子ども農業で気楽になりません?(斎藤真理子 韓国語翻訳家・ライター)
私の仕事は韓国語の翻訳で、主に小説を翻訳している。
韓国の映画やドラマをよくご存じの方は多いと思うけれど、韓国文学を読んだことのある方なんてとっても少ないと思う。実は今、けっこう面白くなりつつあるのだが、そういうお話はこれからおいおい、させていただこうと思う。
ということで、連載第一回目。
私は、いいかげん大きくなった息子と一緒に暮らしている。曲がりなりにも親を二十何年もやったんだから、子どもを育てることについて書いてくださいよといわれ、書くことになった。
さーて何を書こうかと思いめぐらしたが、そもそも親子関係というのが、何をどうやったところで非常に出来の悪い人間関係なんだと思う。
人間関係というものをむりやりジャンル分けすると、「親子関係」VS「その他ぜんぶ」と大別できるぐらい、親子関係って特異だ。例えば相当に賢い人でも、わが子については「えっ」というようなことをやらかす。判断力が歪むのだな。親をやるというのはばかになる修行のような気がする。
そして、ばかの修業をやってる期間は時間の流れ方が違う。日々が轟音をたてて過ぎ去り、何年もが一つの大きなかたまりとなってどんがらがらと転がる。そして気づいたら、私の立っている位置はあっという間に二十年後に移動していた。
時はブルドーザーのように驀進したのだが、このブルドーザーには一つ特別仕様がある。猪突猛進しつつ、どっかの管から絶えず切なさがだだ漏れになっているのである。何しろばかの修行中なので、意外なことが意外なほど沁みる。例えば世の不条理さが、わが子を媒介すると二倍三倍に感じられる。その集大成が、就職活動だと思う。
(P.128~P.129記事から抜粋)