳を求める課題の中にありました。
 本ものの牛乳を求める第5期の挑戦は容器問題です。地球に優しい容器は紙パックよりはリユースするびん容器ではないか? しかも軽量で持ちやすく液だれをも防止するようなびん容器がいい。こうして既成のものでは満足できずに、びん容器までも製びんメーカーと共同開発したのです。
 このように、自分たちの力量の範囲で最大限に時々の課題に挑戦する消費材づくり。「つくる」ことへの飽くことなき挑戦。これこそ生活クラブ運動の核心であり真骨頂なのです。
4.複雑化・高度化・国際化する「食」「環境」問題
 私が生活クラブ・神奈川から連合会の計画部長(現在の開発部長)として出向になったのは、1996年のことです。とにかくこの年は、「食」に関わる事件や出来事が、いやと言いたくなるほどに数多く起こった年でした。
 年表の「国内外の主な出来事」の1996年を見てください。まず3月にイギリス政府が10年程前から欧州で発生していたBSE(狂牛病)が人間にも感染すると発表し、日本でも第1次BSEパニックが起きます。その直後、全酪連(当時)のいわゆる「水増し牛乳事件」が起き、一次産品の価格破壊の問題が垣間見えるなか、「細菌の逆襲」と言われたO-157の問題が発生します。そして8月、厚生省(当時)が遺伝子組み換え食品の国内流通を可とします。その頃アメリカでは『奪われし未来』が刊行されます。この本は翌年日本語訳され社会的関心事となる環境ホルモン問題の走りとなるものでした。
 このように残留農薬や食品添加物を中心とした「食」の問題は、ここにきて一気に複雑化・高度化・国際化することになりました。当然、生活クラブとしてはこれらの問題すべてに迅速かつ果敢にチャレンジし、その成果はどこにも例がないほどのレベルにあると自負しています。
 ちなみに遺伝子組み換え食品の課題を例に取れば、現在は対象となる食品の85.7%が対策済み(2006年3月現在)となっています。しかも課題として残っているのは酸化防止剤のビタミンEやビタミンC、あるいは香料の抽出に使用されるアルコールなど特定の微量副原料に限定されています。畜産飼料もほぼ対策は終了しており、新たな課題としてあるアルファルファもNON-GMOが貫ける見通しです
 この到達度は私の想像をはるかに越えるものです。これを可能にしたのはもちろん組合員の強い願いがあってこそのことですが、その願いに真摯に向き合ってくれた生産者の知恵と努力なくして不可能であり、このような個々の生産者の努力を親生会も力強く後押ししてくれました。あらためて感謝申し上げたいと思います。
 もう一つ、これを可能にさせた重要な要件があります。それは当連合会元専務である椎名公三さんのひたむきさと執念です。複雑化・高度化・国際化する「食」「環境」問題への、今日のこれほどまでの生活クラブの対応力は、椎名さんあって可能となったと私は思っています。
 先のPHFコーンのプログラム開発、牛乳びん容器開発は椎名さんの仕事です。生活クラブのグリーンシステム(びん容器回収システム)の定着と他生協への拡大。環境ホルモン物質であるビスフェノールAを原料とするエポキシ樹脂(内面塗料)の缶容器からの排除。有害な添加物を使用しない無添加追求フィルム(包材)の開発。これらも椎名さんの仕事です。特に遺伝子組み換え食品の原料対策の際に、国の専売であるアルコールでNON-GMOのものを探しぬいたあの執念には脱帽です。
 その椎名さんは昨年生活クラブグループから定年退職しました。椎名さんのひたむきさと執念に学びつつ、今後とも消費材をつくりつづける運動をすすめていくことを誓うことをもって、感謝の言葉とします。

5.再確認すべき共同購入の基本
 さて、これまでの生活クラブの消費材づくり運動の一部を、私なりの評価で書き進めてきました。さらにこれを推し進めていく場合に、忘れてはならない共同購入の基本がいくつかあるように思います。思いつくままに列挙してみましょう。
(1)「素性の確かな消費材を適正な価格で」
 多くの生協や量販店が「より良いものをより安く」を基本とするなかで、生活クラブは40年来「素性の確かな消費材を適正な価格で」を共同購入の基本としてきました。この意味を徹底して共有しあっていくことが何より大切なことです。
 私は、「より良いものをより安く」は、販売対象となる「客」を想定しがちになる、あるいはその恐れなしとは思えないのです。しかし「素性の確かな消費材を適正な価格で」という場合、素性を確かめる、あるいは適正な価格かどうかを判断する「主体としての組合員」を常に想定するものです。「自主運営・自主管理」で確認したように、内橋氏の言う「自覚的消費者」を大ぜいにしていこうとする運動として共同購入があることが、あらためて確認されるべきです。

(2)組織購入としての共同購入
 ある組合員リーダーから最近こんなメールが送られてきました。他生協と生活クラブの決定的な相違点は「中間リーダーの存在」であり、生活クラブでもこれらの組合員が「おもしろがって、自信をもって、拡大・利用を進めることができなければ」、生活クラブらしさを喪失してしまう。「中間リーダーの同意形成」こそがすべてのキーだとこのメールは訴えており、そのための議論と情報はとても重要なのです。
 このような組織構造を前提とする共同購入のあり方を、私は全くこなれてない表現ですが「組織購入としての共同購入」と言ってきました。私も生活クラブの組織活力や組合員の平均利用額のレベルは、これらの組合員によって担保されてきたと常々考えてきました。だからこのメールには同感です。「主体としての組合員」の関わりが活発になるなら、活動を担う人びとも大ぜいになり厚みを増してくるのは当然のことです。このように「自主運営・自主管理」と「組織購入」は表裏一体です。

(3)主要品目が牽引する生活クラブ共同購入
 このことの重要性についてはすでに繰り返し語ってきました。そのポイントは利用人員率を維持する課題としてあることが一つ。もう一つは、その時々の「商品」としてある一次産品のあり方に異議申し立てしながら、生活クラブとしての対案を対置しつづける=消費材をつくりつづけることです。そして、常にそのための政策論議が口角泡を飛ばす状態としてあるような組織としてありつづけること。このようにしてこのテーマを前二つの課題にリンクさせながら不断のテーマとしていくべきことも、あらためて確認されるべきです。

(4)購買力の結集こそがすべての基本
 消費材の今日までの到達点(品質・規格)や各種の消費材基準は、生活クラブ組合員の利用結集する力が実現させてきたものです。利用結集するその時々の力量の相関として品質・規格や基準があるのです。結集された購買力のレベルがその材の品質・規格、あるいは各種消費材基準の内容を規定するのです。この当たり前の事実・前提を再確認し、かつ時代時代の問題解決すべき課題の優先順位を明確にしながら、今後とも共同購入運動と事業を生産者と共に進めていきます。

6.当面の重点課題
 以上の「共同購入の基本」を再確認しながら、消費材をつくりつづけていくための当面の重点課題について触れておきたいと思います。

(1)複雑化・高度化・国際化する「食」「環境」問題へのさらなる挑戦
 遺伝子組み換え食品、環境ホルモン、BSE等の問題に対する対応を引き続き推進します。とりわけ遺伝子組み換え作物に関し、NON-GMOに区分管理された米国からの畜産飼料の調達が厳しさを増しており、近い将来それが不可能になるという観測まであります。とにかく従来の発想にとらわれることのない、国内自給力の向上にむけたシステムづくりが必要になっています。
 このとても荷の重い課題に、関係者全体の知恵と力を結集して問題解決に努める必要があります。私は特に全農グループのみなさんに、そのための創意工夫とシステムづくりを期待します。こんなことができるのは、日本では全農をおいてほかにないからです。
 並行して、私たちは私たちで、輸入飼料依存型の畜産・酪農から一歩ずつでも脱却していく試行錯誤も必要です。さらに、遺伝子組み換え食品への異議申し立ては、新たな問題のGM動物、懸案である私たちが求める義務表示制度の実現など、飼料問題を含めて問題は山積しています。しかし生活クラブは、対抗システムといまとは異なる生産のあり方を模索しながら、NON-GMOの姿勢を堅持していきます。

(2)「食料の自主管理システム」(奪い・奪われない食のあり方)づくり
 今後予測される世界的な人口増(飽食と飢餓の進行)、地球環境の悪化、中国・インド等の経済成長とエネルギー情勢の変化(原油高)による世界的な食料需給構造の不安定化の問題が重くのしかかってきています。一方、国内の農業問題も深刻の度を増し混迷しています。
 こうしたなかで、「食料の自主管理システム」(奪い・奪われない食のあり方)を築いていくことがますます大切になってきています。この観点から徹底して食料問題に向き合う生協として、本誌314号(2006年5月号)の「農業情勢の転換と共同購入の課題」で問題提起させていただいたような運動と事業をさらに推進していきます。

(3)ライフステージを考慮した消費材づくり
 今日、生協組合員の年齢構成は30代から70代まで幅広く、そのライフステージは多様化しています。かつ地域的にも生活クラブは北海道から愛知県までの広がりがあります。しかし一方で、供給システム上、あるいは生活クラブとしてできる力量の範囲として、画一的・制限的に対応せざるをえない制約が厳然とあります。
 この矛盾に対し、制約を前提としつつどう対応していくかの知恵と努力が求められ、いままで以上に試行錯誤を強めていきます。

(4)生活用品の提案力強化
 ここ数年、生活クラブの供給高実績で事業伸長率的に最も伸びている部門は、生活クラブで季節品と言っている雑貨・衣料品等の生活用品です。組合員の要求の多様化はこのような面でも表われています。
 このような状況の中で、この部門でも生活クラブ「らしさ」を貫いていくために、提携生産者のみなさんにより以上に生活クラブを理解していただきながら、材のPB化の追求なども念頭におきつつ部門強化を図りたいと考えます。

(5)六ヶ所再処理工場問題への対応
 生活クラブ連合会は、昨年11月の理事会において、青森県の六ヶ所再処理工場の問題に対応していくことを決定しました。この再処理工場は普通の原子力発電所が1年間に放出する放射能量を1日で放出するといわれ、それが及ぼす影響が懸念されます。生活クラブではチェルノブイリ原発事故を契機に食品の放射能検査を継続してきましたが、この再処理工場問題への対応から農産物、水産物の重点検査範囲を設定し検査していきます。
 あわせて、この問題を日本の「食」を脅かす重大かつ緊急に対処すべき問題として、グループレベルでの新たな共通運動課題として位置づけたいと考えています。ただし、関係する生産者への風評被害の影響等も懸念されることから、十分にコミュニケーションをとりながら実行していきます。−続く


厚生労働省「生協制度見直し検討会とりまとめ(案)」に対する見解
生活クラブ連合会、厚生労働省に意見提出


 厚生労働省では、2006年7月より生協規制見直し検討会を開催し、11月29日「生協制度見直し検討会とりまとめ(案)」を発表し、意見募集(パブリックコメント)を行い、12月12日に締め切りました。「生協制度見直し検討会とりまとめ(案)」では、共済と本体事業の兼業規制、県域規制の緩和、連合会会員の1会員の出資口数限度の撤廃、行政庁の解散命令の強化などが実務的に提案されています。
 しかし、生協も含め、協同組合の社会的価値や役割についての本質的な議論が充分に行われずに、今回のような実務的な改定だけが先行されていくならば、社会からは、生協側が営利企業と同一条件の下で競争を行うことを求めているのだ、と見られかねず、生協・協同組合の公共性や非営利性に対する社会の認知や理解を損ないかねません。生活クラブ連合会では、2006年12月12日の連合理事会にて、生協・協同組合が今後どのような社会的役割を果たすべきかの検討こそ必要であること。そして共済と本体事業の兼業規制、連合会会員の1会員の出資口数限度の撤廃、行政庁による解散命令の強化について、いずれも反対の意見を表明した見解を以下のようにとりまとめ、厚生労働省に提出しました。今、まさに、生協のみならず協同組合全体の存在意義が問われているのです。ここに、その全文を掲載します(編集部)

厚生労働省 「生協制度見直し検討会とりまとめ(案)」に対する見解
2006年12月12日
生活クラブ事業連合生活協同組合連合会理事会

1.全般的評価
 1948年7月の生協法制定以来約60年近くが経ち、社会状況も立法時とは大きく異なる今日、生協法の抜本的な改正の必要性があります。しかし、今回の具体的な生協制度見直し案は、協同組合の社会的価値や役割についての本質的な議論が充分に行われたとは思えません。このままでは、生協を営利企業と同一視する風潮に拍車をかける結果になり、大変に憂慮します。生協・協同組合の非営利性や公共性に対する社会の認知を広げ社会的存在価値を高めることが先決であり、国連ほかの国際機関の決議・勧告にそった慎重な検討を望みます。
 特に、この間、ICA(国際協同組合同盟)はを初め、国連、ILO(国際労働機関)と立て続けに、協同組合が世界的な課題である貧困・失業や社会的な排除に対して、社会開発の重要な役割を果たすことを位置づけ、各国政府に協同組合の促進・支援が求められているのはご承知のことです。
 まず、ICA、1995年マンチェスター大会において採択した「協同組合のアイデンティティに関する声明」の中で、有名な「コミュニティへの関与:協同組合は、組合員が承認した政策を通じて、自分たちのコミュニティの持続可能な発展のために活動する」を宣言しています。次に、国際連合は2001年12月19日、国連第56回総会において「社会開発における協同組合」決議を行いました。その中で、「(総会は)さまざまな形の協同組合が、女性や若年者、高齢者、障害者等あらゆる人々による経済・社会開発への最大可能な参加を促進し、また経済・社会開発における主要な要素になりつつあることを認識し」ているとして、多様な協同組合の促進を決議しています。さらに、ILOは、2002年6月20日第90回総会において「協同組合の振興に関する勧告」を採択しています。その中で、ILOは、「発展水準に関わりなく、あらゆる国において、協同組合の潜在力を促進するための措置を採用」すべきであること。また、「均衡のとれた社会は、強力な公共セクターや民間セクターと同様に、強力な協同組合、共済組合、その他の社会的セクターおよび非政府セクターを必要とする」、そして「協同組合は、国内法と慣行に則り、他の形態の企業および社会団体に認められているよりも不利ではない条件において処遇されるべきである。政府は、適切な場合、雇用促進や、不利な立場にある集団ないし地域の利益となる活動の発展といった、特別の社会政策および公共政策の結果をもたらす協同組合の活動のための支援措置を導入すべきである。かかる措置には、とりわけ、また可能な限り、税制上の優遇や貸付金、補助金、公共事業計画へのアクセス、ならびに特別の政府調達の規定を含むことができる。」と勧告していることは周知の通りです。
 今回の生協制度見直し検討会の論議が、我が国においても、これらの国際機関が各国政府に求めてきた協同組合促進に関する「統一的な政策」づくりと、生協法をはじめとした協同組合法制全体の抜本的見直しの検討や法制度の整備作業を促し、それに基づく多様な協同組合の創出による市民へのエンパワーメントや地域再生につながることを強く期待します。
  なお、今回、共済と本体事業の兼業規制、県域規制の緩和、連合会会員の1会員の出資口数限度の撤廃などが実務的に提案されています。今後、もし、生協も含め、協同組合の社会的価値や役割についての本質的な議論が充分に行われずに、今回のような実務的な改定だけが先行されていくならば、社会からは、生協側が営利企業と同一の条件の下で競争を行うことを求めているのだ、と見られかねません。このことへの注意を怠れば、生協・協同組合の公共性や非営利性に対する社会の認知や理解を損ない、生協・協同組合の社会的存在価値の否定や税率の優遇措置の撤廃等にもつながりかねず、慎重な検討が必要です。

2.共済事業と生協本体の購買事業の兼業禁止について
 共済事業と生協本体の購買事業の兼業禁止については反対です。そもそも「共済」とは生協や協同組合等の特定の集団の構成員が掛け金を出し合い、病気や事故の際には共済金を出し、相互に扶助しあう非営利の仕組みです。不特定多数を対象とした営利目的の「保険」とは根本的に異なるものです。そして、生活協同組合は、地域に暮らす人々が、より安全で安心できる豊かなくらしづくりのためにお互いに労力やお金を出し合い、相互にたすけあい、協力し合い、食品などの生活材を共同で購入する購買事業と、掛け金を出し合い不慮に備える共済事業を二つの主要な柱とする相互扶助を目的とした非営利組織として発展してきました。この意味で「共済」はまさに生活協同組合の本旨である相互扶助の活動・事業の根本をなす活動・事業です。しかるに、この共済事業と購買事業の兼業を生協に対して禁止するということは、生活協同組合の本質ならびに存立の基盤そのものを損なわせ、生協それ自体の活動・事業を著しく後退、衰退させることにつながりかねないものであり、反対します。
 なお、この生協本体の事業と共済事業の兼業禁止に関連して、地域やサークルといった小規模な「自主共済」(いわゆる「無認可共済」)は、2006年9月30日までに「特定保険業者」としての届け出を出すことが求められ、また小額短期保険業者になるためには千万円単位の出資金や供託金などが必要だとも言われており、このような「規制強化」によって小規模で自主的な共済の多くが今日存続できなくなっています。それは、認可されていると否とに関わらず、相互のたすけあいという共済、協同組合という人々の考え方や活動そのものを規制していく動きです。これは他人事ではない由々しい事態であるといわざるを得ず、ここに付記します。

3.「連合会会員の1会員の出資口数の限度を2分の1とする規制を撤廃」することについて
 この提案は、「経済事業を行う連合会の経営安定」を目的とするものとし、「組合員一人一票制という原則は変わりない」として提案されています。
 しかし、この改定が成されれば、連合会を形成し、その出資金総額の2分の1以上を1単位生協として拠出できる資金力を持つ生協があれば、当該連合会のすべての決定をたった一つの単位生協が左右できることになります。そうなれば、連合会における単位生協主権の原則が崩れることになります。それだけでなく、その大きな単位生協以外の中小規模の単位生協団体およびその構成組合員には事実上民主的コントロールの権利が保証されず、「連合団体における少数意見の無視や軽視」につながります。これは、まさに、協同組合の一人一票の民主制原則の形骸化であり、大幅な後退であるといわなければなりません。このような協同組合の本質を自己否定していくことは、ひいては協同組合の「信頼の危機」「思想の危機」につながるものと言わなければならず、深く憂慮されます。また、この提案は、突然に提案されたものであり、充分な議論がなされていません。さらに、なぜこの提案が「連合会の経営安定」を担保するのか理由が不明です。より慎重な討議が必要です。したがって、あまりにも問題が多く、反対です。

4.組織・運営規定に関して
 行政庁による解散命令の強化は、まさしく生協への「規制強化」に他なりません。それは、非営利・営利を問わず民間の自由且つ自発的な活動を促進することによって社会の活性化を促すという時代や世界の流れに逆行するものといわざるを得ません。「行政が措置命令をだしたにもかかわらず、これに従わないときは」すべて解散命令が出せるとすることはあまりにも行過ぎた規制強化であり、なぜ今回そのような規制強化の提案が生協に対して出される必要があるのか、その理由も不明であり、大変に理解に苦しむところです。再検討が必要であり、反対します。
以上 


第2回GMOフリーゾーン全国集会に寄せて
GMOなんかいらない!―フランスから実験圃場を一掃した引き抜き闘争―
ジョゼ・ボヴェ 聞き手:コリン・コバヤシ



 1997年から始まったフランスのGMO反対運動は、とりわけ、3年前から一段と激しさを増し、GMO(遺伝子組み換え作物)の実験栽培場の不法引き抜き闘争を市民、農民たちが一体となって、取り組んできました。これはジョゼ・ボヴェの主張する市民的不服従運動です。今年、フランス上院でGMO関連法案の審議があった3月21日に、上院のあるリュクサンブール公園でピクニック・デモを行い、国会議員も巻き込みました。4月8日にはパリ二区の区役所を会場に、反対集会を催し、世界各国とのヴィデオ・コンフェランスも企画されました。
 さて、今日10月30日、そのフランスの運動の牽引役であり、大統領選などにも絡んで超多忙なジョゼ・ボヴェさんに、パリの国鉄リヨン駅で待ち合わせて、話を伺いました。(コリン・コバヤシ)

―――ジョゼ・ボヴェさん、こんにちは。
ここ数年、ボヴェさんたちがかかわっているGMO反対運動の闘いはより激しさを増し、たいへん重要なところにさしかかっていると思います。この闘いの政治的課題は、国内のみならず、ヨーロッパレベルでも、また国際レベルでもあると思いますが、まず、フランスの状況からお話しいただけますか。
ジョゼ・ボヴェ:フランスでは、我々はGMO反対運動を1997年からやっています。もうじき10年になろうとしています。この闘争は、WTO(世界貿易機関)によって、アメリカからのGMO種子と作物を受け入れねばならない事態に端を発しています。ですから、最初の闘いは、この輸入にストップをかけることと、種子の受け入れを拒否することだったのです。最初の取り組みは貯蔵されていた種子を破壊することだった、その闘いはGMO種子で大成長と目論んでいた多国籍企業を完全に阻みました。それがすでに1998年のことでした。
 以来、我々は運動を拡大強化し、それからまず、国内でGMO種子を売りつけようとし、実験をしながらその新種の認定を望んでいた多国籍企業モンサント、リマグラン、パイオニアに反対運動を展開しました。彼らは国内で実験を行い、国定種子認定リストに新種を掲載させたかったのです。そのため、2003年まで非常に重要な闘いを、労働組合として、他の運動体とともに展開しました。
 しかし、それだけでは充分ではなかったことがわかりました。それで2003年以降、運動をより広げ、多くの市民の人たちと市民的不服従運動をやりました。とくに自主的刈り込み希望者を募集し、今日では実行すると署名し誓約した人たちが6300人もいます。彼らは、顔をかくさず白昼堂々とおこない、自分の行為に責任をとろうという市民たちで、彼らが実験圃場にいって実行したのです。2003年以来、我々は闘いを強化し、今年2006年の夏も、オープン圃場で実験されているGMO作物の70%ほどを引き抜きました。
 その闘いは非常に重要な成果をもたらしました。仏最大のGMO種子製造会社リマグランは、このような状況の中では、これ以上実験を継続するのは無理だと判断し、欧州内での実験を取りやめ、インドに行くと発表しましたが、我々はすでにインドの環境派の農民仲間に連絡を取り、彼らはこの多国籍企業の動きを追跡しています。
 フランスにおいての実験に関しては、まったく停止状態で、今、ほとんど挑戦的な実験は不可能です。しかし、今年はまたはじめて商業用のGMOトウモロコシを畑に蒔こうとしたアグリビジネスの会社を攻めました。この夏は、初めて、スペインで商業的に売られる予定だったGMOトウモロコシの畑を引き抜きました。こうしたいくつかの引き抜き闘争によって、フランス人の問題意識を目覚めさせることに成功しました。なぜなら最近の世論調査で85%のフランス人がGMOに反対していることがわかったからです。つまり国内的にはきわめて力強い反対勢力が定着しました。
 欧州レベルでいうと、我々の闘いは他の国と合流します。欧州では多くの国がGMOを受け入れています。例えば、私が思い浮かべるのはポーランド、ハンガリー、ギリシャ、イタリア、オーストリアなど、これらすべての国で、皆重要な闘いになっています。しかし、欧州の過半数がGMOに反対なのです。工業的農業を行わせたいヨーロッパ連合の意志にもかかわらずです。ヨーロッパレベルでは、非常に広範囲に運動が広がってきていて、連絡調整委員会ができ発展しています。
 三つ目、国際レベルにおいては、国際農民組織<ヴィア・カンペシーナ>をはじめ、他の環境派市民団体などとともに調整して、南米やアジア、アフリカ、欧州での闘いで全体的な運動の統一を図っています。西アフリカの抵抗運動は発展していますし、インドではとても強い反対運動があり、南米ではいくつかの国がGMOを禁止しようとしています。このように世界的に運動が広がってきてますます強いものになってきているので、モンサント社のような企業でも、GMOを押しつけられなくなってきています。皆さんが知っておいてほしいのは、世界全体の耕作可能面積からみれば、1%以下しかGMOが作られていないということです。実際には彼らが期待したほどには、GMOは開発されていない、ということです。いくつかの作物を別にすれば、あきらかに、GMO関連企業はちっとも発展できていないのです。ですから、今、まさに、反対運動を幅広く強化するべきときで、社会的に、消費者、農民、研究者として、あらゆる市民が、もたらされる結果については誰もわからないこの狂気のテクノロジーを拒否するために、この運動に関わることが必要です。企業にとっては、農民が買わざるを得ない種子を作り、それらに特許を取ることだけが関心事なのです。このことが、我々を最後の闘いに導いているわけで、つまり、国際的なレベル、とりわけWTOと突き当たることになり、我々はWTOを生物特許の論理から引き離さないとなりません。今日のGMO問題は、まさに生物に特許を与えるということです。最後の闘いは生物に特許ということを止めさせることで、それを止めさせることができれば、GMOもなくなるでしょう。
−続く 


第5回食糧政策研究会
民主党の農業政策とEUのWTO農業交渉戦略
衆議院議員 篠原 孝


1.民主党政権誕生のカギは農政にあり!
 今回、リクエストしていただいたタイトルは「民主党の農業政策とEUのWTO農業戦略」ということです。後半のEUのWTOの農業戦略というのは、私が農林水産省の現役時代はずっとこういうものに携わっていたわけですが、今は野党議員ですのでダイレクトにはタッチしておりません。ただ、いろいろな資料がありますので、EUに関わる部分をレジュメとしてまいりました。
 大河原雅子さんに今度東京の参議院選挙の地方区で出ていただくことになっておりますが、民主党は長らく都市政党ということで、菅さんも鳩山さんもほとんどの方々は都市出身者で、民主党は都市でどんどん議席を伸ばしていけば政権を取れるんだということでやっていたと思います。でも、民主党で唯一の総理経験者の羽田孜さんは、そんな馬鹿なことはできるはずがない、都市だけでは、これ以上議席を伸ばすことはできない、それよりも弱い農村部で議席を増やさなければいけないとおっしゃっておられました。
 それで、私は農林水産省の役員を30年やっていたのですが、11年ぐらい前から長野1区で選挙に出ろと言われまして、民主党に入って民主党の政権取りに協力してくれと言われました。
 私は真面目な役人でしたから全く応じていなかったわけですが、脇が甘かったのか、3年前に突然選挙に出ることになり、今、こういうことをやらさせていただいております。
 民主党の農業政策は、ほとんど無いに等しかったと思います。しかし、それが変わるきっかけは生活クラブ連合会の前のトップの河野さんと10代の後半からのお友達だという現在の菅代表代行だったようです。菅さんは2年前の1月の党大会で大演説をしました。
 演説の1ページ目に「経済財政農業政策」というのが出てくるんです。経済財政の次に農業政策というのが出てくるなんていうことはあり得ない話なんですが、その後ろに英語のターニングポイントというのが付いている。何かと思ったら、これは誰でも言うことですが、大量生産・大量消費・大量流通の社会は駄目なんだ、江戸時代のほうがよかったのではないか、シンプルライフ、スローライフ、地産地消等々が出てまいりまして、びっくり仰天する言葉が出てくる。
 そして結論は、ここではじめて政権戦略を示したわけですが、日本という国は中央集権国家体制になってから駄目になったのではないか。江戸時代は地方分権で、農業も栄えたし、戦争もなかった。だから、江戸時代のような生活に戻ったほうがいいんじゃないか。地産地消で日本で出来たものを食べ、日本で出来た材木で家を建て、農山漁村を子育てに適した地域として復活させるということを政権を取ったらやる、と掲げたのです。そして農業政策を立てたわけです。
 菅さんはやりはじめたらしつこかったです。週末ごとに農山漁村を行脚しておりました。私は第1日目から一緒に行きました。私のところに電話がかかってきて、農山漁村行脚をするのでついてきてくれというわけです。お金はないですから、国会議員で行くのは菅代表と私だけです。15人ぐらいの野党番記者が付いていくというので、菅さんは2004年に4か月ばかり毎週出掛けました。
 「農林漁業再生運動本部」で「農業再生プラン」というのを作って、それを参議院選挙用に配りました。一人区の勝負として、当時の小沢代表代行、岡田代表も一人区しか行きませんでした。それで1人区で非自民13(民主党9)勝14敗でした。小泉真紀子フィーバーの3年前は非自民2(民主党0)勝25敗でした。それがこれだけ勝って国政選挙で初めて50対49で民主党が上回ったのです。これは田舎における善戦がもたらしたものです。
 そういうわけで、今、民主党は都市政党ではありません。選挙区の出身地を考えたら自民党以上に農村政党になっているのが民主党です。大都市圏はめちゃめちゃでした。東京圏・大阪圏の小選挙区当選を見ると、東京の小選挙区で当選したのは菅直人だけです。神奈川は13人いた議員が2人になりました。東京・大阪は45勝っていたのが7だけになったのです。
 私は2期生議員ですが、私の同僚議員が60人いましたが、30人落ちました。
 なぜそうなったのでしょう。都市部が小泉劇場で全滅したということなのです。羽田さんは僕にこう言ったのです。「君に入ってもらわないと駄目なんだ。民主党は政権が取れても都市部の連中ばかりだとすぐ落とされてしまう。そうすると政権が短くてまた細川と俺とやった政権になってしまう」。
 ご自分は史上最短の内閣だったわけです。非自民が1年もたなかった。それでは政権交代の意味がない。政権を取っても、都市部の人たちだけでは不満層が多くてすぐ離れて、批判票になって、それで駄目になってしまう。田舎の人たちはそんなに浮気っぽくないからちゃんと支持してくれる。だから、そういう議員を多く持っていないと政権交代になってしまうとおっしゃったのです。 民主党は農業政策をやっているのかと言う人もいますが、実は田舎では知られておりまして、民主党がちゃんとやりはじめたということは、菅さんの功績の一つですが、田舎ではみんな承知していることです。
 小沢さんというのもなかなか大したものでして、この前の参議院選挙で、大分県に応援に行きました。そして、何とか郡何とか村に行って、公会堂の前で、ビール箱の上にのっかって周りに田圃、畑があって30人ぐらいいれば、そこでやると言う。
 そこで私どもが作った「農業再生プラン」をブツわけです。小泉は農村を切り捨てている、それに対して民主党はこれだけ考えていると。そういう演説をやるから、大分でも勝ちました。大分で一人区で民主党が勝ったのなんか初めてです。
 そのカギは何かというと、一人区というのはみんな田舎県なんです。九州で言いますと、福岡以外全部一人区です。四国は全部一人区だし、中国地方は広島を除いて一人区です。長野県などは二人区ですから、こういう所は選挙しなくたっていいのです。政界では二人区の参議院の候補者はゴールデンシートと言われています。公認されただけで選挙なしで議席は6年間約束されるわけですから、こんな美味しいことはないと言われます。
 そこでわが民主党幹部の農業観ですが、小沢さんはどうか。小沢さんも二世議員で、もともと田舎で育っています。そういう経験もあるわけです。
 小沢さんの口癖は、消防団が組めるような地域社会でなかったら健全な地域社会ではないんだということです。東京がその典型です。ボランティア精神がなくなっているような地域社会はもはや駄目な社会なんで、それの逆の地域社会をちゃんと維持するためにはお金を使っていいんだという考えが根底にあります。
 菅さんも、山口県の宇部市で高校2年まで育った田舎のにいちゃんです。それが市川房枝さんなんかと会って都会の国会議員になりましたが、だんだん年を取ってきて自分の原点の価値観に戻っているんですね。−続く 



第21回社会経済セミナー報告A
食品リスク論の正体 BSE・遺伝子組み換え食品から見えるもの
青山学院大学教授 福岡 伸一


昨年9月に行われた「社会経済セミナー」での福岡教授講演の抄録をお届けします。当日参加の皆さんからは「あらためて狂牛病のことが整理できた」「消化について目から鱗が落ちたようです」と大好評の講演でした。また最近、費用対効果で語られる「食品リスク論」を見受けますが、福岡教授は狂牛病での具体例から、こうしたリスク論に警鐘を鳴らしています。

■生物は何故食べるのか
 私が常々考えていることは、狂牛病が問いかけた問題は一体何だったかということです。それは私達が食べ物を食べるとはどういう意味かという問いだと思います。そのことからまず考えてみたいと思います。
 皆さんは、子どもに「どうして毎日食べ物を食べつづけなければならないの?」というふうに聞かれたら、何とお答えになりますか。
 一つの答えは、私達の体の燃料のために毎日食べ物を食べつづけなければならない、という答えがあると思います。私の学生がそう答えたら、30点ぐらいしかやることはできません。エネルギーの観点からだけでは、食べるという行為のとても大事な部分を見失ってしまいます。確かに過剰に食べると体脂肪というものが蓄積されていくわけですが、実は食べ物のうち体に溜められない栄養素があります。それはタンパク質です。
 タンパク質というのは、アミノ酸というものが、何百も数珠玉のようにつながって出来たものです。タンパク質を私達が食べると、消化されてアミノ酸になります。これが消化管から吸収されて私達の体の中に入っていきます。体の中に入っていったアミノ酸は、体の中の一体どこに行くか。
 今からほんの70年ぐらい前までは、アミノ酸もまたエネルギー源の一つなので、体の中に入ったら結局は燃やされて、体温維持や、細胞活動に使われ、最後は呼気中の二酸化炭素や、燃え残りは尿として出ていくと考えられていました。
 食べたアミノ酸がどこに行くかということを追跡して調べてみようと思った科学者がいました。シェーンハイマーという人です。私はシェーンハイマーは20世紀最大の科学者の一人だと思います。アインシュタインと並び称されるぐらいの生命観の転換を人類に与えてくれた人であります。でも、この人はこの大発見をした後に自ら命を絶ってしまいました。今は教科書にも参考書にもこの人の名前はほとんど出てきません。
 シェーンハイマーは、食べるアミノ酸一つ一つに印を付けるというアイデアを思い付いたのです。その方法は同位体(アイソトープ)を使うというものです。詳細は省きますが、アミノ酸一つ一つに色を付けて、それがどこに行くか追っていけるというしくみがあるというふうに思ってください。この色を付けたアミノ酸を実験ネズミに食べさせてみて、時間を追ってネズミの体の中のどこに行くか、追跡していきました。

■シェーンハイマーの発見
 彼も最初はアミノ酸は結局ネズミの体の中で燃やされて、呼気や糞や尿の中に出ていってしまうだろうと考えました。ところが、食べられたアミノ酸は、まずは尻尾の先に行きました。同時に耳の中とか、目、ヒゲ、心臓、骨の中とか、体のありとあらゆる部分に散らばっていき、そこにしばらく留まったのです。そのうちにこのアミノ酸はだんだんネズミの体の中から抜け出てしまいました。その間、ネズミの体重をシェーンハイマーは測っていました。このネズミはおとなだったので、もう成長していませんし、賢いので必要な食べ物だけを食べます。ですから、この実験の間、ネズミの体重はほとんど変化がありませんでした。
 アミノ酸はネズミの体の中に入って、しばらくの間、ネズミのタンパク質となって体の一部をつくったわけです。でも、それはやがて分解されて、また体の中から出ていきます。つまり、分子の流れというのは、外から入ってきて、ネズミの体の中をグルグルッと回ったら、また外へ出ていく。その流れをシェーンハイマーは初めて明らかにしたのです。
 これは今では「代謝」「新陳代謝」と言われています。爪とか髪の毛とか皮膚が日々捨てられながら新しいものが出来ていくという感覚はあると思いますが、それは爪や髪だけではなく、皆さんがカチッとした存在だと思っている骨だろうが、歯、脳細胞、あるいは心臓の細胞だろうが、常に分解され、捨てられて、その分解された部分に新しく食べたアミノ酸がやってきて、タンパク質になり、しばらく留まり、またそれが分解されていく。そういう流れの中に生命体というのはあるわけで、その流れ、難しく言うと「動的な平衡状態にある」ことが「生きている」ということなのです。
 ですから、なぜ食べつづけなければならないかというと、この流れを止めないために食べつづけなければいけないということなのです。
 しばらく会ってなかった人と挨拶するときに、「全然お変わりありませんね」と会話を交わしますが、分子レベルで見ると、皆さんは半年経てばお変わりまくりになっているはずです(笑)。今、皆さんをつくっている体の中に含まれている分子や原子は、1年後には全くそこにはありません。
 自分の体というのは、外界から隔離された確固たるアイデンティティというふうに思っているかもしれませんが、分子の目で見ると、食事由来の分子がたまたま、今、ゆるく澱んでそこにたゆたっているだけの存在というのが、実は人間の、というか生命のあり方なのです。生きているということは流れに浮かぶうたかたのようだと鴨長明は言いましたけれど、彼の生命観は非常に正しい。でも、それが実際に分子のレベルで明らかになるまでには数百年の時間がかかったわけです。

■タンパク質という情報
 このタンパク質とアミノ酸の関係というのは文章とアルファベットの関係です。タンパク質というのはアミノ酸の並び順によってその性質や機能が決められています。例えばタンパク質のアミノ酸の並び順にI−L−O−V−E−Y−O−Uというふうに書かれていれば、意味を持つわけです。でも、これが消化されてIとか、Lとか、Oという、アミノ酸の個々のアルファベットに分解されてしまいますと、その意味は消えてしまいます。
 消化とは、タンパク質が持っている意味を消すという大事な働きがあります。タンパク質というのは、結局、肉であろうが、植物性のタンパク質であろうが、他の生物の体の一部だったのです。
 生物は自分の体の中でタンパク質をつくりあげて、秩序を生み出しているので、他の生物が使っていた文章がいきなり自分の体の中に入ってくると、情報と情報がケンカしていろいろな不都合が起きます。それが普通「アレルギー反応」と言われているものです。サバとか、ソバ、タマゴに含まれているタンパク質がいきなり体の中に入ってきて、その情報が自分の体の中の情報とケンカをするので、炎症反応などが起きるわけです。
 臓器というのは他の人のタンパク質のかたまりですから、それがいきなり自分の体の中に入ってきたら、情報の大戦争が起きてしまいます。普通は過激な拒絶反応が起こって、排除される。それを無理矢理免疫抑制剤で抑えて成立させているというのが臓器移植です。ですから、あれは最先端医療と言われていますが、タンパク質のあり方から見ると、非常に野蛮な医療法だと言うこともできるわけです。

■消化が弱い乳児期
 牛もまた食べ物を消化してアミノ酸に変え、あるいは自分の体の中で合成して生きています。
 ところが、その消化活動というのが、ある一時期、生まれてまもないときだけ非常に弱まっています。そのときはこの消化がほとんど行われません。ふつう消化管というのは厳密なバリアになっていて、食べたものがそう簡単に体の中に入ってこないように、細胞と細胞の間がぴったりくっついて漏れがないような管になっています。
 因みに消化管の中、胃袋や腸の中というのは、内側に折り畳まれた皮膚の延長線で、ちょうど竹輪の穴のように外に開かれているわけです。消化管という外界でアミノ酸までに情報を分解してはじめてそれが体の中に入る。この分解のレベルというのが、誕生からのある一時期だけは非常にレベルが弱まっています。厳戒体制を解いていっぱい隙間が空いている。そういう非常に無防備な状態になっているのです。
 なぜそうしているかというと、赤ちゃんの一時期だけは、まだ体の中の免疫系、バイ菌など外敵と戦うしくみが弱いので、母乳に含まれている免疫物質をもらって、それを体の中に取り入れて敵に備えるわけです。お母さんのミルクの中に含まれている抗体と呼ばれている免疫物質はタンパク質で出来ているので、それを消化して分解してしまうと元も子もないので、赤ちゃん牛、あるいはヒトの赤ちゃんも同様に消化をせずに、それを丸のまま取り入れるというふうなしくみになっています。そのときは唯一安心して食べられる母乳が来るので、安心して扉を開いているわけです。−続く 


食糧主権世界フォーラムにむけて
食糧主権の確立をめざして―農民・消費者の権利の確立を―
コリン・コバヤシ



 1996年、国連食糧農業機関(FAO)がローマで世界食糧サミットを開催したおりに、並行して行なわれたNGOフォーラムの中で「ヴィア・カンペシーナ」が食糧主権の原則を初めて打ち出した。そしてその概念は、その後のフォーラムなどで深化されてきた。食糧主権とは、端的に言えば、国家や連合に住む民衆が自らの農業と食糧政策を、第三国にたいしてダンピングせずに、作物と生産の多様性を尊重しつつ自ら決定する権利のことである。この権利はなぜ単に権利といわずに主権というのかというと、食糧主権は、究極的に民衆の生存権でもあるからだ。この主権は、最初は国家の主権と書かれたが、多くの議論の積み重ねの中で、民衆の主権と書き改められた。
 以来、食糧主権という概念は、国連内部においても、国際的な農業関連の議論の場においても、最も主要なテーマとなったし、また2002年の世界食糧サミット時に同時開催されたNGOフォーラムにおいても、議論の中心的柱となった。そして、最初の定義は、以下のように書き改められた。
 「ヴィア・カンペシーナ」が2003年1月15日に採択した決議によると、食糧主権の柱は、
1)その土地に住む住民たちのために、地場農業の生産を優先すること。農民と土地なし農民に土地、水、種子、資金をアクセスさせること。そこに、農業改革の必然性と、種子を自由に手に入れるためにGMOに反対する運動、継続的に分かち合うことのできる公的共有財産としての水を維持する必然性がある。
2)農民が作物を生産する諸権利、消費者が消費したいものを決定する権利、しかもそれらが誰によって、どのように作られるかを知り、選択できる権利。
3)生産と直結した低すぎる価格の農作物、食品の輸入品から自己防衛する諸国家の権利。諸国家や諸連合が低すぎる価格の輸入品について関税をかける権限を有する条件下で、これら諸国家や諸連合が持続可能な農民の生産に責任を持って関与し、構造的な過剰生産状態を産み出さないために、国内市場のための生産の安定化を図ることは可能である。
4)農業政策の選択に、民衆が参画すること。
5)農業作物と食品生産に決定的な役割を演ずる農民の諸権利を認めること。
と、定義された。
 今日、問題のひとつは、アメリカや欧州連合(EU)が、国内補助金を利用して輸出補助金の削減を図るという、見かけ上は誰でも納得できる形を整えつつ、実は国内市場の値段を人為的に安くし、両者が共謀して、農業助成に関するWTOへの報告義務を回避しながら、世界市場にダンピングをおこなってきている事実である。その結果、北でも南でも、既存していた伝統的な農民農業を破壊してきた。このような破滅的な農業政策が地球規模で行なわれている背景には、北側では、食品産業や多国籍企業ロビーからの圧力が絶え間なくあること、南側では、北の市場開放が実施されて貿易が拡大すれば、南の利益になるという間違った認識が蔓延っているせいだ。現実には、南の農業は疲弊し、壊滅的な打撃を受けている。そして、とりわけアフリカにおいては、現地の住民が現地の生産物を手に入れることができないので、食糧難になり、ひいては飢餓にまでいたっている。
 2003年6月のEUの共通農業政策(CAP)改定も、形式的にはダンピングのない、しかし実質的には明らかにダンピングが実施できるようにするための方策だった。アメリカとEUは、WTOを通して、「発展途上国」に対し、常に巨大な圧力をかけ、自由競争を名目に、関税の大幅な引き下げを求めてきた。
 こうしたなかで、一番打撃を受けたのは、言うまでもなく、生産者である中小農民たちである。このジレンマから抜け出すには、農業においては、貿易を振興させるのではなく、食糧主権を確立する以外はないのである。そのためには、EUは共通農業政策(CAP)を根本から見直し、またアメリカも農業法の見直して、ごまかしダンピングを停止することだ。またWTOの項目から農業をはずす必要もあるだろう。
 食糧主権を確立する上でも、GMOにたいする闘いは重要な意味を持っている。1)で謳われている種子にたいするアクセスを確保することでもあるからだ。フランスにおいては、GMOにたいする反対運動が三年間、激しさをまし、今夏も実験圃場のほぼ七割を破壊させた。
 こうした情勢のなかで、中小農民の運動をさらに世界的に強化するために、2007年2月にアフリカのマリで、「食糧主権世界フォーラム」をヴィア・カンペシーナなどが中心となって開催する。今回の開催では、フォーラムの名前に『ニエレニ』という名が冠された。マリで、『ニエレニ』といえば、誰でも知っている。乳房が豊穣で、子育ても農業もたくましく行なうという、シンボルとしての気丈夫お母さんのことである。実際に実在したアフリカ女性で、その働きぶりと気丈な生き方が有名になり、マリのみならず、国境を越えて有名になったという神話的存在だ。これは、この世界フォーラムが農業をする女性に捧げたオマージュとも言えるし、またアフリカの農業において、女性の存在がいかに重要かという証しでもある。
 食糧主権確立の闘いは休みなく続く長期戦である。『ニエレニ 2007年・食糧主権世界フォーラム』もまた、目標に一歩でも近づくプロセスの一段階に過ぎない。しかし、このフォーラムに参加できる人数は限られていても、その後に続くポスト・フォーラムにおいて、議論は継続される。それによって多くの省察がなされ、幅広い人々の意識化を図るにちがいない。
 以下は、ジョゼ・ボヴェがフォーラムに向けてアピールした文面を訳出しておく。−続く 


<食>の焦点M
イチゴと日本農業
(財)協同組合経営研究所研究員
元研究員 今野 聰



1、クリスマスのイチゴ
 超促成のイチゴは10月中旬には初出荷される。実に早い。一般にイチゴは12月初め、店頭に陳列され、正月を超えて2月に入っても消費は落ちない。そのまま3月に進む。それから4月に進む。4月下旬、ここで露地イチゴにバトンタッチである。その間、同じ果実であるリンゴ、ミカンが伴走する。3種類の果実の違いを日本の消費者は食べ分ける。不思議な消費の姿だが、多様な消費実態ともいえる。
 キリスト教とあまり関係ないといっても、12月は洋菓子ケーキにイチゴが飾られて目立つ。最近NHKラジオ深夜便で、洋菓子専門家の話を聴いた。それによれば、フランス革命悲劇のヒロイン、マリー・アントワネットは浪費癖とは無縁で、簡素単純なお菓子を愛したらしい。だからイチゴを飾るなど無縁だったろう。イチゴでケーキを飾る様子は日本的なクリスマスイブなのだと妙に納得したくなる。戦後アメリカの直接占領と関係あるのだろう。
2、卸市場の雰囲気
 毎年卸売市場のイチゴ売り場は、12月のクリマス需要を見込んで、意味深長な相場形成をする。1974年暮れ、私はそういう現場にいた。埼玉県戸田市の全農東京生鮮食品集配センター果実2課。セリ売りが無く、全て相対販売が原則の東京センターである。そこで働く私は、既存青果物卸市場と競ってコンスタントに売り続けることが必要であった。農家手取りが減れば、必然的に他市場に生産物イチゴは振り分けられるからである。そう言う現場にいて、正直のところ、どうしてこんなに消費の勢いがあるのだろうとおもった。組み立てダンボールに4パック入り。1パック300g。それを5箱括り(合計20パック)。なんと合理的なのだろうか。すでに普遍化した荷姿になっていた。木箱のすかし、スチロール箱など多くの試行錯誤があって、それから到達した包装革命だった。こうして一気呵成にクリスマス需要に適合するようになり、続いて正月需要に突き進むという次第である。
3、風物詩を壊す変化
 蒸し暑くなり、軽装で学校に通う季節になった頃を思い出す。宮城県北でも、あちこちの小さいイチゴ畑を遠くから見ていた。あわよくば失敬しようという魂胆だ。だから、歳時記は初夏である。それこそ梅雨合間の風景にこそ相応しい。そういう時代は事実、1960年代までいたるところにあった。当然東京近在産地の道路わきには、その時期みごとな味わいが並んでいたのだった。イチゴは今や冬の風物詩と化しているが、異論があるだろう。
 ともあれイチゴは施設園芸の典型として、前進栽培していく。「前進」とは、6月から1月に向かうことである。つまり「促成栽培」。逆に夏場に向かえば、抑制栽培である。真夏の需要も勿論ある。だから標高差の高冷地で工夫される栽培暦もある。逆転の発想と言って良い。これまた、生食用というより、洋菓子など業務用が中心である。こうして周年消費である。
 イチゴは戦後すぐから水稲の裏作としてあったが、1960年代後半麦裏作から急激に転換していく。ビニールなど被覆資材の普及、パイプ・軽量鉄骨などの簡易施設化によってついに加温施設園芸まで進んだ。こうした条件の少ない冬季積雪地帯は当然、地場いちご産地としても、成長しない。ずっと露地栽培である。そこに、西南暖地のイチゴが進出する。当然消費は伸びる。だから冬季悪条件を克服して、イチゴ栽培に進取する生産者が出て当然である。このようにして全国産地普遍化が進んだ。
4、技術革新と品種のひろがり
 一方、栽培技術も進化した。西尾敏彦『農業技術を創った人たち』(家の光、1998年)によれば、アブラムシなどが媒介するウイルス病はイチゴの難敵だった。罹病すると収穫が落ちる。1950年代末フランスの無菌培養技術に学び、埼玉県では1970年本格的にウイルスフリー苗に置き換えが進んだ。これが順次全国に普遍化、現在の品種は豊凶にもフリーになったのだという。勿論、その年の天候条件がある。施設内といっても高温多湿、一定の影響はあるからである。

コーデックス・バイオ特別部会報告@
「ストップ!GMO全国行動in千葉」におよそ400人
市民セクター政策機構 清水 亮子



 11月26日から27日にかけて、「ストップ!GMO全国行動in千葉」におよそ400人が集まりました。11月27日から千葉県幕張の幕張メッセで開催された「第6回コーデックス・バイオテクノロジー応用食品特別部会」に合わせて実施されたこの企画、週末の12月2日には、コーデックス報告会も兼ねた「遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン」10周年記念集会が開かれましたが、この一週間をGMO Opposition Week(反GMO週間)と銘打って、世界に向けた発信も行いました。

 今回の全国行動は、たいへん盛りだくさんで、3つの柱がありました。1)第2回GMOフリーゾーン全国交流集会、2)コーデックス抗議パレード、3)遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン10周年記念企画です。実行委員会は、地元千葉の生活クラブ生協・千葉、大地を守る会、新生酪農クラブなど(実行委員長は、後述する「元気クラブ」の増田吉弘さん)で構成されました。

1)GMOフリーゾーン全国集会
 昨年(2006年)3月滋賀県での第一回開催に続き、第2回の会場となったのは、千葉県旭市。1月28日に生活クラブ生協・千葉の生産者団体「元気クラブ」が4畳半大のGMOフリーゾーン看板を設置した地元です。集会には、日本全国にとどまらず、韓国、スイス、アメリカなどからも、合計200人以上が詰めかけました。
 パネルディスカッションでは、韓国ウリ農生協の趙大鉉さんが、韓国初のGMOフリーゾーン宣言について、グリーンピース・ジャパンのブルーノ・ハインツァーさんが、スイスで成功した住民発議の「GMOモラトリアム」(遺伝子組み換え作物の栽培、流通、輸入の5年間禁止)について報告。リレー報告では、地元千葉をはじめ山形、滋賀などからGMOフリーゾーンを宣言した農家の7人が、それぞれの実践について次々と報告しました。
 中でも今回の目玉とも言えるのが、世界初「牧場のGMOフリーゾーン」と「海のGMOフリーゾーン」宣言です。後述するコーデックス・バイオ特別部会では、遺伝子組み換え動物由来の食品について、安全性審査の国際基準が作られようとしています。このような食品の世界規模での流通につながる動きに対し、「遺伝子組み換え魚も動物もいらない!」と宣言した生活クラブ生協の乳製品の生産者「新生酪農クラブ」と船橋漁協の組合長、大野一敏さんのメッセージが披露されました。
 国際的にアナウンスされたこの企画には、フランス、ポルトガル、トルコ、インド、カナダから連帯のビデオ・メッセージが寄せられました。(そのうちフランスのジョゼ・ボベさんからのメッセージは本誌15ページ〜掲載)。全部で1時間以上におよぶビデオのダイジェストを集会で、夜の交流会後では全編の上映を行いました。
 集会のオプショナルツアーとして「里のフリーゾーンツアー」「海のフリーゾーンツアー」も企画され、おおぜいの募金によって立てられたGMOフリーゾーン看板、市民風車、醤油のタイヘイの木桶などの見学、そして大野さん(船橋漁協)の船に乗っての三番瀬(干潟)の見学が行われました。初の海のフリーゾーン宣言を行った大野さんには、GMOフリーゾーン大漁旗が贈呈されました。−続く 

コーデックス・バイオ特別部会報告A
GM動物ガイドラインがまとまり、未承認GM食品の合法化が画策される
山浦 康明(日本消費者連盟副代表)



(1)コーデックス委員会バイオテクノロジー応用食品特別部会(以下、バイテク部会)第6回会合は11月27日から12月1日まで開かれ、@「遺伝子組み換え動物由来食品の安全性評価のガイドライン」が暫定的に採択され、またA「未承認の遺伝子組み換え食品が微量に混入した食品の安全性評価」の討議が開始された。@については、安全性評価を行うさいに食品の安全性以外にも、動物福祉、倫理、環境など当然検討する必要のある要素(=「他の正当な要因」)を検討するかどうかが論じられたが、米国、カナダ、豪、日本などの主張が通り、扱わないこととされた。植物とは異なり、生殖細胞を人為的に操作する動物の遺伝子組み換え手法に対しては技術的に困難な点が多く、予測不可能な事態の可能性が高い。また、植物以上に、動物の生命操作を行うことに対しては倫理・道徳、動物福祉、環境影響などを実質的に検討する必要があるにもかかわらずこうした決定をおこなったのは問題である。
 「未承認の遺伝子組み換え食品が微量に混入した食品の安全性評価」に対しては、昨年のバイテク部会で議論しないと決定したにもかかわらず、米国が今回突如として議題にすべりこませたことは問題がある。今後ワーキング・グループが2度ほど開かれる予定であるが、このテキストを討議することは未承認の遺伝子組み換え食品の世界各国への輸出を合法化する意図をもっており、私たちは違法なものはあくまで違法とし、その許容限度を論じることは認められないと考える。推進側の国、企業は食糧援助などで途上国に遺伝子組み換え食品を輸出することや輸入国の輸入規制に圧力をかけるねらいがあると思われるが、こうした動きは断じて認められない。

(2)市民は06年春から今回の特別部会に向けてのコーデックス研究会を開催し、コーデックスバイテク部会日本政府代表を務める厚生労働省に4回意見書を提出し、またバイテク会議途中の11月28日にも日本政府に申し入れ書を提出し、プレッシャーをかけた。私たちの一連の意見書に対する政府の回答を聞きに市民バイオテクノロジー情報室代表・天笠啓祐さん、日本消費者連盟の真下俊樹、山浦康明が12月11日厚労省を訪ね、次のような論点について意見交換を行った。

論点1
[コーデックスバイテク部会において、政府が勝手に意見を述べたことはコーデックス連絡協議会での討議を無視する手続き上の問題点があることについて]
 日本政府は、「バイテク部会でどのような立場を取るかについては、厚労、農水、食品安全委員会で協議して決め、その内容をコーデックス連絡協議会に伝えた」とのこと。初めに役人の決定ありきで、連絡協議会での、とくに市民側の意見を入れなかったことについては「確かに順序が逆だった」と認めた。
 これに対して私たちは、今後このようなことがないように、単に「お伝えする」だけでなく、連絡協議会で協議した上で、国民の声をとり入れた形で日本政府の立場を決めるように、と申し入れた。

論点2
[GM動物ガイドラインの対象範囲の論議における「他の正当な要因」をなぜ軽視するのか]
 日本政府は、@バイテク部会で2003年に策定したコーデックスの「遺伝子組み換え食品のリスク分析の諸原則」に「他の正当な要因」については扱わないことが明記されていること、A日本政府としては対象範囲の論議で、「食品以外のものをつくるGM動物」を対象に入れない方針だったので、こちらを優先したかった、B国際獣疫事務局(OIE)での議論がどうなるのか見極めたかった、C「GM植物ガイドライン」にも記載がない、といった理由で「他の正当な要因」への言及のない見解を支持した、と釈明した。
 これに対して私たちはコーデックス連絡協議会で唯一意見を提出した市民側の立場を全く無視したことに抗議した。

論点3
[インドが提案した文書「主要食品の比較成分分析」について]
 日本政府は、経済協力開発機構(OECD)の専門家会議でこの問題が取り上げられており、バイテク会議ではこの議題を取り上げる必要がない、と会議で主張した。その理由として日本政府は、@作業の重複を避けたかった、AOECDの成分分析データベースは途上国にも配慮している、と説明した。GM食品の安全性評価を行う際にはこれまで「実質的同等性」というキーワードが安易に用いられてきたが、新たなキーワードとして「食品成分分析」が登場する可能性がある。バイテク部会での議論をすることなくOECDの専門家会合で討議されることになった。
論点4
[ケニアが提出した「GMワクチンを投与された動物由来食品の討議資料」について]
 日本政府は、この議題も取り上げる必要がない、と会議で主張した。その理由は、@OIE(国際獣疫事務局)でも扱っている、A今回、合同専門家会議に対して「非遺伝的応用」に関する質問への回答を求めることが決まったので、これで一部対応できるのではないか、というものだ。これに対して私たちは、OIEの人間の安全性への対応は極めて限定されているので、CODEXの基準も必要だと指摘した。

論点5
[未承認GM植物の低レベル混入のガイドライン作りについて]
 日本政府は、@輸入国の裁量が確保されることを目指す、Aまだどのような草案が出てくるか分からないので、他の国の出方を見て日本政府の立場を決めると述べた。
 私たちは、2005年のバイテク部会では討議しない、と決議したにもかかわらず2006年米国から動議が出され議題に入れたことは問題である、と主張した。また政府に対し、国内規制との兼ね合いがどうなるのか明確にしてほしい、条文では輸入国の主権が尊重されるタテマエになっていても、実際には力の弱い途上国が米国に押し切られて急速に承認させられるといった事態が予測されるので、日本政府としてその点も配慮した対応をすべきと要請した。

<ネット・統一地方選挙>
ネットのやるべきことが、見えてきた
<お話> 埼玉県市民ネットワーク 代 表 加藤 佳子  事務局長 藤本 敦子
<聞き手>  編 集 部



――国の今の状況について
加藤 「格差社会」という言葉がさかんに言われていますが、小泉政権が弱肉強食の論理を押しすすめて、安倍政権がそれをひとつ完結させようとしていると感じています。弱肉強食を進めると国民が政治から離反し始めるわけですが、それを防ぐためには愛国心など別の価値観で精神を縛る必要が出てくる、だから教育基本法をなんとしても変えたかったのだと思います。
 また安倍政権は日本の中だけでなく、弱肉強食の論理を世界に対しても広げることで経済面でも優位に立ちたいと考えて、憲法9条の改訂をめざしています。それに充分対抗できる野党の力もない、そういうとても危うい政治状況だと思います。
 けれども、もっと大きい今の政治の問題は、むしろ国民の側にあると埼玉県ネットは考えていて、それは圧倒的な政治無関心層の厚さという問題です。
 なぜ小泉政権が単純な劇場型の選挙であんなに大勝ちをすることができたのか、そして安倍政権はなぜやすやすと教育基本法を変えることができたのか、二つの理由は同じだと思うんです。無関心層が彼らを無関心というやり方で応援している。「政治に関わるのはダサイ、考えることはダルイ」という若者が今増えています。そんな人たちが、単純でわかりやすい小泉語にとびついたのだし、またもっと多くの無関心層が「無関心というやり方で最大の応援」をして法律を変えることを可能にしているわけですね。
 しかも、この政治無関心層は、単に自然に発生したものでなくて、権力によって意図的にスポーツやセックス、芸能、受験勉強などに目を背けさせられてきた結果ですよね。非常に国民、市民が見くびられているし、さらに見くびられても仕方がない状況になっている、そのことが今の日本の政治の最も大きく恐ろしい問題です。
戦後60年の遺産
――とても異例だと思いますが、選挙に向けた議論を戦後60年の総括から始めたということですが。
加藤 はい。埼玉県ネットでは2007年政策をつくるために2004年にグランドデザイン・プロジェクトを立ち上げました。そのときに、これからの政治を展望するために、私たちはどんな時代にいるのかをまず知ろうということで戦後60年を検証したいと思ったのです。

――戦後60年の検証というのは初めてですよね。他のネットはやっていません。グランドデザインというのはどういうことですか。
加藤 長期展望と世界的な視野を持った政策という意味です。そう言いきれるものができたかどうかは別にして、それをめざしました。
 検証をどんなふうにやるか考えたとき、専門家を呼んで話を聞くやり方が一般的だと思うのですがそうではなく、生活の中の私たちの直感で検証してみたいと考えたんです。まずプロジェクトメンバーで戦後60年の「正の遺産」と「負の遺産」と感じることを、キーワードで出し合うワークショップをしました。また、県ネットの夏の研修でもおおぜいの会員で同じ作業をしました。キーワードは全部で200項目ほど出たんですが、それを分類してみると見事に私たちが考える戦後60年の功罪が現れた気がしました。
 戦後の「正の遺産」としては、すべてのキーワードを三つの柱にくくることができました。
一つ目の柱は、自動車の普及、コンビニ、機械化など飛躍的に伸びた物質的な豊かさと便利さです。
 二つ目の柱は機会均等、価値感の多様化、権利意識の拡大、情報が手に入りやすくなった、自分でも発信しやすくなった、行政も「協働」をうたうようになった、市民のほうも反対の闘争とか運動だけでなく、「協働」「市民参加」「NPO・ワーカーズ」など自分たちでまちをつくる成熟した発想が見られるようになった、など民主主義が進んだことです。
 そして三つ目の柱は平和の保障で、そのための憲法9条が大きな遺産として上げられました。
 それでは「負の遺産」は何かと見てみると、見事にちょうど正の遺産を裏返した形ですべてのキーワードが整理されたんです。
 物質的に豊かになった反面、経済優先、開発優先のために出てきた問題、「環境破壊」「化学物質の多用」「大量消費」「資源の無駄遣い」「食のあり方」「農業の変化」「拝金主義」「消費者被害」などの問題があげられました。
 それから、民主主義の裏の面として、まだ本当の民主主義とは言えないことがいっぱいあげられた。「教育の統制」、価値観の多様化の裏側の「孤立する人の多さ」、「子供の閉塞感」とか。情報化が進んだ反面、「情報過多に振り回される」、「戦後処理のまずさ」などが民主主義に影を落としていることなどなど。そこから見えたことは、民主主義は努力して根付かせて育てていくものだし、学校教育などでもそういった民主主義の基本を教えていかなくてはならないのに、それがなされていないための問題点が山積していることです。
 平和も、「核兵器の問題」や「イラクへの派兵」、「憲法9条改悪の勢力」など、非常に脅かされている。
 私たちは戦後60年についてそんな認識を持っているんだ、ということをこのワークショップで確認しました。
 そういった時代認識を受けて、では今後私たちはどんなまちをつくりたいのか、どんな社会にしたいのかをやはりワークショップでやったんです。そこで出た意見を元にグランドデザイン・プロジェクトで40回ほど会議を持って最終的にまとめたのが、この埼玉県ネット2007政策『もったいな〜い! 活用すればもっと豊かに』と政策資料集です。
 キャッチフレーズの「もったいない」は滋賀県の嘉田さんが知事選で使われましたが、その前に私たちはこの言葉が政策をくくるのに最適だと決めていたんですよ。−続く 

第15回社会的企業研究会報告 保険業法改正と共済制度
神奈川ワーカーズ・コレクティブ連合会 専務理事 島田 祥子



 今、「保険と共済の同一化」問題といっても、一般マスコミは、とりあげていない。「契約者保護」とは聞こえがいいが、実は多国籍資本の要求を丸呑みした「小泉内閣」の遺産である。最大の問題は、協同組合と営利事業の違いの曖昧化である。この被害は、連帯にもとづく「自主的な共済」を直撃する。現場からの報告である。

 こんにちは。神奈川ワーカーズ・コレクティブ連合会の島田と申します。よろしくお願いいたします。ワーカーズ・コレクティブのメンバーとして始めたのが1989年でして、ワーカーズ・コレクティブメンバーとして17年ぐらいの経歴があります。5年ほど前からワーカーズ連合会の事務局におりまして、3年前から専務理事となりました。ワーカーズ・コレクティブ共済は神奈川の中では神奈川ワーカーズ・コレクティブ連合会の理事会によって運営されておりまして、その事務局のところを共済の専門のワーカーズ・コレクティブである共済ワーカーズ・コレクティブ・スマイルという団体が担っております。

「雇用されていない労働」の共済
 まず、神奈川ワーカーズ・コレクティブ連合会について簡単にご説明いたします。
 220団体、メンバー数が7月末で6,100名余。2004年度末で事業高が約54億円です。業種で分けた3つの協議会に分かれて活動しています。
 在宅福祉ワーカーズ・コレクティブA協議会は、介護保険制度を担っているワーカーズ・コレクティブで、家事介護、デイサービス、住まい型生活支援という介護保険を主に担っています。それから介護保険だけでは暮らせないため人々が地域で豊かに年老いるのに必要なサービスを提供しましょうということで、移動、保育、食事、健康支援等のサービスを担っている在宅福祉ワーカーズ・コレクティブB協議会。そして、生活文化、食文化、委託・請負業務で、人々が一生の中で生活するに必要なものやサービスを提供する「暮らし・まちフォーラム」協議会です。在宅福祉ワーカーズ・コレクティブA協議会で大体3,000人ぐらいのメンバーがおります。在宅福祉ワーカーズ・コレクティブB協議会は1,000人、「暮らし・まちフォーラム」協議会は2,000人、合計約6,000人のメンバーです。
 神奈川ワーカーズ・コレクティブ連合会は、そのワーカーズの設立の支援、日常の活動の支援などを行っておりまして、ワーカーズ・コレクティブの継続と設立に関する支援全般を担っています。その中で私どもはワーカーズ・コレクティブ共済というのを持っているのですが、2006年4月、保険業法の改正で少額短期保険業者という枠組みが新設されたことで、私達がワーカーズ連合会の中で協同組合原則に基づいてお金を出し合っている共済について、「根拠法のない共済」、「無認可共済」と位置づけられ保険事業として監督・規制を受けることになりました。
 この法改正は、オレンジ共済等の無認可共済の問題を契機に、消費者保護の視点で行われたと言われていますが、私達のような公正に、それも必要でやっている共済までが規制の対象になりその活動に大きな影響を及ぼしているというのが現状です。そのためワーカーズ・コレクティブが働くことを支援する共済である「ワーカーズ・コレクティブ共済」が現実的に継続することができなくなっております。
 ワーカーズ・コレクティブは労災を必要としても雇用保険は入りたくないというのが本音でして、ハローワークに行って労災に入りたいと言った場合、雇用じゃないと言ってしまうと労災に入れなくなるし、労災に入るとなると雇用保険料も必要になるわけです。雇用制度の中につくられた社会保障制度ですので、ワーカーズ・コレクティブにとって使いにくい制度になっています。神奈川のワーカーズ・コレクティブ共済は、「雇用されていない労働」であるワーカーズ・コレクティブのための労災に代わる制度です。
 内容は、自前の労働保障共済なのですが、就業中の障害保障と就業外の障害、病気・出産・介護等による休業保障をやっております。例えば雇用でしたら、有給休暇があるのですが、ワーカーズ・コレクティブは働いたときだけ、従事した分だけが分配に当たるということで従事分配のような考え方でやっております。したがって、働かなかったところは当然収入にならないわけで、病気をしてしまうと収入がなくなる。そこを保障しようということで、就業中の障害だけではなく、その他の病気・ケガでも保障しています。パーセンテージは就業中が80%、就業外が60%と違いますが、元気で働いている人が働けなくなった人をサポートしましょうという制度です。
 現在6,000人のメンバーがおりますが、そのうち実際にここに入っているのは2,000人です。その大きな理由は、所得の少ないメンバーが多く、約65%が年収65万円以下という状況です。自分の働ける時間を提供して働きましょうという人が多いワーカーズ・コレクティブですから、年収の少ない人たちは共済を必要としていないということです。ワーカーズ・コレクティブ連合会としては「メンバーは全員加入し、働く人を支えましょう」と加入を勧めていますが、現在のところ加入しているのは3分の1です。−続く 

雑記帖 【宮崎 徹】

 年末に、わたしも筆者の一人である『参加ガバナンス』(日本評論社)という本が刊行されました。この欄に私事を書くわけにはいかないが、これは当市民セクター政策機構の支援を受けた公認プロジェクトの成果であるので、ちょっと紹介させていただきます。
 「参加ガバナンス」とは耳慣れない言葉ですが、これがこの本のキー・ワードというか基本コンセプトなのです。ただし、その新しい概念を構成する2つの言葉――市民参加とガバナンスにはそれぞれなじみがあるでしょう。むしろ、市民参加は決り文句となり、いささか手垢がついているかもしれません。ガバナンスという言葉は、最近ではコーポレイトガバナンスという会社運営の新しい捉え方としてしきりに使われています。また、地方自治の分野では『ガバナンス』という月刊誌も発行されているそうです。
 手前味噌になりますが、目からうろこ的着想としてこの2つのコンセプトの結合が試みられたのです。かのシュムペーターのイノベーション論にある「新結合」。既存のモノやアイデアであっても、その新しい組み合わせが新次元を開くことがあるというわけです。この新しい考え方は、いうまでもなく市民活動の到達段階が要請しているのかもしれません。そのエッセンスは、ガバナンスを射程に入れたとき参加もいっそう深まるというものです。
 本書は3年前の『新しい公共空間をつくる―市民活動の営みから』の続編です。そこでは市民の活動や議論がなされる「場」として公共空間を明確化したつもり。本書は参加ガバナンスという問題解決の方法論やスタンスを掘り下げました。次は解決内容の具体化が課題となりますが、どうなることやら? 以上、誇大宣伝じみてきましたが、興味があれば手に取り、そしてご批判下さい。

市民セクター政策機構 〒156-0044 東京都世田谷区赤堤4-1-6赤堤館3F
e-mail:civil@prics.net tel:03-3325-7861 fax:03-3325-7955

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