月刊『社会運動』 No.323 2007.2.15


目次

協同組合法制化検討プロジェクト中間答申 協同組合・生活クラブのアイデンティティ 生活クラブ連合会PJ‥‥2
第4回協同組合法制化検討プロジェクト 日本に非営利の「営業の自由」はあるのか 関 英昭‥‥20
グローバル時代の東アジアの女性ネットワーク 新たなステージを迎えた三姉妹会議 末吉美帆子‥‥38
スイススタンダード!スイス最大のスーパー、GMO飼料も完全フリー たかおまゆみ‥‥42
94品目に放射線照射をするというスパイス業界 食品への放射線照射とは 山田洋平‥‥46
日本一のGMOフリーゾーン看板 立ちはだかるGM食品を迎え撃つ看板 丸山美佐‥‥54
<ネット・統一地方選>D統一地方選にむけ、進むネットの活動
 地域からニッポン再生 (横浜) 宗形もと子‥‥56
 ネットのルールをかかげて (信州) 矢島和香子‥‥59
<書評>社会的企業が拓く市民的公共性の新次元 佐藤慶幸‥‥61
<アソシエーション・ミニフォーラム>食から世界の今がみえる! 小口智子‥‥68
雑記帖 加藤好一‥‥70


表紙からのメッセージ 写真家・桑原 史成
 1月21日、「国立新美術館」が東京・港区六本木にオープンした。国立美術館は30年前に大阪に出来た国際美術館以来とされ、国立では5館目と言われる。
 同館の展示スペースは、1万4000平方メートルで国内で最大級の施設のようである。かつて、この敷地は戦前まで旧陸軍の歩兵第三聯隊および近衛歩兵第七聯隊の兵舎として使用されていた。戦後は在日米軍に接収されていたが、1962年から2000年までは東京大学の生産技術研究所として使用されてきた。この21日からの最初の企画展で「日本の表現力」と題した内容はアニメやゲームの変遷をたどっていて面白い。新美術館の設計者の展示である「黒川紀章展」は建築家の華麗な経歴を表現するものであった。しかし、もう一つの企画展「20世紀の美術探検」は、国内の他の美術館からの借用展示で、また出展の依頼を受けた人たちからの作品であるのだが、美術に対する思想性にリアリティが欠如したアートのように思えた。



《協同組合法制化検討プロジェクト》「中間答申」
協同組合・生活クラブのアイデンティティ
生活クラブ連合会プロジェクトチーム


 2006年度、生活クラブ連合会は、「協同組合法制化検討プロジェクト」を理事会の基に設置し、これまで計8回のプロジェクト会議を行ってきた。生活クラブ連合会福岡良行専務理事がプロジェクト座長を務め、生活クラブ単協の代表ならびにワーカーズ・コレクティブ ネットワーク ジャパン(WNJ)、市民セクター政策機構からなるメンバーが、協同組合学や社会経済の名だたる学識経験者を講師に招き、学習と討議を重ねてきた。プロジェクトは、2006年12月12日の連合理事会において「協同組合・生活クラブのアイデンティティ」と題し中間答申を行った。協同組合の存在意義と社会的使命が問われている今、市民自身が希望に満ちた自治社会を切り拓くためには不可欠の手段である21世紀の協同組合のあり方を問題提起するプロジェクトの中間答申全文をここに掲載する。(編集部)

<はじめに> ―中間答申骨子―
1.私たちは21世紀にふさわしい協同組合を切り拓いていきます!
 1844年、世界最初の消費生活協同組合である「ロッジデール公正先駆者組合」が英国の小さな炭鉱町に生まれてから162年、そして1879年、日本最初の生協(消費組合)といわれる「共立商社」が東京に結成されてから127年になります。加えて、人々の協同組合運動が世界に広がって1895年のICA(国際協同組合同盟)設立となり、数えて111年になります。
 「協同組合は、協同で所有し民主的に管理する事業を通じて、共通の経済的・社会的・文化的ニーズと願いを満たすために自発的に手を結んだ人々の自治組織です(ICAの協同組合の定義)」。それゆえ、合意を形成する時間がかかり、経済的には効率の悪いものとして扱う人たちも多かったのです。このため、協同組合は、ある時期、思想的にも政治的にも中途半端で軟弱なものとして退けられることも多かったのでした。そして、ヒトラードイツやムッソリーニのイタリア、そして戦時体制下の日本などにおいて協同組合の先人たちは様々な弾圧を受けました。
 長い時空を超えて、協同組合の先人たちの切り拓いた世界を引き継ぎ、私たちは21世紀初頭の、今、に立っています。
 近代社会が産業革命を契機に、
・家族や共同体など自分では選択できない人間関係中心の社会(ゲマインシャフト)から、
・会社企業のように自分の意思で参加を決め、何を目的とするかは自分で決めて創る人間関係や組織中心の社会(ゲゼルシャフト)へと急速に進む中において、利益中心の資本主義社会、商品社会は様々な社会問題を噴出していきました。
・そして、その問題解決の仕組みとして生み出され、育ってきたのが会社のような「合理性・効率性」を持った事業体的特質(ゲゼルシャフト)と、「親切・良心・誠実・公正・他者への思いやり・たすけあい」という家族や共同体(ゲマインシャフト)の持つ特質を結合し両立できる結社(ゲノッセンシャフト)としての協同組合でした。
 それから一世紀半余にわたり、社会や生活の問題の解決の担い手として無数の協同組合が世界中の地域で生み出され活動を続けています。今では100ヵ国以上、8億人を越える人々が協同組合に参加し、生産と消費、共済・信用、食と福祉、いのちと暮らしに関わる多彩な事業と活動をつないでいます。そして、ワーカーズ・コレクティブなどの新たな「働き方」などを生み出して、現在に立ち至っています。
 私たち協同組合に集うメンバーは、この世界中に蓄積されてきた参加・自治・協同・連帯の人々の連なりに「生かされている」ことをしっかりと自覚して、協同組合が21世紀の市民が未来を切り拓くための道具として役立っていくことをめざして、これからも歩みつづけたいと思います。

2.今、なぜ、協同組合法制化検討プロジェクトなのか?
 協同組合は、主に、消費と生産、たすけあい共済、福祉、そして人々が互いに出資し生活資金と事業資金を扶助しあう信用事業という事業分野を担う非営利協同セクターの一つです。しかし、今、「規制緩和」=市場開放を求める新自由主義的グロバリーゼーションの大波の前に、この協同組合が築いたいのちと暮らしの領域は危機に瀕しています。私たちは、こうした状況に正面から向き合い、自分たちのこれからの運動・事業の方向性を明らかに見据えるためにこのプロジェクトを設置し活動してきました。

1)今、なぜ、協同組合が存立の危機にあるのか、そのメカニズムと真の意図を明らかにする必要があります

@新自由主義的グローバリゼーションの進行
 WTO体制の推進による新自由主義的グローバリゼーションは、自由貿易の推進の名の下に、地域や国毎の環境や歴史性などの違いによる基準や規制などのあらゆる「壁」を壊しています。その結果、多国籍企業の統一的な世界市場戦略を進めることを容易にしてきました。その世界戦略によって、「民営化」「規制緩和」の名の下に、公的セクターがマネージメントしてきた人間が生きていく上で社会にとって最低限に必要な共通資本である水・空気・景観・生活環境・自然環境・福祉・労働などの領域は、すでにその多くが限りなく商品市場化されつつあるのです。
A唯一残された「壁」としての協同組合
 そして、その新自由主義的グローバリゼーションの世界戦略の上から見て最大の「阻害要因」として唯一残された領域=「壁」こそが、まさに「協同組合」という「人々が生活を自治する」社会的しくみであり、領域なのです。
 その「壁」を取り除き、グローバルな市場として開放していくために現在行われているのが、協同組合と営利企業を同一視することによって、協同組合にも民間営利セクターと同一レベルの法律基準の適用を求める「イコールフッティング」の動きです。そのためにさまざまな法改正の動きが強められてきています。
 その行き着く先は、協同組合を独占禁止法の適用除外からはずし、優遇税制を見直すなど営利企業と同列のレベルまで「規制強化」を行うことが想定されます。協同組合の存在価値や優位性を骨抜きにして、協同組合のメンバーのアイデンティティを弱め、個々バラバラにして「市場」に放り出すことです。人々を、ますます商品社会にしか頼ることができない状態に帰し、世界市場戦略の対象とする意図なのです。日本においては、既に平成12年4月に、協同組合組織の一つである信用組合がその監督権限が都道府県から国家政府に逆委譲され、自由な発想に基づく信用組合の活動が影を潜めてしまったのは記憶に新しいところです。そして、今、残された農協、生協、共済の領域に対してもこぞって「営利企業と同一視」することによって、その社会的価値を否定しようとしています。
B「協同組合の危機」の真の意味の共有を!
 しかし、残念ながら農協も生協も共済も協同組合のリーダーたちは、おしなべてその状況認識も危機感も希薄であると言わざるを得ません。それどころか、なんとかこの「商品社会化」のバスに乗り遅れまいとして、協同組合の中には合併による大規模化によって「市場の後追い」に生き残りを賭けようとしている動きが大きな流れとなっているのが現実です。
 私たちは、この「協同組合の危機」の背景に隠された巨大なメカニズムを解明し、その裏に進行する真の意図を明らかにし、共有する必要があります。

2)協同組合の社会的、今日的役割を見直す必要があります
 私たちの今回のプロジェクトは、近代日本の一世紀を越える中で創られてきた協同組合と非営利協同セクターの歴史を学び、どのような課題や問題点をもっているか、議論してきました(参照@)。そして今後の社会にとって、協同組合がどんな大切な役割や可能性をもっているかを、学識経験者を講師に学び、議論することを通して、あらためて再確認し、まとめ、提示する必要があります。

3)生協法改定に向けた動きの目的や問題点を明らかにする必要があります
 現在、2007年春の生協法改定をめざして厚生労働省「生協制度見直し検討会」が行われています。
 2006年の農協法改定とまったくと同じく、生協の本体事業である購買事業と共済の兼業規制が厚生労働省側から提案されています。共済の兼業規制は相互のたすけあいを本旨とする生協の根底を失わせるものであり、認めるわけにはいきません。また日生協側から論議を求めている員外利用規制や県域の撤廃などのテーマは、実務的にそれだけを切り離して最優先に議論するべき課題ではありません。協同組合の存在価値や今後の協同組合が果たすべき役割を明らかにし、その機能を発揮するために必要な法制度のあり方や運営のあり方などとセットで検討し、社会に提起し、広く批判を受け、議論をしていくことが大切です。
 また「生協制度見直し検討会」においては、予期していなかった「連合会会員の1会員の出資口数の限度を2分の1とする規制を撤廃」するという協同組合の本質に関わる提案が抜き打ち的に出されています。さらに、これも唐突に「行政による解散命令の強化」が提案されており、生活クラブとしての基本的見解を明確に示す必要があります。

4)21世紀の協同組合づくりにふさわしい法制度のあり方を提案する必要があります
 協同組合は、市場万能主義や商品社会の暴風に対する防波堤としての今日的役割を果たすことにとどまりません。積極的に、弱者の社会的排除を解決し、地域を再生していくための「新たな公共の担い手」としての協同組合へと飛躍する必要があります。ICA決議や国連決議、ILO勧告の意味や、ヨーロッパをはじめとした諸外国における多様な協同組合の実践などを踏まえながら、統一協同組合法や協同組合基本法はもとより人々や地域へのエンパワーメント(当事者自身が自らに力を与え、自らを元気にすること)を可能にする21世紀にふさわしい日本の協同組合法制のあり方を検討し、提案していく必要があります。

5)生活クラブの今後に向けた立ち位置を明らかにする必要があります
 私たち生活クラブは、その40年間にわたる多様な実践によって、協同組合が「新たな公共の担い手」となることができることを実証し、協同組合の大きな可能性を自ら切り拓いてきました。そのことは内外から高く評価されています。
 しかし今、私たちはもう一度生活クラブの活動がどこに位置し、どんな価値を持っているのか、そしてさらに何をめざすのかを確認し、課題を明らかにし、その実現のためには何が必要なのか。これからどんな生活クラブや協同組合をデッサンし、実践していきたいのか、をみんなで議論し明確にしていく必要があります。
 そのための討議の素材として、この「中間答申」をまとめました。
−続く


第4回協同組合法制化検討プロジェクト
日本に非営利の「営業の自由」はあるか ―民法、商法、会社法と協同組合―
青山学院大学 教授 関 英昭



 今、私たちは、生協、農協、共済を問わず協同組合は、21世紀におけるその存在意義や使命を自らの実践をもって社会にメッセージしなければならない重大な局面に立っている。このような時に、関教授の講演は、憲法に保障される「営業の自由」は、日本の営利事業には完璧に保障されていながら、協同組合をはじめNPOも含めた非営利事業には営利事業と同等に保障されていないという本質的問題を明らかにし、他方で私たちが何を希望として今後の実践に活かしていくべきなのかについても、極めて明快な示唆を与えるものであった。専門用語はあるが、今日、協同組合運動、共同購入運動に参加する人はすべて、ぜひ一読し、何かを掴んで欲しい。(編集部)

●はじめに
 最近、「団体・社団の基礎概念」について簡単に整理してみました。『協同金融』の8月号に載せたものですが、「ドイツの場合を参考に」して書いたものです。日本の法律は、ヨーロッパ大陸法、なかでも主としてドイツ法の影響を受けて立法されました。しかし、ドイツで使われている表現または内容と、日本で使われる場合の内容または解釈にはかなり違いが見られることがあります。加えて最近では、ドイツ法や大陸法に代わって英米法またはアメリカ法の影響が大きくなってきており、同じように内容理解や解釈に異なる例が見られます。アメリカ法の影響については、最後の「新会社法における社団性の検討」のところでお話しします。
 結論を先に言ってしまうと、最近制定された会社法はアメリカ法の影響が極めて大きく、そうすると、一体日本の会社法は、ドイツ法的な原理で解釈したらよいのか、それともアメリカ法的な考え方で理解すべきなのか、よくわからなくなってきているということです。その辺の経緯をふまえて、じゃあ、どういうふうに変わってきたのか、あるいはその背景にはどういう歴史があったのかというあたりを、お話ししたいと思います。
 皆さんのこのプロジェクトでは、これまでにいろいろな方がご報告されておられます。先日送っていただいた資料を読ませていただき、大変参考になりました。前回は堀越先生がお話なさっておられますが、堀越先生の関心事項や協同組合理解と私の関心事項は、似ているところもありますが、違うところもあります。今日は、できるだけ違う視点からお話ししたいと思っています。

●概念の重要性
 私の専門は法律学ですので、「概念」を大事にしたいと思っています。なぜ概念を大事にするかというと、2つの理由があります。一つは、「法の下の平等」を実現するには概念をはっきりさせなければならない、ということです。もう一つの理由は、「法的安定性」ということにあります。例えば、同じ言葉がAという法律関係ではAという意味で用いられ、Bという法律関係ではBという違う意味で理解されてしまったら、どちらが正しい意味なのかわかりません。そうなると法の平等扱いも法的安定性も全くなくなってしまいます。同じ言葉がケースによって違う扱いを受けるとなると、極端なことをいえば、それは封建時代の殿様や代官の判断と似てきます。支配者がその日の機嫌や相手しだいで、さまざまに好き勝手に使い分けが可能となります。使う方にとっては便利でしょうが、しかし、それでは法の下の平等や法的安定性をのぞむことはできません。概念は可能な限り常に同じでなければいけません。
 同様なことが、社会科学の世界でもいえそうです。社会科学が科学性を持つとすれば、自然科学と同様、誰がどこで同じことを繰りかえしても同じ結論が出る、というような学問方法をとらなければいけない。つまり、同じ言葉を使う以上、その意味するところはできるだけ同じでなければならないでしょう。社会科学の諸領域で、同じ言葉を使いながら、言葉の意味がそれぞれ全く違っていたら、学問としては未成熟、科学としては中途半端と言わざるを得ないと思います。そういう意味で、わが国の社会科学や人文科学の世界における言葉の使い方を、われわれはもう少し共通理解できる形で厳密に使っていく必要があるような気がします。法律学は比較的に統一性をもって使っているかと思いますが、それでも、なかなか一致しないというのが現実であり、そこに概念の難しさがあります。

●憲法21条の「結社の自由」と「団体・社団」の意味
 日本国憲法第21条に「集会、結社及び言論、出版、その他一切の表現の自由は、これを保障する」という規定があります。この「結社の自由」とは一体何かというと、憲法学者の解釈では、「結社」とは「多数人が集会と同じく、政治、経済、宗教、芸術ないし社交など様々な共通の目的をもって継続的に結合すること」であり、「結社の自由」とは、「団体を結成し、それに加入する自由、その団体が団体として活動する自由はもとより、団体を結成しない、もしくはそれに加入しない、あるいは加入した団体から脱退するという自由を含む概念である」と定義づけています。
 したがって、憲法上の「結社の自由」とは、新しく団体を結成する/しないことを保障する、または既存の団体に加入する/しないことを保障する、という意味です。そうすると、憲法上の結社は「団体」の意味である、と理解してもさほど間違いはないでしょう。結社と団体は同じような意味に理解してよろしいかと思います。
 では、「団体」とは何かです。この団体という概念について、法律上明確な説明、定義がありません。広辞苑は「共同の目的を達成するために、意識的に結合した二人以上の集団」と説明しますが、法律用語事典になると、定義づけしていない法律用語事典もあれば、最近の法律用語事典は、どちらかといえば広辞苑に近いような説明をしています。
 そうすると、法律用語としての団体は解釈に委ねられている部分があります。民法は、法人規定の中で、社団と財団をもって団体である考え、それに「法人格」を付与しています。ここでは財団を除き、社団の意味での団体、これに焦点を当てて考えることにします。そうすると、団体と社団とは同じ意味に理解してもよいでしょう。団体と社団の関係を、さしあたり社会科学の世界の問題としてみることにします。

●社会学における団体理解
 この団体と社団の関係については、社会科学のなかでもまず社会学の分野で扱っています。その言葉の意味を見てみますと、どうもこれはドイツの団体概念を採用して説明しているように思われます。社会学事典を見ますと、団体というのはフェアバント(Verband)と書いてあり、これに「管理主体を持つ組織集団」というような説明をしています。これではちょっとわかりにくいのですが、団体というのは「特定の目的を持っており、それを達成するために、成員の諸行為を制御し調整する仕組み」、つまり管理する仕組みを持っている、このような仕組みが組織だという理解です。したがって、団体とは、組織された集団、管理主体としての指揮者や行政スタッフが不可欠であるというような概念なんでしょうが、しかしこれではどうもわかりにくい。私なりに、すこし言い方を変えてみますと、団体とは、「私的な団体であれ、行政団体であれ、指揮者および一般に代表権を持つ行政スタッフの管理によって秩序が維持されているような集団、しかも規則によって対外的に一定の閉鎖性を持つ集団である」、というような説明でよろしいかと思います。
 更に社会学の説明を続けると、その団体の下位概念として自発的結社があり、これを任意団体、フェアアイン(Verein)と呼び、この他にもうひとつ強制団体、アンシュタルト(Anstalt)があると言います。そして、前者は協定によって成立し、自発的加入者のみがその秩序に従うような団体であり、後者はその秩序が特定の属性を持つもの全てに強制される団体である、というような説明をします。つまり、言わんとするところは、「団体というのは特定の目的を持つ組織化された集団のこと」であり、「組織というのは、この目的を達成するための管理する仕組みのこと」である。そして「団体にはフェアアインとアンシュタルトの2種類がある」というふうになろうかと思います。

●M.ウェーバーの社会学
 このような理解は、どうもマックス・ウェーバーの説くところを引用しているもののようです。つまり、ウェーバーの『経済と社会』(Wirtshaft und Gesellshaft)という本からの引用のようです。それでは、M.ウェーバー自身が、このフェアバント、フェアアイン、アンシュタルトの3つの概念をどのように定義づけているか、それを、清水幾太郎訳で見てみたいと思います。
 岩波文庫に『社会学の根本概念』という本があります。これは、ウェーバーの『経済と社会』という本の第1章を清水幾太郎が訳したものです。その中で、清水幾太郎は、「規則によって対外的に制限された社会的関係は、その秩序の維持が、その実施を特に目的とする特定の人間の行動によって保証されている場合」、これを団体と呼び、これがフェアバントである、と訳しています。そのうちの任意団体であるフェアアインとは、「協定による団体を指し、その実定的秩序は、自発的加入によってメンバーとなった人間に対してのみ効力を有する団体」のことであり、強制団体としてのアンシュタルトとは、「その実定的秩序が、特定の活動範囲内において、ある基準に合致する一切の行為に比較的効果的に強制されるような団体を指す」、と訳しています。ウェーバーの文章・単語は非常に難しいです。清水幾太郎のような大家が訳しているわけですからこういう訳でいいかと思うのですが、われわれが読むと、どうもわかり難い文章である印象をもちます。しかし、翻訳されたものがわからなくても、我々は大体こんな意味だろうと曖昧に理解して過ごしている部分もあるわけですね。大家の訳に従うことで、無批判に使用するわけです。そうすると、社会科学の世界では、曖昧のまま使用されてしまうので、それぞれの間で使い方が違ってくる、という結論に結びつくのかもしれません。
 われわれが実際、印象として受けるフェアバントとフェアアインとアンシュタルトは、一口で言えば、フェアバントは団体の全体的な上位概念であり、そのうちの人的結合体がフェアアインです。単語の意味は“一つになる”という意味です。集団が一緒になって一つになるという意味ですから、だからこれは社団と訳してもいい。アンシュタルトというのは、どちらかというと公法上の物的施設や、財団的な財産的結合体、公の施設だとか、そういったものを指す場合が多いものですから、これは強制団体といってはいますが、ここでは一応除外してもいいと思います。われわれがフェアバントとして理解するのは、どちらかといえば社団という意味であり、これを中心に、フェアアインを見ていけばいいのかなと思っています。

●ドイツ法と団体
 最初に日本憲法第21条をみましたが、これに該当するのがドイツ基本法第9条第1項です。基本法といっていますが、これは憲法と同じ意味で理解して下さい。基本法の第9条第1項はフェアアイニグンスフライハイト(Vereinigungsfreiheit)という概念を用いて、「すべてのドイツ人は、フェアアインおよびゲゼルシャフト(Gesellschaft)を設立する権利を有する」と規定しています。
 そうすると重要なのは、この3つの用語の意味内容です。つまり日本語でこれをどういうふうに表現するかはさまざまですが、ここでは一応、フェアアイニングスフライハイトを「結社の自由」、フェアアインを「社団」、ゲゼルシャフトを「組合」と訳しておきましょう。日本語の概念に一番近いのはそれかなと思います。しかし、ドイツ語の「ゲゼルシャフト」という言葉は非常に複雑でして、通常の意味は「社会」という意味です。先ほど見たように、M.ウェーバーが使用するゲゼルシャフトは、社会という意味で使っています。だから清水幾太郎は『社会学の根本概念』と訳しているわけですが、ゲゼルシャフトの第一番目の意味は社会という概念です。
 テンニースの『ゲゼルシャフトとゲマインシャフト』でいうゲゼルシャフトは少し違います。社会とはちょっと違い、どちらかというと組合や会社という意味に近いと思います。テンニースは、ゲマインシャフトに村落共同体や家族のような団体をイメージし、ゲゼルシャフトには目的を持って集まった結合体を考えました。したがってゲゼルシャフトには、英語でいうソサイエテーやコミュニティに近いような意味もありますが、さらには、カンパニーやコーポレーションの意味もあるということに注意する必要があります。
 というわけで、ドイツ語のゲゼルシャフトを一語でもって表現するのは難しいと思います。「思考の限界は言語の限界である」というのは言語学の一般的な命題でしたが、日本人にとってこの「ゲゼルシャフト」は、ICA原則の表題にある「アイデンティティ」と同様、日本語に訳し難い単語です。このゲゼルシャフトは、われわれ日本人の思考を超える言語表現であるという気がします。実際、ゲゼルシャフトは法律上も広い意味をもつ概念です。民法上では、ゲゼルシャフトは「組合」または「組合契約」の意味で用いられています。また、商法の他に、株式会社を規制する「株式法」という特別な法律がありますが、この株式法では株式会社のことを「アクティエンゲゼルシャフト」(Aktiengesellschaft)といいます。やっぱりゲゼルシャフトを用います。有限会社法はレジュメにも書いてある通り、GmbH-Gesetzと言い、前半部分のGmbHは有限会社のことです。「G」はゲゼルシャフトの頭文字です。つまり、株式会社も有限会社もゲゼルシャフトを使っていることがわかります。商法典はHGB(Handelsgesetzbuch)ですが、そこで規定する合名会社(OHG)や合資会社(KG)もこのゲゼルシャフトを用います。したがって、ドイツ法では、民法上の組合も商法・株式法上の会社も、同じゲゼルシャフトを使っていることがわかります。このことから、法律上の意味は違いますが、しかし同じ単語を使っていることがわかります。
 ところで、ドイツ民法は、法人のところで、法人の種類をまず「社団」、「財団」、及び「公法上の法人」の3種類に分け、次に、社団を「非経済的社団」と「経済的社団」の2つに分けます。これが民法の原則です。このように見てくると、民法はゲゼルシャフトを民法上の組合と意味づけ、法人のところではフェアアインを社団と意味づけており、その意味では、憲法が保障した団体設立の自由を、民法できちっとつながりをもって保障していると云えます。この点をもう少し詳しく見て見たいと思います。−続く
 


グローバル時代の東アジアの女性ネットワーク 新たなステージを迎えた三姉妹会議
生活クラブ連合会女性委員会 委員長 末吉 美帆子



 06年11月1日、生活クラブ連合会女性委員会は、埼玉県の国立女性教育会館において「第7回アジア三姉妹会議」を開催した。韓国、台湾の女性運動、環境運動を基盤に生まれた生協との3カ国の国際交流は第1回の提携取り交わしを別にして、日、韓、台での開催を2巡して3期目の段階に入ったと考えている。1期目、2期目の成果と課題を振り返り、3期目と今後の課題と目指すものを明確にしていこうと思う。

これまでの歩み
 02年、SARSの大流行の影響で台湾での三姉妹会議開催を断念した折、韓国で行った代表者会議において、翌年の開催を視野におきつつもこの期間を無駄にせず三者が「協同組合の価値と原則」を考え深めることを提案した。それは、既存の価値観を学ぶのではなく「自らにとっての価値と原則」である。これには2つの目的がある。1点はまさに「生活クラブの価値、目指すもの、そのための原則」を自分たちの活動の実感から整理し評価し再確認したいということだ。
 もう1点は言語の一致である。たとえば私達は「消費材」と呼ぶ商品を、他の2カ国は「生活材」と呼んでいる。でもその概念は同じなのだろうか?国の違い、言語の違い、組織の違いにより同じ言葉でも「概念」がかなり違うことをたびたび経験した。たとえば「デポー」等の定義と運営はかなり違う。そのことは新鮮であるにしても議論をさらに深めるためには支障になってくることがわかってきた。それを一致させるための共通のテーマに「協同組合原則」が最適だった。
 そういう意味においては、1期目は交流の中から互いの理解を深め、共通点と相違点が明確に見え始めた時期とも言え、2期目はそこから自らの協同組合運動の目指すものと具体的な活動実践の連関を内省する時期だったとも言えよう。そして1年間をかけ各々の団体が「私たちの考える協同組合の価値と原則」を作成し、2004年台湾において開催した第5回3姉妹会議において交換、発表しあった。3団体の指向する協同組合の価値と原則は、ICA原則を共通の根幹に据えたので共通点は多かったが、各団体が追求する価値、各国の社会条件、各団体の発展過程により、当然のように差異があった。その差異と新しく提示する概念をふくめて、2005年、韓国での第6回3姉妹会議で「第8原則 代案<alternative>社会創出」を追加した「3者が目指す価値」と「共通の原則」を作成した。
 その第8原則とはなにか?それは、私たち連合会女性委員が、一年間の議論の中で「消費材」の価値の概念を議論する中で、「生産する消費者」としてオルタナテイブな市場経済を創り出す…つまり「新しい地域経済の仕組み」を実践することによって創り出す社会的経済。その一人一人の力を増やすことによって社会を変えていくこと。消費協同組合の最大の意義として自分たち組合員こそがその点を非常に重要だと捉えていることを敢えて「第8原則」として追加したことを他の2団体が共感し尊重してくれたことだと理解し、感謝している。
 かつ私たちは当初からこの3団体の指向する未来への実現をこめて、世界へとりわけアジアへ広く運動を広げて行きたいと願って提携した。しかし、アジアの女性の連帯と言ってもあまりにも芒洋とした大きな目標であると共に、例えばICA女性フォーラム等で出会う世界中の国々の女性の置かれている生活や社会状況のあまりの差異の大きさと乖離に接点の糸口さえ見失いそうになる。しかし、例えれば生活クラブがこの10年間取り組んできた遺伝子組み換え反対運動において、GM小麦を阻止できたことは、日本と韓国の国民がNO!と拒否したことが大きい。主食である米について、日本で実際の商業栽培にいまだ至れないのも、多数の国民の不安であるという反対感情が強いのが大きな要因で、このことは日本1国でなくアジア全体が情報共有しながら反対運動のうねりをさらに大きく作っていくべきだ。これは一つの例にすぎない。自国で自分たちの食糧を守り創り、食糧主権を我が手に取り戻すこと。搾取もされないしない自立した生活をすべての国民が取り戻すこと。満足のいく量の食糧と医療、きれいな水、教育、平和。平等。アジア全体の女性が取り組むべき課題の大きさは厖大だが「隗より始める」これにつきる。そして実践。先進モデルを作って行く。必ず社会は、そして世界はそこから転換していくのだ…と信じる。

意義深い遺伝組み換え運動の議論
 その意味で実は4年前の第3回の会議の分科会において、初めて「遺伝子組み換え運動」を議論した折は、生活クラブの報告においても、消費材の非遺伝子組み換え原料の調達、切り替え等の実践報告が主テーマだった。2007年の現在に至っても100%非遺伝子組み換えに達成していないにしろ、微量原料レベルにまで課題は狭まった。巨大タンカーの1部分を区切って非遺伝子組み換え飼料を輸入した初期からは隔世の感のある最大限の成果だ。しかし、地球上で見る限り遺伝子組み換えの栽培の攻勢は止まらない。私は昨年秋冬連続してアメリカを訪れたが、明らかにGM飼料作物の輸出ターゲットはアジア。GMアルファルファも認可された。「数年後には全米が遺伝子組み換えコーンである事態も充分ある」と明言する生産者もいた。しかし、米国の農業者には「食べる日本の消費者」の顔は見えない。見る気もない。しかし「消費者が何を求めているか。それによって生産体系を考える」と言う生産者もいる。当然のことだと思う。アジアの消費者自ら考えなくてはいけない。何を食べたいのか。食べたくないのか。「おまかせ」にしてはいけない。そして連携することだ。そのために今回の3姉妹会議の分科会テーマを再び「遺伝子組み換え反対運動」に設定した。1年に1回会って、情報交換するのではない、年間を通じてお互い何を目指し運動してきたか交換しあい、「一緒にできることは何か」を探そう。そのための1年だ。私達はそう思って1年間を過ごしてきた。そして3カ国の国民の意識の濃淡はあれ、「ともに遺伝子組み換え反対運動を国境を越えてすすめよう」という共同宣言を当日確認できた意味は大きい。3団体とも決して巨大な組織を持っているわけではない。まして台湾のように政情が複雑な国もある。しかし、3カ国でそれぞれが共感する仲間、組織を増やしつながり、政治にもしっかりと監視の視点を忘れない。そのことの意義はとても大きい。−続く 


穀物新時代、自給率向上に動く欧州 スイススタンダード!
スイス最大のスーパー、GMO飼料も完全フリーへ
ドイツ語翻訳・通訳者 たかお まゆみ



 メキシコの主食トルティーヤ価格が倍額となった。米国はコーンをアルコール燃料にふり向け、一方で原油高を演出していた投機資金の一部が穀物市場に廻っている。先月号の篠原講演にあるように欧州は、油糧作物の増産へと転じていた。
 そうした中で、スイスの生協、ミグロが、飼料の完全非GM化へと動いている。

 スイスは、昨年2005年11月27日の直接国民投票で、GMO商業栽培と遺伝子組み換えされた生物の飼育を禁止した。このスイスで、大手スーパー各社がさらに一歩進んで、GMO飼料を食した家畜製品を全面的に扱わない方針に動いている。この措置は、スイスに食肉・加工肉を輸出する外国業者にとって現実的な問題となる。
●スイス最大のスーパー:「ミグロ」
 スイス最大のスーパー、「ミグロ(Migros)」が、06年10月12日、GMO飼料を食した家畜の食肉、加工品を全面的に扱わない方針を決定した。

 ミグロは、スイスに住む人々にとってなくてはならない国民的スーパーだ。「MMM」と名付けられた都市部の超大規模店舗から、「MM」の中規模店舗、そして「M」とくれば小さな町村にでも存在する“お店屋さん”で、「MMM」と同じ日配品、生鮮品を購入することができる。山岳地帯にはミグロの移動販売車も巡回している。
 創立は1925年、5台の移動販売車で生鮮品を売り始めたのが始まりだった。食品事業をコアにしながら、自社ブランドの衣料品、電化製品、日用品はもちろんのこと、金融、旅行、文化、運輸など、事業展開は範囲を広げてきた。2002年現在、総売上が約1,8兆円に上る。
 社会的企業としての意識は、日本人の視点から見るならばもともと非常に高い。歴史を見てみると、ミグロの市民性・民主性を貫くために1936年に「独立無党派クラブ」を結党し、初の選挙で18.3%を獲得した(第二次世界大戦終結とともに解散)。生活直結の商売を政治化したこの感覚は、スイス政府がナチスに屈服しそうになったのを後に救うことになる。1941年に「緑財団」設立、1974年にすべてを自社製品のみでまかなう「サノ・プロジェクト」による食品供給開始、1978年には、スイス国内の企業として初めて環境/社会バランスシートを出し注目された。1998年には国境を接する近隣諸国との間で環境保護に関する協定を締結している。

●株式会社から生協化したミグロ
 実をいうとミグロは、株式会社だったのが生協化した組織である。
 本誌編集部から、「ミグロは生協ですか?」と聞かれるまで、わたしはミグロが生協だとは全く気づかなかった。本項でミグロをスーパーと呼ぶのは語弊があるだろう。しかし、4年半をミグロとともに暮らしたわたしのスイス生活からいうと、「国民的スーパー」という感覚は生活実感として的外れではないように思うので、本項に限ってそう呼ぶことをおゆるしいただきたいと思う。また、欧州生協組織の株式会社化という流れとも無関係ではないかもしれない。
 コープ東京が企画し岩波書店が協賛した『ミグロの冒険』(A・A・ヘスラー著、山下肇・山下萬里著、1996年)という本がある。そこには、私企業であったミグロが創業者ドゥットワイラー夫妻の英断により、生協組織に改組された様子が、克明に記されている。すでに莫大な資産(1600万スイスフラン)を保有していた創業者夫婦と親族が、その資産をスイス市民に贈与する形で創業後16年目の1941年、生協化が行われた。
 ミグロの民主的な販売戦略は、創業当初より無数の誹謗中傷を受け、既得権団体からいくつもの裁判を起こされていたし、現状に安住していた「スイス生協連合会」(VSK)もその戦列に加わっていた。乳製品の仕入れや価格等で、ミグロと厳しい敵対関係にあったためだ。
 しかし、ドゥットワイラーは、「わたしは協同組合運動と同じような闘争をしてきたし、生協運動をしている消費者に生き生きとした共鳴を感じている」と述べていたし、すでに1935年当時のミグロ定款には、「諸経費諸税差し引き後の純益は、すべて公共の福祉に投じる」ともあり、普通の株式会社とは一線を画した社会性を有していた。こうしたドゥットワイラーの思想からいえば、ミグロの生協化は必然的なものであっただろう。ただこれは、後世の人間がくだす評価であり、当時としては「歴史上まれにみる驚くばかりの決断」(ミグロホームページより)であったにちがいない。
 生協化にあたり、ドゥットワイラーは以下のように述べている。「生活協同組合は、企業の経営者が関心を寄せず、国家が課題を解決できないところで、努力の限りを尽くさなければなりません――」

●ミグロの「エンゲージメント」製品
 さて、「エンゲージメント」製品の話にもどろう。
 ミグロは、時代ごとに独自シリーズを開発している(そもそも、果敢な取り組みにより一般仕入れルートから閉め出されてきた経験がその基底を為す)。現在、もっともアクチャルなシリーズが、この「エンゲージメント」である。
 エンゲージメントは、28ページにわたる細かい規定をもち、それをクリアした場合のみ「エンゲージメント」製品として表示販売される。
 例えば食肉については、「M7ポイント」と名付けられた規定が適用される。M7ポイントは、@家畜に対してフレンドリーな飼育方法、
A環境に対してフレンドリーな飼育方法、
B社会経済的にフレンドリーな飼育方法の三つの視点から具体的な規定が定められている。もちろんGMO飼料を使用しないことは必須条件のひとつだ。エンゲージメント肉は、2005年に6億3800万フラン(約574億円)の売上げとなった。
●ミグロ、GMO飼料フリーを決断/グリンピース・スイスの動き
 06年10月12日、このミグロが、グリンピース・スイスに対して書面回答してきた。これは、今年の7月13日、グリンピース・スイスがチューリッヒのリマト広場にあるミグロ本店で行ったアクションとその際に書面で受け渡した質問による回答である。それによると、ミグロ全店で、2007年半ばから、GMO飼料を食した家畜の食肉・肉加工品を全面的に扱わないことにする予定ということである。
 すでに国内産製品についてはGMO飼料フリー化に動いていたミグロだが、当初、「輸入食肉に対してもGMO飼料フリーを求めるとコスト高になる」として、輸入物にまではGMO飼料フリーは求められないと強く主張していたため、グリンピース・スイスは、今回のミグロの返信(変身!)を大いに歓迎している。
 グリンピース・スイスでは、小売り各社に対して、GMO食品を取り扱わないように、かなり以前から交渉をしてきた。その結果、GMO食品をスイス国内の店頭で見かけることがない(日本の豆腐や醤油なども売られているアジア食品専門ショップを除く)。残る問題は、GMO飼料を与えられている家畜産品の問題だった。現在、欧州域内で実質的にGMOが使用されているのはこの分野であり、これを阻止しなければ、GMO作物栽培に歯止めがかからない。この見地からグリンピース・スイスはGMO飼料を食した家畜から生産される食品のボイコットを新たに呼びかけていた。

●他スーパーの追従
 「コープ」「デンナー」「スパール」は、GMO飼料フリーについて共同の話し合いを重ねており、GMO飼料フリーに動いていたと見られていたが、10月上旬にもたれた会議で最終結論には至らなかった。今回、最大手のミグロの動きを受けて、「GMOを食した家畜産品は扱わないのがスイススタンダードだ」として、ミグロに追随するものと、グリンピース・スイスは見ている。−続く 



94品目に放射線照射するというスパイス業界 食品への放射線照射とは?
和高スパイス株式会社 専務取締役 山田 洋平


 2005年12月に内閣府原子力委員会が「食品照射専門部会」を設置した。2006年7月13日に「食品への放射線照射について」という報告書がまとめられた。具体的な品目として照射の認可を求めているのは全国スパイス協会だ。※94品目スパイスやハーブ、野菜に照射するという業界の意図するものは何か。私たちが望んでいる「食の安全」とはほど遠い業界の意向。その背景となるものは、何か、生活クラブ生協にスパイスを供給している和高スパイス株式会社の山田洋平氏を招き、スパイス業界の実情を語っていただきました。(編集部)

※放射線照射の対象とする香辛料の種類
アサノミ、アサフェチダ、アジョワン、アニス、アムチュール、アンゼリカ、アナトー、ウイキョウ、ウコン、エシャロット、オレガノ、オールスパイス、オレンジピール、ガジュツ、カショウ、カッシア、カフィアライム、カモミール、ガランガル、ガルシニア、カルダモン、カレーリーフ、カンゾウ、キャラウェイ、クチナシ、クミン、クレソン、クローブ、ケシノミ、ケーパー、コショウ、ゴマ、コリアンダー、サフラン、サッサフラス、サボリー、サルビア、サンショウ、シソ、シナモン、ジュニパーベリー、ショウガ、スターアニス、スペアミント、セージ、セロリー、ソーレル、タイム、タデ、タマネギ、タマリンド、タラゴン、チャイブ、チャービル、ディル、トウガラシ、ナツメグ、ニガヨモギ、ニジェラ、ニラ、ニンジン、ニンニク、ネギ、ハイビスカス、バジル、パセリ、ハッカ、バニラ、パプリカ、パラダイスグレイン、ヒソップ、フェネグリーク、ピンクペッパー、ペパーミント、ホースラディッシュ、ホースミント、ホメグラネート、マスタード、マジョラム、ミョウガ、メース、ヨモギ、ユズ、ラベンダー、リンデン、レモングラス、レモンバーム、レモンピール、ローズ、ローズマリー、ローズヒップ、ローレル、ロングペッバー、ワサビ

 「食品への、放射線照射とは」文字通り、食品に、放射線を照射すること。その目的は何かというと、スパイスの場合は、おもに“殺菌”です。もちろん、これ以外にも、いくつかの効果が期待できるのですが、主に殺菌、ということでまず、生活クラブの消費材スパイスの、殺菌についてお話をしてみたいと思います。

スパイスと殺菌
 スパイスの起源物質は植物です。ゆえに、もともと土壌由来の菌をかなり含んでいます。市販のスパイスに関しては、未殺菌状態で店頭に並んでいる場合が多いようです。(検査データより推察)
 また、大腸菌に関しても陽性(検出する)のという場合も少なからず認められます。ただし、大腸菌自体はそれほど悪しき影響を及ぼすことは無いといわれています。(病原性大腸菌O-157のような例外もある)。大腸菌は一般的に、ほかの病原菌などの状況を推測するための、指標(指標菌)としてデータを取る、という意味合いが強いようです。但しもちろん少ないにこしたことはないのですが。それでも、この表からは、市販品の汚染度はかなり高いとの印象をもたれることと思います。確かに通常の食品に於いては、許容範囲を超えているレベルです。ただし、この汚染度の意味合いは、食中毒を起こしてしまうレベルとは考えにくい。家庭用スパイスに関しては、歴史的に見ても、衛生上とくに大きな問題は無いと思われます。過去にスパイス由来の食中毒の記録も見当たりません。その理由としては、スパイスは絶対的な摂取量が少ないということにあると思います。これをそのまま、ほおばる訳ではない、問題は摂取総菌数です。摂取した食品の0.5%(最もスパイス摂取量が多いといわれるカレーの場合でも)がスパイスだとしても、これは問題になるレベルとは考えにくいと思われます。またスパイスは乾燥状態で、脂肪分やたんぱく質が少なく、菌の増殖はほとんどないということがあげられます。これらの理由から、法律上の基準値の設定もなく流通している、と言うのが現状のようです。
 だたし、使い方とか状況によっては、許容を超える汚染が進んでしまう可能性も否定できません。一例を挙げれば、ペッパーはひとつの料理で三度使うと言われるほど使用頻度がとても高いスパイスで、@下ごしらえA調理中Bテーブルスパイスと各段階で使用されますが、このBでの使用が問題となることがあります。振りかけて、すぐ食さないケースです。サラダ、弁当、おせち料理などは、菌を培地に振りまいたような状態であるため、そのままの状態で放置した場合、許容範囲を超えて菌が増殖する可能性もあります。このような理由から、業務用、加工用原料として使用する場合のスパイスの生菌数の管理は、絶対に必要となります。法的基準もあります。初発菌数の管理というのは非常に大切な事項です。

排除できるリスクは可能な限り減らす
 生活クラブの消費材スパイスは、排除できるリスクはできるだけこれを減らしていきたい、という考えが基本です。したがって可能な限りのアイテムについて減菌処理を実施したいと考えています。一方、一般メーカーが殺菌を施さない理由は何でしょうか?これはあくまでも推測の域をでませんが、先ず、第一に、スパイスの熱に対する感受性の高さ=加熱処理による、フレーバーの損失があげられると思います。第二に、スパイスは絶対的な摂取量が少ないので、重大な事故につながりにくい。法律的な基準も設けられていない。第三には、スパイスは水分・脂肪・たんぱく質が少ないので、劣化(変性)しにくいこと、そして第四には、殺菌はコストがかかること。殺菌済み、とラベルに記載しても、その意味するところ(優位性や付加価値)を充分に伝えられる環境にないので、費用対効果を期待できないのです。例え本当に有意な技術であっても、売り上げに反映されないコストは削除されるのは必然です。

生活クラブスパイスの殺菌方法
 さて、それでは生活クラブの消費材スパイスはどんな方法で殺菌しているのでしょうか?答えは過熱水蒸気というものを使った『気流式殺菌』、という方法で殺菌です。これは、現在考えうる、最も安全といわれている殺菌方法です。過熱水蒸気とは、ちょっと難しい概念ですが、水を沸騰させ発生した水蒸気を更に加熱して、100℃以上の高温状態にした気体のことです。非常に高温の、いわゆる乾燥した蒸気で、これは乾燥空気よりさらに物質を乾燥させる性質があると言われています。また、飽和水蒸気と違い、酸素をほとんど含まない為、加熱処理中の成分の酸化が抑えられる。この高温で乾燥した蒸気というのが、スパイスの殺菌に非常に適合しているのです。
 スパイスの劣化条件とはなにかというと、熱・湿気・光です。特に、熱に関して非常に感受性が高いのです。つまり、短時間(数秒)で殺菌が可能なこの殺菌方法は、スパイスと大変相性がいいのです。
 さてここで、スパイスの効果、効能についてお話したいと思います。我々は、スパイスに、どんな効果を求めてこれを使うのか?「スパイス」を、日本語にするとわかりやすい。読んで字の如し「香辛料」、香り(賦香・矯臭)・辛味、プラス着色、このうち最も大きな効果が、“香り”です。この香りの正体は、“精油”と呼ばれる揮発性の成分、中には不揮発性のものもありますが、大部分のものは揮発性で、すなわち熱に対する感受性が強い、熱によりダメージを受けやすいものが多いのです。したがって、加熱殺菌する際できるだけ処理時間を短くすることが重要になります。そこで、この過熱水蒸気を使った気流式殺菌、これはさきほど言及した通り、高温で乾燥した水蒸気を使っているので、非常に短時間、ほんの数秒で処理が可能なのです。また乾燥しているため、湿気によるダメージもありません。ただわずかでありますが、加熱によるフレーバーの損失は、完全には避けられない。しかし、各スパイス毎に、最小限のダメージで最大の殺菌効果を求めた温度設定をおこなうことで、フレーバーの損失は必要最小限、許容範囲内に抑えることが技術的に可能なのです。つまり、この気流式殺菌は、現在に於いて、必要十分な役割を果たしていると、我々は認識しています。

放射線の照射による殺菌とは
 現在、世界的に主流となりつつある殺菌方法があります。それが放射線の照射による殺菌です。最近、にわかに、いろいろなメディアで取り上げられる機会が多くなりました。「生活と自治」7月号、また、一般紙に於いても、7月13・14日の朝日、東京新聞などの報道及び、7月27日の朝日新聞での半面をさいての特集記事等々、その他枚挙に暇のないほどです。また、食品照射ネットワークなどの活動によって良くご存知の方も多いと思います。ここにきて、にわかに騒がしくなったこの問題をちょっと整理してみたいと思います。−続く 


日本一のGMOフリーゾーン看板 立ちはだかるGM食品を迎え撃つ看板
生活クラブ生活協同組合・栃木 副理事長 丸山 美佐


 12月11日に抜けるような青空の下、栃木県那須塩原市にあるJR那須塩原西口の交番横で、縦2.3m、横7mの全国一大きなGMOフリーゾーン看板の除幕式が行われた。「遺伝子組み換え作物を作らない」と宣言したのは生活クラブ提携生産者でJAなすのに所属する「どではら会」と、きゅうり、キャベツ・ブロッコリーの研究会・部会のメンバー。式典には、JAなすの、とちぎ生活クラブ生協提携産地連絡協議会、生活クラブ生協連合会・東京・栃木・千葉からと総勢約60名が参加。挨拶に立った「どではら会」の伊藤会長は、「那須の大地から食の安全を全国にアピールしていきます」と力強く宣言。「子や孫のためにも、遺伝子組み換え作物を作りません」と生産者代表が宣言文を唱和した。最後に生活クラブ東京の和田理事長が決意表明。「食べたいもの、作りたいものを選択できなくするのが遺伝子組み換えです。『GMOフリーゾーン』という言葉を一般化して、生き物の多様性を守るために、私達は遺伝子組み換えに反対していきます」。参加者それぞれの想いと決意を受けて、看板の除幕となった。
 「GMOフリーゾーン運動」への参加と協力の要請を生活クラブから受けて、JAなすのがどではら会を中心に対応を検討し始めたのが2005年。翌年の推進会議でGMOフリーゾーン看板設置の意志を表明。JAなすのが持つ駅前の看板の一部に設置することになり、生活クラブ東京と栃木も参加・協力することを確認した。
 その後の協議で、東京と栃木の組合員が看板設置費用をカンパで支援することになり、それぞれで活動を展開。栃木は班一部のチラシの他、機関紙・各委員会・ちいき会議や交流会等でのカンパ呼びかけ(一口100円)やイベントでのカンパおにぎりの販売やカンパ箱の設置で総額96,342円が集まった。
 GM食品に反対する活動として、栃木では署名運動の他、学習会やチラシまき、自生ナタネの調査等を行ったが、継続性や広がりを生む運動とまでは言えなかった。どうしたら運動としての意識をもってやれるのかと手掛かりを求めていた今年度、生活クラブ連合会のGM問題連絡協議会のメンバーとして、会議や集会、団体行動等に参加する機会を得た。日本はもとより世界中でGM食品問題に関わり、行動している人達の存在を知るにつれ、GM食品問題が、少しづつ血や肉や色をつけながら、自分の前に立ちはだかるのを覚えた。これまで遠くから眺めていたやつと目が合い、自分に向かってきたのである。何とかしなければ前に進めない。そこでようやく、自分も何かしなくてはという想いに至ると共に、この想いを周りに伝えたいと思った。
 セレモニーの中で、「生活クラブがNON-GMO運動を続けることができるのは、組合員の熱い想いと、提携生産者の深い思慮による参加と協力があればこそです」と挨拶したが、これからは一歩進んで、「自分はこれができる」「もっとやれることはないか」と、主体性を持って行動することでこの運動を広げることが求められていると考える。反対行動をしている人達の中にいる自分をイメージすることから始まるのではないか。「GMOフリーゾーン運動」は、そのイメージをしやすいもの、運動の中に入りやすいものとして優れていると思う。
 那須塩原駅前のフリーゾーン看板は地上約6m。大きくて、高くて、手の届かない所にそびえているが、それだけに設置までの苦労も多く、設置したことで安心して運動が止まってしまうとまさしく「手の届かないGMOフリーゾーン運動」になってしまう。この看板は誰のものか。お金をだした生産者や組合員、あるいは場所を提供したJAなすののものか。そうではなくて、この看板が立っている地域、この看板の前で足を止め、眺めた人のものとしたい。どではら会や野菜部会の人達、生活クラブ東京や栃木の組合員は、この看板をたてた時から、この看板を後ろにしてそれぞのの胸に刻んだフリーゾーン運動を地域に向けて広げていくために歩き出しているのである。

 栃木県のGMOフリーゾーン宣言面積は37.5haこれは全国でも山形、北海道、千葉に次ぐ広さである。この面積をさらに広げるために、生産者と組合員がともに活動する「GMOフリーゾーン運動」をこれから組み立てていくことになる。そのための学習会を、千葉の「元気クラブ」代表増田氏と、生活クラブ千葉の副理事長西分氏を招いて開催する。
 「どではら会」のメンバーと組合員が一緒に学習し、交流し、運動している様子まで早くもイメージしているところである。 


<ネット・統一地方選挙>D 統一地方選にむけ、進むネットの活動

横浜 地域からニッポン再生
地域政党 ネットワーク横浜 事務局長 宗形 もと子



状況分析
 今年は統一地方選挙と参院選が行なわれる12年に一度の年です。国政政党は統一地方選挙を国政選挙の前哨戦ととらえて、戦いの準備をしています。人々の目が国政政党に向きがちな逆風の中での戦いを、地域政党は強いられると予測されます。
 過去、統一地方選挙と同年の参院選は、統一地方選挙の影響を受けるとのデータがあります。だからこそ統一地方選挙では、市民の選択は別のところ(地域政党)にあることを示すことが大切だと訴えていきます。なぜならば、自民党や民主党など既存の権力と結びついた政党以外の選択を示すことが、政治を変え、市場や軍事の「力」が支配する世界を変えていくことになると考えるからです。
 今、いじめ、虐待、格差拡大、ワーキングプア、人口減、世界一の高齢化率と、社会問題は多様化、複雑化を極めていますが、安倍政権はそれらへの対策はおざなりのまま、教育基本法、憲法の改定により国家主義的な国を愛する心を高めることに執着しています。地方分権の時代、市民の自治体として自立する地域にこそ解決の道筋があるのではないでしょうか。協同組合を母体として誕生したネットワーク運動は、20年以上が経過し、登場の頃の輝きを失いつつあるように見えます。しかし、いまこそ、人々が力を合わせて、未来をつくることに向き合うべき、つまり、地域政党の出番です。
 とはいえ、横浜においては、定数の少ない中選挙区で、1万票以上を獲得しなければ当選しない大変厳しい選挙状況です。西区は市議定数が2(人口約8万人)、最大の港北区で定数8(人口約31万人)です。それらの状況を踏まえて、ネットワーク横浜は立党以来およそ2年半、さまざまな取り組みをしてきました。

ネットワーク横浜の取り組み
1.多様な候補者の擁立
 本来、議会には、市民社会と同じように多様な議員が選出されることが必要です。しかし、横浜のような中選挙区ではなかなか難しいものがあります。そういう中で、障がい者をはじめ、DV(ドメスティック・バイオレンス)、ホームレス、外国籍市民などマイノリティの問題は、必然的に市民の代表としてネットワーク横浜が受け皿となってきました。地域社会はさらに多様化しています。そこで、ネットワーク横浜は、これまでの生活者・女性・市民の代表としてだけでなく、さらに幅を広げた生活者・市民の代表として議員を送り出したいと考え、女性・男性を問わず市民活動の実績のある人を候補者として擁立することを方針にかかげ、公募等に取り組みました。
 公募では、区ネットのなかった中区で前回民主党から出馬した女性(串田久子)から、ネットワーク横浜の参加型の取り組みに共感して応募があり、公認決定しました。
 港北区では、区ネットが中心となって、区内の生活クラブ運動グループだけでなく、市民活動団体にも声をかけて、幅広く候補者探しをしてきました。結果的に市民活動の実績ある38歳の男性(大野拓夫)の公認に至りました。
 また2003年、2期目の議席を確保できずほとんどが新人の会派になったこと、市長交代による政策実現のチャンスを100%生かすことができなかったこともあり、2期8年の課題が内外から指摘されるようになっていました。ネットワーク横浜は、1年をかけて「代わり合うこと」の議論を深め、最終的に、「『代わり合う』という理念を実践するためのルールは、原則2期8年までとする。ただし政策の継続性や政治力の維持をはかるために、当該区ネットから提案があったとき、ネットワーク横浜に参加する区ネットの合意を得て、最長3期12年とすることができる。」ことを決めました。これらの取り組みの結果として、2007年統一地方選挙に向けて、公募、男性、3期というこれまでの枠を超えた候補者を擁立することになりました。

2.全国の市民派議員との連携「議員特権拒否キャンペーン」
 現在、ネットワーク横浜は、「議員特権拒否キャンペーン」の呼びかけ団体として、幅広い市民派議員と連携して運動を展開しています。理由は2つあります。1つは現在のナショナリズムを強めている国政の流れをおしとどめるための対抗軸をつくりだしたいということ、もう1つは自治体議会に議員特権を拒否し、議会改革をする議員を送り出したいということです。
 ネットワーク横浜は、2006年3月に「費用弁償廃止」、同年12月に「政務調査費の領収書等添付義務付け」の2つの議員提案を行いましたが、自民・民主・公明の反対で否決されました。また、費用弁償については、否決を受けて「受け取り拒否」を続けています。横浜市の費用弁償は1日あたり1万円、政務調査費は議員一人当たり月55万円という高額です。横浜市議会議員の特権的な待遇に、きっぱり拒否している会派として、昨春の準備段階からこのキャンペーンに取り組んでいます。
 さらに、全国ネットとともに変えなきゃ議会!2007にも参加し、議会に情報公開、市民参加、自由討議をすすめて、議会の持つ立法機能を拡げることをめざしています。

3.ブログ
 2006年のはじめから、議員と候補者はそれぞれ独自にブログをつくって、政治メッセージを発信しています。それぞれの個性が出ていて面白いと反応があります。考え方や性格も含めて、個人の資質が見えてしまう怖さもありますが、おそれず、チャレンジしています。今のところ、多い人は日に200件程度のアクセスがあります。選挙が近づくとさらに多くなると期待しています。
4.市民運動の創出と連携
 設立以来、できるだけ多くの市民と連携していこうと方針をたて活動してきました。横浜カーフリーデー、市民メディアサミットなど市民主体の運動に、参加団体の一つとして参加してきました。また、「市民がつくる横浜政策推進ファンド」を創設、市民発の政策づくりを推進し、ファンド受託団体とも連携ができました。

5.政策
 横浜では、95年から4年ごとに分権研究会、横浜構造改革研究会を設け、福祉、NPO、地域民主主義、分権などプロジェクトで政策形成に取り組んできました。03年からは、「多様な生き方、働き方を可能にする」「共に生きる社会をつくる」「横浜に自治・分権型市民社会を実現する」を柱に、横浜大都市政策研究会に6プロジェクトを設けて政策形成をすすめました。
 さらに、ジェンダー・フリープロジェクト、障害者自立支援法対策プロジェクト、防災・防犯プロジェクトなどでも、年金アンケート、介護保険アンケートなどの調査をもとに政策提案をまとめました。選挙に向けては、新人候補者とともに2003年横浜政策を検証して、マニフェストをつくっています。

いよいよ選挙戦
 ネットワーク横浜は、国政に連なる政党が、国の法律や政党間の枠組みにとらわれているなか、地域政党として学校給食など身近な問題から、財政の建て直しや区への分権、市民の力を生かした高齢社会政策まで実績をあげてきました。地下室マンション建設規制では、ネットワーク横浜の提案により、市は国の法律より厳しい規制を盛り込んだ条例を制定しました。さらに、横浜市の条例制定により、国の建築基準法も改正されました。議会改革だけでなく福祉などでも政策的な条例提案ができるよう、現在の6議席を超えて、横浜市議会に再び8以上の議席を獲得することが目標です。
 この選挙で、ネットワーク横浜は、「地域からニッポン再生」を掲げました。再生の鍵は、自治と分権をすすめて地域の力を引きだす市民一人ひとりであり、地域社会の再生を日本へとひろげていくことによって未来への希望を再び手にしようという呼びかけです。ネットワーク横浜は、この2年半、おそらくメンバーたちが考えていた以上に、たくさんの活動をすることができました。その実績に自信をもって、厳しい選挙戦を戦い抜きます。

<ネット・統一地方選挙>D 統一地方選にむけ、進むネットの活動

信州 ネットのルールをかかげて
信州・生活者ネットワークながの 矢島 和香子



 昨年の長野県知事選挙で、何かと話題の多かった田中前知事に代わり、ばりばり保守の村井知事が誕生しました。即、ガラス張りの知事室は使わないと宣言、公共事業は大いにやって国からの補助金をもらおうと話し、市町村合併はまだまだ足りないと言い、一体どこまでゆり戻しが来るのかと心配されます。田中前知事は、泰阜村への住民票移転騒動や、挑発的な言動などマスコミが飛びつく行動が目立ち、かつての支援者も愛想をつかす事態になっていましたので、前回の選挙のように「長野県を変えよう」と積極的に動く人が減っていたのは確かと思います。
 そして村井知事になった結果、実際にじわじわとお金の使われ方も変わってきています。例えば、県教育委員会事務局こども支援課の職員が、今まで6人だったのが5人に減らされました。「公共事業より教育・福祉へ」の方針はやはり崩れていくのでしょうか。首長の資質の違いを改めて考えさせられるこの頃です。ここで県民としては、何もかも知事のせいにして手をこまねいて見ているだけではいられません。市民が力をつけて、自らの問題を解決するためにネットワークを作り、発言、提案をしていきたいものです。信州ネットは、現在生活クラブと連携して選挙に取り組む体制をとって動き出しています。県議を出す準備はありませんが、今年は4ネットが地元の選挙に取り組みます。

ネットが風を起こす
 4月の選挙に臨むのは、岡谷市、諏訪市、下諏訪町の3ネットで、長野市の選挙は9月になります。選挙情勢として前回と大きく違うのは、軒並み議員定数を減らしていることです。岡谷市24人から18人、諏訪市23人から15人、下諏訪町18人から13人、長野市は前回42人(現在合併後の特例で46人)から39人という状況です。そして今の議会では、共産党、公明党、労働組合を除く議員は、自分の住む地域代表の看板を背負っていて、また、たとえ党に所属していても、あわよくば地元の代表になっていたいのがみえみえというのが議員の大多数なのです。その原因は、有権者の「地元の議員を出しておかなければ何事も不利になる」という思い込みからくる投票行動によります。私は、長野市の農村部に住んでいるのですが、「選挙の時にあんなに協力したのに、何の見返りもない」とか「あの議員の奥さんはとても気が利くから当選できた」など活動に関係ないところで議員の評価はされていて、しかも評判が悪かろうと、地元代表として当然のように投票してしまうのです。そんなガチガチの地元意識の中で、ネットは理解してもらえる人を、ひとりひとり掘り起こして票につなげていかなくてはなりません。都会の選挙のように「風がこちらに吹く」などと言うことはありえません。議席が減った分さらに厳しい状況といえます。岡谷市では、女性の議員は現在3名ですが、いまのところ出馬表明しているのはネットの代理人のみで、女性の議会参加が後退しそうで残念です。

やはり大きい運動の意味
 そんな中でも、昨年各地で県知事が相次いで逮捕される事件を見るにつけ、やはり代理人の選挙の意味が大きいことを痛感します。選挙に個人的な見返りは当然のようについて回っていて逃れられない。結局、権力もお金次第になってしまう。これを解決するためのネットのルールである「カンパとボランティアの選挙」の意味を改めて見直しました。
 信州・生活者ネットワークの中でも、「ながの」は前回の選挙で初めて議員を出すことができました。3年余り過ぎてみて思うことは、「市民自治」の意味です。議員を送り出すことだけが目的ではないと、解っているつもりでした。当初代理人を議会に送って生活者の意見を議会に届けたい、議会の中身を知りたい、そして何となく各種の請願・陳情・調査も代理人がいると便利、などと考えていました。しかし最近ネットで議論する中で、「市民自治」を実現するにはその先が大事なことに気付きました。市民の手に負えないことを議員に託す方法では、他の議員の役目と同じになってしまいます。議員から得られる情報を生かし、「議員報酬は市民の活動資金に」のとおり、議員報酬を市民活動のために有効に使って、市民の提案力を高めることこそ「市民自治」に近づく方法なのです。ネットは、市民のネットワークを広げるために、そのコーディネイトを積極的にしていこうと確認しました。現在長野市では、一言提案から掘り起こされた学校図書館司書の問題から発して、様々な読書活動をしている人々が集まり「ながの子どもと本をむすぶ市民の会」が活動を始めています。担当の市の職員との情報交換も実現できるところまできました。今年もこうした活動をいっそう充実させていきたいと考えています。
 最初の岡谷市での代理人誕生から16年、なかなか新しいネットの立ち上げが難しく、一議会の議員の数も増やせないでいますが、今年のように大勢のエネルギーが必要な選挙の時にこそ、もっとネットの活動の意味を広め、単に地域代表を選ぶための選挙から、「市民自治」を進めるための選挙に転換していきたいものです。

<書評>『社会的企業が拓く市民的公共性の新次元
―持続可能な経済・社会システムへの「もう一つの構造改革」―』(粕谷信次著、時潮社、2006)
佐藤 慶幸 早稲田大学名誉教授



(1)新しい歴史主体としての<市民>
 社会変革への思いが込められた作品である。市場資本主義経済のグローバリゼーションは国内的にもグローバルにもさまざまな諸問題をひきおこしながら、貧富の格差を拡大し、そのために社会的諸問題の解決への道は無限後退しつつあるが、本書はその問題をひきおこす因果連鎖の無限後退を断ち切るための諸運動をフォローしながら、理論的かつ実践的なパラダイムを呈示している。
 そのパラダイムは、市場経済でも公共経済でもない。またその両者の振り子の原理による調整パラダイムでもない。それは<社会的経済>の担い手である<社会的企業>の活動・運動の推進によって拓かれる「第3の道」パラダイムである。その第3のパラダイムの構成原理は、既成経済学や没主体的なシステム論やポスト・モダンの思想をのりこえた相互主体的な<自己と他者>の連帯による<新しい歴史主体>としての<草の根市民>の活動・運動の実相を基盤にして構成される。

(2)市場経済のグローバリゼーションに随伴する社会的格差の拡大
 著者粕谷氏の基本的パラダイムは、主体−客体の2元論をこえている。主体と客体、あるいは全体と個の<あいだ>の中間が重要な役割を果たす。これは別に新しい考え方ではない。社会学ではたえず中間集団の役割が論じられてきた。伝統的な共同体は、近代国家と市場の形成発展によって解体され、共同体から自由になった個人が析出されるが、同時に個人は国家と市場によって捕捉され、その生活世界は国家と市場システムによって「植民地化」される。そこで問題になるのは、個人はいかにして脱植民地化して主体性を取り戻すことができるかということである。
 国家による生活世界の植民地化とは、「福祉国家」と市場への個人生活の依存であるが、しかし同時に個人は多少なりとも自ら<いのちとくらし>の生活世界を市場や国家から自立して維持する努力をしてきた。先進諸国は今日、市場経済のグローバル化に伴う多国籍企業の利潤拡大競争に巻き込まれ、資本の一方的支配から労働者の権利を守ってきた法規制を緩和したり、そのための法改正をしたり、福祉充実に要する企業の財政負担を緩和したり、法人税率を下げたり、社会保障費を抑制したり、非正規雇用者を増やすのみでなく、正規雇用者のリストラをしやすくしたりする施策をすすめる傾向にある。いままさに日本はその道を歩んでいる。先進国といわれたヨーロッパの福祉国家でも貧富の格差が拡大しつつある。
 わが国の戦後の経済発展をささえてきたのは、政官業の談合的公共政策と企業の終身雇用制と年功賃金制度であったが、1991年バブル経済崩壊によって、「平成大不況」に見舞われて、戦後60年間の経済発展を支えてきたこれらの諸制度は解体され、構造改革が急務の課題になってきた。そのため市場原理主義による構造改革が遂行され、その結果、雇用構造の2極化がすすみ、下流階層が増えることで生活構造の格差化がすすみ社会問題化している。政府は人々の<いのちとくらし>を守る政策よりは、生活の格差化を代償として企業の利潤拡大のための政策をすすめようとしている。

(3)生活世界の植民地化に抗して
 こうした国家と市場システムの諸制度による生活世界の植民地化に対抗して、人々は自らの生活世界を他者と連帯して維持するために共通な生活基盤としてのコミュニティを多様なアソシエーション活動を媒介にして形成しようとしている。国家と市場システムの諸制度のために引き起こされてきた社会的諸問題―公害・環境問題、リストラ・失業問題、貧困・格差問題、差別問題、犯罪や自殺者の増大、子供の受難、そして何よりも大きな問題としての政官業の癒着による税金の<略取>問題など―に対して、市民は多様なアソシエーション活動、たとえば労働運動、市民運動、住民運動、オンブズマン、サークル活動、NPO、ボランテイア活動、協同組合運動などを包摂する「第3セクター」あるいは「社会セクター」を形成し、「政府と企業セクター」のメディアである法権力と貨幣とは異なるコミュニケーション的(対話的)行為をメディアとして活動を行っている。こうした市民の活動が市民的公共圏を形成し、そして市民社会を構築する。
 以上の対抗的社会セクターの動向を粕谷氏は、<新自由主義的グローバリゼーションに勢いを得るシステムの論理・ベクトル>と<市民的公共性を求める生活世界の草の根の人びとに発する論理・連帯・協働のベクトル>とが対抗するダイナミズムとして捉え、それがどのように動くかによって21世紀の<人間社会>が持続可能であるかどうかを決めるうえできわめて重要であるとする。このダイナミズムにおいては、国家・政府セクター、市場・企業セクター、そして社会セクターの3セクター間の勢力関係が、とくに社会セクターが国家・政府と市場・企業セクターに対してどのような力を及ぼすかが、社会変革の基本的な課題となる。

(4)社会システムを構成する3つのセクター間の勢力関係の変化
 粕谷氏はこの3つのセクター間の勢力関係を図式化することで、4つの社会的世界(社会システム)の変化類型図を呈示している。この類型図は、本書のU部で論じられている新古典派経済学、マルクス経済学、近代経済学などの既成経済学の批判のうえに成り立っている。重要な視点は、社会セクター空間が社会システムの一翼を構成し、その活動・運動が社会システムのあり方・方向性を決めうるということである。
 第1の図が「商品経済化と近代化」と名づけられ「伝統的社会の近代化」がすすむ時代である。この時代における3つのセクター間の勢力関係では、市場・企業セクターが次第に力をつけて国家・政府セクターに影響しはじめる。人々は伝統的な共同体から解放され、経済的活動の自由が保障され、資本主義経済が発展していくが、同時に貧困・格差、環境などのさまざまな社会的経済的諸問題が生じてくる。そうした状況のなかで、自由な個人の連帯としてのさまざまなアソシエーション、たとえば政治的結社や文芸的サロン、そして生活協同組合や労働者生産協同組合、労働組合や共済組合などや、宗教的慈善団体など社会セクターに包摂されうる諸組織やそれらのネットワークが形成される。この時期はいわゆる「ブルジョア的市民社会」としての資本主義社会が発展する時期である。
 第2の図は「福祉国家化」である。この時代は「社会主義と福祉国家」とが主題化される時代である。この時代は労働問題や貧困問題に対応するために社会保障制度が拡大されて福祉国家が形成されていく時代である。国家・政府セクターが拡大して、それが市場・企業セクターをコントロールする時代である。自由よりも平等にウエイトがおかれる時代である。社会主義政党あるいは社会民主主義政党が政府を形成する。この時代の社会セクターにおいては、社会主義あるいは社会民主主義をめざす政治的アソシエーションや労働組合の活動が盛んになる。
 第3図は、「新自由主義」の時代で、まさしく現代の「新自由主義的グローバリゼーション」の時代である。「福祉国家行き詰まり」の時代である。社会主義(的)国家が破綻し、資本主義の市場原理主義が国境を越えてグローバル化し、市場・企業セクターが政府と結託して、利潤の論理が国内的にもグローバルにも貫徹されようとしている市場覇権主義の時代である。アメリカがその典型的な国である。世界経済はその影響を受けつつあり、その結果、国内的にもグローバルにも貧富の格差が拡大しつつある。
 しかし他方で、市場覇権主義に対抗する国や政治的・経済的・社会的・文化的諸勢力が現れている。社会セクターにおいては、反公害・環境保護運動、人種・性差別反対運動、人権、反核・平和運動や、さまざまなボランティア活動、NPO、そして市場グローバリゼーションに対抗する国際的な反グローバリゼーションNGOやさまざまな領域での国際支援NGO、そして社会的経済や社会的企業の活動などが注目されて、「第3の道」が模索されている。
 著者粕谷氏は21世紀の方向を第4図「民主主義の民主主義化と社会的経済促進」とし、「社会的企業化と市民的公共圏の拡張を」期待して、さらなる社会セクターの発展に望みを託す。

(5)ハーバーマス理論の批判的検討と経済的アソシエーションの復権
 以上、著者粕谷氏の理論の核心をなすパラダイムを評者の理解にもとづいて説明した。注目すべき点は、社会セクターを構成する概念として、粕谷氏は生活世界、コミュニケーション的行為、市民的公共性、アソシエーション、そして親密圏などの概念を用いていることである。これらの概念は非経済学的概念であり、ハーバーマスの社会理論に由来するものである。粕谷氏は、ハーバーマス理論を批判的に吸収することで、国家・政府セクターと市場・企業セクターに対抗する社会セクター概念を設定している。
 ハーバーマス理論に対する粕谷氏のもっとも重要な批判点は、ハーバーマスが労働とコミュニケーション的行為の2分法から出発して大著『コミュニケーション的行為の理論』を書いたということにある。この点は評者も賛同するものである。この2分法のために、ハーバーマスは、アソシエーションに注目したが、それは非経済的な社会的・文化的、そして政治的アソシエーションに限定されて、経済的あるいは労働アソシエーションである社会的経済アソシエーションとしての協同組合や社会的企業には眼を向けることは出来なかった。かれがEUに関心があれば、とうぜん経済的アソシエーションとしての社会的経済に注目したはずである。社会的経済という概念は、EUでは公用語であり、EU協同組合法が制定されており、さらにEU共済組合法やEUアソシエーション法など、いわゆる社会的経済3法が準備されている。
 なぜ、社会的経済あるいは社会的企業がEU諸国で認知され、法制化されたりして、公用語として用いられて、政府をはじめ、さまざまなアソシエーションが支援しているのか。それは資本ではなく人間を尊重する経済であるからである。自由主義国家における経済的活動の自由という基本権は、資本制支配の市場経済では人間を利潤営利獲得の<手段>として用いる自由と化し、人間性を疎外する資本家の権利となっている。社会的経済は、国家や市場から自由なコミュニケーション的行為にもとづく民主的な経済的労働アソシエーションである。経済的活動の自由によって人間性が疎外されるのではなく保障されるのは、社会的経済においてである。<社会的>経済は「自由な人々の自由な連帯としてのアソシエーション」である。
 <社会的経済>の<社会的>とは、市場や国家のためではなく人間と社会のためにある、あるいは<いのちとくらし>を相互に協力・連帯しながら守っていく、という意味である。それは資本の共同的社会的所有を基盤に、利潤のためではなく人間と社会のために民主的な経営と労働を行う、という意味である。評者の言葉で言えば、<アソシエーティブ・デモクラシー>にもとづく人間関係の形成と持続が<社会的>ということである。<社会的企業>とは、こうした社会的経済の基本原理にもとづいて運営される事業活動であると理解してよいだろう。それは市民的公共性を拓く経済活動である。
 そこでは労働そのものは手段ではなく目的であり、<社会的生>そのものであり、個と全体を媒介する<共>(関係)の領域である。労働とコミュニケーション的行為との<あいだ>にあるものがこの両者が融合した関係領域であり、社会的経済においては労働はコミュニケーション的行為を媒介にしてなりたつのである。労働と融合したコミュニケーション的行為においては、労働の妥当性要求が討議としてのコミュニケーション的行為において検討される。コミュニケーション的行為はモノをつくったり、サービスを提供したりする生産的労働の基盤をなすものである。コミュニケーション的行為は、言葉をメディアとしながらある主題について理性と感性とを融合させながら他者との相互了解関係を形成する。そのような意味で、本書ではハーバーマスを越えたコミュニケーション的行為概念が用いられていると評者は読んだ。

(6)コミュニケーション的行為としての労働概念―経済学批判
 粕谷氏が指摘しているように、ハーバーマスは大著『コミュニケーション的行為の理論』に対する批判に答えて『事実性と妥当性』を書いた。そして前者の社会学的相貌は、後者においては法学的相貌に変わり、そこではもっぱら世論形成や市民立法や市民行政など法理論や政治理論が、そして民主主義、政治的公共圏、市民社会、アソシエーションが、生活世界やコミュニケーション的行為論を基盤にしながら論じられているが、社会的経済としての生活協同組合や労働者アソシエーション(労働者生産協同組合あるいは身近なところではワーカーズ・コレクティブ)や社会的協同組合や社会的企業、そしてそれらの法律については論じられていない。その理由は、述べたように、労働とコミュニケーション的行為の2分法から出発し、労働とコミュニケーション的行為とを分断したからである。   
 ハーバーマスが『事実性と妥当性』において、アソシエーションを基盤として形成される非マルクス主義的な、あるいは非経済学的な「市民社会」概念を定立しながら、経済あるいは労働アソシエーションをアソシエーション個体群から除外してしまったのは、経済や労働概念を経済学概念によってのみ理解したためである。つまり、経済や労働を人々が相互に協力し合って<いのちとくらし>を維持し築いていくための基本的な社会的なコミュニケーション的行為であることをハーバーマスは理解しなかったのである。そのために、労働とコミュニケーション的行為とを分断して、この両者の2分法をハーバーマスは社会理論構成の基礎としたのではないかと、評者は判断している。粕谷氏が本書において社会的経済においては労働とコミュニケーション的行為とは分かち難く結合していると論じている点は高く評価できる。
 粕谷氏はハーバーマスと出会い、かれの著書を批判的に読みこなし、社会的経済においては、コミュニケーション的行為は経済・労働行為と分かち難く結びついて社会セクターを構成している人々の社会関係を成り立たせている基本的な社会的行為として設定している。このことは本書の各章を読めばわかる。そのために、粕谷氏は本書の第1章でハーバーマスとの批判的対話に多くの紙幅をさいているのである。それを理論的バックボーンとしながら、粕谷パラダイムが、図式化されて具象的現実が分析され、これからの運動のあり方や展望が実相を踏まえながら厳しいまなざしをもって論じられている。粕谷氏の基本的な理論姿勢は、対話と討議をとおして「すべてがすべてに対して開かれていなければならない」というコミュニケーション的発話行為を基礎にしている。

(7)ネオ・リベラリズム(新自由主義)との共振問題を克服する市民運動を目指す
 今日、日本でもネオ・リベラリズムの立場にたって市場・企業セクターの運営が制度化される傾向が強まりつつあり、同時に個よりも公(おおやけ)を重視するナショナリズムが台頭しつつある。ネオ・リベラリズムの立場にたっての市場経済運営は、環境問題、格差・貧困問題などをますます拡大し、<いのちとくらし>の生活を破壊しようとしている。それらが原因でさまざまな社会・人間関係問題症候群が生じている。国家権力はこの因果関係に目をつぶって、あたかもこれらの問題の原因は個人主義が行き過ぎて、公共心が欠如しているところに原因があるとして、愛国心を子供たちに植え付ける教育をしようとしている。このように問題発生の根本原因を隠蔽した問題解決は、問題解決を無限後退させ、ますます問題状況を拡大し、<社会システム>の根本的構造改革には繋がらないのである。
 「社会セクター」の多様なアソシエーションの活動・運動が、現社会システムの制度のゆえに生じているさまざまな社会・人間関係問題症候群を、その問題発生の根本原因を追究することなく、現社会システムの制度欠陥を補完するための活動・運動であるとすれば、結果としてネオ・リベラリズムと共振し共鳴し、格差社会化を進行させ、あるいは固定化することで、ネオ・リベラリズムを潜在的に支えることになるのではないかということがしばしば指摘されてきたが、粕谷氏はそのことを十分に認識して本書を論述していることは、以上の論評からも理解できるであろう。この点においても本書は高く評価できるのである。

(8)粕谷著書の構成
 さて本書は、以上論じてきたことをふまえながら、「T部 社会的企業の促進に向けての<もう一つの構造改革>―持続可能な21世紀社会経済システムと新しい歴史主体像を求めて―」の主題のもとに以下の4章から構成されている。
1章 グローバリゼーションと「社会的経済」
グローカルな、新たな「公共性」を求めて、あるいは、ハーバーマスとの批判的対話
2章 「平成長期不況」とは何であったか
小泉・構造改革と「ポスト・小泉」改革へのオルタナティブ
3章 「複合的地域活性化戦略」
「内発的発展論」と「地域構造論」に学ぶ
4章 日本における「社会的経済」の促進戦略
さまざまな二項対立を超えて「新しい歴史主体」の形成を
「U部 補遺 社会科学の揺らぎと近代西洋パラダイムの転換―主体とシステムの二項対立を超えて―」は、以下のような構成となっている。
補遺[1]経済学の危機はいかにして克服しうるか
「宇野理論」の可能性あるいは社会運動論への道行き
補遺[2]新しい主体の芽
 他者と互いに交響し得る自律的協働体を
補遺[3]社会科学の揺らぎ
 「段階論」の見直しと保守的解釈学の検討
 書かれた順序からいえば、U部がT部に先行している。U部が補遺となっていることからも分かるように、粕谷氏は自己のよって立ってきた経済学のあり方を自己批判的に検討する過程で書かれた諸論考がU部を構成している。T部はU部での経済学批判のうえに成り立っている。
 粕谷氏の著書が理論面においても実証面においても、そして実践面においても社会セクターを構成している活動・運動体が相互に連帯し、国家・政府と市場・企業セクターのすすめている構造改革(構造改悪)に対抗する「もう一つの構造改革」推進の契機となることを期待したい。

<アソシエーション・ミニフォーラム>
千 葉 食から世界の今が見える!
生活クラブ生協・千葉 理事 小口 智子



講師:NPO法人コミュニティスクール・まちデザイン理事長 近藤惠津子氏(12月4日)
 体験型の実りあるワークショップを開催することが出来ましたことは大きな成果でした。
 内容は、ワークシート「私の食が世界・地球をつくる」「身近な物のひとかけらから世界の今が見える」2004年度版を使って、輸入国;日本の現状をバーチャルウォーター・仮想水、フードマイレージ、ウッドマイレージなど各々の指標(環境ものさし)で表わすことで、国内自給率、地球温暖化,飽食日本の現状など・問題点を明らかにし、「食べる」という行為が、エネルギー・水・ゴミなど、地球環境まで影響を与えている事に気づき、私たちの出来ること…問題解決を考えるというものでした。
 はたして、子育て層の組合員ママはどんな感想を抱いてくれたのでしょうか?
柏北支部 沓掛美東里さん…
 食も生活用品も輸入に頼りすぎの日本。国としての自立度が低い。イギリス・フランスなどの子供たちの意識と比較しても、日本の国民が幼稚化して“自立”意識が低いことのひとつの表われではないのだろうか?「日本の大人=行政・教育・経済を動かし決定する人間」が、国内自給率UP、地産地消の意識を持たないと日本は、罪深い国のままになってしまう。
 「グローバル化」とは何なのだろう? 経済分野だけに限られた現象ではあるまい。日本人すべてが、グローバルな目で食を選択し、自立した国を育てないと自国の首を絞めるだけでなく、他の国にも迷惑をかける「お荷物な国」になってしまいそうな危機感を覚えた。以上のようなことを考えさせられた、とても意義深いフォーラムだった。 とりあえず自分にできることを考えた。
1.生活クラブで取組んでいる配達用仕分け袋のリサイクルや牛乳ビンのリユース活動への参加を継続する。修理可能なものは、手間を惜しまず永く使う。
2.少し信頼関係のできた友人やママ仲間に、「環境」や「食」を勇気を持って話題として投げかけてみる。
この2つは今現在も心がけている行動だが、正直言って、時々投げ出したくなることもある。本当に「継続は力なり」ですね。
 フォーラムはワークショップ形式だったので、久々に学生気分を味わいながら「考える」「答え合わせ=確認する」の作業を行った。また、あれだけ時間の制限がありながら、わかりやすい語り口調で、伝えるべきことをきちんと伝えられる表現能力に、講師の質の高さを感じました。
柏南支部 林 紗絵子さんは…
 とても濃い内容が、それこそぎっしり詰まった2時間でした。
 実家が生活クラブに入っていたこともあって、子どもの頃から環境や資源、食べ物のことを考えさせられる機会の多かった私としては、今回のプログラムはすでに知っている事の繰り返しが多いのではと考えていました。しかし、バーチャルウォターやウッドマイレージなど、今まであまり知らなかったお話が、とても興味深く聴き引き込まれてしまいました。
 すでにわかっていたように思っていた事実も、統計や表を示した上で、順を追って説明していただいたので、より知識を深め、頭を整理する事が出来たように思います。
 これからを担う子ども達に、学校では教えてくれない事を伝えていきたいと漠然と考えていたので、実践していらっしゃる方のお話を直に聞けて嬉しかったです。
 うまく人前で話す事は難しいけど、私は身近な人へ学んだことを伝えてけたらいいなあと思います。
我孫子支部 籾山美季子さんは…
 現代の食生活に「食育」が大切と叫ばれる昨今です。毎日何気なく食べている物が、どのようにして食卓に登ってきたのかを理解した上で食べている人は少ないのではないでしょうか。まして子どもが自らそう考えてる可能性はもっと低い。やはり私たち大人がしっかり伝えていくべき事だと思います。
 今回の学習会・ワークショップに参加することで、日本の最近の食料輸入量、輸入品目、それに伴う作付面積、労働力、水、輸送燃料など、現状をなんとなく知ってはいましたが実際にグラフや計算式で数字に表してみると明らかです。その値を他国と比べると、日本はいかに自国の資源を生かしきれずに、国内にあるものさえも外国に頼っているかがわかります。飽食の時代といわれて久しいですが、私は他国の子どもが厳しい労働を強いられて作られた食物を食べる気になれません。他国の方々を犠牲にしてまでも今の食生活を続ける必要があるのか否かを、ひとり一人が考えなければいけない時が来ているのではないでしょうか。
 また、環境問題に関心が高まりつつありますが、実生活にどれだけ取り入れられているか、またそれも続けなければ意味がありません。ここまで病んでしまった地球を、私たちの工夫で少しずつとり戻せるように、今日教わった事をたくさんの子どもたちに広められるといいなと思いました。我が家にも中学生と小学生の子どもがおりますが、学校で例えば総合学習に半年くらいかけて取組むと、同じ内容であってもそれぞれの年齢なりに充分理解できると思います。学校の先生方にも是非この学習の存在を知っていただきたいです。
 地球を守り、命を守ること。「私に出来る事」を子どもたちも何か感じ取ってほしい!

 以上、手作りの生活クラブ消費材の切り抜き・世界地図・グラフやデータなどを道具としたオリジナルのワークショップは、子育て組合員ママの心に新鮮な感動を与えました。
 身近な「食品」をバーチャルウォーター・仮想水、フードマイレージ、ウッドマイレージなど各々の指標(環境ものさし)で捉えることで、輸入大国日本の問題点を数字で明らかにするばかりか、持続可能な生産できる地球環境を保ち続けるために、今私たちの出来る事は何か?食べる物の選択と食べ方について考えさせる内容でした。
 近藤惠津子さんは、著者『わたしと地球がつながる食農教育』の中で「食べ物の生産には、時間と空間が必要であること、何をどう食べるか 消費者一人ひとりの選択が生産現場を左右し、流通のあり方を決めてしまう。つまり、食(消費)と農(生産)をつなぎ、生産・流通・消費のトータルの視点をもって、それぞれが学びあい、知恵を出し合わなければ環境問題も食と農をめぐる問題も解決しません。」と述べています。
 なぜ生活クラブが、資源の有効利用・ゴミの削減、エネルギーの削減など「安全・健康・環境」の生活クラブ原則を定め、その原則に沿った事業活動を行なっているのか、また、問題点を解決するために“協同の力”で社会を変える運動に取り組むかを、しっかり理解して頂けたと確信します。
 そして、「食の安全」は、生産から廃棄まで「環境」の配慮なしにはありえない事に気づき、「毎日の私たち一人ひとりの消費のあり方、暮らし方」こそ、次世代へ引き継ぐキーワードであることを子育て真最中のママたちに、やさしく・楽しく伝える事が出来た事は大きな収穫でした。

雑記帖 【加藤 好一】

 生活クラブ連合会は、本誌先月号で「生協制度見直し検討会とりまとめ(案)にたいする見解」を、そして今月号では「協同組合法制化検討プロジェクト」の中間答申を載せていただいた。その主旨は、当会のいわゆる生協法改正問題に対する見解を示し、今後議論を広く進めていくための「たたき台」としていただければという思いからである。
 私は今回の生協法改正議論が、これまでの一連の農協解体的な動きの延長にあるように思えてならない。その意味で協同組合陣営は、タテ割りの法制度の垣根を越えて幅広く議論し、協同組合の価値や使命について訴え、大同団結していく必要が大至急にあろう。
 一方、この小論を書いている最中、パルシステムから静岡展開の挨拶があり、またコープネット事業連合とユーコープ事業連合の事業連帯の情報がもたらされた。この事業連帯は近い将来の完全統合を視野に入れたもので、実現すれば首都圏に組合員数500万人、事業高7,000億円超の巨大生協が誕生する。そして生活クラブでも、一昨年来からの関西のある生協グループからの加入申請に、結論を出さなければならない時期を迎えている。
 このような状況のなか、協同組合の「使命」という問いが重みを増していると思う。やや硬い話題だが、カール・ポランニーの『大転換』(1944年刊)を再読した。この本の副題は「市場社会の形成と崩壊」で、彼は19世紀以降の市場経済の破壊性を「悪魔のひき臼」と言い、一方でオーエン主義者たちの実験に多くのページを割いた。今日の資本主義(株式会社)がいわば19世紀的に延命を図ろうとしているように思えるいま(例えば働く者の権利の無化)、難解だが「使命」との絡みで読まれていい本だ。

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